何故弩は一般化しなかったのだろうか
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0001名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 22:40:30ID:B0PryBPg戦国期には廃れ、代わって弓が一般化したのはどうしてなのだろう。
威力が高く、使用も弓より簡単で、射程も有利な弩はかなり強力な兵器になりえるはずだけど。
0503人間七七四年
2007/09/05(水) 10:24:43ID:0d0bQGVXそうすれば話し合いが続く。
自分の考えを連呼するのは話し合いじゃなくてデモ行進ですから。
韓国人が歴史認識会議でやる行為だよ。
0504人間七七四年
2007/09/05(水) 11:25:15ID:W91Dqhy9訓練云々はあまり関係無い気もする
中国の弩は対騎兵火力かなーと思うのだが、西洋のそれは何故なのか
0505人間七七四年
2007/09/05(水) 11:58:43ID:0gZ1BA2t火縄銃以下の連射性であるクロスボウは、役にたたなかった。
クロスボウは数を揃えなければ意味なし。
0506人間七七四年
2007/09/05(水) 12:11:14ID:QTfYf32j韓国国軍の最高指揮官は米国大統領、なんて独立国はない
北朝鮮はソ連が創り中共が保護してるならず者占領地
朝鮮半島は中国(モンゴル、満州、中原)と日本に
交互に占領されてただけの地域
日本が小国で貧乏で
機械や皮革加工に劣る地域だったのは
くやしいけど事実。しかし、別に何も困らないことだろ。
内戦以外には大した戦争が少なかったから、弩が定着しなかったと。
ローテクでも自然と共存して賢く生きてきたと。いいじゃん、それで。
そこに拘るのはかえって、中華や半島の匂いがするよ。
0507人間七七四年
2007/09/05(水) 12:15:35ID:QTfYf32j>火縄銃以下の連射性であるクロスボウ
16世紀以降に出現普及の小火器と比べんなよ。
混在使用の時期はあったし、サイレンサー登場の近年まで
細々と続きはしたけど、それはせいぜいここ500年間の話。
弩は2500年前から使われてきた猟具、武器、兵器だ。
0508人間七七四年
2007/09/05(水) 12:28:00ID:0d0bQGVX使い方を知ることでなぜ日本で定着しなかったのかの一端が分かると思う。
地形やそれに依る軍の編成によってボウガンの運用は変わるかと。
鉄砲と同じで、矢を放つことそのものよりも使いどころが難しいと思う。
0509人間七七四年
2007/09/05(水) 12:40:31ID:0d0bQGVX韓国の歴史は関心ないしスレ違い。
いやだから、あなたが日本が小国で貧乏だと考える理由を述べてくれればこちらも反論なり賛同なりを示すことができるけど、日本が小国で貧乏なのは事実、と連呼されても反論も賛同もできないすw
あなたのやり方はは話し合いや議論じゃなくて、デモで叫んでいるのと同じで話し合いの余地がない・・。
その先を話し合って楽しんでいるのに
0510人間七七四年
2007/09/05(水) 12:46:41ID:W91Dqhy9日本の地形的に遭遇戦で車陣が無理っぽいのは分かるが、
陣地戦でも使われんのは弓1つに絞った方が効率が良いと言うことだろうか
クレーシーとか、攻撃側が弩部隊を前進させるのはどうなんだろうか
相手を圧倒する兵力があれば、それでも有効なのだろうか
0512人間七七四年
2007/09/05(水) 14:09:45ID:k0dHu2J+何を言いたいのかわからないんだが・・・・。
小兵力同士の戦いでは、弩はあまり役に立たなかったってのが、>>505の言わんとしている事だろ?
>>511
それでも弩よりは数を揃えなくても済む。
小兵力同士の戦いだと、数よりも速射性の方が有効。
0513人間七七四年
2007/09/05(水) 14:44:21ID:ZHtHRsur0517人間七七四年
2007/09/06(木) 02:37:29ID:VYc15l8g>日本の戦は、小兵力の戦いがメインだったからだろ。
同意。せこいスケールの諍い以外の喧嘩がなかったから
本格的な軍事装備が定着しなかった、という説に賛成。
0518人間七七四年
2007/09/06(木) 03:54:41ID:DbfrVRYxせこいスケールの諍い以外の喧嘩がなかった中世ヨーロッパで、弓よりも
クロスボウの方が広く使用されたのは何故?
0519人間七七四年
2007/09/06(木) 07:04:48ID:/ECcZrux日本史にも欧州史にも詳しくないことがバレバレですよ。
0520人間七七四年
2007/09/06(木) 12:11:29ID:8FUBxO2Yいずれも弩が使われていた時代より大規模な、数千〜10数万の動員だが
小競り合いが増えるのは弩が廃れて数百年後では?
0521人間七七四年
2007/09/06(木) 12:43:28ID:wtAJwExk0522人間七七四年
2007/09/06(木) 13:36:59ID:DbfrVRYxあと、「吾妻鏡」1189年8月7日条には、藤原氏が阿津賀志山二重掘と呼ばれる城郭を建築し、
そこに2万余騎の軍兵を配備しているという記事がある。
この阿津賀志山二重掘ってのは遺構が残っているが、全長約3kmで建築に必要と推定される
人夫はのべ20数万人。
ちなみに長篠の合戦で織田・徳川連合軍が野戦築城した陣地は全長約2km。
0523人間七七四年
2007/09/06(木) 16:10:26ID:XpHaH3qL0525人間七七四年
2007/09/06(木) 20:54:08ID:7uIQZGDs有効な兵器であれば、鉄砲がそうであったように技術的課題は何としてもクリアするでしょう。
例えば大砲も戦国日本で普及しなかった兵器。これは恐らく日本に城郭都市がなかったため
城壁の破壊を主目的にした大砲は意味が無かったものと思われます。
大坂の陣では『国崩しの砲』が大阪城めがけて打ち込まれてますが、どちらかというと
心理的なダメージのほうが大きかったようで戦果らしい戦果はなかったはず。
大砲には密集陣形を組む相手に打ち込むという使い方もあるようですが、
そもそも日本に密集陣形は無く、それどころか陣形もあまり発達していなかった
と自分は考えているので、この意味でも大砲は有用ではなかったと。
ちなみに大砲は様々な大きさのものが戦国〜江戸と一応は作られています。
和紙でつくったものもあったりします。
このような環境で弩を使うとしたら、個人的には使いどころが難しいと思うんだよな。
鉄砲ほどの殺傷力もないし、弓ほどの速射性もない。だったら弓でいいじゃねえか、と。コストも安いし。
0526人間七七四年
2007/09/06(木) 21:17:59ID:N+ok3FY5ネットだよ
弩の製法が機密情報だったのは中国でも例がある
日本では>>198の、新羅と結託した豪族が弩の製造法を漏らした事件も起こってるね
蝦夷俘囚が朝廷軍に編入されて、戦闘法に影響を与えたのはあると思う
続日本後紀に「弓馬の戦闘は蝦夷の天賦の才で、我々の兵の十で蝦夷の一にも匹敵しない」
といっているくらい
0527524
2007/09/06(木) 21:51:25ID:Yf8MUmSeおお、サンクス。探してみるかな。
蝦夷のは難しそうだな。
>>525
君にも論拠となったソース教えろとか言ってみるテスト
0528人間七七四年
2007/09/06(木) 22:09:21ID:7uIQZGDs弩がなぜ定着しなかったかについては、これは自分の推測なので。断言するほどの自信はありません・・。
大砲が日本には普及していない、というのは俺がソースを示すまでもないと思います。
ご要望なら探しますけど・・。
日本の陣形については・・
根拠としては、一つは日本側の書である甲陽軍鑑の一節。
山本勘助の言葉「唐の軍法、一に魚麟、二に鶴翼、三に長蛇・・(略)、是よきと申しても合点仕らず候」(品第廿七)
とある。他にも同書に武田信玄自身の言葉として、唐の軍書を見聞きしただけでは(日本では)よき軍法を定めることが
出来ない、という旨の記述があります。
上記は↓のスレに書いた内容です。
次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 2
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169131109/l50
他にも↓スレの誰かが書いた『備(そなえ)』の説明など、読み応えがあって面白いので参加してください。
戦国期日本と海外諸国の戦力比較
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1161272994/l50
0529524
2007/09/06(木) 23:25:02ID:Yf8MUmSeうお、早いなw
こっちもサンクス。
大砲は時代が時代だけに資料多そうだな…。
その辺は、気が向いたら最低限自分で探してみるよ。
スレ二つは明日以降に見てみるよ。
今日はもう寝る(´-ω-`)
0530人間七七四年
2007/09/07(金) 08:58:45ID:I4sI4pOqをもっていた。決定的な瞬間に矢の発射を集中することができたからである。発射の速さが、
ほかのどんな特徴をもさしおいて長弓戦術を形成したのであり、弩も火器も長弓の発射速度
には全くかなわなかった。
長弓の短所は、すべての弓矢のシステムと同じく、維持するためには農民文化全体に
依存しなければならなかったことである。弩の使い方は、数週間かせいぜい数ヵ月で
学ぶことができた。後の火器の場合でも同じくらいだった。そして必要とされる割合
低レベルの熟練はきわめてわずかな練習によって達することができた。しかし弓兵、特に
軍事目的に使えるほど十分優良な弓兵は、子供のうちから訓練しなければならないし、
彼らはしばしば人間の能力の限界に近いことをやってのける。・・・長弓の弓術を実行
する者にはきわめてきびしい要求が課せられたという事実は、なぜ長弓が、戦場での成功
にもかかわらず、西ヨーロッパ全体に広がることはけっしてなかったのか、そしてなぜ
長い年月がたつうちに衰退してその誕生の地でさえ消え去ることになったのかを説明する
一助となる。」
「火器の誕生とヨーロッパの戦争」(バート・S・ホール著)
0531人間七七四年
2007/09/07(金) 13:40:46ID:iq+cex7p一部の蛮族と、連射性に劣る飛び道具に
頼りすぎた軍の隙を突いた作戦での戦果程度しかない
長槍襖で押し寄せるの大軍を
側面から短剣部隊が襲い破った、
そんな面白戦史と同じ類
大量装備する兵器としては
アホでも作れる工作技術の壁の低さと
連射の楽さ以外にはメリットがないんだから仕方ない
0533人間七七四年
2007/09/07(金) 15:45:36ID:vZdIzAUgボウガンは弓兵との組み合わせ、弓のサポートで真価を発揮する。
弓の特殊オプション版がボウガンと考えるといいかと。
0534人間七七四年
2007/09/07(金) 16:05:54ID:vH0qWwwq遊牧民の騎射の話とレギオンの投槍くらいしか定番ででてくるネタがないような印象なんだが
0536人間七七四年
2007/09/07(金) 19:11:03ID:Q7bxUCDF十字軍では、イスラム弓騎兵が矢を雨霰と降らせても、ヨーロッパの兵士にほとんど損害を与えられない描写がある。
全身プレートアーマーじゃなくてもこれだからね。
ただ、百年戦争ではロングボウがフランス騎士を打ち負かしている。
プレートアーマーを貫通するのは難しかったが、側面や背面の装甲が弱い馬鎧を狙わせてフランス軍は大混乱に陥ったらしい。
0537人間七七四年
2007/09/07(金) 20:57:17ID:AsSp1aby>>533
弓だけでも出来るわけないだろ。「弓兵」だけでならともかく。
>>534
そら西欧の史観では古代は重装歩兵、中世は騎士のぶつかり合いが戦場の華だもの。
>>535
白兵戦のためだろ。ペルシア戦争以前のギリシアの重装歩兵の相手はやはり同じ重装歩兵だ。
0538人間七七四年
2007/09/07(金) 21:33:54ID:DxUy3oS/なんで古代ギリシャ・ローマの飛び道具が投槍重視かっていうと、
盾に刺さって抜けなくなって使用不能にするためだからな。
0539人間七七四年
2007/09/07(金) 22:09:22ID:b89ZoYKs弓や弩では駄目だったのか?
それだけのために(だけということはないだろうけど)わざわざ投槍を携行するというのは、
はなはだ不経済のように思えるのだが・・・
0540人間七七四年
2007/09/07(金) 23:07:04ID:DxUy3oS/弓も一緒に使ってたよ。投槍は先陣を切る散兵と、主力を成す重歩兵が持っていた。
軍制改革前のローマ軍団兵だと、戦列の3列目を担当するトリアリイ槍兵以外の戦列歩兵は、
白兵戦用の短剣と盾に何本か取り付けて携行したピルムという投槍が武器だった。
これを白兵戦の前に投げ、当たると曲がって抜けなくなり、投げ返せなくなるようになっていて、
盾を貫いて人間に達するように金属部分が細長く、重い。
敵は大きなピルムが刺さった盾を保持することが困難になって捨てざるをえず、白兵戦を優位に進められるとの目論見らしい。
0543人間七七四年
2007/09/08(土) 00:17:35ID:C15y595q>投槍ってのはかなりの消耗品みたいだな
南インドや東南アジアで兵士は数本の簡易な投げ槍を携行してた。
中国の騎兵は背中に数本の投げ槍(標鎗)を背負い、
右腰やや後ろには小型クロスボウ、左腰には長剣、右手に手綱、
左手には大刀(長巻や薙刀のようなもの)や長槍を持っていた。
0544人間七七四年
2007/09/08(土) 01:15:50ID:ffAxvubFではド(携帯なので変換できない)とボウガンの違いから説明頼む
0545人間七七四年
2007/09/08(土) 01:18:43ID:ffAxvubF0546人間七七四年
2007/09/08(土) 01:21:01ID:fmqgtnKE日本ではクロスボウより一般的な語だそうだ。
0548人間七七四年
2007/09/08(土) 03:19:28ID:zOp70OaU縦に使う変態仕様のものとかなかったの?
0549人間七七四年
2007/09/08(土) 06:38:47ID:VyCH0DRN戦闘後、味方が再利用できる=戦闘中、敵も再利用できる
という図式が成り立ってしまうからな・・・。
優れた投槍は、再利用できない投槍じゃね?
0550人間七七四年
2007/09/08(土) 08:08:23ID:MYiAUegnハッティンの戦いではイスラム弓騎兵に矢を雨霰と降らされて、十字軍はあっさりと壊滅したが。
フル装備のヨハネ騎士団もテンプル騎士団も共に全滅。
0552人間七七四年
2007/09/08(土) 14:06:37ID:hr3GKGcKハッティンで射倒されたのは人より馬。
それも戦闘が進み外周の歩兵を失い孤立し、勝負がほとんどついていた段階の話だけどね。
それよりも重要な敗北の原因は、水不足と疲弊したところに待ち伏せを喰らい包囲分断されたこと。
損害の大半は包囲を突破しようとしたときに出ている。
無謀な乾燥地帯の強行軍による自滅に近い。
弓は昼夜問わず射掛け疲弊と混乱を招いたことと、騎士の乗馬を失わせ相手の突破戦力を削いだという
意味では重要なファクターとは言える。
0554人間七七四年
2007/09/09(日) 11:19:31ID:J8pfazQmもしかして日本や西洋にもいたのか?
0555人間七七四年
2007/09/10(月) 01:00:45ID:YNhTjor3かっこいいなぁ
0556人間七七四年
2007/09/10(月) 23:37:26ID:MaHy8VdG騎兵は「cavalryman」だぞ。
騎士が「knight」だ。
とすると「crossbow cavalryman」か?
何か違う気もするが。
0558人間七七四年
2007/09/10(月) 23:59:50ID:2Xt2sK1y0559人間七七四年
2007/09/11(火) 19:22:05ID:rULDuuii強弩も出土してくれ・・・
伊治城跡から出土した弩の復元品
http://www61.tok2.com/home2/adachikg/koreharu/PICT0024.jpg
中国古代の弩
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:ChineseCrossbow.JPG
http://military.china.com/zh_cn/history2/06/11027560/20050420/images/12253806_2005043016175912003900.jpg
http://elib.lib.tsinghua.edu.cn/techlibrary/image/imageware/more/military/70.jpg
0560人間七七四年
2007/09/11(火) 19:31:49ID:rULDuuiihttp://www.mahoron.fks.ed.jp/nenpou/nenpou2001_35.htm
とくらべると、
>>559の資料館の復元品は弓(翼)の部分が木じゃなくて、金属でできてる。
同じ伊治城の出土品を元にしてるのになんでパワーアップしてるんだ?w
0561人間七七四年
2007/09/11(火) 22:48:18ID:DN8O6Sym0562人間七七四年
2007/09/12(水) 00:03:32ID:aE2BxruLこの写真、何か適当なピストルクロスボウのやつを流用したようにも見えるんだが…。
まあ、弓部に何を使用したかとか、そういう細かいとこは分かってないんじゃないか?
0563人間七七四年
2007/09/12(水) 00:05:01ID:aE2BxruL>562のは
http://www61.tok2.com/home2/adachikg/koreharu/PICT0024.jpg
のやつな。
0564人間七七四年
2007/09/12(水) 20:09:19ID:Xtwi+7Pa柵に蓄えられていた律令制式の弩を安倍側が使ったとされているけど、
1062年の戦いにおいて8世紀だか9世紀に作られた、150〜300年前の兵器を使えたんだろうか?
弦や矢はもとより、木の部分は経年劣化で朽ちて使い物にならないのでは。
安倍側が部分補修して使用したと考えるのが妥当だろうが、備蓄品を元に新たに製造したという可能性はないのかな?
0565人間七七四年
2007/09/12(水) 22:14:18ID:aE2BxruL官軍の武器やら何やらが焼失したとかって記録がなかったか?
どこの何の記録だか忘れたが。
0566人間七七四年
2007/09/12(水) 23:05:17ID:w9siCeDR腰にハンドクロスボウをぶら下げたものが時々あるね
0567人間七七四年
2007/09/13(木) 16:35:32ID:wt44HsBjこれだと初速のある近距離ならともかく遠距離では弓に威力逆転されうるんじゃ?
存外そういう点も日本で流行らなかった理由にあるかも
0568人間七七四年
2007/09/13(木) 23:27:42ID:5PgRgX67つうか、弩が日本で実際に使われてた時代の弓ってどんなもんだったんだ?
丸木弓だったりしたら威力逆転もへったくれもないぞ。
0570人間七七四年
2007/09/14(金) 00:08:17ID:+NLGMKLIそうなん?
十分な存速というアドバンテージが無くなったら後は矢の重量という要素が意味を持ってくると思ったんだけど。
ちがうの?
0571人間七七四年
2007/09/14(金) 01:23:38ID:zfqS8co7あの時代の日本の弓が>569氏の通りなら、ヘタすると弓は使い物にならない。
初速を稼ぐどころか、ただ矢を射られるだけの代物の可能性もある。
それから矢より前に、物そのものの完成度とかも関係してくる。
某雑誌の弩の復元・射撃実験で、たぶん180kgくらいの張力を得られただろうなんてやったやつが
予想を大きく裏切って、矢の飛距離が全然伸びなかったなんて例もある。
もっとも、これは中国ネタのやつで、日本人が復元実験やったやつだけど。
どうでもいいけど、この分野はあまりにも情報なさすぎだ(´・ω・`)
0572人間七七四年
2007/09/14(金) 05:19:13ID:H1GBFny30574人間七七四年
2007/09/14(金) 22:23:09ID:zfqS8co7いっぺん、ヒノキででも丸木弓を自作してみな。
矢なりを発射する場所はきちんと選べよ。
0575人間七七四年
2007/09/15(土) 07:25:13ID:c057GPmc0577人間七七四年
2007/09/15(土) 10:28:12ID:0tXXKz9N0578人間七七四年
2007/09/15(土) 21:33:25ID:yvpsaxqcやっぱりそんなもんだよな。
>>576
弩の時代の弓はまさにその素人レベル。
弓の進化は10世紀以降だ。
>>577
ある程度完成したもんが日本に「入って来た」。
0579人間七七四年
2007/09/16(日) 00:12:09ID:s9tAWnrvその技術が弓に応用されなかったのは謎じゃね?
0580人間七七四年
2007/09/16(日) 01:23:14ID:j+Vpth340581人間七七四年
2007/09/16(日) 19:53:46ID:F+/EAnNX当然イングランドのロングボウも素人レベル。
ただ矢を射られるだけの代物。
いっぺん、ヒノキででもロングボウを自作してみな。
0582人間七七四年
2007/09/16(日) 20:10:43ID:KFqEpkst0583人間七七四年
2007/09/16(日) 23:07:38ID:et1JoM7v「日本書紀」とかを見る限り、高句麗が戦利品を朝貢って形で日本に持って来ただけだし、
技術者が滞在したとかって記録も特にはないから、そこから考えれば弩の製造技術が
入って来たかどうかは疑わしいところ。
もっとも弩が複数あったんだとしたら、一つくらいはバラしてどんなもんなのか見ては
いそうだけど。
>>580
時代(千年ほど)、気候、植生、技術水準が違う。
比較する要素は特にはないよ。
5世紀の日本なんて、ようやく鉄器が入って来たような時代だからね。
>>582
気にしてやるなよw
0584人間七七四年
2007/09/17(月) 01:26:12ID:Ly3T87/F0585人間七七四年
2007/09/17(月) 07:34:08ID:Ly3T87/Fローカルにレプリカは作られてたのかな?
国衙工房製の規格品の量産が本格化する8世紀よりずっと前から
国産弩は供給があったのかどうか・・・
しかし、律令日本が弩という単なる武器に専門の役職を設けてまで情熱を傾けたのが、
数百年で跡形もなく姿を消したとはなんとも不思議だな・・・
0587人間七七四年
2007/09/17(月) 07:55:12ID:Ly3T87/F歩兵部隊向きだよな弩は
武士の台頭以降、南北朝時代になるまで歩兵の地位は郎党に成り下がって影が薄くなるわけだし
0589人間七七四年
2007/09/17(月) 21:54:22ID:YLulrEAL島根のあれね。
レプリカというか、弩と同様のものは世界中に存在するからね…。
武器ではなく狩猟の道具として存在したりするし。
発射態勢の保持って考え方はそう変わらないみたいだね。
>>587
武士が台頭してくる前に弩は姿を消してるよ。
0590人間七七四年
2007/09/18(火) 04:42:55ID:3KTSH2Spイスラム世界ではどうだったんだ?
0592人間七七四年
2007/09/18(火) 08:48:38ID:nAXZPexl国衙軍制
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%A1%99%E8%BB%8D%E5%88%B6
軍団制と弩の廃れる時期と、武士の原型である自衛武装集団が成立し
朝廷や国府が彼ら職能武人を反乱鎮圧の担い手にする時期は被ってないかな?
それで戦術に大きな変化があったということでは。
0593人間七七四年
2007/09/18(火) 12:41:16ID:d747ff6j0595人間七七四年
2007/09/18(火) 22:54:05ID:HNB1qGl30596人間七七四年
2007/09/18(火) 23:52:17ID:4V9Svy0fリンク先読んだよ、文読むの遅いから時間かかったけど(;´ρ`)
武士の「原型」の形成時期って事なら、確かに被ってる部分はあると思う。
ただ、律令体制の形骸化で実際に弩に関する諸々にかかわる弩師も
形骸化したみたいだし、国家体制の変化による衰亡って部分もあると思う。
そもそも「普及」と言えるほど数を作ったのかどうかも疑わしいし…。
>>595
時代が下って、「石弓」と混同されたとは言われてるね。
0597人間七七四年
2007/09/22(土) 11:46:08ID:tLEq1Dxh西洋銃伝来以前の鉄砲といえる銅手銃や焙烙火矢なんかが入ってきてた。
その中に様々な弩が入ってきていてもおかしくないはず。使い道はいくらでもあると思うんだが。
0598人間七七四年
2007/09/23(日) 21:51:41ID:eBGwSqqB日本では使えないから使わないだけで・・。
0599人間七七四年
2007/09/23(日) 22:45:43ID:4qxokfA1那須与一がクロスボウで扇射るの想像してみろよw
なんか興ざめだしすごい違和感ある。
0600人間七七四年
2007/09/24(月) 22:32:11ID:XEwOchAaそれこそ日本で使われてこなかったからだろ。
つーか、那須与一のあの後は悲惨の一言に尽きるぞ。
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