寡兵で大軍を破った戦い
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0001名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 02:13:32ID:E8ad61KX劣勢を跳ね返し、大軍を破った戦いを語りましょう。
0361人間七七四年
2007/08/11(土) 12:48:10ID:uhppdWYA0362人間七七四年
2007/08/11(土) 14:39:26ID:6PLqvp9Q天王寺の戦いとか刀根坂の戦いとか、
少数でもやるときにはやる決断力も十分もってるんだよなあ。
0363人間七七四年
2007/08/11(土) 15:39:23ID:7VyzCA/x一揆勢3万(武器を持たぬ民衆を含む)
vs
織田方:羽柴・明智・池田以外の全兵力。
信長率いる有力武将(丹羽・柴田・佐久間)の総動員7万
九鬼・滝川の水軍6百艘の大船団(大船も動員)。織田信忠は別働隊
信長の戦法は兵糧攻め。この大兵力で四方を3ヶ月取り囲んだ。
助命を条件に開城させるが、信長はそれを反故にして鉄砲で一斉掃射をする。
激怒した一揆勢は、「槍も持たぬ7百の集団」が白兵戦。
織田軍を撃退した。
判明している最低兵力、織田勢7万+6百艘の大船団を
抜き身の刀しか持たない700人の農民が撃退し
多くの織田一門衆を討ち取ったほど。
補足
この戦いは信長の大敗だが、最終的には島全体を柵で包囲して
残された2万の農民を焼き殺すことで鎮圧している。
そのことから、一揆勢で兵として機能していたのは1万にも満たなかったようだ
一揆勢にしろ信長にしろ、追い詰められた人間は恐ろしいですわ・・・
0364人間七七四年
2007/08/11(土) 16:49:46ID:xEOUPDXe元亀二年の出陣では信長方の兵力はせいぜい2万
参陣した有力武将は柴田勝家(所領:近江国蒲生郡)佐久間信盛(近江国栗太・
野洲郡)、美濃三人衆(柴田指揮下)
天正元年の出陣での有力武将は富田長繁(越前国南条郡)、林新次郎(家老秀貞
の養子)で兵力は先年より少なかっただろう
元亀二年の出陣では信忠も参陣するが、まだ家督を譲られておらず、せいぜい自
らの馬廻・小姓衆のみ、九鬼嘉隆、滝川一益、信雄、信孝も動員されるが、7万
もの兵力は所領から考えてもまず無理
600隻の船舶も誇張されているだろう
さほど広い河川ではないところでは大量の船舶を投入すると身動きすら出来なく
なり、味方の誤射の危険も多くなる
0365人間七七四年
2007/08/11(土) 17:28:39ID:akiW4sBF信虎はどう考えても武田以上の兵力を動員できたとは思えない諏訪に攻め込んで敗北し、
逆に諏訪衆に甲斐に攻めこまれて一部を占領されたこともあるよ。
0366人間七七四年
2007/08/11(土) 17:40:28ID:jKoMztlT永禄8年7月、檜原衆20人が篭る防塁に伊達軍800人が急襲
檜原衆が善戦し食い止める中
穴沢新右衛門が6、70人を連れ伊達の側面を突き
崩れた伊達軍を追撃し70余人討って撃退
葦名檜原衆140人+(援軍100人) VS 伊達軍1000人
永禄9年1月24日、押し寄せた伊達軍を檜原衆40人が弓で応戦
更に檜原衆100人、黒川城の援軍佐瀬玄蕃100人余りが打って出て
猛攻に崩れる伊達軍を追撃し530人を討って大勝
0367人間七七四年
2007/08/11(土) 18:23:01ID:6nDnm3aR葦名少なすぎだろw
0368人間七七四年
2007/08/11(土) 18:57:08ID:fWF7xZ4n0369人間七七四年
2007/08/11(土) 20:00:17ID:qADA7rRLまるでアラモ砦の戦いだなw
0370人間七七四年
2007/08/11(土) 21:27:28ID:+B4yKcokだから何?
信虎が寡兵で大軍を破ったことがあるのは事実だろ。
あと第一次川中島の合戦は、謙信が見事だな。
越後軍は5千、武田軍は2万弱なのに優勢勝ちだった。
0372人間七七四年
2007/08/11(土) 21:41:55ID:w+5IpmHZ小山軍議にて、豊臣恩顧の武将達が家康へと寝返っていく中、真田親子は颯爽と上田へ帰っていった。
その後、中仙道を突き進んでくる徳川本隊をのらくらりと引き付け、様々な罠で持って壊滅寸前へと追い詰めた。
猛将榊原康政は真田ゲリラ攻撃に屈し、謀略なら日の本一と自負する本多正信も真田昌幸の前では赤子の手をひねられる有様であった。
手も足も出ない徳川軍は、真田家を倒せず捨て置くことになる。
0373人間七七四年
2007/08/11(土) 22:07:13ID:cW4bktHP第一次上田城も篭城戦に近いものがあるし微妙。
0374人間七七四年
2007/08/12(日) 09:37:51ID:i4N19V4hまあ小さな城なら鎧袖一触落されてしまうこともあるから、
2日でもよく守ったと言えるのかもしれないが、
正直そこまで賞賛するほどのものとは思えない。
秀忠軍は全然壊滅寸前なんてことにはなっていないし。
0376人間七七四年
2007/08/12(日) 11:33:42ID:fi+M1d+J徳川厨ホイホイ
0377人間七七四年
2007/08/12(日) 11:40:09ID:i4N19V4h0378人間七七四年
2007/08/12(日) 12:41:33ID:LBSXY+GK0379Y ◆nzdGjBH722
2007/08/12(日) 13:14:04ID:zLnmV2MC真田厨必死w
0380人間七七四年
2007/08/12(日) 13:52:05ID:Dvq2mEKT0381人間七七四年
2007/08/12(日) 14:36:30ID:/tR4rGkq北条の小田原籠城と同じか、それ以下。
0382人間七七四年
2007/08/12(日) 17:23:40ID:i4N19V4hそもそもかなりの弱小勢力なんだから大友だの北条だのと比べたら、
あまりにも可哀想だろうよ。
弱小なりにはよく頑張ったと思うよ。
0383人間七七四年
2007/08/12(日) 18:21:45ID:Dvq2mEKT0384人間七七四年
2007/08/12(日) 22:17:41ID:FUoq6+O4小田原篭城は武田に関しては大した事でもないが、
謙信の方のはまだ小田原城も小さい頃だし普通に氏康の勝ちだと思われ。
攻めてないとかゲームじゃあるまいし、負けた方の言い訳に過ぎない。
0385宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/08/13(月) 01:01:08ID:NWb7JfED0386人間七七四年
2007/08/13(月) 13:21:54ID:gQRSKcwr最後は形だけとはいえ竜造寺が大友に降伏するという形で和睦しているし。
0387宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/08/13(月) 20:07:50ID:NWb7JfED0388人間七七四年
2007/08/13(月) 21:05:08ID:qg7eYKGt徳川家康・前田玄以・三法師VS明智光秀軍13000
天魔織田信長を討った明智光秀は京都や堺に在った徳川家康や織田家臣をも討ち滅ぼそうと同時にたくらむ。
しかし、大軍でももって取り逃してしまったことは敗戦をも意味する。
0389Y ◆nzdGjBH722
2007/08/13(月) 21:07:51ID:haXdctme0390人間七七四年
2007/08/13(月) 22:38:38ID:qg7eYKGt○島津義弘1000 対 ●東軍80000+立花宗茂4000
島津義弘と徳川家康率いる8万の大軍が戦闘した関ヶ原の戦い。
鬼島津として勇名ならした義弘達は福島隊を突破、追撃してきた井伊直政と松平忠吉に重傷を負わせる。 この傷が元で2人は数年後死亡。
大坂城に残された妻を取り戻し、航路でもって薩摩へ向かう。航海途中、立花軍に襲われそうになるが、
「太閤殿下の惣無事令でもって過去のことは水に流したのじゃ。今は互いに毛利殿に味方し傷ついた身ではないか。争ってる場合ではない」と義弘の説得でもって宗茂を戦意喪失させた。
薩摩に無事帰還。家康は島津を恐れ、立花は島津に加担すると言い出し関ヶ原後も減封する事が出来なかった。
0391仙台藩百姓
2007/08/14(火) 01:17:29ID:Ca4l2zi90392人間七七四年
2007/08/14(火) 02:00:14ID:g1FTBFJh0393人間七七四年
2007/08/14(火) 02:15:36ID:JwjxCgQG0394人間七七四年
2007/08/14(火) 11:38:48ID:MegvQA4K信玄に殺されそうになってびびって脱糞したが、
糞を体になすりつけて冷静さを取り戻したのは有名な話。
0395人間七七四年
2007/08/14(火) 16:52:54ID:9eyOmt9d騎馬隊が存在しないことと、徳川厨は別の話だろ。
騎馬武者がいても騎馬隊は存在しないんだよ。
基本的に馬は戦地までの移動に使って、
降りて戦ったんだよな。
0396こんな名無しでは、どうしようもないよ。
2007/08/14(火) 22:12:41ID:uOJwUte8大河ドラマのように全体の流れはともかく、詳細の部分に至ってはどこまでが事実かなんて
誰もわかりはしない。
もちろん残された資料や発掘調査などから精度は高くはなっているものの、それでもやはり
想像の域を出ないことには間違いないだろう。
例えばテレビ・ラジオ・ネットなど、情報収集の手段は今までにないほど充実した現代でさえ
我々は自身が生きている現在の世の中で起きている出来事をどれだけ正確に把握できてるだろうか?
それを考えると、信憑性の高い資料が皆無に近い歴史は想像の産物と言っても過言ではないだろう。
それゆえ、誰がどのような見解をしてもまた許されるともいえる。
0397人間七七四年
2007/08/14(火) 22:30:08ID:wEK24Xq3典型的な詭弁だが。
特に最後の3行の間それぞれの論理の飛躍が幾らなんでもいただけない。
釣りだとしても長文使っているのだからもう少しどうにかして欲しい。
100点満点中2点。
0399人間七七四年
2007/08/15(水) 20:44:39ID:yNOUztv0卓越した武術と剣術でもって大軍を破る光圀公。
切り札印籠の威力は、ん千人を従える大大名をも倒す。
0400人間七七四年
2007/08/16(木) 02:21:13ID:3P4c30E20401Y ◆nzdGjBH722
2007/08/16(木) 02:28:46ID:ElGeGKgC実際連合とはいえ八千VS三万じゃ勝つ方が無理だろ、こんなん信長元就あたりの一流武将でも勝てるかどうか・・・
まあ信長は5倍勝ちの天王寺があるからわからんが。
0402人間七七四年
2007/08/16(木) 03:44:06ID:kf2UdYJo0403Y ◆nzdGjBH722
2007/08/16(木) 03:59:12ID:ElGeGKgCそれと攻城戦だからなぁ・・・攻城戦ならさらに上に志村とかがいるし。
野戦で4倍近くの敵に勝つのとは違うだろ。
年代からして他方面に兵進める為の戦略的撤退だったと思う。
0404宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/08/16(木) 04:03:53ID:5CVQnu3h0406人間七七四年
2007/08/16(木) 12:24:16ID:SqkGzOipつ島津家久vs龍造寺隆信
龍造寺さん四天王と本人討ち取ってるし。
0407人間七七四年
2007/08/16(木) 12:53:29ID:ump60LZ/詰めを誤って集団逃走したことだな。翌年に戦略目標だった
二本松城を開城させたことも大きい。
0408人間七七四年
2007/08/16(木) 13:10:42ID:s7A9ozJm整然とした撤収だろ
ビビって追撃出来ない伊達のヘタレぶりが目立つな
0409人間七七四年
2007/08/16(木) 13:32:10ID:Tb/o7cKkましてや壊滅寸前の8千と優勢な3万だ
0410人間七七四年
2007/08/16(木) 14:20:23ID:kf2UdYJoだいたい3万と言っても一ヶ所に固まっているのではなく
広範囲に布陣していたのだから一度に相手するわけじゃあるまいし
まして人取橋の場合、会津側は統一された一つの軍ではなく
各々の判断で動いているから
他の決戦に比べれば遥かにやりやすいはずなのだが
0411人間七七四年
2007/08/16(木) 14:57:05ID:kf2UdYJo義継死後は元服前の国王丸が残され
やむなく新城が城代として伊達に当たったが
千程度で二本松に篭り政宗の1万3千を防ぎ
人取橋の後、再び押し寄せた片倉を打って出て蹴散らし
その後、政宗自ら総攻撃を仕掛けたがまたも落ちず
結局人取橋から8ヶ月経っても孤立無援ながら落ちなかった
政宗も諦めて包囲のみを続けていたが
相馬義胤が説得してようやく退去させる事に成功した
0413Y ◆nzdGjBH722
2007/08/17(金) 03:31:43ID:zGXe3TP9多功ヶ原や古沢については知らない、知識不足でスマン
>>406
その戦いは大体島津・有馬軍500〜8000、龍造寺軍18000〜60000と言われてるけど、
実質5000VS60000は当時の島津、龍造寺の国力差からしてありえないだろ。
大体8000VS32000くらいだろうが、確かに島津家久の手腕が光る戦いではあるね。
0414Y ◆nzdGjBH722
2007/08/17(金) 03:36:16ID:zGXe3TP90415Y ◆nzdGjBH722
2007/08/17(金) 03:55:45ID:zGXe3TP9死傷者は連合軍の方が多かったらしいが、兵力差は如何ともし難かったって感じじゃないだろうか。
>>408
追撃したところで包囲殲滅されるだろうし、そもそも政宗は撤退したこと知らなかったわな。
明け方になっても攻めてこないからようやく気がついてた。
0416人間七七四年
2007/08/17(金) 10:07:58ID:0bwkC7js信長は3000の兵で天王寺砦救出後、数〜十倍の敵に反撃し、信長は負傷しながら
も見事に撃退したが
0417Y ◆nzdGjBH722
2007/08/18(土) 00:48:24ID:SIhODbIKアレは見事と言うしかない。謀略計略といった下準備なしで一気に攻撃かけて勝ってるからな。
他にも長篠や朝倉追撃など目を見張るものばかりだ。
0418人間七七四年
2007/08/19(日) 02:54:01ID:CNkXuUdf0419人間七七四年
2007/08/19(日) 04:52:10ID:purNZzkd0420Y ◆nzdGjBH722
2007/08/19(日) 11:25:53ID:Uy7qeCQG0421人間七七四年
2007/08/19(日) 13:06:48ID:y0A9MMVk大殿御自ら僅かの兵で負傷しながらも討ち死に覚悟の自分を救出してくれたんだ
から
やはり光秀謀反は怨恨説ではないだろう
0422人間七七四年
2007/08/19(日) 13:56:17ID:XvdojGTC国力じゃなくて、状況見ろ
しかも4兄弟で家久一人しか行ってない
0423人間七七四年
2007/08/19(日) 20:41:24ID:uJLKK7B2予想に反して大勝しちゃったってとこか
有馬もまさか援軍が数千なんて期待外れだったろう
武士は義をもって第一とするなんて逸話も怪しいところだ
0424人間七七四年
2007/08/19(日) 21:13:00ID:wRSYUMkn予想に反してってのは、違うかもな。
島津的には5,6000いれば合戦できるのはわかってるから、
いい合戦場とかあったりチャンスあれば勝てるぐらいには思ってただろうよ。
まぁ、追い返せればいいからな。
0425人間七七四年
2007/08/19(日) 21:39:38ID:purNZzkdやっぱ一方的な虐殺かね。それとも領民一同でもって良い戦いを演じたのか
0428仙台藩百姓
2007/08/19(日) 22:44:09ID:NRHBzjBv秀吉の九州征伐と言う前例があるじゃないかお( ^ω^)
しかも秀吉の時はまだ東国押さえてなかった
島津も九州の過半に支配力を持っていた
そして関ヶ原以後だと状況は以前より悪い
当然結果など知れているお
0429人間七七四年
2007/08/19(日) 23:55:51ID:Pm0Cbr4f非常に不本意ながら禿同。くそっアホ百姓に同意する日が来るとはorz
付け加えると、関が原後の島津は軍費は無く、家中は義弘派義久派家久派の3派分裂中、
九州東軍の黒田・加藤に攻め込まれる寸前で、
家康が中央の政局安定を優先していなかったら取り潰されていたんじゃないか?
0430人間七七四年
2007/08/20(月) 01:28:49ID:MnAnUgREしかし、秀吉の時は、制圧していた大分あたりで四国勢は追い払ったが、
立花の抵抗で福岡を制圧できず士気さがって寄せ集め軍と忠誠低い家臣らで当ったからなぁ。
関ヶ原後は、追い詰められて士気がすごかったんじゃね?寄せ集めでない国許精兵だしなぁ。
義弘帰ってきたし、1000以上の兵の敵討ちにもなるし。
まぁ、あまりやりたくない相手だわ、島津に追い討ちかけて死んだ奴は数知れずだから。
0431人間七七四年
2007/08/20(月) 03:28:41ID:+uKC11qmまさか関ヶ原のあと島津討伐軍が編成され、戦わずに撤退したの知らねーの?
0432Y ◆nzdGjBH722
2007/08/20(月) 09:18:09ID:GGuL/nSo状況的にみてもそんなもんだ。
龍造寺が国を空にしてまで根こそぎ動員でもしない限り60000なんてありえないだろ。
0433人間七七四年
2007/08/20(月) 10:14:59ID:KYNmG0Ax0434人間七七四年
2007/08/20(月) 10:55:37ID:+uKC11qmこれ知らない奴多いだろ。
0435人間七七四年
2007/08/20(月) 15:59:35ID:MnAnUgRE334 :宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c [↑] :2007/08/19(日) 03:46:31 ID:Hl49qHLO
沖田畷にて討ち死にの面々、これは…
龍造寺隆信
龍造寺康房
成松信勝
百武賢兼
円城寺信胤
江里口信常
木下昌直?
勝屋勝一軒
小川信俊
安富純治
納富能登守(家輔、賢嘉)
徳島信忠
徳島信盛
安住家能
安住秀能
秀島家周
枝吉種次
宇礼志野通治
執行種兼
執行種直
執行種国
執行信直
蒲原信俊
少弐資宗
関新左衛門
中牟田七郎兵衛
中牟田新兵衛
0437人間七七四年
2007/08/20(月) 20:58:50ID:RMCCVnXX家久暴れすぎw
0439人間七七四年
2007/08/20(月) 21:11:46ID:CwGiR0pj敗北を喫した事を喧伝するだけに思える。
宇喜多さんも言ってるが、誇張したのはむしろ、島津や有馬方だったと思う。
0440439
2007/08/20(月) 21:50:51ID:CwGiR0pj0441人間七七四年
2007/08/21(火) 23:18:42ID:P3fKD07x>>龍造寺方が兵数を誇張しても、自軍が圧倒的に優勢で有りながら
>>敗北を喫した事を喧伝するだけに思える。
一見無意味な敗北側自ら大将を愚か者とする宣伝。
だけど当主が死んだと言う事を考えて裏を返せば、その後竜造寺を治めた人間にとっては
そんな情勢下でありながらそれを治めることが出来た人物を称える宣伝にも成りえる。
竜造寺側も誇張する理由はあるように思える。
まぁ竜造寺というか・・・。
0442人間七七四年
2007/08/21(火) 23:53:34ID:Vq+AaVY4歴史群像の島津戦記には竜造寺方の記録から島津の武将っぽい人たち、
宣教師とか9つの書物の名が載ってる。
なんで島津はこんなにいっぱい記録が残ってて手取り川は上杉側の
記録しか残ってないんだろ?
0443人間七七四年
2007/08/22(水) 00:20:27ID:MasFiLkS個人的にはどっちにしろ状勢の変化に乏しい合戦は余り興味ない。
手取川なんぞあろうがなかろうがどっちが勝ってようが、その後の状勢の変化が無さ過ぎてどうでも良すぎ。
0444人間七七四年
2007/08/22(水) 08:03:57ID:S/+hpPY8島津はめっちゃ残す大名だよな
0445人間七七四年
2007/08/23(木) 00:16:44ID:ZO+tdYPX上杉の小田原攻めとか川越野戦とか。
畿内を中心とした法華経と一向宗の大乱でも30万は大げさにせよ、
大軍勢が動いたのは確か。
領地や大名の動員力だけから数が少なかったとは断定出来ないよ。
九州では勢力の変動が激しくて九州の多くの国人衆があっちに行ったり、
こっちに行ったり一斉に動いたからね。
0446人間七七四年
2007/08/23(木) 02:10:32ID:e6mLrO85台湾沖航空戦の大誤認、343空の幻の戦果などなど。
手取り川も似たようなもんだろ。
0447Y ◆nzdGjBH722
2007/08/23(木) 03:58:22ID:jgfXAoZVイフものだが、中一のときに異・戦国志読んでたときにズラズラとこの武将が
出てたのに驚いた記憶がある。
兵数が詳しくわからんでも、討ち取られた武将格から見てかなり重要な戦いだったみたいだな。
ところで龍造寺康房って鍋島直茂の弟だっけ?
0448人間七七四年
2007/08/23(木) 07:53:08ID:p06zTW0Y武田、本願寺、幕府、今川、毛利、浅井朝倉その他
0449人間七七四年
2007/08/23(木) 23:27:02ID:60oW6rsC0450Y ◆nzdGjBH722
2007/08/24(金) 00:37:02ID:KCdtCU/r0451Y ◆VqSh5C7CR6
2007/10/15(月) 23:35:42ID:coHlGrU3age
0452人間七七四年
2007/10/16(火) 04:41:08ID:T3rlLfiCどれほどの物ですかね?
源義経ですら宇治川や壇ノ浦では相手より多くの兵を動員して勝ちましたが
0453人間七七四年
2007/10/16(火) 06:31:43ID:YjkEf0Ko講談否定とか誰もが知ってる事をさも偉そうに書き込まないでください><
お前は歴ゲ板あたりでオナニーレスしてんのがお似合いだよw
0454人間七七四年
2007/10/16(火) 07:43:59ID:h+XyusST合戦については戦術ポカほとんど無いし川中島とか
寡兵で戦果残してるんだから評価されていいんじゃない?
肥の能力は過大だけど
0455人間七七四年
2007/10/16(火) 12:25:55ID:5+ae/c0D「有田合戦」「厳島合戦」でググれ
つか「寡兵で大軍を破り、なおかつ敵総大将を殺した戦い」を二度もやらかしたのって
元就くらいじゃね?
信長と並んで戦国時代を代表する軍神。
0456人間七七四年
2007/10/16(火) 17:03:47ID:WnQ1vcab0457人間七七四年
2007/10/16(火) 18:30:02ID:NWMaklly0458人間七七四年
2007/10/16(火) 18:56:17ID:YiiwewrQ「寡兵で大軍を破り、なおかつ敵総大将を殺した戦い」
信長は寡兵で大軍を破り、なおかつ敵総大将を自分の手でぶち殺した戦い があるぞ
700−1700 稲尾の戦い
0459人間七七四年
2007/10/16(火) 18:57:49ID:YZhtOCTc0460人間七七四年
2007/10/16(火) 22:13:08ID:BhcAtLTW0461人間七七四年
2007/10/17(水) 10:42:07ID:kD8x7sQ2総大将は織田信勝で林某ではないな
>寡兵で大軍を破り、なおかつ敵総大将を殺した戦い
今山の戦い
桶狭間のような強襲ではなく完璧な奇襲での勝利で寡兵が大軍を破った模範的な例
>>455
寡兵では強くても大軍を率いると普通レベルなのが毛利家
大友との北九州争奪で叩き出されて逃げ帰ったのを忘れたのかい
有力な一族を離反させ混乱させる謀略の冴えは見事としかいいようがないけど
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