何故弩は一般化しなかったのだろうか
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0001名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 22:40:30ID:B0PryBPg戦国期には廃れ、代わって弓が一般化したのはどうしてなのだろう。
威力が高く、使用も弓より簡単で、射程も有利な弩はかなり強力な兵器になりえるはずだけど。
0110名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 13:40:22ID:a3ytOv2Y0111名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 16:30:15ID:OWc/bQwBでも数が1番重要
0112名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 23:12:16ID:ER+jH/zw宮城で出土した、青銅製の弩機を説明してくれ。
どうせ輸入物とでも言うんだろうが。
0113名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/12(月) 00:42:48ID:wEBeqVR5いや、それを支えられるだけの国力がないと意味はないよ
兵站のが重要
0114人間七七四年
2007/02/12(月) 11:19:50ID:F85mHwMX0115人間七七四年
2007/02/21(水) 08:47:49ID:kcb+fTZA0116人間七七四年
2007/02/21(水) 23:56:07ID:DoPQvL2q残念だけど、そうなものはそうでしかない。
0117人間七七四年
2007/02/22(木) 06:22:26ID:0/jsYNQf0118人間七七四年
2007/02/22(木) 13:20:35ID:N1479+88銭でも、鉄砲でも
0119人間七七四年
2007/02/22(木) 17:46:05ID:nuNx4GCa弩は生産コストに見合う威力がなかったのかな。中国くらい大量生産して単価下がれば生産コストと効果が釣り合ったということかもしれない。
0120人間七七四年
2007/02/22(木) 18:29:41ID:EPcvl5Jj爆発的に普及したのだが…
0121人間七七四年
2007/02/22(木) 18:52:34ID:gI12qPhR百年戦争でドが長弓に負けましたが
0122人間七七四年
2007/02/22(木) 22:28:52ID:WoIpFls0石弓VSロングボウなんて 一武器の優越対決なんて矮小化はあの時代の本質見誤るぞ
長弓にも石弓にもそれぞれ得手不得手があるわけでな
0123人間七七四年
2007/02/25(日) 22:39:32ID:lBxf88zi>>122
>121のレスは「クロスボウvsロングボウ」の話題だと必ず出てくる定型文。
あんまり気にする必要もないかと。
0124人間七七四年
2007/03/10(土) 15:11:22ID:lXy5pQvq弩に使う強力な接着剤が日本にはなかったとか聞いたことがある
接着剤なんてどこに使うだろうって思ったことを覚えてる
0125人間七七四年
2007/03/11(日) 15:31:45ID:pxzF+KRM…は普通にありそうなもんだな。
使う場所は、まずは弓と弓床の接合なんだろうな。
弓床側に開けた穴に弓を通すんだろうし。
それ以外にも使うのかな。
0126人間七七四年
2007/03/11(日) 20:52:48ID:OQaRaHsO仕掛け弓として江戸時代まで
使ってたから
そんな理由ではないだろ
奄美や沖縄でも使ってたし
0127にゃんこ
2007/03/11(日) 22:35:13ID:FPhwk49vだけだが、鉛の弾だと、人体内部で変形して、内蔵グチャグチャ。
弩の貫徹力は大したものだが、人体の破壊力なら、鉛弾の火縄銃の方がずっと高い
のできないか。
0128人間七七四年
2007/03/12(月) 11:25:44ID:hQu4/mXZスレ違いだよ
0129人間七七四年
2007/03/12(月) 16:03:20ID:iMNBgcWe飛距離を伸ばすために手で持っているとこから
上の部分が下の部分に比べて異様に長い和弓が生まれたわけで
単純に材料の不足が原因な気がする
0130人間七七四年
2007/03/12(月) 20:39:09ID:IhmJjLSJ武士A「なんか地味だし…作り方よくわかんねーし…」
武士B「別に弓でよくね?」
鉄砲「ばぁーん!」
武士A「すげえぇぇぇぇええ!」
武士B「次俺!次俺の番ね!」
0131人間七七四年
2007/03/14(水) 20:35:51ID:moVn0BO/材料が不足って、不足してる材料って何?
日本にない材料なら、中国からでも輸入できると思うが。
火薬よりは安いだろうし・・・。
また、鉄砲よりも安く、簡単に、多量に生産できそうな気がする。
操作やメンテナンスも簡単そう。
矢も再使用が可能(w。
てことで、足軽に持たせるのは鉄砲は貴重すぎる。
弩で十分だった。
平安で途絶えて、信長・秀吉も弩を知らなかったのだろうな。
0132人間七七四年
2007/03/14(水) 22:47:22ID:fh5qnGvu平安で途絶えた以降、弩が入ってくる事が無かったってのは考えにくいけどね。
やはり必要性が無かったからだと思うが。
0133人間七七四年
2007/03/15(木) 02:54:42ID:9iKIhrW3欧州で鉄砲が普及した理由が「弩より安価だから」です
この場合、大量生産効果で価格が日本より安いはずの欧州ですら、弩>鉄砲が成り立つ事に注視すべきでしょう
また鉄砲が日本に伝来したときには、鉄砲を作る下地(刀工による高い製鉄技術)は確立していました
>矢も再使用が可能(w。
これ、大問題
>火薬よりは安いだろうし・・
一説に寄れば、戦国期に硝石の製造は始まっていたと言われています
北条などは年貢として徴収しているくらいです
硫黄・木炭については、日本に豊富なのは言うまでもないでしょう
0134人間七七四年
2007/03/15(木) 21:15:19ID:ZAnV2Drw弩が鉄砲よりも高価って、、、どうしてかなと思って、
Wikiで調べてみたけど、
弓部と台座は木らしいけど、弦の材質がわからなかった。
普通の弓と違って特殊な材料が必要なのかな?
でも、鉄と、それを銃身に加工する工賃よりも高い材料ってなんだろう?
気になります。
あと、Wikiによると、日本で弩が途絶えた理由は、
平安以降の武士が、小集団の抗争の中で発生してきたかららしい。
国司・郡司が管理の困難な武器を廃止していったとか・・・
>長弓を用いた騎馬騎射戦を主体として戦った武士にとって弩は不向きであったし
まあ、たしかに、速射どころか、馬上で弩に次の矢をつげ直すのは無理っぽい。
だけど、部下の農民兵に弩を持たせる手もあった気がするけどな。
0135人間七七四年
2007/03/16(金) 11:03:32ID:vH68rL7J純粋に弩の加工工数が、鉄砲の加工工数より多いってことでしょう。
弩復元製作
ttp://www.mahoron.fks.ed.jp/nenpou/nenpou2001_35.htm
弩復元品
ttp://www.mahoron.fks.ed.jp/nenpou/image1/nenpou2001/68p1_1.jpg
0136人間七七四年
2007/03/16(金) 19:45:35ID:v1Xzlzim弓は武士の嗜みとされてたからね。
貫通力も命中率も高い弩は、あったとしても歩兵には持たせない。
中世ヨーロッパでも、重装の騎士が容易く射ち殺されるんでクロスボウは禁止されてるし。
0137人間七七四年
2007/03/16(金) 23:12:41ID:hy858h1X中世ヨーロッパとは具体的に何世紀のどこなのか?
戦闘に於いて重要な殺傷力を禁止する法令など、寡聞にして
知らないので、史料も明示いただきたい。
0138人間七七四年
2007/03/17(土) 22:00:48ID:2fIlWlQn俺は136ではないが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%82%A6
有名な騎士が農兵のクロスボウに倒れる事態が多発してローマ教皇庁が禁止令だしたんだってよ。
0139人間七七四年
2007/03/18(日) 15:52:17ID:4LiTB7qu弓、特にロングボウは守旧派とか抵抗勢力ね
0140人間七七四年
2007/03/18(日) 16:49:45ID:p/ug0BPh現代のクロスボウだって、目視できるほど弾速が遅いわけじゃないらしいぞ。
矢とかは見失えばそれまでだし、見つかったとしても再使用なんかほぼ不可能だそうだ。
弩も似たようなもんじゃないか?
>139
「クロスボウみたいなものは石器時代くらいから使われてたんじゃないか」って
考えてる学者さんもいるんだってよ。
ギネスブックかなんかで見たやつだから、アテにはならんがw
0141人間七七四年
2007/03/19(月) 13:23:45ID:SoVhiEwe>「クロスボウみたいなものは石器時代くらいから使われてたんじゃないか」って
>考えてる学者さんもいるんだってよ。
西洋人研究者かな?
中国が2500年前に発明して使ってたのに、西欧で普及したのが
ず〜っと後世のモンゴル軍襲来以降なのが悔しいんだよ。
0142人間七七四年
2007/03/19(月) 17:23:54ID:6tgNC3Nrつ バリスタ
0143人間七七四年
2007/03/21(水) 16:10:49ID:3nXex8B1URL先のサイトを読んだけど、
>弩の加工工数が、鉄砲の加工工数より多い
とは、思えませんね。
どう見ても、弓部、銃床部は木製。
弦は、普通の弓と同じ。
機(引き金部)は金属製だが、鋳造した部品を組み合わせたもののように見える。
てことで、中国から貴重な材料を輸入しなければ作れなかったとは、考えられない。
他方、火縄銃は、
鉄を円筒状にして銃身を作る。
分解掃除のために、一方の穴をネジにしてボルトで塞ぐ。
引き金、火蓋、火皿などなど、その構造は、弩よりもずっと精密。
つまり、高度な技術が必要。
しかも当時、火薬は南蛮からの輸入に頼っていた。
てことで、結局、弩が鉄砲よりも高価だったということは納得できません。
>>140
諸葛孔明だったか、忘れたが、
自軍の矢が足りなくなった時に、藁人形をたくさん作って、それに敵が射た矢を集めた(w
という話を知らないか?
てことは、矢は再使用可能なんじゃないですか。
0144人間七七四年
2007/03/21(水) 20:47:12ID:1FLItaJ30145人間七七四年
2007/03/21(水) 22:48:53ID:u5eFcpX4移行しやすかっただけの話じゃないの
実際、種子島でも、刀工が南蛮人からちょっと教えてもらって
作れたわけだしな
0146人間七七四年
2007/03/21(水) 23:21:10ID:rpQ0A7xO時代も地域も違うが、まあ一応。
中世ヨーロッパなんかだと、クロスボウ一挺と鎧一式が同価格なんて話もある。
矢の再使用についてだが、大体は曲がるなり埋まるなりして使えなくなる事が多いそうだ。
もっとも、これはあくまで最近のものの話だが。
奈良・平安とか、そこら辺の時代で矢の再使用がどうこう言ってるなんてのは聞いた事が
ないから、実際どうだったのかは知らん。
0147人間七七四年
2007/03/22(木) 09:12:10ID:IXIfJVzr孫権が船の片側に矢を受けすぎて矢の重さで船が傾いたから
逆側をさらしてバランスを取った、ってのが元ネタだったはず
矢を狩るとか再利用とかの記述は無かったような
0148人間七七四年
2007/03/22(木) 17:02:05ID:HH0tXgCW戦闘では弾幕張ったりで取り敢えず飛べばよかったけれども、現代は競技用だったりで制度がうんぬんとか...どう?
0149人間七七四年
2007/03/22(木) 20:10:53ID:A3vEu4D9ちゃんと的に当たったやつなら、そのまま抜いて…とかかな。
でも、それだって練習時だけなんだろうけど。
0150人間七七四年
2007/03/26(月) 05:04:04ID:T1/wrj5ohttp://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1174608191/
0151人間七七四年
2007/04/27(金) 02:36:17ID:kSM9VVAz>てかさ、鉄砲撃って、その間に弩を撃って繋げば最強なんじゃ・・
発射速度の遅いもの同士を組み合わせてどうすんの。
>>7
逆だな。山間部の方が弩は活用しやすい。
単純に考えても、敵の前進速度が遅くなる起伏の多い土地の方が、発射速度で劣る弩の方が有利だ。
孫ビンは谷間のような狭隘地での弩の有用性を指摘している。
>>70
無茶苦茶だな。弩で特に複雑な構造をしているのは発射機構だが、それは金属製。
主に磨耗に強く鋳造が容易な青銅と、鉄が使われた。
>>75
ああ、あのどう見ても武径総要です。本当に(ry のやつなw
>>88
弓部のことだろうか。東南アジアなどでは短素材の巨大な弩が普通に使われているし、
障害にはなっても、決定的な要因となるだろうか。
>>95
>弩は平地では戦車と組み合わせると強力な武器になったり
ないない。揺れる車上で弩なんか使えん、セットした矢がポロポロ落ちるだけ。
>>120,141
また適当なことを…。136-138の禁止令は12世紀前半のこと。
当然こんな規則守られやしない。十字軍ではなおさら無問題。
>>134
弦は動物の腱、絹糸、麻をはじめとした伸び率の低い植物繊維といったところ。
143の指摘のとおり、弓と変わりなかった。
>>143
>機(引き金部)は金属製だが、鋳造した部品を組み合わせたもののように見える。
その鋳造技術が無かったんじゃないかな。日本では何でもたいてい鍛造で作るし。
鉄の鋳造は難しい。青銅に必須な錫は日本で採れたっけ?
0152人間七七四年
2007/04/27(金) 15:08:49ID:YQIy5c52>>その鋳造技術が無かったんじゃないかな。
奈良の大仏は鋳造だろ。
銅鐸・銅矛は輸入品だとでも?
銅鏡も模造品を国内で作ってる。
古墳期以前から、日本には鋳造技術があった。
しかも引き金部はそれそれほど複雑精巧な構造でもないし。
需要があれば、作れたはずだ。
0153人間七七四年
2007/04/28(土) 23:31:55ID:RIAStp3Aちょっと言葉がすべった。すまん。
「日本の鋳造技術が適してなかったのかもしれない」とでも言うべきだった。
弩機は、複雑なものではないけれど、精巧さは高い水準で要求されるはず。
回転軸があるから、遊びが大きすぎても少なすぎてもいけない。
小さいものを大量生産する技術は銅銭の鋳造から十分だったと推測できるがら、
後はどれだけ形を均質に作れたかが判断の分かれ目になると思うんだけど、どうでしょ。
中国で弩機はどういう鋳造法で作られたんだろう。
0154人間七七四年
2007/04/29(日) 02:09:42ID:9py4nqIR引き金部は、矢をつがえてセットした状態で滑らかに引き金を引ければいいのだから、
普段は、遊びが大きくて緩々でもいいのではないだろうか?
で、軸とそれと接する部分の滑らかさは、銅鏡を作る技術があれば簡単な気がする。
日本では、明治にガラスの鏡が入ってくるまで、鏡といえば鋳造した鏡面を磨いて作った(と思う)。
http://www.mahoron.fks.ed.jp/nenpou/nenpou2001_35.htmを見る限り、
そんなに精巧な構造とも思えないが、
どう使われるのか、いまいちわかりにくいね。
0155人間七七四年
2007/04/29(日) 11:16:12ID:MB99XYYsttp://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/photo-page/hakkutu-jyouhou99/ijijyou99/do2.jpg
遊びが問題になるとしたら、牛の部分になるだろう。
0156人間七七四年
2007/04/30(月) 10:22:54ID:5Y0qRer5軍事板クロスボウスレ
0157人間七七四年
2007/05/01(火) 19:41:25ID:Tgv6CF02興味があるなら探してみてもいいかも。
0158人間七七四年
2007/05/01(火) 23:37:14ID:GSNTv98q0159人間七七四年
2007/05/01(火) 23:41:48ID:8QW0Zeot0160人間七七四年
2007/05/02(水) 00:01:44ID:6nWgVX99ttp://moura.jp/clickjapan/robot/207/content01.html
秀吉の大仏は奈良の大仏とは違い、木製だったのである。東大寺の大仏が竣工したのは
8世紀、752年(天平勝宝4年)のことであったが、それから800年が経過した16世紀の
日本では、銅を使って大仏を鋳造する技術が失われていた。
0161人間七七四年
2007/05/02(水) 00:04:31ID:6nWgVX99tp://www.odette.or.jp/virtual/nanbutekki/history/index.html
0162人間七七四年
2007/05/02(水) 02:39:25ID:1O13NsKDおお、、わかりやすい図解が!
さんくす。
牙に引っ掛けられた弦が牙を前方に引き、牙は牛に下方の圧力をかける。
その圧力は、牙の角が懸刀のくぼみに挟まることで釣り合っている。
釣り合うのかな?
とにかく、懸刀の引き金を後方へ引くことによって、牛の角がくぼみから外れ、
たぶん、牛のもうひとつの角が内側で牙を押し下げ、牙が下がって、弦が牙から外れる。
うまくできてるな。
ちょっと待て。矢はどこにある?牙の前に弦から離れて置かれてるのかな?
それだと、矢はまともに飛ばないと思うが?
上からの図解がほしいね。イメージ検索してみたけどだめだった。
>>160
このサイトによると、秀吉の大仏も銅製だった。
http://www.lookpage.co.jp/topics/no030801/
十年後、地震により焼失。
秀頼が再建したが、またしても地震で焼失。
3代目、木製で再建。また焼失。
4代目、半木製で、1973年まで現存していたって、、、聞いたことないけど。
このサイトによると、秀吉の大仏は木製で、秀頼の再建が銅製だった。
http://kan5.sakura.ne.jp/gosan/kouwa/2004/05/index.html
鏡や仏具は鋳造だから、鋳造技術が途絶えたとは思わないです。
0163人間七七四年
2007/05/03(木) 12:39:23ID:v3Ev3YOE0164人間七七四年
2007/05/03(木) 23:43:19ID:KAGWp6jM新弩という大型バリスタも開発してました。
0165人間七七四年
2007/05/09(水) 01:21:16ID:Upkk6AOkモノにもよるだろうが、牙は上から見ると左右一対、つまり二つあるのさ。
その間に溝が彫り付けてあって、矢はそこに置かれる。
詳しい事は知らんが……まあ矢羽の事もあるから、矢の後端が直接弦に
触れるかどうかは怪しいもんだな。
>164
「新弩」って名前って訳じゃないだろう。
話から察するに島木史真 (←合ってるかどうか責任持たん)のアレか。
0166人間七七四年
2007/05/09(水) 09:20:17ID:sZOYcNbm0167人間七七四年
2007/05/10(木) 01:46:58ID:L2QBJIfx>>矢の後端が直接弦に触れるかどうかは怪しいもんだな
和弓だと、矢の後端に溝があって、その溝に弦をはめて引っ張るようになってるよね。
弩弓では、そうなっていないってこと?
0169165
2007/05/13(日) 00:34:48ID:glOnu3vOとりあえず、少なくともクロスボウ(中世ヨーロッパ)で使われた矢の後端には
溝はなかったっぽい。
矢柄も弦も結構な太さだったみたいだし、何より矢は弓床部に彫られた
溝に置かれるわけだから、特に必要なかったのかも知れんな。
で、弩のほうだが……矢とか弦とかの太さとか、そういう情報がほとんどないから
よく分からんな。
そういうやつは、ほとんど出土とかもしないしな……。
0170人間七七四年
2007/05/20(日) 20:41:07ID:3nfA4q5L914年の新羅の入寇の時に使用されたそうで。
絵で見る限りは、台座付きの巨大な弩ですな
0171人間七七四年
2007/05/20(日) 21:01:44ID:3nfA4q5L春秋戦国時代では一台の戦車に、車長兼射手、剣や矛で戦う士、御者の3人が乗っていた。
弩を放つ窓が付いた戦車もあるため、弓ではなく弩を使っていた例も多いと思われる。
0172人間七七四年
2007/05/20(日) 21:12:02ID:5MClnfe3戦車は平原の決戦にしか使えない。
同じ時代の呉は漢人ではなく、戦士による戦車戦が徹底していない代わりに
歩兵による長駆侵攻をおこない、しばしば中原を破った。
歩兵を多用することことで、平原だけでなく森林山野を踏破しての機動戦術
が可能になった。
要するに戦車戦というのは、戦争が一戦場で決着がつけられる時代の産物。
まだ騎兵が兵科になる前の時代のお話。
0173人間七七四年
2007/05/20(日) 21:27:01ID:5MClnfe3山間に潜み待ち伏せして一斉射撃するのはいいが、次の発射はどうするのかという・・。
後の時代の鉄砲と同じように工夫すればつるべ打ちに放てるかもしれない。
だが、そもそも同じ数だけ弓を用意しておいたほうが、矢を雨のように降らせて面制圧もできる。
0174人間七七四年
2007/05/24(木) 15:11:21ID:HVX8LUHX確かによく言われるよね。
あとはコスト高とか。
でもなんか、クレシーのフランス軍VSイギリス軍みたい。
0175人間七七四年
2007/05/25(金) 19:21:26ID:cq/q0/eqロングボウではプレートアーマーはなかなか貫通できないからね。
百年戦争でも、ロングボウは直接的に騎士にダメージを与えたというより
混乱を引き起こしたり馬を負傷させたりしたという意味合いが強い。
逆に言えば、プレートアーマーが発達したのには、クロスボウの脅威がかなり大きく影響している。
0176人間七七四年
2007/05/28(月) 12:37:57ID:ckrcqRxp全てのクロスボウでプレートアーマーを貫通できたわけで無いし
プレートアーマーを貫通できるほどのクロスボウはプレートアーマーより高価で
装填に時間がかかるものだったけどね。
0177人間七七四年
2007/05/28(月) 15:49:45ID:jiqa0sCn装填時間より威力を重視したんかな。
0178人間七七四年
2007/06/03(日) 21:59:31ID:bjeUIXfLこれから戦争するぞー、と集まってきて睨み合ってる状況なら、
巻き上げる時間もあったんじゃないの。
二発目はなかったかもね。
0179人間七七四年
2007/06/03(日) 23:42:16ID:uEVunrxM二発目以降は専用のでかい盾に隠れて装填。
場合によっては盾を持つ従者もいたりする。
0180人間七七四年
2007/06/04(月) 13:25:04ID:WKWeEBB2火縄銃よりは、再装填は早いと思う。
なぜ、銃は普及し、弩はすたれたのかな?
0181人間七七四年
2007/06/04(月) 19:23:27ID:NfGahwZK早合使えば1発10秒ほどだから
0182人間七七四年
2007/06/04(月) 21:41:03ID:ki7AGBxv0184人間七七四年
2007/06/05(火) 22:26:48ID:O5+kg/Xdクロスボウは装填時間がネックだが比較的素人でも扱える上、弓より威力がある。
物理的にプレートアーマーを貫通できる飛び道具がクロスボウしかなかったから。
騎士のランス突撃への対抗策だね。
0185人間七七四年
2007/06/05(火) 22:30:34ID:O5+kg/Xd0186人間七七四年
2007/06/08(金) 23:14:21ID:3Oaxi5wB弓の構造が改良されても、それを直に弩に応用することは難しかしそう。
0187人間七七四年
2007/06/09(土) 10:59:17ID:4him/Ezw0188人間七七四年
2007/06/09(土) 15:51:07ID:5BO61mFQ音だと思うよ。
当時鉄砲の射程や命中率なんぞお粗末なものだが、
敵は射撃音で士気がなえたらしい。
ちなみにスペインの宣教師は日本の射手は射撃速度が遅いと
言っていた。なんでも1発打つのに1分ぐらい掛かっていたらしい。
0189人間七七四年
2007/06/09(土) 16:02:16ID:4him/Ezw弩よりマッチロック銃のほうが貫通力に優れる。
プレートアーマーやキュイラスの相手に弩はちとつらい。
大型の弩は重くかさばるし。
0190人間七七四年
2007/06/09(土) 18:01:54ID:TRMWiNLaサイレンサーが発達する70年代までは、
クロスボウは奇襲や榴弾の投射に使われていたという話もあるよ。
音がすればいいってものでもないみたいだ。
0191人間七七四年
2007/06/09(土) 21:16:11ID:nthnOKsN大砲の場合、最初こそ音と光で相手をビビらせてた。
が、慣れられたら音で方向を、光で位置を察知されて、奪取されたあげく
自陣に向かってボカーン。
銃も、最初は音でビビらせてた部分があるにはあるんじゃないかな。
音も光も出さないものを…って方向性は、普及した後じゃないかと脳内妄想。
0192人間七七四年
2007/06/10(日) 00:16:00ID:AygbW4t/0193人間七七四年
2007/06/10(日) 17:16:07ID:PylZSoDS0194人間七七四年
2007/06/10(日) 21:27:32ID:cUtVtlFyだったようですよ。
『扶桑略記』には
894年の新羅侵攻のおりに、楯と弩を使った射撃戦で新羅軍を撃退、
大将軍3人、副将軍11人を含む302人を射殺した、という記述があります。
9世紀末は、新羅の海賊がたびたび九州地方に来寇していた時代で、その対策の
ために朝廷は沿岸部の周辺諸国に弩師(弩を用いる兵士達を束ねる軍団長のようなもの)
を置いていました。
また、三善清行が914年に醍醐天皇に上申した「意見封事」には、
“周辺諸国に弩師を置くのは外敵来襲を防ぐもので、強弩は重要なものである。
扱いは、追撃に不適で、防御戦闘に適す。言い伝えではこれは神功皇后の発明
によるもので、唐にも弩はあるが、この武器に及ぶ性能ではない。
陸奥・出羽両国では蝦夷の反乱の可能性があり、九州は常に新羅からの侵攻の危険がある。
北陸・山陰・南海沿岸部諸国の防衛が必要であろう”
というような事が述べられています。
神功皇后の発明云々のところは権威付けの為に生じた伝説でしょうが、その他の記述は
信頼できるものだと思われます。
0195人間七七四年
2007/06/10(日) 21:34:09ID:I6f4DOpf0196人間七七四年
2007/06/10(日) 23:11:20ID:PE0ZV8Pw0197人間七七四年
2007/06/11(月) 01:06:46ID:cdJSGH9k>唐にも弩はあるが、この武器に及ぶ性能ではない
まあ、弩は中国から伝来したのに間違いないだろうが、
それにしても、中国のより日本ののほうが、性能が上というところに、
日本の技術者の姿を見る気がする。
火縄銃も、中国でもまねして作ったけど、使い物にならなくて、装飾用だったというし。
0198人間七七四年
2007/06/11(月) 02:13:56ID:WqdfGidA67 名前:白馬青牛 :2005/07/05(火) 23:07:15
>>65
いしゆみ、と言うより広い意味での弩は『日本書紀』天武紀。壬申の乱に
おいて瀬田川の戦闘で「列弩乱発 矢下如雨」とあり、のち延暦十四年
(795)「強弩為神 其為用也 短於逐撃長於守禦(中略)
故大唐雖有弩名 曾不如此器之勁利也」つまり強弩は神の如きもので、
性能の特質は追撃戦に弱く防御戦に強い。唐(中国)の弩も日本の
この弩には及ばない『本朝文粋』。
貞観八年(866)肥前国諸郡司の新羅通諜事件でも、「造兵弩器械之術」
我が国の弩の製法を教えることであった『三代実録』。ハイテク兵器の
技術が敵国(新羅)に漏れるのは如何にもまずい。逆に新羅軍にとっては
脅威じゃった。
弩が威力を発揮した戦闘は寛平六年(894)新羅軍の対馬侵攻で、
「大小船艘 乗人二千五百人」の新羅軍を迎撃したが、勝敗を決したのは
敵を引き寄せ「立盾令調弩(中略)合計射殺三百二人」とあるよう
弩によって新羅軍を撃退した『扶桑略記』。
日本は、対蝦夷や対新羅で騎馬戦闘や造船技術よりも強弩の開発に力を
注いだ。
68 名前:白馬青牛 :2005/07/05(火) 23:52:54
新弩の改良は、承和二年(835)にもあり、、嶋木史真という者が
辺兵に備える為自ら製作したもので、「四面可射 廻転易発」と容易に
発射方向を変えることが出来るよう改良されたらしい『続日本後紀』。
出雲については、四隅突出墳の年代が問題となるので、難しいが仮説と
して、出雲の四隅突出墳は、島根を中心に広島、岡山、鳥取、北陸にも
ある。更に北朝鮮の満洲よりの慈江道(日本統治時代は平安北道、
高麗以前は女真の地)にも見られるので新羅(朝鮮)より高句麗(満洲)の
影響が強いと思える。
0200人間七七四年
2007/06/11(月) 02:17:40ID:4lLPAOZc0201人間七七四年
2007/06/11(月) 02:26:54ID:WqdfGidA蝦夷の影響を受けた武士が騎射戦法を使いだして廃れたとも、
中央集権制が崩れ、弩のような精巧な技術を要する武器の製造が困難になったとも言われてますね
0202人間七七四年
2007/06/11(月) 20:45:26ID:KIlWl64fロングボウでもプレートアーマー打ちぬけてたよ
0203人間七七四年
2007/06/12(火) 13:24:09ID:jtWkvGPWそれってどこの板の何のスレのやつ?
レス自体は2年前みたいだけど…
>>200
「延喜式」見てみな。
コストどころか、元々の製造そのものに相当な人数要るらしいよ。
0204人間七七四年
2007/06/12(火) 22:21:48ID:6kWc9U9pこれミラーかな?
http://mimizun.com/log/2ch/history/academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1120222213
弩はコストが高い上に部品の精度に技術が要るんだって。
弓と比べメカが複雑なゆえに維持管理も大変らしい。
各地に技能教官として弩師を置いてたくらいだしな・・・
リンク先見る限り銃床がなくてピストルグリップみたい。
http://www.mahoron.fks.ed.jp/nenpou/nenpou2001_35.htm
0205人間七七四年
2007/06/12(火) 22:29:01ID:mxLYf7tDhttp://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/
0206人間七七四年
2007/06/12(火) 23:09:00ID:cuR5jKGq俺もどこかで、中世になって牧畜が廃れてにかわが
あまり使えなくなったとか聞いた。
(北では牧畜が続いていて使えたかも)
それで(弩じゃないけど)コンポジット・ボウが
日本では作れなかったとかとも聞いた。
あと弦には(やはり牧畜が必要な)羊の腸を使ったとかなんとか。
真偽はよくわからないけど。
醍醐天皇の頃は醍醐って言うくらいだから牧畜してたんだよね?
0207人間七七四年
2007/06/12(火) 23:27:45ID:6kWc9U9p0208203
2007/06/13(水) 00:11:20ID:Z3XmDOPqお〜、ありがたや。
こんなスレあったんだねえ。
ところで、銃床(弓床)はあの矢を置く部分の構造全体だよ。
正式な名前が分かんないんだけどね。
>>207
ついでに、律(刑法)での取り締まりも厳しかったみたいだね。
0209人間七七四年
2007/06/13(水) 01:01:20ID:wkj0y5p/日本の弓も、合板弓だから相当使うと思うんだがな…。魚の内臓からも取れるし。<ニカワ
弦だって、絹や麻じゃいけない理由は見当たらないし…。
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