〜大坂冬の陣・夏の陣〜
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2007/02/09(金) 00:21:49ID:605AFMrXある者は死地を求め、ある者は浪人から成り上がろうと野望を抱き、またある者は没落した
名門の再興を賭け、戦い、そして散っていった。華々しくも哀しい大坂方将士達。
戦国時代最後の戦いにして最大の戦いをじっくり語ろう
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2007/02/09(金) 00:23:20ID:m1P7r30E0003名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 00:24:07ID:F0nTCAV9素人の私にはどうも真田信繁より毛利勝永の方が活躍しているような気がするんですが、
実際どうですか?
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2007/02/09(金) 01:03:06ID:EcleZTrG海坊主じゃ盛り上がらないからな。
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2007/02/09(金) 03:08:22ID:RRtWIHVz0006名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 16:47:37ID:F0nTCAV9山内なんか目じゃねーよ
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2007/02/09(金) 18:00:47ID:0ZVZ9bU0蹴散らしてるけど、肝心の家康本陣を壊乱させたのが信繁隊なので、
そのインパクトの差で損した感があるね彼は。
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2007/02/09(金) 18:05:13ID:moPTiJs60009名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 22:06:10ID:JCiRWB7nそして茶臼山・岡山の両軍は天王寺の家康軍よりも大軍を擁している。
これから考えると家康は自身を囮にして大坂方主力を突出。そこを両翼で叩くという包囲戦を
考えており、結果その通りに進行したといえよう。
後、木村重成は自身が優勢でしかも待ち伏せしているのに井伊直孝に負けている。
これは井伊がとても強いのか、木村重成は実は大した事ないのか?
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2007/02/09(金) 23:36:56ID:B5OscYAj木村夫婦だって!
0011名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 23:40:18ID:EcleZTrG強いとか弱いじゃなくて、経験の差なんだろうな。
大将が突っ込んじゃいかんよな。
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2007/02/09(金) 23:41:51ID:F0nTCAV9幸村は政宗も破ってるしなー
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2007/02/09(金) 23:59:37ID:/i5oZiKaあれほど大坂方の本陣攻撃を警戒してた家康が自分囮にするとは思えない
まして圧倒的優勢なのにそんな馬鹿げた作戦考える奴もいまい
0014名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 00:30:36ID:yGbDfRte>>9
自らを囮にする布陣とは、まるでローエングラム公みたいだなw
0015名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 00:34:42ID:7Wjn8pUR井伊が率いたのは徳川の精鋭
実力差はいかんともしがたいでしょ
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2007/02/10(土) 01:09:07ID:G6IV5kxj0017名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 02:07:48ID:vqqJqBKm0018名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 08:55:04ID:4oF5mYt3思うよ、例えば豊臣秀吉の小田原攻めを参考にして、大阪城の南に秀吉の石垣山城のような城を築いて
後は、ただ大阪城を包囲して後はゆっくり待て、大阪方の家臣を丸め込んで大阪城を無血開城はできなかったの。
約束なんて無視して大阪城開城後豊臣秀頼と淀は高野山追放すれば良いと思うけど。
0019名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 09:26:13ID:DbPktg18大坂の陣時における幕府方は膨大な戦費で財政も逼迫しているから
なるべく短期決戦で済ませる必要があったのでしょう。
その為の冬の陣の謀略ですし、夏の陣も家康の「三日ばかりの腰兵糧」
も考えるとその間に終わられないとやばいと思ったのでは。
こう考えると、敵を一気に撃破する包囲戦術を考えてもおかしくないし、
自らの身の危険も最終決戦ならば多少の身の危険も覚悟の上であろうし、
何より家康は戦国一の逃げ名人ですから
0020名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 11:57:43ID:V7NzcXPz全くと言っていいほど戦がなかったんよね?
仮に関が原の合戦を含む慶長5年の戦を経験した最年少が16歳くらいとしても、
大阪の陣で35歳近くに達していなければ実戦経験のない兵卒ばっかりだったって
ことなんじゃないの?
もちろん侍大将格以上で歴戦の老練な武士も残ってはいたろうけど、構成比率で
考えると、足軽なんかは戦場経験の無い輩もかなり多かったっぽいんじゃ?
怖いもの知らずの勢いは期待できるけど、多くの戦場を踏んだ人間がもつ独特の
勘やら経験なんかに欠けた兵も多かったろうね
0021名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 14:59:28ID:G6IV5kxj徳川はもう勝ち組みとして、良い生活を十数年送ってる奴とか
戦争やったこと無いやつらがヘタレすぎて嘆かわしいという・・・w
大阪方は逆転一発狙いで金で雇われた浪人が多いようだからね
徳川のまだ現役でいる歴戦の勇士というと渡辺半蔵とかだけど、超現場組だからそこまで重要じゃなさそう
足軽頭とかその辺の役職が長かった人だったはず
0022名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 15:11:05ID:5mSMGBWA0023名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 18:09:13ID:DbPktg18無理無理、大坂方に至っては兵糧に加え、弾薬にすら事欠く有様だったんだから
半年持つなら兎も角、あのままだったら二、三ヶ月で干上がってるでしょうな
0024名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 20:01:53ID:XNzxQxdlその弾薬不足説が一番眉唾なんだがw
大阪冬陣の大阪方の推定保有鉄砲数は2〜3万丁
鉄砲購入費の2割を弾薬にあてると1丁あたり200発
和議時点で弾薬の半分を消費したとすると200万〜300万発の消費量か。
徳川方の兵1人を死傷させるに千発の弾薬を消費したという計算だな。
篭城戦で引き付けて撃つことのできる状況でそんな低命中率なんてありえない。
0025名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 22:44:25ID:DbPktg18どこからそれだけの火薬を運び込んだかと言う話になる。
購入するとするならイスパニアからだろうが果たして、大坂から
それだけの火薬をどのようにして入手するのか?かなりの問題かと
0026名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 22:49:56ID:DbPktg18http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1410645644
0027名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 23:34:39ID:XNzxQxdl回答サンクス。
夏の陣前に堺からの調達が難しかったのは承知している。
しかし、豊臣が鉄砲弾薬を調達したのは、冬の陣の前だからな。
親徳川といっても、露骨に鉄砲弾薬を売らないという行動をとったわけではない。
まあ、高値をふっかけたのかもしれないが。
そうでないと開戦直前に堺の商人が豊臣家に鉄砲弾薬を献上したというのが、つじつまが合わない。
ヤフーの投稿者は夏の陣前の状況と冬の陣のそれとを混同しているのでは?
あと、彼の記述内容の信憑性自体もあやしげなものだ。
淀川の水をせき止めるのに失敗した?
確か、天満川は歩いて渡れるほどに水量が減ったはずだが・・・・・
これは、貴君の書いたことではないかもしれぬのでここで語っても詮無きことだが。
0029名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 01:33:58ID:eEvj8V1c加えて備蓄米と買った兵糧などを合わせればそうそう困る事はないと思う
0030名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 09:54:23ID:KO1eQBlv堺とはいえ町にあったものを徴発・買い付けした程度では大した量ではないと思うのです。
家康などは合戦が始まる前から度々火薬や鉛を購入している事実もあります。
とはいっても正直よくは解りません。負けたほうの記録なんて先ず残りませんし。
>>29
藤木久志氏によると幕府方・豊臣方双方共に米が高騰している様です。
後、雑兵物語によると一日に食う米は六合、一年にすると二石以上。
人員も兵員だけでなく女子供・逃げ遅れた町民も加えると相当数になるかと
0031仙台藩百姓
2007/02/11(日) 11:20:11ID:eEvj8V1c伊達軍の強さが際だってましたね
豊臣vs伊達と言っても過言ではないでしょう
0032名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 16:08:56ID:bVJi424Q一気に襲い掛かるしかない。
0033名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 18:43:31ID:Hx7kj+hU0034名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 19:36:46ID:nNv1maFy0035メガトン ◆xfEWihaR6w
2007/02/12(月) 00:21:57ID:vIlF30niはっきり言って秀吉の朝鮮の役と変わらないね、大坂の陣というの
は、ただ民衆を虐殺しまくっただけ。
すでに事前の工作で豊臣家は機能してないも同然のところを、クソ
漏らしが無理に攻めただけ
0036名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 01:21:35ID:Xt2MpI4qところで、幸村伝説はどこまで信じていいんだ?
0037名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 01:22:14ID:Xt2MpI4q0038名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 01:27:59ID:IF97aRQK要は全員分の武功を合わせたのが幸村伝説と見ていいんじゃないか
0039名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 02:07:31ID:Xt2MpI4q本人と又兵衛・勝永・盛親はわかるが他はそんなに印象ないのだが…
0040名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 05:13:08ID:4MUeFpqM食い物には困ってなかったらしい。夏になれば腐ってアボしていたかもしれないが。
0041人間七七四年
2007/02/12(月) 07:55:23ID:sE4Xr5fSそういう意味では、城攻めが得意というのは戦争というのを勘違いしている人物の事を言うのではないだろうか?
0042人間七七四年
2007/02/12(月) 12:08:48ID:pkYk/2Za|;;:::::| よく豊家千年の夢を見事に打ち砕いてくれました…
|;;:::::| 虎之助の反応がありませんね…あなたたちが暗殺したんですか?
|;;::::| どうやったのかは知りませんが、これはちょっと意外でしたよ…
_ヽ::/____ それにしても、あと一息のところで母上が講和に応じてしまうとは…
[;;;;;;;;;:::::::::::;;;;;] 左衛門佐には残念でしたが、わたしはもっとでしょうか…
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ はじめてですよ…
// 秀頼 \ このわたしをここまでコケにしたおバカさん達は……
/j/ ヾ、 まさかこんな結果になろうとは思いませんでした…
l::||:::: \ / |l ゆ…
|::||:::::::.. (●) (●) || ゆるさん…
|::||::::::::::::: \___/ || ぜったいゆるさんぞ虫ケラども!!!!!
ヽ\:::::::::::::::. \/ ,ノ じわじわと助命嘆願してくれる!!!!!
/\ ̄`ー―---oo-――'"ヽ 一刻でも長生きしてやるぞ覚悟しろ!!!
0043人間七七四年
2007/02/13(火) 14:37:22ID:O9ntWpwm隠れて支援した家はあったよね?
福島家:兵糧米徴発を見逃し
毛利家:内藤元盛を派遣
0044人間七七四年
2007/02/17(土) 21:37:37ID:tz9k1+kv真田幸村 上田城主三万八千石昌幸の二男
長曽我部盛親 土佐二十二万石の領主。元親の子
毛利勝永 吉成の子で、豊前の内四万八千石
明石全登 キリシタン。宇喜多秀家の家老ながら秀吉直属の大名で十万石
後藤又兵衛 黒田長政の臣で、小隈城主一万六千石
仙石宗也 小諸城主秀久の子
石川康勝 数正の二男。信濃の内一万五千石
氏家行広 伊勢桑名二万五千石の城主
増田盛次 大和郡山二十万石の領主長盛の子
大谷大学 吉継の子
平塚左馬助 美濃の内一万二千石の為広の子
堀内氏弘 紀伊新宮二万七千石の城主、氏善の子
早川長政 豊後大分府内城主一万七千石
佐藤方政 美濃上有知 尾山城主二万石
南條元忠 伯耆三郡羽衣石城主六万石
寺西清行 越前内一万石
青山忠元 越前丸岡城主四万六千石宗勝の子
細川興秋 忠興の二男
木村秀望 吉清の子で豊後の内一万四千石
服部正栄 秀吉馬廻、越前の内一万石
0045人間七七四年
2007/02/20(火) 21:18:20ID:EP2XKsOs一番の大身が盛親か。
0047人間七七四年
2007/02/21(水) 00:22:32ID:pe/ybOCH0048人間七七四年
2007/02/21(水) 00:32:02ID:0VhtcZzG藤堂隊に大被害を与えているのは?
0050人間七七四年
2007/02/22(木) 00:58:12ID:vruV4qz5http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1172072217/
0051人間七七四年
2007/02/22(木) 16:24:27ID:s38pT0oT誰を参陣させて、誰を江戸に置いてくるかの人選は完璧
これでは相当情勢が不利にならない限り
変心する大名は出てこないだろうな〜
0052人間七七四年
2007/03/09(金) 22:05:00ID:6KdbsZ290054人間七七四年
2007/03/10(土) 00:11:08ID:UObKTKfH0055人間七七四年
2007/03/10(土) 01:35:25ID:mTwK4frp城方の兵糧が尽きるまで2年でも3年でも囲めばよろし
もちろんその間に場内へじゃんじゃん砲弾叩き込みつつ
0056名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/10(土) 09:09:26ID:eQVbuBBXたかが豊臣家潰すのにそこまで金をかける気は家康には無い
0057人間七七四年
2007/03/10(土) 12:13:55ID:UObKTKfH0058人間七七四年
2007/03/10(土) 12:21:11ID:ZmNZz5IW勝ちが決まってるからこそ勝ち方が問題だったわけで。
0059人間七七四年
2007/03/16(金) 01:25:25ID:kpOHkrZcやっぱある程度読むと毛利勝永萌ぇ〜になるのは俺だけじゃないようだね。
もともと銀メダリストや銅逃した4位のオリンピック選手に感動する変な
奴だから、こういう影の地道な人間には泣ける。
0060人間七七四年
2007/03/16(金) 02:22:02ID:8ZSITWZDやっぱり大坂の陣以前の経歴に派手さがないのがいけないのかね?
真田と後藤は言うに及ばず、明石はキリシタンだとか旧主秀家絡み、
長宗我部は元親から始まる一連のな流れでイメージや話が作られてるし。
0061人間七七四年
2007/03/16(金) 03:49:23ID:iMQszcFS攻め放題食べ放題。
新手のいない大阪方は戦功に走る家康の外孫や討ち死覚悟の本多あたりの敵ではないよね。
家康の難しさは味方のモチベーションをどうあげるかぐらいですわ…
でも家康の旗印をメタメタにした…もうちょっとだったね…
0062人間七七四年
2007/03/16(金) 05:12:09ID:mHfjVZ2M同じ大坂城の庭に咲く
♪咲いた花なら散るのは覚悟
見事散りましょ豊臣のため
0063人間七七四年
2007/03/16(金) 10:46:08ID:VJHEuJ36家康が立て替えたものである。
0064人間七七四年
2007/03/16(金) 11:11:39ID:YI0BXf2n0065人間七七四年
2007/03/16(金) 12:21:55ID:iMQszcFS0066人間七七四年
2007/03/16(金) 14:39:43ID:a587fV5T最近庁舎の立替工事で豊臣時代の堀が発掘されたんだが、それが現代の堀の外側。
真田丸がこのあたりだ。
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&tab=wl&q=
0067人間七七四年
2007/03/16(金) 18:51:11ID:kpOHkrZc駆られるのは俺だけか?
葵の門見ると虫酸が走るんだが。
(ちなみに俺大阪の人間じゃないけどね。)
0068人間七七四年
2007/03/16(金) 19:30:31ID:M3CXDgAw0069仙台藩百姓
2007/03/16(金) 19:46:12ID:7mlKzq9b破壊するなら家康の墓だけにするお
0070人間七七四年
2007/03/16(金) 20:02:21ID:9WwsDEIM冗談半分とはわかっているが
0071人間七七四年
2007/03/16(金) 21:49:30ID:9CxSgAyNそこいらの武将が数万程度で攻めても落ちることはないということだ
0072人間七七四年
2007/03/16(金) 21:55:08ID:f8jWsqPL0073人間七七四年
2007/03/16(金) 21:56:09ID:8ZSITWZD大坂の陣がなければ大坂城も「豪華な城」止まりだったんだろうけど。
0074人間七七四年
2007/03/16(金) 22:05:30ID:f8jWsqPLほぼ市内全域だからね。
そりゃ家康も堀を埋めるよ。
0075人間七七四年
2007/03/16(金) 22:15:12ID:cMihzzKu一般には江戸時代の大坂城は豊臣時代の大坂城を上回る規模だったと言われてるはずじゃなかったか?
Wikipediaの記述でもそうなってるが
0076人間七七四年
2007/03/16(金) 22:29:49ID:8ZSITWZD0077人間七七四年
2007/03/16(金) 23:24:45ID:/3uiQwLb0078人間七七四年
2007/03/16(金) 23:40:01ID:9CxSgAyN新型の大砲でもって天守に撃ったんだっけ
0079人間七七四年
2007/03/16(金) 23:48:08ID:VJHEuJ360081人間七七四年
2007/03/17(土) 01:47:12ID:Mq2qjbD/いい所に当たるまで撃ちまくればいいんじゃない
0082仙台藩百姓
2007/03/17(土) 01:51:32ID:275ig+1cどのみち当時の大砲じゃ100発200発当てたって実害は皆無に等しい
0083人間七七四年
2007/03/17(土) 01:58:53ID:TKIEr8TH司馬遼太郎の城塞の受け売りだが、一応照準器もついてたらしい。
まぁ精度とかは大した事ないんだろうけど。
0085人間七七四年
2007/03/19(月) 00:45:39ID:9/veQgoU0086人間七七四年
2007/03/19(月) 03:32:40ID:dMD0iB5h「弾幕」を張る考え方だな。長大な槍襖というか。
0087人間七七四年
2007/03/20(火) 21:23:58ID:4y+5SI3u0088人間七七四年
2007/03/20(火) 23:47:49ID:zfCy9DMM0089人間七七四年
2007/03/21(水) 01:34:41ID:BZaOAQif0090人間七七四年
2007/03/21(水) 02:00:04ID:CAtDqYIQ家康嫌い。
早雲寺を燃やしたアホの秀吉の遺物が消えてなくなったのは評価する。
0091人間七七四年
2007/03/21(水) 02:33:05ID:2JrDhlReでも日光は今影薄いよな。
関東で鎮守っつうと将門公の方がパワフルなイメージあるから。
0092人間七七四年
2007/03/21(水) 14:47:21ID:u+aC/sQa0093人間七七四年
2007/03/30(金) 06:16:18ID:xq8T+60N0094退屈@親父
2007/04/02(月) 21:28:17ID:+7f6TVp6age
0095人間七七四年
2007/04/02(月) 23:08:28ID:/7UFMeS7城内に乱入した幕府方に略奪され、焼け落ちた建造物から発掘された残りの財宝も幕府がボシュウート。
ポッポナイナイってやつよ
0096人間七七四年
2007/04/03(火) 00:09:52ID:655SLFfN0097人間七七四年
2007/04/05(木) 04:50:19ID:/PgKzunl0098人間七七四年
2007/04/05(木) 07:58:04ID:VBkjlKEvするかのどちらかにしておけば…
0099人間七七四年
2007/04/05(木) 11:12:33ID:ZC4Ef6N8土佐ではあったみたいですが
0100人間七七四年
2007/04/05(木) 19:09:19ID:mZ/Z/W3+0101人間七七四年
2007/04/06(金) 05:33:00ID:O70ROLVX0102人間七七四年
2007/04/06(金) 08:39:34ID:2niPv/LYま、大坂の陣の時期に石田三成が生きていたとすると、恐らく関ケ原のころの前田や毛利級の存在感(大物)であるのはまちがいなかろう。清正程度がそのような扱いだから…
0103人間七七四年
2007/04/06(金) 12:04:51ID:MkH+BJw/0104人間七七四年
2007/04/06(金) 14:12:15ID:UKB6u1dm高野山で出家生活じゃない?
真田昌幸&信繁の場合は妻帯していたんで高野山じゃなく九度山だったけど、
三成なら単身でも高野山に送り込むはず…
0105人間七七四年
2007/04/08(日) 13:47:31ID:SV8JdTDn0106人間七七四年
2007/04/08(日) 15:31:01ID:MOduZeELあんまり人いないよね。
超有名だし戦国時代の終焉のような出来事なのに。
0108人間七七四年
2007/04/08(日) 16:10:39ID:4kvdsqMJ0109人間七七四年
2007/05/03(木) 04:52:21ID:/3ycIIjt吉野、熊野でもあったようだ
>>108
大坂の恨みはかなりのものだったみたいだな
朝鮮通信使の通訳にまで家康の悪口を話したらしいし
0110人間七七四年
2007/05/07(月) 04:21:15ID:qyxn7zoF豊臣の恨み・・・なんてのはタテマエ、
それまではどこまで行っても京都と公家は日本の中心で、利用はされても尊ばれる存在だったが、
江戸幕府以降は完全に江戸が中心になってしまい、公家も管理下におかれる事が始めて明文化された。
そのことについての恨みが一番大きい。
豊臣の恨みはついでみたいなもん。まぁ秀吉は公家や大阪京都を中心にした人物だし好感持ってるし。
0111人間七七四年
2007/05/11(金) 23:56:21ID:Ui2Yn4ol江戸城だの東照宮だの聞くと破壊してやりたい気持ちになるが。
都道府県占いやったら案の定、京都府と出やがった
0112人間七七四年
2007/05/12(土) 01:02:40ID:gnfohGsH0113人間七七四年
2007/05/12(土) 01:37:31ID:WEhvfSF50114人間七七四年
2007/05/12(土) 09:38:46ID:Ay+Us1Fjその占い大当たりじゃん
0115人間七七四年
2007/05/13(日) 00:56:48ID:bPWKEnvh0116人間七七四年
2007/05/18(金) 21:29:08ID:ZQwKEip30117人間七七四年
2007/05/18(金) 23:04:51ID:IxtdJujk0122人間七七四年
2007/05/20(日) 03:05:06ID:owOci0VS0123人間七七四年
2007/05/20(日) 17:21:59ID:OQDOOhFY大坂冬の陣で大坂に篭ったのが10マン、夏に集結したのが5マンだったっけ?
0124人間七七四年
2007/05/20(日) 20:03:13ID:3nfA4q5L徳川方はイギリスから弾丸重量18ポンドのカルバリン砲4門、5ポンドのセーカー砲1門に加え、
オランダから33〜41ポンドのカノン砲12門を輸入して使ったそうだ
残りの砲は1貫百匁の芝辻砲が多かったんだろうか?
豊臣方もフランキ数門で反撃したんだと
しかしカルバリン砲は中口径砲とはいえなかなかでかい・・・最大射程は6300mだそうだ
これなら本丸まで届くな
オランダから輸入したカノン砲はさらに倍の弾丸重量(大型だからといって射程が長いわけではないが)
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Image:Bronze_Demi_Cannon_Culverins_Pmoth.png
0125人間七七四年
2007/05/20(日) 20:04:45ID:3nfA4q5Lけっこう日本も大砲を重視してたのかな?
186 :世界@名無史さん :2005/08/12(金) 01:13:00 0
1589年後北条氏は豊臣秀吉に対抗するため、
山田次郎左衛門ら領内の鉄砲鍛冶に発注した大砲は20門。
小田原攻めで秀吉が動員した大砲の推定総数は1000門超。
1614年大阪冬の陣12月16日に使用された大砲は305門だが、
国友村に対する徳川家による慶長12年から慶長20年までの
大砲の総発注数は947+α
大砲の原料である銅の当時欧州最大だったスウェーデンが
1632年リュッツェンの戦いで使用した大砲は何門だい?
それから、アルマダの海戦は悪天候によるイギリス版神風。
大砲を遠距離からバンバン撃ち込む近代的な海戦ではない。
また、アルマダ艦隊は海軍ではない。
0126人間七七四年
2007/05/20(日) 23:06:58ID:Z8KTy34b無理だよ。
仮りに城内を耕作することでカロリーをまかなえたとしても、
栄養のバランスが悪すぎてどうにもならない。
0128人間七七四年
2007/05/21(月) 10:42:16ID:E5UUgw1jちなみに近現代だとレニングラード包囲戦が約900日で死者はソ連の発表で67万人。
一説には100万人。独ソ戦はすさまじいな…
0129人間七七四年
2007/05/22(火) 00:26:10ID:Ltwk3Hgb死者50〜200万という。
0130人間七七四年
2007/05/22(火) 00:32:29ID:si/LPPmf0131人間七七四年
2007/05/22(火) 11:53:04ID:Ltwk3Hgb30年後の人口調査では900万人にまで減少した。
ブハラ、サマルカンド、バグダッドなど多くの大都市が大虐殺にあった中東でも
数百万人の死者がでたという。
0132人間七七四年
2007/05/22(火) 12:01:02ID:Ltwk3Hgbキエフ公国の首都キエフは街自体が地図から消滅した。
現在ロシア白人の人種遺伝子の1割はモンゴロイドに由来するほどだ。
0133人間七七四年
2007/05/22(火) 19:48:56ID:OpacGvl70134人間七七四年
2007/05/22(火) 23:23:16ID:R0NR5JY20136人間七七四年
2007/05/25(金) 08:29:45ID:R2SOSq42三木城は毛利方が実力で強行した補給や支援があったから、数年保った。
自給自足で完全孤立ではありえない話。
0138人間七七四年
2007/05/25(金) 23:02:57ID:EJT6MHQh0139人間七七四年
2007/05/25(金) 23:46:06ID:MljyzT+60140人間七七四年
2007/05/27(日) 00:20:12ID:4JM9FQ2k移動お願いします。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1178617683/
0141人間七七四年
2007/05/28(月) 22:43:29ID:UrOl1AdH遷都とかの名目をつけて朝鮮に移り住めばよかったのに
幕府もわざわざ外国まで追ってこないし
0142人間七七四年
2007/05/28(月) 23:46:07ID:oRqLgqpy0143人間七七四年
2007/06/17(日) 20:40:16ID:MICmvFw3地図だけでみると伊達政宗と松平忠輝が幸村の近くにいるんだけど彼等は誰かと交戦中だったのですか?
真田と密約があってスルーしたってのは本当なんでしょうか?
0144人間七七四年
2007/07/08(日) 13:20:29ID:elRWCJ+k■サッカー:U17日本代表、PK戦の末韓国に勝利
2007年6月23日午後2時、天安総合運動場で8カ国国際大会(U17)3位決定戦が行われ、
日本代表は韓国と対戦、PK戦の末勝利し3位となった。前半24分、水沼宏太の
ゴールで日本が先制。その後、韓国はペナルティーキック
からゴールを決め1-1の同点としたものの、その後PK戦にもつれこみ、7-6で
日本が勝利をおさめた
朝鮮日報JNS
http://www.chosunonline.com/article/20070623000031
0145人間七七四年
2007/07/29(日) 20:39:32ID:5eBCqSSs0146人間七七四年
2007/09/03(月) 03:13:16ID:U/AzcsPx0147人間七七四年
2007/09/06(木) 20:11:11ID:12Q+hNdj長篠では左翼山形、右翼馬場が信長本陣を迂回包囲の作戦。
大阪の役ではこのスレの住人なら言うまでも無いけど、
左翼から毛利勝永、右翼から真田信繁が正面敵主力を迂回して家康本陣に突撃。
徳川方が大阪方中央を撃破するのと大阪方両翼が家康本陣に辿り着くのと、どちらが早いかの勝負。
大阪方の意思統一がされてさえいれば、大軍であるために情報伝達・命令に時間のかかる徳川方よりも、
各個で戦闘する(しかない)部隊編成の大阪方が有利だよな。
いや、惜しかったよ。
0148人間七七四年
2007/09/06(木) 20:28:28ID:P75Vauh60149人間七七四年
2007/09/06(木) 21:16:33ID:12Q+hNdj実際真田隊は辿り着いたけど結局は殲滅されたしね。
ただ、真田隊が突撃を繰り返す間に左翼からもう一隊でも急襲していれば
チャンスはあったと思うんだ。
まあ、どれだけ家康旗本を崩しても家康を討ち取れなかったら負け。討死しかないけど。
0150人間七七四年
2007/09/07(金) 17:33:02ID:80rrW2Iq格下の者が名で呼ぶのは現代でも失礼に当たるわけだし。
つまり、豊臣は家康に対して「お前なんてオレの格下だぜ」とタンカ切ったようなもの。
家康の名前使いましたがなにか悪いか?と当の清鑑和尚も言っているので、
決して徳川のイチャモンじゃないと思う。
0151人間七七四年
2007/09/07(金) 19:31:05ID:1i/74S8M釣りの気もするが、突っ込むべきは豊家の大イベントに清韓みたいな田舎坊主を起用したことだな。
あとは家康が鐘を残している点。
現代人の感覚ではかれるものではないが、呪咀をするつもりは実際にあったかもしれないし、そう見られてたかもしれない。
幕府側の対応は、敵意がないというなら、敵意のない証拠として三条件のどれかをのみなさない、という話。
無論政治には裏表があるが、豊家はすぐに戦の構えをしたから豊家にも問題があるといえばある。
0152人間七七四年
2007/09/07(金) 20:20:28ID:80rrW2Iq鐘銘事件が家康側のイチャモンだったら、そこは記録からは隠すはずでしょう。
それが幕府方の記録にも堂々とこの経緯が書かれているし、鐘も残しているから、
家康からすれば、
「豊臣家はこのように失礼なことをしてきたのであって、これがその証拠だ」
という意味合いで残したのでしょう。
俗説に言う「名前を切った」という文句は一切言ってなく、
「諱を使ったのが失礼だ」と幕府は抗議をしている。
それに対して清韓は帰国子女のような人で、そこらへんの感覚が分からなかったらしく、
「武家の諱はよく知らなかった」と言っているし「君臣豊楽」についても
「豊臣の繁栄を祈るのがなぜいけない!?」と噛み付いてきている。
当時名前は偏諱というしきたりも多く使われていたし、
蒲生賦秀すら、秀吉の諱を下に置くのを憚って「蒲生氏郷」と改名しているくらいですよ。
当時諱で呼んでいいのは上位者か敵対者のみ。
下の者が上の者に対して「諱」で呼ぶと「お前の下に着く気はない」と表明したようなもの。
0153人間七七四年
2007/09/07(金) 22:48:12ID:8KY/VQsR人名は出てくる。まあ、尾崎局の書状などでは「たかもと」と亡夫が
呼び捨てになっているが
0154人間七七四年
2007/09/07(金) 22:58:55ID:80rrW2Iq現代でも、自分の会社の社長のことを対外的には「社長は留守です」とは言わずに
「○○は席を外しております」というものだからね。
0155人間七七四年
2007/09/08(土) 01:24:53ID:NbPLQQwPああ、そういう解釈か。なるほどね。すまんな。
実際俺も豊家側にはなにもなかったのか、ということには疑問をもっている。
南禅寺や五山を出し抜いて清韓に頼むのがな。清韓は熊本からでてきたばっかで中央には幅が利かないはずだし。清正に可愛がられてたってぐらいか。何らかの理由はありそうだ。
それに俺的には実際豊家にも不穏な空気があった気がする。鐘銘事件も家康が遮二無二滅ぼすために難癖付けたというよりは、最終交渉の位置にあるんじゃないかな。
0156人間七七四年
2007/09/08(土) 15:15:29ID:XfbCXk/U結局、豊臣側が鐘銘で公に徳川を格下扱いしたために、
徳川が怒って「格下はお前たちなんだよ」ということを突きつけて
「三条件の一つを受け入れて、臣従の証としろ」と言ったに過ぎないわけでしょう。
なのに豊臣は片桐を追放したり、浪人を雇い入れたりしたから、一気に戦争沙汰にまでなったという・・・
0157人間七七四年
2007/09/08(土) 16:53:09ID:NbPLQQwP俺も表向きはそんなかんじな気がする。
まあ腹の中では公に格下扱いをされたことに怒ったというよりは、家康が老年なのに、豊家側に牢人と結び付きそうな空気が合ったのを危惧したんじゃないだろうか。
豊家が牢人を集めはじめたのは当時の交通で延期申し入れからわずか二十数日。この反応がいくらなんでも急すぎる。
0158人間七七四年
2007/09/08(土) 20:56:06ID:XfbCXk/U公で天下に「格下扱い」してきたのだから、それに対してだんまりしてたのでは、
面子が立たなくなるから本気で怒ったというのはあると思いますよ。
ただ、>155さまの言うように、大坂方の不穏な空気も見て取っていたでしょうから、
「この機会に、上下関係を徹底的に分からせる必要がある」というのが
鐘銘事件の真相ではないでしょうか。
0159人間七七四年
2007/09/16(日) 21:56:25ID:Y03i9UOq0160人間七七四年
2007/09/26(水) 11:07:12ID:31EDB0gnmhmdhdgm
mdhmf
mffhmmfhm
,gjj,g,jdjg
gj,gj,g,j
0161人間七七四年
2007/10/12(金) 14:22:32ID:ATPO9yA7「長宗我部のように知行無くば加勢したいわ」ってのが本音だったろう
別に裏切りたかった訳じゃなく。
勝っても、豊家が単独講和して
逆に自分らの領地だけ攻め滅ぼされる可能性が高いし
0162人間七七四年
2007/10/13(土) 17:52:53ID:LNhJkw0Q0163人間七七四年
2007/10/15(月) 20:06:17ID:g4hYU42y代変わりしちゃって全然迫力に欠けちゃってつまんない
苗字だけだとそれなりにいめんだけどねえ
生まれるのが遅かったと言われてる伊達政宗だけが
変に大坂に時期が合っちゃってるけど逆に違和感が否めないし
他に有名どころで40代ぐらいまでのはいなかったの?
0164人間七七四年
2007/10/15(月) 20:09:28ID:g4hYU42yでも気にしない
0166人間七七四年
2007/10/15(月) 20:38:31ID:g4hYU42yそうそう
だからよけいに寂しい
さすがあの伊達!・・・になってない
0167人間七七四年
2007/10/15(月) 21:02:05ID:wZs2Jsaaおかげで上杉や真田らは、後世に名を残すことができたといってよい。
0168人間七七四年
2007/10/15(月) 21:03:46ID:UscSGUNV0169人間七七四年
2007/10/15(月) 21:40:10ID:LCSv9ObA人材枯渇で家康も、方面軍の大将を決めるのに困ったようだ。
また井伊軍の派手な若武者たちをみて、武田信玄の遺風が衰えたもんだと嘆いたとか。
0171人間七七四年
2007/10/15(月) 22:27:08ID:7MdprLS31. 味方に鉄砲一斉射
2. 道明寺合戦で1/8の兵の後藤基次隊に劣勢。なんとか撃破するも、
今度は援軍に来た真田信繁・毛利勝永らとの誉田の戦いでは押し戻される
0172人間七七四年
2007/10/15(月) 22:30:02ID:g4hYU42y関が原からの時間差が兵力の質の低下を招いたのは間違いないよね
黒田長政は何やってたの?
0173人間七七四年
2007/10/15(月) 22:34:53ID:7MdprLS33. 天王寺合戦ではなにもせず。茶臼山から家康本陣に向けて突撃した
真田信繁をただ見ていただけ。
>>172
冬の陣では江戸で留守居役。夏の陣は秀忠の陣の前に陣取っていたらしいけど、
詳細不明
0175人間七七四年
2007/10/15(月) 22:40:05ID:g4hYU42y黒田ほどの人物が戦況を眺めてただけなのかな
それとも何か理由でも・・・
0176人間七七四年
2007/10/15(月) 22:51:29ID:ik81MIRm井伊直孝は
夏の陣…真田丸に突撃して大損害
冬の陣…木村・長曾我部を打ち破り、秀忠本陣を救援
ってことで、大失敗はしたものの、功を挙げているものね。
とはいえ、やっぱりバカだけど。
>>175
秀忠は大野治房隊に突撃喰らっているんで、黒田が秀忠の前に
陣取っていたとしたら、それこそなにやっていたんだろうという感じになるんだよなぁ。
0177人間七七四年
2007/10/15(月) 23:43:49ID:saiezV9Z2と3は納得…
1は証拠がないはず
あれ?でもさ伊達家だけで8もあんのか
0179人間七七四年
2007/10/15(月) 23:56:07ID:LCSv9ObA家康は徳川譜代・直参に手柄を立てさせようとしたから、外様を後方へ遠ざけたといわれている。
0180人間七七四年
2007/10/16(火) 00:04:02ID:eJ/JbZHb0183人間七七四年
2007/10/16(火) 00:42:24ID:hEei1B8oギャグかよ
妄想で評価されんのは嫌だ
>>178
しかもそのなかの重綱率いる分だけ
伊達の面子は揃ってない
0184人間七七四年
2007/10/16(火) 01:32:19ID:kkgm5sWaん? 伊達本隊も参加しているんじゃないの?
参考 ttp://tikugo.cool.ne.jp/osaka/kassen/domyoji-1-k.html
少なくとも道明寺方面の主力だったことと、真田信繁・毛利勝永には攻め
切れなかったことは確かだし、実話かどうかは不明だけど「関東勢百万と候え、
男はひとりもなく候」と嘲笑されたという逸話の対象だったことも確か。
0185人間七七四年
2007/10/16(火) 02:13:40ID:fg9SyTXA最終日の合戦(家康本陣への突撃があった日)のことだよ
前田は先陣だったけど、外様を1人も前線へ出さないというのも変だろう。
0186人間七七四年
2007/10/16(火) 03:09:01ID:kkgm5sWa最終日は岡山口で第二陣のはず
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/b/be/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%A4%8F%E3%81%AE%E9%99%A3.png
なので、家康本陣が真田信繁・毛利勝永に蹂躙されたとき、岡山口から救援に向かえた。
0187人間七七四年
2007/10/16(火) 06:42:33ID:ydUlmUpT>参考 ttp://tikugo.cool.ne.jp/osaka/kassen/domyoji-1-k.html
このHP(講談だらけ)など引用してる時点で馬鹿。この巻頭の年表も嘘だらけだしw
1601年4月26日 上杉家の家臣・本庄繁長、伊達政宗軍を破る(←w)
1601年5月4日 黒田孝高、家康から所領と官位の昇進を勧められるが辞退する
1601年5月24日 政宗の支援を受けて領地復興を画策していた和賀忠親が
南部利直に敗れて自害する(←w)
0188人間七七四年
2007/10/16(火) 09:45:29ID:fg9SyTXA先陣の命は、前田利常に出されていた。
ところが越前・松平忠直に、勝手に先を越されたww
0189人間七七四年
2007/10/16(火) 17:23:55ID:X5dHzdUPおかしいって気付けよ
家臣の数から考えても混雑の中合流すんのは大変。
簡単に動かない。
政宗位の立場だと下手に動けない。
どっち付かずで正解。十分やっていける力があるし。
0190人間七七四年
2007/11/26(月) 00:13:57ID:qok/eTJl0191人間七七四年
2007/11/26(月) 01:58:38ID:lKyzlQIz0192人間七七四年
2007/11/26(月) 07:20:01ID:6mkgeh70輝元も二ヶ国の地方大名だし、景勝も既に力がない。
今更は太閤はねーよ、って雰囲気かな。もう息子、孫世代だし。
三成については誉めるかもしれん。
0193人間七七四年
2007/11/26(月) 12:50:42ID:W/vnSAiT加藤、細川、池田、前田、黒田はどっぷり徳川体制につかっているから無理
0194人間七七四年
2007/11/26(月) 13:22:17ID:u04otHMK大坂城で死んでたら、もっと評価上げてただろうな
0195人間七七四年
2007/11/26(月) 17:45:41ID:vc7CZ1Kv0196人間七七四年
2007/11/26(月) 17:59:39ID:ybzP3pPI福島はともかく加藤は死んでる
0197人間七七四年
2007/11/26(月) 18:53:16ID:i0v9l9fr領地を増やさなきゃいけなくなるし
そうすると黒田の勢力が強くなり
後々江戸幕府の敵となることを恐れたんじゃない
長政自身は親徳川だけど力を持たせたらどうなるか分からないし
程ほどの立場に置いておくのが1番だろう
0198人間七七四年
2007/11/26(月) 20:11:32ID:W/vnSAiT出陣準備中に家康が急死したら史実よりは多少面白味のある展開になったかもね
0199人間七七四年
2007/11/26(月) 20:14:08ID:31z6soQm0200人間七七四年
2007/11/26(月) 20:55:47ID:DJZKnSxD大阪の陣は、大名達にとってはもう天下普請みたいなもの。
幕府のお役にたって当り前、恩賞云々を言い出せる関係にはすでにない。
一族の忠直にさえろくに賞してないし。
0201人間七七四年
2007/11/26(月) 20:56:55ID:7xSZ9xlX怖かったのは“あの”親父の方だから長政はどうなんだろう
それと家康ほどの策謀家だったら大坂で活躍しても
なんだかんだ上手いこと言って大して加増しない可能性もありかと
0202人間七七四年
2007/12/01(土) 00:35:09ID:Oc8Cgefr冬での黒田の江戸滞留は、関が原後になぜか豊臣に接近したせいで、
徳川から疑いをかけられたと書いてあったが
なんかやらかしたの?なんで関が原が終わった後に?
それがあったことで夏前に徳川に貢物をしたおかげで
なんとか夏には大坂に行くことを許されたとか
ただし秀忠の部隊の中の一部として
なにやってんのよ長政
他に何か説あり?
0203人間七七四年
2007/12/06(木) 04:14:29ID:4ewsNgi4豊臣方の謀略もあったかも。
それに長政とて、あの親父にしてこの子ありで、中々の腹黒者だったとも
聞くしさ。
何せ親父さんはご存じの通り、関ヶ原の折りに九州平定狙った男だよ。
その際、東軍側だった息子・長政に「何で関ヶ原を早く終わらせた!」と
怒っちゃったぐらいだから、黒田家の今後について何か策を与えていて、
それが徳川にばれちゃったのかも知れないね。
これも諸説紛々だけどさ。
0204人間七七四年
2007/12/06(木) 13:50:32ID:IrnXznJS万に一つもの望みはない。裸城で滅亡寸前、どうしようもなくなってた夏の陣は特に
0205人間七七四年
2007/12/11(火) 21:18:08ID:2POn6HFc0206人間七七四年
2007/12/11(火) 21:25:20ID:cC+hYYdcインタビューで竹中の担当の読売新聞記者が全裸で穴にバイブを入れたまま殺された?自殺した?ことなど
を、全部竹中にぶつけると【びんぼうゆすりみたいな状態】になった。
9.15 リチャード・コシミズ東京講演会 全編 (3時間24分)
【びんぼうゆすりみたいな状態】になった話は16分から
http://www.asyura2.com/
もと総理が過去に3人を殺した話もでてくる
0207人間七七四年
2007/12/25(火) 05:59:58ID:3sP62fxk▼△▼茶々 ―天涯の貴妃(おんな)―▼△▼
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196318826/69
69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/12/22(土) 00:16:44 ID:lXuI3z16
結構笑えますよ。あくまでもフィクションとして楽しんでください。
真面目な歴史映画だと思って見に行くと失敗しますのでお気を付けください。
-----------------ネタバレにつきご注意ください--------------------
-----------------ネタバレにつきご注意ください--------------------
-----------------ネタバレにつきご注意ください--------------------
・大阪の陣が夏冬と分かれていない
・開戦前に最後の講和条件を出した家康の本陣に、秀頼と茶々が直接馬にのって数騎で現れ喧嘩を売る。
・血気盛んでイキりキャラ、啖呵きりまくって福島正則みたいな秀頼
・お江が何度も直接家康にくってかかる
・死ぬ直前の家康のくせに顔色も肌のハリツヤも良く、動きも機敏。
・秀頼が勢いよく単騎出陣し、爆破の嵐の中、敵陣へ駆け抜けていく
・味方の日雇い武将に優しすぎる茶々
・天守に近すぎる真田丸(真田の陣)
・全くキャラが立ってない後藤基次が意味なく登場し、速攻で討死(開戦後いきなり道明寺?)
・歯並びが悪く、無表情で口を開けば宝塚男優口調の茶々
・大阪城が爆発炎上しているのを見て涙を流して「負けた・・・。」とつぶやく家康
・幼い頃の千姫の歯グキ(ドラマ実写版ホタルの墓の子役の女の子)
・炎上する城を包む炎の縮尺に違和感があり、模型の大きさが想像できる
・鴨居より背が高い秀吉
0208人間七七四年
2007/12/27(木) 01:30:14ID:2mFM+FNo0209人間七七四年
2007/12/30(日) 22:50:36ID:FIVeUGKRあと、水野勝成も追加(三河刈谷三万石→大和郡山六万石)。
0210人間七七四年
2008/01/01(火) 08:46:51ID:AUbFJpIU0211人間七七四年
2008/01/01(火) 19:45:25ID:4P+Vw7ie預かったというのは事実で、娘は片倉家の後家になり、次男は維新後に
真田姓を復活して仙台真田家と呼ばれるようになる。
どうも真田と伊達は通じてた気がする。
あれだけ人数がいて真田隊を追わないのは不自然と思うし、
神保隊に対する味方討ちの件も妙だ・・・
政宗は豊臣の遺臣を保護したというし、
大阪の陣で豊臣が滅びた責任を徳川家になすりつけて失脚させ、
娘婿の忠輝を将軍に就けようというシナリオを詰めていたというのは事実かも?
0212人間七七四年
2008/01/01(火) 20:38:53ID:xAX+ktfoじゃあ例えば伊達家で召し抱えた香宗我部の人らと伊達は特別な縁があったと思うか?
政宗が戦で役に立たないのは今に始まった訳でもないしw
しかも反徳川だった人たちを召し抱えて、そいつらが徳川の為に戦おうと思うかよ
0213人間七七四年
2008/01/01(火) 20:48:52ID:is6iP4nb親が反徳川だったから子供も、って訳じゃ無い罠。
武士は御恩と奉公の相互契約な訳で、伊達家を主君とした場合その伊達家が徳川幕府の「御恩」を受けている以上
その臣下も伊達が徳川家のために「奉公」する事に参加する義務がある。それが主家の「御恩」に対する「奉公」だからだ。
戦国時代の武士を江戸期的な、もしくは現代的な観念で捉えるのは間違いだぜ。
0214人間七七四年
2008/01/01(火) 23:08:58ID:xAX+ktfoでもやっぱ真田と組んでたってのは講談の世界でしかないだろ
てか何で真田信繁は徳川本陣を追跡できたんだよ
冬休みだからこそ知りたい
0215人間七七四年
2008/01/02(水) 00:19:38ID:NkEDZrQY>伊達家が徳川幕府の「御恩」を受けている以上
>その臣下も伊達が徳川家のために「奉公」する事に参加する義務がある。
そんなもんどこにもありませんよ。どんな妄想ですか。
「坂東武者は主あって主に主あるを知らず」
これが封建制の大前提でしょうが。武士はすべからく主に従うのみ。
実際陪臣が主人を通り越してその主に忠誠を誓ったら支配体制は崩壊
するがな。明治維新での大義名分の一つに尊王があるが、これは下級
武士や諸大名が主である大名家や将軍家を通り越して天皇を国家の君主
としたもの。これがあると、当然毛利や島津が討幕運動しても「不義」
ではなくなり、諸大名は幕府の支配体制を簡単に否定できてしまう。
また、大名ですら家臣への支配力を失う(廃藩置県で実際そうなった)
ことになる。
主家の家訓が幕府への忠誠というならまだしも、陪臣に幕府への忠誠
を誓う義務など微塵もない。
>>214
学生さん、冬休みくらい本を読みなさい。
0216人間七七四年
2008/01/02(水) 04:03:50ID:vTDv8b6S君は人の文章を理解も出来ないのか。
> 主家の家訓が幕府への忠誠というならまだしも、陪臣に幕府への忠誠
> を誓う義務など微塵もない。
>>213のどこに幕府に忠誠を誓う義務と有る?
「その臣下も伊達が徳川家のために「奉公」する事に参加する義務がある。」
って書いてあるだけだぞ?直接の主君への義務だ。わかる?
あと明治維新は勤皇云々より幕府が諸大名への「御恩」を持続する力を失った事が
幕府崩壊の大きな要因だ。「御恩」を供給できなくなれば「奉公の義務」も解消されるからだ。
君のロマン主義的(つーか司馬史観だなそれ)を壊して悪いけどさw
あと廃藩置県は「近代化」への対応からなされたもので、武家や幕藩体制とは又違う理論や倫理の上で
成立したものだ。「列強の脅威」と言う強烈な恐怖の元でな。
はっきり言うが、君こそ「ちゃんとした」本を読め。
小説じゃなくてなw
0217人間七七四年
2008/01/02(水) 22:06:10ID:PNdwciXpお家復興や姓を賜るのは別に珍しい事じゃないような
田村氏、支倉氏なんかもそうだったよ
てか史料自体創作だらけだし
0218人間七七四年
2008/01/07(月) 12:07:22ID:mjz6Kr2X> 政宗が戦で役に立たないのは今に始まった訳でもないしw
小田原前の愛姫政宗だったら、一手で大坂を攻め落とせたんだが。
0219人間七七四年
2008/01/14(月) 17:27:39ID:GFc8XV+f0220人間七七四年
2008/01/14(月) 19:01:54ID:w0AWB2nw0221人間七七四年
2008/01/14(月) 22:56:04ID:gXTFHJ4m大坂の陣でどんなに戦功を立てても加増は望めないから。
0222人間七七四年
2008/01/15(火) 00:00:06ID:mBGyrq/W0224人間七七四年
2008/01/15(火) 01:36:46ID:2rDMj0OP0225人間七七四年
2008/01/15(火) 01:37:36ID:2rDMj0OP0227人間七七四年
2008/01/17(木) 22:54:01ID:+wqCEuQP× 淀殿・秀頼
○ 大蔵卿の局(淀殿の乳母)大野治長・治房母子
右京太夫局(秀頼の乳母・淀殿の幼なじみ)木村重成母子
正栄尼(淀殿秀頼の女官)渡辺糺母子
常高院(淀殿の妹)家康の側室の阿茶の局とともに淀殿を調略する。
織田有楽斎(淀殿の伯父)淀殿と家康・高台院の中継役。
0228人間七七四年
2008/01/17(木) 23:02:40ID:ZvLYsjHt> ○ 大蔵卿の局(淀殿の乳母)大野治長・治房母子
黒幕じゃなくてバリバリの表に出てる主戦派だろ、こいつらは。
黒幕という言葉の意味を間違えてる。
0229人間七七四年
2008/01/17(木) 23:40:25ID:BI9M+8wF淡路貰った蜂須賀家がいるぞ
0230人間七七四年
2008/01/19(土) 14:41:22ID:olXHgBrt0231人間七七四年
2008/01/19(土) 14:51:33ID:olXHgBrt0232人間七七四年
2008/01/19(土) 15:48:44ID:0D1GL2cAそりゃ人材(前線向き)も枯渇するよー
大雑把に関東行ってから(1591あたり)朝鮮行きは回避、関ケ原も他人の兵で
冬の陣は(1614)…ヤバス、軽く二十年以上も大規模軍事行動とってないw
この間に領国経営と豊臣政権をしきってきた政権運営モンスター家康の誕生ですよ
0233人間七七四年
2008/01/21(月) 03:20:49ID:/pKGkgjn実は大野治房って結構すごいような気がするんだが。
0234人間七七四年
2008/01/21(月) 13:52:53ID:anRybYNuまぁ当たり前っちゃ当たり前だし、そこら辺もう勘定せずに戦ってる連中には
華々しさで敵うわけもない。
0235人間七七四年
2008/01/21(月) 14:09:15ID:zyf+CrEm0236人間七七四年
2008/02/09(土) 16:28:47ID:wy+zpAq10237_
2008/02/11(月) 09:44:53ID:M1RfRguU何年続いていた?徳川の被害はどのくらい?
0238人間七七四年
2008/02/11(月) 10:32:38ID:507szaCj0239人間七七四年
2008/02/11(月) 10:58:26ID:O+yZ+djQ0240人間七七四年
2008/02/11(月) 11:16:32ID:+w66kKNV真田丸の戦いでは兵の半数は長宗我部盛親が派遣した兵だった
盛親は戦いの後に真田丸の戦いを幸村があたか自分だけの手柄と吹聴してると言
ってるし
0241人間七七四年
2008/02/11(月) 11:29:18ID:jolsyoIy俺が見た事あるのは徳川方の伝聞的な史料だけだったんだけど
「盛親が言ってる」と明言できるような史料があるなら知りたい。
0242人間七七四年
2008/02/11(月) 11:41:24ID:BdJfObta別に盛親が育て上げた兵というわけじゃあない。無論本来の真田隊だって同じような状況のはず。
兵がそういう状況なのだから、その兵達が大いに活躍したなら、
それは現場で実際に指揮を取った指揮官が優秀だったってことになると思う。
盛親の兵は現場でも幸村の指揮下ではなく、あくまで盛親の指揮で戦っていたなら話は別だが、
もしそうでないなら、少なくとも現代的な見方では幸村が優れていたでよいかと。
まあ、当時の評価の仕方なら、盛親の兵の活躍は誰が指揮を取ろうと盛親の手柄だろうが。
0243人間七七四年
2008/02/11(月) 13:27:08ID:9ZFxUI/eもともとの家臣郎党が一定数集まっているから、真田や後藤など
その他の連中の連れていた軍勢に比べれば元来の長我宗部
家臣団の比率は高いだろう
0244人間七七四年
2008/02/11(月) 16:13:38ID:UYLQ4FNw二号前の歴史群像に後藤又兵衛の記事があって、彼はある程度の戦力を維持して出奔しているので
それが故に部隊組織がしっかりしており、彼だけ道明寺に予定通り到着した。とあるけど
0245人間七七四年
2008/03/02(日) 05:08:22ID:gyM9mSplhttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1204401402/
秀頼様の為に参上仕りました。
0246人間七七四年
2008/04/12(土) 12:29:29ID:EaUNJOJQ0247人間七七四年
2008/05/05(月) 11:40:36ID:dCp5QjGu('(゚∀゚∩_ おいらをどこかのスレに送って!
/ヽ 〈/\ お別れの時にはお土産を持たせてね!
/| ̄ ̄ ̄|.\/
| .モツ煮..|/
 ̄ ̄ ̄
現在の所持品:たばこ・ライター・コーヒー・ブラックブラック・枕・ケータイ電話・睡眠薬・聖教新聞・ダッチワイフ
外付けSCSI340MHDD・ネットランナー4月号・TYG02・小嶋進社長・ゲルトモ・ディプスファンタジア・抵抗1kΩ(黄紫橙金)
媚薬・バーボン・リップクリーム・セガサターン バールのような物・バイブ・50インチ液晶TV・ボンカレー(甘口)
ジローラモ ・ブロント・リサ ステッグマイヤー・オナホール・桜蘭高校ホスト部・鳥肌実・国沢光宏・ニップレス・コニタム
聖教新聞・ザビー・ゼクター・ブロント・コスモクリーナー・フラゲしたファミ通・単一宇宙全能能力・ヨミ
ショルダー式携帯電話・焼きそばパン・ 触手・テレビ石・ユグドラユニオン・ヾ(゚゚ω゚゚ω゚゚)ノ゙ ・一浩二・ 暴走庵
スプー・ふしぎ星の☆ふたご姫・バカ・こいつの持ち物7+8並に少なくね?・スマブラX・例のアレ・シレン・ゴリラ
ライター・コーヒー・ブラックブラック・枕・ケータイ電話エダのガム・ダッチのグラサン・外付けSCSI340MHDD
ネットランナー4月号TYG02・小嶋進社長・ゲルトモ・ディプスファンタジア・張さんの22LRバーボン・セガサターン
ベニーの秘蔵ファイル・バイブ・■e・リサ ステッグマイヤー・姉御の化粧10kg・ 桜蘭高校ホスト部・鳥肌実・末期少女手鏡
毬藻・死兆星・ソードカトラス・ジャギ様の仮面 南海8200系・ロベルタの若様・クリムゾン・苺柄のコップ・801穴
米製12.7cm38口径両用砲・ハルヒ・トーラスPT92・空鍋・月厨・カンフーファイタードラゴン藤浪(ツンデレver)
イーゼルボンバー・山田オルタ・麻枝・DDO・C鯖・ナカノ5+ニゼルsh→シャワフリ・胸パッド・日本酒・眉毛・包皮
オーストリー・北村ひとみ・辻野・幹事・デイジーコラージュ・草なぎ剛・バリカン・YAMAHAシネマステーション
GEOBIT・孫策・NIKON羊羹・風子・あっぴ・絆創膏・Exmor・ActiveSync・DCIM・怒留湯融泉軍団・ヨシヒサ
0248人間七七四年
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イーゼルボンバー・山田オルタ・麻枝・DDO・C鯖・ナカノ5+ニゼルsh→シャワフリ・胸パッド・日本酒・眉毛・包皮
オーストリー・北村ひとみ・辻野・幹事・デイジーコラージュ・草なぎ剛・バリカン・YAMAHAシネマステーション
GEOBIT・孫策・NIKON羊羹・風子・あっぴ・絆創膏・Exmor・ActiveSync・DCIM・怒留湯融泉軍団・ヨシヒサ・韓国人100人
0249人間七七四年
2008/05/13(火) 21:32:02ID:OE1FtIE20250人間七七四年
2008/05/13(火) 22:15:13ID:822ko3aw0252人間七七四年
2008/05/14(水) 08:54:55ID:RyP8XaYT0253人間七七四年
2008/05/14(水) 09:26:42ID:/TqLHo6J後藤も実績アリとはいえ大名級じゃないし、木村も数多くいた譜代の中から良く見つけたな
0254人間七七四年
2008/05/14(水) 09:27:45ID:RrSCu7i80256人間七七四年
2008/05/14(水) 16:06:10ID:Y2V3U72Q治長の軍団再編成は、”傭兵団”を元に改革した気がするのだけど。
↑の方にもあるけど、真田幸村、長宗我部盛親、毛利勝永、後藤又兵衛、明石全登は
自前の部隊を率いて参加してる可能性が大きいよ。
長宗我部は「大阪御陣山口休庵咄」に兵五千率いて大阪城に入ったことが書かれてるし、
真田は真田丸を「自分の配下だけで守る」と最初は言ってるから、規模は大きそう。
似た状況の毛利についても人数はわからないけど、軍制改革で”大将”扱いされたのは、
それなりの部下を引き連れていたからだ、と思うな。
それに兵を率いないで単身参加した有名人は大野治房旗下に集められちゃってる感じだしね。
塙団右衛門もそうだし、家康が後藤又兵衛と並べて評価した御宿官兵衛もそう。
”抜擢”というよりは、現実に即した編成にしただけじゃないかなぁ、、、
0258人間七七四年
2008/05/14(水) 17:01:00ID:VJTZzfFOみんな日和ってしまって戦場には誰もやってきそうに無いな。
0259人間七七四年
2008/05/25(日) 21:11:27ID:XBztrdgE大して活躍しなかったのだろうか?
0261人間七七四年
2008/05/26(月) 09:27:13ID:R0FXJgN7やっぱり最後の最後だから張り切ったんだべか
0262人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 15:37:59ID:dUAtEA+o0263人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 23:49:04ID:4btuYxxi0264人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 07:06:09ID:unTuJUN60265人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 13:51:31ID:tewU1II5ニートがどうやって自前の兵隊用意すんの?
0266人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 18:44:16ID:cH2mRzDX三好政康だな。
88才で討死。徳川方はこんなじいさんでも殺すからな
0267人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 18:53:13ID:r7dgkvXf馬鹿?
0268人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 19:35:49ID:0afw8T0kだよな
全国の元家臣の浪人に号令かけるにしても当時じゃどこまで広がるか分からんし
>>256の「それなり」の数は本当にそれなりだったんではないかと
>>266
自分が死地に飛び込んでいっただけ
面かぶってたら歳なんて分からん
退屈な世の中に嫌気が差したんだろう
花房某もそこそこ高齢とかなんかで見たな
0269人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 20:08:04ID:KPHNQoyI0270人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 20:22:18ID:IeuOKDXJそんだけいたら逆に身動き取れなくなって、本陣に辿り着く前に撃破されそう
0271人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 22:44:28ID:ZeYk+fVT戦国時代の浪人には、自分の体だけな人もいれば、自分の部下(私兵)は持ってた人がいるのよ。
例えば、豊臣秀吉にキリスト教徒だったのでハブられた高山右近も、
文禄の役では自前で名護屋まで出張ってお茶席とかしてた当時、
無職だしあまりにお金使うんで部下解雇するかどうか悩んでる(ルイスフロイス日本史)。
こういう傭兵を持ってる浪人(傭兵団?)は、いざって時に即戦力になるので、当時は結構優遇されたらしい。
(有力大名から捨て扶持とかもらってたり)
なので、同じ浪人でも扱いが違ってたんじゃないかなぁ。
0272人間七七四年
2008/06/10(火) 11:59:48ID:eSCtX3LO徳川勢の被害はどれくらいだった
0273人間七七四年
2008/06/10(火) 16:01:31ID:kZXkzfk80274人間七七四年
2008/06/10(火) 16:07:49ID:4QpT7SEuその浪人の食いぶちはやっぱり旧臣もちなのかな?
立花は宗茂の食い扶持も部下が頑張って稼いでたけど
旧臣だって家族とかいるから大変だろう
喰うに困って仕官して参加できなかった長曾我部旧臣や真田兄系をせめてはいかんよ
0279人間七七四年
2008/06/10(火) 21:55:51ID:wevf6UwQ0282人間七七四年
2008/06/10(火) 23:55:32ID:4QpT7SEu命中率も悪くて天守の柱ぶち抜いたのは偶然の賜物と聞いたが。
だから女衆が必要以上にびびらなければうっせーなぐらいでやりすごせない?
諸将はそんな感じだとおもうし
参考になるとも思えないがこれに使われたブリキトースが家宝になってた藩が
幕末に使用した時は頭部に弾が直撃した敵兵士の鼓膜が破れただけで
ちょっとむちうったけど命に別条なしだったというし
0283人間七七四年
2008/06/11(水) 00:28:12ID:bI5q3q0x人もそうだが馬なんかは音に敏感ですぐに影響が出始める。
よーするに四六時中騒音に囲まれてるとノイローゼになるんだ。
びびった女衆や戦闘経験の薄い連中が騒げばその分余計に影響する。
命中率は高くないとはいっても巨大な大坂城だ。本丸狙えばどこぞに当たる可能性は高い。
頭上から鉄のかたまりが落ちて来かねない生活なんてしたかないだろ。
反撃しようにも迂闊に城を出るわけにも行かない。
そういう諸々が士気の低下に繋がっていく。
まして後詰めのない籠城だから、基本的には長引けば長引いただけ自然と士気は落ちる。
おまけに戦線膠着しても内通者だらけだから流言飛語やら引き抜き工作やらやりたい放題。
出丸攻防戦が活発に繰り広げられて城方が勝利を重ねるとか、家康死亡とか、豊臣方に援軍とか・・・
そういう類の何かがない限り、城方はいずれ自壊すると思われる。
0284人間七七四年
2008/06/11(水) 18:17:22ID:nMSf9oQMまあ、小池百合子なんかよりはるかに芯が通ってるが
0285人間七七四年
2008/06/11(水) 18:24:13ID:0xVOOJrr求めること自体が間違いだよ。
0286人間七七四年
2008/06/11(水) 21:51:15ID:YbqDrC5z0287人間七七四年
2008/06/12(木) 04:55:55ID:UHWuOM3o福島はともかく黒田すら江戸詰めになってたのに・・・
0288人間七七四年
2008/06/12(木) 10:25:36ID:ogzvB5/t0289人間七七四年
2008/06/12(木) 15:22:25ID:6E+87kt30290人間七七四年
2008/06/12(木) 17:26:36ID:WgoXkJWd大筒ってそんなにしょぼかったのか!?しかも滅多にない直撃で…。
たしかに天守の女達が黙ってればなんとかなったかもな。クソ金と手間の掛かる大筒なんてそう何発も撃てんし。
0292人間七七四年
2008/06/12(木) 20:39:09ID:vgfR9gA9備前島だけで100門、他んとかあわせれば300門は軽く超えてたかと
物量というのをまさに正しく理解している家康
0294人間七七四年
2008/06/13(金) 00:21:55ID:4cJ8CRtM流浪の末に秀吉に拾われたので、豊臣恩顧といっても加藤清正・福島正則のような
親戚筋とはわけが違うからなぁ。
0295人間七七四年
2008/06/13(金) 20:59:45ID:y6utodce嘉明は冬の陣江戸留守居で夏の陣は黒田といっしょに少勢で秀忠の下についてなかったっけ?
ただこれネットで見た時「と、言われている」ってついてたんで確証はない話なのかな
逸話を見た限りでは
秀忠「うふふ捕まえてごらんなさーい」嘉明・長政「アハハ待てよー」してみたり
年甲斐もなくハッスルしようとする長政を嘉明が叱ったりなかなか楽しそうだが
0296人間七七四年
2008/06/13(金) 21:16:30ID:Z2Xx4Yxj0297人間七七四年
2008/06/14(土) 03:12:45ID:rUZUG60Q0298人間七七四年
2008/06/20(金) 07:49:38ID:gr28ffy90299人間七七四年
2008/06/20(金) 08:07:32ID:WVRRZLLzじゃあ親父ごとうまいこと帰参してたら徳川譜代になれてたの?
本多正信みたいに
あとよく小説とかで「江戸留守居はわしだけか?・・・そうかわしだけか・・・」とか
福島がうなだれるシーンが出てくるがありゃ嘘だったんだな
ずっと信じてただまされた畜生・・・
0300人間七七四年
2008/06/20(金) 17:56:26ID:KPlnB2/oまあ、徳川に帰参していたらそもそも出世しなかった可能性もあるわけで。
息子の代に改易されたとはいえ、大坂の陣の後には会津40万石の領主に
なっているのだし。
あと、豊臣恩顧大名でも浅野氏のように幕末まで大大名として存続した例は
あるわけで、息子の代で改易された両加藤氏は豊臣恩顧云々ももちろんあるけど、
息子の責任が大かと。
ただ、福島正則はお気の毒にとしか言いようがないね…
0301人間七七四年
2008/06/21(土) 00:07:22ID:H/CON6lr0303人間七七四年
2008/06/21(土) 12:01:17ID:AvnvGo1h0304人間七七四年
2008/06/25(水) 22:03:30ID:PDjiXW5Phttp://live23.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1214390975/
0305人間七七四年
2008/06/25(水) 23:02:01ID:nK1AzwQ80307人間七七四年
2008/06/26(木) 00:21:49ID:HuiT6PBz女強奪のところでアンチ徳川が多くてワラタ
でもやってることはどこも同じなのにね
0308人間七七四年
2008/06/26(木) 14:17:17ID:V7+Hsb3G原因は兵士の中にならず者が相当いたため
余談ではあるが、朝鮮半島で義兵闘争が各地で起こったのは秀吉軍内の兵士による無法行為への怒りかららしい
0309人間七七四年
2008/06/26(木) 14:53:25ID:ZQ486HIW朝鮮出兵以後なのかな? でも、関ヶ原関連で乱暴狼藉ってあまり聞かないしなぁ。
0310人間七七四年
2008/06/26(木) 14:59:07ID:fofPQlqX0311人間七七四年
2008/06/26(木) 15:05:24ID:wxgvvpFJ戦地にいたらすべて戦闘員とみなすのは当然
0312人間七七四年
2008/06/26(木) 15:36:48ID:fofPQlqX町人からすると夏の陣は急に決まって攻め込まれた印象があるんだろう。
犠牲になったのは、旧東区あたりだが。
0313人間七七四年
2008/06/26(木) 17:37:33ID:/nxntOLy幕末の奥州列藩同盟の民衆とかも、結構ひどいことされてるなあ
さすがに女を奴婢にしたりはしてないが。
0316人間七七四年
2008/06/26(木) 17:52:10ID:L8e7nbkC何故なら会津藩からの重税で苦しんでいたから。
0317人間七七四年
2008/06/26(木) 18:17:10ID:FKakPJc9荒地とか山間じゃなく城下の戦いなら町人はたくさんいただろうしね
ウヒヒなことができる女子供もたくさんいたはず
あとたまに軍規が厳しい云々いう話も、全体じゃなくて
決まった武将の元での話しじゃないかとも思う
○○という人は厳しかった、みたいに
実はごく最近、立ち読みで「実は戦後は奴隷狩りがあった」というのを読んだばっかりだった
これを知らなかったら、俺も昨日のテレビを見ながら別の感情になってたかもしれん
ギリギリで事実を知ったっていう
勝った側の金品略奪は知ってたけど、まさか人間までも、ってね
どの有名武将だっけな、略奪行為はやる気を起こさせるために、見逃してたっていうのは
武田信玄だっけ・・・
0318人間七七四年
2008/06/26(木) 18:43:17ID:fofPQlqXこういうことにはならなかった。
0319人間七七四年
2008/06/26(木) 18:59:06ID:FKakPJc9そういう武士の倫理観なんて薄かった戦国時代の兵の荒っぽさは想像以上だったと
0320人間七七四年
2008/06/26(木) 19:00:08ID:FKakPJc9まだ農民兵が多かったんだっけ
戦の倫理観なんて無いよな・・・
0321人間七七四年
2008/06/26(木) 19:03:54ID:CD2APO94この頃から既に美しい死に様だったのだろう
0322人間七七四年
2008/06/26(木) 19:15:15ID:fofPQlqX0323人間七七四年
2008/06/26(木) 19:19:36ID:CD2APO94現実に捕らえられた敵将に家臣となるよう勧めて拒否した
当時書かれた多くの美談の存在がある事実
まったく無いとは誰も言えまい
0324人間七七四年
2008/06/26(木) 19:23:53ID:FKakPJc90325人間七七四年
2008/06/26(木) 19:27:43ID:L8e7nbkC大雑把に言って、一族譜代は主君と運命を共有することを求められるが、そうでないものは
戦闘義務以上の忠誠は求められない。これは源平合戦の頃からの武士の不文律。
まあそれはあくまで不文律と言うか、常識みたいなもので、無論その範疇に入らない変わり者もいる。
江戸期は社会が安定して家臣も代々の物となり、そのほとんどが譜代のような物になったので、
家臣団全体に譜代義務が乗っかる風潮になった。
0326人間七七四年
2008/06/26(木) 20:59:04ID:Rxruxqseジェノサイド行為があったとは正直しらなんだ。歴史の勉強でも此処まで
掘り下げなかったしドラマでも淀と秀頼が自害して落城した位の扱いだったからね。
大阪人の東京嫌いは単なる嫉妬と思ってたけど根底はここだったんだなと。
0327人間七七四年
2008/06/26(木) 21:05:55ID:ernZsO8W大坂の陣がああなったのは、体裁とった降伏しなかった豊臣方にも問題ある訳ですし
その点、北条氏や徳川幕府は最後のケリは付けてますから
0328人間七七四年
2008/06/26(木) 21:06:53ID:IgmNk/D3略奪されるほうも武装した武装した平民な訳で
そう簡単には略奪できなかったとオモ
本当に弱い人間だけ搾取されたんだろうな
0329人間七七四年
2008/06/26(木) 21:18:03ID:Rxruxqse200年平穏期あったし、役者で滝田栄が家康やって格好よかったからイイイメージの
まんまだったんよね。
0330人間七七四年
2008/06/26(木) 21:19:48ID:lLgtUqvbそれでも十分悲惨だけど
>>328
大阪城の博物館にある金屏風みて来い
(ネットでもいい。一部見れる)武装なんかしてない民衆が徳川方の攻め手に
やられてる
0331人間七七四年
2008/06/26(木) 21:24:51ID:L8e7nbkC江戸期を通して大阪の住民もかなり入れ替わっている。特に商人層
大阪には豊臣期から大阪に根付いた住人なんていうものは、ほとんど存在しないと言っていい。
大阪の反徳川感情というのは幕末〜明治に、立川文庫などで再生産された「新しい伝統」
0332人間七七四年
2008/06/26(木) 21:40:10ID:i0v8B4tS0333人間七七四年
2008/06/26(木) 22:11:36ID:oIxdyLbK0334人間七七四年
2008/06/27(金) 00:05:48ID:jJXYuMi+0336人間七七四年
2008/06/27(金) 00:45:16ID:GboRiziR0338人間七七四年
2008/06/27(金) 01:04:46ID:GboRiziR家康が大坂攻めすると決断して、一月ほどで夏の陣だから、
末端の町人レベルだと逃げる準備もできないか。
0339人間七七四年
2008/06/27(金) 01:59:09ID:Mnu+dsQ9江戸期は徳川イメージ↑
倒幕から徳川イメージ↓
情報操作で簡単に好き嫌いが流れるもんだね
家康が愛知の3傑で最低人気なのもこのせいだし
0340人間七七四年
2008/06/27(金) 10:32:13ID:o3QAaHwfじゃあ豊臣時代大坂にいた人たちはどこへいったんですか?
0341人間七七四年
2008/06/27(金) 13:19:24ID:slnpkwQm秀吉時代の大阪は、武士以外は秀吉によって京や堺、伏見、安土などから移住させられた商人たちによって
形成された新造の町。大阪が壊滅すると多くは元いた地や、徳川体制化の新興都市に移った。
信長の安土城下の運命に似ているね。
今の大阪の元は、幕府による大阪再建、徳川大阪上築城の時に畿内各地や伊勢などから集まってきた
人々だな。
0342人間七七四年
2008/06/27(金) 16:23:02ID:4MOvsvUu堺や平野、伏見からも多数掻き集めたからなあ。平野町、伏見町はその名残。
そのせいで、平野というか平野郷は寂れて、残った平野の連中は徳川方に全面協力したな。
0343人間七七四年
2008/06/27(金) 17:56:40ID:o3QAaHwf大坂再建の後また舞い戻った連中も多いんじゃないの?
0344人間七七四年
2008/06/27(金) 20:15:04ID:LZQMgj3mそこら辺の記録は残ってないのかね
0345人間七七四年
2008/06/27(金) 20:36:56ID:slnpkwQmふと思い出したが秀吉の朝鮮の役の時、朝鮮の民衆が蜂起したが、あれは朝鮮王朝を追い出したから、ではなく
日本軍の略奪や暴力に我慢しかねて立ち上がった、ということだ。
しかしそれが秀吉の命令した「軍の綱紀粛正」に違反していたかと言えば、そうではない。
日本軍は日本の常識の範囲内での「綱紀粛正」を行っていた。略奪や乱暴も、戦国時代を脱したばかりの
日本人の感覚からすれ、十二分にコントロールの効いた「ささいなこと」でしかなかった。
しかし太平の世界に生きていた朝鮮人にはそれは通用しなかった。文化摩擦が起こっていたわけだ。
大阪の陣の虐殺云々も、そう言う荒々しい感性の世界に日本人がまだ生きていた頃の話。(そう言う戦国の風が
一掃されたのは五代綱吉の時代だとか。生類憐みの令で初めて「命を大切に」という倫理を庶民にまで広めた。)
0347人間七七四年
2008/06/27(金) 20:50:17ID:DLtVMIZRまあ実際はそんなことしてないでしょうがね
造られた美談でしょう
0348人間七七四年
2008/06/27(金) 21:05:57ID:eWVnc/2dしかも同国人の手によってだから余計性質が悪い
0349人間七七四年
2008/06/27(金) 21:42:55ID:XEv5msUg兵の数がとんでもなく多いので、被害がすさまじくなったという面があるのかも。
0350人間七七四年
2008/06/27(金) 22:01:50ID:slnpkwQm秀吉の軍団も結局は信長系なわけで。その軍隊の所業は朝鮮の秀吉軍とそう変わらなかっただろうって事は
用意に想像できる。
0351人間七七四年
2008/06/28(土) 07:04:09ID:1mCcw/iT日本だけ野蛮で倫理感がないとかどうんだけ日本嫌い史観だよ
つか民族や人種違うから日本以外のがもっとひどかったろ
日本は最後はまぁ同じだしで甘い甘い砂糖にコーヒー入れるぐらいの甘甘ちゃんだ
鬼の首をとったように大坂の陣では〜とか謙信は奴隷売買を主要産業に〜とか
カタッてる俺は世評に流されない違いのわかる人間(キラーン)って馬鹿はな何の?死ぬの?マジ死ねや
0352人間七七四年
2008/06/28(土) 07:48:19ID:ri9NJrmVそりゃそうだけど、大坂の陣以前は国内ではここまで大規模な乱暴狼藉は
行われておらず、虐殺も信長がやらかした伊勢長島や越前一向一揆相手以外には
そう目立たない。
大坂の陣以降は戦争自体が島原の乱以降は程度でそれ以後皆無に等しくなるわけで、
どうしても大坂の陣での大規模な乱暴狼藉は目立ってしまう罠。
0353人間七七四年
2008/06/28(土) 08:00:07ID:ql9sxFow0354人間七七四年
2008/06/28(土) 09:19:57ID:3zjA60ctあの時代は城下も含めて大きい城自体が少なかったから
あの戦いが突出して目立つんでは
他にでかくて攻め込まれたっていうと小田原ぐらいかな
あそこは上杉が来たときも豊臣が来たときも篭城で
片方は撤退、片方は結果としては開城だし
武田も攻めてきたんだっけ
激戦の後落城だったらどうなってたかね
0355人間七七四年
2008/06/28(土) 11:15:37ID:DHiMVK3c規模が違うと言われると終わりだが、市街戦というと大阪よりこっち思い出す
0356人間七七四年
2008/06/28(土) 12:01:02ID:7yHNqgyE> そりゃそうだけど、大坂の陣以前は国内ではここまで大規模な乱暴狼藉は
> 行われておらず、虐殺も信長がやらかした伊勢長島や越前一向一揆相手以外には
> そう目立たない。
ここが先ず間違い
0357人間七七四年
2008/06/28(土) 12:07:19ID:4M18F0GW攻めた側が尻尾巻いて逃げ帰った場合は略奪なんてしてる余裕が無いのでは
0360人間七七四年
2008/06/28(土) 13:00:23ID:7yHNqgyE…戦国の歴史をちょっとでも調べれば、どの大名にも非戦闘員を含めた虐殺をやったことはすぐに
出てくると思うが…。
有名なのでも武田の小岩岳攻城戦、伊達の佐沼城のなで斬り事件、等々。
君は無知なのかい?
0361人間七七四年
2008/06/28(土) 13:09:12ID:Ge6kJfaF殺害してるよな。
0362人間七七四年
2008/06/28(土) 15:17:22ID:eEAB/YlEはぁ?
2万人殺した伊勢長島一向一揆、1万2000人殺し4〜5万人を奴隷にした
越前一向一揆クラスの虐殺はそうそうない罠。
0363人間七七四年
2008/06/28(土) 16:24:23ID:j4peEXVc0364人間七七四年
2008/06/28(土) 17:00:43ID:eEAB/YlE問題はその規模でそ。
0365人間七七四年
2008/06/28(土) 18:51:15ID:uoF8IHOV0366人間七七四年
2008/06/29(日) 14:21:48ID:EKB/OoaZ開くと思っていた私はゆとり世代・・・・・
しかし、同一民族で虐殺・人身売買ですか・・朝鮮民族とは
違いますね・・・
0368人間七七四年
2008/06/29(日) 14:56:05ID:7ptn2d36できた武将はいますか
0369人間七七四年
2008/06/29(日) 15:14:16ID:0jfPuSql0370中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
2008/06/29(日) 15:28:00ID:h/hRwuXP0371中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
2008/06/29(日) 15:35:08ID:h/hRwuXPじゃ、苦し紛れに前田利政とでもいってみる
でも、利政は大阪の陣では中立なんだよな・・・
0372人間七七四年
2008/06/29(日) 15:51:25ID:jE0RgJ25あと、前田利政は結局大名に復帰しなかったし。
0373中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
2008/06/29(日) 16:09:45ID:h/hRwuXP0374人間七七四年
2008/06/30(月) 16:42:33ID:9oZ/3IFr息子の代になるが筑紫氏
0375人間七七四年
2008/06/30(月) 18:56:43ID:DR4jqyucたいして戦闘も無く無血開城とか
戦場と離れた地域ならそれはあるかもしれんが
戦場の真ん中になったら田舎であろうと物は盗まれて家も焼かれるよ
逃げ遅れたら人間だってどうなるか
0376人間七七四年
2008/06/30(月) 18:57:15ID:DR4jqyuc0377人間七七四年
2008/07/03(木) 14:04:21ID:vv380aId長政は何を思って後世に残そうとしてたのかね?
0379人間七七四年
2008/07/03(木) 14:42:49ID:wYO0yP9Y0380人間七七四年
2008/07/03(木) 17:00:46ID:GiHXSTAf一部は淀や秀頼らに殉じたんだろうけど、他って落城後はどうなったんだろう
0381人間七七四年
2008/07/03(木) 18:20:31ID:XCyEpma40382人間七七四年
2008/07/03(木) 21:05:19ID:lrEfjBi/0383人間七七四年
2008/07/03(木) 21:11:13ID:vv380aIdや、確かに屏風絵は自分や先祖の武功を喧伝する為の物だけど、
あの大阪城の狼藉みたいなのを記したのは他に無いわけだろ。
(ここNHKの受け売りだから、間違ってたらすまん)
たんに大阪の陣のような市街戦を描いたものが他に無かっただけなのか、
長政があえて陰惨な描写を描かせたのか。
>>382
淀の腰元の大阪城脱出記「おきく物語」なんてのがある。
0384人間七七四年
2008/07/03(木) 21:15:10ID:wYO0yP9Y> あの大阪城の狼藉みたいなのを記したのは他に無いわけだろ。
普通にあるぞ。源平の時代からある。
一応言っておくけどNHKの「その時〜」はバラエティ番組。あの番組に都合の良いよう利用されて
怒っている歴史研究家はたくさんいる。
0386人間七七四年
2008/07/03(木) 21:51:45ID:lrEfjBi/かつてない規模の狼藉だった可能性が高い。
単純に短時間での虐殺数でいえば長島一向一揆なんていう例もあるけど、
あれは女子供も相当数いたとはいえ、一応兵員が相手だしね。
0387人間七七四年
2008/07/04(金) 01:50:30ID:nfn7/piz市街戦後は単に人が多いからいつもより規模の大きい略奪その他ってだけじゃないかな
0388人間七七四年
2008/07/05(土) 21:46:45ID:OQ0kzWKW桃山〜江戸初期のゆとり世代になると戦争の悲劇になるんだろうね
0389人間七七四年
2008/07/05(土) 21:54:24ID:h0DSkPaf0390人間七七四年
2008/07/05(土) 22:07:34ID:2oIztn+T日本の国に、今に通じるかたちでの「人道主義」が形成されたのは五代将軍綱吉の時代。
綱吉はそのために学問や道徳の普及を図ったり生類憐みの令で命の大切さを法的にも教えようとしたりで
一生懸命「意識改革」をやった。
0391人間七七四年
2008/07/05(土) 22:20:27ID:HSiVGRE2おきく物語の現代語訳 や ら な い か
0392人間七七四年
2008/07/06(日) 10:04:09ID:da22CFrq0393人間七七四年
2008/07/07(月) 20:42:36ID:wAZHNVmT0394人間七七四年
2008/07/07(月) 20:47:14ID:HdN23lAf市民生活に直に介入するタイプの政策だから庶民からは嫌われたが。
0395人間七七四年
2008/07/07(月) 21:09:16ID:ni4SNPSAてかいい加減大阪冬・夏の陣に戻らん?
0396人間七七四年
2008/07/08(火) 18:34:32ID:n6CZ8yGVどうなのよ
0397人間七七四年
2008/07/08(火) 20:41:30ID:vdYRHIfS0398人間七七四年
2008/07/08(火) 22:01:00ID:7+q8WMTY旗奉行が進退を誤り、混乱させたとして閉門・所領没収食らわされている
0399人間七七四年
2008/07/08(火) 22:01:42ID:n6CZ8yGV0400人間七七四年
2008/07/08(火) 23:38:40ID:1NnjawD4二太刀目を浴びせようとしたところで徳川軍団屈指の精鋭旗本達が信繁に襲い掛かったため真田隊逃亡。しばらくして西尾なんちゃらに打ち取られたザコ
0401人間七七四年
2008/07/09(水) 11:45:52ID:f9Alp+v2毛利勝永・大野治房の活躍があったればこそ
(というか、大名クラスの将を討っているのは毛利隊くらいのもんだが)
とはいえ、複数の記録から見ても相当家康本隊が切り崩されたと見ていいと思う
0402人間七七四年
2008/07/09(水) 15:29:28ID:ZQif3gBy「裏崩れ」おこして混乱している隙に本陣まて到達した、という方が。
まともに戦闘して進んでた毛利軍より先に到達してるしなぁ…
0403人間七七四年
2008/07/09(水) 18:24:43ID:1MikBUdi凄かったという話だと、よくある真田持ち上げだと言われるし
実はそうでもなかった、だと、神君家康擁護ととられるし
難しいもんだな
0404人間七七四年
2008/07/09(水) 18:29:05ID:7CyMyOiZでもほとんどは講談ネタだしなあ>真田突撃
家康の旗本が動揺したのはたしかだが、だからと言って軍隊としての秩序が壊れるほどの
ダメージを受けたようにも見えない。
話半分と考えるのが一番かと。
0405人間七七四年
2008/07/09(水) 20:53:28ID:ckPeImOi歴史好きならロマン持とうや。
0406人間七七四年
2008/07/09(水) 20:56:44ID:7CyMyOiZ0407人間七七四年
2008/07/09(水) 21:03:20ID:Pf2hDaml史実の真田だって充分浪漫を感じないか
0408人間七七四年
2008/07/09(水) 21:30:28ID:ckPeImOi歴史の原点的楽しみはやっぱり夢や妄想っしょ。
勿論行き過ぎは単なる電波になるが
シュリーマンなんかの話は俺は好きだな。
0409人間七七四年
2008/07/11(金) 02:40:21ID:HKIb3AdF0410人間七七四年
2008/07/11(金) 03:34:40ID:gqrlzxLY後年、秀忠公により移され、改めて葬られました
っていうのがあったよな
その葬られた場所に毎年秀忠が来ていて
その後、掘り返して厳重な警護で運ばれたというやつ
0411人間七七四年
2008/07/11(金) 07:14:45ID:HKIb3AdF0413人間七七四年
2008/07/11(金) 10:47:08ID:PCi+oieC不透明なことに対してあれこれ妄想して夢語りするのは結構
だが明らかに否定できること、立証済みのことに対してそれらを行うのはただのワガママ
0414人間七七四年
2008/07/11(金) 17:37:25ID:hIlWAR/r0415人間七七四年
2008/07/11(金) 18:01:20ID:Jvl+C+O9シュリーマンには商才と行動力があるだけ2ちゃんねらなんぞとは格が違うけどね
0416人間七七四年
2008/07/11(金) 19:08:41ID:PCi+oieC見て、書き込んでる時点で俺もお前も2ちゃんねら
しかしなんで2ちゃんねらを引き合いにだしてまで褒めたいのw
比較する対象物が小物過ぎると全然説得力ないぞ
0417人間七七四年
2008/07/27(日) 18:20:50ID:3p1AouxZあっさり取り抑えられてその場で首斬られたらしい。
0418人間七七四年
2008/07/28(月) 00:24:01ID:gD5+6UO90419人間七七四年
2008/08/04(月) 23:57:16ID:5Ry6cjfq姉川の遠藤喜右衛門を思い出す
シュリーマンに関しては、かなりアレなひとではあるし、無論
慎重な検討や評価が必要な人ではある。だがね、
勿論功績も大きいし、そのことをことさらに、得意げに言い立てるのは
あまりいい気分ではないな。
と、スレすまぬ。
0420人間七七四年
2008/08/05(火) 11:55:43ID:W5aveL2N襲い掛かる戦略だったのだろうか?
0421人間七七四年
2008/08/11(月) 21:42:30ID:sDZLiaUs物凄く今更だが…
伊達が長宗我部の遺臣を召し抱えたのは
大阪方の残党狩りのときに捕まえて徳川に差し出した縁から
徳川が伊達に預けて、それを召し抱えたんであって
真田のように保護したわけではない
0422人間七七四年
2008/08/26(火) 14:01:02ID:Bs+ST4bz巨人対阪神のライバル関係を構築することになったという話があるが
0423人間七七四年
2008/08/26(火) 14:22:17ID:E6F4xgTV0424人間七七四年
2008/08/26(火) 20:18:08ID:ttDF3EWe平将門まで遡ることもできる。
0425人間七七四年
2008/09/11(木) 23:47:47ID:vr9AgvD40426人間七七四年
2008/09/12(金) 00:00:38ID:hupkTq6V0427人間七七四年
2008/09/13(土) 03:22:46ID:MBC3tg+d全国の兵を従える権利を持つ征夷大将軍が
いい感じに公家の影響も受けず好き勝手出来る広大な土地があった
政権確保にこれ以上好都合な土地はそうそうない
そして江戸時代になると逆転不可能なとこまで大きくなって
現在もそれが続いてる感じ
0428人間七七四年
2008/10/10(金) 02:09:37ID:QN9d0IGT0429人間七七四年
2008/10/10(金) 06:33:32ID:AdTSfeJ3徳川家康
真田大助
0430人間七七四年
2008/10/10(金) 06:43:55ID:xpGpSdum0431人間七七四年
2009/01/30(金) 20:01:39ID:r1Nb/eJVでも大阪の陣で大阪方についてた坊さんを何回も断られたのにもかかわらず
自分の菩提寺の住職にまでしてるよな
ものっすごく頑強に拒んでたから実際に住職になったのは息子の代になってからだけど
伊達と真田は秀吉の朝鮮出兵で一時京都だったか?に駐屯してたとき隣どうしでかなり
意気投合してたらしいから密約とかそういうのはともかくわりと手心加えたとこは
あったのかも
0432人間七七四年
2009/01/30(金) 20:33:35ID:DRZN2RP60433人間七七四年
2009/02/25(水) 00:30:40ID:uCcBMEDf「なんでやねん!大阪が首都?だコロン!」3月2日放送
一夜にして東京の街が大阪一色に染まり、ガンちゃんたちの口調まで関西弁になってしまう!
ヤッターマン基地へとタイムスリップしてきた直江兼続の情報により、この異変の原因が戦国
時代に現れたドロンボー一味のしわざであることを知ったヤッターマンは、正しい歴史を守る
ため徳川軍と豊臣軍が激突する大阪夏の陣へと向かう。果たしてヤッターマンはドロンボーを
打ち破り、日本の首都を大阪から東京に戻すことができるのか?
http://www.ytv.co.jp/yatterman/move.html
0434人間七七四年
2009/03/17(火) 06:52:22ID:MhIkFLuD0435人間七七四年
2009/03/17(火) 23:20:07ID:FUssDaPX晒し首までしたの?
そんなに豊臣一家が憎かったの?
どうせ豊臣家は滅亡したし
さらし首にするメリットがいまいちわからんけど
0437人間七七四年
2009/03/18(水) 18:24:04ID:22B3g398後藤又兵衛に直接トドメを刺したのは伊達隊かもしれないが、実際は松平忠明と水野勝成と本多忠政が白兵戦で蹴散らして(若干一名蹴散らされてるがw)離散したこぼれた兵を遠くから遠方射撃してた程度だし、白兵戦には参加はしたが後半の落ち着いて来た時のみ
どう考えても伊達隊は後藤又兵衛を攻略出来てない
亀だが>>31みたいなめでたいのがいるし
0438仙台藩百姓
2009/03/18(水) 19:23:33ID:uckTZqOi木っ端大名は必死になってたようだけど政宗公は浪人づれなどどうでもよく
片倉の千名あまりが戦っていただけで伊達本隊はほとんど高みの見物していたに過ぎないお( ^ω^)
結局片倉が多数の首を挙げて伊達勢が活躍するような形になってしまったけど┐ (´ω`) ┌
0440人間七七四年
2009/03/18(水) 19:47:27ID:22B3g398伊達隊は伊達隊でも先鋒の別動隊であって本隊では無いんかったんだ…サンクス
でもそれだと本隊がピンピンしてるのに敵を追撃するのを要請した時『兵隊が疲労して銃弾が尽きているので…』と断ったのは変じゃない?
0441人間七七四年
2009/03/18(水) 19:48:18ID:9Dse5UIL0442人間七七四年
2009/03/18(水) 22:26:57ID:AvnSg13i0443人間七七四年
2009/03/19(木) 05:01:04ID:yawH+qfcやっぱ晒し首になってた?
0444人間七七四年
2009/03/19(木) 06:10:44ID:W49Zg7pa淀は出家させて空気化
ってとこじゃないかね
逃亡しなきゃ寛大な処置してくれるしょ
0445人間七七四年
2009/03/19(木) 10:02:37ID:tJQXPzcjつーか後藤は三千弱の寡兵で朝っぱらから奥田とか松倉とかと散々戦って、奥田の首挙げてたのに
連携ミスで後続が現れないまま松平やら伊達やら圧倒的な大軍がワラワラ湧いてきて力尽きただけかと。
あの程度の兵力で朝から野戦してたら、そのうち大軍相手に潰れるのは当たり前。
そんな状況を覆せるのなんて神掛かってる(沖田畷とかの)時の島津家久とか位じゃないのかな。
伊達の功は認めるべきだが、力押しで潰しただけで、そこまでやたらと持ち上げる程の功ではないってだけ。
あそこで大局を考えずに死を選んだ後藤が、巷で持ち上げられる程の名将ではないとも思う。
豊臣方について死んだから有名になったけど、あの程度の武将黒田家や同等の家の家老には何人もいるし。
あと紀州方面とかでも似たように敗北を重ねたけど、あんな戦い方してた豊臣方が阿呆過ぎ。
0446人間七七四年
2009/03/19(木) 10:24:02ID:NsfByh/z0447人間七七四年
2009/03/19(木) 11:33:03ID:TI5i7yCE「やれるだけのことをやって散る」
覚悟の豊臣側浪人と
「参加しないと後が怖い。でもあんまり恩賞貰えそうにない
から、それなりにやろう」
な徳川方大名の意識の違いだな。
0448人間七七四年
2009/03/19(木) 23:20:08ID:aBKqtpD2よくわからんが家康は豊臣家を死ぬほど憎んでたんだろ
秀吉の墓を荒らしてたぐらいだし
国松が晒し首までしていて、秀頼が切腹で終わらすなんて考えにくいのでは?
0449人間七七四年
2009/03/19(木) 23:41:30ID:bTvQv8lmまぁ、それとは関係無く天下人になってる人間が
無意味に民衆やら諸将に反感受けるような処理はしないだろ。
老衰した秀吉じゃあるまいし
0450人間七七四年
2009/03/20(金) 00:43:41ID:KdvVGIZI0452人間七七四年
2009/03/20(金) 14:02:00ID:LYrYOYCG秀頼晒し首で反感を持つ徳川方の諸将っているの?
0453人間七七四年
2009/03/20(金) 15:05:48ID:OHTFFuCz主を晒し首にするのは非常に徳川の評判を落とす。
0454人間七七四年
2009/03/20(金) 15:07:53ID:MSA74fVx0455人間七七四年
2009/03/20(金) 15:17:20ID:YYtjJXCH主がどうの、とかいう意見ではむかうのなら、じゃあ織田を簒奪した秀吉に従ったこと自体どうなるという話。
0456人間七七四年
2009/03/20(金) 15:48:14ID:YYtjJXCH字を考えた当の坊さんが、そうでした、許してくださいと言ってるぐらいだし
幕府が禁制にしたキリシタンを領内で独自に認めたりとか、豊臣家にも落ち度は相当あったからな
0457人間七七四年
2009/03/20(金) 15:56:24ID:YYtjJXCH清韓は家康の名を切っていれたのは意図的だったと認めたが、それは呪うためじゃなくて祝うためだった、といっている。
0458人間七七四年
2009/03/20(金) 15:57:44ID:uNsyaTxeものにする為に豊家を滅ぼしたかった、と思うのだが・・・・
0459人間七七四年
2009/03/20(金) 15:59:52ID:YYtjJXCH豊臣家が従う態度みせてたら、強いて滅ぼすこともなかったんじゃ?
他にも幕府が専権事項、とした朝廷への官職斡旋も豊臣家は独自にやろうとしている。
明らかに幕府への挑戦、ととられても仕方ない。
0460人間七七四年
2009/03/20(金) 16:03:44ID:LYrYOYCG滅ぼすとか秀頼切腹(=処刑)まではいいけど
さらし首にまでするかどうかだろ
国松はしてるわけだし
主筋の子供である国松を晒し首にするということは
相当ふみこんでいる
0462人間七七四年
2009/03/20(金) 16:13:58ID:uNsyaTxe個人的には国松の件は遣り過ぎと思いますが、二度の大坂の陣の最終成果として
豊家滅亡、大坂城を奪う事が幕府の権威維持に必要になってしまったのではないかと・・・・
0463人間七七四年
2009/03/20(金) 16:33:13ID:YYtjJXCH秀吉がやったような、女子供も含めて一族粛清、というのに比べればまだ納得いったんでしょ。
一番大きな理由は、もう幕府が磐石だったからだろうけども。
0464人間七七四年
2009/03/20(金) 16:52:47ID:HIJJo/CGさかのぼれば壇の浦の合戦で捕らえられた平家の総帥平宗盛は
息子ともども京の六条河原で斬首の上さらされている。
平家嫡流の生き残りである平六代も、一旦許されたが
頼朝の死後に晒し首にされた。
0465人間七七四年
2009/03/20(金) 17:38:29ID:EmeZBuOY家康は秀頼を救うためいろいろしているが秀忠は何もしていないし
大坂冬の陣の時も家康が和議を結ぼうとしているのに
総攻めをするように二度も強要して豊臣家を滅ぼす気満々だし
大坂の陣が起きたのは秀忠の力が家康の力を超えたから起きたんじゃないかと思う
0466人間七七四年
2009/03/20(金) 19:14:17ID:V7vxWsoJ0467人間七七四年
2009/03/21(土) 00:49:02ID:JrxdzUuC実質はともかくたとえ幕府を開いていたとしても、一応名目的には豊臣>>徳川だから
伊達とか仮に徳川の下についていても、一応は上司の上司って事で頂点に位置してるんだろ
いまいち家康が豊臣家を滅ぼすという対応に対して
その他の毛利とか伊達とかかつて部下だった連中がどういう感情をもってたのかがよくつかめない
秀吉が信雄を見下したのとは全然違うわけだし
0468人間七七四年
2009/03/21(土) 01:17:12ID:n04jhRkjくらいの感覚じゃねかに
毛利にしても伊達にしても出自から豊臣臣下じゃねし
0469人間七七四年
2009/03/21(土) 04:06:35ID:6PYA9T9E浪人にはあの爺さんは何って雰囲気だっただろうな、家康も引き抜いてやればよかったのに。
指揮さしてもらえたのかな、どんな最後だったか気になる。
冬の陣の功績で豊臣が毛利・後藤・真田なんかの浪人を300石で雇ったとか、そんな資料ないのか?大阪の陣・参戦のために貰った金だけで終わりとか?
和睦での浪人追い払いがあるがお前らならどう追い払うよ。
0470人間七七四年
2009/03/21(土) 06:47:19ID:I6h37o12武士は領土を認めてくれる人を主人として仕えるわけで、
そういう意味では全国の大名にとって豊臣家はもうなんでもない存在なんだよ。
(家康・秀忠が将軍就任の際にそれぞれ全国の大名の本領を安堵している)
0471人間七七四年
2009/03/21(土) 09:40:34ID:ZuEZFE9y現状の実権でいえば徳川幕府なんだろうが、その徳川家自体が豊臣に臣従していたわけで、何の落ち度もない主筋を滅ぼすのは、忠義を謳う武家社会に君臨する者として示しが付かないじゃないの。
それに豊臣家が全くなんでもない存在ってことでもない、江戸幕府が潰れたらその代替第一候補だし。
0472人間七七四年
2009/03/21(土) 10:17:07ID:Gd4iDMbn主筋としての運営能力を喪失した時点で、主従関係は喪失したものと見なされる
上下がお互いの役目を果たしてこそ関係は成り立つ
0473人間七七四年
2009/03/21(土) 10:36:10ID:ZuEZFE9y太閤遺言によれば家康政権はあくまで秀頼成人まで預けるって話だったんだが。
それでも徳川家に政権を完全譲渡するというのなら、それなりの手続きが必要。
実力主義で主家を蹴落としていいのは戦国時代の地方大名くらい。
0474人間七七四年
2009/03/21(土) 10:41:56ID:ZuEZFE9y実権を持たない主は蹴落としていい、となると武家社会維持上非常に問題があるわけで。
ある大名が無能でなにもしないのなら、家老が新たな大名に成り代わってもいいのかい?
やはり示しがつかいない。
0475人間七七四年
2009/03/21(土) 11:07:15ID:iMEXXvhX0476人間七七四年
2009/03/21(土) 11:19:35ID:I6h37o12>何の落ち度もない主筋を滅ぼすのは
この前提がまず成り立たないから。
徳川は外交によって臣従を迫ったけど、豊臣家はそれを頑なに拒絶したでしょ。
責め滅ぼされても文句言えないよ。
>>474
>家老が新たな大名に成り代わってもいいのかい?
良くも悪くも、それが戦国時代だから。
武士の主従関係は「御恩と奉公」が大前提。
御恩を施してくれるから奉公するのであって(その逆も然り)、
御恩を施さない主人に忠誠を誓ったりはしない(もちろん例外はある)。
0477人間七七四年
2009/03/21(土) 12:09:56ID:JrxdzUuC当時の状況じゃかつての臣下だった徳川家に臣従なんてありえないと思うがなぁ
0480人間七七四年
2009/03/21(土) 12:46:43ID:ZuEZFE9yそもそも豊臣は徳川の主筋なのだから徳川に臣従しなければならない正しい義理はない。
豊臣が自主的に臣従するのなら別だが。
家康は豊臣に何かご恩を貰う立場ですか?
豊臣の筆頭大老として反対派を潰して全ての実権を握って開幕。
豊臣家の「家臣に恩を施す」権能を横取りしておきながら恩を施さないから主として認めない、とうのはただの逆切れ。
0481人間七七四年
2009/03/21(土) 12:53:18ID:+Mh613/s臣従がありえないなら、滅ぼされるのも当然では?
つうか、秀信が豊臣の臣下に納まってたことについてはどう考えてるの?
0482人間七七四年
2009/03/21(土) 12:53:21ID:n04jhRkjと言われて掛かっていたら誰も味方してくれず
滅亡しちゃったわけなんだな
0483人間七七四年
2009/03/21(土) 12:53:46ID:ZuEZFE9y武家のヒエラレルギーならそうかもしれない。
しかし当時の大名は朝廷から位官を受任される朝臣というヒエラルギーもあった。
秀忠が将軍になった際内大臣に任官されたが、同時に秀頼はそれより上役の右大臣に任官されましたが?(まあ徳川の斡旋だろうけど)
それに豊臣、徳川のW公儀体制もありえなくもない。
0485人間七七四年
2009/03/21(土) 12:57:08ID:ZuEZFE9y一地方政権に過ぎなかった織田家と、朝廷を背負って日本を統一し治めた豊臣家とは一緒に考えられないのでは?
0486人間七七四年
2009/03/21(土) 13:10:17ID:JrxdzUuCもう徳川の天下はありえない?
誠意大将軍にもなれないし幕府も開けないし
0487人間七七四年
2009/03/21(土) 13:17:00ID:n04jhRkj豊臣とは違う姓を名乗っていただろう
んなんで、徳川は豊臣家康として関白政権にしちまえば大丈夫
0489人間七七四年
2009/03/21(土) 14:27:48ID:ZuEZFE9y豊臣は公家ですから〜って言い訳した事件なかったっけ?
0490人間七七四年
2009/03/21(土) 14:45:35ID:KFPHtXhP0491人間七七四年
2009/03/21(土) 15:06:06ID:mXixBLIl恐らく(金と権勢)によって、困窮只中の朝廷から関白を豊臣の姓とともに
拝領した・・・認識しているのだが・・・
0492人間七七四年
2009/03/21(土) 17:33:15ID:kwW2H0EW主家をないがしろにしたという点では秀吉も家康も同じ。
織田は天下統一してなくて豊臣はしたから違うというのはへりくつに過ぎない。
主家から受けた恩の深さを考えたら、家康より秀吉の方が悪辣だと言うこともできなくはない。
ないがしろにされた側の織田秀信と豊臣秀頼に違いがあるとすれば、空気が読めるかどうかだな。
0493人間七七四年
2009/03/21(土) 18:08:01ID:KFPHtXhPだからな、恩があるといってもみんな外様で譜代なんかじゃないし、秀頼も随分アホだよね
0494人間七七四年
2009/03/21(土) 19:39:09ID:s624Q4Wsどう考えても晒し首は免れないと思うがのう
家康なら多少の同情から切腹で終わらせたのかもしれんが
0495人間七七四年
2009/03/21(土) 19:42:45ID:s624Q4Ws家康の場合は、秀吉が死ねばいずれはって時期が来るまで待ち続けたと思うが
秀吉の場合は、信長が殺されるなんて夢にも思わなかったと思うがなぁ
つまり天下をとる準備も決心も全くなかったはずだし
どこで自分が天下を取ると決心したのかね
0496人間七七四年
2009/03/21(土) 20:33:12ID:6PYA9T9E家臣どもはその歳でEDなのに俺はまだ現役だと思ったときから^^
歳のわりには元気だからいつかは天下椅子取りゲームに参加できる、自分が参加できなくても子孫が出来るように基盤を着々固ようとしたら天下掴めた。
0497人間七七四年
2009/03/22(日) 12:01:28ID:7Ymum0xP変な妄想キモいよ。
織田家が天下とった場合、秀吉引退後の羽柴家は織田家(準)一門に列する家老の座は決定事項だったんだがね。
秀吉が秀勝を養子にもらってる意味すらわかってないガキはお呼びでないよ。
0498人間七七四年
2009/03/22(日) 16:36:05ID:/IC/t0NUそこまで辛らつな言葉を吐かんでも。
お前だって秀勝の存在が意外と大きかったことを自力で調べ上げたわけでもあるまいし。
どっちがガキなんだか。
0499人間七七四年
2009/03/22(日) 23:57:43ID:e2YCPzsY徳川の天下の可能性はほとんどなかった?
それともそれでも石田と家康の対立は起こってた?
0500人間七七四年
2009/03/23(月) 00:14:51ID:MjDknXFj秀頼が幼君だから石田が出張ったわけで、秀次健在なら
豊臣系一族もあちこちに封土を持っていたろうし、今度は
家康対秀次の争いになったかと。
この場合は秀次の器量がものを言うが、晩年の秀吉のおかげで
豊臣は大名に恨みを買ってたわけだし、どうなったことやら。
0501人間七七四年
2009/03/23(月) 00:46:53ID:EuJfWWjP秀吉は信長信忠に忠誠誓ったが、秀信にはしてない。
ゴリオシで織田家の家督相続させただけ。
家康は秀頼に忠誠誓っていた。
0502人間七七四年
2009/03/23(月) 01:13:32ID:EuJfWWjP・主君の死亡後
・最有力家臣であって、天下への野心を覚え
・反対派との決戦で寝返りにより勝利
・朝廷からVIPな官位を貰うことで主家を天下から押しのける。
0503人間七七四年
2009/03/23(月) 01:29:05ID:N7CtyAPw家康が秀吉と違ってミスったのは豊臣家を自分の膝元に置かなかったこと
大坂城西の丸も返上してしまった
0504人間七七四年
2009/03/23(月) 05:15:06ID:NA2pwrYrでも、そうしなければ豊臣家の大老の立場から逃げられないと思う。
0505人間七七四年
2009/03/23(月) 06:08:08ID:sCaH+b+sなんという屁理屈。
形式上は家康も秀吉も主家に忠誠を誓い、本領安堵を受けてるよ。
本心では両者ともに誓ってないが。
0506人間七七四年
2009/03/23(月) 09:24:37ID:EuJfWWjPまさに屁理屈。
言い残すことなく横死した信長信忠
あれこれ遺言して死去した秀吉
この差は大きい。
0507人間七七四年
2009/03/23(月) 09:33:17ID:EuJfWWjPまさか自分の死後20年近くも生きるなんてw
0508人間七七四年
2009/03/23(月) 09:36:36ID:9IHhnONt0509人間七七四年
2009/03/23(月) 09:53:53ID:NAZT9jtK0510人間七七四年
2009/03/23(月) 10:31:17ID:coUsf/Am0511人間七七四年
2009/03/23(月) 11:40:10ID:VrlLbGDPなんであれだけ女に手をつけておいて、ほとんど子供が
生まれなかったんだろう?
0512人間七七四年
2009/03/23(月) 12:18:47ID:coUsf/Am秀吉と成人した秀頼では体格が違いすぎる
まだ秀頼が普通の体格なら遺伝したことはありうると思うが、こんな大きい違いだととても劣性遺伝というとしても難しいものがある
0513人間七七四年
2009/03/23(月) 12:29:59ID:9IHhnONt0514人間七七四年
2009/03/23(月) 13:44:58ID:srsswf+e成人したのが秀頼ってだけで。
第一、不義の子ならいくらなんでもわかるのでは?
0515人間七七四年
2009/03/23(月) 18:13:17ID:zgcbeNBwボケなのか、
家康を信じたのか、
家康が最大の敵と思って絡め取ろうとしたのか?
0516人間七七四年
2009/03/23(月) 19:01:49ID:2BvkgxyU主人が急死したら主家を乗っ取ってもいいのか、なるほど。
0517人間七七四年
2009/03/23(月) 22:37:25ID:irzVwV7z0518人間七七四年
2009/03/23(月) 23:38:23ID:P9vGxv32山岡荘八の本を読んで
家康が死ぬ時に人生の師は信玄公、信長公、太閤そして政宗だ
って書いてたんだけど
これって本当に言ったの?
それともこんな事家康が言うなんてありえない?
0519人間七七四年
2009/03/24(火) 01:11:14ID:L6/MGzcTその話は間違いなく山岡先生の創作だろうね。
その面子の中に政宗が入るのはありえないw
ただ、家康が「自分が天下を取れたのは武田信玄と石田三成のおかげ」って
言ったという逸話なら、確かに存在する。
0520人間七七四年
2009/03/24(火) 02:31:54ID:jj8w2umH死亡時では利家と家康で二大筆頭大老。
0521人間七七四年
2009/03/24(火) 11:29:48ID:wDGdxdUJ潰せないなら、優遇して頼むしかない罠。
0522人間七七四年
2009/03/25(水) 08:33:43ID:4FY4VXWy力を示して屈服させる方針で、実際潰されたのって織田家内で覇権を争った明智、柴田と
天下取り総仕上げの北条くらいのもんだろ。あとは東北の小大名とか。
秀吉は徳川家を潰そうと思えばいつでも潰せたけど、
家康もそういう秀吉の天下取りの政策をわかってたから強気の外交に出れたんだと思われ。
家康が別格なら島津も上杉も伊達も外様はたいてい別格だわな。
0523人間七七四年
2009/03/26(木) 11:53:06ID:zC5fCdmt島津なんかは潰されてもおかしくないところを許してもらったわけだし。
上杉・伊達も家臣の礼を力を背景に取らせた。
が、家康には自分の妹や母を室や人質に差し出して、それからようやく妥協して家臣になってもらった相手。
明らかに別格。
0524人間七七四年
2009/03/26(木) 11:58:52ID:4t+K0IKm全面的に協力してたから優遇されるのは当然だろう。関東でも宇都宮は改易され
里見は上総没収。島津は大幅に領土削減された。
0525人間七七四年
2009/03/26(木) 12:26:14ID:NVRx+4qg戦国末期(1570〜)以降の主要な合戦に
すべて参加した著名武将って全国でも藤堂高虎ただ一人だけなんだな
0526人間七七四年
2009/03/28(土) 16:33:33ID:vCoft7bE秀吉政権で秀吉から「別格」扱いされていたのは織田信雄だけ
小牧後の家康は上田の敗戦もあって信濃での影響力ほとんど失っていたから、秀吉の和解案は渡りに船だった。
家康が凄いのは一番高く自分を売りつけられるタイミングで従属という判断をしたことと、家臣をまとめ上げたことだぞ。
0528人間七七四年
2009/03/28(土) 20:11:56ID:0PZYtxD9関ヶ原みたいなシチュで主導権を握るはずだったのかな。格だけなら元織田閥の首領だし。
それはそれで面白そうだな。
0529人間七七四年
2009/03/28(土) 20:19:20ID:0PZYtxD9これが後の影響力の拡大に繋がってるわけで、家康もうまくやったな。
実際は戦略的には、信雄・家康軍は池田・森の別働隊を叩いただけで
肝心の信雄の本領を散々に侵食された上に紀伊などの同盟軍も切り崩されて大敗なわけだけど
家康は信雄軍の惨敗には我関せずで、うまくおいしいところだけもっていった訳だ。
これが別の方向に行って信雄が上手くまとめてたら後々どうなったんだろうな。
0530人間七七四年
2009/03/28(土) 22:02:17ID:eegw+1UDもうこの時点では秀吉は手を出しにくいw
0531人間七七四年
2009/03/30(月) 20:42:34ID:9VW0JTFoつーか、信雄が大人しく旧家康領へ移っていれば
秀吉死後に織田が巻き返すシナリオも十分有り得たと思うんだよね。
0532人間七七四年
2009/03/31(火) 02:23:03ID:GUbDqzwS「このままじゃ奥州までやられるぞ」と嘆いた家臣たちに、
「飛ばされてもさらに加増があればそれで十万の兵を養い、五万をもって上洛すればいい」と平然としていたそうだ。
0534人間七七四年
2009/04/15(水) 02:34:22ID:aQ2kZH/H0536人間七七四年
2009/04/15(水) 16:47:18ID:N7PIbVCe0537人間七七四年
2009/04/15(水) 21:11:43ID:8v1gvpGz0538人間七七四年
2009/04/18(土) 13:09:31ID:CjE82gJS立場的に総大将になったはず。
イノシシ系なので城に引篭もってないで京は占領してその後面白い展開になったろうね。
0539人間七七四年
2009/05/16(土) 06:58:10ID:T8TXe9EG0540人間七七四年
2009/05/16(土) 07:07:55ID:GCYunrSu金山銀山の直轄支配
堺・博多等を窓口とした海外貿易
全国の蔵入地からの年貢収入
0541人間七七四年
2009/05/16(土) 09:53:43ID:LrzJ8vOo大阪冬の陣の講和後、牢人への手切れ金すらまともに払えず、そのため牢人が出て行かない
ハメになってるし。
0542人間七七四年
2009/05/16(土) 14:06:38ID:Kl8sV3td0543人間七七四年
2009/05/16(土) 14:11:37ID:flWH6zy+そんなに人を雇ってりゃ早々に破綻するわな。
0544人間七七四年
2009/05/16(土) 14:52:08ID:GszkdwEX本当に滅ぼす気があったのか?なかったのか?よくよからないなぁ
0545人間七七四年
2009/05/16(土) 16:19:19ID:Kl8sV3td理由としては、関ケ原から豊臣家滅亡まで十五年かかっている。これは、最初から秀頼を滅ぼそうとは思っていないだろう。
0546人間七七四年
2009/05/16(土) 16:34:55ID:LrzJ8vOoそれにも拘らず豊臣家が自分のところの家臣を、独自に叙任させた事が一番大きいのだろうね。
幕府秩序の外に存在しようとした。
0547人間七七四年
2009/05/16(土) 17:34:27ID:Gh/AVivL似たような感じか。
0548人間七七四年
2009/05/16(土) 18:14:38ID:LrzJ8vOoまあそう言うこと。しかも例の鐘銘騒ぎの真っ最中に。
これが幕府への挑発じゃなけりゃ何が挑発だ、ってくらいの出来事。
0549人間七七四年
2009/05/17(日) 00:33:26ID:5B4mYvbK略奪された後の焼け跡の大坂城からさらに莫大な金銀が出てきたそうな。
浪人を解雇する金がない、というのは金を無心する浪人か幕府への言い訳と思われ。
まあ浪人も金をもらったら大坂を出て行く確証なんてないし。
当時屈指の都会を出て行くなんて非現実的。
>>545
秀吉が織田家(秀信)を穏便に天下人から降りてもらったように、
家康も飴と鞭を使い秀頼を穏便に天下人から降りてもらおうとしてたと思う。
飴 千との婚姻、右大臣就任斡旋、諸大名に大坂に挨拶するよう命令
鞭 関白は藤原家に戻す 天下普請命令 秀忠の将軍就任の祝いを命令
0550人間七七四年
2009/05/17(日) 00:40:31ID:idtIRMUMそれもホンマかいなって気がするんだけどねー。
大阪城の金銀ってのは、どうにも実態が見えない。
0552人間七七四年
2009/05/17(日) 19:01:38ID:J1uJjLlc0553人間七七四年
2009/05/18(月) 16:43:00ID:YavGsdJc0555人間七七四年
2009/05/18(月) 22:29:05ID:2HMoPX050556人間七七四年
2009/08/31(月) 20:44:57ID:SB0hntws0558人間七七四年
2009/10/08(木) 07:14:55ID:Q43zSQVW0559人間七七四年
2009/10/09(金) 13:48:07ID:X6AGEcPY0560人間七七四年
2009/10/16(金) 00:57:21ID:sxw4bU5J自衛隊が真田幸村と仲良くなって一緒に徳川幕府と戦うの
自衛隊の活躍で真田幸村は家康本陣に突撃出来るが自衛隊も一応に全滅。
やがて自衛隊は不思議な忍術、火を噴く鳥(ヘリ)、火を噴く箱(戦車)を
操る真田十勇士として後世まで語り継がれます。
川中島や関が原と来たら大坂の陣があっても面白いと思うな。
0561人間七七四年
2009/10/16(金) 01:10:22ID:lfThVbzo0562人間七七四年
2009/10/16(金) 02:27:28ID:sxw4bU5J歴史は歴史、変わる事を許さない自衛隊との間で分裂を起こします。
過去の戦国自衛隊では最初のは信玄が打たれたり、次は信長だったり、その次は三成だったり
して次は家康でも面白いかも。
大坂の陣での家康の死で秀忠は徳川家の面目を保つため大坂府の南宗寺に極秘で埋葬して翌年
家康が亡くなるまで影武者を立てる事を考えたりします。
まあ、映画ならではの物語だけど。
0563人間七七四年
2009/10/16(金) 21:07:37ID:siSi1hRZ0564人間七七四年
2009/10/26(月) 20:56:27ID:boBg6/Bhあの隆々たる筋肉で乗馬姿とか・・・たまらん!
0565人間七七四年
2009/10/26(月) 23:31:49ID:JHe8fDU40566人間七七四年
2009/10/27(火) 09:54:48ID:DAYADH8G0567人間七七四年
2009/10/27(火) 11:23:52ID:LtVLiatj0568人間七七四年
2009/10/27(火) 11:30:27ID:DIEsKnJ+民主党は、財源が少ないくせに、
外国人優遇はそのままにしておく事が問題。
例えば、「高校無償化」は朝鮮学校も対象になるし、
外国人留学生に対し
1人当たり1年間に220万円の補助をしている等・・・
国民よりも外国人にお気遣いの民主党。
日本国民にとって百害あって一利無しである
外国人参政権をも認めようとする(これに関しては、公明党・共産党・社民党も)等、
民主党に任せておいたら
間違った方向に進みそうで怖い。
(因みに、「署名TV」の政治・政策カテゴリーで、
外国人参政権を阻止する署名活動展開中)
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1249178084/
在日チョンは無税ってホント?
http://peachy.a-auc.net/korea/korea3.html
金の話以外にも様々な制度が在日を優遇
0569人間七七四年
2009/10/27(火) 22:32:51ID:tyIEaNPx漫画の戦国自衛隊では、西軍には自衛隊と自衛隊の装備で訓練した戦国兵が真田丸に詰めて、
東軍には揚襲艦「エセックス」擁する米軍が味方する。
確か狙撃銃で家康を狙撃成功するが、米軍ハリアーに痛め付けられて、最後はエセックスに服部半蔵らと自衛隊員が突入しエセックス爆破に成功するが自衛隊員も壊滅。
米軍は日本の乗っ取りを考えて東軍をも銃砲撃していたので、米軍も戦国武将達の人海戦術で全滅。
うろ覚えだがこんな感じ
0571人間七七四年
2009/11/17(火) 11:42:15ID:vPYu67/D0572人間七七四年
2009/11/17(火) 15:50:21ID:2CXzq1MA夏の陣はそれこそ抗戦派が大阪を乗っ取ったようなもの。
0573人間七七四年
2009/11/17(火) 23:23:48ID:yrk+WJVG未だに秀頼は何も出来ず、淀の方が喚き散らし、大野治長あたりが
真田幸村たちの足を引っ張る、という構図で語られることが多いからなあ。
0574人間七七四年
2009/11/18(水) 01:55:26ID:FE+WyjWu冬の陣は物資が底を尽いた事もあって何とか和平に持っていけたけど、
どうにか大阪城を統率していた大野治長が襲撃されると、後はもう
主戦派と牢人の思うがままにされた。
秀頼が戦場に出なかったのって、淀が拒否したなんていうけど、実際は単純に、
秀頼自身が、戦場に出るのが怖かっただけだろうな。
0575人間七七四年
2009/11/18(水) 10:04:11ID:ySq7pNEQ0576人間七七四年
2009/11/21(土) 00:44:30ID:NYVD2vOS戦場に出たところで最高の大将首が出てきたってだけになるしな
だからこそ冬の陣で籠城戦を続けなかった事が大変悔やまれる
0577人間七七四年
2009/11/21(土) 01:00:27ID:wRuCMhhg冬の陣は火薬弾薬がもう尽きかけてたらしい。あの時代既に、火器の支援無しで合戦なんて
不可能なんだから、講和するのも仕方ないだろう。
0578人間七七四年
2009/11/21(土) 01:08:29ID:ZFdY0YVZその援軍となるような者の望みがはっきり絶たれ
しかも城の堀まで埋めちゃってまた戦だからな
夏の陣はもう破れかぶれな戦だな
0579人間七七四年
2009/11/21(土) 23:17:16ID:53rPTGK8ありえない仮定ではあるが
大阪城なら東軍の3分の1で持久戦にはもっていける
0580人間七七四年
2009/11/22(日) 14:13:44ID:G5Oi7usH大阪冬の陣で豊臣が勝利することはやはり可能だろう
0581人間七七四年
2009/11/22(日) 14:55:39ID:FBteMuNO残念ながら幕府軍の総大将は油断という言葉が最も合わない人物
0582人間七七四年
2009/11/22(日) 15:03:13ID:G5Oi7usHそれでもその総大将が死ぬ可能性は常にあったぞ
大阪城と豊臣軍10万が健在なら秀忠総大将なら豊臣有利の講和になったはず
0583人間七七四年
2009/11/22(日) 15:15:39ID:FBteMuNO0584人間七七四年
2009/11/22(日) 15:18:55ID:p3PkMTPF0585人間七七四年
2009/11/22(日) 15:33:10ID:G5Oi7usH事実1年後には病死しているわけだし。
豊臣有利の講和となっても徳川幕府の勢力圏が鎌倉幕府程度になるだけだろうが
0586人間七七四年
2009/11/22(日) 15:38:09ID:p3PkMTPF家康が死んだところで、既に組織としての幕府は機能している。
むしろ名実共に最高権力者となった秀忠への忠誠合戦で、豊臣に対して
さらに激しい攻撃を仕掛ける可能性も高いだろう。
0587人間七七四年
2009/11/22(日) 15:44:29ID:G5Oi7usH秀忠が20万程度の軍勢で大阪城10万を力攻めしていたら返り討ちにあう
だけだろうな。秀忠はその程度の軍略しかない人間だよ
政治家としては相当才能があるとは思うが軍事は並以下
0588人間七七四年
2009/11/22(日) 15:48:03ID:p3PkMTPFそういうのをIFの上にIFを重ねる議論と言う。
0589人間七七四年
2009/11/22(日) 15:57:33ID:G5Oi7usH島原の乱も後に起きているし
希望的観測でもなんでもない。大半の大名は家康個人を怖れて
従っているだけだから
0590人間七七四年
2009/11/22(日) 20:31:16ID:JoI6Urkq0591人間七七四年
2009/11/23(月) 21:26:18ID:QnB6Nb0u狸がさっさと死んでいれば日本は慢性的な戦乱状態が続いただろう
0592人間七七四年
2009/11/24(火) 07:37:05ID:TrGWBhDu0593人間七七四年
2009/11/24(火) 23:07:30ID:6RyH9uMc鎌倉幕府と室町幕府の中間のような勢力の幕府が全国をまとめきれず
騒乱が10年に一度の単位で起きるような世界になっただろう
島原の乱のような騒乱が慢性的に続き、和解したはずの豊臣家も
それに乗ずる機会をうかがう世界
0594人間七七四年
2009/11/24(火) 23:12:30ID:mpINyi4bそれについて、昔から大阪に住んでいた老人が『全て関東風になってしまった』と嘆いた、
って記録が残ってる。
大阪の陣の豊臣家は既に、気持ちの上ではともかく実態としてはもはや、
一諸侯でしかなかった。
0595人間七七四年
2009/11/25(水) 08:41:42ID:92D/Zrwp秀忠も一緒に死ぬならまた違うが
既に動き出し継承も済んでしまってるし
0596人間七七四年
2009/11/25(水) 16:47:44ID:zFHrm28Zやり遂げて死んだのが家康の凄いとこなんでねぇの
有名な大名は滑稽なくらい用心深いエピソードが残ってるの多いし、松平は
詳細不明な早死に家系だったから絶対死なねぇって根性努力が他より抜き
ん出てたんじゃないの
0597人間七七四年
2009/11/25(水) 22:55:29ID:0qn8iDGB秀忠が一緒に死なないと意味がないのが大阪夏の陣
冬の陣の段階なら家康死後なら動揺する幕府を総攻撃で鎮めようとして
大阪城10万を落とせず手痛い反撃を食らって豊臣有利に和睦
その過程で伊達や毛利の不戦が起こる
江戸幕府の勢力は関東から中部にとどまり西日本や伊達のいる東北は
不穏な情勢に
0598人間七七四年
2009/11/26(木) 08:28:32ID:p0lxeASN必ず力攻めに走るとは限らないし本当に力攻めされて耐えきれるという保証も無い
0599人間七七四年
2009/11/27(金) 01:17:46ID:6Jqr/97A病死なら史実とたいして変わらず進むだけ
わざわざ力攻めに走る必要は無い家康の病死で幕府が揺らぐなんて事は史実でも無かった訳で
まぁ大阪攻めが一時中止になる事はあるかもしれないが
0600人間七七四年
2009/11/27(金) 03:41:35ID:IiICFUvM0601人間七七四年
2009/11/28(土) 09:23:12ID:LKdT8wdB0602人間七七四年
2009/12/17(木) 11:30:31ID:bndA3+6H真田兄も弟が説得させればよかった。
0603人間七七四年
2009/12/17(木) 11:31:53ID:bndA3+6H前田、島津はともかく伊達って・・・
0604人間七七四年
2009/12/19(土) 05:46:19ID:rUPvqI0Vかつての家臣たちはもうみんなとっくにそれぞれの新しい道を歩んでいるんだから
邪魔をするな
ただ以前主だったというだけで
昔のことをいつまでもいつまでも恩着せがましく
自分の我侭にお前も付き合って戦えとかアホにもほどがある
図々しいんだよ豊臣は
根こそぎ滅びて当然
日本の疫病神
0605人間七七四年
2009/12/19(土) 08:48:25ID:+uC+MxIlほとんど空手形同然の約束されたって動くわきゃねぇだろ・・・
信之が何の為に関ヶ原で東軍に付いたと思ってんだ?わざわざ成算の無い賭けに乗って家を潰す訳無いだろ
0606人間七七四年
2009/12/26(土) 20:41:03ID:vx2EV2jQ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています