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【武田】2万5千で上洛【信玄】その46

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/20(月) 22:53:31ID:ArMmJZ7P
前スレ
【武田】2万5千で上洛【信玄】その45
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157793068/

ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。

テンプレ
>>2-30ぐらい?
0567名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/18(木) 00:49:32ID:nXJVdu3P
>>566
松平の頃はまだ「旗本先手役」とかのような「徳川」時代の軍制出来てないんじゃない?
あの当時は一族が結集して勢力を誇った、典型の戦国大名の状態だったんだから。

「旗本先手役」などのちに「庄屋仕立て」と呼ばれるような、
「徳川」の組織が作られるのは三河統一前後だったと思うんだけど
0568名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/18(木) 01:49:01ID:RIJ4otzp
>>567
566は徳川も織田のように家臣分裂の時があったよ、
と言いたかっただけではないか、と

軍制がどうのとかとは別の話で
0569名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/18(木) 14:09:00ID:bZ9Fxa7F
武田氏の軍役で一番戦力持ってたのは春日で千騎超えていた
これは対上杉やらなにやらで城代の彼にかなりの戦力が与えられていたからだろう
後は旗本が特段多いとかいうことはなかった
0570名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/19(金) 10:11:22ID:hVCsE22V
信玄が無闇に旗本を強化したら、家臣団がオレ達いらないの?とか警戒するからできないんじゃ?
信長みたいに豪族のあぶれた次男以下をリクルートするとか、家康みたいに独立後の領国再編のドサクサに紛れてやるとかは普通にはむずかしいでしょ
0571名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/19(金) 18:18:50ID:/ZU0xucB
古流の馬術を調べれば馬の使い方も解るかも
0572名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/20(土) 11:06:54ID:/fF97klS
>571
まぁ武田に騎馬隊があったかとか上洛できたかとかには関係ないけどね。
0573名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/20(土) 11:34:53ID:/2LysE1q
そりゃ関係ないね〜
でもま刀にしても馬にしても事実を一つ知ると
その後、極論が多いからいけないよ
0574名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/21(日) 02:33:53ID:MEMz/3xb
いや、騎馬隊がなかったから弱くて上洛できない
とか言い出す人間もたまに居るから。
0575名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/21(日) 04:01:52ID:ArNfkmES
騎馬隊のあるなしと強さは関係ないんだがなあ。
0576名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/21(日) 14:01:08ID:MEB7q4lF
話を突然変えてすまないし、ほとんど一人語りなのだが、
以前、「信玄の目的は上洛じゃなくて徳川領攻めだろう」と言う意見に
「徳川だけを攻めるのに2万5千も動因するわけが無い、だから上洛だ」
と言っている奴が居てそのときはスルーしたのだが、
最近になって、じゃあ徳川攻めには何人で十分だと言うのかと聞いてみたい。

まぁ言った奴はもう居ないだろうけど、同じように「2万5千も動因しているんだから」
って思っている奴居るのかな?
0577名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/21(日) 17:45:23ID:fD4j3G8B
おもたんだが、豊臣が天下統一してから、
大名とその家臣団の関係ががらっと変わったんじゃなかったか。
例えば、毛利はやはり毛利家を盟主に国人領主連合の体をなしてたが
豊臣政権下では、毛利・吉川・小早川はそれぞれ豊臣新恩という形で領地を与えられ
もしくは安堵され、名目だけにしろそれぞれ独立していた。
また、今までは国人領主らは毛利と同盟こそすれ、領地は自分のものだったはずだが
豊臣が新恩という形で毛利に領地を与えたため、名目だけにしろ毛利から領地を
配分されるという形になった。
これによって、新恩領地内の統治がしやすくなり、国人領主は完全に家臣化した。
また、元盟主と新恩による新興大名との関係が微妙になり、小早川家への豊臣の
干渉や島津の伊集院粛正などがおこった。
こういうことではないか。
0578名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/21(日) 21:08:56ID:z4PsRpwi
>>577
それはあると思う。

豊臣政権の後ろ盾を得る事で、
国人領主を膝下に押さえ込む事が可能になった。

ある時点までは、諸大名と豊臣政権の利害に一致する面があったということ。
0579名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/22(月) 08:18:15ID:c64Ug1lX
>>575
持っていける最大勢力で攻めるのは戦略の基本。
25000だから上洛だったなんて馬鹿しか考えない。
よって終了。
0580名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/22(月) 14:22:30ID:Gs5UcxtG
>>579
しかし、三方原で勝ったんだからにわかに近隣から
いくさに参加しだす周辺の豪族・農民・野武士もいるはずだ。
25000が何を基準とした数かよく分からないけど
しょせん浮き草である雇われ兵は負け戦になると給料をもらえないと踏むから
農民兵のような土地から逃げようのない兵にくらべて弱兵であることは明らかだし
武田方の兵の増加分も加味すれば信玄は上洛も十分考慮に入れていたと思うよ。
徳川はもう急な再起が不能なまでには押さえたし、
織田方は包囲網で疲弊していることはうかがえるから
尾張へ進行するぐらいまでは攻め込む手はずは当初あったはず。
しかも尾張は織田の勢力基盤。包囲をするだけで打撃を与えられる。
そうさせまいと信長が必死こいて尾張に強行軍かけてきたところを野戦で迎え撃てば
おもしろい展開になったと思うがね。

0581名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/22(月) 14:52:52ID:PR12fYcq
はずだ、よく分からないけど、思うよ、うかがえるから、あったはず、

いや、資料の提示もなしに強引解釈を元にした持論を展開しても説得力がないな。
0582名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/22(月) 15:21:40ID:LbxHRf3G
>いくさに参加しだす周辺の豪族・農民・野武士もいるはずだ。
これについては上杉の例もあり、戦国としては当然の推測だが

>武田方の兵の増加分
その増加分ある「にわか」は、浮き草である雇われ兵と同レベルだと思うが。
武田が新しい支配者になるかもしれないから、媚を売って味方するのであって
旗色が悪くなったら、当然引くでしょ。

>尾張へ進行するぐらいまでは攻め込む手はずは当初あったはず。包囲をするだけで

>上洛も十分考慮に入れていたと思う
が矛盾する。
上洛する為には、美濃か伊勢も考慮に入れなければいけないと思うが。
尾張を包囲する事=上洛はできない、とはならないか?
尾張を包囲攻撃した上にその足で美濃や伊勢を落として上洛もする、となるとさすがに疲弊しすぎてキツいと思うが。
上洛できるとしたら、尾張程度はあっと言う間に落とすぐらいのスピードが必要だろう。

兵農分離とかは関係なく、単純に疲弊が激しいという点を考えて欲しい。
0583名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/22(月) 15:59:45ID:Gs5UcxtG
>>582
兵の増加分の話は2万5千にこだわる必要はないのではないかという意味で
雇われ兵という言い方は、織田は兵脳分離による兵の常備兵化がありましたが
それにデメリット面もあったのではないかという示唆でした。
武田は農民兵の分だけ寡兵でも統率力があり、逆境でも士気が高かったと思います。

>尾張へ進行するぐらいまでは攻め込む手はずは当初あったはず。包囲をするだけで

>上洛も十分考慮に入れていたと思う
が矛盾する。

まあ、そうですね。
戦果次第で上洛も考えていたということが言いたかったのですが
美濃があるかぎり上洛は無理なかんじがしてきました。
でも、尾張で勝てば形勢がかなり変わったと思うんですよ。
松永や宇喜多は平気で寝返りますし、寺勢力も勢いを増すはずです。
それもあくまで勝てばの話ですが、たとえ負ける可能性があるとしても
信長のあのころの進撃の速さは尋常ではありません。
包囲網のあるうちが一番の好機はずで、決戦にのぞむのが良策だったと思います。
0584名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/22(月) 16:23:32ID:PR12fYcq
包囲網は後世の作り話なんだけど
0585名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/22(月) 17:28:01ID:zlYRN38Q
>>583
ちょっと待て、この時期宇喜多は織田とは関係無かろう。
第一次と第二次の包囲網がごっちゃになってないか?
0586名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/22(月) 20:20:29ID:aBbvAG8a
>>583
農兵のほうが強い、というのであれば、尾張の農兵を抱えて本拠地で戦う織田の方が
有利、という発想はありませんか?

常備軍のデメリットと農兵のメリットを比べるのは片手落ちでしょうに。
0587名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/22(月) 21:27:36ID:c64Ug1lX
>>580
25000がなんの基準もなにもスレタイ読めよ。
後、25000だから上洛が無理って言ってるんじゃなくて、
25000だと言う事が上洛が目的だったと言う証拠には
ならんと言ってるだけだ。
0588名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/22(月) 21:38:20ID:yHHJingv
>>580
なかなか頭の弱そうな書き込みだがもう一歩。
>信長が必死こいて尾張に強行軍かけてきたところを「無敵の騎馬軍団」で迎え撃てば
とすればもっと良かったと思う。
0589名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 00:51:34ID:QJ+MnUPR
ところで兵農分離が進む=旗本が増えるという認識で良い?
0590名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 00:54:02ID:QJ+MnUPR
刀狩も必要か?
0591名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 07:39:15ID:HzLS01V7
>>589
>兵農分離が進む=旗本
いや、兵農分離=刀狩=一揆抑制

兵力は激減するから、世が治まってきた証でもある。
0592名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 11:59:51ID:3Jz3YzoL
織田の兵農分離は、半農半武の武士を専業化するほうだろう
信長が兵をカネで雇ってたとか言う話は「日本国王記」とかの外国人のものぐらいにしか出てこないはず
0593名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 12:43:16ID:fWfdmKY3
そうだな。兵農分離というか、武士の専業兵士化といった方がいい。
0594名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 12:53:12ID:XZjVIQVh
蔵米から扶持されていた……つまり当主の懐からサラリー貰ってた武士とかの例かな?
0595名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 13:25:45ID:fWfdmKY3
いや俺が言いたかったのは、本来土着である武士を土地から切り離したってこと。
本拠の移転がそうだし、軍団もその一つだと思う。
0596名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 13:36:20ID:HzLS01V7
ああ、間違った情報に踊らされたね。だから話が通じてない。
本拠の移転と在地性の喪失は違う問題だよ。

もし本拠の移転が在地性を喪失させるなら、武田家はとっくに在地性を喪失してる事になる。
あと、家臣団の集住はどこもやってる普通の事なので
家を焼いたとかそういう講談じみた事は全然関係ない。

在地性の喪失は、検地だよ。北条を見た方がいいな。
もっとも検地の為には、検地をできるだけの権力が必要になるが。

>軍団もその一つ
方面軍のことかな?
まぁ、権力があって加増すれば国替えにも応じるでしょ。
0597名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 14:00:59ID:fWfdmKY3
何を突然そんな嬉しそうにw
俺は信長だけがやってたとは言ってねーよ。
だから兵農分離じゃなくて、って言ってるだろーがこのタコ。

まあ、相次ぐ本拠の移転と言えば良かったな。
家臣団の集住については俺は何も言ってない。
家を焼いた話は講談つーか信長公記に載ってる。
検地も在地性と関係あるが、本拠移転も関係ある。
0598名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 16:38:54ID:OxV85ejP
俺にはなぜ君がそんなに嬉しそうなのかが分からない。
0599名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 16:43:15ID:jnu/UZQ3
俺にはなぜ二人が(ry
0600名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 20:10:41ID:/RKHXIlJ
>>592
単純に考えるとだね。
半分以下は農業に専念する人たちになるんではないかね?
農民がすべて狩り出されるのがそれまでの軍制だろ?
すべてが職業武士になるなら、農民に専業するものがいないので年貢もとれんことになる。
ということは、兵農分離をすることで兵の数が半減することになるよ。

しかし、ほとんどの場合、織田軍が相手の兵の数より多く兵を招集していた事実を考えれば
ほとんどが傭兵だったとみるべきじゃねえか?

0601名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 20:21:14ID:JvOgHV+c
>>600
>半分以下は農業に専念する人たちになるんではないかね?
何を根拠に?
>農民がすべて狩り出されるのがそれまでの軍制だろ?
違います、農民の極一部です、すべて狩り出せるなら甲斐一国で20万ぐらい動員できる(女子ども含むが)
>すべてが職業武士になるなら、農民に専業するものがいないので年貢もとれんことになる。
まあ理論上はそうなるな
>ということは、兵農分離をすることで兵の数が半減することになるよ。
事実江戸時代は減ったみたいだな、戦国時代の動員力が講談の誇張の可能性もあるが

>しかし、ほとんどの場合、織田軍が相手の兵の数より多く兵を招集していた事実を考えれば
>ほとんどが傭兵だったとみるべきじゃねえか?
織田軍が相手より多数の兵を用意出来るようになったのは美濃制圧後
石高100万石超となってから
単純に国力の差だね
0602名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 20:51:12ID:/RKHXIlJ
信長の数百を数える戦争の中で、敵より少ない兵力で戦った記録は
弘治2年(1556年)の稲生の戦い、永禄3年(1560年)の桶狭間の
戦い、天正4年(1576年)の天王寺砦の戦いの3回だけであり、必
要な状況での、先見のある選択だったとされている。

と、あるけどね。
信長は、下調べをして入念に攻略していく戦略を常としていて
付け城を建ててじっくり勢力を剥いでいくやり方が多い。
いわゆる戦上手という感じではなく、
戦では相手が弱ったところを数にものを言わせて圧倒するだけ。
兵農分離がいつからのものか知らないがね。
0603名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 20:56:30ID:JMUzdjiW
>>602
その三回とも勝利している。一方、信玄は一度もない。そして
>下調べをして入念に攻略していく戦略を常としていて
これは信玄も同じ。

なんで信長に対しては「戦上手という感じではなく」なんて言っておいて、
信玄に対しては同じことを言わないんだ?
0604名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:02:26ID:/RKHXIlJ
>>601
半分以上が農業に専念するのまちがいだね。
江戸時代の士農工商の割合から言うと、農民が85%が武士7%を養う形になっていた。
何かと出費の多い武士を農民が養うには、武士と農民を1:1で分けるわけにはいかんでしょ。

あと、
農民すべてを狩り出すっても、女子供老人はつれていかんってのは常識の範囲だと了解してくれw
そら、本願寺などは欣求浄土厭離穢土と女子供さえ兵に狩り出すようにしむけたのかもしれんがさ。
0605名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/23(火) 21:10:18ID:ttsSlCJt
相手が雑魚だからなんじゃねーの?
0606名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:27:42ID:OxV85ejP
>>604
>農民がすべて狩り出されるのがそれまでの軍制だろ?
農民すべてが狩り出されるわけないのは常識の範囲じゃないのか?
農繁期に出兵したらその年の収穫は諦めるのか?

>農民すべてを狩り出すっても、女子供老人はつれていかんってのは常識の範囲だと了解してくれw
お前が農民すべてって言うからお前の言い分に合わせたんだろ。
0607名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:34:12ID:/RKHXIlJ
>>603
気に障ったのなら申し訳ない。
信長が他の大名とちがうのは攻城のうまさがあったからだと考える。
付け城を建てて、相手を牽制し、同時に商人をよんで相手の経済をふさいでいく。
一夜城など陣城の普請が素速いのも特長。さらに調略をかけると。
こういった今までになかった戦を確立したのが信長。

対して、信玄は城攻めが苦手で、野戦が得意。
ちなみに攻城戦では騎馬はまったく役にたたない。
0608名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:40:27ID:/RKHXIlJ
>>606
そうカリカリしなさんなって。文章が意味分からんくなってるから

兵農分離の話をしてるんだから、
農民の中からいくさに使える者すべてって意味だと察してくれ。
もうこの話はいいだろ?
0609名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:41:05ID:JvOgHV+c
>>602
>信長の数百を数える戦争の中で、敵より少ない兵力で戦った記録は
>弘治2年(1556年)の稲生の戦い、永禄3年(1560年)の桶狭間の
>戦い、天正4年(1576年)の天王寺砦の戦いの3回だけであり、必
>要な状況での、先見のある選択だったとされている。
そんな適当のこと一体誰が言ってるの?
純粋にソースが知りたい

>>604
で当時の農民の中で女子供老人はどれぐらいの割合を占めるんだ?
95%ぐらい占めるのなら
女子供老人以外の農民がすべて狩り出されるというのも数値的に成り立ってくると思うが
0610名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:46:40ID:JvOgHV+c
>>607
一体何を根拠に信玄が城攻め苦手で野戦が得意何だ?
城攻めはともかく史実から考えるなら信玄は野戦は下手だろ

>付け城を建てて、相手を牽制し、同時に商人をよんで相手の経済をふさいでいく。
付け城はともかく商人をよんで相手の経済をふさいでいくなんて具体的には?
0611名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:49:00ID:OxV85ejP
>>608
別にカリカリはしていなが、
相手に察してもらわないと成り立たない文章しかかけないなら
チラシの裏にでも書いていた方がいいな。
0612名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:51:48ID:/RKHXIlJ
>>609
>そんな適当のこと一体誰が言ってるの?
>純粋にソースが知りたい
さあ。信長公記じゃね?でも割と聞く話だと思ったがね。

>で当時の農民の中で女子供老人はどれぐらいの割合を占めるんだ?
今と割合はいっしょでしょ。
そもそも2万5千っていうのは検地時の石高を参照にして
人口を予想、さらにその中から兵として使える人口の割合を計算
そんで守備に残す兵を差し引いての数じゃねえの?
公称の動員数ってのは多めに見積もってるからあてにならないって言うし。
0613名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 21:58:45ID:/RKHXIlJ
>>610
犬山がそうだったて聞いてる。
楽市楽座もその一環だとも聞いたな。

>城攻めはともかく史実から考えるなら信玄は野戦は下手だろ
そうなの?
川中島は謙信が相手だからいいとして、他は負け戦少ないと思ったが。
0614名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 22:11:09ID:JvOgHV+c
>>612
一般的にはまず聞かない
普通なら桶狭間のみを挙げるか
それ以外の幾多の小兵力で戦った戦を挙げるはず

>さあ。信長公記じゃね?でも割と聞く話だと思ったがね。
さあってお前は何の本もしくはHPを見て上のような発言をしたんだ?それともお前の推測?

ただ確かに信長公記で信長が相手より小兵力で戦い
信長と相手の兵数まで明記されているのはその3つだけだと思うが

>今と割合はいっしょでしょ。
だったら農民の中からいくさに使える者すべてって意味にはならないことは分かるな
戦に狩り出されるのは農民の極一部

>公称の動員数ってのは多めに見積もってるからあてにならないって言うし。
その通り、だから狩り出される農民の率も更に減ると言うわけだ。
0615名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 22:16:44ID:JvOgHV+c
>>613
>犬山がそうだったて聞いてる。
>楽市楽座もその一環だとも聞いたな。
例によってソースは?
この際、wikiレベルでもいいから

>そうなの?
>川中島は謙信が相手だからいいとして、他は負け戦少ないと思ったが。
そうだろ、というか信玄こそ数で押し切ってるだけで、時折小兵力相手に負けるような武将じゃないか?
無論相手より兵をそろえるのは当然のことでそれが悪いとは少しも思わないが。

ついでに謙信がほんとに強いかどうかも分からないのに相手が謙信だからいいってのも暴論だし
0616名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 22:32:28ID:JvOgHV+c
首巻の11に
赤塚合戦で信長800山口1500

同じく首巻の43に
斉藤3千信長700〜800

がまだあったや
まあ勝った例とは言いきれないが
0617名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 22:47:27ID:/RKHXIlJ
>>614
どうせ、味方が寡兵にも関わらず勝利したというから書かれたんじゃないか?
それに何度もいうが信長は常に大兵力で戦ったというのはよく聞く話ですが。

>>今と割合はいっしょでしょ。
>だったら農民の中からいくさに使える者すべてって意味にはならないことは分かるな
>戦に狩り出されるのは農民の極一部

なんかどんどん話がずれてるんですが…。
何度も言いますが、話題は兵農分離から始まっているわけです。
農民を動員する軍制は、兵農分離された軍制より動員数が多いということが言いたいわけです。
なぜなら、兵農分離をすると戦に使える者でも農民であれば徴兵されないからです。
しかし、農民を動員する軍制では、戦に使える者(15〜40の男子)がいればみな動員します。
わかりましたか?
0618名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:01:41ID:JvOgHV+c
>>617
>どうせ、味方が寡兵にも関わらず勝利したというから書かれたんじゃないか?
信長公記読めばわかるがそうでもない
というか>>602の発言は何を元にしているの?
伝聞調だから元ネタがあるのでしょ

>それに何度もいうが信長は常に大兵力で戦ったというのはよく聞く話ですが。
それは知っている、大抵の小説や漫画ではそうなっているんでしょ
史実は異なるようだけど

>農民を動員する軍制は、兵農分離された軍制より動員数が多いということが言いたいわけです。
そんなことは多分ほとんどの人が知っていると思うが
こっちが最初から聞いているのは
>>600
>農民を動員する軍制では、戦に使える者(15〜40の男子)がいればみな動員します。
これの根拠。
こんな軍制採ってる大名って一体何処さ?

長宗我部は結構それに近いものがありそうな気がするが
0619名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:04:53ID:OxV85ejP
>しかし、農民を動員する軍制では、戦に使える者(15〜40の男子)がいればみな動員します。
>わかりましたか?
動員できるのは大名が兵糧・武具を用意できる経済的範囲内の人数と言う
「常識」をまず理解した方がいい。
一般的に言われている「1万石250人」と言うのはそういう意味だ。
0620名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:08:37ID:/RKHXIlJ
>>615
これはわたしもうろ覚えだったんで、
ちょっと検索してみましたが、残念ながらこれといった情報がでてきませんでしたね。
なんかの本で読んだんですが、本が分かりません。おそらく
美濃攻略のために小牧山に築城、本拠を移し、犬山攻めをおこなったことだと思います。
犬山は軍事的にも経済的にも重要な拠点だったことは間違いないようで
ここから信長は美濃攻めを行おうとしてたんですが、小牧山城は犬山を牽制する付け城の
役割だけでなく、犬山の経済を削ぐために商人に税を免除したとか。

0621名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:10:56ID:JvOgHV+c
>>620
なるほど
ありがとうございます
0622名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:13:28ID:JMUzdjiW
ひょっとして>617は、農民軍は農村から「戦に使える者(15〜40の男子)」を根こそぎ、
それこそ100人の村人口で該当者が40人いたらその40人全部を徴兵すると考えているのか?

本当にそう考えていたのなら、馬鹿とか阿呆とか無知とか低脳としかいいようがない。
0623名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:25:00ID:/RKHXIlJ
>>619
よくわからないんですが
兵農分離しようがしまいが徴兵数は変わらないと言いたいんですか?
石高だけで徴兵数がきまると?
0624名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:33:11ID:/RKHXIlJ
>>622
じゃねえの?
よく戦で働き手がいなくなったとか話あるじゃん。
0625名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:36:05ID:JvOgHV+c
>>623
まあ基本的には兵農分離しようがしまいが変わらないだろう
いざとなったら幕末の長州藩みたいに武士以外から兵をそろえてもいいわけだし

徴兵数の上限が決まるのは石高というか経済力、財政状態だな
0626名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:37:15ID:OxV85ejP
>>623
変わらないとは言わないが、経済力の範囲内でしか動員できないのは当然。
逆に聞きたいが兵糧や武具は誰が用意すると思っているのかな?
0627名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:39:56ID:JMUzdjiW
>>623
大前提として、軍隊の規模は国力によって規定される。それ以下になるのが普通で、
それ以上になることはめったにやらない。
やる場合もあるけどね。その場合、国があっというまに破綻する。

徴兵可能人口を全て徴発するなんて、どんな国家体制でも不可能。
例えば明智光秀は一万石六百人という徴兵基準を設けた。これは単純に言うと
「一万人を養える生産力のある土地から、六百人を徴発する」ということだが、それ
でも酷と評価される。一般的な戦国時代の徴発率は一万石三百〜四百人ほど。
これは武田でも変わらない。そして年に二回も戦をすれば民は怨嗟する。
0628名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:40:43ID:JvOgHV+c
>>624
ありえ無さすぎ
0629名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:47:23ID:3Dux8sAV
>>627
年二回以上の戦なんて戦国時代じゃ当たり前じゃないか?
ていうかもっと多くないか?
0630名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:48:30ID:JvOgHV+c
>>624
仮に農民の中で「戦に使える者(15〜40の男子)」の割合が
40%程度で
一国の中で農民層の占める割合が90%としたら
甲斐は総人口20万人としたら
20万*0.9*0.4=7万2千人動員できることになる

しかもこれ農民だけの兵数で専業武士を加えていないから

まあ実際には女子ども含む農民全体の3%ぐらいなら
史実にあるような兵数と同じぐらいになるだろう
20万*0.9*0.03=5400人
これに専業武士分を加えれば信玄の最初期の兵数ぐらいになるんじゃないか
0631名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:50:29ID:JvOgHV+c
>>629
妙法寺記の引用でしょ怨嗟するってのは

確かに年二回以上の戦なんて戦国時代じゃ当たり前だとは思うが
0632名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/23(火) 23:52:05ID:/RKHXIlJ
>>626
戦があるからくすねてくればいいだろうよ。終わった後に。
それに配給もされるとは思うが、食糧が自前もちでないとは限らんし。
日頃は盗みは死罪が当たり前だった時代で、
戦役においては農民は略奪がゆるされていたわけでされに手柄をたてれば
褒美があるため、農民にもおいしい話だったとも言える。
0633名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 00:00:34ID:JvOgHV+c
>>632
そりゃ戦が3日ぐらいで終わるならともかく
(雑兵物語で兵は数日分は自前とあったような気もするが)
遠征が長期の場合はどうするんだ?
一人一人半年分ぐらい用意するとでも

ついでに略奪で兵站を賄いきれるとは思えないし
そんな無謀な武将ばかりでもないだろう
0634名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 00:21:12ID:pSRAZQDl
一石は人間一人が一年間に食べる米の量らしいね。
仮に当時の甲斐の石高は20万石前後であるとしても
人口は20万以下だろう。
仮にここで多めに見積もって15万とする。
15万の内、農民を85%とし、武士を7%とする。
男女比を1:1、年齢別人口統計は不明だが、男子の中で15〜40才までの者の割合を50%とする。
すると、150000*(0.85+0.07)*0.5*0.5=34500となる。
たしかに多いなw
当時の甲斐が16万石ていど、人口8万程度としても2万弱ある。
しかし、これだと確かに農民総動員とはいかないが、結構動員している可能性はあるな。
0635名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 00:56:46ID:TB0/y+Xp
日本の戦国時代の人口は
1200万〜最大で3500万まで諸説あるみたいで
太閤検地の石高が約1850万石
0636名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 00:59:29ID:TB0/y+Xp
まあどっちにしても
戦に参加する農民の数は極一部ということだろう

武田の場合は基本的に軍役衆のみだけらしいけど
0637名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 01:05:52ID:K4h8aXbi
>>607
信長はどっちかと言えば野戦の方が得意だが。
まぁ何でもできたんだろうけど
0638名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 01:53:06ID:DjIeaAMZ
>>634
100人の村がある。
うち男は50人。
子供が25人、大人が20人、老人・病人が5人くらいか。
20人の大人のうち何人を徴兵できるかということだが
せいぜい5,6人が限界だろう。それ以上となると村の機能が麻痺する。

平常で3人程度、限界で6人程度だろうか。
普通に考えても>>627>>630が打倒なラインだと思う。
0639名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 02:10:19ID:8F+h0ES6
総動員掛けた島津の岩屋城攻めで損害が大きすぎて壊滅的打撃を受けた
村があったとかいう話しはあるけど、
長篠の織田勢の損害で、そういう話は聞かない。
まあ、あったのかもしれんけど。
そういうのは、農民の比率が低かったと考えるべきだったのか、
村ごとの動員が低くて痛手になりにくかったのかどうなんだろう?

0640名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 11:59:22ID:7TyV4djY
信玄は長野氏を滅ぼした時、兵糧が無くて困ってる部下に米を貸し出しました
利率は三十パーセント
これは信玄自身には財力がそれなりにあったこと・しかし部下に無償提供できるほど豊かではなかったことを伝えている
0641名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 12:11:28ID:DjIeaAMZ
たぶん豊かでも無償提供はしないと(ry
0642名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 13:26:21ID:HszBYcVc
信長は無償提供してた
甲斐攻めの時もご褒美の意味もあってか大盤振る舞い
0643名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 18:00:24ID:DjIeaAMZ
へー。いつ?
0644名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 20:47:27ID:eOb+mUA4
1582年3月24日の菅屋に命じた扶持米の件だな
0645名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/24(水) 21:43:12ID:DjIeaAMZ
あー、甲斐攻めのときのやつ。信長公記にあったな。ありがとう。
でも>>642を読むとそれ以外もあったようだけど、それは分かる?

しかし信長って土地はともかく褒美はよく出すよな。
何かと言っては服とか茶器とか黄金とか気前良くポンと。
0646名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/26(金) 00:07:27ID:Z7ftm9x2
>>639
いくつか可能性は考えられるが
まず最初に九州は全体として誇張が多い
島津は石高に比べ兵数が多いから、無理な動員をしている可能性
江戸時代は武士の割合が非常に多いからもともと農民の数が足りていない可能性
特に鉄砲の発達した地域での力攻めによる城攻めであるため死傷率が高かった
合戦と違って城攻めであるから実際に城に攻撃を加えた先手勢に被害が集中した
ことから全体としての島津軍の戦死者は少なくても先手衆の一部に被害が集中して
ある村の部隊はほぼ全滅したという可能性もあるんじゃ

長篠は単純に織田軍の戦死者は大した数ではないことと
また動員したのは柴田明智を除く近江衆に
美濃尾張に滝川の北伊勢丹羽の若狭衆+細川筒井の一部
信長の援軍が3万とするなら動員率はかなり低いことになりそ
0647名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/26(金) 00:10:49ID:Z7ftm9x2
>>640
謙信も高利率で金貸していたな

>>645
首巻の東美濃攻めの時に兵糧を整えろと黄金を与えたことがあったと思う
0648名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/26(金) 09:23:24ID:CDUgidet
信玄や謙信が、長期戦が苦手だった理由はそこか
略奪と人身売買と動員した連中の自弁に頼った兵站じゃあちょっと天下は狙えそうに無い
……って晩年になって少しは改善された、とか無い?
例によって軍鑑がソースだからアレだけど「できればワシが荷駄隊を指揮したい」と部署に不満な内藤に信玄が諭した話があるし
0649名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/26(金) 10:43:52ID:IgGBzXvx
あるよ。有名なのが第一次駿河侵攻時の総撤退
北条に薩田峠を奪われた上、北条氏邦に輸送隊を襲われたため
0650名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/26(金) 15:09:10ID:KAWVqZBb
昔って男の方が多くなかったけか
0651名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/26(金) 18:09:48ID:+V8OI/+k
>>648
長期戦の定義がどうなのかは知らないが一応信玄も謙信も川中島2回戦で
200日近く戦ってるぞ。それじゃだめかね。
0652名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/26(金) 21:46:25ID:eS8918+t
国境線の対峙で200日でギブアップじゃあねえ。
信長の軍は本国を離れての遠征を何度も行っている。
0653名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/26(金) 21:51:36ID:Fy8PzvkE
信長好きーが多くて困ったな。
0654名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/26(金) 22:04:57ID:vS4PgtHk
>>653
その時歴史が〜 とか偉人100人〜 とかで戦国オタだけじゃなく一般でNO.1の人気を誇る男だからな
そりゃ多少は他より多いだろう
0655名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 01:36:54ID:fSDQ0AHr
ところでよく分からんのですが、
戦争に行って兵糧の確保に苦労するのは何故?
国の人口は変わらないんだから、消費する米の量も変わらないはずですよね?
戦争に行ったからっていつもより多く飯食うわけじゃなし・・・。
兵士を出した村ではその分米が余ってるんだから、
それを回していけば何の問題もないような気がします。
結局、米を移動させるコスト、人夫の足代でお金がかかるから苦しくなるってことでしょうか?
それとも遠いところまでめんどくさいから行けないってことでしょうか?

それと、農繁期になったらどうのこうのって話があるけど
通常なら徴兵されるの100人中3人か4人なんですよね?
勿論その分他の人が忙しくなるのは当然だけど
100分の3なら補えないほどのことでもないし、絶対に帰らないといけないってことはないような。
まあ戦争嫌だろうし普通に帰りたくなる気持ちはかなりあったと思いますが。
0656名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 03:19:36ID:UmJUJ0wC
信玄の時代だと地元に食うものが無くなったから、
他国へ行って略奪してたってのが現実
0657名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 03:29:52ID:bwYIUhFq
>>655
謙信なんて冬に食べ物がないから、わざわざ関東に行って略奪してたよ。
0658名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 09:08:09ID:ktbT5gHG
軍隊っていうのは基本的に何も生み出さず消費するだけ(屯田とかの例外はあることはあるけど)
兵を出した土地から男手がなくなると生産活動が阻害されるし、当時のことだから治安も悪化する
攻め込まれた土地は戦火と略奪を受けて荒廃
冷静に考えたら良い事は何も無い
0659名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 09:30:44ID:9DZUDkuw
だから?
>>658の目的が見えない
0660名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 10:39:11ID:/ICC5EvP
>>655
機械化以前の農業ってものをなめてません?
男手だけでなく、女も子供も動けるなら老人も使って、かつ必要になれば他人の
田んぼも相互に手伝いあって(村単位で連帯責任)、ようやく必要な労働力を確保
できるのです。
ついでにいうと、男の働きと老幼女の労働力はイコールでもありませんよ。農繁期
に主戦力となる成年男性が奪われるというのは、「人口比率でいってたかが数パーセント」
に留まらない喪失なのです。
0661名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 11:45:36ID:mV2Rd6oi
>>655
兵が自分で用意する食料なんで数日分の非常食のみ。
基本の兵糧は大名又は豪族が用意する。
そして大名や豪族は米を全部食料にする訳じゃないからね。
米を売ってその金で武具などを整える。
戦の時に動員した兵を養う米は当然その分減る。
作った米が移動するだけだから兵だって養えるはずとはならない。

当然、逆に金で米を買うことも出来るけどね。
秀吉は兵糧攻めをする前にその地域の米を買い占めたりしたらしいし。
0662名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 14:12:26ID:fSDQ0AHr
>>656,657
つまり戦争をするまでもなく飢えていたんですかw
米に困ったから戦争をする、と。
なら農民は喜び勇んで戦場におもむきますね。
戦争が多くて嘆く農民なんていないでしょう。
「今日はやったるでー!」とか叫んでそうですね。

>>660
そう、村人総動員の農業だからこそあえて3%という数値にしたのです。
尤もそのなかでも成年男性の役割は大きく、成年男性5分の1もの損失は
決して軽くない損失だというのは重々承知の上です。
しかしそのうえで、カバーが不可能になるほどの数字ではないと思うのです。
苦しくはなるでしょうが、防衛戦なら行かざるを得ませんから。

>>661
武具については、納得します。
時代と地域にもよりますが武装は基本は兵士の自弁です。
しかし確かに大名側が用意するものもたくさんあったでしょう。

>戦の時に動員した兵を養う米は当然その分減る。
減るのは当たり前です。戦争しなくても減りますよ。
要するに、戦時は平時と比べて何にコストがかかったかということを具体的に知りたいのです。
武具代、人夫代、他に何があるでしょうか?
0663名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 14:49:38ID:UmJUJ0wC
>兵士を出した村ではその分米が余ってるんだから、
>それを回していけば何の問題もないような気がします。

戦国時代は異常気象が続いて慢性的に食料なんだよ
だから戦争しようがしまいが、始めから米なんか余らん。
しかも普段から米を食ってる農民の方が少ない。

>なら農民は喜び勇んで戦場におもむきますね。
>戦争が多くて嘆く農民なんていないでしょう。
>「今日はやったるでー!」とか叫んでそうですね。

その通り。
しかも食料だけでなく奴隷狩りまでしてた。
農民=戦争の被害者という構図は戦後民主主義、平和主義の産物。
実際には農民は戦争の被害者でもあったが、一方で加害者でもあった。
0664名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 14:52:32ID:V68/xqgF
ただ、一方で次男三男があぶれてたとか言う話もあるよね。
労働力が取られるというなら、それを使えばいいのでは?
と思ってしまうが

確か、兵糧ってだいたい売ってしまってるんじゃなかったっけ。
戦時に買い戻して。

普段食べてる米と兵糧も違うものじゃなかったか。白米はこの時だけで。
0665名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 16:23:48ID:fSDQ0AHr
>>656,657,663
私には食糧調達が戦争の第一の目的だとは思えません。
敵国の略奪によって得られる食料・金品では
自国で不足していた食料分と戦争にかかった膨大な費用を補えないからです。
略奪や奴隷狩りは戦争についてまわるものですが
それが戦争の第一の目的であったことはないと思います。

戦争は経済的に余裕のある国だからこそできるのだと思います。
余裕もないのに戦争というのは無理というか自滅行為というか。

それと
>戦国時代は異常気象が続いて慢性的に食料なんだよ
これのソースが知りたいのですが、良ければお教えください。
応仁の乱前後は畿内で厳しい気候が続いたようですが、
戦国時代全般全国を通じて異常気象と言うのは初めて聞いたので。
0666名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/27(土) 16:28:45ID:45XOMP+R
後年の国民国家のような目的で戦争していたわけじゃない。かなずしも統一的な合理性がついてまわったわけではない
基本的に、武力と権力を独自にもった勢力が乱立していたという社会背景があり
その利権のぶつかり合いがすぐに殺し合いに発展、それが時代を経るにつれ大名権力の下に統合されつつ争っていった
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