沼尻の対陣ではそれこそ大して情勢が変化してないから例としておかしいんじゃ・・・。

あと、9年も経ってない、氏綱が河越取ったのは1537〜8年。
しかもその直後に国府台合戦が起きてるから、事実上治めたのはもっと後。
そして、1541年に氏綱が死んでしまうわけで、1545年(かどうかもよくわからんが)
の河越城での対陣までの時間はあまりあるとは言えない。

あといくら想像でも根拠が無さ過ぎやしないか、大軍での合戦だったと言う事自体に特に不審な点は無いし、状況としても自然だし、
合戦の記録自体があるのに、調略にしないといけない理由って何?

合戦の具体的な部分が不明瞭と言うだけで合戦自体を否定するのはいささか無理がある。