歩 け よ 真 田 真 幸
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0001名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 18:43:52ID:t3U9lDJK大坂の陣は大坂方が勝っていた
根性が足りん
0065人間七七四年
2007/08/08(水) 22:12:09ID:pNoToVKu0066人間七七四年
2007/08/08(水) 22:41:05ID:ooYsA7aI0068人間七七四年
2007/08/09(木) 00:57:43ID:WPjdP1y70070過疎スレ大好き人間
2007/09/17(月) 14:52:19ID:vAtah8QM0071人間七七四年
2007/10/14(日) 14:14:56ID:CdlnM86e0073人間七七四年
2007/10/26(金) 15:21:12ID:nFp8xa080074人間七七四年
2007/10/26(金) 19:11:19ID:xC+9eCbF0075人間七七四年
2007/10/26(金) 22:54:07ID:KFXxt4GK0076人間七七四年
2007/10/27(土) 00:36:31ID:swxxxHFw0077人間七七四年
2007/10/28(日) 05:56:52ID:K69yqIsT0079人間七七四年
2008/01/09(水) 14:45:21ID:iyk/nwHt0080人間七七四年
2008/01/09(水) 18:03:57ID:rrNVkKCx0081人間七七四年
2008/01/10(木) 19:19:33ID:T1nEiSN1脳みそが筋肉の後藤基次は無謀にも敵陣に突っ込み討死。他の浪人たちも幸村の作戦を聞かずに倒れていく。
智勇兼備の幸村は、まず伊達政宗の騎馬鉄砲攻撃を伏せ交わし、槍突撃で撃退、松平忠直も一蹴。
ついに徳川本陣に突入し、逃げ惑う家康は切腹を試みるも間一髪旗本に止められた。ついに幸村は日本一兵へと化した。
0082人間七七四年
2008/03/06(木) 20:45:09ID:zfTYhX6h0083人間七七四年
2008/04/05(土) 11:12:41ID:uKRt+IIR0084人間七七四年
2008/04/06(日) 01:30:47ID:kXYJB1zt0085人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/07(土) 13:51:10ID:r8AO8nUo養子に出されてたのはスルー?
0086人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 02:40:42ID:eQml76EU0087人間七七四年
2008/07/17(木) 18:54:25ID:dgelkdH/260万石の圧倒的な経済力、兵力、婚姻などの政治力。
戦術はすごいけど、先が読めない人なのかな?
同じ関東なら、徳川家の存在はインパクトあるはずなのに。
0088人間七七四年
2008/07/17(木) 19:55:09ID:YOmV6sfa毛利や宇喜多が参加する西軍と東軍の戦があっさり終わるとは考えなかっただけだろ
というか、当時の状況じゃどっちが勝つかなんてワカラン。見かけ上の兵力なら西軍の方が上回ってるくらいだしな
だから別家を立てさせた息子を東軍に、自分を西軍において家名を保とうとしたんでしょ
0089人間七七四年
2008/07/17(木) 20:06:37ID:dgelkdH/毛利、宇喜田て合計してじゃん。烏合の衆だろ。結局トップの力量で決まるのに。
鍋島直茂、吉川、藤堂、黒田、細川とかは西日本にいても、家康の実力を評価してる。
西軍は大将の毛利は留守で、三成は嫌われ者で経験、実力不足。
戦略眼があれば家康だろ。
0090人間七七四年
2008/07/17(木) 20:24:11ID:M6iRupQMもし西軍が勝ったら、それよりずっと加増する可能性が高いし、どうせ西軍内で
内紛が起こるだろうから、その後の身の振り方次第で大大名に成長することだって
不可能ではない。
0091人間七七四年
2008/07/17(木) 20:44:14ID:YOmV6sfa合計して烏合の衆って、お前意味間違ってるだろ
烏合の衆というなら毛利家単独でいい。宇喜多、小西、毛利秀元あたりは十分意思疎通できてたように見えるがな
石田が嫌われ者だってのはある程度確かだが、実力不足ってのは不当評価だぞ
そこにあげた奴らは三成嫌いで有名じゃないか。吉川にしたって石田側の安国寺との政争だろ
で、徳川は背後に上杉と佐竹という敵を抱えていて
真田の領地は関東上野と信濃の一部分、戦略的には西軍についた方が重要視される地域だろ
戦乱が長引けば長引くほど重要性が増す位置だ。これ以上ないほど美味しい条件じゃないか
時流を見る目は無いかも知れんが戦略的には有効な選択だと思うがな
先にも言ったように家名存続の手は打ってあるわけだし。九鬼と共に相当賢い手だぞ
0092人間七七四年
2008/07/18(金) 14:23:17ID:7n/MYZbi旧織田軍団内の派閥争いは、秀吉の死ぬ前から始まってるんだよ。第一派閥は家康派、二番目は利家派(昔からの人脈、血縁、五大老の一人で秀頼の後見人)。
利家に五奉行が加わり、家康には武断派が加わり互角の勝負だった。このままでは、家康は大きな動きは出来なかったけど秀長、蒲生氏郷に続き利家まで亡くなって
前田家は人質まで出すようになって、家康の暴走を止める勢力、リーダーはいなくなった。
豊臣政権は旧織田軍団中心に組み立てられてるのに、外様の毛利を引っ張りだして烏合の衆なら毛利単独でいいてアフォか?
ボンボンの輝元に、他国の大名を引き付ける政治工作もしてないし、リーダーシップもない。
飾りだけの総大将で実際は留守番役で、吉川、小早川の裏切りで一族すらまとめてない。
三成が実力不足なのは、20万石程度では単独でも連合組んでもとても勝てる見込みはない。島津なんて命令聞かないし最後に脱走する。
秀吉が三成に100万石与えると言って断ったのがまずかった。100万石の兵に島左近が訓練施せば、本当の実力を備えることが出来た。
山内一豊の妻でさえ、次の天下は家康と判断して関が原前に夫婦揃って、演出をしてる。本来、東海大名は家康の監視役なのに。
真田の戦術は認めるけど、関が原が長引けば徳川260万石の隣に小さな真田家がいつまでも独立を維持できるか限界がある。
リーダー不在の西軍に信濃を与えるとか空手形貰っても意味がないだろ。
0093人間七七四年
2008/07/18(金) 16:00:21ID:qo0Q7dtJ0094人間七七四年
2008/07/18(金) 16:28:42ID:IVj9yNaS0095人間七七四年
2008/07/18(金) 16:32:35ID:w1YobhRo関ヶ原が長引いた場合は
東北は最上・伊達が上杉に圧倒されることは確実で上杉の天下。
越後の堀は一揆鎮圧と上杉へのけん制で動けず。
関東に残っている結城秀康は佐竹、上杉へのけん制で動けず。
甲信の東軍諸将はみんな関ヶ原に出張っている状態で国許は
動けない。
東軍諸将が関ヶ原から関東に引き返してこない限り、真田は安泰。
0096人間七七四年
2008/07/18(金) 17:29:35ID:cMVXHtC50097人間七七四年
2008/07/18(金) 18:47:26ID:7n/MYZbi昌幸の晩年は悲惨な生活送ってる。長男を東軍に付けたけど、自分はやりすぎた。
0098人間七七四年
2008/07/18(金) 19:10:44ID:M1/b6Bi4最後は大阪入りしちゃった弟を信之はどう思ったんだろうか。
0099人間七七四年
2008/07/18(金) 19:50:27ID:x+rthdZdだから、烏合の衆って言ってる西軍でまともに統率取れてないのは毛利家だけだろ
毛利内部は吉川やら秀秋やらの寝返り組と秀包や秀元の主戦派にわかれてる
こいつらを指して烏合の衆と呼ぶんだろ。西軍十把一絡げにする必要あるのか
旧織田軍中心ってお前、上杉も毛利も(小早川隆景も)織田家じゃ無かろう
宇喜多だって織田家というよりは豊臣子飼いの方がよほど近い
純粋に元織田軍の大名は前田と蒲生に掘それに佐々くらいで徳川だって織田軍じゃない
大大名には豊臣子飼いや親秀吉の大名が多かろ。全く関係ないのは島津と伊達くらいだ
島津維新入道に決戦当日言うことを聞かせられなかった点をもって実力不足というならわかるが、
石高で実力不足ってのは変じゃね?関ヶ原では宇喜多が総大将だったんだろ
山内をはじめとした東海地方の大名が家康につくのは仕方ないだろ
西軍についたら大群で攻め寄せられてどうにもならないのは目に見えてる
そんな中で西軍につくからこそ、真田や田丸には価値があるんだろ
上杉は越後に返り咲こうと一揆扇動して暴れてるし、ちょうど真田と対になる位置に佐竹もいる
戦乱が長引けば東軍は戦線を後退させるかなんとかして決戦を挑むか、あるいは戦力を抽出して後方の真田佐竹上杉を潰さないといけない
対峙中の戦力から兵力抽出なんてしたらどうなるかはわかるだろ
昌幸自身の晩年は不遇かも知れんが、家の存続が第一な時代だ。沼田真田家が無事ならどーでもよかろう
0100人間七七四年
2008/07/18(金) 19:57:49ID:x+rthdZd毛利のも真田も、家単位で考えるのと武将個人で考えるので全然違ってくるのな
0101人間七七四年
2008/07/18(金) 20:11:19ID:7n/MYZbi>だから、烏合の衆って言ってる西軍でまともに統率取れてないのは毛利家だけだろ
島津、長曾我部、鍋島も元々東軍につくはずが、いつの間にか西軍になってるだけ。
上杉も石田と東西で挟み撃ちするみたいな感じだったのが、家康が西に向かっても追わずに中央と関係ない最上と戦ってる。
やる気満々なのは、宇喜田、石田、立花、大谷、真田と少ない。
>関ヶ原では宇喜多が総大将だったんだろ
結局誰が大将かはっきりしてない。これで長期戦が出来るか。すぐにバラバラになるだろ。
東軍なんか、東海の武将達は領土と兵糧を徳川に差し出して、外様でも求心力はある。
旧織田軍団て言うのは、信長が作り出した組織、集団てこと。徳川は織田家ではないけど東海方面軍として初期段階から機能してる。
>石高で実力不足ってのは変じゃね
10万人の軍勢を指導するには力不足。実際三成は秀吉の補佐官、行政官で軍勢を率いる経験、実績はいまいち。
それを補うために島左近など武将の登用に金を使ってる。
0102人間七七四年
2008/07/18(金) 20:53:34ID:x+rthdZdいや三成は賤ヶ岳でも手柄上げてるし朝鮮の役では手腕発揮してるから
家康の人使いが巧い点や芝居の巧さは認めるし否定もしないが石田を過小に評価しすぎだって
島・蒲生・舞らの奮戦も事実だけどさ
挟撃説って怪しいんじゃなかったか?
どう考えても上杉だけで最上伊達を相手にしつつ家康を追うようなマネが出来るわけ無いだろう
まして抑えに越前宰相残してあるのに、そう簡単に南下追撃出来ないだろ
長曽我部盛親は西軍に属してからは腹を括ったのか主力部隊になってるし、
島津は東軍に追い返されたのを根に持って関ヶ原前日まで主戦派
そもそもが家康が上杉に喧嘩をふっかけてそれを豊臣家に対する謀反とでっち上げた事から始まってるわけで、
足止めされたからといってあっさり西軍に参加して積極的に戦ってる以上、戦意は十分だろ
大体かなりの数の大名が西軍に参加してる事実から見ても、西軍に勝ちの目が無いはずはないだろ
あとやる気満々な小西と戸田を忘れないであげて欲しい
0103人間七七四年
2008/07/18(金) 22:18:57ID:w1YobhRo> 島津、長曾我部、鍋島も元々東軍につくはずが、いつの間にか西軍になってるだけ。
これは大谷刑部の政治力によって、わけのわからないうちに
西軍に組み込まれたと考えるべき。
というわけで、もともと家康が絶対有利だったのを、なんだかんだいって
対抗できるぐらいに仕立て上げた手腕は大したもの。
ただ、長期戦になると、せっかく上田で足止めしていた秀忠軍が
合流しちゃうから、昌幸の功績は薄くなっちゃうけどね。
0104人間七七四年
2008/07/19(土) 10:53:28ID:/yJohISS大谷は負けると分かってて義理で付き合った。
直江兼続は、上杉家の家風から卑屈になれなかった。
黒田如水はさすがに、織田、羽柴、徳川とうまく流れを読んでる。
小早川隆景は、生きてたら家訓から無茶な挙兵をして輝元みたいなアホなことはさせてないはず。
藤堂高虎は、何度も主君を代えてるので次代の権力者が誰なのか見極める能力がある。
昌幸は武田二代に仕えて、信玄時代に発展して勝頼がぶち壊したというトップの力量で家が栄えるか滅びるかを体験したはずなのに
どちらが勝つか分からないから、東西両建てではこの程度かと思ってしまう。
しかも家康ほどの実力者相手に、2度も面子を潰す事をやってるので、政略的にどうかと思う。
昌幸と伊達政宗の2人は、実力を認めながらも身の程知らずな印象がある。
0105人間七七四年
2008/07/19(土) 11:21:02ID:hGGeRfOD部将討ち取ったり別働隊追い返したりしてるから真田以上かも。
一概に比較はできんが。
0106人間七七四年
2008/08/11(月) 23:35:14ID:sDZLiaUs伊達は一時的に東軍裏切って上杉についてたんじゃないか
直江が「政宗は信用できるのだろうか。本人も同陣させるか家臣を人質にとって
備えておいたほうがいいでしょう(意訳)」って手紙に書き残してるし
0107人間七七四年
2008/08/12(火) 01:41:30ID:4UjUttBO伊達政宗の得意技だからねぇ。でも、稚拙なので後で全部見破られて
お目玉食らって苦しい言い訳しまくるんだけど。
0108人間七七四年
2008/12/17(水) 12:43:39ID:I/2k8V4y0109人間七七四年
2008/12/17(水) 20:24:55ID:VtIIxkVX百歩譲って昌幸だとしても大坂の陣の前に死んでるし。
0111人間七七四年
2008/12/17(水) 21:00:34ID:VtIIxkVXなるほど。その今川家臣の真田も九度山に蟄居させられたんですね。
0112人間七七四年
2008/12/17(水) 22:43:38ID:ta9ZZj4Sそうです
今川家再興のために氏真公を大将に関ヶ原へ東軍方として参戦を画策したのですが、
中東遠で今川旧臣や縁故ある百姓を募っていたところを山内一豊に捕らえられ、
讒言を信じた家康により幽閉されたのです。
本当は佐田真幸といったのですが、幽閉中に意気投合した真田昌幸から「さなだもさだも似たようなもの」と真田の名字を貰ったそうです。
0113人間七七四年
2008/12/17(水) 23:02:48ID:Hx1J0lq/0114人間七七四年
2008/12/18(木) 17:21:13ID:u2ftjrtc0115人間七七四年
2008/12/19(金) 05:01:37ID:ci9mUMuM■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています