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歴代足利将軍を語る

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0001名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/10(日) 00:08:21ID:JdQpkMkB
室町幕府10代将軍義材(のち義稙)から15代将軍義昭までの
戦国期の足利幕府歴代将軍を語ってください。

【一覧】
代      苗字・名   生没年      在職期間      父          母            正室     享年
10代    足利義材  1466〜1523   1490〜1493   足利義視     日野重政娘                   57
11代    足利義澄  1480〜1511   1494〜1508    足利政知     藤原隆光娘       日野永俊娘     31
10代(再) 足利義稙  義材から改名  1508〜1521    足利義視     日野重政娘                   57         
12代    足利義晴  1511〜1550   1521〜1546    足利義澄     日野永俊娘       近衛尚通娘     25
13代    足利義輝  1536〜1565   1546〜1565    足利義晴     近衛尚通娘       近衛稙家娘     29
14代    足利義栄  1538〜1568   1568       足利義維     大内義隆娘                   30
15代    足利義昭  1537〜1597   1568〜1573   足利義晴     近衛尚通娘                  60
0080人間七七四年2007/12/12(水) 18:30:12ID:cIXvm35B
中世にはロマンを感じる
0081人間七七四年2007/12/12(水) 21:50:53ID:cr9C7Id4
京都の先進文化に鎌倉以来の武家文化が大融合して、日本人と言うものがほぼ完成したのが室町だな。
0082人間七七四年2007/12/12(水) 22:54:39ID:Gp52b7yg
>>76
天皇に最も近づいたのも、凋落ぶりが歴代幕府中もっとも酷かったのも足利幕府
0083人間七七四年2007/12/12(水) 23:31:13ID:cr9C7Id4
室町幕府は適当な政権で、法律も鎌倉幕府の御成敗式目をそのまま使っていた。
なのでモノによっては法律と現実の食い違いがひどく大きくて、法曹関係者はほとんど恣意的に解釈して運用せざるをえなかったそうな。
戦国大名が発生し、分国法を作ってようやく法律と社会の実態との差が埋まった。
0084人間七七四年2007/12/13(木) 00:42:42ID:He0G/1cm
義政時代の義政に仕える上級の女房は、武家からも、公家からも、寺社や幕府の官僚からも
満遍なく出されていた。室町幕府の将軍家が、公武寺社官僚の全ての上に立つ位置を獲得して
いた証拠が、この女房の出自の中にあると考える。
0085人間七七四年2007/12/13(木) 21:46:46ID:4zugpInd
ユルい法律こそが室町幕府を作ったともいえると思うが
だって南朝やら直冬やら懐良やら、敵対勢力がいるんだから
常に柔軟性のある政治で大名を懐柔してかないと
0086人間七七四年2007/12/18(火) 22:30:17ID:9mwTlmqS
>>63
新田の庶家の山名は入ってるよ
頼朝からすれば佐竹や新田本家は恐い存在だから入れるわけないよ
0087人間七七四年2007/12/27(木) 20:07:30ID:5RnFvoZt
財団法人室町文庫理事長足利義寧
0088人間七七四年2008/01/16(水) 16:39:58ID:tPJvcOJW
名門だから得宗と密着できたのか 得宗と密着したから名門なのか?
0089人間七七四年2008/02/05(火) 16:10:44ID:e1pDVLib
義兼は早い段階から頼朝に従っているし、熱田大宮司からみで親族だったし
0090人間七七四年2008/02/25(月) 16:06:00ID:pyPTTLo/
初代義康は早死にだったんだ 義兼の時に新田義重と差がついた。
0091人間七七四年2008/03/11(火) 15:03:02ID:iOUfsjAw
泰氏が謀反を企んだ説の真偽はどうなんだろうか?
0092人間七七四年2008/03/29(土) 15:13:52ID:RLZJEJS+
頼氏も謀反企んだん?
0093人間七七四年2008/04/15(火) 17:21:19ID:UsxABxeb
頼氏の謀反はないな 泰氏は急に入道したから憶測を呼んだ。
0094人間七七四年2008/05/06(火) 16:17:56ID:cbm9n9OT
北条家は足利を厚遇してるね。
(後北条と古河公方の話じゃないよ)
0095人間七七四年2008/05/18(日) 14:03:47ID:eFItZhzT
この一門はちょっと暇があるとすぐ内輪で揉め出す習性がある
幕府創設以来ずっとそう
結局それで天下を失ったようなものだ
0096人間七七四年2008/05/19(月) 15:09:27ID:uTIO6RaA
直義や直冬はもちろんだけど、鎌倉府を造ったのが間違い、となるような対立の歴史だね
しかも管領や関東管領、守護たちも揃って仲が悪いと来た
0097人間七七四年2008/05/30(金) 09:22:30ID:1txycJ/1
>>51
松永久秀や三好三人衆が推した足利氏
の将軍って日野の馬鹿まんこ系統しかいないんだよな
日野家と松永三好は将軍職を独占したいがため
日野氏と婚姻関係を結んだ足利家の男児のみ
将軍にさせたかったってのが本音だろう
日野家は足利の癌だよ
0098人間七七四年2008/05/30(金) 09:26:11ID:1txycJ/1
>>51
なんとかして日野家は足利家の権力を掌握したかったんだろう
そのために義輝を松永や三好に暗殺させたりしたんじゃないか
0099人間七七四年2008/06/15(日) 06:46:08ID:FwiV5XiI
>>98
日野も義輝の頃は、食うのに精一杯の時期だと思うけどね
0100人間七七四年2008/06/17(火) 15:05:39ID:n+2pPeWW
日野家の影響力は明応政変の前後までじゃないかな
0101人間七七四年2008/06/18(水) 21:11:46ID:vPBNNe9/
日野家の権力は足利将軍家と表裏一体だわな。

そういえば日野家に限らず足利幕府の機構には、公家がかなり入り込んでるね。
0102人間七七四年2008/06/18(水) 21:22:02ID:vPBNNe9/
関係ないが関ヶ原の戦いは、室町時代中期までずーっと続いてた足利将軍家と関東公方家の戦いの、
最終決着みたいな趣を感じないこともない。
0103人間七七四年2008/06/18(水) 21:44:48ID:jYk3tIns
なぜ?
三成=京都将軍、家康=関東公方 ?
0104人間七七四年2008/06/18(水) 22:01:32ID:vPBNNe9/
>>103
まあそんな感じ。近畿〜西国勢力と東国勢力との最終決戦。
0105人間七七四年2008/06/18(水) 22:47:12ID:IQy2odCs
まあ東の名家、大内(京志向)の旧領を継いだ毛利を総大将として
関東管領(親幕府)の流れを汲む上杉をも敵にまわした
北条(反管領、反上杉)の旧領を得、武田(反上杉)の旧臣を召抱えた徳川と
考えればそう思えなくもないけどさすがに無理があるような。
世代を重ねすぎているからねえ、そう単純でもない。

まあ東西勢力が拮抗した場合、関ヶ原しか主戦場はないからなあ。
武力による最終決着をつける場所としては適当だけど
どちらかといえば単なる東国組対中央組の対決と見ても良いのでは?
0106人間七七四年2008/06/19(木) 12:21:58ID:bU5FsYH4
中央政権と地方新勢力の戦いという意味では似てなくもないが、
まぁ歴史上ではよくある構図ではある。
0107人間七七四年2008/07/05(土) 15:50:48ID:KZqnvjoK
幕府と対抗した鎌倉府は結城合戦であぼんだからなあ。
成氏以降は地方勢力。
0108人間七七四年2008/07/25(金) 15:12:33ID:nDMs4IFK
京都だって似たようなもんだよ 少し時代は下ってからだけど。
0109人間七七四年2008/08/14(木) 14:57:44ID:DX+XhH8p
鎌倉府を置いたのが失敗だな
0110人間七七四年2008/08/15(金) 21:38:43ID:KVBHsnmJ
>>109
しかし、特に室町初期は、鎌倉府おかなきゃ関東の混乱を収集出来なかった訳で。
まあ、仮に尊氏の血筋でなく、家来筋を鎮台のような立場で置いたとしても、東国の
独立志向は変わらなかったんじゃないかね?
最終的に関東が落ち着くのは、徳川幕府の成立からと言っていいんじゃないかね?
0111人間七七四年2008/09/05(金) 15:08:26ID:fybb8Her
少し言い古されてるかもしれないがやはり鎌倉(関東)に幕府を置くべきだったのかな
0112人間七七四年2008/09/05(金) 15:47:29ID:pkMeJIpz
>>111
でも尊氏の時点では、戦乱の中心は東海以西だったわけで。
ともかく朝廷を監視しないと戦乱の収拾のつけようが無かった以上、京に幕府を置くのは
しょうがない事だったと思うよ。
0113人間七七四年2008/09/24(水) 15:08:18ID:mdmLsuUA
京にいざるを得なかったんだろうな。
0114人間七七四年2008/09/24(水) 16:10:10ID:WMcx9BM6
あの時代は貨幣経済の発展で、京を中心とした畿内地域が、経済力において
他の地域を圧倒しすぎたため、鎌倉幕府のような形ではもはや制御できなくなっていた、って話もあるな。
0115人間七七四年2008/10/04(土) 11:58:42ID:eYxAMvon
ttp://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081004-OYT1T00350.htm
足利将軍の2木像、左手首部分が盗まれる…京都・等持院

室町幕府の足利将軍家の菩提(ぼだい)寺、臨済宗等持(とうじ)院(京都市北区)内の霊光殿に安置されている
足利尊氏(初代将軍)、義晴(12代)の両木像から左手首部分が盗まれていたことがわかった。
京都府警北署は、窃盗事件として捜査している。

同署などによると、手首部分は取り外しが可能だという。
いずれも江戸時代初期の作だが、文化財指定は受けていなかった。
霊光殿には、一部を除く歴代の足利将軍像と徳川家康像の計14体の木像が安置され、
午前8時〜午後5時に拝観できるが、柵やケースはなく、監視員や防犯カメラなども設置していなかった。

等持院は1341年に尊氏が創建。
川勝承哲副住職は「悪質ないたずらだろうが、許されることではない」と話している。

(2008年10月4日11時42分 読売新聞)
0116人間七七四年2008/10/04(土) 12:00:15ID:KMMByJPC
尊王派か?
0117人間七七四年2008/10/04(土) 16:08:28ID:ZZd0ko/A
断罪状とともに晒されるんだろうか・・・
おもえばあれから幕末は結構動きだしたもの・・・
また維新がくるのか?
それもいいかもしれんね
0118人間七七四年2008/10/06(月) 18:49:28ID:+v8DrV/j
義晴が朝廷に対して何かやったという記憶がないのだが
0119人間七七四年2008/10/07(火) 14:24:46ID:rakfahQi
超初心者なんですが、
歴代足利将軍についてのお勧めの本を教えてください
0120人間七七四年2008/10/07(火) 16:32:05ID:caQyWuTM
>>119
http://www.shogakukan.co.jp/nrekishi/
これの7〜8巻あたりを読めばいいかと。
0121人間七七四年2008/10/24(金) 15:04:01ID:wANDW/R8
義持はどう?
0122人間七七四年2008/11/05(水) 01:55:39ID:QXyZDRro
日本が誇る名家の現当主

・明仁(125代天皇)
・九条道成(藤原氏嫡流)
・足利義弘(清和源氏嫡流・武家棟梁)
0123人間七七四年2008/11/05(水) 15:01:53ID:ODERcfc0
足利さんだけ胡散臭く感じるのはなぜ?
0124人間七七四年2008/11/05(水) 16:22:55ID:w/TEVTBv
足利将軍は、何で通字が「義」なんだ?初代は高氏なのに。
その後高をつける将軍も氏をつける将軍もいないし。(義輝の息子に義高ってのはいるけど)
なんか理由があるのかね?
0125人間七七四年2008/11/06(木) 01:28:51ID:38NooDLm
北条高時の「高」の時を継がせてどうするんだよ
「義」は源義家から続く由緒正しい源氏の正統の通字なのに
0126人間七七四年2008/11/06(木) 01:30:47ID:XD3awMaP
じゃあ「氏」は?
足利氏の通字の一つなのに。
0127人間七七四年2008/11/06(木) 01:37:05ID:38NooDLm
鎌倉公方の通字にしたんでしょ?>氏
0128人間七七四年2008/11/06(木) 01:41:44ID:XD3awMaP
なんで本家の方は、使わなくなったんだろね?
0129人間七七四年2008/11/07(金) 00:22:27ID:QjkffWuA
>>128
頼義-義家-為義-義朝の流れを意識して、源氏の嫡流ということを
示したかったんじゃないか?
0130人間七七四年2008/11/07(金) 00:30:05ID:bOfIu6TA
足利の本拠地が関東にあるから
鎌倉公方の通字に足利家の氏を使うのも自然だよね
0131人間七七四年2008/11/07(金) 00:31:37ID:MdlAUSIF
京は源氏として、関東は足利氏として、って事か。
0132人間七七四年2008/11/07(金) 01:45:58ID:6Y+Y7lMe
通字として当主に「氏」が見られるのは鎌倉時代からだね
多少ずれるけど新田氏も似たような感じだなぁ、氏になったり義になったり
経緯は時代背景をみると状況を考えたのか
鎌倉公方でも永享の乱に出てくる足利持氏の子供は義久って名乗るのを見ると
尊氏以降だと足利主流が義、傍流(鎌倉)が氏って感じなのかも
0133人間七七四年2008/11/08(土) 04:30:02ID:qOkrVdaC
義尚が長生きしてたらどうなってたかな
やっぱり明応の政変的なことは起こったんだろうか
0134人間七七四年2008/11/08(土) 12:37:07ID:w+XFgYBi
山城で細川政元が後ろ盾になってる一揆と、おもいっきり戦ったりしてるからねえ>義尚
どっちが勝つにせよ、いずれ対決は避け得なかったかと。
0135人間七七四年2008/11/10(月) 19:16:13ID:6txt+stK
>>132
鎌倉公方・古河公方は将軍の片諱+氏だな。
0136人間七七四年2008/11/10(月) 19:30:44ID:Mr/UK3Pz
>>135
それで、成氏が息子に、将軍の片諱つけないって挑発行為やって、これが
享徳の乱につながるわけだ。
0137人間七七四年2008/11/19(水) 18:22:35ID:npHYiT2o
鎌倉時代に義が使われなかった理由を考えてみたが、まだ偏諱を頭文字にする風習が出来る前だけども遠慮して、
義氏の子が泰氏(泰時から)、次代も頼氏(将軍から)として、
その次は家時だけど次代貞氏の時代には偏諱を頭文字にするのが一般化したから次代も高氏としたのかなと。
将軍になってからは偏諱を与える側になったので、源氏の頭領に相応しい本来の義に戻したんじゃなかろうか。
で、室町方から偏諱を受ける鎌倉公方は足利流独特の氏をそのまま使用し続けたと。
0138人間七七四年2008/11/24(月) 09:07:57ID:kRJhVw8R
>>137
頼氏は時頼じゃないの?
0139人間七七四年2008/11/24(月) 13:52:41ID:kk5WKUU7
まあ、鎌倉時代に源氏の棟梁の通字である「義」を使えば、一発で北条に潰されるだろ。
0140人間七七四年2008/12/04(木) 19:09:11ID:KuzrMYtr
比叡山攻撃、南朝殲滅、関東平定、九州平定、仏教勢力の封じ込め、諸大名の弱体化

これらを在任13年の間におこなった<天魔王>足利義教様こそ最強にして最狂の公方様
惜しむべきは足利の血のせいか酒に釣られてホイホイ死の飲み会へ行ってしまった事
義教公さえご存命なら応仁の乱はなかった 
0141人間七七四年2008/12/05(金) 22:31:58ID:7KO1aS2t
今日、等持院で歴代将軍の木像見てきたお
尊氏さん垂れ目なんだね
>>138
時頼が将軍からでそ
0142人間七七四年2008/12/08(月) 15:29:58ID:2hGLLXUm
九代将軍義材(義稙 )は、間に十代義澄をはさんで二度将軍になっている。
この辺、興味がある。
0143人間七七四年2008/12/08(月) 17:24:48ID:MUNQqzUm
なんで天皇みたいに2度なったら別扱いじゃないの?
16代15人にするべきじゃないの?
0144人間七七四年2008/12/08(月) 19:19:34ID:aIelrmLn
天皇じゃないからだろ
追放された人物が家督に復帰した場合を考えればいい
0145人間七七四年2008/12/11(木) 20:02:50ID:ze/AAmyg
>>142
■ 明応の政変 ■
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157454306/
0146人間七七四年2008/12/27(土) 15:16:26ID:8e3CkzgR
ドナルド・キーンの本に等持院の話が出てる
0147人間七七四年2009/01/13(火) 15:46:23ID:SMoqNkAD
代数って何時頃決まったんだろ?江戸期?明治?
0148人間七七四年2009/01/13(火) 17:36:25ID:J3JDAFdr
>>147
今でも諸説あるから、どうだろ?
0149人間七七四年2009/01/13(火) 21:58:43ID:53SrVKkP
質問!尊氏だけなんで名前に義が付いてないの?
0150人間七七四年2009/01/13(火) 22:07:39ID:h1YHRuep
尊氏は次男だったからな。
0151稲葉 ◆LNAc6A8yuo 2009/01/13(火) 23:45:30ID:PcAqCnAq
えっ、そうだったの!?知らなかった・・・
0152人間七七四年2009/01/14(水) 00:34:45ID:uvmHrmYM
義なんて名前に付けたら、こいつ源氏の棟梁として叛旗でも翻す
つもりかと北条氏に睨まれるんじゃないの。
0153人間七七四年2009/01/14(水) 01:49:30ID:IpCq9Sps
兄貴は高義、弟は直義と、一応義の字はついてるな。何故か下のほうだけど。
0154人間七七四年2009/01/15(木) 01:44:51ID:nOXd+tw8
鎌倉期の足利氏の通字が「氏」だから。
義氏-泰氏-頼氏-家時-貞氏-高(尊)氏
0155人間七七四年2009/01/24(土) 17:52:30ID:/FaqMnno
個人的に興味がある室町将軍は、
10代義稙と11代義澄です。

義稙は明応の政変で、細川政元らに将軍の座を追放されたにも関わらず
将軍復位を果たしている。その不屈の精神を見習いたいです。

義澄は、異母兄茶々丸に母と同母弟を殺されながらも、自分は難を逃れ
明応の政変で上記義稙(当時は義材)に代わり将軍になっています。
人生って塞翁が馬の典型例です。

義稙・義澄・政元らを登場人物として大河ドラマなどにしたら、
面白いと思いますが。
0156人間七七四年2009/01/24(土) 19:45:30ID:Vr6elzdB
結局、「悪将軍」は有能?無能?
過激な人物であったことは確かなんだろうが、
イマイチ才能の有無を判断する材料が乏しい
0157人間七七四年2009/01/24(土) 19:46:19ID:KuwCqWmM
ある意味有能すぎた
0158人間七七四年2009/01/24(土) 21:35:03ID:Vr6elzdB
>>157
kwskお願いします
0159人間七七四年2009/02/10(火) 15:13:48ID:PtfvSVGh
>>155 義材は面白いですね
0160人間七七四年2009/02/10(火) 15:50:30ID:esH+wXpP
義材の不屈の精神はどこから来るものなのか知りたいw
足利将軍は基本的にバイタリティ溢れる人間が多いけど、
その中でも特筆すべきバイタリティだよねw
0161人間七七四年2009/02/11(水) 17:27:21ID:Dv21sUHW
足利 義材って今風の名前だよな
まあ材じゃなく今は樹の方を使うけど。
足利 義樹
]ジャパンみたいだね。
きへんの漢字は大体「き」って読めるもんな。
きへんの中でも材は人材・材料とかいい意味の有能な「き」だから名前に採用されたんだろうな。
0162人間七七四年2009/02/12(木) 12:00:15ID:pjVj70Oc
『材』で「き」と読ませたり、『維』で「つな」と読ませたり
独特なセンスだな。足利一族は
0163人間七七四年2009/02/12(木) 12:46:29ID:EJKm/B6l
「義熙」とか、「義遐」とか、読むほうからすればほとんど嫌がらせに近いw
0164人間七七四年2009/02/12(木) 23:17:08ID:TAxgsJv+
>>162
徳川家だってイエシゲとかヨシヨシ、ヨシフクって
読んでしまう名前があります。
0165人間七七四年2009/02/28(土) 14:38:39ID:a/TLSewp
ヨシヨシってどなた?もしかしてケイキさん?
0166人間七七四年2009/03/06(金) 03:46:41ID:Q6F5VMCJ
足利義「秋」
足利義「冬」

春と夏は?
0167人間七七四年2009/03/20(金) 23:22:22ID:MSA74fVx
春→義晴
夏…
0168人間七七四年2009/03/21(土) 01:09:10ID:25ShrYrk
>>164
ヨシフクって誰だろ。
無理矢理でもそう読めるのは家茂の初名慶福があるけど、福のフクは音読みだから違うしな。
膨、含、吹、拭、噴、葺、、、
0169人間七七四年2009/03/22(日) 21:04:24ID:FKZtyfip
>>168
福の訓読みって何?
0170人間七七四年2009/03/24(火) 00:56:26ID:XnXq5icj
>>169
字義から浮かぶ常識的な読みは
さち、さき、よし、とみ
だいたいこんなん。
マイナーな名乗り読みは自分で調べてくれ。
0171人間七七四年2009/04/06(月) 15:53:21ID:7ggq2klS
義量とか義栄あたりが読みづらいか。
0172人間七七四年2009/04/06(月) 23:19:33ID:Wzbcez8c
義量はともかく、義栄はよしひでで合ってるよね?違う読みなの?
0173人間七七四年2009/04/15(水) 08:22:36ID:+zBdymUb
よしみつ なら有り得る。
0174人間七七四年2009/04/15(水) 08:37:24ID:ZWzXjp7i
義昭と書いて「ぎしょう」と読む坊さんがいたな。
義教の籤引きのときは還俗してたはず。
0175人間七七四年2009/04/15(水) 15:44:11ID:N7PIbVCe
>>174
いろいろあって薩摩まで逃げたりした。
0176人間七七四年2009/04/16(木) 05:21:16ID:MiSFy5Dj
義昭の兄弟の周こうは殺されたんだっけ
0177人間七七四年2009/04/23(木) 14:02:47ID:vvpdiJDs
>>176
義輝が討ち死にして直ぐに殺害された
0178人間七七四年2009/05/11(月) 15:25:12ID:8CD9U7UB
義輝の男子がいるんだっけ?
0179人間七七四年2009/05/29(金) 14:22:14ID:vqZhVd8+
いるにはいる。
0180人間七七四年2009/06/01(月) 22:14:39ID:CjZh0hKR
8代義政 応仁の乱の原因をつくり、幕府弱体化を招く。
戦国時代の遠因を作った将軍。
9代義尚 幕府権威回復を目指すも、近江六角征伐中に陣中死。
10代義材(将軍再任後は義稙)
 明応の政変で失脚するも将軍に復職した不屈の人。
11代義澄 細川政元の傀儡で終わりました。堀越公方の息子。
12代義晴 印象ナシ
13代義輝 剣豪将軍、松永久秀に暗殺される。
14代義栄 印象ナシ
15代義昭 信長に担がれて将軍に、後追放され最後の将軍となる。 


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