堀秀政を再評価しましょう
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 04:33:39ID:m2x+NniT今一つ地味な堀秀政。
彼は華々しい数々の戦功を挙げています。
あの秀吉に
「秀政は傑出の人なり。秀吉深く之を愛し、小田原の役終わらば、関八州を与へんと思はれしが、惜しい哉、戦に死せり」
とまで言わせた大物です。
彼が早世せずに、家康の代わりに関東に収まっていたとしたら
その後の歴史はかなり変わっていたでしょうね。
というわけで堀秀政について語りませう。
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2007/01/09(火) 13:17:37ID:kKgcRl4nいかんせん地味だな。矢部家定はあれだし・・・
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2007/01/09(火) 19:58:07ID:jbfB/2vi東郷侍従でしたっけ?彼もかなり重用されていたらしいが、いかんせん地味だなあ・・・
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2007/01/11(木) 10:50:03ID:51mlGj4a0075名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 23:50:56ID:bbWVIggF0076名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/18(木) 23:29:32ID:bYN022Ie0077名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 13:14:13ID:wSao8Mwdそうですよね。結局は野望度の違いかと・・
幼き時より、野望心を持たない・持てない様な育ち方をしたであろうから、
他に例外はあっても、この方は立身出世にはこだわりがなかったんじゃないかな。
そして、自分の才に驕ること無き様に生きられたような気がする。
早死にしなくても、おそらく『大名』より『家臣』の道を全うされただろうね。
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2007/01/19(金) 23:04:21ID:jj3vAOTi実力以上に評価が高くなっちゃうものだ。
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2007/02/04(日) 21:55:04ID:0/+AfSgl特に早世とは言えんだろう
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2007/02/04(日) 22:03:51ID:dAPACHlK40歳まではみんな若死扱い
コレ、基本ね
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2007/02/04(日) 23:48:44ID:cFfzym2m戦死は仕方ないにしても30代で病死だと矢張り早世だと思ってしまうのは
この時代に50、60まで生きた有名武将がゴロゴロ居て
更には70、80と現代人並みに長生きする武将もチラホラ居るからかな
小田原攻略当時の秀吉陣営序列を見ると堀が長生きしてれば
十分、蒲生並みかもしかしたら前田クラスの大身にもなれそうなんだけどなぁ
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2007/02/05(月) 01:45:51ID:Dun4k8BT織田系の武将に対する働きかけ・調整を期待されたからって面もある
だから秀吉の天下が定まって以降、どうなってたかは微妙だと思うんだけどな・・
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2007/02/05(月) 23:09:22ID:+iIwrS+Cとはいえ統治するには、有能な人材は喉から手が出る程欲しかったはず
ましてや徳川に対抗するためには、旧織田系をそっくり呑み込んでも豊臣系に染め上げる必要があるはず
だから秀吉の天下が定まって以降も、堀の力は必要だったはずでは・・・?
豊臣親藩として重鎮となったのでは
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2007/02/05(月) 23:13:58ID:wtIzqvuU0085名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 23:58:22ID:9RLFYa2w0086名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/07(水) 23:37:25ID:uyDs23EV堀秀政は本能寺の前年の天正9年に長浜城主になってるから、
いくらなんでも万見よりか知名度アップじゃね
だが本能寺で死んでいたら、信長と最期を供にしていることになるから、
逆に今よりか知名度アップしてたかも
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2007/02/07(水) 23:52:24ID:BIHXA4KA実際は乳幼児で死ぬ人間がたくさんいたので平均寿命が見市外のであって、
元服前に死んだ人間を除いて計算したデータでは
平均六十数歳まで生きるというデータがある。
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2007/02/07(水) 23:53:42ID:BIHXA4KAh
ttp://www.noguchi.co.jp/archive/retire/rt030717.php
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2007/02/08(木) 00:13:51ID:iGixxJwg0090名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 01:07:49ID:TLIYXEl9旧織田家臣で名を馳せた丹羽、滝川、池田、森、佐々らが
秀吉台頭後に意図的なものかどうかパッとしなくなるのに対し
堀は水を得た魚の如く秀吉政権下で活躍したから立場は違うよな
秀吉政権成立に尽力しその絶頂期に亡くなり「その後」に関わってないのも
秀長、蜂須賀みたく惜しまれて幻想駆り立てられるんだよな
0091人間七七四年
2007/02/19(月) 21:30:59ID:Hm5rmZaThttp://www.asahi-net.or.jp/~JT7T-IMFK/taiandir/x103.html
0093人間七七四年
2007/03/15(木) 18:19:01ID:W5oKK9kI0094人間七七四年
2007/04/17(火) 22:50:35ID:A5L8hyif0095人間七七四年
2007/04/18(水) 00:18:27ID:SUA6UEeY0096人間七七四年
2007/05/06(日) 22:26:41ID:WGheS8nF0097人間七七四年
2007/06/02(土) 17:03:24ID:ejGD9zD+0098人間七七四年
2007/06/02(土) 17:53:53ID:lw/da6FZ佐々成政
長谷川秀一
この辺の評価どう?
0099人間七七四年
2007/06/04(月) 00:06:12ID:qEyuCL0O0101人間七七四年
2007/07/01(日) 03:38:24ID:rN9IxCIx0102人間七七四年
2007/07/01(日) 22:20:10ID:oawDkqy00103人間七七四年
2007/07/15(日) 18:07:31ID:oGRb2eAk0104人間七七四年
2007/07/15(日) 22:49:52ID:a2kpE/a+最終的に会津100万石くらいで納まったのでないか?
0105人間七七四年
2007/07/15(日) 23:53:07ID:VB1ileuv同じく信長近習から秀吉に仕えた蒲生の経歴を見れば
生前は実績も秀吉からの信頼も蒲生よりも遥かに上な
堀が蒲生と同じかそれ以上の地位にのぼってたろうとは思う
0106人間七七四年
2007/07/16(月) 02:57:48ID:uko0LCm6政権絶頂期に亡くなり「その後」に関わっていないのも妄想を膨らませる要因
元々秀吉の紹介で信長に仕えたとの説があり
後の五大老・前田利家・・・・への抑えとして置かれるほど
秀吉から絶大な信頼を受けていたし長生きさえしてれば・・・・
0107人間七七四年
2007/07/16(月) 09:00:39ID:wMgHvmeT氏郷の子の秀行の評価もあわせて。
0108人間七七四年
2007/07/18(水) 03:57:24ID:5TQeYTTp蒲生氏郷と似たような経歴ではあるが
戦績、治績、人望、秀吉からの信頼いづれも堀のほうが上回ってる気がする
秀政が生きてれば氏郷は常にその後塵を排する地位に留まっていたろう
なして知名度やゲームの評価であんなに差が付くのかな
0109人間七七四年
2007/07/18(水) 06:33:49ID:iHHKg1KH強い設定になってる。
0110人間七七四年
2007/07/19(木) 00:29:21ID:xRQ4vlmUズバリその実績が現代にどういう形で残ってるかと言う事だろう、
「現代も会津の中心に残る鶴ヶ城」「信長の娘婿」
この最強の二枚のカードの前には、どんぐりの背比べレベルの戦績の差など塵芥に等しいんだろう、実際。
0111人間七七四年
2007/07/19(木) 20:15:14ID:j1U1AVsS堀はもともと前田と同等以上に旧織田勢力やその他に影響力があっただろうし、
五大老級の一人になっていたとしてもおかしくない。少なくともそれだけの格と兵力はある。
というか前田利家は秀政が早没したからあそこまで引き立てられたのだと思う。
そうなると(秀政が好むと好まないとに関わらず)秀吉の死後家康と直接衝突する事になる。
家康が自分に伯仲する影響力を持っていてひとまわり若い堀を潰しに掛かってもおかしくない。
秀政は利長みたいに家康に尻尾を振るとは考えにくいから、
石田や毛利でなくて堀が中心勢力のひとつとなって関ヶ原級の衝突が起こるんじゃないか。
秀政は一度徳川軍を破っているし、輝元や秀家なんかよりずっと家中の統制も取れているから
(堀監物がいるから家中は安泰だろう)家康にしたらやりにくい相手になっただろうな。
0112人間七七四年
2007/07/19(木) 21:32:01ID:o8/Yn/TZこのスレでは私の評価が高くて嬉しいです。
「センゴク」でも私の事、カッコ良く描かれてますね。
早死にしなければって今でも悔やまれます。
まあ、長生きするのも実力の内ですかね。では。
0113人間七七四年
2007/07/20(金) 00:56:15ID:kVWmg/NRおいおいw
主君信長が死んだら秀吉の走狗になって信孝討伐、信雄&家康同盟征伐に
おいて抜群のw功績を挙げた堀だぞ?
そんなもん秀吉がしんで家康に勝てる要素が皆無なら余裕で尻尾振るわ。
0114人間七七四年
2007/07/20(金) 12:10:23ID:sNpJ5TuM信孝、信雄は分家にすぎないだろう。そんなお家騒動どこの大名家にもある話だ。
それに別に秀政が秀頼を守るため家康に対抗して立ち上がるといってるわけじゃない。
もし生きてたら、家康にとっては前田利家以上に目障りな存在になるから潰しにかかるだろうって事。
史実で家康は、秀吉亡き後の豊臣政権を牛耳るために片っ端から他の大老達を潰しにかかったろうが。
堀秀政の立場と格から、いやでも中心勢力のひとつとして家康と明らかだと思うな。
それに前田家は家康に尻尾を振ったが、当主の前田利家が死んで、跡継ぎに利家ほどの求心力が無かったのが大きいし、
それに前田利長のやったのはある意味とんでもない離れ業だ。
堀はそこまで吹っ切れないと思うな、仮にも信長時代からの叩き上げだし。
家康だって圧倒的な人望があるわけじゃない。尾張系の諸将が家康に付いたのは
最後の旗頭の前田利家が死んで、他に誰もいなかったからだろ。相手が外様の西国勢と石田だし。
じっさい100万石近い領土と兵力があって前田利家以上の影響力あるなら、
やり方しだいで充分以上に家康に勝ち目があるから、尻尾を振る必要も無いだろ。
あの前田利家が充分家康を抑えてたんだぞ。堀秀政なら人望的にも器量的にも利家以上だと思うが。
0116人間七七四年
2007/07/22(日) 21:16:07ID:qx4vgybv勝てる要素あればって話してるんでしょ?
あればふらないんじゃない?なければふるでしょ。大名として当然。
本能寺直後、領地が長浜しかない堀がどうすればよかった?
0117人間七七四年
2007/07/22(日) 21:50:27ID:yLfrGYWg何熱くなってんだよ。
>>111が「思う」「だろう」で「堀は前田と違って家康に尻尾振らない!!」
っていってるから現実を教えてあげただけ。
別に本能寺時点の彼の判断が間違ってるなんて言ってないし忠臣ではない
とも言ってない。実力者に実権と人気が集うのが当然、という戦国時代の
一側面を示しただけだよ。
0118人間七七四年
2007/07/23(月) 15:47:08ID:5b7suXSO長生きしてれば豊臣家の柱石として存在感を発揮し
歴史を左右していたろうとは思う。どういう方向で絡んでくるかは断言できないが
0119こんにちは明石です。
2007/07/24(火) 16:58:50ID:EmbUfgGg0120人間七七四年
2007/08/02(木) 19:37:32ID:202mVhcZ0121人間七七四年
2007/08/02(木) 19:59:42ID:ThMsCqbqQQQQQQ久太郎はね、名人なんだ名人なんだ名人なんだけれど、
信長様が大好きなのさ、秀吉にはなんか上から目線〜
(だけど38歳で死んじゃったんだってさ)
QQQQQQ久太郎だよ〜。
0122人間七七四年
2007/08/02(木) 22:26:59ID:pqijInwm0123堀一洋
2007/08/09(木) 12:28:34ID:ADOBhepR0124人間七七四年
2007/08/15(水) 22:33:15ID:hXa/yUjeがいる。秀政の子孫は飯田藩主へと続くが、10代藩主の堀親寚(チカシゲ)
がその人。尤も、首班の水野忠邦失脚に伴い、藩も1万石削られてしまったが
。
0125人間七七四年
2007/08/15(水) 23:44:08ID:Cd184EmN0126人間七七四年
2007/08/19(日) 09:19:16ID:AVcqvycL0127125です
2007/08/19(日) 20:54:54ID:TRNWfPtCゆくゆく二人の息子に託す道がありますけどね
0128人間七七四年
2007/08/25(土) 10:28:00ID:1/aa1tn/0129人間七七四年
2007/08/25(土) 10:57:02ID:Gdd5YwHkもし本当に堀主膳の子孫なら系図が伝えられてるはずだから
堀主膳以前の血統がどこから来たのか教えてもらいたい。
0130人間七七四年
2007/08/26(日) 14:37:28ID:CMs/UCll待て、待てw
村上の堀家は、従兄弟の三介直政系だ。
久太郎秀政の子孫ではないぞよ。
後、堀主膳は堀直寄(直政の子供)から堀姓を賜った、つまり堀一族と直接の関係はなかったとの説もあるそうだ。
もっとも家老職にあったくらいだから、婚姻関係はあったかも。
0131130
2007/08/26(日) 14:44:05ID:CMs/UCll>125さん
系図に堀主繕が掘一族の誰と繋がるか、または改姓前の名字が何か、書いてありませんか?
0133人間七七四年
2007/08/26(日) 16:45:59ID:6q3qlP3Uでもバブル前に本人が死んじゃったので、大盤振る舞いにありつくことなく、
息子は就職氷河期の悲哀を味わった。
本人がバブル期まで生きて入れば、蒲生90万石程度は軽かったのにね……。
0134人間七七四年
2007/08/27(月) 14:08:41ID:Qd4iKLdS清洲で秀吉について、忠臣柴田を滅ぼしたではないか
後に織田家の衰退を嘆いていたらしいが
0135人間七七四年
2007/08/27(月) 15:20:53ID:/7VWfe7u織田家累代の家臣じゃないし
そんなに愛着とか義理はないだろ
0136人間七七四年
2007/08/27(月) 15:21:39ID:5U6SbxxU0137125
2007/08/28(火) 12:50:05ID:ZIlykysj堀主膳
↓
堀八兵衛
↓
堀○○(帰宅して書類見ないと思い出せない
↓の三男
堀荘○(贔爺さん)
↓の四男
堀○松(昭和59年死去)の二男
↓
堀○雄(昭和58年43で死去自衛官)
↓の長男
の私は三十代です
息子が二人います
旧姓は奥田姓ときいてます
岸和田から派生した大阪堀家の祖といわれてます
菩提寺は泉南にあります
代々世継ぎが亡くなると知恩院にお骨の一部を持って行き供養してもらってます
昨年父の兄(叔父子供無し)が亡くなりましたが知恩院に納骨したかは定かではありません
祖母94歳が先日大阪まで行ってきたようですが詳細は不明(笑)痴呆が悪化してきました
0138130
2007/08/28(火) 21:39:39ID:0qc8KSoU早速のご回答、ありがとうございます。
>旧姓は奥田姓
ということは、堀(奥田)直政系ということですね。
これでご先祖の諱名がわかれば直政の子供か、または兄弟の子孫かがわかるかもしれません。
0139130
2007/08/28(火) 21:58:23ID:0qc8KSoU美濃の堀氏(秀政)と近江の堀氏(秀村)は、名字が同じだけで無関係。
ただし近江の堀一族の何人かは、秀政に仕えたという記録があるらしい。
この一族が秀村とどう結びつくかどうかはわからないけど(と言うか忘れてしまった)。
・・・詳しく書いてあった論文、何処いったかなぁ。
0140人間七七四年
2007/08/28(火) 23:54:50ID:VaWe3IRLなるほど、無関係ですか。
もしかすると、遠縁だったりするのかもしれませんが。
0141125
2007/08/29(水) 09:14:23ID:BXAmxjDX堀姓親戚スジも何人も入ってるようです
0142人間七七四年
2007/08/31(金) 19:30:56ID:Wu0tmSDk0143人間七七四年
2007/09/02(日) 20:12:14ID:sStluiFB子孫も美濃にはいそうもないな
0144人間七七四年
2007/09/03(月) 01:41:55ID:2Rat6pGW0145人間七七四年
2007/09/11(火) 17:42:51ID:uZmSo3Hg0146人間七七四年
2007/09/16(日) 18:18:20ID:ke9ykvke0147人間七七四年
2007/09/18(火) 14:51:13ID:IPPu10xF姫様のか?
0148人間七七四年
2007/09/19(水) 14:04:17ID:vQnF1Mf90149人間七七四年
2007/10/04(木) 14:00:15ID:yZaMzb+y0150人間七七四年
2007/10/05(金) 00:41:28ID:aLexDsCkはぁ?
あんな馬鹿どものために死んだらアホだろ・・・
榊原隊を退けて、
秀吉方に唯一の勝利をもたらし、
秀吉の面目保った
久太郎を臆病者よばわりするとは・・・
0152人間七七四年
2007/10/06(土) 02:55:35ID:NcXSYXiF0153人間七七四年
2007/11/12(月) 09:16:15ID:Cy8SH2vN0154人間七七四年
2007/11/12(月) 10:05:11ID:q1Txown7今一接点がわからん
0156人間七七四年
2007/11/18(日) 17:29:48ID:UrWOwyePでもwikiの秀政の項を読むと、
「しかし信長の小姓として新たに森蘭丸が台頭してくると、秀政は信長側近の座を蘭丸に取って代わられることとなり、秀政は信長のもとで台頭していた羽柴秀吉に次第に近づいていくようになる。」
なんて書いてある。
しかし小姓の乱丸と近習の秀政じゃ立場が違うし、そもそも信長の側近は一人ではないべ。
(長谷川、福富、菅屋、矢部等々の立場は?)
典拠は何だろね?
0158人間七七四年
2007/12/11(火) 20:52:51ID:wI8+YsH50159人間七七四年
2008/01/28(月) 15:48:03ID:DRcs9+KO0160人間七七四年
2008/01/28(月) 19:06:55ID:7h6oQTtX0161人間七七四年
2008/01/29(火) 18:51:54ID:3QedECQ1現場へ行くと面影はない。白山林は現在市営住宅群で住人達も秀次がここにいた事を知らない。
0163人間七七四年
2008/02/01(金) 19:52:36ID:DQ4UPEBX仕事で失敗したときに堀さんだったら難なく出来たのに・・・とか思ってしまう。
0164人間七七四年
2008/02/01(金) 20:04:37ID:8Erz65Vc0165人間七七四年
2008/02/01(金) 20:09:27ID:GL7NetgB他社との交渉も卒なくこなす堀名人
オフィスラブにも油断は無しだ堀名人
だけどあだ名が「名人」もしくは「Q太郎」になってしまったのが一生の不覚だよ
堀名人
0166人間七七四年
2008/02/02(土) 14:13:59ID:mtD0TISh桧ケ根に踏みとどまっていれば、確かに池田・森の両将は助かったかもしれない。
その代わり、久太郎は家康本隊の猛攻を喰らって三途の川を渡ったことでしょう。
あるいは三人とも枕を並べて討死ちゅー事態になったかもしれん。
一番兵力を持ってた秀次隊が真っ先に崩壊したのが不幸の始まり。
やっぱり、「戦は数だよ、兄貴」です。
>164
とりあえず寄騎では無いかと。
後で信長本隊がやってくる際の現状確認と報告が役目だとすれば、検使の方が近いのかなぁ?
0167_
2008/02/04(月) 21:53:59ID:oyeNhccY秀吉は、北条を滅ぼしたら、関東を秀政にあたえるつもりであったと
聞きます。そうなれば、家康は浜松で朝鮮征伐に参加しなければなりません。
朝鮮征伐参加→国力衰退となっていたのでは?
0168人間七七四年
2008/02/13(水) 21:47:47ID:lMv5yswd長谷川は知名度なさ杉
この2人に蒲生も加えて、信長側近の本能寺生き残り組は
秀吉のもとでかなり出世してるね(矢部除く)
そして3人とも関ヶ原前に若くして死んでいるというのが
運命的というかなんというか
0169人間七七四年
2008/02/23(土) 21:26:10ID:TGJt5z3G0171人間七七四年
2008/02/27(水) 21:15:18ID:akBeZfdi>167
やっぱり取れたんではないでしょうか。<家康の天下取り
秀吉としては、家康を関東へ移封するのは規定路線だったと思われます。
北条攻めの功を考えると加増しなくてはなりませんが、地縁のある東海にとどめたまま加増するより、無縁の関東へ加増の上封じた方が家康の勢力・財力を削げるからです。
また当時の秀政の石高(18万石)を考えると、いきなり関八州を与えるわけにもいかないでしょう。
ちょうど石高の似ている蒲生氏郷が12万石から会津42万石(見地の結果、90万石に倍増)に加増されていますので、同じぐらいの石高が与えられたのではないでしょうか。
別の史料には、小田原戦後に秀政を奥州へ封ずる考えであったとも伝えられています。
「秀政が存命ならば関八州」は秀吉のリップサービスと考えた方がよさそうです。
>169
名将言行録…って、小説じゃないね。
でも、久太郎主人公の小説は見たこと無いなぁ。
最近読んだ小説で、久太郎が出てきた物。
・「明智左馬助の恋」
坂本城落城の際、明智家の家宝引き取りに秀政が一人でやってくる。
(史実では従兄の直政が引き取りにいってる。)
・「信長燃ゆ」
「天正伊賀の乱」の信楽口大将として秀政登場。
最初に攻め入った先を武力でなく、調略(「良い茶器を持ってくれば、お咎めなしだぞー」)で制圧する。
どちらも好きなシーンだが、両方とも出てくるのは短期間。
169殿、いっそ貴殿が書いてみては?
0172人間七七四年
2008/03/08(土) 00:14:55ID:GsQwUwfb■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています