>>562
いや徳川でもすでにあったよ。
一度目は松平清康が若死にしたとき。跡継ぎの広忠がまだ子供で権力を発揮することが
できない状態だったので内乱状態へ。今川家の後援を得て復帰。ヒモつきになる。

二度目は広忠暗殺、後継者家康は他家に人質でやはり松平家主催者が不明、権力不在と
なった時。このときはまた今川が乗り込んで家臣たちの動揺(ないし妄動)を押さえつける。
これにより家康の当主権が今川の手によって確立、保証されることになり完全に従属する。

はっきりいって今川の援助がなければ、広忠も家康も当主の座は一族の他のものか有力な
家臣(豪族)の誰かに乗っ取られておしまいだったろう。その代わりに従属することになったが。