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【本能寺の変】明智日向守光秀【山崎の戦い】

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0001名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 19:58:46ID:EjRn4TJ6
明智光秀総合スレ
明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。

通称は十兵衛。
父は明智光綱のほか、明智光国や明智光隆の説もある。
さらに信長に仕えるまでの前半生には不明な点が多いが、
明智軍記では美濃明智城主として斉藤道三に仕え、その没後は諸国を遍歴したとされる。
-------wikipedia---------

0790人間七七四年2010/11/16(火) 16:54:17ID:T+qm7vQ0
天下布武を唱え、民草を安寧に導くと云いながら、数限りなく人を殺し、宗門を虐げ、武田が滅びると自らを神と称し、誕生の日を聖なる日となした。
そして!
帝を自らの膝下とする所業!
赦しがたし!
天と神々に代わり!この惟任日向守光秀が………
0791人間七七四年2010/11/16(火) 17:02:31ID:7L6Susgn
後を継ぐ
0792人間七七四年2010/11/16(火) 22:17:03ID:Nv2/xRMT
>>791
笑いました
0793人間七七四年2010/11/17(水) 00:59:33ID:dYceaNm8
でええぇぇばあぁいいたす!
0794人間七七四年2010/11/19(金) 16:15:12ID:wcBG2n0b
>>785
子孫本だけど、藤本の反論で「機密漏洩をどう防いだか」というのがあるけど、大化の改新でもカキツの乱でも鎌倉でも、当事者が現場までノコノコ来て暗殺されてるでしょう。
ごく一部のものだけで共有してれば、ふいんきを察知出来なかったり極秘にしておくのは十分にありえるのじゃないかな。

細かいけど、当日の朝家康が京に向かった、というのは、まさにその時に変が起きていた、というのを知っていたのかな。
藤本がよく言うけど、信長が無防備だったのも、京に来たのもたまたまなら、実行は出来なかったことになる。
しても、警備が多くて失敗してたら家康の立場も危ないかもしれない。

もし警備が多かったり、家康と信長が合流してたりしたらどうなってたんだろう。
家康は、信長とは別のところに宿をとるだろうから、騒ぎが起きたらすぐ脱出、という感じだったのかな。
しかし、末端の兵なんかはわからないから襲っちゃいそうだし、そうなっても家康は精鋭揃いだから自信はあったのか。

子孫本を否定するには、当日ギリギリのピンポイントのをタイミングをどう解釈していくか、そういう矛盾点をつくのが明解な気がする。
後から解釈だから、いろんな点をうまく説明できてるとは思うのだよね、大返しとか家光母のの問題とか。
0795人間七七四年2010/11/19(金) 21:05:48ID:h+OKyfzA
家老級の人間にだけ事実を伝えておけば問題ないことは、
「本城惣右衛門覚書」からも分かるな。
家康を討つという嘘をつけば、本能寺を攻めることが可能な訳だから。
0796人間七七四年2010/11/19(金) 21:20:26ID:7t3WIvrm
>子孫本を否定するには、当日ギリギリのピンポイントのをタイミングをどう解釈していくか、
>そういう矛盾点をつくのが明解な気がする。
子孫さんの本で2次史料ながら証明らしきものがあったのは「信長が家康に害意を有していたこと」
たったそれだけ。
その他の論点は史料の裏付けのない氏の想像・妄想を書き散らしただけでしょ。
そもそも氏の論証に1次史料の裏付けが皆無である以上論証が成立すらしていないので、矛盾点を
つくまでもないよ。
0797人間七七四年2010/11/19(金) 21:31:07ID:igKV3jAL
光秀は信長に仕えずに徳川に仕えた方が良かったと思うんだ
0798人間七七四年2010/11/19(金) 21:38:14ID:WQxOhVYY
797言えてる
0799人間七七四年2010/11/20(土) 02:44:49ID:n4KXD2rt
>>796
もちろんそうなんだけど、学会じゃないんだから、そうやって否定しては面白くない。
推測とはいえツジツマがあってる部分が多いから、そういう点の矛盾とか不可能な点とか、そういうのをツッコんでいくのが2ちゃんらしいかと。

だもんで藤本の反論はちょっと弱いというかそれこそ「〜だったろう」でどちらとも取れるような感じ。
ま、藤本、谷口、藤田、が専門家かというとまた違う話になるけどね。

そういえば、三鬼御大が東大の山本をかなり厳しく批判してたよね。あれのその後とか知らない?
研究者としての姿勢をあれだけ厳しくつっこむというのもなかなかのもんだった。
0800人間七七四年2010/11/20(土) 11:59:52ID:PWZJostQ
山本は調子に乗りすぎたな。読んでて俺でもイラっとしたもんw
0801人間七七四年2010/11/20(土) 20:41:56ID:uq/C9GSn
>>799
谷口を挙げてるが、先月出た
「織田信長家臣人名事典」第2版を読んでみな。
7500(抜き)と高いが、あれだけの事典書けるのは相当なもんだぞ。
だからといって本能寺論も正しいとはならないが(自分はおおむね賛成)。
0802人間七七四年2010/11/20(土) 23:56:11ID:i0s4jKqW
信長には仕えたくないね例えばイチローやダルビッシュくらいの実力なら信長でもいい
だが内川や細川程度で信長に仕えると失敗できないわ、一流の実力もないわで
気が気じゃないだろうな、実際に林や丹羽みたいなのが追放されてるし
0803人間七七四年2010/11/20(土) 23:59:35ID:DCmSzMIW
丹羽は追放されてないだろ?
0804人間七七四年2010/11/21(日) 00:37:24ID:9OnBKUHD
>>799
スレチかもしれませんが、三鬼清一郎氏が山本博文氏にどういう風に厳しく批判をしたんですか?
0805人間七七四年2010/11/21(日) 07:42:37ID:djycgRLi
>>799
>推測とはいえツジツマがあってる部分が多い
子孫本のどこが辻褄合ってるのか分からんが、仮に子孫がいう通り信長が家康領侵攻を計画していたとする。
そして、子孫のいう富士遊覧も敵領の現地踏査だとするととすると、家康排除後に徳川遺臣との合戦を円滑に
すすめる準備をしていたわけだ。

しかし、これは家忠日記天正10年6月3日条の次の記述と矛盾する。
「家康と同行していた酒井忠次から松平家忠に、家康が帰国次第、西国に出陣する旨が伝えられる。」
要するに徳川軍に戦の支度をしろって命令だな。この記述は変についての記述の前に書いてあるから、「西国」と
は毛利家のことになり、西国出陣の大将は信長だから命令したのは信長になる。
もし子孫の仮説を前提にすると、家康死亡で指揮の低下した遺臣をさくっと攻略したいはずなのに、徳川軍に戦闘
命令を出してわざわざ攻略の手間がかかることをしたという矛盾がある。

子孫本のどこがツジツマ合ってるか具体的に指摘できんなら、この与太本取り上げるのはもう止めにして。

>>803
丹羽氏勝は追放されたで。
0806人間七七四年2010/11/25(木) 00:33:30ID:YqZTvPlO
>>799
> >>796
> もちろんそうなんだけど、学会じゃないんだから、そうやって否定しては面白くない。

学会じゃなきゃ何を言っても否定はされないと考えるお前の感覚は完全におかしい。
0807人間七七四年2010/11/25(木) 21:19:56ID:Z7LtvQ3N
テス
0808人間七七四年2010/11/25(木) 21:29:41ID:Z7LtvQ3N
>>805
アク禁でうまく書き込めない。せっかく日記教えてもらったのだけど。
簡単で悪いけど、もし信長が寸前まで情報漏えいを防いだ、とするなら
用意周到という意味で、自分に不利な命令を出すというのもあったんじゃないかな。

家康と重臣さえ暗殺してしまえば残りは簡単、というのもあったろうし。
0809人間七七四年2010/11/25(木) 21:34:57ID:Z7LtvQ3N
>>805
おお、成功。
で、つじつまがあう、というのは春日局重用、というのはどうだろう。
公家さんたちの日記改変、とかも謀反の存分、というのはまさにそういう光秀の裏切りのこととか。
他にも、信長の情報は取っておきながら長男のことを知らなかった、というのはいかにも「織田家殲滅
目的ではなく信長個人が最大のターゲット」というようにも思える。

まぁ、いかにも辻褄あわせだから、後から語ったものが有利なんだけどね。
生暖かく叩いておくれ。
0810人間七七四年2010/11/25(木) 21:39:58ID:Z7LtvQ3N
>>804
「読者を軽視しすぎではないか」「立場を勘違いしてないか」みたいにかなりのものだった、と思った。

>>801
いや、みなさん、独自の専門分野のある先達で尊敬しております。

>>800
つい筆がすべったというか、正体がでたというか、ね。
0811人間七七四年2010/11/25(木) 21:40:49ID:mbIweRNL
>>809
春日局は斉藤利三の娘で、光秀じゃないんだが?
光秀の家臣にすぎない利三の娘ってのは説得力がない。
0812人間七七四年2010/11/25(木) 21:59:23ID:K34eHT6j
>>811
同感やな。
確かに「柳営婦女伝系」春日局の項目で「斎藤利三の伯父が光秀だ」って書いてあるが、利三の母は蜷川氏・妻は
稲葉氏で光秀と利三の血統上のつながりは確認できない。むしろ利三と濃密な血縁にあったのは長宗我部氏。
家康黒幕説の根拠に「春日局を家光の乳母に登用した」というのが必ず挙げられるが、抜擢すれば黒幕といえるの
であれば明智遺臣の木村吉清を30万石の大大名に抜擢した秀吉も黒幕になるのかね?
0813人間七七四年2010/11/25(木) 22:24:57ID:Z7LtvQ3N
>>812
斉藤は家臣にしかすぎないのだけど、重臣、という意味では光秀にかなり近くないだろうか。
利三黒幕とか、そそのかした、とまでは言わないが、光秀側の理由が四国問題としたら、変に
かなりのところで関わっていた、というのはそんなに間違ってないような。
で、秀吉の明智遺臣抜擢、も事後処理の時点では関わっていた、というのでどうだろう。
細川あたりがこっそり可能性をもらしていた、というのも一種の「つじつまあわせ」になるような。
大返しの話まで行くとスレチっぽくなってしまうけど、100%寝耳に水の変、というよりは
秀吉ならではの危機管理能力、で対応できた、そこには「さすが秀吉」ですますのよりも
「万が一の想定はしていた」とするほうが山崎までの一本道でつながりやすい。

もちろんつじつまあわせだから、なんとでもいえる、というのはそうなんだけど、子孫本がどうこうより
全部つなげて考えたほうが「つじつまはあう」と思うこともあるのだよね。

これは「史料根拠がない」から「正しいとはいえない」のだけど、あくまで辻褄、話があうかどうか、論理的な
矛盾点があるかどうか、そういう点でお聞きしているわけでね。

それと、家康黒幕、とは思ってない。あくまで光秀単独裏切り、ってところ。
だから家康から見て「変の直接関係者の親族を重用」ってのは、まだ軽い恩返しぐらいとは思う。
あの時点では260年も続くとはさすがに誰にもわからないわけだし。
0814人間七七四年2010/11/26(金) 00:35:53ID:XFYuAb64
お、まだ書き込める。のでまとめて。

秀吉初出の「永禄六年〜」には前半後半ある、みたいな話はあまり聞かないけど
あのあたりはどうなんだろう、後半は義昭時代のもの、というの。
あの解釈はどうなんだろうかって。

ほんで、逆に考えて、信長ー光秀、光秀ー家康が会った証拠がない、というのならそれこそ
「いつ密談したか」とツッコまれるけど、そういう事実はあるのですよね。
家康もずっと岡崎にいた、のならともかく、12年ぶりだったかで上京した事実はある、とこのあたりは
史料的根拠とは言わないけど、辻褄合わせる上でのそれなりの根拠にはなってるような。

春日局の件でも、謀反人の関係者を将軍が孫の乳母にする、というのは正史?でどういう
解釈かわからないけど、「一種の恩返し」とすればつじつまは合ってるような。
もちろん秀吉の件も。

こういうのは全く疑問に思わずにスルーしてしまうと、それまでなんだけど、
つじつまあわせ、ってのはそういうことで。

たぶん推測するに、専門的な方は史料的に確認できないことは最初から「問題視もしない」
という感じなんだろうだけど、こっちはシロウトだもんで「どうして」と思うと
それなりにつじつまあわせたくなって。

「子孫本のどこがつじつまあっってんの?」という質問はそういうことかと少し考えてみた。
のですよ。

結論だし、確認はしようがないけど、「信長が家康を暗殺計画、それを逆に光秀が信長を討った」とすると
信長があの日無防備でいたのも理解できるような感じで。家康が京に来る当日に起きた、とかギリギリの
タイミングとかも。
ま、ヨタなのはともかく、つじつまがあう、というのはそういう意味で。
0815人間七七四年2010/11/26(金) 08:54:45ID:e3wUhhHH
>春日局の件でも、謀反人の関係者を将軍が孫の乳母にする
この言い回しにはある種のバイアスがかかっててヘドがでるね。
第一に利三は徳川家にとって「謀反人」ではない。
第二に春日局は遺児になったあと公家の三条西家で教養を身につけ、夫の稲葉正成は関ヶ原で小早川家を
東軍につけた功労者。
   「春日局の教養と前夫の徳川家への功績を考慮して将軍が孫の乳母にする」
こう言い換えたらどう?
0816人間七七四年2010/11/26(金) 09:07:34ID:e3wUhhHH
ついでに言っておくと利三自身も「謀反人の関係者」であるにもかかわらず死後リスペクトされた武将だよ。
蒲生氏郷の伊藤半五郎宛書状、惟任謀反記、翁草を読んでみ。
特に「惟任謀反記」は信長もボロクソに描いている秀吉マンセー本だが、その書物ですら利三の武勇・人格
は称賛されている。だからこそ光秀も訴訟覚悟で稲葉家から引き抜いたんだろうね。
家康が同様のリスペクトをしていても不思議ではないよ。
0817人間七七四年2010/11/26(金) 18:14:18ID:WJd/mw3H
>>814
天正10年以前に光秀と家康が仮にどこかで会っていたとして、
その頃から2人が「信長討ち」で談合していたとでも
いいたいの?
そんなことあるわけないだろう。
いつどちらかが心変わりして信長にチクるかわからない。
そうしたら片方のクビが飛ぶんだぞ。
0818人間七七四年2010/11/27(土) 03:07:07ID:ccN72JZy
出自だけを考えても、光秀よりもよっぽど斎藤利三の一族のほうが確かだし(それこそ
将軍家の乳母としては問題ないくらいに)、光秀云々は春日局が乳母になった経緯には
まったくもって関係ないと考えていいんじゃないのかな。
高名な武将を輩出した家柄、三条西家で培った教養、夫の功労というあたりで考えたほうがより妥当だと思うな。

0819人間七七四年2010/11/27(土) 18:52:46ID:3WZcsTC4
>>817
なので、直前に会ったという記録、の話ですよ。直前だからこそ秘密も守れるわけだし。

>>815
うん、一応以前にも聞いたことはある。
ただ、織徳同盟というのは破棄されたわけでもなく、当事者信長の死によって中断?されただけでしょう。
だから、第一の「徳川にとっての謀反人ではない」というのは、100%言い切れないのではないか、同盟相手の
謀反人、というのも織徳同盟がかなりの長期実績もあった堅固なもの、に近いとするなら
十分に意味のあるものではないか、というのを聞いたことがある。
なので、そんなにバイアスというかヘドが出るほど「結論ありき」ではないとも言えるんじゃないかと。

逆に、「教養と功績があってもそれより、主殺し、という信義にもとる行為の方を重要視して
乳母には選びにくい」という考えもあるのではないか、という風に話が進んでいった記憶がある。

818さんが言われるように、乳母になった経緯、が子孫本で言う「恩返し100%」とも言えないけど、
謀反と100%関係ない、ともまた明確には言い切れないのではないか、という感じね。
妥当、かフィフティ、ぐらいで。

そして、子孫本の一番弱点というか重要というか、信長ー家康の関係。
これは長年の同盟とは密接に関係するから、詳しい人に「信長が家康を暗殺する可能性」
がどんなものか。

家康側の史料で「織田家をどう思ってたか」とかそういったのが気になってたんだ。
もちろん徳川方が「ナガシノやアネガワは徳川主戦」とか信長を軽視してたのはわかるし
だったら、「よく同盟なのに主のように威張ってた信長をやってくれた」とそんなおかしな
「恩返し」の意味はなかったか、とかね。

どっちかというと、信長は家康を「武田をやっつけた」と感謝してるぐらいだと思うし、事実そうやって
接待してるし、「暗殺」したくなるほどの理由があったのか、とそういう方向でまとめてはみたいような。
0820人間七七四年2010/11/27(土) 19:03:44ID:cjgAdQWk
家康が光秀に感謝していたなら、娘であるガラシャが死なないよう
手を打つはず。
織田・徳川同盟堅持なら、信長の孫の秀信を取りつぶしには
しないはず。
こうやって粗がボロボロ出るんだがね。
まずあんたはまともな研究書を読んだほうがいい。
0821人間七七四年2010/11/27(土) 20:26:30ID:qzLspR3E
>>820
彼は以前に別の本能寺スレで朝廷黒幕説を主張してた人。
反論を聞く耳持たない人だから彼の中で「つじつまが合ってる」限り何言っても無駄だよ。
以前も>>806みたいな批判があったが馬耳東風だったもん。
0822人間七七四年2010/11/27(土) 20:36:26ID:3WZcsTC4
>>820
それもよく聞くけど、ガラシャや秀信ってのは1600あたりのまだ徳川家が政権とる前の
話でしょう、違ったら悪いが。
だからそのあたりはまず自分の一族が大事で、その後、政権がしっかりしてくる、孫まで生まれた
と、そのあたりになってやっとほとぼりがサメたというか、そういう「行為」をする余裕ができた
、みたいなのはどうだろう。

実際に徳川安定期には織田家はそれなりに残ってますよね、過度に大事にはしてないけど
豊臣滅ぼしてカタキはとったぞ、程度の。

あ〜いえばナントカで悪いけど、それなりにメチャクチャな時代考証無視はしてないはず
なんだけどね。
通説はそれなりには納得してるし反論とかじゃなくて、「粗が出た」といわれるような事柄が
全然別なところで話題になってたりして、「へ〜、そんな解釈もありか」とか思ったりしてて。
「つじつまがあう」とは個別の案件というより、そういうつなげてみて面白かったし、一度詳しい人に
聞いてみたいと思っただけなんですよ。

それと、まともな研究書、ってのは三鬼とか橋本、浅尾、池、堀、その他教えてもらって目は通した
ことあるけど、他にどういうのがあるんでしょう。
よかったら教えてほしいですね〜、自分でさがせ、と怒られそうだけど・・
0823人間七七四年2010/11/27(土) 20:43:57ID:3WZcsTC4
>>821
違うよ〜〜、立花とかの話でしょう、違いますよ〜、いくらなんでも。
それと、シロウトでちゃんとしたところで聞けないから、頭下げてペコッ、教えてほしいな、って。
何を言っても、とか、時代考証無視、史料のいいとこ取り、とかそんなおおげさなことじゃなくて、
シンプルに、論点整理して聞いているだけです〜・・

別に通説批判や学会批判してるわけじゃないので、生暖かく、がいいのですけどね〜。
0824人間七七四年2010/11/27(土) 20:49:12ID:cjgAdQWk
>>822
その研究者のなかに本能寺の変についての単行本を出してる人が
まったくいない。
だいたい近年信長研究で有名な谷口克広が入ってないのは
どういうわけ?
桐野作人「真説本能寺」(学研M文庫)
同「だれが信長を殺したのか」(PHP新書)
谷口克広「検証本能寺の変」(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)
鈴木眞哉・藤本正行「信長は謀略で殺されたのか」(洋泉社新書)
藤本正行「本能寺の変」(洋泉社歴史新書)
こういったところを読めば本能寺の変が「謀略事件」だったか
どうかわかるはず。
0825人間七七四年2010/11/27(土) 20:59:03ID:3WZcsTC4
>>824
ありがとう。一応読んでます。
で、「謀略」とか「黒幕説」じゃないのですよ。そして、そういった本の中の疑問を
ここで質問してるわけです。
最後の藤本本の疑問は最初に少し書いたのですけどね。
以前に、本能寺だけでなくもっと全体から勉強しろ、と言われたので。

反論を聞かない、とか、そんなことはなくいろいろな人に言われたようにしてるのですけど。
0826人間七七四年2010/11/27(土) 21:18:38ID:qzLspR3E
>>819
そうなの?ま、どっちでもいいが。

>ただ、織徳同盟というのは破棄されたわけでもなく、当事者信長の死によって中断?されただけでしょう。
変後の甲斐国は川尻秀隆の生前から家康の名で勝手に知行安堵の書状を国人に発給している。
これは同盟中断のレベルではすまんだろうが。

>「教養と功績があってもそれより、主殺し、という信義にもとる行為の方を重要視して乳母には選びにくい」という考えもあるのではないか、
乳母に選ばれたのは家康の生前でしょ。
そのような儒教的順逆史観がその時期にコンセンサスを得てたのかな〜
松平清康を殺した阿部弥七郎は謀反人そのものだが、彼の父の定吉は従来通り仕官してたな。
主殺し、という信義にもとる行為の方を重要視してなかった証拠になるね。
0827人間七七四年2010/11/27(土) 21:58:24ID:3WZcsTC4
>>826
なるほど。もう少しわかりやすく言って、変後の同盟というのは有名無実、という
感じでいいのかな。
変直後から秀吉と遺児、家臣たちとの抗争が始まったわけだけど、家康は「うまく共倒れてくれればいい」
という感じで。小牧での秀吉との直接対決では織田家に味方するのが大儀名分になったわけだけど、家康から
見たらもちろん、徳川家が一番でそのために利用できるものは何でも利用、という。

順逆史観、というのもどうなんでしょうね、あの時期は一族が一番大事で、その維持のためには
個々の命とか名誉とかそういうのは軽く考えられていたようなことが多いですよね。
やっぱり利用できるものはなんでも、というか。

思うのは、謀反とか裏切りみたいなケースでも個々の事情というのはあったんじゃないか、というような。
つまり今で言うなら、情状酌量の余地はある、時は裏切り者でも許したり味方にする。
ただ、そうじゃない時、例えば直接関係者、は厳しくあたる、というような。

話し戻して、神君伊賀越え、の時に家康たちは光秀ー斉藤関係者によって危機に陥った。
とするなら、斉藤の遺族というのはやはり徳川からみて一種の直接的なウラミツラミの対象の相手、
というのもあるとは思うのですよね。

ただ、そんなことは戦国では些細なこと、それよりも局さん自身の能力の方を高く買った、とするのも普通ですよね。
当時の乳母の条件一般、乳がでること、とか、そういうのも今後覚えておきます。
順逆史観については一般論を踏まえた上で、当時は各個人がどのように考えるものか。
これも考えておくようにはします、コンセンサスね。
どうもありがとう、感謝です。
0828奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2010/11/28(日) 03:54:30ID:73OCXV29
系図の上で甥と婿って混同されやすいな。
0829人間七七四年2010/11/28(日) 14:43:35ID:2qFAfW0S
既出だけど、光秀の家臣団って四国出身者が多いよね
長宗我部家臣と親戚だったり、長宗我部に負けて本州に渡ったけど親戚は四国に残ってますとか
幕臣にも四国と縁のある人物が多いし、丹波衆も山城に出て交易してた家がたくさんあるし
人脈辿ると四国―畿内―美濃の交易に携わってる人物が多い
0830人間七七四年2010/12/25(土) 22:16:52ID:4b3Uz4kw
>>829
具体的に挙げてみて。
0831人間七七四年2011/01/02(日) 11:56:23ID:hmwjN7SA
四天王但馬守は丹波の四天王氏の出自?
0832人間七七四年2011/01/05(水) 11:22:59ID:QdUyYmlA
>>831
それは間違いない。
0833人間七七四年2011/01/07(金) 17:40:01ID:mj2xLmS0
家康が水野勝成に、光秀こそ真の武士だから手本にせい、みたいな事言ったのは
どういう意図だったのかね。当時にあった、主君におめおめと手打ちにされる
よりは反逆して返り討ちにするぐらいの気概なきゃ武士じゃねぇ、という考えからなのか、
或いは光秀をそもそも叛逆者と思ってなかったので出た言なのか。
0834人間七七四年2011/01/07(金) 17:56:45ID:ND0YTlap
答え、そんなことは言ってない。


とか
0835人間七七四年2011/01/07(金) 19:08:18ID:7J8P7oxJ
>>833-834
発言の根拠となる資料は?
0836人間七七四年2011/01/09(日) 16:50:23ID:T14Xa9Dj
光成の子孫と名乗る男
http://www.geocities.jp/geniulegend/yours.html
0837人間七七四年2011/01/10(月) 19:33:37ID:sHZO6Tsj
ついに出るぞ

戦国人物伝 明智光秀
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102998666
0838人間七七四年2011/01/10(月) 20:06:41ID:/V1aW37H
人物叢書はイカンの?
古いけど名著だと思うが。
0839人間七七四年2011/01/10(月) 20:12:53ID:sHZO6Tsj
人物叢書は持っているが
まだ火の鳥伝記文庫しか読んでないw
0840人間七七四年2011/01/28(金) 21:32:41ID:HrgDaO63
>春日局の件でも、謀反人の関係者を将軍が孫の乳母にする、というのは正史?でどういう
>解釈かわからないけど、「一種の恩返し」とすればつじつまは合ってるような。

不思議で仕方がないんだが
なんで春日局が4男3女の末っ子だってことを誰も指摘しないんだ・・・?
「恩返し」が成り立つかどうかなんて
春日局の兄や姉の人生を並べれば一目瞭然だろ。
0841人間七七四年2011/01/28(金) 22:09:01ID:oUX5ocwa
陰謀論者に正論言っても無意味だから
0842人間七七四年2011/01/28(金) 22:28:01ID:2B58RMaI
wikiの光秀の子女の項目を見ると女の子の名前が普通に普通
みつ、あやこ、りんこ
いったい誰のネーミングセンスなんだろうか
0843人間七七四年2011/02/03(木) 19:39:21ID:GwAAYKP0
戦国時代の騙し討ちてどの程度まで許容されるもんなの?
0844人間七七四年2011/02/03(木) 19:49:57ID:xlclxR05
状況によりけり
0845人間七七四年2011/02/03(木) 20:42:34ID:+9rfzbMn
>>843
それを言うなら毛利元就とか宇喜田直家なんかどうなるって話しになるな
0846人間七七四年2011/02/12(土) 10:19:23ID:ckGHMDhP
>>842
名の出典はどこだろ?
0847人間七七四年2011/02/12(土) 12:41:16ID:4kz2Ny9v
名はどうも喜多村家明智系図かららしい
まあ名前の横に「?」なんてついてるから怪しい所だが
0848人間七七四年2011/02/13(日) 09:57:39ID:rinFnhJS
他家から光秀に仕えて、また他家に移った武将ってどのくらいいるんだろう。
ちょっと興味があって調べてるが、鬼日向・笹の才蔵・木俣守勝くらいしか出てこない。
もっと居ても良さそうなもんだが…
0849人間七七四年2011/02/13(日) 10:10:23ID:SjLqhuhk
オワタの時期領国に残ってた連中は再就職してるの多いんじゃね
0850人間七七四年2011/02/13(日) 11:31:34ID:vnFbSaaW
子孫さんの本、家康妻子は信長の命令で殺されたんていう俗説をうのみにして採用しているのが引っかかった

光秀の年齢は、子供たちの年齢からすればやっぱり五十代半ばを超えないというのが一番自然に思えるけどなあ
0851人間七七四年2011/02/13(日) 11:47:20ID:HfkTjDmr
>>848
山崎合戦で戦死してない奴は、ほぼ再仕官したとみて良いのでは?
高齢だとそのまま隠居かもしれませんが。

>>850
55歳説も越後騒動の小栗美作の辞世から採られたものだし、何とも言えないね。
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/6291/nazo/jisei.html

家系維持を最優先する武将が、30代半ばまで男子無しは珍しい気もするが……。
0852人間七七四年2011/02/13(日) 22:57:23ID:QUkCQxSz
光秀=天海なら55歳
0853人間七七四年2011/02/15(火) 04:37:36ID:K2o3kDn9
光秀って信長厨からもあまり恨まれてない
妙な奴だよなぁ
0854人間七七四年2011/02/15(火) 04:58:01ID:STc4wb/o
おかげでヨボヨボイメージが付かなかったからな
0855人間七七四年2011/02/15(火) 11:01:10ID:NmImKMb0
本能寺の変は信長の自殺だろ。

朝廷や本願寺とかから批判されてウツになったから
わざと近習だけで宿泊して、光秀に攻めさせたんだけど
それを悪用したのが秀吉だ。
0856人間七七四年2011/02/15(火) 11:02:10ID:NmImKMb0
てか、真面目な話。

光秀がボコられたのと領地召上げされたのって
定説なの?
0857人間七七四年2011/02/15(火) 11:27:55ID:roOygjy4
領地はたぶん創作。
ボコは寸前に安土であったみたい。

ただ信長はあーいう人だから家臣がボコされたからといって
いちいち謀反起こしてたらきりがない。
それに寸前のことだから積年の恨みということにもならないし
怨恨説はやはり弱い。

それより別のとこで67才説は1−9でありえない
と言ってる人を見た。そんな年では戦場を渡り歩いてる頃に
できたはずがなかろうってね。
学会がどうって言ってたからそうなのかね。
0858人間七七四年2011/02/15(火) 12:08:12ID:uCBb3cHn
>>857
細川藤孝宛の書状に、「信長には積年の恨みがあった」とちゃんと書いてあるじゃねえかボケ!!!
0859人間七七四年2011/02/15(火) 12:11:26ID:MMMet+KY
>>858
それは単に細川を味方に引き入れるために書いたことで、本心かどうかわからない。

でも、俺も怨恨説を指示する。内に溜めるタイプの人は、寸前で爆発するもの。
光秀がそうだったと思う。
0860人間七七四年2011/02/15(火) 12:35:32ID:roOygjy4
本能寺だけ見ると爆発とかノイローゼとかブチキレとかになるけど
もう少し光秀の人生というか長いスパンで判断したほうがいいとは思う。

細川書状に、積年の恨みがあった、って書いてあったっけ。
0861人間七七四年2011/02/15(火) 12:57:06ID:3q3kgmBB
モンスター老人
0862人間七七四年2011/02/15(火) 12:57:07ID:EMUQ/9X/
信長のお気に入りだった妹が死んだことで、意思の疎通を欠くように
なったことも要因の一つだったと思うよ。
0863人間七七四年2011/02/15(火) 13:05:46ID:TcHp5jUk
>ただ信長はあーいう人だから家臣がボコされたからといって
>いちいち謀反起こしてたらきりがない。
いや謀反起きまくってたじゃんw

でも信長以外に重臣にも血の気が多い武将なんて居たっけ?
0864人間七七四年2011/02/15(火) 14:39:16ID:roOygjy4
積年のうらみ、ってどこかで聞いたことがあると思ったら
忠臣蔵と勘違いしてるんじゃないか。

レキジョさんたちはやたら、誰にも野心や怨恨はあった、とか
それに火をつけた黒幕がいたはず、とか言ってるね。

荒木とか松永にも黒幕がいたことになっててビビったぞ。
0865人間七七四年2011/02/15(火) 14:56:57ID:MMMet+KY
>>863
部下の総数の多さから相対的に謀反数が多く感じるだけではないでしょうか
0866人間七七四年2011/02/15(火) 15:24:27ID:Je5exri9
信長は謀略で殺されたのか
http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/078f4162.0400bdaf.078f4163.d5699732/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f3734356%2f%3fscid%3daf_ich_link_mail&m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fbook%2fi%2f11574204%2f

光秀は黒幕に操られて謀反を起こしたと信じてる奴は↑読め
0867人間七七四年2011/02/15(火) 16:35:29ID:NmImKMb0
てかそういうのって、操られるのどの黒幕は居なかっただけで
信長に死んで欲しいと思われて
実際に働き掛けてた大勢力は山ほどあっただろうな。

家康公や中堅以下の大名はみんな思ってたんじゃないか?
0868人間七七四年2011/02/15(火) 16:58:29ID:BqFasdjz
家康は無いよ
>>805の通り信長の毛利攻めに従うつもりだったんだから
安土でも歓待されてたし少なくともこの時点で織田と徳川に深刻な亀裂は無いでしょ
0869人間七七四年2011/02/15(火) 17:32:49ID:3q3kgmBB
信長が死ぬのは徳川にとってメリットよりデメリットのが多い
0870人間七七四年2011/02/15(火) 17:40:25ID:roOygjy4
清洲同盟は普通に強力だったでしょうな。
家康としてはかなり信長の力は助かってる。
ただ統一後に信長の方が逆に家康をどう思ったか
これはちょとおもろい。
子孫説ってのだったか。
0871人間七七四年2011/02/15(火) 17:42:27ID:Je5exri9
織田・徳川の清洲同盟を語る
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1260435134/

清洲同盟の考察出来る人は来てくれ
0872人間七七四年2011/02/15(火) 19:45:03ID:BTJBw8UD
信忠って悪い評判は聞かないけど、とりわけ勇猛だったという話も聞かないよね
家康の息子たちは秀忠と夭折したもの以外みんな血気盛んなエピソード残してるのに

戦果を上げたというのも周りのフォローがよかったからじゃないかという気がするな
かといって秀忠みたいに守成を完遂させられる人柄という感じもしない
これが赤の他人でただの家臣なら普通に信長に無能呼ばわりされ嫌われるタイプだと思うが
信長は親バカだったんだな

「明智の領地を召し上げ森蘭にくれてやる」なんていうのはもちろん俗説だが、
そういう話ができるような素地が当時の織田家中にはあったのかもしれない。
功業の老臣を排斥して信忠とその取り巻きを取り立てるというような。
0873人間七七四年2011/02/15(火) 20:50:32ID:NmImKMb0
手柄積上げてても、いつ切られるか分からん織田家臣は
気が気じゃなかっただろうなw
0874人間七七四年2011/02/15(火) 20:50:37ID:uCBb3cHn
>>872
いや徳川家にはキチガイが多い
家康にキチガイの遺伝子が混じってたからだろう
0875人間七七四年2011/02/15(火) 22:46:23ID:q6fKzHVo
>>872
信忠の武田攻めは、完全に信忠の血気盛んな勇猛エピソードだろう。
0876人間七七四年2011/02/15(火) 23:36:35ID:roOygjy4
信忠の武田攻めをものすごく評価してるねスレによって。
短期間ですごいとか。
強力な家臣がついてた掃討戦だからそんなに一方的な高評価も
どうかとは思うのだがこれを根拠に信忠が生きてたら
信長並みにあっというまに統一を果たしてたみたいな流れを
よく見かける。
夢と現実を混同してるようにしか思えないけどね。
0877人間七七四年2011/02/15(火) 23:50:50ID:q6fKzHVo
勝手に話を膨らませて、痛い奴だなぁ・・・・
スレによってどうのいうなら、そのスレでやってくれよ。
あんたの中で、どこから掃討戦になってるのかしらないが。
0878人間七七四年2011/02/15(火) 23:57:45ID:Je5exri9
*  織田信忠 その2 *
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251717575/
0879人間七七四年2011/02/16(水) 01:54:29ID:37iNv0YF
光秀って謀反という手立てであったにせよ誰も出来なかった信長・信忠親子を討ち取った
から間違いなく有能だよな。三日天下とか言われて揶揄される事が多いけど。
ある意味信長に勝った事になるんだし。
0880人間七七四年2011/02/16(水) 02:20:10ID:C+YZe3YA
安土にこもってたら、敵の敵が味方して勝てたんじゃね?
0881人間七七四年2011/02/16(水) 02:28:08ID:gfzmDHHN
朝廷押さえられないと敵の敵も敵になるんちゃう
0882人間七七四年2011/02/16(水) 10:19:40ID:qcLd8BVS
秀吉陣中に迷い込んだ密使って誰だろうな(-_-メ)
0883人間七七四年2011/02/16(水) 10:21:24ID:sg+Tq5D+
実は信長
0884人間七七四年2011/02/16(水) 13:33:19ID:gjFx3FvM
>>883
そんな信長イヤすぎるw
0885人間七七四年2011/02/16(水) 14:13:10ID:6y5an6uX
ぶっちゃけ関ヶ原の時も家康と三成が諸国の大名に書状を乱発してたが
誰が送ってたんだ?
密使だけでは全然足らんだろうが
0886人間七七四年2011/02/16(水) 14:16:39ID:H2OpZID4
飛脚
0887人間七七四年2011/02/16(水) 14:20:33ID:gfzmDHHN
電信忍者
0888人間七七四年2011/02/16(水) 14:59:27ID:eGdqwDcI
既にインターネットがあったって。
0889人間七七四年2011/02/16(水) 15:49:34ID:r8qdLzRq
そういう需要があると思って、↓建ててたのを思い出したw


【今ごろ?】 もし豊臣時代に信長が帰って来たら?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1294076224/l10

直後に逃げるならまず美濃(当時の領主を知らないが)だろ。
0890人間七七四年2011/02/17(木) 09:29:39ID:9Y4kI7xU
明智光秀―正統を護った武将 [単行本]
日本文化研究所 所長 井尻 千男

↑に本能寺前の状況を丹念に調査したレポートが紹介されている。
面白かった。お勧め。
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