ここでは海外貿易をおこなう豪商たちが戦国大名の支配をはねのけて自治をおこなっていました。
今でも少し残っていますが町の周囲には堀をめぐらし、自分たちで武士を雇って外部勢力から都市を守った。
合戦で敗れた武士が堺に逃げ込んだら、追っ手もそれ以上手を出すことはできなかった、
敵味方が堺の町中で出会っても刀を抜きあうことはなかった、といわれます。