【●】衝撃!織田信長はマザコンだった【●】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/03(水) 05:44:27ID:UWxH+fc1父・信秀は尾張の中原を確保するために那古野城を占拠し
幼い吉法師をこの城の城主として据え、自らは古渡城に入り、後に末森城に移った。
こうして吉法師は、父母や兄弟達と離れる事となった。
母・土田御前は父と信長の弟信勝と共に末森城にあった。
この土田御前は信勝を溺愛した。
信長が大うつけと呼ばれるような奇行を繰り返したのは、
弟を溺愛する母・土田御前に「注目されたい」「怒られたい」という気持ちがあったからで、
いわばマザーコンプレックスだったのだ。
後に嫉妬に狂った信長は実の弟信勝を、自らの手で討ち果たした。
肖像画や家臣とのエピソードなどを見てもうつけの立ち振る舞いや、
後の峻厳冷酷な信長像よりは、むしろ神経質そうな信長像が想像される。
母の愛を知らずに育ったために神経質にならざるを得なかったのだ。
正室だった鷺山殿(濃姫)をぬかし、信長が愛した女性はいずれも年上の女性だった。
しかも吉乃や於鍋の方などは後家の女性である。
信長がこのように年上で、しかも後家の女性を愛したのは
幼少の頃、母の愛を得られず、マザーコンプレックスを持っていたためである。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています