江戸時代の藩士の2/3〜半分は現地採用だが
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 11:55:52ID:oEu3jdVChttp://www1.odn.ne.jp/~cag38460/public_html/33kamejoretu1.html
↑
形原松平家(丹波亀山藩)の家老の子孫のサイトだが、ここに
「徳川政権初期に於いて藩の処替えが頻繁に有った。藩士も其れに
従った。
しかし、其の都度藩士全員が共に移動するわけではないようだ。
約半分から三分の二は残り、新しい藩主に仕えるのだそうだ。」
・・・・とある
実際に亀山藩士の名簿を見ると亀山(亀岡)固有の苗字やその他丹波
固有の苗字や、戦国時代に丹波の国人・土豪だった者と同じ苗字が
見受けられる 亀山や周辺の国人・土豪・地侍の子孫が結構採用されて
いると思われる
しかし、藩の石高の多寡によって採用人数は増減するだろうし、
藩が全くなかった地域に転封になったら前藩士から登用する
ことはできない
このあたりの藩士のリクルート事情はどうなっていたのでしょうか?
ちなみに俺の地元・丹波氷上市島では帰農していた土豪・地侍クラスの
元武士が江戸時代に湯長谷藩(陸奥)の飛び地の代官として新規に藩士の
登用をされていた つまり、百姓からの登用もありうるということだが、
これは一般的な事例なんだろうか? もし、そうであれば武士>百姓と
いう見方は完全に捨て去るべきだと思うが・・・
http://www.ne.jp/asahi/tanba/kirinosato/TANBAyokominesan-docu.htm
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています