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寡兵で大軍を破った戦い

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0001名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 02:13:32ID:E8ad61KX
桶狭間合戦や厳島合戦のような
劣勢を跳ね返し、大軍を破った戦いを語りましょう。
0017名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 02:02:14ID:IE2OLfPi
>>16
話し変えすぎだろw
窪田の伊達軍は600人じゃなくて600騎
対峙するまでには留守政景や粟野国顕などの増員があって1000余騎になっている
6月11日連合軍北上
16日政宗、福原に着陣
6月23日芦名四天と伊達成実らの戦いで連合軍と伊達軍の双方に50余騎の死者がでる
7月4日には総勢で戦闘に及ぶ
6時間に及ぶ戦いで伊達軍80余騎、連合軍50余騎の死者がでて双方陣に引く
その後は積極的に動く事なく対峙し
18日に岩城の仲介により和議を結び双方兵を引いた
0018名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 02:39:06ID:Yun/e9Ho
人取橋合戦の最大の功労者は政宗でも成実でもなく左月斎だろう。名前も出さないとは何事か。
0019名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 04:54:20ID:bMo8iMd5
そうだ〜
鬼庭さんは凄いんだぞ〜
0020名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 09:12:42ID:gHe+qcoy
いかりや長介だもん
0021名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 09:28:51ID:bMo8iMd5
つぎいってみよー
↓↓↓↓↓↓
0022名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/24(日) 09:55:47ID:fcpJl8cZ
ひどいや
0023名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/02(火) 13:18:37ID:nzN/nlEZ
黒田官兵衛

青山合戦 ○黒田300 VS ●赤松政秀1000
土器山合戦 ○黒田300 VS ●赤松政秀3000
英賀村の戦い ○黒田500 VS ●浦宗勝5000
阿閉城篭城戦 ○黒田500 VS ●宇喜多軍8000
三木城攻め ○黒田隊500 VS ●別所勢700
○黒田隊500 VS ●別所勢1000
0024名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/05(金) 15:51:14ID:g/m/cFNi
島津の木崎原 耳川 沖田畷 四川
竜造寺の今山 
毛利の有田 郡山攻囲戦 厳島
宗滴の加賀一向一揆戦
秀吉の鎌刃城救援
信長の稲生 天王寺
村上の上田原 砥石
武田信虎の 対福島戦
伊勢長島の第一次第二次防衛戦
北条の河越
里見の三船山
0025名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/07(日) 12:58:54ID:TkTPw8Yr
天正12年(1584)伊勢亀山城の戦い

 ○関 盛信 13騎 VS ●神戸正武 500人
0026名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/14(日) 09:40:15ID:AwjFbci3
何そのスケールの小さな戦いwwww
その13人って五虎将軍みたいな奴らだったのかな
0027名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/26(金) 15:07:46ID:QiT8cC6f
その13騎って侍が13人てことで、足軽とかは数に入ってなかったんじゃね?
でなきゃリアル戦国無双もいいとこだなwww
0028名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 11:52:11ID:RyascpqY
森辺合戦
織田信長軍1600対斎藤軍6000
結果は織田軍の勝利。斎藤軍は大将長井甲斐守以下多数を討ち取られる
0029名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 22:24:32ID:RdCVfmUf
島津義弘の木崎原合戦。
島津家久の方が義弘よりも合戦が上手いなんていう奴がいるが
この木崎原合戦を調べてみなよ。
九州の桶狭間と言われるこの合戦に奇跡的勝利をしなければ島津家は伊東家と相良家の連合軍に滅ぼされていただろう。
島津義弘は300未満の兵しかいないのに伊東軍3000と相良軍の挟撃を受けて大勝利を挙げている。
それも家久の勝利のような一撃での勝利というわけではなく、機動力を生かした数度の戦闘で伊東軍を壊走させているんだからすごい。
一撃ならば「まぐれ」もあり得るけれど、数度に渡る戦闘で勝利しているのだから本物の強さだよ。
0030名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 23:17:55ID:Bo2b5CV6
島津は支那人並に話し誇張するから全く信用できない
5分の1ぐらいに差し引いて見て丁度いい
0031名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/29(月) 23:30:50ID:D5cjV5bo
逆に双方の戦力差がない互角の戦って
応仁の乱
川中島
朝鮮出兵
関ヶ原
有名どころだとこれくらいかな、関ヶ原以外は泥沼化ばかりだが
寡兵で大軍を破る逸話よりも互角の状態から勝利した逸話の方が少ない気がする
0032名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 00:29:00ID:AgeQnLSs
基本的に決戦が生起するのは「双方が」自軍の優勢を確信した時。
後が無い場合を除き自軍不利と見たら普通は余計な損害を嫌って撤収し、
後日のより良い条件での再戦を期すか外交的打開を試みる。
主力が消耗してたら、外交もままならないからな。
そういうわけで決戦が生起した場合はまず片方、または双方が情勢誤認を
起こしてる可能性が高い。
互角の状態ならまずどちらかが追いつめられてるということは無いし、不毛な
消耗戦に陥る確率が高いから双方が敵を互角以上と認識したらまず決戦自体が生起しない。
つまり「互角の状態から勝利した逸話が少ない」というより互角の状態で合戦になること
自体が珍しい。双方が敵を過小評価した場合のみ発生する戦闘だから。
0033名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 01:08:37ID:rTmJSnSO
>>32
不意の遭遇戦もあるぞ?
0034名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 18:30:25ID:4W8q/dkn
>>33
文頭
0035名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 19:29:40ID:h1uz+t7U
>>30
それじゃ伊東はわずか600の兵で敵地に侵入して城を落そうとしていたのかよ?w
伊東は猛者だなw
0036名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 19:56:45ID:ywyNmfOs
>>35
島津の兵は実際もう少し多かったと言いたいのだと思うよ。
官渡の戦いなんかでも曹操軍の兵力には疑問があるしね。
それと同じだよ。
伊東が少ないわけではない。
0037名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 20:07:12ID:kO3hlaT5
まぁ実際桶狭間の戦いも信長公記では2000対40000という馬鹿みたいな兵力差になってるからな
島津2.5倍、敵0.75倍程度の兵力と考えるのが妥当かも
0038にゃんこ2007/01/30(火) 20:26:11ID:ydTERo1s
1,戸籍もないし、整列もできないから、人数を正確に数えようが無いから、
  宣伝効果第一で適当な数字を挙げておこう。

2,戸籍をちゃんと作り、また訓練によって整列もできる。これで、人数を正確に
  計算して、数学的に合理的な作戦を実行できる。

戦国時代は、ほとんど1だが、より先進的な統治を行っている大名は、2に近づける。
つまり、「後進的な統治で多めに人数を挙げている大名が、比較的先進的な統治を
行なっている比較的正確な人数を把握している大名に敗れた。」という側面が大きいと思うぞ。
0039名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 20:42:41ID:h1uz+t7U
>>36
自軍の兵数を少なく記述することが島津家に利益になるわけではないのでそれはない。
まさか2ちゃんねるの価値観で少ない兵で勝ったぞ、すごいだろ!って自慢するわけがない。
むしろ動員力があるんだぞと誇示した方が大名家としては得だし、敵国に対する脅しにもなる。

泗川合戦で敵兵20万としていたのも、明軍が20万と号して島津軍をビビらそうとしたのが原因。
島津のほうでは20万いるかどうか数えられないので、明軍の言葉通りに20万の敵と合戦と記述したに過ぎないので
島津が大げさに伝えたわけではない。
ここを勘違いしている奴が多すぎ。
0040名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 21:03:35ID:Z4N4ctV7
俳優・宇梶タケシの武勇伝(実話らしい)

○宇梶1人vs●どっかの暴走族800


敵軍先鋒に殴り込み4〜5人瞬殺。あまりの強さに周りが逃げだし先鋒隊が崩壊→集団心理で全軍壊走


殴り込む宇梶はバケモンですな。
0041名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 21:05:51ID:sDQCfiIf
>>39
悪いけど損得とか関係なくこういうの記す作者の多くは自分の殿は凄かったみたいなこと書くから
0042名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 21:06:01ID:T0jBzO0H
忍城防衛戦

石田三成他20000vs成田泰季300+女子供爺婆(城主氏長は主力を率い小田原出張中)
三成一世一代の自爆ギャグとして名高いが、実は相手が凄かった。
水攻め失敗も偶然ではなく、近隣人夫を抱き込み要所が手抜きな強度偽装堤防。
凄いのはその後。援軍として浅野長政、真田親子セットが派遣され、たちまち大激戦
さすが真田で城門が破られそうになるが、ここに現れたのが城主氏長の娘、甲斐姫。
鎧兜に身を包み兵を率いて真田の精兵相手に世紀の大乱暴、三宅高繁以下多数の首を挙げ
なんとこれを撃退。
以後も度重なる攻撃を凌ぎ、氏長から小田原開城の知らせを受けるまでとうとう守り切った。
ちなみに祖母は由良成繁の妻で輝子姫という有名人、継母は太田三楽の娘という
ただの女子供ではない恐るべき女系。
甲斐姫はその後も更に武勇伝を重ねてるからwikiでも見てくれ。嘘臭いくらいの凄い女だ。
0043名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 21:06:56ID:1jN41SlI
とりあえず兵数の出典はなんなんだ。
0044名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 21:25:11ID:4W8q/dkn
>>38
なんで戸籍が出てくんだかわかんないんだけど

満州国には戸籍がなかったから満州国軍は自軍の兵数を数えられなかったとでも?
0045名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 21:46:55ID:p2M4axRR
>>41
自分の殿を持ち上げる記述が多いのは史学的に当然だけど
自軍の兵数を、実数より少なく記録して残すケースは聞いた事ないな
0046名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 21:52:14ID:ywyNmfOs
>>39
その「まさか」がそこら中であるということを知らんとは。
それに少ない兵で勝ったぞというのが2ちゃんねるの価値観だと言っている時点でお馬鹿さんだろ。
2ちゃんねる依存症だな。
0047名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 21:54:56ID:ywyNmfOs
>>45
三国志
0048名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 21:59:18ID:h1uz+t7U
>>46
そこらじゅうにあるとは?
例えば?
0049名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 22:05:43ID:RhpH6KEJ
つうか木崎原のソースは何なの?
原文で見ないと分からん
元々誇張して書くのは常識だけど
更にいい加減に訳して書く連中が多いから余計と胡散臭い話しになるんだよ
0050名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 22:13:43ID:ywyNmfOs
>>48
官渡の戦い。
0051名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/30(火) 22:15:52ID:U+M8M7wE
>>48
三河物語
0052名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/31(水) 15:20:08ID:YK5sLHbl
木崎原は島津の戦法の典型。
劣勢に見せかけて敵を油断させ、総攻撃で陣が乱れたところを
援軍と伏兵で逆転する。
実際には伊東を助けにきた相良を追っ払った部隊もいたし、
伊集院もかけつけてきた。
これは周到に準備された作戦で、義弘の手勢だけ見るのは意味が無い。

ま、当時のみなら現代まで寡兵を信じ込ませるんだから大したもんだといえる。
0053名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/31(水) 18:06:15ID:1Yj7S0Ul
マイナーだから誰もツッコミ入れなかっただけだろw
最強神話でっち上げた武田や上杉は優秀だ
0054名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/31(水) 20:33:53ID:SJsEzKQH
>>32
もう一つ、不利とわかっていても政治的戦略的要求から決戦を強いられるということはある。
戦国ではないが、日露戦争なんて海も陸もそんな感じ。
0055にゃんこ2007/01/31(水) 23:01:51ID:wtDAMvKM
44>

騎馬民族は、5や10単位で「隊」を作るから、戸籍無しでも人数は数えられる
だろう。だが、日本の戦国時代では、5や10の単位で「隊」を組む習慣は無かった
から、正確な兵数は把握しようが無い。戸籍(この場合は正確な検地帳)
戦国時代の戦争は、兵士という駒の数による兵棋演習のような数学的な戦闘は無く、
「親分」の顔で戦う、極めて政治的な(多数派工作とか)戦争がほとんどだろう。

0056にゃんこ2007/01/31(水) 23:05:36ID:wtDAMvKM
1,まじめな中学校での騎馬戦
 陣形等の数学合理的な戦術がものを言う。

2,荒れた中学校での騎馬戦
 やる気の無い馬やら、みんながビビッて避けて通る無敵馬が発生する。

近代戦やシミュレーションゲームは1と近いが、封建時代の戦争は2に近いと
思う。親分の顔で戦う。
0057名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/31(水) 23:23:53ID:B3g8c+Yd
>>55
なんで戸籍が出てくんだか更にわかんないんだけど

なんで満州国の話で騎馬民族が出てくんだかわかんないんだけど
0058にゃんこ2007/02/01(木) 20:19:20ID:hyhvAfNr
あのさ、戸籍無しで、どのように徴兵するのさ?
実際に、戦国時代は、差し出し検地の記録から、農民兵を惣などから徴兵したんだよ。
現代の日本には、徴兵制は無いけれど、7歳で徴学校制?はあるよね。あれが
戸籍無しでできるかい?生徒数を正確に数えられるかい?
これで、解らないという人には、説明しようが無いな。

ああ、満州国軍って、あれか。近代なら、整列させられるから、人数を数えられる
よね。ただ、その人数が戦時の実質人数だったがどうかは知らないが。
ちなみに、整列が、近代の指標の一つなんてのは、社会学の基礎だと思う。

0059名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/01(木) 20:21:22ID:8ux+xfGy
>>52
相良軍を追い払ったのは義弘の300の兵から分散させた数十人の兵がが立てた無数の旗幟、
相良は島津軍が情報とは違って大軍だと思い込み逃げ帰った。
0060名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/01(木) 23:21:09ID:iFhlwmM8
>>59
その話は知ってた。でも信用するわけにはいかない。
斥候もださず、小競り合いもせず撤退などする間抜けがいる?
主戦場でもないところに何時来るかわからない相良を
待ってる大軍なんてあるはずがない。
仮にあったとしても、対陣して引き付けておくくらいできる。
相良は内訌と外征でいつもきたえられてきた戦国大名で
しかも島津相手にずっと渡り合ってきた。そんな軟弱じゃないよ。
軍記ものにはよく無数の旗とか松明のこけおどしがでてくるけど、
嘘っぽ。
0061名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/01(木) 23:38:25ID:IoyqouFZ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B7%BB%E5%9F%8E%E3%81%AE%E5%A4%9C%E8%A8%8E%E3%81%A1
0062名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/01(木) 23:51:14ID:DARg57BC
>>58
>あのさ、戸籍無しで、どのように徴兵するのさ?
史実で満州国に戸籍法がねーから糞みてーな極論に対する反論しただけだろ
逆ギレするくらいならとんでも論展開すんなカス
点呼なんて徴兵した後での話だろ
論点ずらすな池沼
0063名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/02(金) 00:03:11ID:H5t9s+mk
>>60
相良にしたら、伊東に援軍を送るだけのつもりで戦意が元々低かったんだろ。
島津は寡兵だし、戦闘に参加しなくても楽勝だし
軍勢さえ出しておけば伊東との同盟への義理も果たせる。
その程度の認識で出兵してみたら、情報とは大違いで大軍が陣を張っている。
これで一気にやる気が失せたとも考えられるだろ?
0064名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/02(金) 00:33:53ID:KqykAhIg
このスレ、低レベルな煽り合いしかなくてつまんないから
大軍で寡兵を破った話でもしようぜ
0065名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/02(金) 10:09:20ID:FTIoVzuO
野良田表合戦
2万の六角勢を、若き浅井長政が1万の兵で破る
これにより六角氏に服属状態だった浅井氏が戦国大名として自立することになる
奇しくも長政の運命を翻弄する信長が桶狭間で奇跡的勝利を掴み取ったのと同年(発生年には異説あり)
0066名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/02(金) 20:32:18ID:3DGwFPu9
>>63
戦意は低かったかもしれない。俺もそう思った。
でも敵陣も確認しないとう理由にはならない。
戦うなとうい指示があった可能性もあるけど
前後の相良の動きみても、義に篤い義陽の性格から考えても無いわ。
0067名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/02(金) 22:29:29ID:vhck0qwF
>>64
信玄と謙信の勝ち戦はほとんどそれ
0068名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/02(金) 23:26:52ID:H5t9s+mk
>>66
斥候は出したと思うよ。
斥候の役割は敵の位置と兵力の確認
そもそもオレとアンタのイメージがまるっきり違うな

オレのイメージ

まず相良軍は島津軍の旗など視認できない距離において島津軍は思いもよらぬ多勢という斥候からの情報を得る。
これ以上前進して島津軍と対峙するとなると戦闘は覚悟しなければいけない。
同盟の義理立ての軍勢だとするとなるべく犠牲は出すなという命令は当然受けている。
まして斥候の情報では敵勢は相良軍の軍勢よりも優勢らしい。
犠牲を出さすに退却するならば早い方がいい。
   ↓
互いの軍勢が視認する以前に退却


アンタのイメージ

斥候を出す前に互いの軍勢が視認できるほどの距離で遭遇
相良軍は敵勢が事前の情報よりも多勢
戦う前には敵の戦力を正確に把握するために敵陣深く斥候を出すはず。
そうなれば敵はわずかの兵力で旗だけ多いのに気づくはず。

でも斥候の役目から言えば、敵の詳細な戦力把握なんて元々しない
兵数と位置を知るだけで十分。
それが確認できるくらいの距離までしか近づかない。
斥候に生還率が極端に低くなるほどの距離まで敵陣へ近づけてまで、敵情報を求めるからには、何が何でも勝ちを求めているような時だろう。
伊東軍の作戦に付き合うことが優勢と思われる敵と戦うほどに重要とは思えない。

0069名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/03(土) 01:22:30ID:OpGg+wVY
>>67
というか、世の勝ち戦はほとんどそれ
寡兵で勝つほうが異常だよ
0070名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/03(土) 02:26:52ID:oUg1G2d2

物見の遠くから旗がいっぱい見えた報告だけでいきなり全軍撤退なんてあるはずないかと。
それじゃ侵攻してきてるのか、堅固な陣地を構えているのか、何もわからない。
軍議もできないし、帰ってなんて報告する?
距離をとって陣地構築、斥候で敵陣と人数の把握、威力偵察、
このくらいはしないとその後の対応まったくできないよ?
そもそも突破されて当たり前の状態で相良の失策を信じて
伊東の迎撃作戦をやっちゃっていいのか義弘は。無謀すぎる。
そこまで追い込まれていないというか
国力でまさる島津が準備をしていない時点でもう不自然なのに。




0071名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/04(日) 13:41:39ID:5FEfpvyk
>>70
戦意が低かったら十分あり得るだろう?
リスク回避のために退却。
相良にとっては、もともと出兵したという事実だけが重要だったのだから

虚旗だけで騙したという話が伝わっているのだから、絶対にあり得ないというなら別の説を立てるのも仕方が無いだろうが
なんとなく違うのではないかという見解だけで別の説を立ててもそれは、伝わっている話よりも根拠がない説に過ぎないわけだから
自分の言っている説が絶対みたいな言い方は少しおかしいと思うよ。
0072名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/04(日) 14:00:58ID:p44Q1t28
明軍を破った戦いだろ。特に立花宗茂や小早川隆景、島津・加藤はすごいね。
0073名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/04(日) 14:01:53ID:U0HKwnoa
相良の周辺には
菊池と名和がいるから
あんまり兵を損失させたくなかったんじゃねーの?
0074名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/04(日) 17:28:05ID:x0I2MhT3
>>71
トリックで無血で撃退。島津マンセー。相良ワロス。ホントにいいのこれで?
軍記ものはよく考えたら整合性がとれない、矛盾が多い、
というのはよくある。それはおもしろおかしくフィクションを織り交ぜてるから。
科学としてと史学など存在しない時代では少ない事実のみの記述では
誰も読んでくれない。当然島津マンセーだから俺らには別の視点が必要。
矛盾を説明しようと理由を色々考えたりするのは意味ないことだよ。
飾りを取り除けば、相良は援軍をだしたが島津に牽制された。これで十分。
0075名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/04(日) 17:39:02ID:x0I2MhT3
>>73
菊池はすでにないが、名和とは接していた。その名和は島津と組んでいた。
相良は伊東、肝属らと連携して島津に対抗した。背後に大友の存在がある。
度々島津領に出兵し、各地に「クマ陣」と呼ばれる遺跡が残る。
0076名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/06(火) 18:17:07ID:6WPSxryU
南九州の関ヶ原『木崎原合戦』
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164131064/
0077名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/07(水) 19:35:15ID:SbEqHt9Z
>>40
一番ワロス
0078名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 01:39:54ID:S0jXtqB6
>>70
いや実際そんなもんだと思うよ。
双眼鏡がある時代なら、もう少し詳細がわかるだろうが戦国時代の物見なんて
おおよその兵力を遠くから眺めてその地域に軍勢を展開するか回避するかを決定するくらいだったと思うな。
もしも戦国時代の斥候が敵の兵力の詳細を調べているならば、長篠の合戦で武田軍は野戦築城していた織田軍に突撃なんかしていないだろうよ。
0079名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 02:32:13ID:rGAJUzJS
赤坂城の戦い

楠木正成×幕府軍  500人 対 20万人 wiki (太平記では300人対30万となっている)

篭城で一ヶ月間防いだが、最後は城から逃げ落ち千早城に篭城した。


千早城の戦い

楠木正成×幕府軍 1000人 対 100万人

篭城及びゲリラ戦を展開、日本中で反幕府軍が決起し楠木軍の粘り勝ち。鎌倉幕府は滅びた。


湊川の戦い 

楠木正成×足利尊氏 700人 対 50万人

6時間で楠木軍は全滅。



0080名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 02:56:11ID:rGAJUzJS
昆陽城の戦い

劉秀(後の光武帝)×王莽軍(新の皇帝) 
3000人 対 100万人(戦闘兵42万、輜重兵58万人)

まさに中国の桶狭間である。劉秀は精鋭3000騎を選りすぐり
敵軍の本拠地に突っ込み総大将が戦死、司令部が消滅した所で
逃げ惑う100人の兵を主力軍数万で殲滅した。
王莽は戦力のほとんどを失い、新は実質上滅亡した。
0081名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 04:47:50ID:UV7l+KYH
第一次月山富田攻めはどう?
籠城から後詰め無しからの逆転、だから珍しくないか?
0082名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 05:10:11ID:H9Wp37kR
>>78
なんでそう思うわけ?>遠くから眺めるだけの戦国斥候
そんなの聞いたことないんだけど。
大名たちが乱波とか草とか呼ばれる情報収集の組織をわざわざ
飼ってたのは遠くから眺めさせるためなのか?
それから長篠の引用はもうちょっと調べてからにして。ひどすぎ
兵力差はわかっていたことだし、今どき突撃信じてるひといないよ?
0083名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 05:47:42ID:8wW3qkpx
いわゆる物見ってのは>>77さんに近いイメージがあるけどな。
情報伝達手段がそれほど発達していない時代だからね。
場合によっては情報収集時間や伝達時間がかかり過ぎるような手段
は用いてられないだろ。
こちらからとある領土を攻めるような場合は入念な情報収集も可能だろうが
攻め込まれたような場合は敵の進軍速度によってはロクに情報もあるまい。
それこそ戦闘フェイズに入る前の歴ゲー状態(何もしなくても相手の情報丸見え
のようなヌルい作品除く)で、攻めてきたってこととおよその兵力ぐらいしか分からん。
実際は戦闘に入ってからの情報収集は厳しいだろうし。
(ゲームではだいたい戦闘になれば分かるが。。)
0084名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 06:56:13ID:EZU9O3++
島津は結構、捏造記述が多いよ。
伏見城の件とか・・・

こんな連中だから、兵数に関しても随分、意図的捏造をしてるフシがある。
0085にゃんこ2007/02/11(日) 08:44:46ID:TOkD5wwW
「2000人ならこれくらい」「1万人ならこれくらい」
という基準を前もって見せてもらって、それを覚え込まねば、目視による
概数の判断はできないよね。

仮に、現代、○○市の青年全員が、広場に集まったとするね。それを目視で
概数を計ることができないよね。

結局、戸籍(検地帳の類)が無いと、兵数の正確な把握は無理だな。
騎馬民族や、近代の傭兵なら、無理矢理、整列させてから、人数を数える
ことは可能だが。
0086名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 09:40:53ID:OWc/bQwB
自分の低脳を基準にするなよ
お前が馬鹿だからってみんなが馬鹿とは限らない
0087にゃんこ2007/02/11(日) 10:34:29ID:TOkD5wwW
84>

むしろ、近代以前は、捏造が普通じゃないかな。(近代も少なくないが)
正確な人数を把握した人が、そもそもいないのが、封建時代というもん
なんだろ。数える方法や機会に乏しいよな。

0088にゃんこ2007/02/11(日) 10:54:38ID:TOkD5wwW
戦国時代は、農民兵中心であって、小説の信長のような傭兵中心は史実としてはあり得ない。
この農民兵は、小隊や中隊に編成されることは無く、各小ボスごとに率いられて
おり、整列することも無いし、また、各小ボスも人数をなかなか正確に申告しない。
(領地の経済力や兵数を秘密にできるのが前近代の私有地のミソ。=不輸・不入の権に類似)
だから、小ボス(地侍クラス)も中ボス(国人クラス)も、それを集計する
大名も、それぞれが、それぞれの政治的目的を持って、数字を発表する。
多く見せて、多数派工作に成功している印象を与えたり、
勝った後は、逆に少数精鋭を宣伝することもある。
この時代の数字は、思惑だらけ数字だらけなので、
我々も、そのつもりで受け止めなければなるまい。
0089にゃんこ2007/02/11(日) 11:02:34ID:TOkD5wwW
ただ、戦国時代も、後になるほど、大名権力も増して、差出検地も、より厳しく
なってきて、数字の信憑性が上がるだろう。
「寡兵で大軍を敗った」伝説が、後になるほど少ないのは、そのせいではないかな。
0090名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 11:27:19ID:OWc/bQwB
現代のイベントのが水増しは酷いんだがな
0091名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 12:56:08ID:rGAJUzJS
>>77
宇梶ってタケシ軍団に入って
態度が生意気だという事で、そのまんま東にヤキをいれられ
散々殴られたんだよな。
彼は弟子生活が長すぎてTVの前ではいつもオドオドしてるよね。
0092名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 13:44:14ID:S0jXtqB6
>>82
ん?なんかずいぶんと感情的に感じるレスだけど何か気に障ったのか?
忍者なんて、それほど活躍できたのかねえ?
陰の存在だから、それこそ誇張されているイメージで現代人は語っているのではないだろうか?
戦場の情報収集は物見の兵の仕事で忍者は平時の戦略的な情報収集が仕事だったのじゃないかな?

長篠合戦が野戦築城している織田軍への突撃戦ではないなら、何だというの?
酷すぎと言うならば、きちんと説明して欲しいですね。
0093名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 13:52:07ID:5TJtOjI7
上杉定正の200騎が上杉顕定1000騎を破った実蒔原の戦いは?
0094名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 16:14:22ID:mmPLOlaS
>>92
あんまりイメージだけでくるから、ついイラッとした。すまん。
図書館の郷土資料コーナーで市町村史や教委の報告書読んでみれば
君のイメージも変わるよ。
忍者というと胡散臭いだろうが、従軍しているのがときおり資料から垣間見られる。
戦場ではいかに相手より正確な情報を早く多く集めるかが勝負の分かれ目になる。
危険かつ重要な任務でそれは今も昔も変わりはない。

長篠の戦いは、というか連吾川の戦闘は、織田別働隊が城を救援して
長篠城を落すのが不可能となった時点で武田は撤退するしか選択肢がなく、
織田はそれができないように柵から出て戦った。
何度も柵へ押し返したが離脱できず、やがて兵力差から疲労して壊走した。
何日も近くで対陣してるからどっちが多いか調べなくてもわかっている。
多勢が陣地へ篭るところへ突撃するなどは基地外沙汰というほかない。
バンザイ突撃は帝国陸軍オリジナル。いや極小規模なら戦国でもあるんだけど。
そういう場合は全滅同様の損害をだす。武田の損害はそこまで酷くはない。

軍記ものはすべからく、筆者のスケベ心からうまれた軽薄なお為ごかしが
ちりばめられている。君もスケベ心をすてれば、奇跡を追ったりはしなくなり、
そんな記事に惑わされなくなるよ。そしたらいまより歴史がおもしろくなる。

0095名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 18:32:28ID:S0jXtqB6
>>94
>忍者というと胡散臭いだろうが、従軍しているのがときおり資料から垣間見られる。
戦場ではいかに相手より正確な情報を早く多く集めるかが勝負の分かれ目になる。
危険かつ重要な任務でそれは今も昔も変わりはない。


それは分かるんだけどさあ、実際に戦場でそんなに使われていなかったと思うんだよ。
例えば、第4次川中島合戦。
これも講談、軍記物に由来しているんだけど、武田信玄が夜中にこっそり抜け出した上杉軍の動きを把握していなかったじゃない。
忍者なる者が戦場で情報収集に役目を担っていたなら、敵軍の情報を逐一収集して報告しているだろうからこんな事はあり得ないでしょ?
軍記物だから真実ではないと言っても、そのような軍記物があるということは実際の戦争もそれほど遠くないわけでしょう?

もしも忍者が戦場においてそれほど詳細に敵軍偵察しているとなると
川中島に限らずに数ある戦で敵の裏をかくような奇襲戦法はほとんど不可能になってしまうと思うんですよね

でも実際には敵の裏をかいた夜襲は数知れずにあるわけでしょう?

忍者や当時の情報収集力を過大評価しているんじゃないですかねえ?
0096名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 19:26:13ID:PBaLo8cS
啄木鳥戦法はフィクションの可能性が指摘されてるよ。
別働隊の機動を現地で再現をこころみたところ、無理らしい。
あれは霧の影響で遭遇戦になったと見ていいだろう。

奇襲となると、敵領内で大きく機動しないといけない。
戦時なら当然支城は警戒してるし道は封鎖されている。
突然の裏切りでもしないとまず不可能。光秀のようにね。
奇襲といわれてるのはほとんどが強襲だね。
夜襲も奇襲じゃなくて強襲。不寝番がいるから奇襲にならない。

とくに油断でもしてない限り、やれることは全部やってるよ。
自分の命と、一族の運命がかかってる。
0097名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 19:54:47ID:BtbsglRz
西の桶狭間、明禅寺合戦はどうでしょー
0098名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 20:55:42ID:S0jXtqB6
>>96
川中島合戦が濃霧の中の遭遇戦だとしても、
それはそれで戦場での忍者の情報収集能力に疑問符がつきますね。
0099名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 21:11:59ID:h1K5Vy22
信玄の川中島合戦の時の書状があるよ
遭遇戦説も決戦説も誤り
北に少しずつ移動しながら何日もかけて戦ったのが第四次川中島の真相
両軍ともに城主クラスの有力者の戦死が続出してるから激戦であったことは確かだが、通説みたいなとんでもない死傷率だったかは疑問
本当にそのレベルなら武田も上杉も領国が崩壊している
0100毒癌竜正宗2007/02/11(日) 22:53:38ID:WeRVERAy
政宗は7000の兵でソウマ、サタケ、アシナの連合30000を追い返しておりまする。
0101名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 23:10:09ID:kUKld2jZ
>>99
どういう書状か具体的な文言が見たいんだが。
史料名と転載されてる書籍名を教えてくれ。
0102名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/12(月) 00:33:56ID:c0RGsE4m
>>97
見事な各個撃破だが
三村軍が混乱ばっかりしてるのがきにかかる
0103名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/12(月) 00:54:12ID:iuU2+6YA
>>100
別に戦って追い返したわけじゃないだろ連合軍が勝手にいなくなっただけ

とあえて釣られてみる
0104名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/12(月) 02:07:11ID:hgXwk/3x
負けずに踏みとどまった事は評価出来るけどね。
崩れていれば終わりだった。
0105メガトン ◆xfEWihaR6w 2007/02/12(月) 02:45:37ID:BL9QF+5K
何か凄い複雑に考えてるんだねえ、島津っていうのは、鉄砲を特別
揃えてるって聞いたことあるが、300の寡兵でも全員持って戦っ
てたんならそりゃ脅威だろ、ただでさえ天下無双の島津兵が鉄砲だ
ろ?同じく天下無双の武田兵に馬みたいなもんだ

長篠の戦闘も、数千挺の鉄砲の数を侮った勝頼が騎馬軍団で粉砕で
きると考えたから突撃しただけだろ?重臣達はやめるように留まら
せたというし
0106人間七七四年2007/02/12(月) 10:09:19ID:kHU0hoJh
>同じく天下無双の
>同じく天下無双の
>同じく天下無双の
>同じく天下無双の
>同じく天下無双の

随分安売りだな
0107人間七七四年2007/02/12(月) 10:13:47ID:ECm8U1rM
>>40
ワロタけどさ
小規模な戦がほとんどだった頃の合戦て案外こんなもんだったのかもな
0108人間七七四年2007/02/12(月) 13:03:02ID:Rm0Ok2yw
>>105
>武田兵に馬
>騎馬軍団
素人さんいらっしゃい
0109人間七七四年2007/02/12(月) 14:54:41ID:LFEyH/3z
>>101
『戦国大名と信濃の合戦』笹本正治著
第三節・自筆書状が伝える信玄と川中島合戦
これを読めば知りたいこと全部わかるはず
0110人間七七四年2007/02/12(月) 14:55:42ID:zOG0Ll3+
>>106
ワロタ
0111メガトン ◆xfEWihaR6w 2007/02/13(火) 21:23:27ID:AtdpU7T+
まあ騎馬の機動力を軽視するアホ共には、陣形のなんたるかも理解
出来ないんだろうねえ
0112人間七七四年2007/02/13(火) 21:36:27ID:GxT4lH/X
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     プラプラ|
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 |ノ _, ,_ヽ ((|
`/ ●  ●| (=)
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彡、  |∪}=)ノ ∴
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|   ヽ \ |
|   ヽ__ノ
0113人間七七四年2007/02/14(水) 18:20:32ID:JsyDvPR7
激痛w
0114人間七七四年2007/02/14(水) 19:04:44ID:1JM66MhP
>>94
どうも当時の忍者の能力を過大評価しているっぽい。
当時の戦では直前まで敵の動きに気づかなかった例なんていっぱいあるだろ?
桶狭間合戦なんてどうなの?
どう考えても今川軍は織田軍の動きを察知してなかったよね?
0115人間七七四年2007/02/14(水) 19:16:44ID:3nFbPPHJ
まあ現代人の忍者のイメージなんて人間離れしたジャンプ力や忍術だしな
0116人間七七四年2007/02/15(木) 01:29:02ID:kQKwa2O3
最前線の砦から出撃して突っ込むまで織田勢は丸見え。
だから奇襲じゃなくて強襲。
砦までは織田支配域だから今川の偵察は困難。
しかも織田が一気に行軍してきたのならなおさらだ。
今川は織田の砦から近くの前線に本陣をおいて留まっていたのが命とりになった。
偵察とその情報にもとずく機動の重要性がわかるだろ。
行き当たりばったりの出たとこ勝負な合戦がいっぱいあるって?
聞こうか。
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