http://www.miya-shoko.or.jp/ebino/kisakibaru/kisakibaru.html

木崎原合戦は、今から約430年余前の1572(元亀3)年5月4日、伊東勢3000の兵が島津の陣地に攻め込み、島津勢はわずか300の兵でこれを迎え撃ち、両軍戦死者700人余に上る激戦の末、島津義弘公が見事な勝利を収めた有名な戦いです。
「南九州の関ヶ原」とも称され、これを市民330人が再現します。

http://www2.harimaya.com/simazu/html/sm_kizak.html

世に「木崎原の合戦」と呼ばれるこの戦いは、南九州の桶狭間とも称される。木崎原の合戦で伊東方は、伊東一門の大将五人をはじめ奉行や各外城の地頭ら二百五十人を失い、その影響は深刻で、伊東氏衰退の引鉄となった合戦でもあった。