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【本能寺の変】明智日向守光秀【山崎の戦い】

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0001名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/28(木) 19:58:46ID:EjRn4TJ6
明智光秀総合スレ
明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。

通称は十兵衛。
父は明智光綱のほか、明智光国や明智光隆の説もある。
さらに信長に仕えるまでの前半生には不明な点が多いが、
明智軍記では美濃明智城主として斉藤道三に仕え、その没後は諸国を遍歴したとされる。
-------wikipedia---------

0301人間七七四年2008/02/10(日) 01:38:05ID:3xrnDy5Y
こいつ信長に佐久間の讒言を吹き込んで追放させたらしいな。
0302人間七七四年2008/02/10(日) 03:15:27ID:bAtWIUUJ
こいつって誰?
0303人間七七四年2008/02/10(日) 03:16:24ID:3xrnDy5Y
>>302
光秀
0304人間七七四年2008/02/10(日) 03:23:03ID:bAtWIUUJ
何を根拠に言ってるか知らんが、フカシもいいとこ。
0305人間七七四年2008/02/10(日) 03:24:58ID:3xrnDy5Y
421 名前: ◆LeD1MMOS.k [] 投稿日:2008/02/09(土) 14:39:12 ID:aNq87pRT
佐久間軍記
「世云。信長公十六歳ノ御時ヨリ。信盛先陣ヲ勤メ。近年ハ信勝大坂ヲ雖守。
強敵ニ向給フ時ハ。信盛有先鋒。信長。臣下ノ功ヲソネミ給フ┐アリ。■上諫言。
國持ニナランハマツ信盛ナルニ。此大坂ノ押ハ不足ニテ。心中イサマス。
時イカナルサンケンモ有ケルヤ。數年ノ忠功ヲステヽ。口惜次第ナリト云々。」
『如何なる讒言も有りけるや』

寛政重修諸家譜 [佐久間信盛]
「(天正)八年明智光秀が讒によりて右府の勘気をかうぶり、紀伊国高野山にのがれ、
のち病を療せむがため同国十津川の温泉に浴し、十年正月二十四日彼地にをいて死す。」
『明智光秀が讒によりて』

寛政重修諸家譜 [佐久間正勝]
「後明智光秀が讒により父信盛とゝもに高野山にのがる。信盛死するのゝち、右府
其咎なきことを知て後悔し、正勝をゆるして城介信忠に附属せしむ。」
『明智光秀が讒により』
『其咎ないきことを知て後悔し』

0306人間七七四年2008/02/10(日) 03:42:32ID:EZzFqUde
どうでもいいが光秀のせいで"日向守"って永久欠番状態だよな
0307人間七七四年2008/02/10(日) 03:44:56ID:bWKQE36Q
剛勇無双の鬼日向
0308人間七七四年2008/02/10(日) 03:49:57ID:bAtWIUUJ
佐久間軍記は信憑性が薄い資料。信盛は元々、はえぬきという以外、力不足で力量がなく、天正末期では底が見え始めた。
0309人間七七四年2008/02/10(日) 03:52:51ID:3xrnDy5Y
>>308
信憑性が薄かろうと佐久間家では光秀の讒言だとされていた、って事だろ。
そして光秀はそう言うことをしてもおかしくない人間だと見られていたって事だ。
0310人間七七四年2008/02/10(日) 04:35:18ID:bAtWIUUJ
それは後世の人の創作なの。信長を裏切った悪い光秀に信盛も謀られたって事にしたい人の創作。
秀吉が天下の実権を握る様になってから、たくさんそうゆう書物を書かせ、自分の正当性を流布したのよ、その一部だね。
0311人間七七四年2008/02/10(日) 04:42:25ID:3xrnDy5Y
>>310
それは豊臣がとっくに滅んだ寛政の時代にまで佐久間家にその伝承が「事実」として伝わっている
理由にはならんだろ。
0312人間七七四年2008/02/10(日) 07:05:58ID:bAtWIUUJ
現代にも残存する資料なのに寛永も何もなかろうが、佐久間家も結局の所、自家の名誉を守る為に代々伝えたんでしょうが、虚しい行為と言わざるえない。
0313人間七七四年2008/02/10(日) 07:47:26ID:3xrnDy5Y
>>312
だから、それこそ自分の家の名誉を守ると言うのならわざわざ光秀をセレクトしなくても、
それこそ徳川家に逆らって滅んだ豊臣家を作った、秀吉を選んでもよかっただろ。

つーかさ、これの真贋は別にしても、光秀は競争相手を払い落とすのに効果があるのなら、讒言くらい
平気でする武将だろ。
能力はもちろん有るにせよ、本質的には出世主義者、機会主義者の成り上がりのジジイだぞ。
0314人間七七四年2008/02/10(日) 11:07:09ID:umnIdWp+
なんだかな怪しい方向に進んでいますね。
温かく様子を見守ります。


0315サイコメトリー2008/02/10(日) 13:05:59ID:RL2hhM4b

戦国武将とは光秀に限らず、成り上がりを目指してます。
佐久間信盛だって例外ではないはず。
讒言をした光秀は酷い部将の如くスレってる人がいるが、戦国武将や大名がは
様々な策を弄する事は当たり前だと思うが・・。
0316人間七七四年2008/02/10(日) 13:48:35ID:+2N+Uxjv
やられる隙を作る方が悪いって言われそうな時代背景だしなあ
0317人間七七四年2008/02/10(日) 15:20:57ID:hq5R5giz
佐久間家の場合、さすがに幕府の公式記録に「信盛がダメダメだったので放逐されました」
とは言えないだろう。だから、信長への”謀反人”でもある光秀に・・・ということにしたんじゃないか?
秀吉の場合、もともと太閤に仕えていた家もかなり残っていたわけだし
0318人間七七四年2008/02/10(日) 16:09:54ID:uoLkI7Dc
佐久間は本願寺攻めの途中で仕事もしないで境まで足を運び茶の湯にハマッテて
建物ごと石山を欲しがっていた信長の期待を消し飛ばした
でブチキレ追放
0319人間七七四年2008/02/10(日) 21:59:22ID:d55cngb2
>>317
ところが、徳川では家康自身が光秀をそれほど悪人とみなしていないんだよね。
むしろ、かばっているようなふしもある。

逆に江戸時代における一般的な信長像の方が結構悪とされる傾向がある。
0320人間七七四年2008/02/11(月) 00:39:20ID:9/ZI97Lv
>>306
水野勝成に謝れ
0321人間七七四年2008/02/13(水) 23:02:13ID:MMSZ147X
水野も日向だけど、でも光秀の日向の方がやっぱメジャーでしょ。
0322人間七七四年2008/02/13(水) 23:24:05ID:0X/snWl5
306が永久欠番っていってるのは
野球みたいに偉大な選手がどうこうじゃなくて
謀反人だからっていう悪い意味だろ
まあ永久欠番てのも間違ってたが
0323人間七七四年2008/02/14(木) 09:28:39ID:XEgHFNEk
日向守と上野介、
どちらの方が忌み嫌われたのでしょう?


0324人間七七四年2008/02/21(木) 18:35:55ID:yie99qYC
武力による統一前後に
秀吉・光秀は九州に移封
柴田は佐久間と同じ
家康は暗殺する予定だったぽい
0325人間七七四年2008/02/21(木) 18:46:29ID:yONNAMub
>>324
何を根拠に?(特に家康は)
0326人間七七四年2008/03/02(日) 00:55:09ID:8SSkTXA0
えー、話ぶた切るけど
よく明智と遠山を同一氏族の様に書いてるんだが、
これって遠山明智城と土岐明智城を混同した勘違いなのかね?
それにしてはやたらおおっぴらに本とかに書かれてるのでむしろ正しいのかね?
0327奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/03/02(日) 01:34:40ID:1feLO3ae
講談の類の偽書を引用して史書に引き写されて普遍化してたいへんなことに。
0328人間七七四年2008/03/03(月) 07:27:35ID:3cf+185l
堀家の史料では変の前に信長が堀Qを長浜城主とする命令を出してるんだね
やっぱり同時に坂本も?   と想像してしまうね
0329人間七七四年2008/03/08(土) 21:53:48ID:eUGQ92Yj
本能寺起因、野望説はどうしても肯定出来ない。
0330人間七七四年2008/03/09(日) 00:08:46ID:1HOwTsev
>>319
光秀的なもの&秀吉的なものつぶしを徹底したから徳川の世が長く続いたんだと思う。
参勤交代も身分制度も全部そのためでしょう。
幕末見ると、びっくりするほどみんな骨抜きにされてる。

普通に考えて、家康が光秀をかばうのはおかしい。
権力者にとっては、謀反人がでたら困るわけだから。
まさか、自分はいい人だから謀反されないとか思うわけないし。
だから、実際あれだけ締め付けてるわけだし。
謀反は駄目だという雰囲気にしたいはずなのに、謀反人を褒める、
とても矛盾を感じる。
0331人間七七四年2008/03/09(日) 01:38:00ID:nDgLC+PQ
【ぶっちゃけインタビュー】「本能寺の変」にメス 今谷明・国際日本文化研究センター教授
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080308/acd0803082208013-n1.htm

>  逆に、光秀の動機は、はっきりしていました。「今なら、天下が取れる」という判断でしょう。柴田勝家は遠い北陸で上杉景勝と
> 戦っていたし、羽柴秀吉は備中(岡山県)で毛利氏と対陣、滝川一益は上野(群馬)…と、織田軍団の主戦力は各地に散っており、
> 畿内で大軍を動かせるのは自分だけという、絶好の状況でした。
>
>  自分に対する信長の仕打ちをうらんだとか、背後に黒幕がいたとか、珍説・奇説まで含めいろいろな説があります。でもやっぱり、
> 戦国武将らしく、転がり込んできたチャンスに食らいついたんだと思いますね。
>
>  信長は、裏切られるとはつゆほども思ってなかったのです。ここが不思議なところで、それまでにも松永久秀や荒木村重に叛(そむ)かれ、
> 大変な目に遭っているにもかかわらずです。彼ほどの人物であっても、人を見る目がなかったというしかないですね。
>
>  歴史に「if(もしも)」は禁句ですが、信長があのまま生きていたなら、日本の歴史はどうなっていたでしょう。私は、信長は安土から大坂に
> 拠点を移し、毛利攻めが一段落したあと、征夷大将軍となって幕府を開いたと推測しています。
0332人間七七四年2008/03/09(日) 02:30:16ID:JjR+NcW9
光秀の美化は相対的に秀吉の偉業を薄める目的があるかもね
光秀が極悪人ならそれを討った秀吉はものすごく良い人になって
そこから権力を奪った徳川が悪人になってしまう
ただ結果的には民衆心理はやはり光秀は謀反人で秀吉は仇を討ったという評価に落ち着いたと
0333人間七七四年2008/03/09(日) 21:33:12ID:uuXol7G/
それより本能寺の変がなかったら秀吉・家康の天下は
なかったのだから家康は内心光秀に感謝はしていたかもな。
表向きは光秀は許されべからざる謀反人だが。
なお江戸時代、信長の評価は低かったがこれは光秀とは
関係なく、彼の性格によるもの。
0334人間七七四年2008/03/09(日) 22:09:18ID:nDgLC+PQ
つーか、冷静に考えれば、本能寺の時の光秀なんて、権力に目のくらんだ爺様だしなあ…。

どう評価すればいいのかと。
0335奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/03/09(日) 23:13:21ID:04obILtN
むしろ「やらかしちゃったどうしよう」状態なんだと思うが。
0336人間七七四年2008/03/10(月) 02:06:55ID:0JI4Yo0/
少なくとも明治天皇の行動みるかぎり皇室は信長の天皇制排除は無いと思ってるだろうし、
本能寺に徳川が絡んでると考えてるはずだ
0337人間七七四年2008/03/10(月) 05:19:26ID:FvxH7bh5
>>336
妄想は他所で頼む。
0338人間七七四年2008/03/10(月) 06:35:06ID:sC4b20lx
なんたらセンター教授?
たいした事ないなぁ〜。信長寄下の武将軍が各地に点在してた状況が光秀を決起させた事等、周知の事実だよ。しかもその後の展開等語るべくもあるまい・・。
ここのスレ者達のが、知識と考察力あるよ。
0339人間七七四年2008/03/10(月) 12:42:17ID:J5xq7ZQ7
>>338
おまえやここのスレの人間は、この今谷教授の研究によってそういうことを言っているに過ぎないのだが。

ツーかキミ、脳みそ無いだろ。
0340人間七七四年2008/03/10(月) 16:42:01ID:ijTtWIpp
つうか戦国時代齧ってるくせに今谷明も知らないとか
0341人間七七四年2008/03/10(月) 17:39:52ID:jev3LKO1
>>339>>340

今谷教授がその説を立てたのではないよ。それに今谷明知らんから、戦国
語るなかれってか?
特に>>339! 持論を立てた上でスレろや、批判する事のみに固執する輩やろ、自分!
0342人間七七四年2008/03/10(月) 21:30:41ID:J5xq7ZQ7
>>341
悪いけど日本語で書き直してくれないか?
0343人間七七四年2008/03/10(月) 22:13:35ID:sC4b20lx
ごめん、ゴメン。
俺、人間の言語しか知らんから、あんたには伝わらへんかったね。
0344人間七七四年2008/03/10(月) 22:25:44ID:J5xq7ZQ7
まあ馬鹿はほって置いて


今回の研究結果で、本能寺付近の信長が、これまでの想像以上に無警戒で無防備だったことが
明らかにされたわけだが、これによって色々と、信長のキャラクター性についても変更が迫られるかもね。

例えば信長の代表的な性格の一つとされ、光秀が本能寺に至った理由にすらされてきた「猜疑心が強い」
って言う部分も、この研究結果からはそう言う性格は見えてこない。むしろ自信過剰差が鼻につくくらいだ。

信長の性格が再定義されれば、自然と光秀の性格や、本能寺に至るまでの葛藤も再定義せざるを得なく
なるわけで、色々と興味深いことになりそうだ。
0345人間七七四年2008/03/10(月) 23:55:42ID:0oDNGbVw
>>344
確かに信長は油断が多い
浅井に裏切られたり武田に裏切られたり松永に裏切られたり荒木に裏切られたり
0346人間七七四年2008/03/11(火) 07:36:01ID:VMgSLlzx
裏切りと成り上がりが戦国の常。信長横死も歴史の必然。『天下人は誰が決める?』 『天が決める』by花慶。
0347人間七七四年2008/03/11(火) 11:35:22ID:DMytRBAd
>>345
>浅井に裏切られたり武田に裏切られたり松永に裏切られたり荒木に裏切られたり
武田と松永はどうなんでしょう?


0348人間七七四年2008/03/11(火) 18:22:19ID:mhB5vQ5R
荒木だって原因は秀吉みたいな感じだしな
0349人間七七四年2008/03/12(水) 21:32:56ID:MSG/Ki3z
今谷説は昔の高柳光寿説の引用に過ぎないと思うがどうだろう?
0350人間七七四年2008/03/15(土) 12:12:19ID:RDViGom4
>337
じゃあ何故明治天皇が大政奉還直後の超多忙時に信長を追悼したのか馬鹿な俺に教えてくれないか?
0351人間七七四年2008/03/15(土) 18:10:58ID:ioOXeWwS
>>350
当時の主流思想であり、明治維新のバックボーンでもあった南朝史観において
「朝敵」であった足利幕府を滅ぼしたのが信長だったから。

幕末期に何故「足利将軍像斬首事件」なんてものがあったかを、よ〜っく考えろ。
あの当時の政治情勢から言って、南朝史観の影響を大きく受けた「尊皇家信長」は、
早期に再評価されなければならない人物だったのだ。



少しは歴史、勉強しろ。
0352人間七七四年2008/03/15(土) 23:08:28ID:AoFEYwio
>>351
じゃあさ 何故豊臣徳川時代に御悔やみ発しないんだ?いくらなんでも遅すぎるでしょ
信長親衛隊長ともいえる佐々成政には切腹後一ヶ月以内に御紙を発しているんだよ
しかも天皇から御悔やみ受けてる戦国武将は当時の佐々と明治の信長のみ、家康含め秀吉その他誰も受けて無いんだ
この辺り詳しく説明してくれないか?
0353人間七七四年2008/03/15(土) 23:17:23ID:ioOXeWwS
>>352
あのなあ、足利幕府を倒した信長と、徳川幕府を倒した「新政府」を、重ねてることくらいわかるだろ?

新政府の「倒幕」を正当化する上でも、その前に「倒幕」をした信長の称揚はやって当然なの。
0354人間七七四年2008/03/15(土) 23:27:23ID:AoFEYwio
倒幕薩長ね、その論理俺と同じ考えなのだが、それから行くと信長政権倒したのは家康?と単純に考えてしまったのだが
間違ってる?
ま、本能寺の帝関与説否定したいだけなんだけどね
0355人間七七四年2008/03/16(日) 00:21:49ID:kk4//bBE
帝関与の話は眉唾
織田信長が天皇を排除し自分が取って代わろうとしていたなどと言ってるやつは
史料を中途半端に読んでる作家だけよ
どうみても表向きは後陽成天皇を早く即位させたかっただけ
流石に天皇家を解体しようとしていた人を天皇自ら祭ったりしないっしょ
ケンクン神社の時期についてはよくわからんけど

佐々成政は宇多天皇佐々木源氏の血筋で完璧ホワイトカラーなのよ
当初秀吉光秀などが公家の面倒を任されていたのは有名な話だが禁裏は別物でおそらく
良い血筋の佐々などがなにかしら役目を受けて繋がりを持っていたのかもしれんね
秀吉の前任関白の正室に佐々が娘を嫁がせている関係もあり
禁裏に出入りする佐々の名は史料に出てくるし後陽成天皇とは関係深かったんでしょうな
0356人間七七四年2008/03/29(土) 21:45:25ID:H1K2ubMa
>>306
日向守(明智光秀)は水野勝成「鬼日向」の子孫である結城藩水野氏や
越前松平家の分家である糸魚川藩松平氏が代々使用しており、
特に忌諱された形跡はない。
0357人間七七四年2008/04/08(火) 02:21:26ID:QiU9ddAe
水野に至っては家康から光秀の朱槍すら下賜されてるしなあ。
0358人間七七四年2008/04/08(火) 02:24:57ID:QiU9ddAe
アンカー先見忘れてたわ。ならこれは関係なかったか。
0359人間七七四年2008/04/15(火) 03:20:13ID:CA4t8AHG
光秀と勝家が縁組なんて話初めて聞いたぞ
0360人間七七四年2008/04/15(火) 21:33:15ID:PkfX4Xq1
アーッ
0361信孝秀吉連合2008/04/22(火) 06:43:20ID:EGEKpO41
明智なんて雑魚だったぞ
0362人間七七四年2008/04/23(水) 13:32:40ID:droHnif/
>>361
はっはっは、引っかかったようだね20面相君。
0363人間七七四年2008/04/29(火) 22:13:09ID:lXCkyTUf
明智光秀って明智左馬助光秀って名乗った時代ある?
0364人間七七四年2008/05/02(金) 20:10:09ID:QBu42zAn
京都・亀岡で明智光秀サミット

 戦国時代、主君の織田信長を討った「本能寺の変」で逆臣のイメージが強い明智光秀を再評価しようと、
居城・亀山城があった京都府亀岡市で2日、「亀山城光秀サミット」が開かれた。

 亀岡市などが主催。信長の居城・安土城の跡がある滋賀県安土町の津村孝司町長や、信長に焼き打ちされた
ことがある比叡山延暦寺の関係者ら約200人が集まった。

 津村町長は、本能寺の変(1582年)について「戦国の世の常だ」と一定の理解を示しながら、変の後に何者かが
焼失させた安土城について「悔やまれるのは、当時最大の文化遺産がなくなったこと」と恨み節。

 しかし、亀岡市の栗山正隆市長と「互いの発展を誓う」として“和解”の握手をし、会場から拍手が起きた。

 また上田正昭京都大名誉教授(歴史学)が講演で、諸説ある本能寺の変の原因について「光秀の公武(朝廷と
武家)合体論が背景にある」と述べ、参加者は真剣な表情で聞き入っていた。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080502-OHT1T00226.htm
0365人間七七四年2008/05/03(土) 08:29:24ID:dgWXuVwM
>>355

>帝関与の話は眉唾
 織田信長が天皇を排除し自分が取って代わろうとしていたなどと言ってるやつは
 史料を中途半端に読んでる作家だけよ
>流石に天皇家を解体しようとしていた人を天皇自ら祭ったりしないっしょ

信長は朝廷官位体系から故意に外れ、執拗に正親町帝の譲位を要求したが、
自ら天皇になろうとしたのではなく、天皇をも支配する超越的絶対者になろうとしたわけ。
そのために利用したのが誠仁親王とその子五宮。
朝廷から左大臣任官を要請されても拒否し、
武田討伐後、なりふりかまわぬ三職推任を打診されても無視したのはそのため。
官職に就くことは天皇の支配下に入る事に他ならないからだ。
つまり、それは朝廷の否定であり、朝廷にとって断じて受け入れられない所業だった。


>どうみても表向きは後陽成天皇を早く即位させたかっただけ

即位させたかったのは誠仁親王。おいおいw


0366人間七七四年2008/05/03(土) 08:59:58ID:kV+r2yc7
>>365
あほか
0367人間七七四年2008/05/03(土) 09:13:50ID:dgWXuVwM
>>366
ここで自問自答するなよ
0368人間七七四年2008/05/09(金) 12:31:23ID:Eyxbj1tR
正親町帝が退位できなかったのは朝廷に金が無かったからだろ
0369人間七七四年2008/05/14(水) 06:12:11ID:7TL6qUV7
帝が退位するのに金なんていらねえぞ
0370人間七七四年2008/05/14(水) 08:46:05ID:yvjLTgJA
即位式には金がかかるがな
0371人間七七四年2008/05/14(水) 22:01:46ID:4Z0Flt6b
ここは程度低いな。
サイナラ!
0372人間七七四年2008/05/23(金) 01:16:26ID:DrVRfiyF
光秀って何者?
本当にわからん
秀吉のことはある程度理解できるが
0373人間七七四年2008/05/29(木) 00:59:34ID:D3SHRqlg
光秀は過大評価
0374人間七七四年2008/05/29(木) 04:16:27ID:sHeVf5ZR
明智のアホのせいで…こんな国になって…。
0375人間七七四年2008/06/11(水) 23:20:47ID:t/WZD6YN
>>374
それこそ過大評価だぞ。
光秀は影が薄い。
0376人間七七四年2008/06/12(木) 10:45:14ID:ogzvB5/t
>>375
つーか>>374
「信長様があのまま天下を獲ったら今頃日本はあんなことやこんなことにあふーん」
って気持ち悪い興奮するタイプだろ。
0377人間七七四年2008/06/18(水) 22:28:22ID:BEprRkn4
でも、実際光秀のおかげで、中途採用だったり、たいした事ない家柄の者が
出世しずらくなったのは事実だと思う。
どこの馬の骨ともわからない奴は余計に信用されなくなり、身分に合わせた出世しか
できなくなった。
そして、リスクをとって新しい事をしようとした信長が殺された事で、
それ以降、リスクをそこまでおかす者はいなくなった。
今も日本では、総理すら何もやらない。
0378人間七七四年2008/06/18(水) 22:42:14ID:BEprRkn4
>>344
そもそもなんで信長は「猜疑心が強い」と言われていたの?
昔から、なんでそれなのに死ぬんだよと不思議だったが。
今まで見たものにも、そう書いてあるけど、理由の説明がないんだよね。
0379人間七七四年2008/06/18(水) 22:55:07ID:vPBNNe9/
>>378
粛清は多いな。そう言う意味で猜疑心は強いと思う。
ただ、武田滅ぼした後は一気に弛緩して油断しまくっているとも思う。
0380人間七七四年2008/06/18(水) 23:18:03ID:BEprRkn4
でも、粛清なんか誰でもやってるでしょ。昔の天皇なんかやりまくりだし、
そんなに人並みはずれて多いですか。
むしろ、猜疑心のない戦国大名なんているのかな。
なんだか、良くも悪くも信長だけ特別扱いに見える。
0381人間七七四年2008/06/18(水) 23:25:29ID:oEtvLXAc
>>377
だが当時、貴族とうまくやるには血筋や教養が必要だったんだよね。
細川も条件を満たしてるから、細川をより重く用いてたら本能寺はなかったね。
0382人間七七四年2008/06/18(水) 23:32:10ID:oEtvLXAc
何か文意を違えてとってたかな?
だとしたらスマソ。
0383人間七七四年2008/06/18(水) 23:32:31ID:BEprRkn4
しかも、猜疑心があったとか言われながら、無防備なのが欠点ともよく言われてる。
武田滅ぼす前から、若い頃から、よく少数で動いたりしてたわけですが、それは無防備じゃないの。
猜疑心があったわりに、いつも裏切られてびっくりしてるし、後手に回ってる。
謀反した人を許したりなんて、猜疑心なくてもできませんが、それもやってる。
信長以外でも、そう思われるのかな、凄く矛盾を感じる。
0384人間七七四年2008/06/18(水) 23:33:33ID:lnKRg9LR
388
何にを根拠に。
細川父子などは、家柄を傘に自家安泰のみ計る輩やんけ。
03853812008/06/19(木) 00:05:40ID:QMXihRyP
>>384
だからこそ、自分らに火の粉かかるような事件なんか起こさんじゃまいか。
0386人間七七四年2008/07/21(月) 03:42:17ID:5wrvI95y
光秀を信頼しすぎた信長の自業自得だと思う
信長と信忠父子で数千しか家来がいなくて しかも光秀にそれを知らせていたのでは
どうぞ自由に襲ってくださいというようなもの
数々の悪逆非道ぶりもそうだけど 自信過剰も甚だしい
マイウェイの人だからあそこまで突き進めたという側面もあるけど
最後は命取りになったな
光秀の本音はそろそろ静かな生活がしたかったけど 
信長の家臣であり続ける限り不可能なことは分かっていた
とにかく信長を消去して頭を真っ白にしたかったのだろう
この機会を一気にものにした秀吉の決断力と行動力はまさに天才的
本能寺の変がなくてもいずれ天下は秀吉が握ったと思う
0387人間七七四年2008/07/21(月) 08:03:51ID:+Rkb0OTe
秀吉なんて変直前でも信長の部将の中でも4,5番手。
本能寺がなければ、ただの信長の司令官の一人として、普通に歴史に埋もれていたよ。
0388人間七七四年2008/07/21(月) 08:10:13ID:5wrvI95y
秀吉には機会あらば自分が天下を獲ろうという野心がもともとあったはずだよ
もちろん賢い秀吉はそれを周囲に悟られるようなヘマはしなかった
強い野心や自負がなければ中国大返しなど出来るはずがない
野心もなしに突発的に主君殺しをしただけの光秀との差が山崎の戦いに露骨に現れた
0389人間七七四年2008/07/21(月) 08:11:38ID:+Rkb0OTe
秀吉の事語りたいだけならよそでやれ
0390人間七七四年2008/07/21(月) 08:18:25ID:5wrvI95y
光秀と秀吉はセットだからね
どちらかだけ語るなんてできないでしょ
光秀のたまたま出した足に当たったリバウンドを秀吉が絶好のタイミングで
シュート、見事ゴールに結びつけたという構図だと思う
0391人間七七四年2008/07/21(月) 08:19:25ID:+Rkb0OTe
勝手にセットにするな。そんなものお前の脳内だけだ。よそでやれ。
0392人間七七四年2008/07/26(土) 09:18:04ID:uF0SK31g
わかりにくい例えだ
0393人間七七四年2008/07/28(月) 22:54:01ID:pLd6KqL/
>>388
同意だ。
光秀と早いもの勝ち、みたいなイメージすらある。
本能寺スレでは、野心説、みたいなのは主流じゃないけど
やっぱり実行する本人にその意思がないと謀反なんてできるものじゃないものね。

大げさに言うと、1568年、信長と義昭との間に入って京で歴史の表に
登場して以来、ずっと野心はあったんじゃないかな。
同じく秀吉もね。

でも、あの大返しは一種の奇跡で光秀こそ、是非におよばず、って
思ったんじゃないかな。
0394人間七七四年2008/08/13(水) 06:59:54ID:iFwbgy2U
手紙以外に現代に伝わってる遺品とかない?
0395人間七七四年2008/08/14(木) 02:41:39ID:56WpUe+7
光秀個人のは流石に無いのかな?
明智家としてなら
・家中法度
・家中軍法
・国立博物館の明智光春(秀満?)所用と伝わる南蛮胴具足
くらい?
0396人間七七四年2008/08/14(木) 03:18:08ID:L5mYeDGi
戦国時代のメガネを見たことがあるけど、家康のだったかな?
光秀も目が悪かったと聞くが。
0397人間七七四年2008/08/14(木) 17:25:21ID:rMhg+DHq
>>396
「多聞院日記」に書いてある。
0398人間七七四年2008/08/22(金) 18:52:11ID:6Au2pn1a
本能寺スレッドに明智光秀の謀反の原因は視力減退にありって説がでてますね
0399人間七七四年2008/08/22(金) 19:11:01ID:Ttg9AFiX
>>398
それだけとも言い切れないが、かなり大きなウェイトを占めてたんじゃないかな?
0400人間七七四年2008/08/22(金) 21:29:49ID:ulSiagqH
>>398
高齢で盲目になるのは、あの時代珍しいことではあるまいに。
0401人間七七四年2008/08/24(日) 09:49:25ID:JQujlbOH
岐阜県美山町にある明智光秀公の墓に行ってきました。
夏休みもそろそろ終わりなので、がんばって勉強しないと…。
たとえ三日でも天下を取りたいと思います。
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