武田勝頼は愚将ではない
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2007/01/18(木) 18:47:11ID:ZzPDNPzP0002名無し議論スレにて投票方法審議中
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2007/01/18(木) 18:55:14ID:E+X4Sl+Kんで、言う事聞かない恩賞目当ての馬鹿な家臣が長篠の戦で特攻して討ち死に〜。
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2007/01/18(木) 19:22:13ID:HN7b8+3r日増しに織田の勢力は強まり徳川や北条の動きだって活発なのに
じっと座していても状況は悪化する一方
自立し生き残る為には死地に活を求めるしか手段がなかったと言える
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2007/01/18(木) 19:44:17ID:ttKDZ6yB武田家滅亡の原因は100%信玄が作ってる件
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153644378/
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2007/01/18(木) 19:57:01ID:C2FevBun確かに着々と織田家が勢力を拡大する状況じゃ対決は避けられなかっただろう。
だがしつように戦を重ね、その戦費を賄う為に税を重くし、民レベルでは信玄時代よりも確実に生活の質が落ちた。
信玄に成し得なかった高天神城の攻略を果たし、美濃にも一時拠点を確保した。
それは確かにある程度は評価出来るが、蛮勇がたまたま成功したレベルのもんだ。
信玄時代から仕え周辺諸国に名を知られる老練な家臣達の意見をことごとく無視し、自分の出身である諏訪家に縁のある家臣ばかりを重用した。
何かと父信玄と比べられるプレッシャーを除いても、やはり愚将「では無い」の範囲だろう。
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2007/01/18(木) 20:22:36ID:D4QfZHH50013名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/18(木) 23:02:11ID:YJK+uQf4うまくすれば上杉、北条と新三国同盟組めたかもしれない
で、じっくり国力をためつつ家臣団も世代交代させていき、団結を増す。
そうやってるあいだに信長死んじゃったりして。なんてな。
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2007/01/18(木) 23:08:37ID:gr7+vkir0015名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/18(木) 23:15:52ID:Dk5Ivrv8それをやると上杉が北条家の一員になってしまうから
自然に武田家は北条グループの傘下になってしまう
つまり、独立性を維持できないで
北条グループの対織田用の出先機関あ(盾)になり下がってしまう
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2007/01/18(木) 23:21:22ID:bYN022Ie0017名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/18(木) 23:24:41ID:8Bk93rxKこれが信玄の遺言だったな。
史実では勝頼は2年少しで禁を破り、設楽ヶ原で大敗→滅亡。
もし勝頼が信玄の遺言どおり我慢していれば天下の鉢は武田に回った公算が強い。
信長は本能寺で横死。
そして家康の役目を勝頼が。
こういえばその後どうなるかはこのスレの住人ならわかるだろう?
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2007/01/18(木) 23:24:54ID:Y9XpyjZz長篠に出てるね。凡将とは思わないけど。
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2007/01/18(木) 23:29:02ID:xUCmIvvx武田が滅びなきゃ本能寺がない。
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2007/01/18(木) 23:30:26ID:xUCmIvvx夜釣りか。
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2007/01/18(木) 23:48:20ID:YJK+uQf40022名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/18(木) 23:49:53ID:8Bk93rxK本能寺の変、ないしそれに類した反乱は必然的に起きたと思う。
信長の政権は長くは続かない。
あまりに急進的なやり方だったためだ。
いたるところで敵性分子を作りまくっていたからな。
実際、本能寺の変以前に松永・荒木に背かれている。
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2007/01/19(金) 00:00:33ID:m+v++ocYそもそも家臣がろくに勝頼に心服してないのがマズー
結果的に中央集権化に失敗
信虎の挫折が勝頼にまで及ぶとは…
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2007/01/19(金) 00:05:04ID:dHm43YwU0025名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 00:09:00ID:YwLwuB/l色んな意味で勝頼より家康の方が一枚も二枚も上手だから出し抜けないと思う。
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2007/01/19(金) 00:12:37ID:G1peqksz0027名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 00:21:29ID:0jakpNYt0028名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 00:24:54ID:BZKJ19Fx最高のタイミングで死んでくれる能力を持ってるだけで
こんな能力あれば、誰だって天下取れるわな。
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2007/01/19(金) 00:31:25ID:fXwM/WRr0030名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 00:34:17ID:YwLwuB/l0031名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 00:40:10ID:Ke4hhe/d0032名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 02:36:36ID:l77cYFK80033名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 02:39:45ID:V1EYJ541秀吉はそんなに良いタイミングで死んだわけではないぞ
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2007/01/19(金) 03:10:34ID:HVgGL+0S0035名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 03:23:48ID:5R55cL5oそれとシンゲン
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2007/01/19(金) 09:12:15ID:6HGCowD9個人の技量を重視しすぎ。講談やNHK大河の影響か?
それよりも状況が個々の武将に与える役目の方を見るべきだ。
>>17の設定では家康の出番はない。
史実では本能寺の後、家康は信濃・甲斐へ勢力を伸ばした。
が武田が健在である限り、それは無理。
勢力伸張を図れば、当然秀吉と勝頼は接近する。
攻守同盟を結んでしまうだろう。
だから家康は動けないはず。
秀吉が天下をとり、勝頼はその功績で五大老に。
この後は史実で家康が担った役を勝頼が担うこととなる。
で、天下は武田のものに、というシナリオ。
器量云々といった議論は信用できんな。
大方
器量が凄い→天下取った
というつもりだろうが、実体はその逆
天下取った→器量が凄い
という図式なのよ。後付の理屈なのさ。
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2007/01/19(金) 09:15:36ID:VqEBnbkQ0038名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 10:17:05ID:hVCsE22Vかといって戦争辞めるわけにはいかない(信玄死後数ヶ月で上杉にまでそれがバレていて、徳川軍は早速攻撃はじめてくるし奥平氏らは人質ぶっ殺されても寝返るし)
有力な国人や寺社が乱立した不合理な領国システムからの脱却と、勢力で勝る相手との消耗戦を同時にやらなきゃならない状況がまず不幸の元
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2007/01/19(金) 11:49:01ID:9v4sCgJI0040名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 13:08:53ID:doNZ1WTq0041名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 13:14:17ID:ytzGf5pe甲斐のみ安堵で信長に降伏しなかった時点で愚将決定
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2007/01/19(金) 15:39:56ID:wQUtqfqvこいつはくせぇ!げろ以下のにおいがぷんぷんするぜ!
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2007/01/19(金) 15:40:56ID:doNZ1WTq0044名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 21:45:28ID:G1peqksz「難儀でござる」はおもしろかったよ
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2007/01/19(金) 21:58:55ID:q4k9lrvV甲斐と諏訪郡を安堵してもらわないとね。
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2007/01/19(金) 23:11:00ID:M9yQqZwV見てもらえなかったからだろうね、信玄の生前は諏訪四郎って名乗ってたんだろ?母親が諏訪氏の娘だったから、そもそも信玄が諏訪氏を斬らなければ
滅亡はなかったかもな。それと手元において帝王学を学ばせなかったのが失態でしょう。 あと信勝を跡取りにしたってあるから勝頼は正式には信勝の代理みたいだった
から家臣はなびかなかったんだろうね。
0047名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 23:59:26ID:gKJ+Fh0eそのシナリオだと三河遠江は結局徳川領として残るので武田は史実の本能寺後徳川家ほどの
力は持ち得ない。
家康が秀吉の死後に突出した求心力を発揮した背景には他大名を圧倒する石高と小牧長久手で
戦術的勝利を得た三河武士団の実績があるのでその両方を欠いた状態では武田が突出した
勢力となることは有り得ない。
この場合の最大勢力は毛利家になるしな。
武田が滅亡しなくて、かつ本能寺の変からの流れがほぼ史実通りになった場合には
そのまま豊臣政権が続くか豊臣政権が崩壊した場合も決定力を持った勢力が無い中で
戦乱の世に逆戻りするかのどっちかだな。
史実家康のように豊臣政権の基盤をそっくり奪取するのはどの勢力にも無理だろう。
0048名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/20(土) 00:04:23ID:rmDis91Nどう見てもタイムスケジュールが大きく狂うしさ。
0049名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/20(土) 19:18:41ID:QAfLWmJl「次は武田を潰しに行こうぜ」
という段階で本能寺の変が起きる可能性もあるしな
0050名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/20(土) 22:41:12ID:CbXjh0Byこりゃこりゃ
0051名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/20(土) 22:57:22ID:f1RYk2wVどれほど勝頼の意向が反映されていたか、疑問
0052名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/20(土) 23:29:12ID:9POh+ONC確かにこのシナリオでは武田は生き残るが、史実での家康ほどの力をつけたかはなんともいえんな。
秀吉の天下取りに協力するとすると、上杉と同じコースを歩むだろう。
上杉と同格となる。
で、秀吉が倒れた後はどうなるか?
これは予測の範囲を超える。
家康が秀吉と対決姿勢をとり、秀吉・勝頼の挟撃にあい、滅亡した場合。
このときに家康の役回りが勝頼にまわることになろう。
>>48
信長は急速に勢力を伸ばした。
が、その代償として旧勢力からの恨みを買うことになった。
政権は長くは続かなかった筈。
どこかでメルトダウンしただろう。
0053名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 11:21:08ID:zVbz+CUm同じ一門である穴山、家臣の反発は当然あるわけで、
信玄の遺言どおり武田家臣団をまとめておけば、設楽が原の失敗もなかったろうに。
0054名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 16:27:23ID:TOq2N8w40055名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 17:44:03ID:zVbz+CUm駿河、遠江は諦めて、美濃岩村も攻めない。信長も家康も謙信も怒らせないことかな?
信玄を超えたいとか思わず、我慢我慢というか。和睦の道を探すというか。
信長が勝頼の首を蹴っ飛ばすこともなかったろうに。これも捏造かな?
設楽が原といい、家臣の裏切り、敵将にはコケにされ、人望がない故にと思うんですが。
強かったとは思いますが、いいイメージはありませんね。最後が悪いから。(勉強不足かもしれませんが)
0056名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 18:39:20ID:7k3O/GBf勝頼は陣代じゃなくて正式に家督を継いでる。
陣代説は甲陽軍鑑?にしかなくて他の一次史料にはないヨタ話。
>>55
勝頼は本来他家を継いだ庶子だったからな。
それが急遽嗣子になったんだから武田家臣の支持はなかなか得られないだろう。
勝頼本人の資質よりも生まれついての立場が悪かったんだよ。
信玄が生前に家督を譲って勝頼に当主としての活動をさせていればまた違っただろうな。
もっとも時期的に隠居すれば信玄老いたりと他国から侮りを受けるとでも考えたのかもしれないが。
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2007/01/21(日) 18:51:25ID:xOYW7BN7どうしようもない気が…
0058名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 19:03:46ID:ipsqosrc0059名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 23:57:19ID:Ag7dk5qd0060名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/22(月) 01:44:56ID:pq3fWfm50061名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/22(月) 04:10:16ID:tKkJUE8Zどの人間が勝頼の立場として家督を継いでたら生き残れたか考えれば
自ずと勝頼の能力の程度が図れるのではないだろうか?
俺は信長だったら生き残れたと思う。天下を望めたかどうかは度外視するけどね。
交戦状態だった家康・信長と即座に和睦をするのは難しいかもしれないが
まだ余力を十二分に残した状態で信長との停戦交渉に臨めば
その時期の上方勢は、まだ四方に敵を残してたので一時的な和睦をした可能性はありえた。
四国のチョウソカベと同等以上の立場だったと思える。
その状態で家内の建て直し権力基盤の整備、粛清、国力増強を図れば
まだまだ生き残れたと推定する。
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2007/01/22(月) 06:39:28ID:x2l7m99z甲陽軍鑑がソースみたいだから真偽の程は分からんが
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2007/01/22(月) 08:56:03ID:6eTi9RZN甲斐&信濃安堵で降伏すれば、他の有力武将と同じように幕閣として扱う
みたいな感じの降伏勧告を出したって話はどっかで聞いた
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2007/01/22(月) 09:12:15ID:ofbXatOy家来たちに、「勝頼に引き立ててもらった」という意識がわかないだろう。
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2007/01/22(月) 11:04:14ID:/uYkZDpcしかも信長に喧嘩吹っかけたのは武田からという状況で
……とか思ってたんだろう
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2007/01/22(月) 13:03:48ID:tKkJUE8Z自領内の本願寺勢や中小の抵抗勢力を完全屈服させる余裕が生まれ
四国、中国、北陸、九州を一つずつ各個撃破できるのでメリットは凄く大きい
ただし勝頼が和議を結べば
後に家康と一益が関東攻めをする際や勝家が北陸攻めをする際に
与力をする事を命ぜられたり城を一時明け渡せと命令されたり上洛しろと
命じられたりする踏み絵は必ずある。
もちろん上洛時に騙されて殺害したり
明け渡させた城をそのまま接収するくらいの事を信長は平気でする人間なので
どこかで再度、矛を構えなければならないのだが
勝頼が信長と和睦する2〜3年の間に武田家内で反対派の粛清や
家臣の配置換え、北条家との関係強化に取り組み
いずれ必ず来たるべく上方-関東合戦の時に北条家を後ろ盾に
前線の藩屏として信濃・甲斐を徹底して守るか
逆に身も心も完全に信長に委ねて、いずれ信長に裏切られて領土の没収も覚悟で
毒を食らわば皿までで信長が東北地方まで完全統一するまで信長旗下の武将として
着いて行くかは勝頼次第かと思える。
しかしあの時点で信長・家康と戦線拡大しながら北条とまで事を構えるなどは
最初から論外で少なくとも勝頼の政治力は平均以下だと思える。
(秀吉が、勝頼の立場だったら巧みな交渉で駿河、遠州、美濃からの完全撤兵程度の
信長から見たら寛大な条件で和議を結べただろうと思う)
勝頼が和議を結べば、必ず不満分子が現れるのは必定なので
そこで鬼になって一罰百戒で反対派の筆頭を一刀両断し
威厳を見せ付けるというのが何よりも重大な仕事になる。
具体的には穴山や奥山を想定している。
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2007/01/22(月) 18:30:17ID:Q04sDle3どう見てもタイムスケジュールが大きく狂うしさ。
0068名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/22(月) 18:37:12ID:9zkkZ/fV別に他人もそう思ってくれなきゃ嫌なわけじゃないんだろ?
大半の人間は単純にそこらへんの大きなターニングポイントを外しちゃうと
「俺予想」な妄想が行き過ぎて迷走するからあえて外さないんだろ。
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2007/01/22(月) 18:37:35ID:Q04sDle3事件なのに同じ時期に死ぬってのは変だよ。
本能寺の変は勿論、事件だしさ。
明智が信長を殺害する機会を得、ついでに信忠まで捕捉する
機会が到来するなんてのはよっぽどの偶然としか思えないが。
そもそも信忠を捕捉できる降参がなければ明智は行動に踏み切ったか怪しい。
武田が滅んでなければ信長も暗殺を恐れ軽率な行動は慎むと思うし、
信忠は武田などの監視のために東国にへばりつくと思うが。
ていうか信忠は武田討伐の成功を理由に家督を譲られ、
京都に挨拶とかのためにやってきたはずだが。
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2007/01/22(月) 18:43:06ID:Q04sDle3はあ「武田が滅びなくても本能寺の変が同じ時期に起こり信忠も死んだ」
とかいうほうがよっぽど「俺予想」だと思うんだが・・・・
そういやずっと前の三戦板で「織田信行が家督を継いだらどうなるか?」
というようなスレがあって、
ほとんどは「今川に潰されるだろう」というような予想だったが、
一人「歴史なんてものは一人の人間の能力で買わない、
信行が家督ついでもちゃんと桶狭間の戦いで今川は撃破され今川義元は死ぬ」
とか言った奴がいて物笑いの種になった。
「信行桶狭間」とか言われてたな。
0071名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/22(月) 18:50:45ID:Q04sDle3甲斐&信濃安堵?
ありえない。
ほとんど所領削れてない。
せいぜい甲斐+諏訪群だろう。
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2007/01/22(月) 18:57:38ID:lrmhd9Qk長宗我部あたりの例を見れば甲斐一国もしくは甲斐国中で郡内は外されるかも。
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2007/01/22(月) 19:28:31ID:MzZYe6nW0074名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/22(月) 20:12:45ID:xXz0LEmY0076名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/22(月) 20:19:23ID:MzZYe6nW0077名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 00:47:03ID:8oa/6YZj勝頼の不安定な立場でそれは出来ないだろ。
逆に殺害されるか追放されて信勝家督で穴山が実権を奪うのがオチ。
0078名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 00:55:40ID:+6Zoz7bW信長だったら、やっただろうなという事ですよ。
現に父親は弟に家督を継がせようとしてたし
重臣の大半は弟を擁立しようとしてて極めて不利な状態でも
家督を奪い取る事に成功したわけですから。
景勝だって家督相続をできると思えないほど不利な状況から
相手を滅ぼし、逆転して家督を継いだわけですから。
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2007/01/23(火) 01:11:24ID:8oa/6YZj信秀は信行に家督を譲ろうとはしていないぞ。
それに信長が最終的に家中を掌握できたのは正室腹の嫡男だったというのも大きい。
景勝にしても勢力的には景虎と対等、血縁がある分初めからやや有利だった。
まあ金蔵と本丸をいち早く抑えたということが大きいがな。
勝頼の場合は本来庶子の立場から後継者になったから前の二人より条件がかなり悪い。
史実でも自分の元に権力を集中させようとしたものの重臣の反発を恐れて結局断念してるし。
勝頼の器量云々の問題というより生まれついての立場が悪かったわけだから、
仮に勝頼の立場に信長がいたとしても上手く家中を掌握できたかは大いに疑問がある。
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2007/01/23(火) 01:15:54ID:8oa/6YZjもしそうなら聞きたいんだが、穴山は分かるが奥山ってだれ?
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2007/01/23(火) 01:16:24ID:+6Zoz7bWはて?勝頼より適した後継者が武田家に居たとでも???対抗馬になりえるような。
少なくとも信長や景勝よりは、相当有利でしょう。
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2007/01/23(火) 01:19:29ID:+6Zoz7bW0083名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 01:20:41ID:tIKoBptn信長でいえば生まれた時から後継者最有力だし。
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2007/01/23(火) 01:34:50ID:8oa/6YZj嫡男の信長や謙信の養子の内唯一の血縁であり、上田長尾家の支持がある景勝から比べれば、
諏訪家当主として武田家中に有力な支持基盤を持たない勝頼はやはり不利では?
武田家中には義信事件のシコリもまだあるだろうし、
半ば部外者の勝頼が当主になることに抵抗感を感じる一門は少なくないだろう。
0085中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/23(火) 01:39:25ID:o5tnXTUW北畠→信雄による粛正
神戸→信孝による乗っ取り
長野→信包の擁立
に見られるように敵対勢力の切り崩しに会い
武田→勝長による家督継承→勝頼・信勝粛正
0086中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/23(火) 01:42:51ID:o5tnXTUW勝頼は家督継いでるよ。信勝の後見人ではない。しかし継ぐべくして継いだわけじゃないから
家督者としての権威は信長なんかと比べて脆弱だったろうことは想像に難くない
0087名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 01:50:48ID:8oa/6YZjん?勝頼が正式に家督を継いだことは認識してるつもりだが?
しかし義信事件から信玄死去まで5年あるんだから、まあ事件のほとぼりがさめるのを多少待つにしても
どこかで勝頼に家督を譲って自分が睨みを利かせられるうちに次代への移行準備をしておくべきだったな。
庶子からいきなり当主になってもそりゃ家臣団がいうこと聞くはずがないわ。
0088名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 02:02:21ID:0ZnUn4my詳しいとと思うのでちと聞きたいんだけどさ。
信長は信玄を刺激しないように武田に外交戦略してるでしょ?
勝頼との縁組とか信忠に信玄娘おまつを迎えたいとか。
勝頼次第(当主)で信長との関係改善出来たんじゃない?無理だったのかな?
0089名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 08:05:17ID:KB7xB84uこれが信玄死後陣代でしかなかった、という創作の元ネタだと思われる
そもそも勝頼が家臣団に信頼されてなかった云々自体の根拠が例によって軍鑑しかないから、この一連の話自体が信用できるかって話でまず疑問
武田は家臣団が気に食わなければ当主追放すらできる国人連合主体の組織。本当に総スカンくらってたのなら運営自体ができないだろう
おそらく、信玄神格化したい小幡らがその失態を誰かに押し付けたい。だけど信玄以来の家臣団にそれをやると信玄自体が貶められるとかいう姑息な発想があったと思われる
0090名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 11:17:02ID:c6JnCMCK軍鑑以前に天目山で明らかじゃん
0091名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 11:29:36ID:3Jz3YzoL「宿老の反対にもかかわらず信玄の遺言を無視した」とか「重臣達の意見を押し切って長篠で突撃命じた」とかは、明らかにそれ以前のこと
だいたい信玄の遺言からして、「明日は瀬田の橋に武田の旗を立てよ」みたいな戦争継続を言い残すものまであるし
ま、どっちも捏造臭さは一緒だね
0092名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 11:29:43ID:1AidF9Um天目山なんてほんと最後の事もってきても仕方ないだろ・・・
それ以前から裏切りが相次いでいたのは勝頼の失策からだろう。
信玄時代から仕える家臣達の意見も聞き入れず、ひたすら戦い続けたツケ。
本当にちゃんとした当主だったら、降伏する事を選ぶべきだったと思う。
0093名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 11:32:25ID:3Jz3YzoLせいぜい重臣間の勢力争いの結果でしょ
0094名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 11:34:06ID:3Jz3YzoL降伏したくてもできない
信玄が徳川と織田相手に盟約破りの騙まし討ちかましてるから
信長は信玄のために謙信に信濃出兵を止めてもらったりと奔走してるのに裏切られた
穏当に降伏させてくれると思うほうがどうかしている
0095名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 11:40:18ID:1AidF9Um穏当に降伏だなんて言ってない。勝頼切腹、所領も召し上げで違う国とかの条件になっても当主なら武田家を残す事を考えるべきだったと思ってる。
0096名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 11:44:14ID:3Jz3YzoL武田家存続だけが問題なら、脱出させた弟達が上杉家家臣あるいは旗本として残ってるじゃないか
0097名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 12:51:39ID:XZjVIQVh軍役は三百騎持ちで家中最大級
これを無能とかいうのなら、そんな家臣を残した信玄も問題ありということに
0098名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 18:39:49ID:7AKgcbSv>79氏の>勝頼の器量云々の問題というより生まれついての立場が悪かったわけだから、
これにつきるのですかね。戦わなければ、内乱がおき。戦って権力集権化目指すのは当然なのかもね。
批判されるかもしれませんが、
信玄も信長も勝頼にはでかすぎる人物でしたね。他家に出されて悲劇的なことはわかってますが。
0099名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 18:45:41ID:FTHyCPnO色眼鏡なしで皆さんの意見を聞いてみたい。
0100名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 20:01:02ID:jnu/UZQ30101名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 21:00:44ID:+6Zoz7bW何も言い様がない。
彼が親今川で信義に厚い性格をしており家臣からも慕われたとか
武将としても優秀だったとは聞いてるが
親父の影に隠れて人物像が細かく思い浮かべられない。
それは信長や家康の死んだ長男達についても同じ事が言える。
ただし義信が諏訪方を露骨に差別したり排除しなければ
勝頼の方から乱を起こしたとは考え難い。
0102名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 21:09:37ID:tIKoBptn元来の立場が違うし(むろん義信が勝頼を排除にかかれば別だが)。
信玄が生前から勝頼を後継者扱いしたのを義信が簒奪した形とかなら
可能性はあると思うけど。
0103名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 21:09:42ID:3YVgyMpV勝頼は冷静で優しい良将
0104名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 21:10:18ID:scGsyzay運営できてないから織田侵攻時にまともな決戦兵力動員できなかったんじゃないか?
そもそも小幡はじめ軍鑑編者は勝頼時代から一世代後の旧武田遺臣団なわけで
詳細部分の信憑性はともかくその編集方針自体はほぼ武田遺臣の心情を反映している
と見ていい。その説のように信玄神格化のあまり捏造してまで勝頼を貶めたい空気が
旧武田家臣団にあったとすれば勝頼と家臣団の軋轢は相当深刻だったということになるな。
0105名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 21:18:17ID:WoEjfpQMヘイヘ〜イ、オマイラ〜♪
♪ ∧_∧
(´・ω・) ))
(( ( つ ヽ ♪
〉 とノ )))
(__ノ^(_)
http://society4.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1145305314/
タノシソ〜ウダナ〜♪
∧_∧
(( (・ω・`)
♪ ノ ⊂ ) ))
((( ヽつ 〈 ♪
(_)~ヽ_,)
0106名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 21:19:43ID:z+0N8w+Tという考え方もおかしいわけだが
0107名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 21:40:43ID:F2uhqwzl柴辻俊六、平山優『武田勝頼のすべて』(新人物往来社、2007年)
0108中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/01/23(火) 21:42:02ID:BKZ6WOSG0109名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 21:44:57ID:krMnXJQm取り敢えず跡部勝資は忠臣だと思うよ。
0110名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 22:15:19ID:scGsyzayそうかね?
「編集方針に心情の反映が無い」なら軍鑑は公正そのものの記録という
ことになるが。
逆に「軍鑑編集に編者のバイアスがかかっている」とするならそれは編者の背景、
すなわち「武田遺臣団としての立場」しか有り得ないんだが。
もちろん個々の部分については山本勘助みたいに編者、もしくは編集過程で
貢献の大きかった人物の縁者を過剰に持ち上げるような種類の誇張はあるが
その辺は旧家臣団間でも妥協できる範囲だろう。
基本的に「甲州流軍学」なるものをぶち上げて旧武田系旗本の地位向上をはかる
意図がある書なわけだから武田遺臣団のコンセンサスと正面から対立するような
価値観は持ち込めない。江戸在住の武田系旗本の家には勝頼を直に見たことがあるような
隠居爺がまだ生きてる時代だからな。
>>109
跡部長坂やらの革新官僚系が叩かれる点もまた軍鑑が遺臣団の空気を反映してる
せいだろうな。武田家中としがらみの無い立場から書かれた書なら悪者にされることも
無かっただろうに。
0111名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 22:57:39ID:i6+q/2lZそれは彼ら奸臣なのは甲陽軍艦のデッチあげだが。
0112名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 01:42:56ID:H/qyTjnX0113名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 03:39:08ID:w02APmgDだから、遺臣 団 というのがおかしいといっているわけだが
011499
2007/01/24(水) 07:47:52ID:Jg9LEnIkレスありがd
個人的には義信が家督を継いでいたら勝頼も無理に背伸びしたり家臣に見栄をはる
必要もなくて心が屈折することもなかったんじゃないかと思ってるんだけどね。
仁科信盛みたいな心栄えの爽やかなイメージになったのではないかと。
お互いの相性が悪ければ>>100の言うように御館の乱みたいなったかもしれないし
>>101>>102の言うように義信が勝頼を排斥しようとする動きがなければ武田家中は
平和だったかもね。
>親父の影に隠れて人物像が細かく思い浮かべられない。
廃嫡されて死んでるから伝承も細かく残らなかったんだろうね。
武田自体が滅亡してるし。
あとは想像力で補って空想するしかないかな。
0115名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 08:17:38ID:XyVdjSkRこの軍学っていうのがいかにアテにならないかは、現代では全く意味を失っていることからもわかる
孫子なんかは時代が変わってもその原則は未だに説得力を持ってるのにね
江戸期の〜軍学はほぼ頭でっかちの創作
0116名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 18:48:50ID:OxBa9rwa0117名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 19:09:38ID:yt54WdSn揚げ句に廃嫡して死なせては家中が混乱するのも無理ないわな
0118名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 19:52:04ID:E9cv1oFS少なくとも駿河への侵攻は無いし、領土の拡張は早い段階で止まっただろうね。
もちろん家督を譲った瞬間に天下獲りを諦めるくらいの決意が無かったら
家督なんか譲れなかっただろうけど。
大御所とか言って父親が実権を握ってるんだったら何も変わらず無意味だしね。
0119名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 20:00:21ID:kAjfpwjc0120九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU
2007/01/24(水) 20:14:56ID:Wlt/5Lkb勝頼→信勝にしてもそう。信虎・信玄ら父祖の官位移行と隠居の関係を慣例的に追うと
信勝の元服に合わせ勝頼は家督を譲っていたと推測できるそうだ
つまり天正十年にはすでに信勝が武田家督者に擬せられると、この隠居の動機を
推測することができる。すなわち織田の血縁者たる信勝を表に立たせることによって
勝頼は織田との講和を画策してた可能性が高い。
つまり当初から徹底抗戦の構えだったわけではなくて、勝頼は滅亡の寸前まで対織田外交において
武田存続の道を模索したが結果的にその方法も潰え、最期は八方塞がりで滅んだと
見ることが出来るかもしんない
0121名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 22:21:53ID:XsGM4pu10122名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 23:34:13ID:1+MJqc2Mもし後見人の義元が健在だったならば、義信家督の目があったろう。
それでも信玄が家督を勝頼に、といえば、今川・武田の争いにもなりかねない。
信玄もそれは避けると思う。
勝頼の失敗はやはり外交だな。
上杉・北条とは同盟、少なくとも友好関係を保つべきだったと思う。
織田・徳川とは過去の経緯もあり、難しいだろうが、関係修復の努力はすべきだったな。
これは俺の推理だが、信長は東には余り関心がなかったのではないか?
征夷大将軍にでもなるというなら関東を実質支配する必要があるが。その気もないし。
むしろ西国方面へ進出し、海外雄飛。拠点も北部九州辺りに移す。
これが信長の構想なのでは。
すると勝頼には交渉のチャンスはあったのではないかな。
0123名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 23:48:59ID:CzS0pOWF上杉北条とは御館の乱がある以上どっちかにつくしかないと思うが。
景虎側についてたらついてたで北条の勢力がさらに大きくなって寿命縮まる気もするし。
0124名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/24(水) 23:52:00ID:5tsSYWCY近年の研究でわかったらしいけど、実際、どんな点ですぐれていたんだろうね
川中島の時のミスは事実だそうだし
0125名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 01:25:49ID:HtOZdNSwは?川中島のミスってなに?
0126名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 01:52:49ID:skz15eLI織田との従属的同盟を決意して隠居するまでは
信玄風の花押を使用していた
0127名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 02:05:08ID:K6SS4jN1上杉方の策に誘き出された話だろ
0128名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 02:10:01ID:mtLb0YFn武田にとっては迷惑この上無い話
0129名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 04:16:35ID:iF8s/P690130名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 11:53:26ID:Nie8Imvd0131名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 17:15:27ID:GZKWXFF7この2つしか選択肢がないのなら
勝頼はどちらかというとベターなほうを選んだと思う
「どちらも選ばない」「両者の仲裁役になる」「両方捨てて織田・徳川につく」
という選択肢は当時は考えられないだろうし
何を選んでも結局全部ダメだと思う
0132名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 19:03:38ID:gZ7JP9Ak0133名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 19:26:19ID:HtOZdNSwそれ講談。
0134名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 19:58:37ID:K6SS4jN1>>124がいうところの「川中島の時のミス」といったらこれ位しかないだろ。
講談か史実かは問題ではない。
0135名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 20:14:52ID:/wqFlK5d国力の限界じゃないか
甲斐、信濃じゃ厳しいわな、現在でも交通の便が激悪なんだし
三河遠江とは比べ物にならん
0136名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 20:27:27ID:wOHaI3r/0137名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/26(金) 07:21:18ID:rt8w2Cyo0138名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/26(金) 12:27:26ID:rlyQjdVo突っ込んで
突っ込んで
突っ込んで
突っ込んで
中に出したいヨ〜ォォ
0139名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 18:36:45ID:XkYOBhFC確かに高天神城は落とした。だが高天神城攻略を始め多数の軍事行動の結果、武田領の民衆の生活の質は下がってしまった。
戦を重ね、国の疲弊を招き、先代からの重臣の意見も無視し、結局は一門の武将にまで次々と裏切られ滅んでいったんだぞ?
良将ではないと思う。愚将ではないにしても、せいぜいが凡将っていったところだと思う。
0140名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 20:27:05ID:9ab3x5aD信玄がはじめた戦の続きをやって破綻するタイミングにぶち当たってしまったわけだから
だいたい重臣の意見無視自体何度も否定されてるでしょ
もし本当に重臣の意向を無視していたのなら、信虎みたく追放喰らってるよ
0141名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 20:33:30ID:REV//wbF合戦が増えて国が疲弊したのは勝頼のせいというよりも先代の信玄の責任のほうが大きいし
信玄があと10年生きたとしても勝頼と同じ事になってたかもっと酷い事になってたはずだよ
それで現代「信玄は凡将」という扱いになってる
0142名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 01:02:53ID:0879K7Un信玄時代の産出量が維持できたら国の疲弊は
もうすこし防げたはず。
勝頼の評価は難しいが武将として一流でも大名としては二流だと思う。
本来は源頼朝タイプの人間が求められたのに、源義経タイプに近かっただけだと思う。
0143名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 07:41:15ID:c8b7Tbbw信玄が始めた戦いの続きって言うけど
遺言の 三年喪に服せ=国力回復に努めろって事だろ?
その遺言も理解できなかったなんて信玄じゃなくてもガッカリだぜwww
かってにやった長篠で大ポカやらかしたら言い訳出来ないってのwwww
信玄=日清・日露=世界への雄飛と台頭
勝頼=太平洋=ただのイケイケドンドン
もう勝頼信者の心の拠り所は金山枯渇説だけかwwwww
少なくとも信玄があと10年生きていたら
あの「長篠」はなかったとおもうよ?
0144名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 08:59:21ID:tYsHn+7X勝頼が当主を引き継いだ後で戦に戦を重ねて、その結果国が疲弊したのは事実だろ?
長篠でも、恥を忍んで戦闘前に撤退するか、織田軍本隊が来る前に総攻撃で長篠城落とすか、せめて劣勢になった時点で撤退を決意するのがまともな将じゃないのか?
大名としては三流もいいところ、武将としても二流だろうと思う。
信玄が存命してたら、少なくとも長篠では劣勢になった時点で撤退したと思う。
0145名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 10:46:48ID:MYbTXhfE三年どころか2ヶ月後には徳川軍が反撃を開始して長篠一帯が奪回されている
だいたい信玄の遺言とされるものには「明日には瀬田の橋に武田の旗を立てよ」という戦争継続を訴えたものも伝わっている
病身にもかかわらず戦争に固執し、領国疲弊も省みなかった(信玄政権後期に特別税がずらずら新説されている)信玄の本当の遺言がどっちだったかは明白でしょ
もし、信玄が本当に劣勢になったりしたら速やかに退けるほど諦めが良い武将なら、自分の晩年に無理を重ねたりしないよ
0146名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 10:47:59ID:VHBTceAb仮に長篠で攻めなかったとしても第二次世界大戦のアメリカとイタリアぐらいの戦力差(まだ朝倉が潰されてない頃の織田ならアメリカと日本ぐらい)がある
長篠で織田信長を殺すしか武田が勝つ道は無かった そのまま続けててもジリ貧でそのうち負けたさ
0147名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 10:52:35ID:zrCPwteq0148名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 10:56:30ID:PA9NyK/U0149名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 10:57:25ID:VHBTceAbハァ?
0150名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 11:59:07ID:4dUyajGI戦争が終わる前にさっさと降伏したからだとよww
0151名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 12:11:13ID:tYsHn+7X0152名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 12:44:17ID:zrCPwteq0153名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 12:46:15ID:Ts6J6d4n0154名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 13:19:42ID:h4V/Kk6y寝返るというか条件不利でも和睦するしかないだろう。
長篠で大敗、その後、外交戦略(まず北条との婚姻)に切り替えたんだからさ。
そしてお舘の乱、北条から攻められるという結果。
全て勝頼の器量が疑われたから、まず長篠が起こり、内部崩壊が起こったんでは?
信玄の甲州法度の次第の支配体制、勝頼にはその力はなかったんじゃないかな。
0155名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 13:29:14ID:c8b7Tbbw>2ヶ月後には徳川軍が反撃を開始して長篠一帯が奪回されている
上洛目的が通説なわけだがその点を考えると足利将軍から催促されて
兵を挙げざるを得ない状況だし(実際渋っての挙兵)
武田軍の目的が征服目的じゃなかったからじゃないの?
領土拡大目的だったら信玄が死んでもせっかく獲ったんだから
そこに留まるはず。
徳川軍が奪回したと言うよりはそこに執着する気が無く放棄したからだと
>特別税がずらずら新説
甲州枡などで減税を図っているので必ずしも
税を増やしている事にはならないと思うよ?
所得税を取らない代わりに地方税を取るみたいな感じで
0156名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 16:01:07ID:BoDiN/rG放棄説はありえないでしょ。長篠には武田信豊指揮の援軍を送ったけど奥平氏の寝返りなどで阻止しえなかったのが史実
あと甲州桝で軽くなったのは本年貢だけじゃないの?棟別銭五百文に増額とか、そういう特別税の加増分との収支があう可能性は低いんじゃ?
0157名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 16:37:39ID:UIqBhCSh織田家でいい地位をつかむのが一番だったな。
そしたら上杉が滅んで武田は大大名になってたかもな。
0158名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 17:10:55ID:xrs585Qj一門や重臣連中が承伏しないっしょ。
ただでさえ庶出の快く思ってないんだからさ。
勝頼が織田に従うなんて言い出したところでほとんどついていかないと思う。
結果的に能登畠山みたいに当主追放幼君擁立で国人連合政権になるかも。
0159名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 18:42:02ID:JWNMhTWWそんなこと言ってたらルーマニアやハンガリーもドイツに宣戦布告してるが。
0160名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 22:17:09ID:0879K7Unそれを承服させるのが政治力だと思うんだよね。
力ずくでもだよ(謀殺だろうが騙まし討ちだろうが、どんな手を使ってもね)
勝頼には政治力は無かった。
0161名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 22:21:05ID:ZwUVUHdwそれを言ったらただの「甲斐国人議会の議長」でしかない信玄のほうが
そういう力がなかったわけだが
0162名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 22:47:24ID:0x2es/5p差宛、そいつはどうかな。
家臣にしてみれば自分の領地さえ認めてもらえれば国主は誰だってよかったはず。
一部の重臣は反発するだろうが、大多数の国人領主にとっては国主が誰であろうと問題はないはず。
0163名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 00:50:35ID:S4ZS1YQXそんな事を言ったら関東の豪族連合の代表者である源頼朝だって
「そういう力はなかった」という事になる。
後のジンギスカンになるテムジンだって最初は権威など無かったし
秦の始皇帝だって、元人質で秦の血筋を引いてないという噂が立ってて馬鹿にされ軽蔑もされてた
最たる者は豊臣秀吉でしょう、考えうる限り最も血筋も家柄も悪く
デシャバリで下品で嫌われてもいたが、ありとあらゆる政治工作で
自分の権威を作り上げてしまった。
徳川家康ですら、元々の家柄は石川や酒井と、さほど格に違いが無かった。
0164名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 00:54:14ID:JoP4X3QNたしかに国人領主からしてみればそうだ。
しかし信玄死去のすぐ後の状況では織田に降るよりも武田家を傀儡化したほうが
彼らにとっては自己の権益をより確保出来るのではないかな?
織田と臣従に近い形で和睦しても縮小は有りうるが領地が増える可能性は少ない。
0165名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 01:21:52ID:uSIcJ3ym自分のキチガイ発言があっけなく否定されたからと言って
そこまでムキにならんでもw
0166名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 03:05:26ID:1A16QREL0167名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 08:29:39ID:S4ZS1YQX勝頼は信玄より劣っていただろう。
信玄は父親を追放した後の権力掌握までの道程は実に見事だ。
0168名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 12:49:00ID:usEZgM36信長の動きは信玄最後の遠征の時には鈍くて、三千程度の援軍を動かしたのがやっと
勝頼政権初期の美濃攻撃でも、後詰ができず明智城を見捨てる形になっている
だから信長は及び腰、だと思い込んで強気になっても不思議じゃない。情報伝達が制限された当時のことだし
結局のところ、たまたま武田の攻勢時期が信長が他で忙しいタイミングでぶち当たった幸運に過ぎないと長篠で破滅するまで気付けなかった
0169。
2007/01/29(月) 16:03:35ID:HNpn7Y2r決戦前の書状では強気な発言しているが本心はどうだったんだろうね。オレが家臣なら「信長家康が雁首揃えて出てきた今叩かないとやばくね?」と進言したと思う。
0170名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 16:27:14ID:vo+6Tj6h政治目的である我が儘を力ずくで押し付ける=武力による実力行使
最後の手段を取らなかった≠政治力がない
>>160の理論だと、意見の相違を武力で制する→政治力がある
結論ありきの暴論
馬鹿は死ねばいいのに
0171名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 17:36:13ID:i0TkQm+5信玄の時代はほとんどワンマンだったから
信玄なしには何もできない動けない組織体質になってしまったんだと思う。
強力なカリスマ、求心力が消え去った組織でよく見られる事象だよ。
長篠の合戦は信玄時代の重臣の意向が強く何も出来なかったが
それ以降はむしろ勝頼の政治が実現できたはず、しかし信玄がカリスマ
だった反動で家臣の求心力が想像以上に弱まった。
0172名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 17:47:08ID:mq9mtyaT信玄から引き継いだ状況故のものもあったろうが、並以上の将だったらもうちょっとマシな結末だったろ。
結論「よくても凡将」
0173名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 17:58:51ID:S4ZS1YQX謀殺や騙し討ちまで武力だと言い張る ID:vo+6Tj6hは知的障害者
ID:vo+6Tj6hは死ねば良いのに
0174名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 18:22:39ID:WSpsMfz20175名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 18:58:21ID:uhVJaNNi武力で天下を統一した秀吉さんも家康さんも
結論ありきの暴論を振りかざしたと言うことなんですね?
0176名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 07:36:33ID:vSPB0r0z必敗の軍は状況が不利なので戦ってから勝利を得ようとする。
秀吉や家康や信長の天下人の行動はそうだったな。
まあ、信長は桶狭間のような例外もあるけどね。
勝頼は政治的・戦略的な状況的不利を
しかも戦術的に不利な長篠で勝って跳ね返そうしたんだから
とんだアホとしかいいようがない。
堅固な野戦築城に篭る三倍の軍に突撃してどうすんだ?
武田と言えば孫子を兵法書としたので有名だが、
勝頼は孫子を読んでなかったんだな。
0177名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 07:41:13ID:vSPB0r0z勝頼は本当に織田徳川連合軍の状況を知ってたのか?
凄く怪しい。行き当たりばったりで突撃してたように見える。
0178名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 07:42:11ID:vSPB0r0z0179名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 07:47:56ID:vSPB0r0z勝頼は味方の状況もわかってなかったな。
長期の対陣と長篠城攻めがうまくいかず損害を出し士気を阻喪している
軍勢を率いている事を理解してなかったな。
0180名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 08:01:07ID:+ofapNwT孫子を読む人間は沢山いるが、体得しえたのはほんの一握りってことだ
つまり織田軍は弱い、オレ達は強いという先入観に武田家全体が囚われていたってことだ
厄介なのはそれまでの戦績を並べれば、これは決して思い込みとは言い難い面があること
だから勝頼も歴戦の重臣達も信長の罠にまんまと嵌ったわけだな
0181名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 08:16:52ID:4W8q/dkn0182名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 12:25:11ID:c97akHIv信長だって政治的戦略的に不利な状況で戦術的勝利で一発逆転とかやってますよ。
勝頼との違いは、成功したか失敗したか。
ちなみに家康には、政治的にも戦略的にも不利な状況で二倍以上の敵につっこんで
さらに戦術的にも完敗という素敵な戦績があります(三方ヶ原)。
信長や家康だけを特別扱いして勝頼は責め立てる理由はなんですか?
0183名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 12:26:08ID:Xi27ciqR万一、彼の生まれた時代に信長の勢力が小さかった(尾張の半分)としても
家臣団すらまとめられない程度では、いずれ大事な場面で
部下に裏切られたり大作戦に支障をきたすのは目に見えてた。
0184名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 12:28:35ID:OQ2ebVSx世の中結果論が罷り通っているから
実は愚将ではない、というレスも多いが世間的には少数派だろう
ドラマや小説で流布したイメージは拭い難い
しかも勝頼を酷くかいた創作は江戸初期の軍鑑からだから根っこが深い
0185名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 14:02:24ID:M4zwLjL9家臣さえ全員まとまってれば誰が跡継ぎだろうが滅亡はなかったのに
0186名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 14:44:23ID:TMq7wbmD0187名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 15:52:29ID:VQsqOKii戦国大名として統制力を強めるには国人他の権益を取り上げることになるが
それに釣り合う何かを与えられなければ統制は崩壊する。
だから軍事行動で豊かな領地を切り取って配下に分配できる資源を増やすのは
戦国大名として生き残るためには必須の行動となる。
信虎が統制を強めつつ豊かだが強力な勢力の押さえる地域への
南下に拘って新領を獲得できなかったが故に追放の憂き目を見たのもそのため。
晴信が南下をあきらめて生産性は低いが小勢力割拠状態故に取りやすい北上に
方針を切り替えることでなんとか統制力を取り戻せたのもそのため。
勝頼時代には周辺はほぼ強大な勢力の支配下に入っており、新領の獲得は容易では
なかった。だがより厳しくなる情勢下では一層の統制力強化は欠かせない。
となれば国人から見れば一方的に抑圧するだけの主に見えても仕方がない。
思うに勝頼が本当の凡将で何の危機感も抱かず何もしない男だったなら
かえって国人層の好意を得られて軍鑑にも良く記述されたかも知れない。
上杉北条徳川に大きく領土を削られることになっても一応独立大名の形式を
維持して織田政権の臣下に納まることも可能だったかも知れない。
どっちかと言えば能力と気力があったが故にかえって危地に飛び込んだという感じだな。
武田に生存機会があったとすれば・・・・晴信時代に上野、北信濃などほっといて美濃奪取
に全力をかけるべきだったな。まあ、信虎の失敗の教訓が効いて一番弱いところから攻める
というのが基本方針になってたんだろうが。
0188名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 17:40:37ID:Xfoa0gtN0189名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 19:15:44ID:g0Iw2y4P信長は生涯の通産で見ると負け戦のほうが多いのに勝ち戦のほうが有名
ナポレオンは勝ち戦のほうが多いのに負け戦が有名
やっぱりイメージの問題だろうな
0190名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 19:19:55ID:vSPB0r0z桶狭間はある程度は勝算があったんたが、
義元の位置を通報してきた奴もいるし。
そこに突撃するのは悪くはない。
勝頼みたいに野戦築城に三倍の敵がまとまってるのに
突撃するバカとは違います。
三方ヶ原はとにかく戦わないと旧今川家臣が離反しそうなのでしかたなかった。
0191名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 19:32:03ID:g0Iw2y4P「勝算があった」どころか負けるはずのない戦だったわけだが
0192名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 19:37:00ID:Xfoa0gtN信長が城を攻めきれなかった場合には負けにカウントして、某軍神様が攻めきれなかった場合は数えてなかったり(小田原とか小田原とか小田原とか)金も男も女も掘りまくった某甲斐の虎とかさあ・・・
勝頼は将としては良だが、君主としては凡って感じだなあ。
誰かのもとで猛将と呼ばれてた方が本人としてはよかったんじゃね?
まあ俺の想像だけどもね。
てなると義信・・ってなるけどね。
0193名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 20:05:04ID:g0Iw2y4P0194名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 20:22:02ID:aOn05yAK>南下に拘って新領を獲得できなかったが
娘を今川に嫁がせたのに南下に拘ってたの?
武田家は信虎以前からも後北条や今川に度々領内まで攻め込まれてるのを
なんとか撃退しているのでむしろ奴等とは向き合いたくないと考えたはず
その頃の情勢に比べたら長篠前の勝頼はまだ恵まれている方だと思うよ
>上野、北信濃などほっといて美濃奪取
上野は兎も角、北信濃は抑えて信濃全統治はしておかないと
内外的にも格好が付かないだろう。
甲斐・南信濃でかき集めたなけなしの国力から美濃奪取となると
成功しても地勢的に敵を増やしとことんジリ貧だ
と、そんな事よりあくまで「長篠」以外には
勝頼の評価基準はないと思うよ、同じIfでも
長篠で勝って領土を拡充していたら?という仮想戦記よりも
長篠に行かず国力回復に努めていたら?と思う方がずっと現実的な話。
まあ行った時点で勝頼の程度が分かるわけだが。
>勝頼が本当の凡将で何の危機感も抱かず何もしない男だったなら
>かえって国人層の好意を得られて軍鑑にも良く記述されたかも知れない
寧ろ武田家マンセー俺TUEEEEEしていたのが家中に勝頼だけだった
と考えると勝頼が本当の凡将で何の危機感も抱かず
いたずらに長篠へ赴いて惨敗した挙句その後も
無駄に新府城建設などと言う浪費と一門重臣を信用しない行為によって
見限られ哀れな末路を遂げたのも頷けると言うもの
何もしない傀儡君主だったなら
かえって国人層の好意を得られて軍鑑にも良く記述されたかも知れない。
0195名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 20:46:23ID:I7nZWXCxどの道、俺達は愚将に無理やりつき合わされただけです
徳川様が来てくれて助かりました
って事にするだろ。
0196名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 20:47:58ID:M4zwLjL9戦って勝つのは凡作
0197名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 21:30:43ID:QWD1liyC新府城建設が浪費?
0198名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 21:37:06ID:egTyszhv0199名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 21:39:27ID:ukU/9pOP0200名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 22:24:30ID:4W8q/dkn引き込もってたら更に国力差が広がる
回復が見込める国力>織田の拡大なんか?
武田の国力がX回復したところで織田がX+α拡大したら更に状況が悪化するだろ
結果論で本能寺待ってればよかったってか?
包囲網が生きてる内に単独首位をなんとかしなかった親父のせい
当たれば粉砕、待てば我彼の差が広がる
あんなん詰みだろ
0201名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 22:57:37ID:Bi1LHvOC乾坤一擲で長篠城を落としていればあれだけの消耗はなかたったんだろうね
いずれにしろ詰んでるままだろうが
0202名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 23:39:43ID:zqxvVogM新府城は浪費以外の何物でもない
財政が厳しいのに概観に派手な金具をたくさんつけてて
焼け落ちた時には近隣の農民がパクリに来たらしい
0203名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/31(水) 01:35:40ID:Cr1SMCyd75年時点で織田と武田の差は圧倒的だしな。
どっちにしろ織田がそろそろ滅ぼし時だと思ったら滅ぼされる運命だし。
0204名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/31(水) 02:12:00ID:+MtGAPuz自軍より少ない上杉軍から壊滅的なダメージを食らってるしな
キツツキ戦法なんて失策以外の何物でもないだろ
0205名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/31(水) 16:31:05ID:4NrvZQsQ国力では織田が圧倒的に有利かもしれんが、兵の強さ戦感では武田が上。
0206名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/31(水) 17:05:39ID:LLS1ftYx0207名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/31(水) 17:35:21ID:1fYvGed70208名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/31(水) 19:08:59ID:fM96vHtkそれに究極生物三河武士が居るし。
0209名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/31(水) 20:24:31ID:4NrvZQsQやっぱ勝頼様は素敵だ。
0210名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/31(水) 21:12:29ID:TFgGE13Aそれを勝頼の馬鹿が景勝に味方して北条敵にまわしたら滅びるのも当然だよ。
信玄ならたぶん北条との同盟を優先して影虎の方に味方しただろうに
0211名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/31(水) 22:54:34ID:7tlXvtMb0212名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/31(水) 23:14:02ID:rI37kdEi0213名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/31(水) 23:25:12ID:k6xY2lyC無双の勝頼はアホだけどお茶目でかわいいな。
0214名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 00:50:49ID:v6yVzU8Bこの扱いの差は泣いて良いだろう。
0215名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 09:19:59ID:aOUYsCmY武田家臣団の脆さについてやるな
信玄が本当に掌握できたのは最晩年になってからだという
勝頼なんて生まれながらにして宿命付けられたかのような忌児であり
竹だけとしての評価ならともかく
本人の評価が不当に低いのは残念だ
0216名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 17:40:10ID:3nTvZAbn信玄がやっと纏め上げ、
築き上げたものを引き継ぐ能力がなかった勝頼は
ある意味可哀想、無能に生んだ信玄こそお家崩壊の元凶!
0217名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 23:39:38ID:UKEeK/8j0218名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 01:14:55ID:qJSFXbtCその功績は信玄よりも真田幸隆のよるものが多い
0219名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 19:25:58ID:b1OZw7nc0220光流義 ◆IpSLd1HMDY
2007/02/04(日) 08:26:27ID:NgEhGa7Mそりゃそうでしょうに
商人を登用しての財政改革を行い、それによって得た財源で鉄砲を意識的に購入。
さらに新規の人材登用にも活発で、実力主義の新しい武田家の編制を着々と推し進める
など、軍才だけでなく、政治面においても優れた手腕を発揮した非凡の人物であったと思います。
0221名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/06(火) 23:08:16ID:Mw8zSqEd「竹だけ」ってのも奇妙な変換ミスだな
0222名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/06(火) 23:17:04ID:JeEQ1sHm0223名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/07(水) 13:31:18ID:BJ3cxHAOきっと最悪な奴がいい奴なんだって。
これマジ。
全部逆転。
0224名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/07(水) 19:55:55ID:tlqMACj1http://anime2.2ch.net/test/read.cgi/ymag/1170809140/
0225名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 06:36:46ID:ZpuZkCy/武田の頭領じゃないし。
武田の家督継いでないし。
先に諏訪の家督継いじゃったし。
家督は信玄の孫が継いで勝頼は後見人。
それで歴戦の山男達の君主たれ、家臣もまとめれない無能つーのはないわな
0226名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 07:15:50ID:xI3sjT0Kほとんど否定されてるような俗説を誇らしげに語るなよ。
0227名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 07:59:46ID:ePoBZI90更に諌言する重臣を長篠で皆殺し、穴埋めに新規人材を太鼓持ちで堅め
小山田・穴山・木曽などの実力主義の一門衆すら着々と切り離す
など、軍才だけすらも無く、政治面においてもグダグダな手腕を発揮した
ある意味w非凡な人物であったと思います。
0228名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 08:29:40ID:D7OJLRb90229名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 15:46:16ID:g+yV71zO0230名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 17:10:03ID:pBXnbg9z妹の菊姫に送った書状が米沢に何通か残されてるんだが内容を見ると本当に妹おもいのいい兄貴だよ。
景勝にも妹を頼むといった内容の書状を送ってるし。
人間的にはいい人だったと思う。
ただ他人から見て勘違いされやすい人だった様な気ガス。
0231名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 17:26:24ID:eXCcw71Cそれで武田家は北條家の下風に立つわけだなw
織田家と徳川家みたいな関係かw
0232名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 17:58:17ID:NRVPOuG80233名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 18:08:47ID:CbSdWfxhたとえ敗れても秀吉や家康なら助命したと思う
0234名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 18:47:46ID:hK5RYrgD0235名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 21:25:37ID:dyWEpvuyそんなに断定は出来ないよ
再起不能と見れば討ち取るまで油断はならないわけじゃないし
滝川や川尻に任せとけばいいんだから
しばらくの間うまく潜伏できれば同じ状況になった可能性は高いだろ?
0236名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 22:03:02ID:jpNFRA30あんたの方がよっぽど安易だよ・・・・
少なくとも信長と信忠が童子に討たれることはない。
0237名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/09(金) 22:11:47ID:jpNFRA30で、病死なら歴史のタイムスケジュールが変わっても特定人物の死亡時期は変わらないだろうが、
人災や事故や天災だと歴史が変われば同じ時期に起こる可能性の方が低い。
まあ「本能寺が起こって信長が死ぬかもしれない」くらいならいいんだけどな。
あくまでそれは仮定の話しだ。
しかし信長は武田滅亡に執念燃やしてるし、中途半端なとこで部下にまかせて京都の方に行くとはとても思えん。
なにがなんでも自分で指揮をとって武田滅亡を見届けるのではないかな。
ましてや武田討伐軍の大将で武田滅亡後に家督を譲られて京都にきた信忠が
フラフラと京都までいって本能寺でやられるとはとても思えん、
0238名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 02:06:21ID:pGaqdAHP勝頼が最初にとったのは「どちらも選ばない」「両者の仲裁役になる」だったけどね
結果一時的に休戦状態になったけど、結局決裂
0239名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 03:30:24ID:xo1xcbuh仲裁とか説得力が有島一郎、、、、、
0240名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 04:08:10ID:xo1xcbuh北条の相手なんて上杉にやらしとけばいいのに
だってもうわかんないんだもん状態か
0241名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 05:54:02ID:kBbgl6U6それで北条家の風下について武田家と北条家・上杉家で数多くの政略結婚をして結びつきを強くし
織田・徳川と退治する事になれば北条家の援軍、上杉家により牽制が期待できるし
最悪の場合でも小田原城に逃げ込んで再起を図るという手もなくはなかった。
その時点で北条家と伊達家が親戚関係になりがっちり手を結べば
織田・徳川は易々と関東制圧もできないし。
0242名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 06:27:51ID:TFRM4kvr武田家臣団の内部崩壊の始まりです
0243名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 07:54:42ID:OnKZDdjh0245名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 13:40:55ID:qi+esVfa越後一国まるごと乗っ取れるという絶好の機会にさえ、
身内の景虎にすら満足な援軍送ってないんだぞ……。
そんな状態で、他の大名にどれだけのことをできるっていうんだよ。
0246名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 14:34:36ID:IbYZOPFZ武田家の安泰を信長にとりなして貰うってのはどうよ?
助命と甲斐一国はなんとか安堵してもらえそう。
北条も上杉も頼りにならないなら、いっそ敵の懐に飛び込めってことで。
0247名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 16:43:02ID:d6i3DPBa長篠城落とせなくてその間に織田の援軍が到着してしまった。優秀なんだったら、その時点で撤退して兵を温存しとくべきだったと思う。
実際には挑発に乗り、織田徳川連合軍が待ち構える長篠へと向かってしまった。
その結果、数多くの重臣や兵を失った。あの敗北が武田の滅亡を5年は速めたと思う。
0248名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 16:52:54ID:mefk8OP4本当に優秀なら徳川への盟約破りの不意打ちから始まる父信玄の路線を全否定し、織田との修交に務めたはずだ
もっともその場合信玄路線を支持する重臣達との軋轢は避けられないがな
0249名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 17:02:43ID:2gC/docd勝頼は戦馬鹿でイケイケドンドンしただけ
その結果が長篠
0250名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 17:05:37ID:mefk8OP4畿内方面の反織田勢力は軒並み覆滅されてるし
使いようが無いべ
戦術レベルでは高天神城を落とす際に敵将の小笠原与八郎を破格の所領で寝返らせたりしてるから、必ずしも戦馬鹿というわけではない
状況が信玄死後の前後から劇的に悪化している以上、当主が誰だろうと敵対路線続行は自殺行為
0251名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 17:14:16ID:xo1xcbuhその間に東上野の雑魚相手に勝った勝ったと馬鹿騒ぎ
そんな『陣代』が、他の家臣にどれだけのことをしてやれるっていうんだよ。
0252名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 17:21:56ID:bvE+BSlK地の利と運が悪かっただけ
0253名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 17:24:00ID:mefk8OP4それは悪質な俗説
天正六年に自身が高天神城を救援して横須賀城(徳川方付城)を攻撃して入城するなど、攻防は数年続いている
その結果だから
0254名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 17:54:33ID:xo1xcbuh天正8年9月の東上野出兵は?
天正9年3月に高天神は落城しちゃうわけだけど
なのに課役だけが鰻のぼり
そりゃ国人衆もやる気なくなるわな
0255名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 18:22:03ID:OnKZDdjhまあ、その時歴史が〜の上、記憶が曖昧なんだが。
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2007/02/10(土) 20:09:35ID:o9Jql+Ed謙信配下に越後に出兵するから謀反してと唆して→見捨てる
越中の諸勢力一向宗に支援するから謙信と戦って→放置
関東諸大名に北条と戦うからお前等も戦って→放置
浅井朝倉畿内諸勢力に今度岐阜攻撃するからお前等も戦えと言って→見捨てる
北美濃東美濃諸勢力に信長と戦うために東美濃に出兵するから寝返ってと言って→放置
勝頼が調略外交しようにも、信玄の時と違い多くの勢力が滅んでいて交渉相手もいないし、
信玄の行動で武田に対する信頼も減っているから、調略外交の手段が無かったのかも。
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2007/02/10(土) 20:25:25ID:8nR5YD0/0258名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 20:47:51ID:CpCIBi/1家康秀吉よりは上かも知れんが、出自が卑しいからコンプレックスかな。
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2007/02/10(土) 20:49:42ID:ePbZSSon家康と似たようなもんだろ。
0260名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 20:54:46ID:/34iYEXP家康・・・名家を家臣にするのが快感
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2007/02/10(土) 20:56:27ID:ePbZSSon秀吉・・・名家の姫や奥方を妾にしたり強姦するのが快感
を忘れてる。
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2007/02/10(土) 21:01:01ID:CpCIBi/10263名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 21:24:50ID:G6IV5kxjつか勝っていけば、潰すか臣従させるしか無いじゃんw
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2007/02/11(日) 12:49:03ID:jV1PyJ86長野はともかく北畠はこっそり信玄と通じるなど違背を続けたから仕方ないんじゃね?
武田の場合は過去レスで出てるけど、一番辛い時に信玄包囲網を解く外交で奔走した恩を忘れて敵対してきた報復だろう
0265名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 13:24:18ID:l+ZWlo6A秀吉政権化の時に菊姫が人質として京都に出向いてるやん。
既に上杉景勝室になっちまってるけど。
女に見境の無い秀吉だから本当に欲しければ無理矢理にでも手に入れ様としたでしょ。
お市の方に対する執念とも思える想いからもさ。
景勝・兼続主従もその辺りを心得ていたのか菊姫の世話役(というよりもボディガードっぽい)として兼続の妻お船の方を同行させてるところが賢い。
0266名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 14:49:31ID:EeVfTC+10267名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 16:44:58ID:BtbsglRz0268名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 17:14:30ID:CrQGyCcz太郎義信はともかく五郎盛信にすら入っているのに
何か理由があったのかな?
0269名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 18:04:24ID:QC8s7pX4一応入ってたんじゃなかったっけ?
ただし4ヶ月ほどで放棄してるがな
0270名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 20:21:05ID:h1K5Vy22初代が徳川時代の政治的都合から美化されたせいで、やっても無い悪事まで押し付けられた可哀想な人
0271霍去病 ◆jNfzY2GRwo
2007/02/11(日) 23:02:00ID:r6oje3yj0272名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 23:18:39ID:W3Pr+Xjxその後すぐ木曽が謀反→鎮圧するんで出陣→織田軍侵攻の口実作ってさようならで城放棄
0273名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 00:38:32ID:dKUaAB5Sだって武力は高いけど知力低いから俺でも勝てる。
でもさすがの俺も政宗には勝てないかもしれないが勝頼なら余裕。
0274名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 00:52:41ID:QgEiTTf60275名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 01:09:05ID:o7jxrhwtそもそも北条が越後に来たのは勝頼が退いてから3ヶ月近く経った後だし
春日山城だってなかなかの堅城。とてもじゃないが武田単独じゃきつい
織田徳川がいるから時間かけるわけにも行かない
0276名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 01:16:12ID:1yZbAf4bとりあえず、充分な決戦兵力を用意できる状態においては信濃方面から侵攻する敵に対する
甲斐防衛戦の指揮拠点としてかなり有効だったようだ。
0277名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 07:09:55ID:yELLygj80279人間七七四年
2007/02/12(月) 10:28:24ID:vC57SPEt0280人間七七四年
2007/02/12(月) 11:14:16ID:cwl6dxKj織田の調略で「武田が圧勝しそうな雰囲気作り」にはまった説があるね
0282人間七七四年
2007/02/12(月) 11:26:40ID:GUg/BMwy甲斐防衛戦には有効でもあの場所はいかん
最終絶対防衛線を韮崎に敷くということは
信濃国人は見捨てますよということと同意に取られかねない
信濃国人の賦役で作っておきながら
0283人間七七四年
2007/02/12(月) 11:44:38ID:cwl6dxKjかと言って信濃国内に移すと北条への備えとして遠すぎる
駿府あたりがベストだったのでは
0284人間七七四年
2007/02/12(月) 11:48:13ID:zGT3WFCa0285人間七七四年
2007/02/12(月) 12:02:08ID:vC57SPEt知らなかった。
通説だと、織田軍が攻撃を仕掛けて来ない事から、
まだ兵数が十分じゃないと判断して、
早い内に叩こうと思って突撃した事になってるよね?
これが突撃した理由だと大将としては失格だと思うけど、
退却しようにも出来なかったって言うなら理由によっては評価が変わるよね。
どういう理由でそう言われてるの?
0287人間七七四年
2007/02/12(月) 13:41:49ID:LFEyH/3z消耗戦が続くとジリ貧だと積極的に認識していたから決戦を志向したんじゃない?
これまでも信長はともかく家康を野戦で捕捉しようとして失敗して吉田城辺りに篭られる、ということがあったから
で、長篠城を落とす→援軍の目的が消滅した織田徳川軍が後退したところを追撃で打撃する、と考えていたと
しかし信長が放った後方奇襲の一手により全ての勝算は消滅
勝頼は史実では現場にいもしなかった長坂釣閑斎にそそのかされて無謀な決戦挑んだ間抜けと徳川史観のために貶められることに……
0288人間七七四年
2007/02/12(月) 14:56:42ID:vC57SPEtでも、18日に織田軍が進軍を停止して20日には織田軍に向けて進軍してるよね?
で、長篠城攻略には別働隊を充てている。
長篠城攻略を中断して織田軍撃退を優先したのか、
別働隊で攻略可能だと思っていたのかは分からないけど、
後詰が来た事が分かったのに退却しなかったのはいただけないと思う。
“退却できない理由”があれば別だけど。
0289人間七七四年
2007/02/12(月) 15:06:13ID:LFEyH/3z普通に勝てると思ってたんでしょ
信玄末期以来、武田は織田徳川に対して勝ちっぱなし
後世からみれば信長の入念な野戦築城とか鉄砲集中配備とかはわかるけど当時の武田側から探知できたとは思えない
勝頼と重臣団の先入観は実績に裏打ちされてただけにそれ以外の判断の余地がなかった
本当に重臣達が退却を進言して容れられなかったのなら、戦が不利になったときに穴山衆がやったように勝手に退却しているよ
豪族連合の武田では、重臣達の意見を無視した合戦なんて無理
信玄政権末期すら、二股城攻めあたりでも合議制やってたぐらい
0290人間七七四年
2007/02/12(月) 15:39:56ID:J3zmXQAlだが、その退路を絶たれるまでの判断について、勝頼は責められている。
つまり、長篠の戦い自体は問題ないが、長篠の戦いに至る経緯が問題。
0291人間七七四年
2007/02/12(月) 17:14:04ID:vEqzQaHn先のレスにもあるとおり、長篠城攻めは後詰として
織田・徳川をを誘い出すのが第一の目的と考えられるから、
勝頼としては計算どおりだった訳で。
0292人間七七四年
2007/02/12(月) 17:21:32ID:277neJ4L織田、徳川連合軍に勝てるわけない。2倍近い兵力に浅はかすぎだと思うねぇ・・・。
0293人間七七四年
2007/02/12(月) 17:33:34ID:wE/0uUSR武田の倍ほどいても負けた可能性もなきにしもあらず
0294人間七七四年
2007/02/12(月) 17:33:38ID:b2Vvb6D/0295人間七七四年
2007/02/12(月) 17:54:24ID:vEqzQaHn今までの経験から特に織田勢の戦意を低いと見ていた
武田勢は、後詰が出てきたところで長篠城を落とし、
退却する後詰を追撃して打撃を与え、吉田城あたりまで
付け入って攻め落とす考えでいたんでしょう。
0296人間七七四年
2007/02/12(月) 18:15:45ID:hrkV+SKM徳川史観であればこそ主君の恥(勝頼のDQN振り)を書く訳にはいかず
本来長篠に居るはずも無かった側近にして忠臣の長坂をもって佞臣とし、
長坂ほどの重臣が勝頼を唆したとする事によって
一門重臣を蔑ろにした勝頼を少しはまとも描く必要があっただけ。
>>289
従来の織田vs武田の決戦と言うよりも長篠の包囲からの退却と考える
穴山隊の退却は一門衆として逃げ道を開ける役目を負っていた為と思われる
外様のはずの小山田隊も相当に奮戦したと言われているのがその証拠
なにより信玄がようやく纏め上げた家臣団の忠誠=主君主家に命を捧げる
を勝頼は長篠で一瞬にして費やしてしまった
しかも初めから退こうとする一門重臣達の意見を聞き入れなかったという
最大の背信で裏切って・・・。
信玄は合議制で家臣の長所を引き出し互いに意見を交わす事で武田家臣団を
腹を割って付き合える集団に仕上げたが
勝頼はお山の大将になろうとしてしまった。
0298人間七七四年
2007/02/12(月) 23:08:29ID:5IqtT6gd信長は本隊を反対斜面に隠蔽したような記述があるから
武田から見ればそれほどの大軍に見えなかった可能性がある
0299人間七七四年
2007/02/12(月) 23:49:59ID:ePxgP/ulそうなんだよね。
あそこで退却せずに突っ込んでいった理由として、
「相手は多勢だけど勝てるでしょ」じゃ、あまりにも間抜けすぎる。
「今はまだ織田軍が少数しかいないから攻撃を仕掛けて来られない。
それなら後続の部隊が到着する前に決着を付けよう。」
とでも考えていたように思えるんだよね。
ただ、それにしても確かな情報が無いのにも拘らず、
そんな博打を打たなければいけなかったんだろうか?
彼我の経済格差は、時間が経てば経つ程開く一方で
焦りもあったんだろとは思うけど。
0300人間七七四年
2007/02/13(火) 01:12:52ID:/kdUNJvO包囲下に置かれた(背後に回られた)事から来る受動的な要因であって、
戦略的な観点から進んで交戦したわけではないと思うぞ。
0301人間七七四年
2007/02/13(火) 01:55:52ID:H9w+Gmadスマソ、言い方が悪かったな。
織田軍と激突前の判断ね。
医王寺の本陣を出て、織田軍と対峙した事を言いたかった。
何故、後詰が来た事を知った時点で退却しなかったのかな、と。
流石に酒井隊に後ろを突かれ、家康隊も突撃してきた状況にまでなってしまえば
正面突破に活路を見出すしか無かったかも知れないけど。
0302人間七七四年
2007/02/13(火) 07:19:27ID:+mFx6+uR信繁>>景勝>勝頼、秀康、信孝、秀家>秀忠、秀次、秀信>信雄
くらいの格付けじゃないか?
0305人間七七四年
2007/02/13(火) 08:36:36ID:h6jr4HZv0306人間七七四年
2007/02/13(火) 08:45:35ID:bFkHU+sW和議してたよ。信玄末期からの甲越一和は史実としてなぜか知られないけど
もっとも謙信は信長に「一緒に勝頼攻撃しようぜ」と誘ってるから破る気まんまんだったようだが
>>296
退路を開くための退却なら、戦後にあいつら切腹させろなんて言われない
0307人間七七四年
2007/02/13(火) 09:54:28ID:eicobEM5疑問点。
信繁?真田とか言うなよ?絶対言うなよ。
秀康?俺は結城秀康を2代目って言う人は初めてみた。
信雄、信孝、秀信も同様、ってか、信忠が既に継いでたの知らないだろ。
あれ?もしかしてネタにマジレス?それとも真性にレスしちゃった?
0308人間七七四年
2007/02/13(火) 11:53:49ID:8+VMbjWXここから勝頼と親類衆の不仲説が出たのかも知れない
普通に考えれば、譜代や先方衆は勝頼に忠誠を尽くして死んだっぽいんだが後年の徳川史観のせいで「それは信玄様を偲んで自殺同然に戦ったからだ」とされてしまっている
0310人間七七四年
2007/02/13(火) 12:59:41ID:+mFx6+uR0311人間七七四年
2007/02/13(火) 13:01:45ID:+mFx6+uR君 心が病んでるね
0312仙台藩百姓
2007/02/13(火) 13:06:24ID:A8PwOnY60313人間七七四年
2007/02/13(火) 13:55:27ID:n5iJaa/Sくらいの格付けじゃないか?
0314人間七七四年
2007/02/13(火) 14:16:08ID:eicobEM5とりあえずは誰だよ信繁って。真面目な話。
まさかマジて真田とか言うんじゃねえだろな?
0315人間七七四年
2007/02/13(火) 14:18:28ID:jZDFQq4qもう少し文体変えれば>>311あたりもあんなこと書かなかったろうに。
俺も>>314に関しては>>311と同意見だ。
0316人間七七四年
2007/02/13(火) 14:22:32ID:p1OmrSfgまぁ秀忠軍の10分の1とも言われた真田昌幸の手勢に苦戦してるが・・・
戦:政宗>景勝>勝頼>信忠>秀忠
政:秀忠>景勝>信忠>政宗>勝頼
0317人間七七四年
2007/02/13(火) 14:36:12ID:+mFx6+uR信忠の政治力は勝頼や正宗より上だったの?
秀吉と割合仲が良かったとか、本能寺の変で父親に殉じるような形で
戦死しちゃったとか、それくらいしかエピソードを知らないから
なんか、良いエピソードがあったら教えて欲しい。
0318人間七七四年
2007/02/13(火) 14:40:20ID:+mFx6+uR第二次世界大戦に向けて突進した近衛文麿が
突如東条英機に後任を任せたのと
信玄が勝頼にした事は少し似てる?
0320人間七七四年
2007/02/13(火) 15:08:28ID:p1OmrSfg政宗はお家騒動のごたごたを上手く処理できなかったイメージ。
勝頼は信玄時代の約定破りがあったとは言え、外征を繰り返して国を疲弊させたイメージ。
0321人間七七四年
2007/02/13(火) 15:19:24ID:vEpIvJuD信雄より若干マシってとこ
評価し過ぎ
0322人間七七四年
2007/02/13(火) 15:22:56ID:eicobEM50323人間七七四年
2007/02/13(火) 17:51:14ID:7HQH23LF0324人間七七四年
2007/02/13(火) 18:10:24ID:SnTgF4FUそれよりも信幸の存在が無視されるのは問題だ。
0325人間七七四年
2007/02/13(火) 18:35:07ID:MU/xaei32代目に優れた人間がいないのは当たり前だな
もしいたとしてもそれは2代目ではなくなるからな
0327人間七七四年
2007/02/13(火) 18:56:33ID:+mFx6+uR勝頼は平均よりは、やや優れた後継者だったろうと思う。
武田信玄が天下統一して権力基盤を整備して有能な家老を勝頼につけ
甲斐将軍府でも作り、二代目の勝頼に継がせてたら秀忠程度の能力は
示したのではなかろうか。
0328人間七七四年
2007/02/13(火) 20:35:26ID:dXymD77g0329人間七七四年
2007/02/13(火) 20:55:53ID:+mFx6+uRでも義理がどうだとか、今川を助けるべきだとか最後まで変な事を言ってた甘ちゃんなんでしょ?
大名としての才覚がさほどあったようにも思いづらいんだけど。
0330人間七七四年
2007/02/13(火) 21:03:19ID:SnTgF4FU平和な時代の殿様だったらよかったのにな。
江戸時代だったら名君になれただろ。
つか若いってのもあったんじゃないのか?
0331人間七七四年
2007/02/13(火) 21:10:36ID:MU/xaei3>でも義理がどうだとか、今川を助けるべきだとか最後まで変な事を言ってた甘ちゃんなんでしょ?
本当にそんなこと言っていたかは謎
今川との断交が原因なら信玄はなんで68年まで駿河を攻めなかったのかということになるし
0332人間七七四年
2007/02/13(火) 21:15:27ID:qVMS6h1L実際信玄の拡大戦略て場当たりに過ぎるわ
0333人間七七四年
2007/02/13(火) 21:20:59ID:MU/xaei3問題なのは結果として徳川織田を敵に回したことじゃない?
もっとも65年の織田と武田の同盟が無ければ織田の侵攻はもう少し遅れるから
織田と同盟せず三国同盟堅持ではまた違った展開になっているかもしれないが
0334人間七七四年
2007/02/13(火) 21:27:14ID:qVMS6h1L諏訪との同盟破って攻め込むために高遠と同盟
その後その高遠とも同盟破り
これの繰り返しなんだから
想定の範囲内
0335人間七七四年
2007/02/13(火) 23:15:04ID:h+fY/YRH信玄がそうしなかったのは時間がなかったから、
そろそろ自分に死期が迫って来た事を予感してたんじゃないだろうか
0336人間七七四年
2007/02/13(火) 23:24:57ID:1VtWD1Gv勝頼を後見人みたいな形にしてさ。
歴史群像って本だと、勝頼は信勝が元服するまでの国主みたいなもんだとあったが・・
0337人間七七四年
2007/02/13(火) 23:25:57ID:YQgoGEtvそれでも長篠を戦った勝頼が好きだ
人物的には二代目タイプではなく創業者タイプだっただけに信玄の負の遺産も
相まって滅亡といった結果になってしまったんだろう
個人的には長篠版戦国自衛隊を見たいw
0338人間七七四年
2007/02/13(火) 23:32:36ID:qVMS6h1L長篠でボロ負けしてもなお妹を差し出した北条を
わざわざ敵に廻した
0339人間七七四年
2007/02/13(火) 23:33:57ID:MU/xaei3歴史群像はそこらの漫画レベルもあればちゃんとした考察文もある
文章書いているのが作家だったり史学科の教授だったり
内容にかなり差があるので注意
0341人間七七四年
2007/02/13(火) 23:40:34ID:YQgoGEtv順番はわかってるってば・・・
長篠は1575で上杉の跡目争いは謙信の死んだ1578だし
あ、俺の書き方が悪かったのかね
>>336>>339
歴史群像では確かに信勝が正式な跡目で後見人みたいな扱いとあったね
0342人間七七四年
2007/02/13(火) 23:43:47ID:SnTgF4FU0343人間七七四年
2007/02/13(火) 23:44:26ID:h+fY/YRH勝頼が後見人っていう話のほうが定説になってるしね
0344人間七七四年
2007/02/13(火) 23:49:09ID:MU/xaei3確かにあるね
他にも騎馬軍団とか信玄最強とかいろいろね
墨俣や3段撃ちも真面目に書いていたりするしね
0345人間七七四年
2007/02/13(火) 23:51:15ID:1VtWD1Gvそれに、北条か徳川が駿河を取ったら、四面楚歌の状態になって滅んだんではないか?
謙信と同盟して氏政とも同盟しなおせばよかったかと。
0346人間七七四年
2007/02/13(火) 23:53:15ID:h+fY/YRH武田が今川の旧領を平和裏に接収するチャンスじゃんか
0347人間七七四年
2007/02/13(火) 23:54:26ID:1VtWD1Gvいぜん、NHKの歴史番組でやってたが、鉄砲を打つ時には、既に馬坊柵の前くらいには、騎馬が来てたっていうのを
やってたよ。 それに、騎馬も三段打ちみたいに波状攻撃すれば、なんとかなったかと。
そもそも設楽原って沼地?みたいなとろじゃなかったけ?足を取られて狙い撃ちみたいなかたちで・・
0348人間七七四年
2007/02/13(火) 23:57:13ID:SnTgF4FUいかがわしいと言われる武功夜話だと3段打ちは佐々成政がどっかの合戦で行った
2段打ちを参考にしたとか何とか言う話もあるね。
0349人間七七四年
2007/02/14(水) 00:15:15ID:HNHFXxjP天竜川沿いに三河侵攻すりゃ今川領侵さず済むぉ
なんちゃって
それはさておき結局武田というのは信玄以来一貫して
周辺国で一番弱い奴を潰して領国化することだけで強くなったわけで
周辺大名の中で一番弱くなった時に滅亡したというのは道理と言えるな
0350人間七七四年
2007/02/14(水) 00:17:51ID:A64u73yt三段撃ちの真偽はともかくとして、鉄砲の集中活用と
「馬防柵」と表現される陣城がミソだね。
単純な柵ではなく、高性能な野戦陣地だったみたいだよ。
地形的には東西に丘陵のある狭い回廊状の地形で、
東の丘に武田、西の丘に織田・徳川連合軍が陣取った。
彼我の距離がとても近く、酒井隊に退路を絶たれた
武田軍は、柵の外にでて鉄砲を射掛けてくる連合軍の
兵を突き放すために次々と兵を繰り出すしかなかったらしい。
圧倒的に不利な地形を見れば、武田勢は決戦を避けるから
いやでも突入せざるをえないよう仕向けた信長の戦略だね。
0351人間七七四年
2007/02/14(水) 00:25:51ID:2Dmo3Cyk先だったんじゃないの?
0352人間七七四年
2007/02/14(水) 00:37:08ID:Ey0J7XFE武田の滅亡がもう少し遅ければ北陸での侵攻も停滞していた可能性もあるし
木曽は良いタイミングで裏切ったな
おかげで加増されたし
0353人間七七四年
2007/02/14(水) 00:44:19ID:HNHFXxjP織田の侵攻は自己責任
東上野相手の美味しい勝ち戦の功績は武田一門譜代で独占
おまけに甲斐国内のみを守備する新府城のために諸役巻き上げられたら
いくら室が信玄の娘でも逃げ出すわな
0354人間七七四年
2007/02/14(水) 01:10:01ID:XKxqShY/元々信玄の時代に強引に併合されたんだし
0355人間七七四年
2007/02/14(水) 05:43:57ID:1H5QejEv狭い地域で一斉に鉄砲を撃てば音だけでもかなり効果があったのでは?
と、云う考えもあるね。
しかも沼地となると騎馬隊は大混乱になってまともに戦える状態じゃなかったんじゃないか?
0356人間七七四年
2007/02/14(水) 08:51:51ID:zz/jVT+Y信玄時代からその縁組相手の諏訪・今川を裏切っている武田家にいつまでも忠心を持つほうがどうかしている
結局、国人層は武田が利益をくれる間は従うが、そうじゃなかったらポイ捨てでしょ
逆に武田家あっての譜代・先方衆は当然必死になる。だから長篠でも奮戦した
0357人間七七四年
2007/02/14(水) 11:36:53ID:rYIEhtep国力差を背景にした暴力的で一方的な縁組だったからな
0358人間七七四年
2007/02/14(水) 11:43:05ID:zgb0AQSl数時間も織田徳川軍の射撃を受けつつ耐えていた前線部隊の士気が崩壊した典型的な「裏崩れ」
武田家の有力武将の「討死の地」がいずれも算を乱して撤退している最中で、鉄砲で殺されたのは山県ぐらい
組織的撤退ができなかったのが最大の要因
勝手な退却ならともかく、勝頼の指示によるものなら最悪の命令
0359人間七七四年
2007/02/14(水) 12:09:15ID:HDOqGYjg0360人間七七四年
2007/02/14(水) 15:21:18ID:+tcwL7nK大日本戦史によると、親類衆は右翼の穴山衆・中央の信廉勢・左翼の信豊勢というように
全体の支えとしてそれぞれに配備されていた
しかし、これらからは全くといっていいほど討死が出ていない
武田信実が討死したのは鳶の巣山奇襲を受けてのことだし、望月信雅は勝頼直轄軍の前備
被害が明記されていない=サボタージュと断定はできないが、大打撃だったことを考えるとやっぱり……
0361人間七七四年
2007/02/14(水) 21:09:03ID:hn7Tkiu3信虎の甲斐統一以前まで不仲ではあっても
穴山は先祖が一緒で小山田や木曽とは違うんだが?
>信玄時代からその縁組相手の諏訪・今川を裏切っている武田家に
>いつまでも忠心を持つほうがどうかしている
少なくとも信玄の祖父の代辺りから武田家の歴史というか隣国との関わりを
調べて見る事をマジお勧め
甲斐国中の弱小土豪にまで落ちぶれて内外から攻められてたんだから
手段も糞も・・・戦国時代に裏切りなんて日常茶飯事な事言われてもw
それに妹の嫁ぎ先だろうが嫁の実家だろうが攻めても当時は当たり前
関東管領が越後に落ち延びて家督を譲ろうが将軍が襲撃され討ち死にしても
誰も文句言わない時代だぞ?今川何某なんぞ滅ぼしても気になるまい。
その点じゃ長篠で奮戦した家臣があれだけ居るのだからまだマシな方だろう
(ただ逃げてる最中に狩られただけかも知れないけどw)
0362人間七七四年
2007/02/14(水) 21:30:01ID:rFRAvItN群雄割拠気分のまま図体だけデカくなった子供
勢力が集約されれば外交戦略も一新すべきなのに
自分の盟約破りは兵法だが
北条が今川に援軍出したり
織田が徳川に援軍出すのは卑怯とかなにそれ
0365361
2007/02/14(水) 23:06:28ID:hn7Tkiu3>北条が今川に援軍出したり
>織田が徳川に援軍出すのは卑怯とかなにそれ
卑怯とかどこに書いてあるか判らないので
誰へのレスか判らないけど
俺が信玄だったら自分も利のある方へ行くけど
相手もそのつもりで(自分を裏切る事も)おkって覚悟で行動するぜ
場当たりと言うが他にどんなプランがあるのかと・・・。
>>363
確かに穴山は先祖も遠いし甲斐の河内(かわうちって読むらしい)地方で
正確には国中ではないようだから
郡内の小山田と同じ感じだったんだね、スマソ
でもそれだからこそ
え〜、今流行りの「コ○モを産む○械」をやり取りしただけの
間柄(遠い先祖が一緒と言えば一応今川もか?)
を裏切っただけの信玄が度々スレでも非難されるのは判らないと思うんだ。
0366人間七七四年
2007/02/14(水) 23:42:29ID:JoLIAjRUなら何の為に当時の人間達は婚姻関係結んだんだ?
>関東管領が越後に落ち延びて家督を譲ろうが将軍が襲撃され討ち死にしても
>誰も文句言わない時代だぞ?
幕府として機能してないからだろ。
人の情に拠る人質としての意味合いの婚姻関係と、幕府権威の無視は全く関係ない。
あと
>え〜、今流行りの「コ○モを産む○械」
こういう無意味に気持ち悪いことするのやめたほうが良いよ。
面白くもないし。
0367人間七七四年
2007/02/14(水) 23:48:41ID:KRkz48A60368人間七七四年
2007/02/14(水) 23:51:48ID:RCwtCi+b>甲斐国中の弱小土豪にまで落ちぶれて
それ以前に、祖先が甲斐に流配にされて
しばらくして許されて流刑の地に残ったのが甲斐武田家の発祥
だから甲斐武田家っていうのは元々甲斐の土豪レベルの家なんだよ
0369人間七七四年
2007/02/15(木) 00:07:00ID:PdjBNWEe0370人間七七四年
2007/02/15(木) 00:15:36ID:8cIOqVKD0371361
2007/02/15(木) 00:19:33ID:hHwuIwDZ寝るのでこれで最後、後はヌルーしてくだされ
>>366
幕府として機能が無ければ幕府権威を無視して良いと言うが
「人の情に因るならば」幕府が機能せず権威が失墜していても
忠義を尽くすだろう、それをしないのは利益がないからでしょ?
>何の為に当時の人間達は婚姻関係結んだんだ?
当時の主流が恋愛結婚なんて言う訳ないよね?
婚姻関係については当時は「利益」を得る為に結ぶものでしょう
だから自家に利益が無ければ縁故を断ち切っても良いだろう?
>>368
大元は流刑の土豪だが後には一応にも甲斐国守護にはなっているし
甲斐以外の守護も兼任していた羽振りの良い時期もある
0372人間七七四年
2007/02/15(木) 01:16:22ID:PdjBNWEeひでーな
0373人間七七四年
2007/02/15(木) 01:29:13ID:bQm+REY4同盟や縁組は友好関係を築くために行われるのだから、縁者を攻撃していれば信用は無くす。
信用を無くせば外交にも齟齬をきたす。それは政治戦略に悪影響をもたらす。
で、もう一つの幕府やら関東管領の話だが、この時代の主従関係は基本的に双務的契約だった
ことをお忘れなく。主君が主君としての務めを果せなければ、臣は従う理由はない。
0374人間七七四年
2007/02/15(木) 02:15:05ID:CEpid+wD常陸国勝田郡武田郷(現:茨城県ひたちなか市)に土着して武田氏となるが、
のちに周辺の豪族たちと衝突し、裁定の結果常陸より追放され、甲斐に土着。
0375人間七七四年
2007/02/15(木) 02:25:01ID:jBIg4OqS彼らを見れば分かるがいくら利益といってもやりすぎて信用を失うことは
利益を失うことにも繋がるな
0376人間七七四年
2007/02/15(木) 21:43:59ID:CccHk940で本題。勝頼はまぁ愚将では無かったんだろうけど、どっちかというと主従の従であったほうが実力を発揮出来たんじゃないかな。
「主君」ではなく、「一軍の将」のほうが勝頼には向いていたと思う。
実際、当時の織田家に抗し得る事はたとえ勝頼が優秀な主君であっても難しかったと思う。
畿内をほぼ完全に掌握し、対上杉戦線は越中まで、対毛利戦線は安芸まで迫り、徳川を含めれば東海をも制している。
10万単位の軍団を動員出来る織田に対して武田の国力では対抗しようがない。
0377人間七七四年
2007/02/16(金) 00:51:38ID:2nSWbjqNだから信玄の時代には徒党を組んで包囲して叩こうっていう作戦だったわけだが
それが可能だった信玄の時代に信玄が死んでしまって包囲網が崩れたんだから
武田が滅亡した原因のほぼ100%が信玄の責任
0378人間七七四年
2007/02/16(金) 05:46:48ID:Qxd6eHbm包囲網に参加していた大名も自国内で争ったり疲弊してたりで
織田と積極的に争うというかんじでもなかったし
信玄がもう2,3年早く駿河をとってれば状況は変わったかもしれんが。
やっぱり信玄が死んだ時点で織田と和睦するのが一番だったんじゃないかな。
家中がうまくまとまるかが疑問だけど。
0379人間七七四年
2007/02/16(金) 08:54:32ID:7NOnz0rL作戦中の盟約破りで徳川をその場で敵に回したこと
この二つが重い負債として勝頼どころか自分の晩年の無念の原因になったわけだな
「あくまでも武田と徳川の喧嘩です」ってことで信長にはギリギリまで手を出さなければよかったのに
0380人間七七四年
2007/02/16(金) 11:27:30ID:MV4B29FQ武田が和睦したとして、その後の展望はどうなるんだろう
武田家が目まぐるしく変化する信長の外交に柔軟に対応できるとも思えないし、
その間にも格差は拡大するだろうし、ある日を境に唐突に領土の割譲を強要
されて、従わなければ攻められるなんてことにもならない?
武田の領土って、信玄が死んだ時点で拡張しようにも殆ど頭打ちでしょ?
0381人間七七四年
2007/02/16(金) 11:37:19ID:EidaDHtH信長のほうが家康との同盟守りつづけてただけまだマシ
そもそも対上杉で苦戦して信濃攻略の完遂も上野進出も頓挫したから同盟破って今川攻撃しましょって時点で終わってるよ
0382人間七七四年
2007/02/16(金) 12:04:37ID:daHpjZ0E武田家を滅ぼしたのは謙信
0383人間七七四年
2007/02/16(金) 12:19:45ID:pcMa05pp0384人間七七四年
2007/02/16(金) 13:25:58ID:wh+yS7vWまさか川中島合戦で武田の邪魔したからとは言わないよな?
0385人間七七四年
2007/02/16(金) 14:28:04ID:dA1j6PNe0386人間七七四年
2007/02/16(金) 14:31:35ID:YySzBkZp信繁を殺害
義信を間接的に殺害
信長に乞われて上洛戦の邪魔
御舘の乱
ざっと考えただけでもこれだけあった
脳卒中でもっと早く逝けばよかったのに
0387人間七七四年
2007/02/16(金) 17:44:57ID:47x22W1h武田ももう少し勢力を伸ばせていただろうに
0388人間七七四年
2007/02/16(金) 18:07:05ID:5p1FqFqxあんまり変わりなかっただろう そして長尾家が朝倉家であったとしても信玄の勢力は変わらなかっただろう
0389人間七七四年
2007/02/16(金) 20:57:08ID:EDazHrKu凄まじくひどい言いがかりだな。
領土拡大や遠交近攻の観点から見て、
村上と戦う時に背後に手を回さなかった信玄の失策以外の何ものでもないが。
上杉方は長野盆地を失陥したら本拠地が危うくなるんだから出兵せざるをえない立場だろ。
0390人間七七四年
2007/02/16(金) 21:07:40ID:RwQWpx230391人間七七四年
2007/02/16(金) 21:27:37ID:04HfiPhI周囲への根回しに失敗したならともかく
してもいなかったという話だと、ただのアホだ。
0393人間七七四年
2007/02/17(土) 03:04:38ID:LV6b23LH0394人間七七四年
2007/02/17(土) 04:25:30ID:XXHnk6ih上杉と敵対避けるなら、攻める前から根回ししてないと無理だろ。
0395人間七七四年
2007/02/17(土) 09:53:52ID:7YnPPiHj協力しないまでも不干渉くらいは引き出せたと思われ。>長尾
そもそもその時期、長尾と村上は決して仲が良かったわけではない。
(信州の豪族で長尾と関係が良かったのは高梨くらいだ。)
降伏させることもできず、といって皆殺しにもできず、
全部まとめて長尾方に追いやってしまったのなら、政治的には大失敗だろ。
0396人間七七四年
2007/02/17(土) 11:59:29ID:gCDfP4rNその前は今川と北条が脅威だったし周りが豊かな強敵ぞろいだもんな
0397人間七七四年
2007/02/17(土) 12:12:02ID:3ejkOqFu0398人間七七四年
2007/02/17(土) 12:15:11ID:lS9zlgCm三国同盟の時点で桶狭間以後を予想できたとしたら、それは人間ではないよ
0399人間七七四年
2007/02/17(土) 13:34:33ID:WamxH6Qo同様に勝頼も長篠で一回負けただけで裏切り者続出であっけなく滅亡だもんな
この異常な差は結局のところ何だったんだろうね?
0400人間七七四年
2007/02/17(土) 14:05:12ID:XXHnk6ih徳川=織田の後ろ盾あり
武田=周り敵だらけ
この差じゃないか?
0401人間七七四年
2007/02/17(土) 14:24:46ID:ofmvwR2L加えて配下領国が豪族の武田と、直轄に近い織田ではフットワークが違いすぎる。
いざって時に来てくれるかどうかってけっこー大事。
0402人間七七四年
2007/02/17(土) 14:48:10ID:z1becoTsそんなウソつかんでもw
0404人間七七四年
2007/02/17(土) 20:35:42ID:6hwnWpNwあの後浜松城を落とされたら徳川あぼんなのは確実だろ
0405人間七七四年
2007/02/17(土) 21:14:03ID:hMWk8Utj直後には織田に大量の軍資金を与えられてすぐに立て直してる
0406人間七七四年
2007/02/17(土) 22:33:48ID:5GWFRuncお前ら本当にお気楽な連中なんだねえ、当時の信長がどうして家康
に対して援軍を出し惜しみしていたかちゃんと理解してるの?
一向一揆、浅井朝倉畿内の連中など、四方に対する備えが必要な時
武田軍と全力で戦えたと本気で思ってるんじゃないだろうなあ?
信玄があのまま存命だったなら、三河と遠江の上半分を完全に領土
化された家康はほぼ間違いなく武田に鞍替えしてたと思うね、その
上最初に信玄が攻略するのは尾張=すなわち信長の経済力がある程
度損なわれるというわけなんだよ、尾張の当時の経済力は知ってる
よねえ、さあそれからだ!信長は指を加えて見ていられるか?
農繁期で一旦、甲斐に引き上げるとしても、領土化した部分は配下
の武将を(優秀揃いの)備えにしておけばいいしね、何より信長で
は信玄には勝てないだろやっぱ、百戦錬磨の信玄にはね。
0407人間七七四年
2007/02/17(土) 23:17:07ID:O52cdaT9生産力ならありそうだけど
まあ甲斐信濃よりは断然上だろうけど
あと、甲斐信濃から尾張に兵を動かすのにどれ位期間が掛かる?
美濃近江からだと何日かかる?
もしかして落とした城から即刻税を取れると思ってるの?
明日から尾張一国我が領土ってゲーム脳丸出し
0408人間七七四年
2007/02/17(土) 23:18:01ID:Lvdfl/8Vメガトンよ、頼むからコテつけてくれ
さもないと、NGで消せない
ああ、別のスレでID確認してるからしらばくれても無駄だぞ
0409人間七七四年
2007/02/17(土) 23:28:15ID:3ejkOqFu0410人間七七四年
2007/02/17(土) 23:43:05ID:tAFgh9Chでももっと栄えてた国もあるわけでね
上国に生を受ければ天下取れるってんなら簡単な話だよな
0411人間七七四年
2007/02/18(日) 00:44:54ID:dvnGAJxbなかったって話もあるな。
0412人間七七四年
2007/02/18(日) 00:48:38ID:Cg8OydVg尾張:駿遠三=2:3ぐらいなんだけどね
国内の掌握度合いの問題と、
今川が尾張南部に手を伸ばしているので、
もう少し国力差はあったとおもう
0413人間七七四年
2007/02/18(日) 01:56:35ID:G6A9qfSQこういうアホがいるから武田信者は恩知らずと未だに言われ続けてるんだよ。
恥ずかしいからそういった見解はやめれ。
・ストーカー行為→信玄が奥信濃に拘らなければ謙信も出てこない。
・信繁を殺害→信濃の完全支配に拘った信玄の自業自得の部分がある
・義信殺害→武田家の問題だ。例え調略の手が入っていたとしても最後の判断は信玄が決める事。
・上洛の邪魔→信玄に脅かされながらも謙信は二度も上洛している。上洛出来なかったのは信玄の天運というしかない。
・御館の乱→景勝と講和を結ぶのを選んだのは勝頼だ。嫌なら断れたはずだ。
武田を持ち上げたいからといって責任を全て周りに押し付けるのは恥ずかしいを通り越して情けない。
謙信というか上杉には武田が滅んだ後に信玄の子やたくさんの家臣が身を寄せたんだぞ。
むしろ感謝すべきもんだ。
武田が滅んだのは天運なんだよ。もちろん信長があの様な亡くなり方をしたのもな。
0414人間七七四年
2007/02/18(日) 02:38:44ID:oerZ0YYT信長の初期は10万石弱で回りが自分以上の
敵だらけだし織田家自体が負けつづけて下り坂。
甲斐一国引き継げた信玄より状況はわるいと思われ。
信玄が謙信と争いつづけるはめになったのは
やっぱり佐久を攻める時の根回しがないせいじゃまいか。
謙信にしてみりゃ佐久は春日山のすぐ近くだし
そこに敵勢力があったら安全を確保するのは難しい。
0415人間七七四年
2007/02/18(日) 02:54:25ID:vl7DLho60416人間七七四年
2007/02/18(日) 03:08:40ID:ftYuDewr0417人間七七四年
2007/02/18(日) 03:49:01ID:PCqi09cj0418人間七七四年
2007/02/18(日) 05:14:29ID:fx+80WwG0419人間七七四年
2007/02/18(日) 07:17:19ID:FAOFyUct結局、織田の庶家に過ぎず権力をさほど持てなかった関係上
新しい実力基盤が必要だったから、経済振興に力を入れていたんだよ。
つまり、信長の家の伝統だという事だ。
それに、濃尾平野は当時からかなり肥沃な土地だったようだ。
肥沃な土地で農業生産が高いからこそ、商業も発展する。
善光寺のような特別なものでも無い限り、甲斐や信濃ではそうそう経済発展は見込めないだろうな。
0421人間七七四年
2007/02/18(日) 11:53:19ID:41Ymsxg7アホはてめえだよ
謙信の存在自体が御館の乱の原因までを含めて邪魔だったのは明らかだろ
滅亡後に助けられたとか婚姻関係を結んだ景勝の時代じゃねえか
謙信はまぎれも無く武田家にとっては疫病神
こいつを避けてたら北信濃も上野も攻められないし困った奴だよ
0422人間七七四年
2007/02/18(日) 12:01:25ID:PCqi09cj疫病神にしたのは、他でもない武田自身だろ?
自国の越後に近い土地を攻めてる武田に危機感・敵対心を持つのは当然。
根回ししなかった信玄のミスでFA。
0423人間七七四年
2007/02/18(日) 12:11:00ID:4YiKAddD信虎末期の外交を継承して戦略正面を一方に絞ったはいいが、より小さいレベルで多方面作戦やってりゃ世話無い
0425人間七七四年
2007/02/18(日) 14:03:58ID:mlBFaaGM原因を武田自身以外に求めるのは端からお門違いだろ…
結局それを乗り越えられなかったお前が悪いで帰結する
0426人間七七四年
2007/02/18(日) 14:45:52ID:o4dcykgf信玄はあのタイミングで信長を潰しておかないと、武田が滅ぼされる
ことをわかってたから上洛軍おこしたんでしょ?
信玄が死んで、上洛断念した時点で武田が滅びるのは決定的だった
と思う。勝頼はよく信玄死後9年間も滅亡を遅らせたと思うよ。
0427人間七七四年
2007/02/18(日) 15:41:01ID:l4RQQH3E可能性が高いのに惜しいね
0428人間七七四年
2007/02/18(日) 20:40:49ID:twNjDH310430人間七七四年
2007/02/19(月) 01:00:05ID:5073ZYAC0431人間七七四年
2007/02/19(月) 01:15:02ID:xfvJm5qS鼻くそ以下
0432人間七七四年
2007/02/19(月) 01:43:10ID://xrHLIl0433人間七七四年
2007/02/19(月) 10:00:24ID:ISFkWZ8m本来なら伊達家潰せたのに・・・・
57万石もお家騒動(江戸期)で失っちゃうし・・・・
0434人間七七四年
2007/02/19(月) 11:15:30ID:ITz9epyj石高は毛利の次ぐらいかな?
0437人間七七四年
2007/02/19(月) 17:19:02ID:cQnV+/txあの時点でもう落ち目だった武田に、そこまで配慮はないだろ
0438人間七七四年
2007/02/19(月) 17:38:37ID:eUt9Fqx7http://www.nhk.or.jp/kofu/lnews/04.html
武田氏最後の当主勝頼が亡くなっておよそ200年後に建てられた山梨県甲州市の墓から(こうしお経が書かれた石「経石」がおよそ5300個と大量に見つかり、研究者は「滅亡後も武田氏を慕う地域の住民の思いが大きく根付いていた表れ」と注目しています。
「経石」が見つかったのは甲州市の景徳院にある山梨県指定文化財の武田勝頼の墓で、この墓は信玄の4男の勝頼が織田・徳川の連合軍に敗れて自害し、武田氏が滅亡してからおよそ200年後の1775年に建てられました。
墓が崩れる恐れが出てきたため甲州市教育委員会が去年12月から調査していたところ、墓の土台の石組みの中から「経石」およそ5300個が見つかりました。
「経石」は大半が直径10センチから15センチの大きさで、供養のため墨でお経が書かれているほか、長さ25センチの平らな石には勝頼や正妻の北条夫人らの戒名が書かれています。
武田氏の歴史に詳しい帝京大学山梨文化財研究所の萩原三雄所長は「信玄も含めて武田氏の墓の実態は解明されていなかった。
今回の発見で滅亡後200年経っても武田氏を慕う地域の住民の思いが大きかったことを表している」と話しています。
甲州市教育委員会は「経石」の文章の分析を進め、さらにくわしく調べることにしています。
0439人間七七四年
2007/02/19(月) 18:09:18ID:KghMlLohよくない。たしかに人質は人質を取った側の思惑が果たせなければ殺されても仕方
がない運命だが、もう用済みならわざわざ殺したりせず放ってやればよかろう。
鳥居は自分の命も顧みず、味方に信長の来援を告げたのだ。鳥居は命を捨てたのだ。
もし勝頼が武勇を貴ぶ大将ならば、そんな鳥居の勇気に舌を巻き、自分をたばかった
罪は許しがたいが、敵に与せず、味方を励ました鳥居の覚悟はその怒りを超越して
称賛にかわったはずだ。
ただでさえ人質は万が一のときは殺されるものと覚悟してきているわけだから、それを
殺さず開放してやったらどれほどの感慨を持つであろう。おそらく勝頼は敵からも味方からも
花も実もある大将よと絶賛されたであろう。
いかに人の命の安い戦国といえども、いやそんな時代だからこそ、命を大事に思う心に
人々は頭を垂れるものだ。
果たして、おふうを殺して、鳥居を殺して勝頼の株が上がったか。
因果応報。無益な殺戮はやがて自分の境遇に跳ね返って来るのだ。
勝頼の、城を追われ女子供を道連れにした惨めな最期を見ればそれは明らかだ。
天道おそるべしじゃ。
0440仙台藩百姓
2007/02/19(月) 18:23:20ID:LqqlFlpa信長に「ばーかばーかザマーミロ」って感じに棒で突つかれて
最後には蹴り飛ばされたんでしょ?
憐れなり(-_-;)
0441人間七七四年
2007/02/19(月) 18:53:01ID:mACJkTRD与えなければ勝てたと思うのですが、どうでしょう?
0442人間七七四年
2007/02/19(月) 19:10:00ID:1FQmLZcIそんなの戦国の世ではザラだし
信長みたいな外道行為は行ってないよ
それが天道だとすれば織田一族はすべて根絶やしになってなきゃつりあわない
0444人間七七四年
2007/02/19(月) 19:17:03ID:ny25vxfw秋山信友、秋山光継、朝比奈信直、安倍勝宝、安部宗貞、跡部勝資、安中景繁、甘利信康、
雨宮家次、飯尾助友、依田信守、依田春賢、一条信竜、一条信就、今福昌和、今福丹後守、海野信親、
大熊友秀、大嶋長利、小原忠継、小原 広勝、小原下総守、小幡昌盛、小幡憲重、小山田昌行、小山田信茂、
小山田大学、鎌原之綱、金丸定光、川窪信実、葛山信貞、笠井満秀、小宮山友晴、高坂昌澄、高坂昌元、
五味高重、座光寺貞房、三枝守友、真田信綱、真田昌輝、諏方頼豊、常田春清、武田信堯、
武田信友、武田信綱、武田信勝、武田信実、武田信貞、武田竜宝、武田信豊、長坂光堅、土屋昌恒、土屋昌続、
内藤昌豊、内藤昌秀、名和宗安、馬場信春、馬場少輔、原昌胤、日向是吉、室賀信俊、望月義勝、
望月重氏、望月信永、望月信雅、横田綱松、横田康景、米倉重継、湯本善太夫、湯本九右衛門、祢津是広、
名和宗安、仁科盛信、山県昌景、山県昌満、和田業繁、
具将としか思えんがなぁ
0446人間七七四年
2007/02/19(月) 19:29:13ID:mACJkTRD例え倍の兵力でも単なる野戦なら武田が勝っていたのでは?
0447人間七七四年
2007/02/19(月) 19:34:46ID:FK9Dbx68そりゃリスクは犯さないでしょう
0450人間七七四年
2007/02/19(月) 19:54:25ID:a/9gPuJoわざわざ信長本人がほぼ全軍に近い状態で主力を引き連れて出陣してるのに
守りの戦なんかするわけないだろ
武田を潰しに行った、
というか「武田叩き祭り」を開催しに行ったんだよ、頭大丈夫か?
0452人間七七四年
2007/02/19(月) 20:13:50ID:y2JvHpdy0454人間七七四年
2007/02/19(月) 20:48:15ID:Z+nrwuYyという意味不明な理屈をこねるに十万石。
0455人間七七四年
2007/02/19(月) 21:04:33ID:JbDPYMBu0457人間七七四年
2007/02/19(月) 22:21:24ID:Z1PRoR2P勝頼では信長の器量の足元にも及ばなず、村上義清クラスの猛将に過ぎない
内政に専念して国力を蓄え、家臣団の結束を固めて領地を守るべきだった
甲斐、信濃、駿河、飛騨、西上野を領する大大名として存続できた可能性が高い
上手くすれば秀吉と結んで徳川を滅ぼし、毛利に次ぐ大名家になれたかもしれない
つまり勝頼は義信に劣り、武田家を滅ぼした愚将
0458人間七七四年
2007/02/19(月) 22:42:31ID:Z+nrwuYy0459人間七七四年
2007/02/19(月) 23:01:38ID:ZZ7bUxyN「武田勝頼の墓」から多数の経石
山梨県甲州市教育委員会は19日、同市の寺院・景徳院にある県指定史跡「武田勝頼の墓」から、
墨で経文が書かれた経石が約5400個見つかったと発表した。墓から経石が発見されるのは全国的にも珍しいという。
景徳院は、勝頼が自害した地に、徳川家康が武田家の旧家臣に命じて建立させたと伝わっている。
現存する墓は勝頼の死から約200年後の1775年に建てられた。同じ場所に正室の北条夫人と嫡男・信勝の墓もある。
帝京大山梨文化財研究所の萩原三雄所長は「武田家にまつわる逸話が多くつくられるなど、
江戸時代には武田ブームが度々起こった。供養に大量の経石が使われたのはそうした時代背景も関係あるのでは」と話した。
甲州市教委によると、土台の石組みがゆがんで石塔が傾くなどしたため、昨年11月から墓の保存修理工事を開始。
翌12月、土台内から大量の経石が見つかった。大きさは数センチから数十センチとさまざまで
勝頼、北条夫人、信勝の戒名が書かれた約25センチ四方の平らな石も見つかった。
市教委は経石に書かれた文字をさらに詳しく調査するとしている。
[2007年2月19日20時40分]
0460人間七七四年
2007/02/19(月) 23:14:29ID:YyiuHQyUあれがなければ、滅亡が遅れてたかもな。 信濃をある程度平定したら、美濃を攻めればよかったんじゃね?
謙信と同盟できるように、根回ししてれば・・
今川に援軍を頼むこともできただろうに。 まぁ一度塩止めされてるから、その影響が結構大きかったんでは?
ところで、信玄が駿河を攻める前ってすでに、信濃と甲斐の金山って枯渇してたの?
0461人間七七四年
2007/02/19(月) 23:32:07ID:JbDPYMBuその子を補佐して信繁が渦中をまとめられれば理想的だったのに
0462人間七七四年
2007/02/19(月) 23:42:13ID:aw0YxCjV0463人間七七四年
2007/02/19(月) 23:51:36ID:cQnV+/tx高天神を始めとして度重なる外征で一時的に支配領域は広がったが、領国が疲弊したのも事実。
誰かの配下であったなら、猛将と評価される事はあったかもしれないが、当主としての器ではなかった。
0464人間七七四年
2007/02/20(火) 00:09:43ID:8eSP3oqC勝頼が素直に遺言を守って国内をまとめることに専念しておけばよかっただけなのに
義信が廃嫡されなければ徳川が今川を吸収して有力大名に成長しただろうね
0465人間七七四年
2007/02/20(火) 02:23:36ID:flTdjE4g他には瀬田に旗を立てよだったか?
0466人間七七四年
2007/02/20(火) 08:26:31ID:Ha8kScsD国内纏めるもなにも、武田家の財政自体がもう戦争で養う状態
それ修正しようと商人呼んだら批判されるのが甲州武士の後進性(っつってもこの部分は軍鑑だから当時本当にそうだったのかは不明だが)
謙信並に統治に嫌気がさして逃げ出しても不思議じゃない
0467人間七七四年
2007/02/20(火) 08:32:14ID:WHX4JCoXhttp://human6.2ch.net/test/read.cgi/ms/1168957905/
7 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/01/18(木) 03:03:54 ID:iE8GVdnP
援交10回、中絶2回、デリヘル、ソープ1年、整形2か所
12 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/01/19(金) 22:43:01 ID:s7dkuHKN0
高校生の頃から喫煙。不倫経験あり。
旦那は私にとって7人目の彼氏。(旦那には3人目と嘘ついた)
酒に酔った勢いでワンナイトラブの経験あり。
25 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/01/26(金) 04:08:25 ID:IfNo5kNWO
中絶4回、イメクラ一年、二重整形、大学中退、性病2回、同棲3回。
45 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2007/02/04(日) 14:24:40 ID:PBhJa6V+0
自分の預金が旦那の年収の7倍くらいあること。
学生のとき、ちょっとした事業起こして大成功w そのことも話してない。
47 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/02/04(日) 17:16:59 ID:CaAW9Ko50
うーん。堕胎。母子手帳に記載しないといけないから…そこは糊で貼付けた。
義母にはバレているだろう。でも回数が…1回多いとは…永遠の秘密。
92 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/02/09(金) 23:46:04 ID:QRXcETQYO
セクキャバでバイト経験あり。援交しまくり時代もあり。ヤッた数は100人くらい。
私バツイチで今の旦那には元夫の浮気が原因で離婚したの。とか言ったけどほんとは逆。
好きな人できて夫捨ててのりかえた。浮気しまくりだった。
すごくいい夫だったのにすごく最低な事したって思う。
106 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/02/18(日) 09:56:13 ID:wIf/65Md0
半年前、万引きして捕まった事。嘘泣きして逃がしてもらった(^^v
0468人間七七四年
2007/02/20(火) 08:32:37ID:xyGDJP3V勝頼は逃げ出せばよかったんだ!
そしたら死なずにすんで江戸時代に高家になれた。
0469人間七七四年
2007/02/20(火) 15:37:28ID:tWFnxIpd0471人間七七四年
2007/02/20(火) 17:19:09ID:iLjacooE常人なら逃げ出したくなるような絶望的な状況を最後まで
武田家を立て直そうと精一杯頑張った勝頼は名将
氏真や信雄はクソ
0472人間七七四年
2007/02/20(火) 17:39:09ID:lXRaeP+T仇敵の懐に何度も入って、それでも生き延びたんだからたいしたもんだよ。
天目山合戦って、要するに「落ち武者狩りから逃げ切れなくてヤケクソの抵抗」ってのが本当のとこだろ?
0473人間七七四年
2007/02/20(火) 18:04:16ID:Q1swd44G若気の至り手でこのようになられてしまった、と言ったというのは、家康の仁心をたたえるために
江戸時代に作られた話との事。
本当は、実際に甲州征伐に出陣した、徳川家の批判さえ躊躇しなかった大久保彦左衛門が、
三河物語で書いた、その時の信長の言葉というのが最も信用できると、ある書物にあった。
「日本にかくれなき弓取なれど、運が尽きさせ給いて、かくはならせ給うものかな」
これが本当ならば、信長も勝頼を天下に名だたる武将と認めていたことが分かる。
義弟のシャレコウベにウルシを塗って酒盃にするような狂人でも、勝頼には
一目置いていたということだ。
0474人間七七四年
2007/02/20(火) 18:12:19ID:eTyBuVRP基本的に同意だけど、最後の「酒盃にした」は戦後におそらくは小説から出てきた、
ソースのないつくり話だぞ。
0475人間七七四年
2007/02/20(火) 18:20:49ID:Xr6RyoFI・世間で大人気の最強武田信玄、最強武田家臣団、最強騎馬軍団
という華々しさに嫉妬し、ひたすら今川のしょぼさを後ろめたさ
に感じながら、武田を叩きたがる毎日。
・「史料を提示しろ!」この言葉を全面に押し出せば、武田ファン
は黙るとでも思ってるんだろうが、自らが史料をろくに調べもせず
ひたすら妄想だけで、武田の史実を捻じ曲げたがる程愚かな性格。
・基本的に今川を持ち出して武田にかなわないとなると、織田や北
条など他の大名を持ち出して武田叩きを開始、武田より優れている
証拠を理屈で何一つ提示出来ないアホぶりww
・武田の領土(甲斐信濃)の特性に合った戦略戦術軍の編成が他の
大名に出来るわけは無いのだが、それすらも強引に「他大名にも出
来たことだ!」などと嘘吹く程愚かな性格。
・大名によって軍略や政略外交なんてのはやり方に差があって当た
り前なのを、一々他大名を持ち出して屁理屈を言いながら信玄を叩
く毎日。
・戦略上の小さな合戦を、さも大々的に「武田の負けだ!」と必死
になる始末、例を上げれば武田と北条が駿河で対峙した時、武田は
状況の悪化から一端兵を引いたが、その時点で武田の負けと彼らは
言う、その後の三増峠などの合戦で結局武田が北条を抑えて駿河平
定を完成させた戦略上の成功を全く無視する始末www
0476人間七七四年
2007/02/20(火) 18:21:30ID:Xr6RyoFI・「史料を提示しろ!」とか自ら指摘しておきながら、結局提示して
やってもろくに読みもせず、ひたすら単細胞な脳みそで屁理屈と妄想
のみをぐだぐだと喚く程愚かな性格、おまけに「直接リンクするな」
だって 爆笑) もうここまで性格歪んでれば永遠に社会で生きてい
けないね。
・信玄が騎馬を活用した証明になる資料なんていくらでもあるのは事
実なものを、ひたすら全否定したがる程「武田には無いもの」と決め
かかる性格は幼稚園児そのものだ。
・あげくには、甲斐特産の馬のことまで否定する始末、傾斜を自在に
走れる筋力耐久力を兼ね備えてるのは甲斐の馬だけなのは事実なのに
それすらも否定する姿は哀れになってくる。
・仮に全国で甲斐の馬のようなのがあったとしても、信玄程軍略に活
用した人物はいない以上、武田の騎馬軍団のみがナンバー1であり、
オンリー1であったのは間違いないのに、アンチときたら「そんなの
信玄以外でも出来たことだ」と言う始末、基本的に誰でも出来るなど
という感覚してるアンチは見るに堪えないというか爆笑ものだこりゃ
0477人間七七四年
2007/02/20(火) 18:22:23ID:Xr6RyoFI「最強=武田の代名詞」この2文字は言うまでもないが根拠が十分に
ある、まあ単細胞人格破綻のアンチに今一度教えてやると
・諏訪 村上 小笠原 など強力なライバルは多かったが、結局それ
らの敵に打ち勝って信濃平定したのは武田である、そもそも信濃だけ
で70万石もあるほど版図が広い為一概に「時間がかかりすぎ」とも
言えないのである。
・信玄生前までは、甲斐と信濃が他国に侵されたことは無い、これは
有力大名の中で、信長家康謙信氏康義元などには出来なかったこと。
・東海攻略における、北条撃退 今川攻め 織田徳川撃退などがまさ
しく武田信玄とその軍団が最強と言われる所以であったと思う。
結局信玄の信濃攻略以降の列強は、武田軍に勝つことが一度も出来な
かったと言える。
・アンチからすれば「東海攻略に4年もかかって駿河しかまともに
平定していない」と言い訳するが、北条や上杉などのけん制があった
ことなどもう忘れているわけである、まあ叩く為のネタにしてるだけ
であろうが。
0478人間七七四年
2007/02/20(火) 18:23:45ID:Xr6RyoFI結局俺が提示してやらないといけないんだねえ、やっぱ低脳で
どん臭い学生君は自ら行動を起こすという概念が欠落してます
ねこりゃあ。こんな程度の史料は今や誰でも知ってますからね。
0479人間七七四年
2007/02/20(火) 18:32:58ID:3mqR8mu00480人間七七四年
2007/02/20(火) 19:42:59ID:flTdjE4g馬鹿が無い知識総動員して書いたんだろうからな。
ちょっと突っ込んだらすぐ今川厨扱いだぞ。
まあ朝比奈とかはけっこう好きな武将ではあるがよww
0481人間七七四年
2007/02/20(火) 20:08:57ID:TIPJ3fcd0483人間七七四年
2007/02/20(火) 21:58:26ID:A3voWj/Z安心させた後に、全員捕縛、惨殺している信長なので、たとえ酒盃の話がフィクションだったとしても
あの残忍な性格をよく描写しているので全く違和感はない。
長坂などは、出頭したのに罵倒されて蹴り入れられて斬首されたんだから。
0484人間七七四年
2007/02/20(火) 22:30:40ID:mg/MWYyz0488人間七七四年
2007/02/21(水) 01:34:47ID:4+yFYoUT頼みの金山も枯渇してきたようだし
やっぱり信玄の代からいる重臣を納得させるには父を超えるようなことを
やって納得させてやりたいと思ってたんだろうね
ただその相手が信長ではねぇ・・・
0489人間七七四年
2007/02/21(水) 01:45:50ID:XXupo6NN面積やゲームの所為で、信濃は広くて兵士も一杯、土地も一杯で価値デカイ!
ってイメージがが多いが、実際は広い割りに価値はなぁ。
上野やらほかの土地も山岳地帯がほとんどで、争ってまで得たいって領地は少なかったんじゃないかね。
信長にせよ、勝っても利する面が少ない武田は後回しで、利益のでかい近畿に進んだんであって、
別に言われてるほど信玄を恐れたとか、そういう理由じゃないと思う。
勝頼は徳川と同レベルの意味の同盟くらいしか、武田家存続の選択肢はなかっただろうな。
0490人間七七四年
2007/02/21(水) 02:00:42ID:SfhGYpIM0491人間七七四年
2007/02/21(水) 02:07:01ID:vh1roUeTゲームやるとそんな風に感じるのか?
まあ多少は昔と今じゃ土地の使い方違うって知識も手伝うんだろうが・・・
信長の野望すげー
0492人間七七四年
2007/02/21(水) 02:11:59ID:DTYxyB+r優秀で数もいる武田の支配地域の生産力は必然的に
最近は勝頼さんも結構優遇されてると思うけどな
0493人間七七四年
2007/02/21(水) 02:18:25ID:XXupo6NN逆に文明が進化してない頃だったから、人がちらばってたイメージがあるのかねぇ?
除雪車もなく、品種改良もなく、交通網も整備されてなかったのだから、余計酷かったかもくらいに思うんだが。
実際、現代であの辺り車で走ったりすると、どこの主要市街も四方が山脈に囲まれてて、盆地、盆地に町があるっていう感じで、
攻めるのに手間取りそうなわりに、好んでほしがる土地でもないだろうなと、ありあり思った。
ちなみに信長の野望だと、どのシリーズでもほとんど建物やらの多さや生産力、人口的にも全国屈指の豊かな土地。
ただ、これはゲーム的に初心者でも楽しめるよう、武田や上杉の武将は強くしているということもあって、
それにあわせて、国力も強めの設定にしているという面もあるだろうから、一概に責めるわけにもいかない。
問題はそのイメージで史実まで語ってしまうことだろな。
0494人間七七四年
2007/02/21(水) 06:23:51ID:exaGHQpX信濃と比べたら遥かに小さいわけだ
特に戦国時代だと埋め立ても干拓もしてないから現代の尾張地域よりもさらに小さい
地図だけで見ると仮に尾張の大部分が耕作地帯だとしても
(堤防が完成する江戸時代までは大きな河の周辺は耕作不可能だが)
信濃の耕作面積よりも狭いんじゃないかと思えてしまう
目の錯覚というヤツですな
0495人間七七四年
2007/02/21(水) 07:15:06ID:VQoGHBJUそのまま歴史に興味も持たずに育った人は、子供の頃のイメージでも仕方ないのかなw
信長の最新作の革新でも、金山はあるし、重要な街数も全国最大でフル活用可能な超優遇な領土だし。
ところで、勝頼に殉じた「千人斬り」土屋昌恒の長男は、随分と優遇されてたんだね。
徳川に召し出されて、大名にまでなってる。
その後も、赤穂浪士の討ち入りの際、当時の当主が浪士の心意気に感じ入って、
密かに助力をしたみたいな話で、歌舞伎だのにまで登場してる有名人物だとまでは知らなかったわ。(土屋屋敷と吉良屋敷が隣だったとか)
0496人間七七四年
2007/02/21(水) 13:08:49ID:GS/NpWUA織田信長、豊臣秀吉なんかは江戸幕府の関係から
かなり悪評をまかれてるから眉唾。
織田信長が残忍だってのもいいかげんな話。
それこそ武田勝頼が愚将というのと同じようなもの。
0498人間七七四年
2007/02/21(水) 17:49:00ID:b0v75heU苦労してまで手に入れたくない土地だから織田は武田と争いたくなかったんだろうね。
野沢菜って土地が痩せていたから出来た作物だったりするし、昭和40年ぐらいまで貧しくて米なんて普通に食べれない土地だったし。
閉じ込めておけば港がなければ先細りになると見越していたんだろう。
0499人間七七四年
2007/02/21(水) 18:16:06ID:3bgBe5l+戦国時代に建てられた寺を改築する時に
「信長が一揆衆を大量虐殺しました」
って書かれた瓦が発見されたじゃん
作られた時期は安土桃山時代、発見された時期は昭和だよね?
幕府関係ないじゃん
0500人間七七四年
2007/02/21(水) 18:31:47ID:wIeUEltR快川和尚以下全員が山門に押し込められ、生きたまま火をつけられ、焼き殺された。
これは、隠れなき事実であり、十分残忍である。徳川とか関係ない。
0501人間七七四年
2007/02/21(水) 18:46:42ID:AgwNi4P50502人間七七四年
2007/02/21(水) 18:54:24ID:AgwNi4P5キチガイ出現w
0504人間七七四年
2007/02/21(水) 19:07:02ID:WUzVgR8sお前はその瓦が作られて使われた経緯や瓦に書かれていた文章や
瓦以外の事実と符合する文献などを全く知らないから
そういうアホな事が書けるんだよ
少しは勉強しろよw
0506人間七七四年
2007/02/21(水) 19:52:55ID:QSHySCEs敵のこもる城をねぎりしたようなもんだろう。
武田信玄や秀吉も同じようなことをやってる。
長島一揆は一度降伏したようにみせかけて反撃するようなこともしているし。
残虐とするならば織田信長だけじゃなく大抵の大名は残虐。
0507仙台藩百姓
2007/02/21(水) 20:13:51ID:jQIOhgRx虫でも知ってますよ
武田なんて弱い大名の下に生まれた人々は不幸ですな
0508人間七七四年
2007/02/21(水) 20:30:06ID:E5M7anSD天下を夢見て周辺地域を荒らすのは容易な事、猿関白にひれ伏すまでは。
0509人間七七四年
2007/02/21(水) 20:37:59ID:QRYFha3e0510人間七七四年
2007/02/21(水) 20:39:11ID:ziTFSUBN伊勢長島 20000人虐殺
天正伊賀の乱 多数
比叡山 多数
いつ信玄と秀吉が虐殺したの?秀吉はむしろ懐柔策で一向宗をまとめた
んだけど
0512人間七七四年
2007/02/21(水) 20:49:55ID:sI5B7fjQ実際は戦闘員だったんだろうがね
でも、大量の女子供まで城内に入れて篭城する方も問題あるとは思う。
仮にも人を救う事を目的にする集団だからね
0514人間七七四年
2007/02/21(水) 21:35:23ID:l7wFHueQ0515人間七七四年
2007/02/21(水) 22:42:20ID:/9axrdEP広島の1発の原爆での死亡者の数に匹敵するらしいんだけど
それだけ執拗に一揆対策に取り組んだ織田軍と
織田軍が2週間かかった仕事を1発の爆弾でこなせてしまう原爆と
どっちが残忍なのかって事が堺屋太一の本に書いてあった
0517人間七七四年
2007/02/21(水) 23:11:26ID:FY6lGvqJ0518人間七七四年
2007/02/21(水) 23:18:00ID:/9axrdEPいや、でも
殺すのも重労働でなおかつ殺す側も殺される危険性があり目の前で人が死んでいく信長軍と
開発にかかった手間や時間や費用は別として、
飛行機ではるか上空から爆弾を落とすだけで人が何10万人も死に
殺す側には人が苦しみながらグロくなって死んでゆく姿が分からない原爆とでは
「人間を殺す」という感覚が違うんではないかと
0519人間七七四年
2007/02/22(木) 00:55:53ID:vruV4qz5http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1171850932/
0520人間七七四年
2007/02/22(木) 20:56:11ID:Pxpa16n0こんな所に、まともに突撃したらたまらない、まちがいなく全滅する。
佐久間某のいんちき手引きがあったにせよ、なかったにせよ、馬場、山県ら歴戦の武将達は
即座に胡散臭さを見抜いた故、勝頼に決戦不要と進言した。
騙し討ち専門の信長の性質など、分かっていようものなのに、
結局あの足軽集団に対して、御旗、盾無もご照覧あれと総攻撃してしまった。
どんな手段でも勝てば官軍であると。
0521人間七七四年
2007/02/22(木) 20:58:55ID:j2xYoA7l織田軍が一向一揆を虐殺したのは明確な大将がいないから
全員殺すしかなかった とあるねぇ
たしかに普通の合戦じゃ責任者が腹を切れば開場するけど
0522人間七七四年
2007/02/22(木) 20:59:01ID:Kh2Dios0再三再四書かれている事だが
長篠戦で武田軍が甚大な被害を受けたのは鉄砲の三段撃ちでも馬防柵でもない撤退戦であり
組織的な撤退が出来なかったから
0524人間七七四年
2007/02/22(木) 21:07:36ID:lHPCp8+Xどうせ退却しても信長との国力の差は開くばかり、織田に対抗するためには二、三度は
織田に対して大勝利を納めなければ活路は見いだせない。
0525人間七七四年
2007/02/22(木) 21:19:44ID:lmqoU34+織田と戦う前、上杉と同盟を結んで、
織田徳川連合軍vs武田上杉連合軍の決戦という
選択肢はなかったんですか?
0526人間七七四年
2007/02/22(木) 21:33:00ID:0/jsYNQf0527人間七七四年
2007/02/22(木) 21:41:06ID:zLB1XW7Y財政が厳しい中、大金かけて遠征してきた手前、槍を交えず引き返すに引き返せなかったのかねぇ・・・・・
0528人間七七四年
2007/02/22(木) 23:31:03ID:D2sBAY0o1577年以降の情勢がまさにそれ
結果:上野〜武蔵〜駿河〜遠江〜三河〜岐阜という長大な戦線の出来上がり
0530人間七七四年
2007/02/23(金) 10:27:31ID:Ebpsz36S甲越一和が成立しただけでも不思議なくらいなのに、共同戦線っていうのは無理があるんじゃ?
0531人間七七四年
2007/02/23(金) 11:35:48ID:CQ4FH/xk0532人間七七四年
2007/02/23(金) 15:14:21ID:typzG9zt0533人間七七四年
2007/02/23(金) 15:56:55ID:U0MrELzchttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153309732/
0534人間七七四年
2007/02/23(金) 16:09:46ID:zu/+O9a+0535人間七七四年
2007/02/23(金) 17:53:51ID:6C7/ckIn0536人間七七四年
2007/02/23(金) 18:10:03ID:1v689iTq謙信vs信玄 引き分け→謙信=信玄
信玄vs家康 信玄勝ち→信玄>家康
信長家康vs勝頼 勝頼ボロ負け→信長家康>勝頼
謙信vs信長 謙信勝ち→謙信>信長
よって、謙信=信玄>信長・家康>勝頼
これ常識。
0537人間七七四年
2007/02/23(金) 18:33:58ID:eXpXAYD9三方ヶ原で家康が信玄に引っ張り出されたというのは俗説。
それを除けば数に勝る武田方が勝利するのは自然の成り行き。
> 信長家康vs勝頼 勝頼ボロ負け→信長家康>勝頼
鳶ノ巣山本陣から有海原に出て行ってしまったのは判断ミス。
ただ、一旦前進してしまって、後ろを突かれたら後は仕方が無かったと思う。
> 謙信vs信長 謙信勝ち→謙信>信長
手取川に関してはその記録が僅かしかないので
それらの記録から想像するしか方法はないけど、
恐らくは柴田軍かその一部と上杉軍との小規模な合戦だと思われる。
少なくとも信長自身は加わっていない。
0538人間七七四年
2007/02/23(金) 20:09:29ID:preEaMjX>組織的な撤退が出来なかったから
は?
そうできないような展開にしたんじゃないか。
野戦築城や鉄砲で織田・徳川が優位に戦を進め、
武田勢につけいる隙間を与えず、思うような展開ができなかったから、
撤退戦がうまくいかなかった。
つーか、そもそも長篠城が落ちず、鳶の巣砦が落ち、
織田、徳川の太平に挟まれる形になって撤退線が難しかったから突撃したんだけどな。
あんたの書き方ではまるで偶発的出来事みたいな言い方だ。
0539人間七七四年
2007/02/23(金) 20:17:49ID:eXpXAYD9俺は>>522じゃないけど、
長篠の問題は織田陣への突撃じゃなくて、
それ以前の進軍にあるわけでしょ?
進軍した隙に背後の長篠城攻囲部隊を酒井隊に殲滅され、
尚且つ後ろを取られた。
何で本陣を出ちゃったのかな、という事が問題で。
0541人間七七四年
2007/02/23(金) 20:38:18ID:yU7mnu68ゲームなどで勝頼より謙信のほうが数値が上だったりすると頭にくる
0542人間七七四年
2007/02/23(金) 20:52:35ID:G7kb9dB6手取川っすか?w
0543人間七七四年
2007/02/23(金) 21:18:31ID:D5MLqmjf無知な奴。その知識レベルだと信玄のせいで武田が〜〜とかってタイプだろ
0544人間七七四年
2007/02/23(金) 21:34:19ID:fIB6pK6N0545人間七七四年
2007/02/23(金) 21:50:47ID:preEaMjX関東で大量に拉致してきた奴隷を
自ら差配して売りさばいたという逸話もあるしな。
でも、それは信玄も同じ、
ある城を落として城の生存者全員を
男は金掘り妊婦に女は遊女にして売り払ったとか。
0546人間七七四年
2007/02/23(金) 22:33:15ID:ELrtrReAと一瞬だけ思った
0548人間七七四年
2007/02/23(金) 23:58:27ID:/NEbhN80相手にすんな
スルーしれ
ここんとここのスレに張り付いてる基地外だよ、そいつ
なんでもかんでも武田家が滅んだのを謙信のせいにしてるんだわ
0549人間七七四年
2007/02/24(土) 01:15:12ID:02I6hmyP0550人間七七四年
2007/02/24(土) 03:11:17ID:hYSOBzdSオレが>>522だけど何で怒ってるの?
>>520「鉄砲三段撃ち+馬防柵+堀に突撃して甚大な被害を受けた」
>>522「そうじゃなくて総崩れの状態での撤退戦で甚大な被害を受けたのですが」
>>538「はぁ?」(以下意味不明)
何で>>539が親切に解説してくれてるのに無視してるの?
0551人間七七四年
2007/02/24(土) 10:26:54ID:4dWuwpYeまず当時の状況を知るのは両軍のみ。地形や軍の配置はおろか鉄砲や騎馬の数・使い方すらよく分かってない。状況が分からないのに勝頼の状況判断を考察することなど不可能。
また勝頼は歴戦の将であり相当の経験に基づいた采配をとったことは間違いない。机上の空論を振り回すしかない我々がそれを評価することは不可能。
議論したければすればいいが水かけ論になるか錯綜するのがおち。答えは出るわけがない。無意味。
0552人間七七四年
2007/02/24(土) 11:49:09ID:4qmqS2tY0554人間七七四年
2007/02/24(土) 15:03:30ID:UHnRrid2結果だけを知っているからこそなんとも言える。しかし、大きな流れを
一人で変える事なんてできなかっただろう。
武田が滅びたのはただの必然でしかなく、どうにもできなかった。
0555人間七七四年
2007/02/24(土) 15:19:39ID:KU7YhAIO勝頼は愚将扱いにはならなかったと思うね。3段うち、突撃、撤退して最後は裏切り。
よく描かれてるやつじゃなく、長篠設楽が原描いた作品がみたいなぁ。
0556人間七七四年
2007/02/24(土) 15:49:03ID:4dWuwpYeいや、例えば長篠なら鉄砲の数とか軍の配置、当時の地形、鉄砲や騎馬の使い方、兵制、外交情勢、そういった具体的なことならおおいに語る価値あるよ。
状況判断とかは具体的な状況を理解した上で初めて語れるものだろ。それに基本的な情報が共有されてないと議論も成り立たないし。
だけど今のところ鉄砲の数や騎馬の使用についてすら話が紛糾する始末。そんな状態で能力を考えようなんて無茶な話。合戦の展開などの具体的な状況を巡って話が延々とループするだけ。
戦国板には有意義なスレもあるがこういう無意味ならスレも多い。まあ議論が成り立たないという意味で無意味なだけで、人によっては面白いだろうしその意味では有意義だろうけど。
0557仙台藩百姓
2007/02/24(土) 15:50:12ID:O190mUon0558人間七七四年
2007/02/24(土) 15:57:05ID:VmOyNEhpそれこそ、信長の策略に引っ掛かった馬鹿丸出しの猪武者として描かれそう。
織田陣攻撃が勝頼の一存では無く、武田家の総意って事になるなら
それこそ馬鹿丸出しの猪武者軍団として描かれそう。
0559人間七七四年
2007/02/24(土) 16:34:21ID:VmOyNEhp信長公記に「千挺ばかり」というのを「三千挺」と加筆訂正されている物がある事から
鉄砲の数がはっきりしていない事になっているけど、
健勲神社本等の古い物ではしっかりと千挺ばかりとなっている。
江戸時代、より有名になった小瀬甫庵の「信長記」で三千挺とされた事から
「信長公記」の方も三千挺に加筆訂正され、
それ以降の写本では完全に三千挺にされたようだね。
まぁ、とは言え流石に千挺では少なすぎる。
牛一も正確に鉄砲の数を把握出来てはいなかったと思うけどね。
0561人間七七四年
2007/02/24(土) 18:35:38ID:tnYq5dMzだいたい実力は同じかな、格は圧倒的に秀忠が上だが
0562人間七七四年
2007/02/24(土) 20:29:43ID:DVjNh3KH千丁無いし三千丁っていうのはその特別動員の部隊じゃ?
通常の軍役で動員した鉄砲隊なら、いちいち信長直臣から臨時の奉行出して統制する必要は無い
あと普通に動員した連中や徳川の鉄砲もあっただろうし
0563人間七七四年
2007/02/24(土) 21:17:10ID:HSigtYq5ご自身の渾身の調査で、柵に突撃した武田軍は、織田方の武将のニセの内通により攻撃を仕向けられたものであり、
決して、勝頼が血迷って各隊を突撃させたのではないとあった。
おそらく、信長がバテレンから、欧州での砦における、攻め方が全滅した
コルドバの戦い?の内容を詳しく聞いており、真っ向勝負では士気において尾張軍は全く勝ち目はないが、
だまして完全防備の要塞に突っ込ませれば皆殺しにできるということで、用意周到に計画したとの事。
この戦には、家康も参戦していたので、後に幕府方の資料には真相は決して書かれなかったと。
もちろん甲陽軍艦も幕府公認の兵学書。
0564人間七七四年
2007/02/24(土) 21:23:59ID:KWi8h0UQ>真っ向勝負では士気において尾張軍は全く勝ち目はないが、
は笑う所?呆れる所?それとも突っ込む所?
0565人間七七四年
2007/02/24(土) 21:46:19ID:A/HVDmLm0566人間七七四年
2007/02/24(土) 21:49:12ID:L/eyl6nO突っ込むところ。「真っ向勝負では」でなく、「農繁期以外」だから。
0567人間七七四年
2007/02/24(土) 22:09:12ID:DKXgyC8e武田軍の編成
騎馬隊 10000
歩兵部隊 3000
A織田・徳川連合軍
鉄砲隊 3000
歩兵部隊 25000
B両軍の死傷率
武田軍:90l
織田・徳川連合軍:5l
お前ら、このくらいなら納得するんだろw
0568人間七七四年
2007/02/24(土) 22:10:37ID:z59W17xh0569人間七七四年
2007/02/24(土) 22:12:50ID:Vq6XXnAMわ〜わ〜できないよ
0570人間七七四年
2007/02/24(土) 22:58:47ID:UHnRrid2これが1万頭にもなると1日に400tもの糞尿が出る事になる。
それに人間の糞尿も加えると・・・・・((;゚Д゚)ガクガクブルブル
う〜ん、武田の陣はさぞかし香ばしい香りがしていたのであろう。
0571人間七七四年
2007/02/25(日) 00:56:14ID:yIPBhcgv松平ナントカというあまり知られてない武将が一人死んだだけなのに対して
武田は大半の武将、豪傑が死んでしまったというデータがある以上。
「織田徳川も総統な損害を出した」とか「実は接戦だった」とかいう
見解は総統に相当に無理があるよ。
0572人間七七四年
2007/02/25(日) 01:55:29ID:KoUgi18J0573人間七七四年
2007/02/25(日) 02:00:05ID:SsEnbb6a実際少なくとも1000頭はいただろうから
40tは糞尿がでてることになるわな。
40tでも充分香ばしいと思うんだ。
0574人間七七四年
2007/02/25(日) 08:44:18ID:a1pEso4l0575人間七七四年
2007/02/25(日) 08:48:47ID:H0zjxnd70576人間七七四年
2007/02/25(日) 09:58:50ID:ABWWBxrLまあ騎馬隊なんて言葉、ちゃんと定義されて無いだろうが
0577人間七七四年
2007/02/25(日) 11:38:13ID:wi7AM3+e織田だって騎乗に対して従者が付くだろ
0578人間七七四年
2007/02/25(日) 12:04:16ID:NvNeVXH6まず、武田は内応者の裏切りを確認してから攻め込むようにしてきたこと。内応は常に騙しの可能性があるので当然のこと。確認がとれてないのに期待して突撃したとすればそれこそほんものの馬鹿。
それと内応は格下の側が生き残りを図ってするものなので、武田より格上の織田から内応者が出ることは通常ありえない。内応の話があっても余計に疑ってかかるのが当然。もし信じたならそれこそまごうことなき馬鹿。
しかし多数の合戦を経験してきた勝頼及び家臣団がそんなに馬鹿なわけがない。
まあここまでは推測に過ぎない。が、何より内応に関する資料的根拠が一つもない。内応の有無は各勢力の威信にも関わる最重要の話なので、内応の話があったとすれば何らかの資料に残っている可能性が極めて高い。
ということで内応説は説得力に欠ける。
0579人間七七四年
2007/02/25(日) 16:13:45ID:3ePraGSu家臣の団結も、信玄時代と変わらなかったと思われる。
勝頼は譜代や親戚衆からすれば、余所者。とても主君と仰ぐことはできなかった。
あと義信には娘がいた筈だが、もし息子がいたら、嫡孫として家督相続したほうが、
勝頼が相続したよりも、良かっただろう
0580人間七七四年
2007/02/25(日) 17:53:31ID:lVaWxiuTスカトロマニアのお前にはたまらんだろうな
それとは別に、自らの死後の政権の構想を持たなかった信玄入道氏ね
0581人間七七四年
2007/02/25(日) 18:53:22ID:LVHPQUrg0582人間七七四年
2007/02/26(月) 00:01:12ID:8TGIR26Z環境問題もほっとくと未来の人類が滅びることになるのかも。
0583名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/26(月) 00:57:16ID:iXbe19yaどーせその頃には俺死んでるし。
って感じだったんだろうか信玄も(´・ω・`)
0584人間七七四年
2007/02/26(月) 01:21:52ID:NoON4Njg0585人間七七四年
2007/02/26(月) 15:31:15ID:LEwVwKsn言い訳したり、人にかばってもらえなきゃ何もできないただの死人。
こんな奴を擁護する必要はない。
地獄で永久に苦しみやがれ
0587人間七七四年
2007/02/26(月) 18:07:24ID:rU3Yyrhp「武田家を滅ぼした張本人」は武田勝頼ではなく織田信長です
珍説を唱えたいのであればソースをお願いします
0588人間七七四年
2007/02/26(月) 18:44:41ID:fQBAGlAf並みの屁理屈だな。
>>586
石高的にはそれほど格差があるわけでないし、
南の今川、東の北条と同盟が維持されるから時間はかかるだろうがまとめるんじゃないか。
徳川が伸張してきて武田に対してどう対応するかによっても変わるが。
0589人間七七四年
2007/02/26(月) 19:12:11ID:aMi1FMhVいいえ、織田信長の方面軍の1つを指揮していた織田信忠が滅ぼしました
武田家滅亡の原因は
90% 武田信玄
5% 武田の重臣
3% 武田勝頼
2% 織田信長
こんな感じだな
0590人間七七四年
2007/02/26(月) 19:39:03ID:xTpUESaD石高はともかく港の存在による経済力の差は大き過ぎだと思うよ。向こうは日本海最大の港所持だしね。
それに一向宗と完全に和睦してるし、どのみち武田は詰んでいたと思われる。
0591人間七七四年
2007/02/26(月) 19:40:42ID:HSbVVe160592人間七七四年
2007/02/27(火) 08:33:35ID:uqPMuJAwカツヨリを擁護する場合、武田家は国人の集まりだから勝手な事は出来なかったって言うけど
信玄もそうだったんじゃね?
0593人間七七四年
2007/02/27(火) 11:20:05ID:1h5ZBD9M陣代説は軍鑑の創作といわれているが、実際のところ信玄が生きているように見せかけた書状出したり独自の印を使えず信玄のそれをそのまま使ったりと勝頼の立場が弱かったことを示す史料は存在する
何しろ嫡子重臣粛清事件の後釜だからねぇ
0594人間七七四年
2007/02/27(火) 12:01:28ID:YZvYDy7z0595仙台藩百姓
2007/02/27(火) 12:22:21ID:2xW0dYsu0596人間七七四年
2007/02/27(火) 13:42:35ID:mrCaziTZ馬鹿だの無能だの言ってる奴が馬鹿
0597名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/27(火) 14:32:15ID:IuWKnt1C0598人間七七四年
2007/02/27(火) 14:43:18ID:FS3Nei3U断片的な事象から判断出来る事のみ取り上げて
賢いだの有能だの言ってる奴が賢い
0599人間七七四年
2007/02/27(火) 15:25:11ID:nFfh249n信玄の就任は、
元々信虎の専制政治に代わって傀儡を作る事から始まってるから
勝手なことをできなかったのは事実だが
あの頃はまだ群雄割拠で、比較的容易に大きな領土拡張ができていたから
政治力を取り戻す事はできたと思われる。
勝頼の時代は、もう回りは大大名ばかりだったから、
少しの領土を伸張するにも負担が大変だった。
0600人間七七四年
2007/02/27(火) 16:03:55ID:0Kpnu9tJさらに12才と幼かったのに信玄の妾にされて、14の時に勝頼生んでいるんだよね?
で、勝頼は諏訪を継ぐためにと定められていたわけなんだけど、これって母親もそのように教育していたんじゃない?
家族を皆殺しにされながら信玄に惚れるとかありえないし。
勝頼も「武田シラネ。ママンのために諏訪の跡継ぎとしてがんばゆ!!」とかって考えが基本だったんじゃない?
だから武田は滅びた。
つか、どうでもいい事書いてるが気にするな。
0601人間七七四年
2007/02/27(火) 18:00:09ID:0AJQGYF40602人間七七四年
2007/02/27(火) 18:59:30ID:mCsfPIgz現在のような名声はない
0605人間七七四年
2007/02/27(火) 22:13:54ID:MZthBM/6まああまり関係ないが。
0606人間七七四年
2007/02/27(火) 23:05:51ID:Ln7LWiq50607人間七七四年
2007/02/28(水) 17:44:38ID:eV38F4Pn0608人間七七四年
2007/02/28(水) 18:39:23ID:9bOz8fAS当時、家族を殺されてあーだこーだなんて、あんまり意識ないだろ。
普通に親父が切腹させられても、子は普通に使えたりするし、主の命令で子供切腹させたりした時代だもの。
現代の思想で考えたら、それこそ人質に送られたり、政略結婚させられた実家への恨みはないのかって話になる。
0611人間七七四年
2007/02/28(水) 19:39:12ID:9bOz8fASん?長慶も、同族を討ったりしてるし・・・
>>610
やっぱり、秀吉は農民出身だったから、そこら辺の心構えというか育った環境が違うんでしょ。
0615人間七七四年
2007/03/01(木) 03:45:43ID:GxhGcj5Z逆、あんな時代だったからこそ、個人よりも家が重視される時代であって、
当然嫡男などの概念は非常に重要だった。
だからこそかえって個人よりも家名の方が重くなるので、
そのためであれば政略結婚や人質などは当然という考えにもなる。
そしてそれがあるから家名の奪い合いになると中途半端な血縁関係がかえって
敵対関係を深める結果になることも多い。
0618人間七七四年
2007/03/01(木) 09:56:53ID:mKElZJin四国の大半を諦めさせられた挙げ句、長男まで失った連鎖的なものだった気がする。
三次はもうそれこそ内紛に過ぎるしなぁ。
0619名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/01(木) 09:57:59ID:TqcboNvj規範意識としては、建前としては、人質も政略結婚も正しいし名誉あること。
しかし建前として美しくても人間には情があるので悲しいこともある。
戦中日本で戦死は名誉でもやっぱり親は悲しいし本人も辛かったろう。
政略結婚や人質の裏には悲しみがつきまとうこともある。
0620人間七七四年
2007/03/01(木) 11:18:16ID:4SYvauZn0621人間七七四年
2007/03/01(木) 18:14:28ID:vd40VviQ戦国時代の武家の家庭での「親子」という関係が
現代の一般社会の家庭での「親子」という関係とは違うから
それはなんとも言えないのではないか
0625人間七七四年
2007/03/02(金) 00:39:44ID:4NVWy8LS623じゃないけど、武田の先方集として諏訪家を盛り立てるって事じゃないの?
家名を残すとか、そんな感じで。
0626人間七七四年
2007/03/02(金) 16:58:27ID:6wznIaXF勝ち○ 松平長親 500 VS ×北条早雲 1万。
勝ち○ 松平清康(世良田二郎三郎) VS ×織田信秀。
勝ち○ 徳川家康 2万 VS ×豊臣秀吉10万。
勝ち○ 松平信康 VS ×武田勝頼。
松平普通に強い。イレギュラーがなければ、清康の時代に天下を取ってもおかしくないほど。
0627人間七七四年
2007/03/02(金) 18:31:49ID:pEbsPXQWデムパだな
0628人間七七四年
2007/03/02(金) 18:33:19ID:pEbsPXQWこいつはもっとデムパだ
0629人間七七四年
2007/03/02(金) 19:04:56ID:9xXa99l/0630法性院
2007/03/02(金) 23:03:53ID:OFXS9Tvv0631人間七七四年
2007/03/03(土) 00:47:18ID:rel0v+9Y0632人間七七四年
2007/03/05(月) 21:18:50ID:IeyMxeAF0633名無しさん@そうだドライブへ行こう
2007/03/05(月) 21:27:46ID:8weOclIj近年の研究では、智勇兼備の武将で、武田家の重臣たちの間でも人望が厚かったという。
しかし父・信玄と対立した義信事件は武田氏のその後に暗い影を落とす。
例えば武田氏滅亡直前の1582年に穴山信君が勝頼を裏切ったが、
その原因の一つに彼は義信と親しかったためと言われている。
また、信玄の死後に老臣たちが勝頼とウマが合わなかったのも、
義信事件が一因でもある。言わば、義信事件は武田氏滅亡の一因にまでつながったのである。
0634人間七七四年
2007/03/05(月) 22:21:09ID:3A2kvPE80635人間七七四年
2007/03/06(火) 04:00:53ID:jj8VO3OI0636人間七七四年
2007/03/06(火) 06:53:02ID:dzDpXxM00637人間七七四年
2007/03/06(火) 13:12:30ID:IOibxhA7実際に挟み撃ちに遭ってしまってからではどうしようもないでしょ。
寡兵で大量の鉄砲が装備されている陣城を攻撃したって無理に決まってる。
0638人間七七四年
2007/03/06(火) 17:07:12ID:LCioshslまず動員兵力・経済力で勝る織田との直接対決は絶対に避ける。
織田信長に媚まくってでも対決は避ける。
だけど謙信がいなくなって内部分裂状態の上杉相手には鬼のように侵攻。
エゲツなく上杉を滅ぼし越後を武田領へ。武田勝頼は東日本の覇者へ。
奇跡的に「本能寺の変」でも起これば、織田家の内部分裂を利用しまくって
西へ侵攻。ドサクサに紛れて織田家の領土を一部掠め取る。
0639人間七七四年
2007/03/06(火) 17:31:40ID:qKQTNbAqいつ頃から媚びるかってのが問題だよね。
下手な時期に媚びたら、重臣連中その他の手で間違いなく甲斐から叩き出されるだろうし。
設楽が原以降だったら勝長を返しても効果なかった位だし、意味ない。
上杉攻めも、前の年に北条夫人を貰ってるから、北条とは同盟を結んでる事になる。
北条がどこまで本気か分からないけど、とりあえず氏秀景虎を立てて頑張るって事になるだろうな。
武田に得する部分あるんだろうか…。
ここまででも結構問題あるけど、織田は抑えられたとして、徳川はどうする?
徳川をなだめるのは、相当大変だと思う。
0640人間七七四年
2007/03/06(火) 17:42:10ID:JBWTJqk6外交力があったんだからもう少し早くなんとかならなかったものか。
0641仙台藩土百姓
2007/03/06(火) 19:13:20ID:P1j/lEDG0642人間七七四年
2007/03/06(火) 19:24:55ID:QmBHTTL6信長包囲網のとき信長はかなりしんどかったし
徳川は武田に力押しされててやばかったけど、同盟を貫いたし
小牧でも信雄に請われて圧倒的な勢力相手に意地を見せてるから
勝頼がただ媚びたって情けない末路になるだけ
0643人間七七四年
2007/03/06(火) 19:38:53ID:qKQTNbAq確か織田とは和睦みたいな形にして、徳川だけを攻めるってのが史実での動き方だったと思うんだけど、徳川も含めると。
当然異常に難しいと思うし、何要求されるか分かったもんじゃないけど、可能性としてはどうだろう。
越相同盟は途切れていたんだし、氏秀景虎の奪還とかを名分にして甲相同盟を結ぶってのは一つの方向性としてはアリだと思う。
もちろん北条が武田の動きに危機感を持って越相同盟復活って可能性はあるけど、その場合は織田・徳川との関係を深めると。
多分俺が気付いてない問題とか結構ありそうなんだけど、どう思う?
0644643
2007/03/06(火) 19:43:59ID:qKQTNbAq○〜和睦の相手に徳川も含めると。
×越相同盟は途切れて〜
○対北条では、越相同盟は途切れて〜
抜けがあったので、補完して下さい。ごめん。
0645人間七七四年
2007/03/06(火) 19:46:57ID:mm4I0UWt0646人間七七四年
2007/03/06(火) 19:58:19ID:1LHajptwいっそのこと山名豊国みたく家臣から追放されて織田を頼り
道案内して諏訪に凱旋を果たしたほうがマシ
0647人間七七四年
2007/03/06(火) 20:01:09ID:qKQTNbAq北条とは婚姻を結べたらなお良し。
氏政の事だから援護してくれない可能性があるし、いつ攻めてくるか分からない恐ろしさはあるけどやらないよりずっとマシ。
織田も徳川もかなり危険だけど、上杉さえ倒す事が出来たら勢力が日本海側に広がり、奥州方面で勢力の拡大は出来るかもしれない。
更に、上杉攻め他で柴田と協力出来たら織田政権で強い味方が出来る事にもなる。
佐久間らの追放が起こるか分からないけど、起きた場合柴田の不信感を引き出す事も視野に入れられるかもしれない。
まぁ、多分そこまではいかないと思うけどね。
精々上杉攻め前後で降伏する位かな。
ただ、何の土産もなく和睦するってだけよりは、ずっと良いやり方だと思う。
おかしい部分とか、どうだろうか?
0648人間七七四年
2007/03/06(火) 20:26:11ID:qKQTNbAqだから上杉。
越相同盟は切れてるんだし、織田と上杉は…駄目か、1576年にならないと手切れしない。
それも、武田の行動如何によっては変わる可能性あるし。駄目だな。
どうにかなると思ったんだけどなー、豊国方式しかないのか。
0649人間七七四年
2007/03/07(水) 02:17:21ID:dfS/TENuだから家臣にみかぎられたのでは、
0650人間七七四年
2007/03/07(水) 06:34:47ID:qUg+hlky0651人間七七四年
2007/03/07(水) 07:27:11ID:xYUbvtpf0652人間七七四年
2007/03/07(水) 09:07:54ID:mKLCjlYR0653人間七七四年
2007/03/07(水) 14:24:41ID:1WniMo54いや、逆に抜群のテクを持ちながら、気に入った相手としかやらなかったのが滅亡の原因だったとか。
山県「うお〜〜〜〜なぜじゃ〜〜〜なぜワシを愛さぬ〜〜〜」
穴山「わしを愛してくれ!!!」
木曾「勝頼さまぁ〜〜〜〜ん」
勝頼「年寄りウザス」
内紛暴発
0654人間七七四年
2007/03/07(水) 15:21:08ID:wv5akP7/0655人間七七四年
2007/03/07(水) 19:19:36ID:xYUbvtpfとりあえず、猫アルクが山県なのはガチ
0656名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/03/12(月) 17:30:33ID:uq0lRfDD大東町には、高天神城という戦国時代の山城があります。
戦国時代には激戦地だったといい、千人塚と呼ばれる塚などもあります。
昔の話になりますが、その高天神の近く、今滝という所に住む祖母が夢をみたのだそうです。
夢の中に戦国時代の着物を着たお姫様が出てきて、小笠川に架かる、とある橋の近くを掘りなさい、と言ったのだそうです。
祖母は、言われた場所を掘りました。
すると女持ちの小刀が出てきたのだそうです。祖母は今もその刀を大切に持っています。
幼い頃その刀を見せてもらったことがあります。
ぼろぼろに錆びた小さな刀で柄は真っ赤でした。
私が刀に触れると
0657人間七七四年
2007/03/12(月) 18:04:07ID:dcSlWpVB0658人間七七四年
2007/03/13(火) 20:13:56ID:H6IFKeayいくさに負けてしなのなければ
0659人間七七四年
2007/03/13(火) 22:02:28ID:P38SzIJmマジレスするともう合併して掛川市では?
昨年の11月頃に諏訪原城、高天神城、掛川城と
ハシゴしたとき、大東町教育委員会の立て札に
掛川市教育委員会のシールが覆ってあったよ。
0660人間七七四年
2007/03/14(水) 01:15:42ID:zHRlU+rQ0661人間七七四年
2007/03/16(金) 15:21:40ID:Cifpndrlを使って織田と死闘を繰り広げていた。畿内は文化的に進んでいたせいか
戦闘も先進的で、凄まじいものだった。その畿内の激戦を制した織田の
強さは異常。勝頼や武田の家臣達はもうちょっと畿内の情勢に
詳しくてもよかったと思う。
0662人間七七四年
2007/03/16(金) 15:24:23ID:a587fV5T??????????????
0664人間七七四年
2007/03/16(金) 20:12:39ID:f9rwNHjC0666人間七七四年
2007/03/16(金) 20:47:45ID:KNzBhce5というか、以前から酷かったが最近の戦国板の過疎っぷりは酷い。
0668人間七七四年
2007/03/17(土) 01:50:18ID:pHt/f6QLこんなマニアックな板が満員御礼でたまるかw
0669人間七七四年
2007/03/17(土) 14:41:45ID:FhegpgSu武田の所領の経済的や地理的な価値が他大名にとって魅力的ではなかったってこともあるから
0670人間七七四年
2007/03/17(土) 15:02:51ID:xVJjA1fkを抜かして一番の勢いのあるスレが「一行リレー戦国小説」の59.8ってのは酷いだろw
0672人間七七四年
2007/03/18(日) 01:53:58ID:CbuSB9tf結局、そこに落ち着く気がするんだよな。
ただ、つまりは信玄が生きていようが、同じだったって感じで勝頼の性ではないと。
0673人間七七四年
2007/03/18(日) 13:00:50ID:/a40vKw+武田ぐらいじゃないか?100万石近くありながら皆殺しにされた大名って
0674人間七七四年
2007/03/18(日) 13:04:46ID:Ai7tntcQ0675人間七七四年
2007/03/18(日) 14:10:48ID:CbuSB9tf0679人間七七四年
2007/03/19(月) 07:32:11ID:fnIFi7RP0680人間七七四年
2007/03/19(月) 16:26:17ID:B718fZgy涙目で言われてもな
0681人間七七四年
2007/03/20(火) 00:53:46ID:IGKB9la0生き延びた一族の子女
松姫、勝頼の娘、盛信の娘
竜宝の息・信道(道快)
上杉を頼った信玄息・信清
(嫁ぎ先にあって無事だった女は省)
0683人間七七四年
2007/03/20(火) 20:43:03ID:QF4PraEN0685人間七七四年
2007/03/20(火) 23:17:09ID:VQEJZQfR0686人間七七四年
2007/03/21(水) 00:13:44ID:B90+wDM60687人間七七四年
2007/03/21(水) 05:44:05ID:97/s87Vy0688人間七七四年
2007/03/21(水) 11:20:29ID:wjTkuJLN0689人間七七四年
2007/03/21(水) 11:52:05ID:FSAn/+mc信玄の若い頃の合戦っていうのは
年に1度のお祭り的な要素もはらんだ特別なイベントだったじゃないですか
それが勝頼の時代になったら生き残るために
常時奔走してなきゃならんという状態ですから
0690人間七七四年
2007/03/21(水) 17:04:03ID:/GigOi2uおかげで勝頼の代で一切に不満爆発で一気に滅亡だもんな。
0691人間七七四年
2007/03/21(水) 19:01:25ID:paddw8m00692人間七七四年
2007/03/21(水) 19:02:33ID:73WRbJrZ0693人間七七四年
2007/03/21(水) 21:59:57ID:/GigOi2u0694人間七七四年
2007/03/21(水) 22:01:29ID:73WRbJrZどちらかと言うと他県から死体を捨てられる場所だよな。
0695人間七七四年
2007/03/21(水) 23:11:05ID:xcFvnOCe0696人間七七四年
2007/03/22(木) 13:55:52ID:70kLzAiT軍鑑は元々、小幡景憲が自分が作った軍学を流布するために高坂昌信に仮託して書いたもの
大筋の歴史的経緯はともかく、個別のエピソードでマンセーしている信玄他家臣団の話はまず眉唾と見ていい
同時に彼らを神格化するために、史実を捻じ曲げている例も多い
例えば奸臣扱いの跡部勝資や長坂釣閑斎は武田譜代で信玄時代から当主書状に連署してきた重臣。勝頼が贔屓した武将ではない
おまけに長篠合戦の軍議に当時甲斐で留守を守っていた跡部を登場させて勝頼はそれに唆された馬鹿、と書く始末
武田家臣団が壊滅させられたのは 勝頼と馬鹿な一部側近のせい だとしたい結果から書いた悪質な例
0698人間七七四年
2007/03/26(月) 06:29:31ID:iEwENo5V0699人間七七四年
2007/03/29(木) 21:49:30ID:722Ebcoy旧説
武田軍兵力 一万五千 損失 一万
織田・徳川軍 三万八千 損失 六千
新説
武田軍兵力 八千 損失 千余
織田・徳川軍兵力 一万五千 損失 軽微
2 信楽原合戦の武田家臣の対応
旧説 信玄の老臣たちは優勢な織田・徳川軍との対戦に慎重だったが
勝頼が老臣への態度に憤ってたのと長坂・跡部の指示で御旗・盾無に誓って強引に決めた
新説 信玄の老臣も積極的に賛成した。
3 勝頼は軽んじられてたか?
旧説 軽んじられていた
新説 そうではなかった
4 小山田信茂は裏切ったか
旧説 裏切った
新説 そうではなかった
0700人間七七四年
2007/03/29(木) 22:02:46ID:6N3V9uTO武田と一体で活動してたのは間違いないし、土壇場で反旗を翻したのも確かで、それ理由に処刑されたのも間違いないからなぁ
0701人間七七四年
2007/03/29(木) 22:55:46ID:RfiZZEgt0703人間七七四年
2007/03/30(金) 01:35:11ID:CeEXEzO50704人間七七四年
2007/03/30(金) 03:07:39ID:RVBOvHtf0705人間七七四年
2007/03/30(金) 07:57:13ID:2dTkcN72信虎時代初期の武田家の小ささを考えれば、譜代譜代言ってる諸将はどこも譜代じゃない
そう考えると小山田なんて北条からちょっと仲良くしているだけの家臣。当時じゃ珍しいことじゃない
どうみても裏切りだろう。当時裏切りが悪だったとは思えんが
織田に処刑されたのも、土壇場で裏切ったこと以外の何らかの目的があったんじゃないかな
ちょっとばかし昔のこと過ぎて真偽は知りようがないが
0706人間七七四年
2007/03/30(金) 08:01:10ID:Gur5gyya武田家家中全員が信虎を見捨てたのと同じ
強いていえば信玄以来戦争と重税を受容しつづけたのにそれに相応しいリターンをもたらさなかったどころか、他家の進撃を招いた武田家側が裏切った
0708人間七七四年
2007/03/30(金) 08:28:14ID:xZJmLXHe信玄の小田原侵攻では武田側として行動しているところを見ると、
武田よりと見るのが妥当じゃないか?
まあ両属していたのは間違いないが。
0709人間七七四年
2007/03/30(金) 10:08:45ID:vQODjHa9小山田の郡内領は甲州法度を拒絶でき最終的にも適用されたのは一部に過ぎない
最後まで独自の領国支配を行えるほど独立性が強かった
0710人間七七四年
2007/03/30(金) 15:58:53ID:RVBOvHtf0711人間七七四年
2007/03/30(金) 16:06:31ID:vkzjV2vG同盟者に過ぎなかった!!とか、wikiだので強行に主張してるヤツは、同盟者なら裏切りの程度は軽いとでも言いたいのだろうか。
0715人間七七四年
2007/03/30(金) 17:12:24ID:au/nQtWf小山田は特にないね
0716人間七七四年
2007/03/30(金) 17:58:10ID:xl7TwOcr武田信玄が死なせた武将
武田義信、飯富虎昌、原昌栄、日向昌成、横田高松、浅利信種、板垣信方、板垣信憲、甘利虎泰、甘利昌忠、
才間信綱、初鹿野忠次、初鹿野伝右衛門、大戸民部右衛門尉、小幡信高、小幡信尚、小山田信有、栗原昌清、
諏訪頼継、曾根周防、常田俊綱、長坂源五郎、諸角虎定、油川彦三郎、室住昌清、三枝新十郎、山本勘助
武田勝頼が死なせた武将
秋山信友、秋山光継、秋山親久、秋山昌成、秋山万可斎、朝比奈信直、朝比奈信良、安倍勝宝、安部宗貞、跡部勝資、
跡部勝忠、跡部重政、安中景繁、甘利信康、甘利晴吉、雨宮家次、飯尾助友、有賀勝慶、依田信守、依田春賢、市河昌衡
一条信竜、一条信就、今福昌和、今福丹後守、海野信親、浦野重次、浦野重秀、江間右馬丞、江間輝盛、大熊友秀、大嶋長利、
小原忠継、小原 広勝、小原下総守、小幡昌盛、小幡憲重、小山田昌行、小山田信茂、小山田大学、小山田行村、小山田弥助
鎌原之綱、加藤信景、金丸定光、川窪信実、笠井満秀、小宮山友晴、栗田鶴寿、高坂昌澄、高坂昌元、小菅忠元、五味高重、
座光寺貞房、三枝守友、真田信綱、真田昌輝、諏方頼豊、菅沼定吉、菅沼定忠、曾根河内守、曾根掃部助、曾根上野入道、
常田春清、多田常昌、武田信堯、武田信友、武田信綱、武田信勝、武田信実、武田信貞、武田信豊、長坂光堅、土屋昌恒、
土屋昌続、土屋貞綱、内藤昌豊、名和宗安、馬場信春、馬場少輔、原昌胤、孕石元泰、伴野又一郎、日向是吉、日向虎頭、
日向次郎三郎、室賀信俊、望月義勝、望月重氏、望月信永、望月信雅、三浦兵部助、向井伊賀、横田康景、米倉重継、
湯本善太夫、湯本九右衛門、祢津是広、仁科盛信、山県昌景、山県昌満、和田業繁、
勝頼は優秀な武将と言える。
0717人間七七四年
2007/03/30(金) 19:51:30ID:pZHdAdIA0718人間七七四年
2007/03/30(金) 20:12:47ID:xl7TwOcr反論できないからって涙目で必死に書き込みしなくても・・・・・
0719人間七七四年
2007/03/30(金) 20:42:45ID:qkZqAUzO意外と少ないね。勝頼にしろ信玄にしろ。
あと、小幡昌盛は病死な。時期的な関係で勘違いしたのかもしれんが。
で、その時代別の死亡者一覧がどうかしたのか?
0720人間七七四年
2007/03/30(金) 20:57:24ID:eEqhwWW+必死にホラ吹いてるキチガイが言う事は、流石に違うwww
0721人間七七四年
2007/03/30(金) 23:38:48ID:xuNcEm7r最近、これを常套句のように使ってる奴がいるんだよな
キチガイめいたレスが多いし、同じ奴が何度も一つ覚えに使ってるんだろうな
0722人間七七四年
2007/03/31(土) 00:01:33ID:xl7TwOcr具体的には言わないの?
0724人間七七四年
2007/03/31(土) 01:37:18ID:XcAWKUcUしかもツマンネだよな
0725人間七七四年
2007/03/31(土) 01:38:58ID:RAluDyti0726人間七七四年
2007/03/31(土) 11:04:45ID:brka9wO30727人間七七四年
2007/03/31(土) 11:30:01ID:UxYxvd7Jやはり最近できた汚病魔堕スレでの基地がいっぷりを見れば
まず勝頼スレで必死に暴れる理由がよく判るw
だからある時は信玄厨を装って憎き勝頼を貶めて
はたまたある時は勝頼厨を装って信玄(武田家を)貶める
汚病魔堕スレが出来てからその傾向がハッキリしてきたww
物の見かたは常に一緒で裏切り者じゃない!とか同盟者だった!の繰り返し
!
0729人間七七四年
2007/03/31(土) 12:03:37ID:l/jk1XMG具体的に答えられないの?
0730人間七七四年
2007/03/31(土) 12:09:07ID:QMKret1k0731人間七七四年
2007/03/31(土) 12:23:28ID:dT1iUFFY要するに甘利家の同心頭に過ぎない陪臣クラス
ここまで範囲広げたらそりゃ名前ずらずら出る罠
0732人間七七四年
2007/03/31(土) 21:29:11ID:hdD2n0DD小山田が処刑は、土壇場で裏切った不忠者という理由もあるだろうが
併せて武田の中核、総責任者の一人として看做されていたからでは?
もともと処刑リストに入ってたと思うんだよね。
0733人間七七四年
2007/04/01(日) 00:03:56ID:lIc5S/rg「謙信 恐るべし」
放送日 平成19年4月4日 (水) 22:00〜22:43 NHK総合
番 組 内 容
越後の龍・上杉謙信。生涯70回以上の合戦でほとんど負けたことがない戦の天才である。
しかし、謙信の戦は決して私欲からではなかった。彼は、戦国乱世の秩序回復を本気で志し、
助けを求められば労を惜しまず駆けつけた。その一方で、争いをなくすために国を豊かにしようと
特産品の開発に力を注ぎ、越後を経済大国に押し上げた。
この謙信を恐れたのが織田信長だった。
信長が謙信に贈った「洛中洛外図屏風」。近年の研究で、
この中に足利将軍邸に向かう謙信の姿が描かれていることが判明した。
そこには、必死に謙信に媚びを売る信長の心が透けて見える。
しかし信長の勢力が大きくなるにつれて、両者の関係は崩れていく。
謙信は信長と対立する足利義昭や毛利氏から「反織田同盟」の盟主となる。
そして加賀・手取川で最初で最後の頂上決戦を繰り広げる。
謙信は、この戦いで信長自慢の鉄砲隊を完全に封じ込め、
織田軍の精鋭部隊を完膚無きまでに打ち破り、信長を窮地に追いつめた。
ところが謙信は その直後に死去。歴史は再び信長を中心に回り始める。
信長が恐れた武将、上杉謙信の知られざる実像に迫る。
0734人間七七四年
2007/04/01(日) 01:04:39ID:S6ujYTQD小山田氏が裏切るよりも前に勝敗は決していたわけで、例え逃げのびても態勢をたてなおすことは無理だっただろう。
下手すりゃ郡内領も血の海。勝頼は織田に凄惨な殺されかたをしたはずだよ。
信茂は最期の最期まで勝頼に同行していたわけで、みかたをかえれば、
結局 一番最後まで勝頼を守り、
勝頼に 惨殺されるよりも名誉ある死を選ばせたのが信茂だともいえるのではないだろうか。
勝頼は好きだが、なにかと小山田のせいみたいな言い方をしてあげつらうのはどうかなあ。
0735人間七七四年
2007/04/01(日) 01:43:45ID:NYwGrMTh信廉や信君じゃな。
信繁が長生きしてたらもう少し上手くやれたのかもしれん。
それでも織田に勝てるわけはないが。
ま 全部信玄が悪いんだけどねw
0736仙台藩百姓
2007/04/01(日) 02:50:42ID:d7PdRpAFだいたいみんな殺されてるのに今更寝返って助かろう思うのが間抜けだお
小山田は典型的な小悪党の小者だお
ある意味、無様な死に方して後世まで汚名を残したお陰で有名になれたけど(≧ω≦)プッ
0737人間七七四年
2007/04/01(日) 03:27:57ID:H906fgCI0738人間七七四年
2007/04/01(日) 09:06:48ID:7OZ/VJR50739人間七七四年
2007/04/01(日) 09:57:17ID:Su/cZsnD0740人間七七四年
2007/04/01(日) 10:34:37ID:MiB4KVOjつまり織田から見れば「共犯者」になるわけだ
そりゃ許す気なんて毛ほどもあるまい
それなのに命乞いしても善光寺の露と消えるは必定ではないか?
もし勝頼と一緒に戦って死んでいたら甲陽軍艦で武田四名臣をも凌ぐ扱いで
勝頼もしくは武田家の刎頚の友として持ち上げられていたかもしれぬ上
徳川に拾われ永らく繁栄を享受できたかも・・・
身を惜しんで名を捨てた末路ではあるな^^;
信玄の葬儀で穴山等を差し置いて葬列四番手の剣持ちを任されるなど
信頼され重く用いられていた事が伺えるが
従来通り臣従の立場であったならまさに最悪の裏切り方をしたDQNでFA
0741人間七七四年
2007/04/01(日) 11:51:41ID:S6ujYTQDそういう記載がある史料は其々の日時に矛盾がある。
あまり知られていないようだが、織田と小山田の間にはこのとき「郡内不犯の約定」がかわされていて信忠はこれを守っている。
命ごいをしにいったのではなく、自分の死とひきかえに約定をとりつけにいったとみるほうが妥当。
0742人間七七四年
2007/04/01(日) 12:40:41ID:AfVnHwLM0743人間七七四年
2007/04/01(日) 13:09:59ID:S6ujYTQD仮に小山田が甘ちゃんの小悪党とすると、勝頼はそんなのに騙される大馬鹿者になってしまう。
勝頼はそんな愚将ではないよ。
0744人間七七四年
2007/04/01(日) 13:10:01ID:nqxrXm2Z自分が死んで長男に継がせるならわかるが・・・・解釈が小山田より過ぎ。
0745人間七七四年
2007/04/01(日) 13:15:52ID:S6ujYTQDとりあえず約定があるのは史実。
0746人間七七四年
2007/04/01(日) 13:24:01ID:NRwanDBQでも命乞い説のほうが不自然じゃん
最終的に小山田の裏切りで武田が滅んだのだから
小山田にしてみればまさか殺されるとは思ってなかっただろう
下手すると本領安堵の他に褒美ももらえるなんて思っていたかも
0747人間七七四年
2007/04/01(日) 15:47:41ID:Jn0Efj510748人間七七四年
2007/04/01(日) 16:56:49ID:HuI5lFtW0749人間七七四年
2007/04/01(日) 19:11:55ID:MiB4KVOj済まん約定ってどんな内容なんだ?
マジで知らなかったので書状などの原文を書き出して貰えないだろうか^^;
0750人間七七四年
2007/04/01(日) 19:51:02ID:tlSYLiBtほら来たw
無理難題を押し付けて「出来ないならウソだ」と言い張るアホw
0751人間七七四年
2007/04/01(日) 19:54:36ID:13Xs0wWPとはいえ原文書き出せってのは俺も乱暴な言い方だと思うし、
どこに載ってるか示せばそれでいいんでない?
0752人間七七四年
2007/04/01(日) 20:17:22ID:7OZ/VJR5後は自分で調べる
参考資料をすらも示せないのは論外だが
0753人間七七四年
2007/04/01(日) 20:32:35ID:nqxrXm2Zその内容を確かめるとかは、まあ個人がすればいいかもしれないが・・・
そうじゃなきゃ、信憑性もクソもなく、誰かがあるっていったらあるんだみたいになっちゃうからなぁ。
少なくともソースを示すのは常識だろ。周知の事実レベルの話ならまだしも。
0754人間七七四年
2007/04/01(日) 20:43:02ID:nqxrXm2Z名前を挙げても他の人がそれを調べるのすら難しそうだけど・・・
自分が読んでこう解釈したからこうっていわれても、元となる資料になんて書かれてるのか、本当にわからない状態では
悪いけど、頭から鵜呑みにはできないな。
まあ、調べろだの言われたらそれまでかもしれんが、
一般的じゃないネタを絶対として熱弁振いたいのなら、他を納得させるのが示した人の義務だと思うが。
それも示さずに、信じないのはおかしい的なのは変。
そんな資料はないって示せ、嘘だって証拠を示せっていうのは、悪魔の証明みたいなもの。
0755人間七七四年
2007/04/01(日) 21:28:14ID:7OZ/VJR5原文示せとの要求に対してそれは自分で調べろといってるんだろ
要求するなら資料名だ
0756人間七七四年
2007/04/01(日) 21:48:16ID:nqxrXm2Zそうそう各自で調べられる資料名が出てくるとは思えないんだが。
原文示してくれって言うのも、それを見越してのことだろ。
それとも、なんとしても調べて載ってないことを確かめない限り、それは真実だと認めろとでも?
0757人間七七四年
2007/04/01(日) 22:03:42ID:tvvYfKHh0758人間七七四年
2007/04/01(日) 22:12:33ID:7OZ/VJR5資料名すら出てきてないのに最初から自分で調べる努力放棄して偉そうにいえるかよ
でかい図書館いけば当れる
職員に言って取り寄せてもらっても良いし
それでも得られない資料を個人レベルで示せるわけ無いだろ
そもそもそんな疑うなら原文示されたところで「適当に書いてるんだろ」と逃げ討って終わりだろ?
0759人間七七四年
2007/04/01(日) 22:15:14ID:13Xs0wWP745が出てきて史料名教えてくれるまでとりあえずここで終わりにしとかない?
0761人間七七四年
2007/04/02(月) 21:37:48ID:kGYe28fi↑
まずは日本語の勉強から始めてください
0762人間七七四年
2007/04/02(月) 23:56:40ID:c7S7cwYl745さんがお返事を下さると有難いのですが…。いまのところ他スレにも書き込まれてはいないようです。
通りすがりのレスだけで争ってもいたしかたありませぬ。
そんな説も出たという程度で、参考にするにとどめておけば良かろうかと存じます。
0763中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/04/03(火) 00:53:29ID:H6/N/u1v0764中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/04/03(火) 01:01:47ID:H6/N/u1v0765人間七七四年
2007/04/03(火) 13:54:31ID:Z5Jr7/5iソースはコーエーの能力値
0766人間七七四年
2007/04/03(火) 20:11:26ID:2FGwkky70767人間七七四年
2007/04/03(火) 20:18:51ID:mYIuKfuLソースは武田スレ
0768退屈@親父
2007/04/03(火) 20:19:27ID:V4Wqev64age
0769人間七七四年
2007/04/03(火) 23:06:21ID:PvUkPwv0立て読み発見
0770人間七七四年
2007/04/04(水) 00:46:01ID:zRpBF6z7人
乙
0771人間七七四年
2007/04/04(水) 03:10:46ID:u8EfMJnJ他に誰もしらない、ただ1人が書き込んだだけのどういう文書かどころか、ソースすらまったく不明のものなんて
参考に留めておく価値すら見いだせない。
0773人間七七四年
2007/04/04(水) 08:40:56ID:T/vQYlpe↑
まずは日本語の勉強から始めてください
0774人間七七四年
2007/04/04(水) 12:29:03ID:ng+vHTKj0775人間七七四年
2007/04/04(水) 12:49:30ID:KiJZl/8+↑
今年の流行語大賞
0776人間七七四年
2007/04/04(水) 15:56:38ID:zCWdrik20777人間七七四年
2007/04/04(水) 18:28:53ID:9a0EpJkN0778人間七七四年
2007/04/04(水) 19:07:12ID:u4gbzhHm0779人間七七四年
2007/04/05(木) 02:53:26ID:7+Hd9wV90780人間七七四年
2007/04/05(木) 08:36:55ID:TDXxu1610781人間七七四年
2007/04/05(木) 10:26:06ID:MjVm1gyt0782人間七七四年
2007/04/05(木) 13:46:04ID:+QOVvCsR0783人間七七四年
2007/04/05(木) 17:41:47ID:kIBf89yuttp://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1162691028/l50
0784人間七七四年
2007/04/07(土) 00:55:28ID:FFExNnjW0785人間七七四年
2007/04/09(月) 18:03:55ID:3sRhe2bB義信(信玄正室三条夫人の長男)が家督を継いでいたら…
織田の謀略にハマることもなくそれによって武田家家臣団の内紛が起きることも無く
順当に天下を取っていた可能性もある
これは羽柴が後継者の「秀次」を自害させて、側室の子、幼い「秀頼」に継がせ
結果、徳川に天下を取られた事例と同じですなw
0786人間七七四年
2007/04/09(月) 18:07:45ID:3sRhe2bB秀吉の後継者として家督を継いでいれば
徳川がシャシャリ出てきた可能性は皆無に等しい
(もちろん、関が原の合戦、なんてものは起きもしなかっただろう)
秀頼君じゃあ、西国の大名たちをまとめられるわけも無い
(三成君じゃあ、ますますもって、できるわけもないw)
武田が滅ぼされた時と同じ手法でまんまと天下を掠め取られた豊臣家
0787人間七七四年
2007/04/09(月) 18:09:11ID:3sRhe2bB織田がこね〜
豊臣がこねし天下餅〜
座りまましに食う徳川〜
0789人間七七四年
2007/04/09(月) 18:17:30ID:3sRhe2bBあくまで諏訪四郎勝頼だからねぇ
0790人間七七四年
2007/04/09(月) 18:30:59ID:4/E2J+Yy0796人間七七四年
2007/04/11(水) 17:12:29ID:WL8jiz050797人間七七四年
2007/04/11(水) 17:36:16ID:ptgZmUUNその事件で徳川との同盟が終わったかも知れないのに
0799人間七七四年
2007/04/11(水) 18:37:14ID:m8YnETKj0800人間七七四年
2007/04/11(水) 20:56:06ID:WL8jiz050802人間七七四年
2007/04/12(木) 00:56:25ID:zD5QRtrm10万円持ってたら1万円はどうでもいいのか?
>>800
それ以前に信長が信康を殺さなくちゃいかん理由が無い。
暴君信康の振る舞いに困った徳川家臣による嘆願+
嫁(信長娘)の本家に対する訴えに後に退けなくなった
家康が泣く泣く抹殺したというのが真相かと。
0803人間七七四年
2007/04/12(木) 01:27:28ID:E68cnm9N勝頼君はどうなの、凡将なの?
0804人間七七四年
2007/04/12(木) 02:38:55ID:aDSA1rfA0805人間七七四年
2007/04/12(木) 02:51:03ID:J4386hrN元帥としては微妙
政治家としては今一
こんなもんでしょ。
0806人間七七四年
2007/04/12(木) 05:23:57ID:BgUFb3qV景勝なんかも信長が死ななくて1583年あたりに滅亡してたら
愚将と言われてたろう
魚津を救えず、新発田に反乱された挙句の滅亡になるわけだからねえ
0807人間七七四年
2007/04/12(木) 07:17:28ID:jFodY9cA0809人間七七四年
2007/04/12(木) 14:18:16ID:oXdmaOVk0810人間七七四年
2007/04/12(木) 19:08:40ID:JppuTjC20811仙台藩百姓
2007/04/12(木) 19:20:13ID:RbfVDERB信長や政宗公には劣るだろうけど
その他の大名より劣るとは言い難いお( ^ω^)
0812人間七七四年
2007/04/12(木) 19:30:09ID:5VT5AJKR信
そ
0813人間七七四年
2007/04/12(木) 20:38:49ID:jFodY9cAでも家康に敗北を重ねてゴリゴリ領土を削られ、最後は大敗しているんだけどね。
0814人間七七四年
2007/04/12(木) 21:25:29ID:+77gQydB0815焚きファイア ◆IpSLd1HMDY
2007/04/12(木) 21:37:28ID:XHn9ckUZから兵を入れ、徳川勢を大いに切り崩し、63の首級をあげたそうな
(それに対する山県隊のあげた首級は13)
0816人間七七四年
2007/04/12(木) 21:51:35ID:GdRL12MW名将として活躍したのかな
それよりも煙たがられて粛清の可能性が高いか
0817人間七七四年
2007/04/12(木) 21:55:15ID:+77gQydB義信が継ぐ状況=今川家健在、なので
徳川VS今川の戦いに兵を入れたりして
武田家は無用に疲弊して弱小国のまま
なので織田が本腰を入れて潰すような事もなく
弱小国として存続したかも知れんね
0818人間七七四年
2007/04/12(木) 22:05:43ID:ER5MaCQJ0819人間七七四年
2007/04/13(金) 00:40:52ID:NdnBW3H7>63の首級をあげたそうな
>(それに対する山県隊のあげた首級は13)
だから駄目なんじゃね?将帥として。
0820人間七七四年
2007/04/13(金) 04:07:13ID:XDL2EE9vまあ所詮そこらへんどまりの人だわな
0821人間七七四年
2007/04/13(金) 07:21:05ID:8egTIWOd適材適所じゃなかっただけだろ、勝頼は
0822人間七七四年
2007/04/13(金) 08:23:43ID:XNI1WcUl0823人間七七四年
2007/04/13(金) 11:30:56ID:ocQZ+mhy少なくとも長篠までは高天神城取るわ、足助城取るわ豊川流域を荒らすわ
結構押しているんだけどね。家康は武田方の天野を攻めたときでさえ大敗しているし。
長篠以後は何気に家康が領地を削っていくな。まあ、もともと徳川の領地で
信玄にとられていたのを取り返していくという感じだが。
それでも勝頼が出てきたときは家康は迷わず決戦を避けているな。
0824人間七七四年
2007/04/13(金) 11:52:55ID:0ChsJjoI0825人間七七四年
2007/04/13(金) 12:22:58ID:1xDgfh+N0826人間七七四年
2007/04/13(金) 21:18:57ID:0ChsJjoIじゃ真実は?
0828人間七七四年
2007/04/13(金) 21:36:50ID:0ChsJjoI老臣らとの不仲はなぜ?御旗、楯無の使用禁止は?当主なのに?
0829人間七七四年
2007/04/13(金) 21:44:32ID:7geOKAzT勝頼が庶子から無理矢理嫡子に格上げさせられたのを気に入らないってのもあるし、
義信事件で一族が連座した重臣もいるんだから面白くはないだろう。
急拵えの当主じゃ重臣への睨みもなかなかきかないのも無理ない話。
御旗楯無の話は初耳なので何とも言えないな。
で、当主信勝陣代勝頼説の根拠は何よ?
0830人間七七四年
2007/04/13(金) 22:19:22ID:0ChsJjoI信勝公の後見になり信勝公16歳になったら家督を継がせるように。と言うのはなにかの本にかいてあった。根拠にはならないが…あとで調べてみる。
義信事件のことだけど飯富源四郎昌景のことだよね?だったら信玄公とも不仲になるんじゃ?
0831人間七七四年
2007/04/13(金) 23:23:04ID:3Xdzg4C10832人間七七四年
2007/04/14(土) 00:31:08ID:vAZ3CzD+>だったら信玄公とも不仲になるんじゃ?
武田家中の掌握力が勝頼とは段違いだろ。「逆らっても無駄」と「逆らっても大丈夫」じゃ
態度が違うに決まってるじゃないか。
0833人間七七四年
2007/04/14(土) 04:54:56ID:sOjXa+fy0834人間七七四年
2007/04/14(土) 06:49:45ID:dtjZM4rH0835人間七七四年
2007/04/14(土) 08:09:00ID:JWZBKbOO0836人間七七四年
2007/04/14(土) 10:33:37ID:tcahd0Iq0837人間七七四年
2007/04/15(日) 01:27:46ID:cfpRiB780838人間七七四年
2007/04/15(日) 11:01:16ID:IPuxwsde0839人間七七四年
2007/04/15(日) 11:23:52ID:NNec7BXnいやいや、ここまで書いたら釣り丸出しだよw
0840人間七七四年
2007/04/15(日) 11:47:19ID:IPuxwsde・勝頼は陣代、後継は信勝成人後に(当主を空白にする気か?)
・信長とは戦うな(自分から喧嘩売っておいて……)
・家康に注意しろ
・謙信とは和睦しろ(無茶言うな)
・自分の喪は三年秘密に(同上)
・でも明日は勢多に武田の旗立てて(どう考えても不可能)
……死期が迫って耄碌してたとしかw
0841人間七七四年
2007/04/15(日) 13:41:00ID:qWM3Jg9+信玄が勝頼のみに伝えた遺言なら武田家の家臣どころか重臣にさえも知る術がないのだが
重臣にも分かるように伝えた遺言としては内容が情けなさすぎるし
重臣たちには理解しがたい内容で、重臣たちへ配慮するような遺言もない
信玄が死んだ当時に創作された話だとしても無茶な内容が多すぎる
だからこの遺言は信玄の死後勝頼がやった事を見た作者が
だいぶ後になってから創作した話だと思うんだけどどうか
0842人間七七四年
2007/04/16(月) 00:22:08ID:JaAdCpkU>・信長とは戦うな(自分から喧嘩売っておいて……)
>・でも明日は勢多に武田の旗立てて(どう考えても不可能)
これ、どう見ても矛盾してるよな・・・
0843人間七七四年
2007/04/16(月) 12:51:28ID:6YI/y1no0844人間七七四年
2007/04/16(月) 17:58:43ID:5vBcJNMI0845人間七七四年
2007/04/16(月) 19:27:00ID:KPAtb8g+0846人間七七四年
2007/04/16(月) 20:48:41ID:h8MUK7+b弱腰かどうかはまた別だな
0847人間七七四年
2007/04/17(火) 00:47:09ID:tJ0B14tMもちろん、東美濃を攻めておいてそんな書状を送るなよ信玄って感じだけど。
0848人間七七四年
2007/04/23(月) 01:12:26ID:cU1/Z6no衆道の方はどうよ?
0849人間七七四年
2007/05/02(水) 13:51:58ID:s+KvIlcgていうか信玄や謙信が信長によって毒殺されたとかTVでやってたんだがまじなのか?
0850人間七七四年
2007/05/02(水) 13:59:22ID:kn0HLZ+B本能寺の黒幕は家康や秀吉だった!とかの結果論とかと同じレベルの偶然だとも思うが
0852人間七七四年
2007/05/02(水) 21:38:51ID:+GigktcZ0854人間七七四年
2007/05/26(土) 06:13:49ID:OeoSTuNR広く用いられている書物として「甲陽軍鑑」が挙げられるが、これも相当脚色されており、
史実としてはアテにならない。
0855人間七七四年
2007/05/26(土) 07:25:54ID:Y89/fTCCお前の知り合いに嘘つきがいるとする
その嘘つきはウソばっかりついているのだが
そのウソだけを見るのではなく
ウソを言っている理由やその嘘つきの背景や
嘘つきになった理由などを考察すれば
ウソの中から真実が見えてくる
「歴史学」というのは信憑性の高い記録を鵜呑みにするだけでなく
事実かどうが疑わしい史料の中から真実を見つけ出す作業も含まれる
ウソもちゃんと作業を行えばその中から真実が発見出来る
0856人間七七四年
2007/05/26(土) 08:33:27ID:OeoSTuNRなぜなら嘘は何処まで行っても嘘でしかないからだ。
そもそも歴史(古い過去)の真実なんてものは誰にも分からない。
だからといって歴史を否定するものではない事を付け加えておく。
0857人間七七四年
2007/05/26(土) 12:17:52ID:Z+G8CAvJ0858人間七七四年
2007/05/26(土) 18:10:19ID:+WsGly4P「嘘」と「創作」は違うよ。
本当に上手い嘘とは0からでっち上げることではなく、
九割の真実の中に一割の嘘をまぜること。
0859人間七七四年
2007/05/26(土) 19:03:48ID:s1k4UowS例えば、関が原の合戦から大阪の陣までの期間、
特に家康と秀頼の会見から大阪の陣までの短期間に
徳川家、特に秀忠にとって都合の悪いヤツが次々と急死している
記録によると「梅毒」となっている事が多い
ここから、ある真実が見えて来るだろ?
見えて来なくて「死因は梅毒」と鵜呑みにしてるんなら
もう何を言っても無駄なのでどうしようもないが
0862人間七七四年
2007/05/27(日) 00:28:46ID:4JM9FQ2khttp://academy6.2ch.net/history/
0863人間七七四年
2007/05/27(日) 00:44:44ID:pY8wDMng0864人間七七四年
2007/05/27(日) 00:45:22ID:4JM9FQ2k0865人間七七四年
2007/05/27(日) 00:53:57ID:pY8wDMng0866人間七七四年
2007/05/30(水) 23:17:07ID:z0TdB3YW後木曾と氏政
0867人間七七四年
2007/06/03(日) 16:57:00ID:5t5B42OT戦上手だが人身掌握の能力が欠けてたと思われ。
今も昔も人間関係がすべてで、これが上手くない勝頼武田家は滅びたんだろうな
0868人間七七四年
2007/06/03(日) 17:24:54ID:ZD9WgEZ9長篠の敗戦がある限り、勝頼を有能とする事には違和感がある。
織田・徳川軍の後詰を知った時点で即時退却するべきだった。
自軍は労兵で敵は新手。
また、織田・徳川軍がどれだけ大勢力であるかも知っていた筈。
敵はご丁寧に陣城を作って逃げる機会を与えてくれていた。
敵の兵力が間違って伝わっていたとか、
佐久間信盛が願えるという偽情報が伝わっていたとかあるけど、
何れにしても不確かな情報で危険な選択をして、
挟撃という最悪の結果を招いてしまった。
どういう理由があったにせよ、あそこは退却という選択肢以外に考えられない。
0869人間七七四年
2007/06/03(日) 17:26:21ID:ZD9WgEZ9×願える
○寝返る
0870人間七七四年
2007/06/03(日) 17:44:33ID:5t5B42OTそれは結果論でしょ
勝頼は戦は下手ではなかったと思う。
簡単に勝頼VS信長家康連合軍と言うけど
実際は色んな武将がいて軍議して勝頼だけの考えではないだろう
だから、そのあたりを纏めれなかった勝頼が人身掌握には不慣れな大名だなと思う所以。
0871人間七七四年
2007/06/03(日) 18:03:20ID:xCgk90/H氏政は悪くないだろ。
あれは勝頼が悪い、
もちろん上杉と勝手に講和したからではなく、
景勝派と景虎派の和平斡旋に失敗した勝頼の外交手腕の悪さが最大の元凶。
0872人間七七四年
2007/06/03(日) 18:14:01ID:ZD9WgEZ9自分は戦に反対していたのに家臣団に押し切られての決断ならなおの事大将としての器不足。
(実際に勝頼の書状などから、勝頼自身も好戦的であったと思われるが)
上でも書いたけど、どういう理由があったにせよ最終的な決断をするのは大将で、
その決断が誤っていたのは確か。
様々な情報から状況を判断して、正しい行動に導く事こそがリーダーとしての最も重要な役割。
それが出来ずに最悪の結果になってしまったのだから評価が低くなっても仕方ない。
無線連絡も出来ない当時で合戦の指揮の上手下手がどれ程結果に影響があるのか分からないが、
勢力拡大のスピードや高神城攻め等の理由から仮に勝頼を戦上手だと仮定しても
それが彼の評価を一流にする理由にはならない。
0873人間七七四年
2007/06/03(日) 19:11:42ID:5t5B42OT自分自身甲斐国とは程遠い三河生まれなので別に武田家には温情とか贔屓する気もないし
率直に勝頼は愚将ではないと思うだけ。
確かに貴方が言われる通りでそれが定説だろうね
でも例え、あの時に撤退して自国に戻ってたとしても家臣団の人心は離れていったと思うし
遅かれ早かれ武田家滅亡は逃れられなかったと思えてしょうがない
このスレに則って勝頼が愚将か?という問いに素直に愚将ではないと思えただけで
悪い所もあるし良い所もあると思う。
0874人間七七四年
2007/06/04(月) 00:36:35ID:wIsHuhV9徳川と1対1ならともかく織田との国力差は
もはやどうしようもなかったんじゃないかと思える。
それを信玄もわかってたから無理してでもの西上だったんじゃないかと。
それも何が何でも野戦に持ち込みたかったと俺は思う。
城を落とすには時間がかかりすぎるから。
だから瀬田に旗を立てよになったんだと思う。
勝頼が重税をかけたのもパワーバランスを維持するために
そうせざるを得なかったと思う。
それを領民に理解させてただけでも凄いこと。
そうでなければ経石が出てくることなんかありえない。
要するに1対1なら家康が戦いを避けるほどの武将だった。
俺はこのスレを読んでそう評価する。
0875人間七七四年
2007/06/04(月) 17:49:08ID:UK5blOk8個々の戦いは巧いが外交のような大局的な面ではポカが多いのでどちらかと言うと戦略より戦術のほうに資質があったのかな。
義信が家督を継いで勝頼はその一部将として働いたほうが向いていただろう。
0876人間七七四年
2007/06/04(月) 18:41:16ID:Tw2ADXqJ諏訪家に婿入りして武田家を継いだのがすべての敗因だったろうね
自分も同感で、義信が継いでいればまた変わっていたのかも
晴信、信繁のように強固な兄弟関係のように。
晴信も実父を追放してるんだから義信の事も許してあげれば良かったのにね
0877人間七七四年
2007/06/04(月) 19:26:12ID:CNr7d47V勝頼が独立しようとか武田を倒してやろうとかいう
謀反を起こしそうな気がしないでもない
0878人間七七四年
2007/06/04(月) 20:41:30ID:F72KX0Cuそれはないでしょ。武田の親族衆が勝頼についていくとは思えん。
なんせ、勝頼が当主になってすらついていかなかったんだからw
0879人間七七四年
2007/06/04(月) 21:33:01ID:k/8UbE9a0880人間七七四年
2007/06/05(火) 01:04:22ID:EPsckYoo面白そうじゃないか
0881人間七七四年
2007/06/05(火) 01:18:39ID:bEZZ5wv+駿河すら所領じゃないなんて、お話しにならんし。
0882人間七七四年
2007/06/05(火) 01:42:52ID:o1S2UQPM義信は損得と義理を天秤にかけると義理を選ぶ人間
そういう風に育ててしまった守役の責任だと思う。
それでは組織のトップとしては不適格。
まして自分の嫁さんが駿河から来ている以上
なおさら信玄が駿河侵攻を決めたからには
駿河侵攻に反対してはならない立場
公私混同と受け取られてもしかたがない。
0883人間七七四年
2007/06/05(火) 02:52:36ID:EPsckYoo武田家は義信の物となる
今川家は頻繁に織田・徳川からの攻撃を受け
その度に今川への度重なる救援で武田は疲弊し離反者続出
そんな中、離反者達が諏訪勝頼を擁立し武田と今川を倒して
諏訪家が武田と今川の旧領を接収
・・・あれ?
0884人間七七四年
2007/06/05(火) 04:20:40ID:J24o4Meu何やら講談ぽいし、実際は信虎追放劇のように本人の意志以外に家臣団の権力闘争があった気がする。
0885人間七七四年
2007/06/05(火) 06:09:28ID:yFhOZpsw0886人間七七四年
2007/06/05(火) 07:26:47ID:bEZZ5wv+どちらにせよ、それじゃスムーズに信玄から義信に権力の移行がなされないから、
勝頼よりも義信であるメリットが見えない。
0887人間七七四年
2007/06/05(火) 08:36:39ID:QQTKXsao御旗楯無も御照覧あれ
0889人間七七四年
2007/06/05(火) 23:32:58ID:rj7ZJpRe本当に不幸だ
0890人間七七四年
2007/06/06(水) 02:01:18ID:P5HEfD/N義信事件というものの裏には、やはり一部の家臣団の
信玄への不満が隠されているわけだからね。
それを力で制圧、処分。
この事件を傍観していた他の家臣間にも
何らかの心的不安は残ったと思う。
そして、後をとるべき年齢の息子は諏訪四郎というすでに
他家の名跡を継いでいた四男だった。
甲府に迎えられても信玄に学ぶべき時間も少なく、
ついていない人生であったとは思う。
0891人間七七四年
2007/06/07(木) 16:12:30ID:wpF0j6tm0892人間七七四年
2007/06/07(木) 16:13:37ID:wpF0j6tm0893人間七七四年
2007/06/08(金) 01:09:39ID:v8a6GK+d名君ではないにしろ、軍事能力はあっただろ。
こんなスレ「曹操は悪人ではないと思う」くらい意味ないだろ
0894人間七七四年
2007/06/08(金) 02:19:35ID:q/R5sLmK愚将だお
0895人間七七四年
2007/06/08(金) 07:32:23ID:bZlnShSo将としては有能
0896人間七七四年
2007/06/09(土) 09:31:36ID:BLsgc1420897人間七七四年
2007/06/09(土) 09:55:13ID:e2M5dfnt死者は千人そこそこってのが今じゃ有力なのにあんなにばたばた将が死ぬのはちょっと
自暴自棄になった先鋒とやる気をなくした後備えじゃあどんな作戦を立てても・・・
0898人間七七四年
2007/06/09(土) 09:59:12ID:5BO61mFQ0899人間七七四年
2007/06/09(土) 19:31:08ID:Z6RUezhoただ総大将の器ではないな、外交下手だし
0900人間七七四年
2007/06/10(日) 02:31:15ID:TAoOeovH信玄存命の頃の「諏訪勝頼」だったら高評価のままだったんだろうな
陣代になってからおかしくなった
0901人間七七四年
2007/06/10(日) 12:13:13ID:629LRpAg0902人間七七四年
2007/06/10(日) 14:10:25ID:ev93O7qK中央がぽっかりと穴が開いた状態で両翼の重臣達が取り残されたと。最悪だな。
0903人間七七四年
2007/06/10(日) 17:32:40ID:qC3NVA1B強い勢力に恭順すればよかったじゃん
そうすりゃ死なずに住んだ
とりあえず政治は低く智謀も低い武将だね
0904人間七七四年
2007/06/10(日) 18:00:46ID:54lV5jbL0905人間七七四年
2007/06/10(日) 18:06:38ID:5mkZzvJj長篠あたりで降伏してれば甲信、若しくはどちらか一国だけ安堵される程度で支配下に入れる
0906人間七七四年
2007/06/10(日) 18:38:44ID:54lV5jbL0907人間七七四年
2007/06/10(日) 18:50:57ID:5mkZzvJj戦わずに四カ国にまたがる領土が支配下に入るんだから無理やり戦う必要がない
むしろ無理やり戦ってなんとしてでも滅亡させなきゃならないというほうがゲーム発想
0908人間七七四年
2007/06/10(日) 18:59:23ID:S9NwZ1uTあとから配下の武将や親族を大名に取り立てて分裂を図ったりする
例が多かったけど、信長の場合は周りがことごとく敵対していた
こともあって、攻め滅ぼすイメージが強いんだよなぁ。
傘下に収めるにしても、北畠のように最終的に完全に乗っ取って
重臣・親族皆殺しとか。
0909人間七七四年
2007/06/10(日) 18:59:57ID:osHUVeRr>長篠あたりで降伏してれば甲信、若しくはどちらか一国だけ安堵される程度
「信長の野望」のしすぎw
0910人間七七四年
2007/06/10(日) 19:06:25ID:osHUVeRr信長の場合は旧勢力を一掃して新しい武士の社会を構築しようという考えがあって
そのために統一事業は無駄に時間がかかっていたわけで
信長が一生かけてもやっと達成できるかどうか分からない
ていうレベルの話だったけど
秀吉の場合はそれを大幅に妥協してとにかく統一する事だけを目的にしてる
まあそれとは関係なく、
長篠の合戦直後の時期に勝頼が信長に服従すれば・・・って
服従しなかったから信長の野望で言うところの政治力が0・・・って
「武田が滅びた」という結果だけを見てゲーム感覚で言ってるとしか思えない
0911人間七七四年
2007/06/10(日) 21:08:17ID:5mkZzvJjお前のは小説視点じゃないのか?
旧勢力を一掃して新しい武士の社会って
長篠直後で朝倉も浅井も滅んで国数でも国力でも織田のほうが圧倒的
まして長篠で敗れてるんだから支配下に入るのは自然
譲って結果論だとしよう、結果論とゲーム視点は同一じゃないだろ
0912人間七七四年
2007/06/10(日) 23:19:48ID:KXO6DWP3比叡山と長島一揆だけで信長=苛烈というイメージついてない?
0913人間七七四年
2007/06/10(日) 23:22:16ID:osHUVeRr>国数でも国力でも織田のほうが圧倒的
数字で圧倒すれば勝ちなんて
まさしく「信長の野望」の発想じゃないかw
業界4位の企業は業界1位の企業に吸収合併されたいと思うか?
もしそんな社長がいたら役員会で社長を解任されるだろう
それが「常識」な、お前のは「ゲーム」な
0914人間七七四年
2007/06/10(日) 23:42:56ID:5mkZzvJj>数字で圧倒すれば勝ちなんて
>まさしく「信長の野望」の発想じゃないかw
なんというか
命かけて領土争いしてるんだぞ?
数で負ければ当然不利になるし、当然命もなくなる確率のほうが高い
それを見越して支配下にはいるわけだが
>業界4位の企業は業界1位の企業に吸収合併されたいと思うか?
>もしそんな社長がいたら役員会で社長を解任されるだろう
企業と戦国大名は全く違う
例えにすらなってない
つうかお前のほうがゲーム視点じゃねえか
ゲームはどんだけ損害こうむろうがリセットで終わりだが、戦国大名は一族郎党の命すらも預かってるんだぞ
例えるならお前の家族全員暴力団と戦うか、財産全部渡して構成員になるかの選択だ
0915人間七七四年
2007/06/10(日) 23:56:56ID:djjtMieu資本力の圧倒的な企業が敵対的TOBを仕掛けてきているとする。
大抵はそのまま吸収されるか、より大きな企業などに助けてもらう。
おk?
0916ソユーズ
2007/06/11(月) 00:06:08ID:otRNm+aY武田勝頼=会社の社長、国人衆=株主って>>913は言いたいんだろ?
>>913の考えを引用するなら、業界4位の会社の社長が、
業界1位の会社に吸収合併するって言い出したら、今まで業界4位の会社を支持していた株主は
一気に業界1位の会社の株を買おうとするか、
「なんだこいつ、せっかく株買ってあげてるのに根性ないな。」と社長に不信感を抱き始め、
株主総会で社長は株主の支持を得られずに解任される。
そして「現社長があんなこと言ってるし、代わりに俺が社長になってやる!」って考える株主も出てくるわけでw
死ぬ死なないの差はあるが、こんな感じw
平たく言えば「今から落ち目になっていく会社を支持する人間が何人いるか?」ってことだな。
0917人間七七四年
2007/06/11(月) 00:39:01ID:e/10tU8u0918人間七七四年
2007/06/11(月) 00:42:36ID:YNlLT8BKそれに吸収合併されるのが果たして「正解」なのかどうか
第二次世界大戦でも日本はもっと早い段階で連合軍に降伏すべきだったのか
それで国際社会におけるアジア人の尊厳は保てたのか
0919人間七七四年
2007/06/11(月) 00:50:25ID:pUAKUmwHあのさぁ、例えば落ち目の企業が大会社に吸収されたら株価はどうなると思う?
大掛かりな戦争を仕掛けて何の成果も得ずに撤退してしまえば、
彼我の経済格差も更に開き、部下からの求心力も低下してしまう可能性がある。
少々のリスクを負ってでも引き下がれない事情もあるだろう。
ただ、相手は石山戦争で最大の難敵を排した圧倒的勢力の織田家。
その織田家と徳川家が突撃してこずに陣城を作って待機してくれているんだから
その間にとっとと退却するべき。
その後に、他家と結んで織田家に対抗するか織田家の傘下に入れるようにするか考えるべきで、
智謀だの政治だのは如何にもゲーム的だけど、
大勢力に恭順すれば良いというのは別に間違ってない。
まぁ、相手が秀吉じゃなく信長って時点でそれも簡単じゃあなさそうだが。
0921人間七七四年
2007/06/11(月) 01:14:56ID:YNlLT8BKその理屈で行けば
織田信長は家督を継いだ段階で今川義元か斉藤道三の傘下に入るべきだったよね
普通に考えたら今川も斉藤も織田に潰せるはずがないんだからとっとと傘下に入るべきだった
入らなかった織田信長はアホ、という発想だよね?
0922人間七七四年
2007/06/11(月) 01:50:20ID:vqPSR2z0信長にとって駒として使えると判断したら生かす
そうでない場合は親族だろうが降伏しようが殺す、それだけのことだ
0923人間七七四年
2007/06/11(月) 01:58:04ID:pUAKUmwH桶狭間当時の織田家と今川家・斉藤家の経済力の差って分かる?
あと、今川家や斉藤家が尾張一国を攻めて支配しようとしていたとでも?
0924人間七七四年
2007/06/11(月) 02:00:24ID:YNlLT8BK0925人間七七四年
2007/06/11(月) 02:01:00ID:pUAKUmwH恥ずかしいな、君。
0926人間七七四年
2007/06/11(月) 03:30:17ID:rfzlfZDA923 :人間七七四年 [sage] :2007/06/11(月) 01:58:04 ID:pUAKUmwH
>>921
桶狭間当時の織田家と今川家・斉藤家の経済力の差って分かる?
あと、今川家や斉藤家が尾張一国を攻めて支配しようとしていたとでも?
0928人間七七四年
2007/06/11(月) 04:15:42ID:wJMO2c/3責任を持って長篠の合戦当時の織田家と武だけの経済力の差と
織田家が武田を滅ぼして旧領を支配しようとしたという文献を出して下さいね
>>923みたいなのは相手の発言を封じるための汚い手段なんだよね
ほんとにこういうヤツを見てると腹が立つ
0931人間七七四年
2007/06/11(月) 11:00:16ID:pUAKUmwH太閤検地時の三河・遠江・駿河の石高が約70万石、尾張が約57万石、美濃が約54万石。
しかも、尾張は木綿の生産や津島の交易で非常に豊かだった。
信秀が朝廷へ4000貫という莫大な献金をしている事からもそれが伺える。
織田家と今川家にはそれ程の国力の差は無いんだよ。
桶狭間の時の事を言ってるんじゃなければ殊更に態々今川家に臣従する必要性が無い。
長篠の合戦当時の武田家は約130万石、織田家は約400万石、加えて徳川家も居る。
勝頼の頃は金山の産出量も減り、織田家は石山戦争に勝利して堺も掌握した。
経済力の格差は決定的だよ。
あと、武田の旧領を支配しようとしたかどうかも何も実際に支配してるしなぁ。
まぁ、そんなに興奮するな。
0932人間七七四年
2007/06/11(月) 15:19:26ID:GzBIjH5B自分で「桶狭間当時」と言っておきながら
出したデータはだいぶ後の「太閤検地」か
チキン丸出しだな
はやく信長が家督と継いだ時点のデータくださいよホレホレ
0933人間七七四年
2007/06/11(月) 16:42:45ID:zalpkeuQ0934人間七七四年
2007/06/11(月) 16:55:44ID:38RMbiIdなんで戦ったんだろうね
イノシシ武者の典型だわ
0935人間七七四年
2007/06/11(月) 17:10:39ID:ZYTBNqbLじゃあ何故桶狭間であれほどの動員差が出るのか
信長じゃなかったらあの時点で織田は滅んでただろ
アホかw
0936人間七七四年
2007/06/11(月) 20:46:31ID:TpD/DlpJ0937人間七七四年
2007/06/11(月) 22:09:58ID:xVt+ubVgその判断が正しかったのが桶狭間時の織田家で
形成判断が間違っていたのが武田家というだけのことじゃ
0938人間七七四年
2007/06/11(月) 22:44:05ID:TM8+uY+o0939人間七七四年
2007/06/11(月) 22:51:49ID:WExB8OKo0940人間七七四年
2007/06/12(火) 11:48:25ID:ZA+yYx03勝つよりはアホだから正面から突撃した
天才とグショーの差
0941人間七七四年
2007/06/12(火) 11:52:25ID:5mTorzrt0942人間七七四年
2007/06/12(火) 14:53:24ID:ZA+yYx030943人間七七四年
2007/06/12(火) 15:33:44ID:FRKV+N/m0944人間七七四年
2007/06/12(火) 20:41:10ID:SZzQoVgZ0945人間七七四年
2007/06/12(火) 21:13:53ID:vpDlkIf/0946人間七七四年
2007/06/12(火) 21:29:12ID:ZA+yYx03どっちが勝つかなw
0947人間七七四年
2007/06/12(火) 21:32:35ID:1ExdPc8m0948人間七七四年
2007/06/12(火) 22:15:01ID:mxLYf7tDhttp://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/
0949人間七七四年
2007/06/19(火) 01:37:33ID:MDq2oSc4秀吉 O型
家康 A型
信長は天才
秀吉は凡人
家康は卑怯
0950人間七七四年
2007/06/19(火) 05:29:00ID:vt8DDA+T信長なんて破天荒なキャラが先に生まれていたから
織田との戦力差に対抗するのは、個人の能力の限界を超えている
織田家の圧力なく、順調に年輪を重ねていれば、どんな評価を受けていただろうか
もし、勝頼→信玄の順に生まれていたら、滅ぼされていたのは信玄だっただろうな
信玄厨は認めたくないだろうがw
0951人間七七四年
2007/06/19(火) 05:51:28ID:nBBL6IAG周囲の人間や環境や時代の影響を受けて育っていくわけで
信長があのように育って成功したのも信玄や勝頼が育ったのも
個人の性質ではなく周囲からの影響によってそうなったわけだ
だから「勝頼→信玄の順に生まれていたら」などと仮定するのは無意味だし
その武将の評価は絶対的な物ではなく
同じ時代に生きた武将や先祖や子孫などと比較した相対的な物であって
「産まれた時代がどうこう」という言い訳も何の意味も持たない
0952人間七七四年
2007/06/19(火) 06:42:18ID:vt8DDA+T仮定が無意味だというなら、2ch見るのやめた方が良くないか
楽しめないだろ
ただ、勝頼→信玄という仮定は乱暴だったな
極端な話、勝頼の立場に信玄がなっていても、織田家には対抗できず滅亡していただろう
0953人間七七四年
2007/06/19(火) 22:00:38ID:NP3ALUBd良くても河内は今川領に、郡内は北条に切り取られて風前の灯になって
信長どうこう言う前に滅んでただろうな
だから「産まれた時代がどうこう」という言い訳も何の意味も持たない
勝頼厨は認めたくないだろうがw
つまり>>590おまいの言ってるのは仮定にもならない妄言だって事
それ位考えられないのかねゆとり世代って奴は
0954人間七七四年
2007/06/20(水) 00:11:03ID:lB/iUpXe「仮定が無意味」だとは言っていない
「お前の仮定は無意味」と言っているだけ
>>953もアホな事を書いているが同一人物か?
まず、史実の勝頼が無能だとしよう
その「無能な勝頼」を作り上げたのは勝頼が育った環境に原因があるわけで
勝頼と同じ境遇で信玄が生まれたとしたら信玄も同じレベルの無能に育つわけだ
逆に信玄が有能だとした場合、信玄と同じ境遇で勝頼が生まれ育てば
信玄と同レベルの人間になるわけだから
「勝頼が先に生まれたら」という仮定の話は何の意味も持たないという事
ここまで書いてまだ理解出来ないのであれば
脳が腐りかけている可能性が高いので
ニンテンドーDSとかで頭の体操でもしたらどうか
0955人間七七四年
2007/06/20(水) 01:20:59ID:CZ117zcoだから、訂正してるでしょ
本当に言いたいことと違ったと
これだけ時間が空いてるのだから、一つ上の文は読んでほしい
>>954
全く正反対の書き込みで、同一人物に見えるのはちょっと解せないが
あと、上記したように、>950は>952で訂正した
悪口を言うつもりではないが、俺には、的が移動した後の場所を攻撃しているように見える
DSの脳トレは飽きたよ
文章の微妙な表現によるささいな誤解から嘲笑合戦するのはやめたいがどうか
あら探しばかりで嫌になる
俺はやめる
0957人間七七四年
2007/06/22(金) 04:57:11ID:IrdVEskN勝頼が信虎の息子ということになるけど、
勝頼は史実でも信虎に気に入れられたのか?
だめなら次男の信繁が武田家をついでただろうが。
それはそれで別の経過をたどって武田家は繁栄しただろうが。
0958人間七七四年
2007/06/22(金) 23:35:46ID:ZoK6rjjZだいたい、たらればの出生話なのに
そのうえ親子感情まで推測できるわけ無いじゃん。
ちなみに勝頼は信虎の葬儀をきちんと執り行ったようで、
信虎葬儀のために僧侶を招聘した書状が残っているがな。
0959人間七七四年
2007/06/23(土) 00:05:28ID:/JQTJ9qJと言う意味がわかってないように思える。
戦争は一旦始まってしまえば、
双方に相当の疲弊若しくは勝者に戦争を継続することが
困難な理由ががない限り手打ちにはならない。
それ以外の場合は無条件降伏以外ありえず、
その選択を勝頼が取らなかったからといって
勝頼に政治力がなかったと言うのはあまりに酷だと思う。
まあ、書いてる連中は松永久秀あたりを優秀だと思っているのだろうが、
優秀かどうかは置いといて普通は節操無しとか根性無しとか言われて
蔑まれる事であろう事は言うまでも無い。
まして、松永の時と勝頼の時では状況があまりに異なる。
松永のときは回りに抵抗勢力も多く政権基盤も経済、軍事的基盤も
不安定だったため、松永が降伏を申し出ても本領安堵の望みもあったが
勝頼の場合にはそれは望めないことは明らか。
信玄が西上の前で申し出るなら強力な同盟者としてありえたかもしれないが、
勝頼がそれを申し出るならチャンスは信玄が死んですぐしかなかったと思う。
0960人間七七四年
2007/06/23(土) 03:44:17ID:OyxIyPH90961人間七七四年
2007/06/23(土) 07:08:13ID:jhS6Rho50962人間七七四年
2007/06/23(土) 10:39:46ID:OuNbcI+H信勝に諏訪を継がせたら武田の後継は誰になるんだよ。
勝頼みたいに諏訪を継いでから武田に戻るなんてやったら二代続けて不安定な世継になるぞ。
0963人間七七四年
2007/06/23(土) 12:01:32ID:pqEHx73q結局、勝頼スレの本題的な事はいつまでたっても
「武田家はなぜ長篠に(で)逝ってしまったのか」なんだよな
自分も同盟は信玄死亡後すぐが最も良いような気がする
あくまで三方ヶ原での徳川への勝利があってこそ
徳川より使えそう&信玄居なくなって不安定だから降ってきたと言う
判りやすさが逆に交渉を有利に運ぶとも考えられる
それで武田家が同盟派と強硬派に内部分裂を起こしたとしても
勝頼は信長を頼って降る、その後混乱状態に陥った武田家領内を信長に
各個撃破して纏めて貰えば武田家としては生き長らえたかも
長篠後手間隙掛けて落とすより遥かに効率的だから信長も賛同するはず
>>960
信長も秀吉も死後の家臣団なんてgdgdだよ
すべてがそうなる訳ではないが歴史の舞台の中央に近いほど
gdgdになる可能性は高くなっただけだと思う。
信玄が纏められなかったとしても勝頼はそれを纏めなければならなかった
有能無能は結果論だから信玄が無能で駄目でも勝頼が「本当に」有能なら
武田家を滅亡から救えたはず、と言うことさ
0964人間七七四年
2007/06/23(土) 12:42:41ID:/QzvwUqO中国の例を出すけど、唐王朝や明王朝の末期に有能な人間がいてどれだけのことが
できるのかと。
勝頼は有能か無能かと聞かれれば、有能な人物だと答える。しかし、長篠以降の
武田家の状況を打破するほど有能ではなかった、とも。
0965人間七七四年
2007/06/23(土) 17:55:24ID:Vs5EA2Yv社長のワンマン経営がたたって社長の死後に倒産したわけだが
秀吉死後の豊臣家はこれに近い崩壊を見せたが
武田は合議制だったんだから代替わりしても大丈夫そうな気がする
0966人間七七四年
2007/06/24(日) 00:56:44ID:NXt1RP3I起こりうる景勝討伐で勝頼大活躍→養子送り込まれてその後殺される。
そんな未来が見えて仕方ない。
家康と違って勝頼は派手に活躍して逆に信長に潰されそうだ。
よくて甲斐には居れないと思う。
0967人間七七四年
2007/06/24(日) 01:12:20ID:z7AZDMuc義信が武田家を引き継いだ世界で、勝頼が織田側につくというレベルならありうるが
武田家全体を背負った勝頼には不可能
0968人間七七四年
2007/06/24(日) 04:27:59ID:gjtGrbht0969人間七七四年
2007/06/24(日) 04:34:19ID:Q7yhybLz交通の要衝が多いんでそのままでは残せないよ
甲斐1国の安堵で収まればいいんだけどそうも行かないだろうし
それで収まるくらいまでに武田が落ちぶれれば
織田からすればもう武田を残す必要は全くないわけだ
なのでどういう方向でどう考えても信長が生きてる期間に
武田を従属させるなんて事はありえん
0970人間七七四年
2007/06/24(日) 05:59:20ID:QsM0/T230971人間七七四年
2007/06/24(日) 06:30:17ID:6xfLATFi信長のような強固な独裁体制が相手の場合滅ぼすか滅ぼされるしかない、か
0972人間七七四年
2007/06/24(日) 12:08:24ID:Kf7KxLzJ結局は長曾我部みたいに一方的に協定を破棄されて攻められるのがオチ
武田側からすればあとは停戦中にどれだけの事が出来るかが鍵になるけど
積極策のほうはもう打つ手は残ってないよね
0974人間七七四年
2007/06/24(日) 15:10:47ID:WwhiAynd武田方の下っ端の家臣を調略して
武田側が先に協定を破るようにすればいいだけの事だろうが
相手側の落ち度っつーのはそうやって作られるもんだよ
0975人間七七四年
2007/06/24(日) 17:30:28ID:FlxZnrKc長宗我部の場合は9割方長宗我部に責任があると思うが
織田に落ち度があるとしたら長宗我部に攻められる隙を与えたこと
0976人間七七四年
2007/06/24(日) 19:40:23ID:8M2XOat1主旨からどんどん遠ざかるお前らワロスw
議論とかそういうのに全然向いてない人種なんだろうね
0978人間七七四年
2007/06/24(日) 21:47:46ID:e+/ohpXiつまり織田包囲網が解けて織田が1つ1つを大軍で潰して行ける状況になったのが
武田からすると致命的な不幸で、長篠以降で武田の再起はありえない
武田存続の話は長篠以前の状況で考えないとダメだな
0979人間七七四年
2007/06/24(日) 21:49:09ID:e8HbBxJV長篠以降は反省して家来の言うことにきちんと聞いて、
信玄みたいに合議制にして老臣のいうことにも耳を傾ける主君に
変身してもやっぱり滅亡かな?
0980人間七七四年
2007/06/24(日) 22:00:51ID:yhlciA+N対上杉、北条の先兵になっちゃうな。
0981人間七七四年
2007/06/24(日) 22:23:11ID:e+/ohpXi結局は長曾我部みたいに一方的に協定を破棄されて攻められるのがオチ
武田側からすればあとは停戦中にどれだけの事が出来るかが鍵になるけど
積極策のほうはもう打つ手は残ってないよね
0982人間七七四年
2007/06/25(月) 04:12:07ID:Qw6tRlGc長曾我部が一方的に破棄してきたんだよ
ってかコピペ?
他にも織田は斎藤浅井武田上杉毛利と同盟相手に一方的に破棄されている
斉藤は義龍道三の争いの結果、毛利は三村浦上との関係で一方的というのは
当てはまらないかもしれないけど
0983人間七七四年
2007/06/25(月) 04:29:32ID:N/XhpGk8話の主旨からすると、今は「どうしたら武田が存続できたのか」という話をしていて
その中で「織田との同盟や和議で武田の存続を図るのは難しい」っていう話をしてるんだよな?
誰が協定を一方的に破棄したかなんて事は主旨とは違うし、
君のその話を続けて行くと
「織田は一方的に協定を破棄しないので織田と同盟すれば武田家は存続できました」
という結論にでもなるのか?
ならないんだったら黙ってろよ
0984人間七七四年
2007/06/25(月) 05:57:21ID:Qw6tRlGcでも史実を考えれば分かるように必ずしもそうではない、現に徳川は同盟を維持している、
同盟は無理と考える話しの前提が一部間違っているのだからその点を指摘して
同盟による武田家存続の可能性を模索することが間違っているとは思えないが?
そして今までの議論を見れば分かるように長篠後どころか勝頼が継いだ時には
既に織田家を倒すことはかなり困難
本能寺が起きるまで待つという話しもあったが、そんな都合よくはいかない、
となると武田が存続するという方法は当面織田と同盟するとなると思うが
もっとも力関係は徐々に広がり、従属先手扱いになる可能性が高いだろうが
信勝は一応信長養女の子息で、松姫が信忠正室となっている可能性もあるかもしれないが
北畠は養子乗っ取り後一族皆殺し、神戸は養子乗っ取り後幽閉
筒井は光秀子息を養子に、三好は信孝を養子にとなっていることから
武田家も家名は残るとしても血筋はどうなるか分からないが
0985人間七七四年
2007/06/25(月) 08:18:55ID:AGX27ZfV仮に従属同盟できても武田勝頼と家臣団との間の結束はほぼ崩壊に近くなりそ
最終的に家臣団が勝頼または武田を放り出して織田と直接手を組むか
または反対に勝頼が有力家臣団を粛清して自立できなくなった主家だけ残るかといったところか
宇喜多以外軒並み壊滅した毛利と織田の中間地帯の間の連中を思い起こす
0986人間七七四年
2007/06/25(月) 14:01:47ID:PzrmrrIt堂門冬二の書くもんって、他作家の追随説だったり
誤った定説の焼き直しって昔からわかってたけど
未だに「勝頼陣代」を平気で書き散らしてるんだな。
0987人間七七四年
2007/06/25(月) 14:21:27ID:WfP3j4lM従属する事は全く難しいわけじゃないと思うけどな。
まぁ、天下統一が成ったあとにどうなるかは分からないけど、
そこまでいくとifの度合いが強すぎるような気がするし。
っていうような書き込みをさっきしたと思ったけど、書き込まれてないな。
vipのおっぱいスレにでもかきこんじゃったかな。
0988人間七七四年
2007/06/25(月) 19:51:25ID:jT3SJuMWもっとはっきりと力の差があれば織田からすれば滅ぼすまでも無いということになり、
武田からすれば従う他無いとなるが、
勝頼の代だと織田からすれば例え武田が従っても目障りな勢力で潜在的な敵、
武田からすればひょっとすればまだ何とかなるかもという望みを抱いてしまう。
あと仮に武田が織田に従っても家康並に信長に従わないと後で何されるか分からないような、
しかも信玄の代に思いっきり織田を裏切っているから、信用されにくそう。
0989人間七七四年
2007/06/25(月) 20:01:49ID:TvXhck9j長篠で圧倒的な物量を前に敗れてるだろ
それで十分動機はある
北条も従属してる
それに武田晴信が裏切ったのであって、勝頼ではない
それで織田が不快感示すなら織田の娘を娶ったのがいただろ
そいつを当主にすえればいい
由良も北条も同じことしてる
0990人間七七四年
2007/06/25(月) 23:18:45ID:MGlseeRa>北条の「織田の縁戚となって関東を織田の分国としたい」っていう申し入れを信長は承諾したようだし、
えーっと、
信長が死ぬ間際の頃の関東管領って誰だったっけ?
0991人間七七四年
2007/06/25(月) 23:31:55ID:Nw1SbWe3滝川一益が実際に関東管領に就任していたという者もいるが、
信憑性には疑問も多くはっきりしていないね。
関東管領
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E7%AE%A1%E9%A0%98
滝川一益
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%B7%9D%E4%B8%80%E7%9B%8A
0993人間七七四年
2007/06/26(火) 02:34:23ID:pYbNh49+0994人間七七四年
2007/06/26(火) 02:37:23ID:pYbNh49+北条はまだ関東を制覇してもいない段階で
「関東全部くれ」という主旨で織田と同盟を図ろうとしていたわけで
実際に豊臣政権初期の頃に真田領クレクレと騒いでいたわけだが
織田が本当にこんな北条を最後まで残すと思うか?
0996人間七七四年
2007/06/26(火) 03:25:32ID:4CqdKvLg同盟を図ろうとしていたも何も、同盟は成立してたしな。
上野は滝川に与えられたが、それに対して北条は大人しく従ってる。
少なくとも本能寺まではそういった関係が成り立っていた訳で、
それ以上の事は完全に推測でしかないわな。
0997人間七七四年
2007/06/26(火) 03:35:32ID:pYbNh49+信長本軍が出陣するまでの時間稼ぎでしかなかった
信長と和議を結んだ側はなんらかの理由で
その和議を自分から破棄するしかない状態に追い込まれている事が多い
徳川はキチガイ級の忍耐力で耐えているだけ
0998人間七七四年
2007/06/26(火) 05:41:10ID:yFMrQBudhttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1182803942/
1000人間七七四年
2007/06/26(火) 09:04:20ID:NV0C2Mxh10011001
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