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武田勝頼は愚将ではない

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0001名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/18(木) 18:47:11ID:ZzPDNPzP
武田勝頼は愚将ではないと思う。
0103名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:09:42ID:3YVgyMpV
跡部 長坂がいなければよし
勝頼は冷静で優しい良将
0104名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:10:18ID:scGsyzay
>>89
運営できてないから織田侵攻時にまともな決戦兵力動員できなかったんじゃないか?
そもそも小幡はじめ軍鑑編者は勝頼時代から一世代後の旧武田遺臣団なわけで
詳細部分の信憑性はともかくその編集方針自体はほぼ武田遺臣の心情を反映している
と見ていい。その説のように信玄神格化のあまり捏造してまで勝頼を貶めたい空気が
旧武田家臣団にあったとすれば勝頼と家臣団の軋轢は相当深刻だったということになるな。
0105名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:18:17ID:WoEjfpQM

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0106名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:19:43ID:z+0N8w+T
>その編集方針自体はほぼ武田遺臣の心情を反映している
という考え方もおかしいわけだが
0107名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:40:43ID:F2uhqwzl

柴辻俊六、平山優『武田勝頼のすべて』(新人物往来社、2007年)
0108中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/01/23(火) 21:42:02ID:BKZ6WOSG
そういや信虎のすべても出るな
0109名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:44:57ID:krMnXJQm
甲陽軍鑑をどう考えるのかは人それぞれで結構だが、
取り敢えず跡部勝資は忠臣だと思うよ。
0110名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 22:15:19ID:scGsyzay
>>106
そうかね?
「編集方針に心情の反映が無い」なら軍鑑は公正そのものの記録という
ことになるが。
逆に「軍鑑編集に編者のバイアスがかかっている」とするならそれは編者の背景、
すなわち「武田遺臣団としての立場」しか有り得ないんだが。
もちろん個々の部分については山本勘助みたいに編者、もしくは編集過程で
貢献の大きかった人物の縁者を過剰に持ち上げるような種類の誇張はあるが
その辺は旧家臣団間でも妥協できる範囲だろう。
基本的に「甲州流軍学」なるものをぶち上げて旧武田系旗本の地位向上をはかる
意図がある書なわけだから武田遺臣団のコンセンサスと正面から対立するような
価値観は持ち込めない。江戸在住の武田系旗本の家には勝頼を直に見たことがあるような
隠居爺がまだ生きてる時代だからな。
>>109
跡部長坂やらの革新官僚系が叩かれる点もまた軍鑑が遺臣団の空気を反映してる
せいだろうな。武田家中としがらみの無い立場から書かれた書なら悪者にされることも
無かっただろうに。
0111名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 22:57:39ID:i6+q/2lZ
>>103
それは彼ら奸臣なのは甲陽軍艦のデッチあげだが。
0112名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 01:42:56ID:H/qyTjnX
もし勝頼が織田と同盟していたと思うと・・・
0113名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 03:39:08ID:w02APmgD
>>106
だから、遺臣 団 というのがおかしいといっているわけだが
0114992007/01/24(水) 07:47:52ID:Jg9LEnIk
>>100-102
レスありがd
個人的には義信が家督を継いでいたら勝頼も無理に背伸びしたり家臣に見栄をはる
必要もなくて心が屈折することもなかったんじゃないかと思ってるんだけどね。
仁科信盛みたいな心栄えの爽やかなイメージになったのではないかと。

お互いの相性が悪ければ>>100の言うように御館の乱みたいなったかもしれないし
>>101>>102の言うように義信が勝頼を排斥しようとする動きがなければ武田家中は
平和だったかもね。

>親父の影に隠れて人物像が細かく思い浮かべられない。

廃嫡されて死んでるから伝承も細かく残らなかったんだろうね。
武田自体が滅亡してるし。
あとは想像力で補って空想するしかないかな。
0115名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 08:17:38ID:XyVdjSkR
軍鑑は甲州流軍学の宣伝書だよ
この軍学っていうのがいかにアテにならないかは、現代では全く意味を失っていることからもわかる
孫子なんかは時代が変わってもその原則は未だに説得力を持ってるのにね
江戸期の〜軍学はほぼ頭でっかちの創作
0116名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 18:48:50ID:OxBa9rwa
武田義信はそれなりの人物だったらしいね。
0117名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 19:09:38ID:yt54WdSn
30近くになった嫡男に家督も譲らず
揚げ句に廃嫡して死なせては家中が混乱するのも無理ないわな
0118名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 19:52:04ID:E9cv1oFS
早々と嫡男に家督を譲って出家でもしてたらどうなったかね。
少なくとも駿河への侵攻は無いし、領土の拡張は早い段階で止まっただろうね。
もちろん家督を譲った瞬間に天下獲りを諦めるくらいの決意が無かったら
家督なんか譲れなかっただろうけど。
大御所とか言って父親が実権を握ってるんだったら何も変わらず無意味だしね。
0119名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 20:00:21ID:kAjfpwjc
北条みたいにしとけばよかったんじゃないか?
0120九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU 2007/01/24(水) 20:14:56ID:Wlt/5Lkb
信玄が左京大夫から大膳大夫へ官位移行した時点で家督を譲ってるみたいだけどな
勝頼→信勝にしてもそう。信虎・信玄ら父祖の官位移行と隠居の関係を慣例的に追うと
信勝の元服に合わせ勝頼は家督を譲っていたと推測できるそうだ
つまり天正十年にはすでに信勝が武田家督者に擬せられると、この隠居の動機を
推測することができる。すなわち織田の血縁者たる信勝を表に立たせることによって
勝頼は織田との講和を画策してた可能性が高い。

つまり当初から徹底抗戦の構えだったわけではなくて、勝頼は滅亡の寸前まで対織田外交において
武田存続の道を模索したが結果的にその方法も潰え、最期は八方塞がりで滅んだと
見ることが出来るかもしんない
0121名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 22:21:53ID:XsGM4pu1
なるほどね
0122名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 23:34:13ID:1+MJqc2M
義信の内儀は今川の女。
もし後見人の義元が健在だったならば、義信家督の目があったろう。
それでも信玄が家督を勝頼に、といえば、今川・武田の争いにもなりかねない。
信玄もそれは避けると思う。

勝頼の失敗はやはり外交だな。
上杉・北条とは同盟、少なくとも友好関係を保つべきだったと思う。
織田・徳川とは過去の経緯もあり、難しいだろうが、関係修復の努力はすべきだったな。
これは俺の推理だが、信長は東には余り関心がなかったのではないか?
征夷大将軍にでもなるというなら関東を実質支配する必要があるが。その気もないし。
むしろ西国方面へ進出し、海外雄飛。拠点も北部九州辺りに移す。
これが信長の構想なのでは。
すると勝頼には交渉のチャンスはあったのではないかな。
0123名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 23:48:59ID:CzS0pOWF
>>122
上杉北条とは御館の乱がある以上どっちかにつくしかないと思うが。
景虎側についてたらついてたで北条の勢力がさらに大きくなって寿命縮まる気もするし。
0124名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 23:52:00ID:5tsSYWCY
>>116
近年の研究でわかったらしいけど、実際、どんな点ですぐれていたんだろうね
川中島の時のミスは事実だそうだし
0125名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/25(木) 01:25:49ID:HtOZdNSw
>>124
は?川中島のミスってなに?
0126名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/25(木) 01:52:49ID:skz15eLI
北条氏政は御館の乱までは武田贔屓で
織田との従属的同盟を決意して隠居するまでは
信玄風の花押を使用していた
0127名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/25(木) 02:05:08ID:K6SS4jN1
>>125
上杉方の策に誘き出された話だろ
0128名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/25(木) 02:10:01ID:mtLb0YFn
御館の乱はどっちを選択しても正解は無いという、
武田にとっては迷惑この上無い話
0129名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/25(木) 04:16:35ID:iF8s/P69
発想の転換で武田からも養子を出す
0130名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/25(木) 11:53:26ID:Nie8Imvd
上杉方史料だと、逆に義信は謙信本陣を脅かすほど奮戦してたことになってる
0131名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/25(木) 17:15:27ID:GZKWXFF7
御館の乱はどっちを選択しても正解は無いとは思うけど
この2つしか選択肢がないのなら
勝頼はどちらかというとベターなほうを選んだと思う
「どちらも選ばない」「両者の仲裁役になる」「両方捨てて織田・徳川につく」
という選択肢は当時は考えられないだろうし
何を選んでも結局全部ダメだと思う
0132名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/25(木) 19:03:38ID:gZ7JP9Ak
難攻不落の高天神城を落として武田家で最大の版図を築き上げた時点でかなりの良将だと思う。
0133名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/25(木) 19:26:19ID:HtOZdNSw
>>127
それ講談。
0134名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/25(木) 19:58:37ID:K6SS4jN1
>>133
>>124がいうところの「川中島の時のミス」といったらこれ位しかないだろ。
講談か史実かは問題ではない。
0135名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/25(木) 20:14:52ID:/wqFlK5d
結局、武田家も徳川をも屈服させる事も出来なかったってのが全て
国力の限界じゃないか
甲斐、信濃じゃ厳しいわな、現在でも交通の便が激悪なんだし
三河遠江とは比べ物にならん
0136名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/25(木) 20:27:27ID:wOHaI3r/
まさしく親父に言えよ、って話だよな。
0137名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/26(金) 07:21:18ID:rt8w2Cyo
カツヨリ
0138名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/26(金) 12:27:26ID:rlyQjdVo
勝頼のアナルにミミズ
突っ込んで
突っ込んで
突っ込んで
突っ込んで
中に出したいヨ〜ォォ
0139名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 18:36:45ID:XkYOBhFC
>>132
確かに高天神城は落とした。だが高天神城攻略を始め多数の軍事行動の結果、武田領の民衆の生活の質は下がってしまった。
戦を重ね、国の疲弊を招き、先代からの重臣の意見も無視し、結局は一門の武将にまで次々と裏切られ滅んでいったんだぞ?
良将ではないと思う。愚将ではないにしても、せいぜいが凡将っていったところだと思う。
0140名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 20:27:05ID:9ab3x5aD
>>139
信玄がはじめた戦の続きをやって破綻するタイミングにぶち当たってしまったわけだから
だいたい重臣の意見無視自体何度も否定されてるでしょ
もし本当に重臣の意向を無視していたのなら、信虎みたく追放喰らってるよ
0141名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 20:33:30ID:REV//wbF
>>139
合戦が増えて国が疲弊したのは勝頼のせいというよりも先代の信玄の責任のほうが大きいし
信玄があと10年生きたとしても勝頼と同じ事になってたかもっと酷い事になってたはずだよ
それで現代「信玄は凡将」という扱いになってる
0142名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 01:02:53ID:0879K7Un
金山が枯渇したのは勝頼のせいではないしね。
信玄時代の産出量が維持できたら国の疲弊は
もうすこし防げたはず。
勝頼の評価は難しいが武将として一流でも大名としては二流だと思う。
本来は源頼朝タイプの人間が求められたのに、源義経タイプに近かっただけだと思う。
0143名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 07:41:15ID:c8b7Tbbw
追放どころか最後に見限られてんじゃんww
信玄が始めた戦いの続きって言うけど
遺言の 三年喪に服せ=国力回復に努めろって事だろ?
その遺言も理解できなかったなんて信玄じゃなくてもガッカリだぜwww
かってにやった長篠で大ポカやらかしたら言い訳出来ないってのwwww
信玄=日清・日露=世界への雄飛と台頭
勝頼=太平洋=ただのイケイケドンドン
もう勝頼信者の心の拠り所は金山枯渇説だけかwwwww
少なくとも信玄があと10年生きていたら
あの「長篠」はなかったとおもうよ?
0144名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 08:59:21ID:tYsHn+7X
金山の枯渇はどうしようも無いにしても、信玄が織田・徳川に侵攻して敵対状況を作ったにしても、
勝頼が当主を引き継いだ後で戦に戦を重ねて、その結果国が疲弊したのは事実だろ?
長篠でも、恥を忍んで戦闘前に撤退するか、織田軍本隊が来る前に総攻撃で長篠城落とすか、せめて劣勢になった時点で撤退を決意するのがまともな将じゃないのか?
大名としては三流もいいところ、武将としても二流だろうと思う。
信玄が存命してたら、少なくとも長篠では劣勢になった時点で撤退したと思う。
0145名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 10:46:48ID:MYbTXhfE
信玄信者の最後の砦は創作の遺言だけかよw
三年どころか2ヶ月後には徳川軍が反撃を開始して長篠一帯が奪回されている
だいたい信玄の遺言とされるものには「明日には瀬田の橋に武田の旗を立てよ」という戦争継続を訴えたものも伝わっている
病身にもかかわらず戦争に固執し、領国疲弊も省みなかった(信玄政権後期に特別税がずらずら新説されている)信玄の本当の遺言がどっちだったかは明白でしょ
もし、信玄が本当に劣勢になったりしたら速やかに退けるほど諦めが良い武将なら、自分の晩年に無理を重ねたりしないよ
0146名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 10:47:59ID:VHBTceAb
>>144
仮に長篠で攻めなかったとしても第二次世界大戦のアメリカとイタリアぐらいの戦力差(まだ朝倉が潰されてない頃の織田ならアメリカと日本ぐらい)がある
長篠で織田信長を殺すしか武田が勝つ道は無かった そのまま続けててもジリ貧でそのうち負けたさ
0147名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 10:52:35ID:zrCPwteq
イタリアは戦勝国ですが?
0148名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 10:56:30ID:PA9NyK/U
第二次世界大戦でイタリアは戦勝国ではない
0149名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 10:57:25ID:VHBTceAb
>>147
ハァ?
0150名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 11:59:07ID:4dUyajGI
イタリア人達の感覚は>>147だという話を聞いたけどな。
戦争が終わる前にさっさと降伏したからだとよww
0151名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 12:11:13ID:tYsHn+7X
まぁ実質的には枢軸側から途中で降伏した敗戦国だが、名目だけ見れば連合軍側=戦勝国だな・・・
0152名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 12:44:17ID:zrCPwteq
はぁ?イタリア王国はドイツ第三帝国に宣戦布告してますが?
0153名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 12:46:15ID:Ts6J6d4n
要するに武田家が織田家に寝返ればよかったといいたいのかな…?
0154名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 13:19:42ID:h4V/Kk6y
横レス
寝返るというか条件不利でも和睦するしかないだろう。
長篠で大敗、その後、外交戦略(まず北条との婚姻)に切り替えたんだからさ。
そしてお舘の乱、北条から攻められるという結果。
全て勝頼の器量が疑われたから、まず長篠が起こり、内部崩壊が起こったんでは?

信玄の甲州法度の次第の支配体制、勝頼にはその力はなかったんじゃないかな。
0155名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 13:29:14ID:c8b7Tbbw
>>145

>2ヶ月後には徳川軍が反撃を開始して長篠一帯が奪回されている

上洛目的が通説なわけだがその点を考えると足利将軍から催促されて
兵を挙げざるを得ない状況だし(実際渋っての挙兵)
武田軍の目的が征服目的じゃなかったからじゃないの?
領土拡大目的だったら信玄が死んでもせっかく獲ったんだから
そこに留まるはず。
徳川軍が奪回したと言うよりはそこに執着する気が無く放棄したからだと

>特別税がずらずら新説
甲州枡などで減税を図っているので必ずしも
税を増やしている事にはならないと思うよ?
所得税を取らない代わりに地方税を取るみたいな感じで
0156名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 16:01:07ID:BoDiN/rG
>>155
放棄説はありえないでしょ。長篠には武田信豊指揮の援軍を送ったけど奥平氏の寝返りなどで阻止しえなかったのが史実
あと甲州桝で軽くなったのは本年貢だけじゃないの?棟別銭五百文に増額とか、そういう特別税の加増分との収支があう可能性は低いんじゃ?
0157名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 16:37:39ID:UIqBhCSh
信玄が死んだ後速攻和睦して
織田家でいい地位をつかむのが一番だったな。
そしたら上杉が滅んで武田は大大名になってたかもな。
0158名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 17:10:55ID:xrs585Qj
>>157
一門や重臣連中が承伏しないっしょ。
ただでさえ庶出の快く思ってないんだからさ。
勝頼が織田に従うなんて言い出したところでほとんどついていかないと思う。
結果的に能登畠山みたいに当主追放幼君擁立で国人連合政権になるかも。
0159名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 18:42:02ID:JWNMhTWW
>>152
そんなこと言ってたらルーマニアやハンガリーもドイツに宣戦布告してるが。
0160名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 22:17:09ID:0879K7Un
>>158
それを承服させるのが政治力だと思うんだよね。
力ずくでもだよ(謀殺だろうが騙まし討ちだろうが、どんな手を使ってもね)
勝頼には政治力は無かった。
0161名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 22:21:05ID:ZwUVUHdw
>>160
それを言ったらただの「甲斐国人議会の議長」でしかない信玄のほうが
そういう力がなかったわけだが
0162名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/28(日) 22:47:24ID:0x2es/5p
>>158
差宛、そいつはどうかな。
家臣にしてみれば自分の領地さえ認めてもらえれば国主は誰だってよかったはず。
一部の重臣は反発するだろうが、大多数の国人領主にとっては国主が誰であろうと問題はないはず。
0163名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 00:50:35ID:S4ZS1YQX
>>161
そんな事を言ったら関東の豪族連合の代表者である源頼朝だって
「そういう力はなかった」という事になる。
後のジンギスカンになるテムジンだって最初は権威など無かったし
秦の始皇帝だって、元人質で秦の血筋を引いてないという噂が立ってて馬鹿にされ軽蔑もされてた
最たる者は豊臣秀吉でしょう、考えうる限り最も血筋も家柄も悪く
デシャバリで下品で嫌われてもいたが、ありとあらゆる政治工作で
自分の権威を作り上げてしまった。
徳川家康ですら、元々の家柄は石川や酒井と、さほど格に違いが無かった。
0164名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 00:54:14ID:JoP4X3QN
>>162
たしかに国人領主からしてみればそうだ。
しかし信玄死去のすぐ後の状況では織田に降るよりも武田家を傀儡化したほうが
彼らにとっては自己の権益をより確保出来るのではないかな?
織田と臣従に近い形で和睦しても縮小は有りうるが領地が増える可能性は少ない。
0165名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 01:21:52ID:uSIcJ3ym
>>163
自分のキチガイ発言があっけなく否定されたからと言って
そこまでムキにならんでもw
0166名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 03:05:26ID:1A16QREL
烈しくワロタ
0167名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 08:29:39ID:S4ZS1YQX
信玄は信虎より優れてたかもしれないが
勝頼は信玄より劣っていただろう。
信玄は父親を追放した後の権力掌握までの道程は実に見事だ。
0168名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 12:49:00ID:usEZgM36
勝頼と家臣団が戦争継続に傾いたのは、織田家を舐めてたからだろう
信長の動きは信玄最後の遠征の時には鈍くて、三千程度の援軍を動かしたのがやっと
勝頼政権初期の美濃攻撃でも、後詰ができず明智城を見捨てる形になっている
だから信長は及び腰、だと思い込んで強気になっても不思議じゃない。情報伝達が制限された当時のことだし
結局のところ、たまたま武田の攻勢時期が信長が他で忙しいタイミングでぶち当たった幸運に過ぎないと長篠で破滅するまで気付けなかった
01692007/01/29(月) 16:03:35ID:HNpn7Y2r
そだね。武田が攻勢優位だったのも浅井・朝倉・長島本願寺が顕在だった頃まで。勝頼が長篠で決戦にでたのは味方を次々と失った焦りかもしれない。

決戦前の書状では強気な発言しているが本心はどうだったんだろうね。オレが家臣なら「信長家康が雁首揃えて出てきた今叩かないとやばくね?」と進言したと思う。
0170名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 16:27:14ID:vo+6Tj6h
政治力じゃどうにもならない事柄を解決する最後の手段が武力
政治目的である我が儘を力ずくで押し付ける=武力による実力行使
最後の手段を取らなかった≠政治力がない

>>160の理論だと、意見の相違を武力で制する→政治力がある
結論ありきの暴論

馬鹿は死ねばいいのに
0171名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 17:36:13ID:i0TkQm+5
周りの家臣たちが愚将だったんだよ。
信玄の時代はほとんどワンマンだったから
信玄なしには何もできない動けない組織体質になってしまったんだと思う。

強力なカリスマ、求心力が消え去った組織でよく見られる事象だよ。
長篠の合戦は信玄時代の重臣の意向が強く何も出来なかったが
それ以降はむしろ勝頼の政治が実現できたはず、しかし信玄がカリスマ
だった反動で家臣の求心力が想像以上に弱まった。
0172名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 17:47:08ID:mq9mtyaT
で、勝頼本来の政治が実現できた結果が、一門衆にすら続々と裏切られた末の自害か?
信玄から引き継いだ状況故のものもあったろうが、並以上の将だったらもうちょっとマシな結末だったろ。
結論「よくても凡将」
0173名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 17:58:51ID:S4ZS1YQX
>>170
謀殺や騙し討ちまで武力だと言い張る ID:vo+6Tj6hは知的障害者

ID:vo+6Tj6hは死ねば良いのに

0174名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 18:22:39ID:WSpsMfz2
武田が滅んだのは勝頼よりも実は信玄のせい。
0175名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 18:58:21ID:uhVJaNNi
>>170

武力で天下を統一した秀吉さんも家康さんも
結論ありきの暴論を振りかざしたと言うことなんですね?
0176名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 07:36:33ID:vSPB0r0z
孫子曰く、必勝の軍はまず状況で勝ってから戦いに望もうとし、
必敗の軍は状況が不利なので戦ってから勝利を得ようとする。

秀吉や家康や信長の天下人の行動はそうだったな。
まあ、信長は桶狭間のような例外もあるけどね。
勝頼は政治的・戦略的な状況的不利を
しかも戦術的に不利な長篠で勝って跳ね返そうしたんだから
とんだアホとしかいいようがない。
堅固な野戦築城に篭る三倍の軍に突撃してどうすんだ?

武田と言えば孫子を兵法書としたので有名だが、
勝頼は孫子を読んでなかったんだな。
0177名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 07:41:13ID:vSPB0r0z
あと、孫子には「敵を知り、己を知れば百選して危うからず」というのがあるが、
勝頼は本当に織田徳川連合軍の状況を知ってたのか?
凄く怪しい。行き当たりばったりで突撃してたように見える。
0178名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 07:42:11ID:vSPB0r0z
「敵を知り、己を知れば百戦して危うからず」だった。
0179名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 07:47:56ID:vSPB0r0z
連続書き込み甚だしいが、
勝頼は味方の状況もわかってなかったな。
長期の対陣と長篠城攻めがうまくいかず損害を出し士気を阻喪している
軍勢を率いている事を理解してなかったな。
0180名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 08:01:07ID:+ofapNwT
信玄も孫子を好んだ割に、その原則を活用していたとは言い難いからなあ
孫子を読む人間は沢山いるが、体得しえたのはほんの一握りってことだ
つまり織田軍は弱い、オレ達は強いという先入観に武田家全体が囚われていたってことだ
厄介なのはそれまでの戦績を並べれば、これは決して思い込みとは言い難い面があること
だから勝頼も歴戦の重臣達も信長の罠にまんまと嵌ったわけだな
0181名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 08:16:52ID:4W8q/dkn
何でそんな必死なわけw
0182名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 12:25:11ID:c97akHIv
>>176
信長だって政治的戦略的に不利な状況で戦術的勝利で一発逆転とかやってますよ。
勝頼との違いは、成功したか失敗したか。
ちなみに家康には、政治的にも戦略的にも不利な状況で二倍以上の敵につっこんで
さらに戦術的にも完敗という素敵な戦績があります(三方ヶ原)。

信長や家康だけを特別扱いして勝頼は責め立てる理由はなんですか?
0183名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 12:26:08ID:Xi27ciqR
勝頼は兵の将だったが将の将たる器ではなかった。
万一、彼の生まれた時代に信長の勢力が小さかった(尾張の半分)としても
家臣団すらまとめられない程度では、いずれ大事な場面で
部下に裏切られたり大作戦に支障をきたすのは目に見えてた。
0184名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 12:28:35ID:OQ2ebVSx
>>182
世の中結果論が罷り通っているから
実は愚将ではない、というレスも多いが世間的には少数派だろう
ドラマや小説で流布したイメージは拭い難い
しかも勝頼を酷くかいた創作は江戸初期の軍鑑からだから根っこが深い
0185名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 14:02:24ID:M4zwLjL9
信玄の遺言が全てをダメにしたんだろ
家臣さえ全員まとまってれば誰が跡継ぎだろうが滅亡はなかったのに
0186名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 14:44:23ID:TMq7wbmD
ちっぐしょうー
0187名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 15:52:29ID:VQsqOKii
基本的に統治の基本は御恩と奉公のバランス。
戦国大名として統制力を強めるには国人他の権益を取り上げることになるが
それに釣り合う何かを与えられなければ統制は崩壊する。
だから軍事行動で豊かな領地を切り取って配下に分配できる資源を増やすのは
戦国大名として生き残るためには必須の行動となる。
信虎が統制を強めつつ豊かだが強力な勢力の押さえる地域への
南下に拘って新領を獲得できなかったが故に追放の憂き目を見たのもそのため。
晴信が南下をあきらめて生産性は低いが小勢力割拠状態故に取りやすい北上に
方針を切り替えることでなんとか統制力を取り戻せたのもそのため。
勝頼時代には周辺はほぼ強大な勢力の支配下に入っており、新領の獲得は容易では
なかった。だがより厳しくなる情勢下では一層の統制力強化は欠かせない。
となれば国人から見れば一方的に抑圧するだけの主に見えても仕方がない。
思うに勝頼が本当の凡将で何の危機感も抱かず何もしない男だったなら
かえって国人層の好意を得られて軍鑑にも良く記述されたかも知れない。
上杉北条徳川に大きく領土を削られることになっても一応独立大名の形式を
維持して織田政権の臣下に納まることも可能だったかも知れない。
どっちかと言えば能力と気力があったが故にかえって危地に飛び込んだという感じだな。
武田に生存機会があったとすれば・・・・晴信時代に上野、北信濃などほっといて美濃奪取
に全力をかけるべきだったな。まあ、信虎の失敗の教訓が効いて一番弱いところから攻める
というのが基本方針になってたんだろうが。
0188名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 17:40:37ID:Xfoa0gtN
だって木曽路通りづらいしなあ。
0189名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 19:15:44ID:g0Iw2y4P
堺屋太一氏が書いていたが
信長は生涯の通産で見ると負け戦のほうが多いのに勝ち戦のほうが有名
ナポレオンは勝ち戦のほうが多いのに負け戦が有名

やっぱりイメージの問題だろうな
0190名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 19:19:55ID:vSPB0r0z
>>182
桶狭間はある程度は勝算があったんたが、
義元の位置を通報してきた奴もいるし。
そこに突撃するのは悪くはない。
勝頼みたいに野戦築城に三倍の敵がまとまってるのに
突撃するバカとは違います。

三方ヶ原はとにかく戦わないと旧今川家臣が離反しそうなのでしかたなかった。
0191名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 19:32:03ID:g0Iw2y4P
桶狭間は実は今川軍 VS 織田軍+尾張の民衆の総力戦なわけで
「勝算があった」どころか負けるはずのない戦だったわけだが
0192名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 19:37:00ID:Xfoa0gtN
負け戦が多いってもなあ、何があったっけ。
信長が城を攻めきれなかった場合には負けにカウントして、某軍神様が攻めきれなかった場合は数えてなかったり(小田原とか小田原とか小田原とか)金も男も女も掘りまくった某甲斐の虎とかさあ・・・

勝頼は将としては良だが、君主としては凡って感じだなあ。
誰かのもとで猛将と呼ばれてた方が本人としてはよかったんじゃね?
まあ俺の想像だけどもね。

てなると義信・・ってなるけどね。
0193名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 20:05:04ID:g0Iw2y4P
ID:Xfoa0gtN ←コイツだめだw
0194名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 20:22:02ID:aOn05yAK
>信虎が統制を強めつつ豊かだが強力な勢力の押さえる地域への
>南下に拘って新領を獲得できなかったが
娘を今川に嫁がせたのに南下に拘ってたの?
武田家は信虎以前からも後北条や今川に度々領内まで攻め込まれてるのを
なんとか撃退しているのでむしろ奴等とは向き合いたくないと考えたはず
その頃の情勢に比べたら長篠前の勝頼はまだ恵まれている方だと思うよ

>上野、北信濃などほっといて美濃奪取
上野は兎も角、北信濃は抑えて信濃全統治はしておかないと
内外的にも格好が付かないだろう。
甲斐・南信濃でかき集めたなけなしの国力から美濃奪取となると
成功しても地勢的に敵を増やしとことんジリ貧だ

と、そんな事よりあくまで「長篠」以外には
勝頼の評価基準はないと思うよ、同じIfでも
長篠で勝って領土を拡充していたら?という仮想戦記よりも
長篠に行かず国力回復に努めていたら?と思う方がずっと現実的な話。
まあ行った時点で勝頼の程度が分かるわけだが。

>勝頼が本当の凡将で何の危機感も抱かず何もしない男だったなら
>かえって国人層の好意を得られて軍鑑にも良く記述されたかも知れない

寧ろ武田家マンセー俺TUEEEEEしていたのが家中に勝頼だけだった
と考えると勝頼が本当の凡将で何の危機感も抱かず
いたずらに長篠へ赴いて惨敗した挙句その後も
無駄に新府城建設などと言う浪費と一門重臣を信用しない行為によって
見限られ哀れな末路を遂げたのも頷けると言うもの
何もしない傀儡君主だったなら
かえって国人層の好意を得られて軍鑑にも良く記述されたかも知れない。
0195名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 20:46:23ID:I7nZWXCx
いや、軍鑑はやっぱり徳川の正当性を出さないといけないから
どの道、俺達は愚将に無理やりつき合わされただけです
徳川様が来てくれて助かりました
って事にするだろ。
0196名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 20:47:58ID:M4zwLjL9
戦わずして勝つのが上策
戦って勝つのは凡作
0197名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 21:30:43ID:QWD1liyC
>>194
新府城建設が浪費?
0198名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 21:37:06ID:egTyszhv
新府城を焼いたのは浪費だな。
0199名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 21:39:27ID:ukU/9pOP
長篠は死にたがりのバンザイ突撃な件
0200名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 22:24:30ID:4W8q/dkn
>>194
引き込もってたら更に国力差が広がる

回復が見込める国力>織田の拡大なんか?
武田の国力がX回復したところで織田がX+α拡大したら更に状況が悪化するだろ

結果論で本能寺待ってればよかったってか?

包囲網が生きてる内に単独首位をなんとかしなかった親父のせい

当たれば粉砕、待てば我彼の差が広がる
あんなん詰みだろ
0201名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 22:57:37ID:Bi1LHvOC
外交も行き詰まってたしなぁ
乾坤一擲で長篠城を落としていればあれだけの消耗はなかたったんだろうね
いずれにしろ詰んでるままだろうが
0202名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 23:39:43ID:zqxvVogM
>>197
新府城は浪費以外の何物でもない
財政が厳しいのに概観に派手な金具をたくさんつけてて
焼け落ちた時には近隣の農民がパクリに来たらしい
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