謙信>信長論者に質問なんだが

・手取川の合戦において織田の部隊が上杉の部隊に敗れたのは事実だろうが
 織田家の高級将校は一人として戦死していない
 これは手取川の戦が小競り合いでしかなかったと考えるのが妥当ではない?
 この戦闘後も織田家は加能南部(美郡・江昭郡)を抑えていることを見ても謙信の大勝とは言い難くないか?

・総勢十一万もの大軍を擁した対北条戦では氏康の前に撃退されている
 これは敗戦ではないのか?
 確かに小田原まで肉薄した手腕は見事だけどそれ以後も北条の有力な支城はまるで落ちてないよな

・領土拡大率で語って申し訳ないが信長の滅ぼした大名家の数や陥とした城砦の数、勝利した夜戦の数は
 謙信にも勝りこそすれ劣らないと思うがどうだろうか?
 それぞれその地方で強盛を誇った勢力を相手にしている点からも謙信>信長は当てはまらないと思うんだが

・信長は敗戦が多いというが実際信長が指揮を取った戦いでの勝率は決して低くはないんじゃないか?
 配下の敗戦を主君に還元するなら謙信や他大名にもそれを適用して考えるべきじゃない?

・ひとつの合戦で優劣をつけるのは適当ではないと思うが
 信長の桶狭間合戦に比する大勝は謙信には無いんじゃない?
 付け加えるなら天王寺砦の戦も

・信長の対上杉外交はよく引き合いに出されるがそれに乗せられて織田家の勢力伸張を許したのは
 謙信にとってはマイナスであれプラス評価にはならないと思うんだが?
 それに畿内を押さえるのに必死で尚且つ四面楚歌の織田家にとっては相手が謙信でなかろうが
 やはり敵を絞るために遠方の敵は懐柔するのは当然じゃないか?


長文になってしまったが答えてもらえないだろうか
納得いく答えを頂ければ信長論者も大人しくなるはずだろうから