なぜ秀吉は失敗しヌルハチは成功したのか
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2006/12/10(日) 02:47:13ID:ErgFT5T1満州族は人口も少なく、武器も劣っていたのに、どうして比較的短期間で中国を征服できたの?。
0066人間七七四年
2007/03/19(月) 23:27:30ID:yFqa6GpW動機だと思う。
戦国期の日本はなんだかんだ言っても生産力が爆発的に伸びた時代。
そんな時代に貧しくて小汚い大陸に行って何を得る気かと。
実際問題として、秀吉没後、武将はあっさりと引き上げて、日本は世界的にも
見事なほどに安定&繁栄している。家康は大陸に全く興味がなかった。
秀吉ですら、出兵の本当の狙いは肥大化した武将の武力を削ぐためだったのではないかと
いう説まである。
満州族はかつてのモンゴルと一緒で、貧しく不安定だからこそ攻め入るわけで。
何十年もかけて中原に攻めるだけの動機がそこにある。
純粋な武力衝突のみでいえば、明軍は日本軍に比べれば弱すぎて話しにならない。
陥落した倭城はひとつもないし、明軍は最終的には戦意を失い秀吉没後の日本と講和(?)に応じて終結した。
もし日本が大陸と関わって利益を得るのであれば、あんな土地を得ても仕方がない。
南蛮人と同じように海洋ルート上の港を支配してゆき、貿易で利益を得るほうが現実的だったはず。
ただその場合、キリスト狂勢力といつか激突するはめになっただろうが。
0067人間七七四年
2007/03/20(火) 15:33:25ID:eV1GzsXH少なくとも江南地域に関しては、農業生産力がある上に商業も発達して、
当時の世界で最も富裕な地域の一つ。
明朝の財政は9割方この地域からの税収で賄われていたと言われるぐらいだし。
明朝を創建した朱元璋も、江南一帯の支配権を手にしたことで、ほぼ天下の権を手中にしている。
もしこの地域を直接支配することができれば、莫大な収益が望める。
地域にもよるけど、大陸に領土を得ること自体は決して損なことではない。
ただ、現実問題として、日本から遠く離れた場所の統治は難しく、
維持が困難なことを、秀吉や家康も見抜いていたのかも知れない。
0068人間七七四年
2007/03/20(火) 18:30:57ID:IEfE/rqH>肥大化した武将の武力を削ぐためだったのではないかと
それはあるかもな。
ちなみに武将の武力じゃなく、諸大名の武力だろうけど。
世の統治者は反乱を起こされないように芽を摘む。
もっとも名高いのは徳川の参勤交替。
秀吉も諸大名の力を押さえようと腐心してたし。
そこから黒田の野心の逸話まで生まれたわけだ。
大陸進攻に豊富の財より、諸大名に出費を強いたのが、より信憑性をもたせる。
0069人間七七四年
2007/03/20(火) 19:48:07ID:D2s3gLx50070人間七七四年
2007/03/20(火) 20:13:58ID:EimUgj6H一族扱いの宇喜多が関ケ原では疲弊してたってのもマヌケすぎるし
0071人間七七四年
2007/03/20(火) 20:43:40ID:IEfE/rqHもし内乱の火種にでもなれば、恥となるように。
推測だが、諸大名への押さえ役でも任せたかったのかも。
そのためにも、そして三河武士に不満を抱かせないためにも多少のわがままは
許した、とも考えられる。
宇喜田は・・まあ豊臣性じゃないし。
権力を持つ一門が多すぎると国が割れる。
徳川が松平という家名を格下にしたのも、同じ理由。
0072人間七七四年
2007/03/20(火) 21:56:10ID:eV1GzsXH徳川よりも、毛利や島津への警戒心が強かったんじゃないかな。
0073人間七七四年
2007/04/01(日) 00:17:04ID:tRTmfZDPむしろ徳川の力を相対的に削ぐことになっていたはず。
0074人間七七四年
2007/05/06(日) 01:14:44ID:ASY6ZRTh0075人間七七四年
2007/05/07(月) 23:08:29ID:Ux7TYTID李自成の乱で滅亡するまでは、結局山海関を越えることができなかった。
それに、李自成軍を駆逐してくれたのも、基本的に明軍の残党たち。
李自成滅亡後、そういった連中の三藩は、南部で独立した国のようになってしまった。
0076人間七七四年
2007/05/17(木) 17:30:27ID:35jHJlJLヌルハチも失敗した事になるわな。
0077人間七七四年
2007/05/27(日) 22:33:01ID:0O9SJVPb0078人間七七四年
2007/05/28(月) 00:18:09ID:irjr8wgl0079人間七七四年
2007/05/28(月) 06:26:00ID:zu0WT+5d0081人間七七四年
2007/05/28(月) 13:08:39ID:GkiZEtj10082人間七七四年
2007/05/28(月) 13:56:30ID:RD2x+RMj0083人間七七四年
2007/05/28(月) 21:17:17ID:4zQ+Xdyphttp://wiki.fdiary.net/worldhistory/?%A4%CA%A4%BC%BD%A8%B5%C8%A4%CF%BC%BA%C7%D4%A4%B7%A5%CC%A5%EB%A5%CF%A5%C1%A4%CF%C0%AE%B8%F9%A4%B7%A4%BF%A4%CE%A1%A9
0084人間七七四年
2007/05/29(火) 22:05:41ID:6D5kY3V6シラクサとチュニスの距離
0085人間七七四年
2007/05/31(木) 18:47:26ID:zJutTPjE実現してれば面白かったのにな
0086人間七七四年
2007/06/02(土) 00:46:07ID:04n6hMIX0087人間七七四年
2007/06/05(火) 23:22:55ID:O5+kg/Xdロシアは火器が主力になってからシビル汗国とか遊牧民族を圧倒してるけど。
0088人間七七四年
2007/08/05(日) 21:04:58ID:aTVRh6O90089人間七七四年
2007/08/05(日) 21:51:17ID:tuK8dSbr0090人間七七四年
2007/08/07(火) 20:40:31ID:j3y6C7iW竜骨を持った戦闘艦艇。
0091人間七七四年
2007/08/07(火) 20:50:54ID:0OsSx7ga0092人間七七四年
2007/08/10(金) 21:08:27ID:fCozck8b家康がいたから無理
0093人間七七四年
2007/08/10(金) 21:15:53ID:yNzOHCmV半島に渡ると、異様に細かく拠点製作。
ヌルハチは元からあった都市のみを狙って「点攻略」。
これはジンギスカンも同様。
「農民出身」ゆえ、土地の面の確保にこだわった秀吉。
「遊牧民」ゆえ、都市という点を攻略することを重視したヌルハチ。
0094人間七七四年
2007/08/10(金) 21:20:55ID:godI1Edw朝鮮は中継地のみ占領して、北京に攻め込めばよかったのだ
0095人間七七四年
2007/08/20(月) 09:24:42ID:rlOu2z1s0096人間七七四年
2007/08/20(月) 10:10:56ID:KYNmG0Ax信長と同じだと思うが
0097人間七七四年
2007/08/20(月) 14:21:27ID:7VxMBtZ8秀吉が死ぬ直前も日本を統一して朝鮮の南部を占領
よく似たものだろ。
0098人間七七四年
2007/08/20(月) 14:22:52ID:7VxMBtZ80099人間七七四年
2007/08/20(月) 18:33:03ID:jWmsnRyS0100人間七七四年
2007/08/20(月) 23:48:17ID:4JyvmjUA豊臣政権の場合は秀吉が死んでまで明を征服しようなどと考える奴はいないし
逆に酷使された恨みで内部分裂が発生したからな
0101人間七七四年
2007/08/21(火) 01:17:50ID:9ojPQuM5家康のような人間がいたこと。
0102人間七七四年
2007/08/22(水) 06:45:49ID:bWn0v+Anhttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1186291753/
0103人間七七四年
2007/08/22(水) 08:54:10ID:qGnAPyODヌルハチが明を攻めて明の財政状況をガタガタにし
李自成が明を滅ぼした頃に秀吉が朝鮮征伐に行けば
朝鮮は安々と手に入ったし、北京までの侵攻も楽々だった。
0104人間七七四年
2007/08/22(水) 09:37:55ID:IRe6M3dF日本人にはメリットも世代を越えた強烈な動機もない。大陸侵攻は戦国の余技にすぎない。
0105人間七七四年
2007/08/23(木) 19:56:34ID:FcOc91Qn同意。
満州族は金の頃に中国北部を制圧したことがあるし、
明の時代には逆に実質的に分割統治をされていたように、中国との係わり合いが極めて深い。
そのため中国を征服するという目標は、広範な層に世代も超えて支持されやすい。
だからこそ3代に渡って、特に順治帝は幼少だったのに征服事業を継続することが出来た。
日本も、もちろん交易や倭寇の活動等で中国と係わりはあったが、満州族に比べれば浅いものなので、
多くの人にとって中国征服は現実的なものとはなりにくい。
だから世代を重ねるうちに手を引くことになる可能性が高いと思う。
よって仮にヌルハチが先に明を攻撃し、その後日本が手を出したとしても、
いずれ年代を重ねるうちに日本は手を引き、結局満州族が征服を完成するという方が、
よりありえそうな展開だと思う。
0106人間七七四年
2007/08/30(木) 11:24:47ID:rX+Xcztzあんな不毛の地では現地調達が出来ず、飢えて身動きが取れない。
ま、これは明側も同じだが。
結果、双方身動きが取れず、膠着状態に陥ると。
明征服には沖縄〜台湾ルートの方が、まだ良かった気がする。
そして、明の生命線である江南を攻略。
ここを占領すれば、明の経済に大打撃を与えられたろう。
0107人間七七四年
2007/08/30(木) 12:22:53ID:SxCgDN32日中戦争ですら苦労してたのに、遠洋航海技術の無い当時の日本に
0109人間七七四年
2007/08/30(木) 17:16:47ID:c2/kukjL難破船、沈没船続出で大陸に着く頃には半数以下になってるよ。
0110人間七七四年
2007/08/30(木) 23:55:43ID:rX+Xcztz短期での攻略は想定していない。
まず最初に、琉球と台湾を攻略。
これは薩摩藩が実証したように、極めて容易だろう。
そして、そこを根拠地にして明侵攻のための準備をする。
可能ならば、ベトナムの黎朝と同盟。
0111人間七七四年
2007/08/31(金) 00:39:09ID:FSipNHR5台湾まで行くのも大変だw
当時の日本は陸を目視出来る範囲で船浮かべてたんだからな。
朝鮮半島ルートが当時で一番堅実で常識のルートだったんだよ。
0112人間七七四年
2007/08/31(金) 08:44:26ID:etZyx8MM0113人間七七四年
2007/08/31(金) 13:14:08ID:9tHmDuOp成功してないだろ?
マゼランが世界一周したからって当時の欧州海軍が世界のどこへでも遠征
出来た証明にはならない。航海できた証明にはなるかもしれんけど。
小規模船団がたどり着くのと数万の大群が遠征するのとでは話が根本的に
違ってくるのが理解できないのかな。
0114人間七七四年
2007/08/31(金) 19:00:49ID:3fOnMyCZ島津が琉球を落せたのは、そこ送れるだけの少数の兵力で可能だったから。
仮に琉球台湾を少数の兵で落しても、そこに大陸へ侵攻する為に必要な、
10数万になるだろう兵力を駐留させることの方が、当時の航海技術から難しい。
また、琉球・台湾の当時の生産力ではそれだけの兵力を養えないだろうから、
わざわざ兵糧等も送らなければならない。
そんな無駄なことするなら、むしろ最初から一か八か本土に一気に攻め込んだ方がまし。
もちろん、それが極めて危険な賭けになったのは間違いないと思うけどね。
0115人間七七四年
2007/10/09(火) 22:24:30ID:TtmNCgL/0116人間七七四年
2007/10/10(水) 15:02:12ID:oGz26LwK■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています