桶狭間の強襲は次の2種の可能性があると思う。

1,兵数の差が、織田方の政治的理由により、誇張されている。
  尾張半国でも今川方の半分くらいの経済力はある。また織田方は、西や南と
  東側の国境間が短く、兵力の分散の必要性も低い。
  だから、実際の桶狭間での兵数の差はそんなに大きく無い。

2,損害を無視した突撃は、自動小銃でも阻止し難い。まして、愛国心も訓練も
  無い当時の軍は、損害を無視した無茶な突撃には弱い。
  ただし、これはかなり君臣の絆が強く無いとできない。関ヶ原の島津は、
  「島津正規軍」ではなく、義弘党とでも言うべき集団だった。

 私は1が桶狭間の実像だと思うが。