もしも武田勝頼になったら・・・★7
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 20:04:08ID:Zj2RXcMQもしも武田勝頼になったら Re-doing
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1143896192/
過去スレ
もしも武田勝頼になったら
http://makimo.to/2ch/hobby_warhis/1076/1076230098.html
続・もしも武田勝頼になったら
http://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1080/1080144607.html
続々・もしも武田勝頼になったら
http://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1096/1096046076.html
続々・もしも武田勝頼になったら
http://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1113/1113451571.html
もしも武田勝頼になったら Revolution
http://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1118/1118993785.html
・多少の横道も許容
・煽り荒らしはスルーで
0056名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 14:19:41ID:NBhOoIj2じゃあ実際不可能だったわけだな。
0057名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 14:31:10ID:9UYeCSwL尼子・今川・六角全てホロンだ
0058名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 08:48:00ID:BfpWiT3R0059名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 02:33:48ID:l8/jtJGH信長におとなしく屈服するしかないだろな。
でも長篠の合戦後だと屈服しても勝頼は切腹させられるかもしれないが…。
0060名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 13:33:41ID:RFFxaYi8なんたって嫡男だし、甲陽軍鑑に書かれているほど無能というわけでも
なかったようだし。
0061名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/30(土) 14:52:45ID:s1HJBBqp下手したら勝頼の命が危ないし
連中に見限られた勝頼一人が降伏しても重みゼロ
0062名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 10:54:40ID:TiwpwH/m長篠の戦では「鉄砲隊が騎馬隊を破った」のではなく
単に圧倒的に戦力の有利な織田方が順当に勝った、だけなのだが
このとき武田方は、1万5000の兵しか出していない。
信玄の西上時で2万5000だから、
もっと版図を拡大した長篠の時点では本当はもっと動員できていたはず。
要するに勝頼は統率力がなかったし、決戦時の状況も悪かったから
動員できた兵も少なかったわけだよ。
もし勝頼に信玄並の軍略があれば万全を期して、
織田方には兵数でやや劣るものの「圧倒的な差」ではない状況で戦ってただろう。
(信玄は常に相手を上回る兵力で戦ってたという人がいるが、この場合はそれはムリ。
だからといって織田に臣従しない以上、できるだけ早い時期に決戦しなくてはならないことに変りはない)
で、その兵数をもって高度な軍略で戦ってたらどうなったか、はまあ誰にもわからんな。
少なくとも俺が武田の跡継ぎだったら確実に滅ぼされてるだろうがwww
0063名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 10:59:17ID:TiwpwH/m後を継いだ事情がどうあろうと、
織田を打倒しなくちゃならんという緊急事態であったことは誰もがわかってたわけだし
個人的なカリスマ性が抜群にあれば家中の統制はできていたはず。
(何度も言うように俺にはムリだが)
組織ってそんなもんだ。
0064名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 14:09:51ID:lyHXm2CM生き残るのはともかく織田を倒すのはもう無理な気がする
それこそ信長が継いでも無理なんじゃないかな
信玄の死を隠して帰らず、
三河遠江制圧でもできてれば、
少しは変わったかなあ?
0065名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 14:28:26ID:T8TpTGp8信玄の外交ミスのせいで四方敵だらけ
各方面に防衛の為の戦力を残しておかないと織田は防げても他国に蚕食される
0066名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/06(土) 20:47:36ID:1jDAjh6q信玄が通称2万5千の軍を上洛戦で動員したのは、それが限界を振り絞った最大戦力だから。
そんな最大限界動員をしょっちゅうやってたらあっと言う間に国が破綻するよ。
穿った見方をすれば、長篠時の勝頼はその信玄最後の遠征の負債で動員数を減らしていた
のかもしれない。単純に個人の統率の問題じゃあないよ。
0067名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/08(月) 08:55:44ID:3HYIfkNh他勢力も味方につけ、もっと「最大限界動員」ができる時期を見計らって
決戦しただろうってことでしょ。信玄にはそれができたわけだから。
0068名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/15(月) 23:29:37ID:n7M6f6T9足助方面から大軍のスピーディな撤退が不可能だった為
織田防御陣地に突撃して、上手くいけば決戦で勝利、撃退されたら少人数で撤退
史実では後者になったわけだが、被った被害が大きすぎた
三河方面から長篠へ進軍したのが最大の誤り、当然織田方は定跡通り武田の退路を狙った。
信玄の西進は三河・遠江・美濃の3方向からだったし、三河方面も奥三河・遠江と2方向から攻め立てた。
0069名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 23:35:42ID:iNUyAWP1武田軍は戦国最強!正面激突なら突破できぬことなどないわ!!!!
0070名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/20(土) 00:56:54ID:f7njrGyp義信といっしょに信玄追放
0071名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/20(土) 01:43:41ID:jSNkrPnl信玄ができたというよりは、信長がもっとも多くの敵を抱えてきた時期に、ちょうどよく
信玄が合ったというべきかと。
べつに本願寺も将軍も三好も松永も朝倉も浅井も、信玄が策略なりなんなりで信長と敵対
させたのではなく、この連中が信長と戦っているところに信玄が参戦してきたのだから。
で、そういった連中は信玄の死んだ年にほぼ片付けられてしまった。
これをもって信玄にはできた、勝頼はできなかったと言うのはそりゃ無茶すぎる。
0072名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/20(土) 02:12:12ID:rzcMRRGG0073名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/20(土) 09:49:59ID:IHWoMz8I信玄を持ち上げて、安全策を取れなくなった勝頼を非難することが間違いじゃ・・・。
話変わるが、猛将というか猪武者というのは作られたイメージで、実際は理知的な
人間だったって本当。
0074名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 12:16:56ID:Qt3D4nwe>>67は、信玄西上時の動員数25000と長篠時の15000の違いを言ってるんだと思うぞ。
スレよめばわかるが、「他勢力」というのは上杉北条のこと。
長篠のときに25000あれば、それでも織田方に及ばないにしろ
圧倒的な兵力差、ではなかった。まあやりようによっては、勝っていた可能性も皆無ではない。
むしろ、将軍家本願寺将軍三好松永朝倉浅井がなくなった時点で
信長は3万数千しか動員できていないのだから、
信玄の西上時には信玄を圧倒する兵数は出せなかったのでは。
そうするとやはり「信玄があと5年生きていたら」という空想はしてみたくなる。
0075名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 13:06:01ID:pMRJ5Jya兵力と武将双方から、織田家は全くの本気じゃなかったしかみれないだけど。
大戦果を上げた事実から決戦と見られガチだけど、長篠は同盟者に対する
義理立て出陣で武田家にある程度のダメージを与えれば良いという位置づけだったに過ぎない。
そもそも、あれだけの主要な武将を討ち取れる算段があると思う?
ただ、ガチじゃない、織田家に運悪く大敗北したのが現実。
大敗しなけりゃ、それほど悪くない戦略的状況だと思うんだが。
0076名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 15:05:55ID:rjdPLPjM0077名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 15:08:55ID:Co4sIcQLそして本能寺の変の後天下をとる
0078前田 ◆MAEDAxMYTY
2007/01/21(日) 15:49:04ID:IUNxNN+m0079名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/21(日) 18:37:14ID:C2K5r/X3有り金担いで
高野山
俺勝頼
0080名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 13:43:37ID:JMUzdjiW>「他勢力」というのは上杉北条のこと
長篠時の北条は武田の同盟国なんだが?で、上杉は武田と本願寺の同盟関係上、
同盟は無理だった。それこそ、信玄にも上杉と同盟を結ぶことは出来なかった。
>信長は3万数千しか動員できていないのだから
将軍家追放のときは、記録では七万の大軍を動員している。まあ長篠の時点では
長島や本願寺や越前などが健在で押さえの兵が必要だから、織田家も最大動員を
かけて「3万数千」ではないのだよねえ。
勝頼が、様々な事情があって1万5千の兵を動かせた(動かせなかった?)のと同じく、
信長も、様々な事情の末、3万の援軍を三河にもっていった。
0081名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/23(火) 20:15:01ID:ERgP5bMr> そういった連中は信玄の死んだ年にほぼ片付けられてしまった。
これが誤りだったってことね。
0082便所裏のウッシー ◆LOSER.l5rU
2007/01/25(木) 10:45:35ID:zKW8rqjC三段鉄砲構えは捏造とかよく聞くが、本当はどうなんだ?
どうやって勝ったんだ?
0083名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 18:49:48ID:is4iPAgv0084名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 19:30:53ID:/wqFlK5d三河までの遠征で同数を動員出来るかは別の話
0085名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 19:39:51ID:HtOZdNSwじゃあ、武田にも同じことがいえるね。武田が最大動員で何万動かせても、
三河までの遠征で同数を動員出来るかは別の話。
ちなみに織田の他の例を挙げると、信忠初陣の江北遠征の時が五万。また
伊勢北畠遠征の軍が記録では十万(さすがにサバ読みすぎだとは思うが)。
長島のときも五万と言われているね。
0086名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 20:02:00ID:/wqFlK5d畿内周辺で短期間の戦と、三河まで遠征して何日掛かるか分からない戦とは別物って話
武田は自国領内でしょ
0087名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/26(金) 00:25:53ID:SfLurks6自国領内?
どこでの戦いを念頭においてる?
0088名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 17:02:05ID:xlHMBnzY信玄時代に上杉を拘束していた北陸の親武田勢力は潰れているし
>>67
時間がたてばたつほど国力の差は開く一方
>>74
後に上杉と織田が敵対するけど
それは武田が弱くなったから敵対することが出来たわけでもあるんじゃないかと
>>80
長島は違うぞ1574年に滅んでる
>>81
そういうわけでもないだろ
信玄の時敵対していた勢力のうち
将軍・浅井・朝倉・伊勢長島・松永・三好義継・三好3人衆は滅んでいる
長篠の時点では大坂本願寺・越前一向一揆はまだ生き残っている
三好康長は長篠直前に降伏
0089名無し
2007/02/11(日) 03:25:57ID:PTDENwIC新府城は余分だったよな
坊主になっていても金さえあれば京都で美人をはべらせて
毎晩宴会できそうだし
0091人間七七四年
2007/02/19(月) 23:00:33ID:ZZ7bUxyN「武田勝頼の墓」から多数の経石
山梨県甲州市教育委員会は19日、同市の寺院・景徳院にある県指定史跡「武田勝頼の墓」から、
墨で経文が書かれた経石が約5400個見つかったと発表した。墓から経石が発見されるのは全国的にも珍しいという。
景徳院は、勝頼が自害した地に、徳川家康が武田家の旧家臣に命じて建立させたと伝わっている。
現存する墓は勝頼の死から約200年後の1775年に建てられた。同じ場所に正室の北条夫人と嫡男・信勝の墓もある。
帝京大山梨文化財研究所の萩原三雄所長は「武田家にまつわる逸話が多くつくられるなど、
江戸時代には武田ブームが度々起こった。供養に大量の経石が使われたのはそうした時代背景も関係あるのでは」と話した。
甲州市教委によると、土台の石組みがゆがんで石塔が傾くなどしたため、昨年11月から墓の保存修理工事を開始。
翌12月、土台内から大量の経石が見つかった。大きさは数センチから数十センチとさまざまで
勝頼、北条夫人、信勝の戒名が書かれた約25センチ四方の平らな石も見つかった。
市教委は経石に書かれた文字をさらに詳しく調査するとしている。
[2007年2月19日20時40分]
0092人間七七四年
2007/03/05(月) 16:22:34ID:L6Zhnt0uでしょ。勝頼もマネしたらいいんじゃない。
織田にマメに贈りものを贈ってお世辞の入った手紙
「信長公を尊敬しています。わが父以上に!!」とか。
できる限り織田が西に向かうように工作したり。
少しぐらいの時間稼ぎはできると思う。
日本最大の大勢力織田家との激突は可能な限り先延ばしにする。
0093人間七七四年
2007/03/05(月) 18:09:32ID:wKYTBHrIそんなくだらないことする位なら
木曾義昌どうにかしろよwwwww
0094人間七七四年
2007/03/07(水) 00:18:57ID:q0SCN6bt0095人間七七四年
2007/03/07(水) 01:13:12ID:qPMPVHrT0096人間七七四年
2007/03/07(水) 11:21:40ID:BzoZl4JT0098人間七七四年
2007/03/08(木) 09:18:46ID:yx+oFytt江戸時代には武田ブームが度々起こった
ってこれ捏造って事だろうに。
0099人間七七四年
2007/03/09(金) 02:58:53ID:Z4KvXpGf0100sisan19
2007/03/15(木) 00:34:44ID:vy9OTqzo勝頼にはそれがなかった。
家康は信玄をまね、勝頼はながしの負け戦の教訓から信長をまねようとした。
信長は家臣を押さえつけ、ほうぼうの謀反を抑える時間があったが、勝頼にはなかった。
勝頼が家康なら降参したはず。
0101人間七七四年
2007/03/15(木) 00:43:32ID:YyUl2HyR長篠の時は、高坂弾正が1万の兵で留守を守ってたと思ったが。
0102人間七七四年
2007/03/15(木) 02:32:30ID:8U5L2wLB織田はどんどん拡大して行ってるんだから
0103人間七七四年
2007/03/15(木) 22:55:57ID:oTcK3Neq0104人間七七四年
2007/03/16(金) 15:24:08ID:Cifpndrl劇的に力を増してしまうのはちょっと困るかも・・・
0106人間七七四年
2007/03/18(日) 00:24:48ID:p4ZWD8RY0107人間七七四年
2007/03/30(金) 11:55:37ID:gSAfSF/L織田に臣従?
北条が織田に臣従したことはないだろ?
好を通じていたのは確かだが
御館の乱時に景虎助けて北条・上杉・武田で防衛網はるしかないんじゃね?
恐らく北条の風下に立つことにはなるだろうが
0108人間七七四年
2007/05/06(日) 00:37:22ID:ASY6ZRTh0109人間七七四年
2007/05/06(日) 03:14:34ID:HLQ7CVF00110人間七七四年
2007/05/08(火) 14:42:55ID:kBDTL1s7はい、甲陽軍艦はベストセラーだったんだよ。
それに追従した軍記物語も多く創作された。
武田○○将、とかの数合わせが流行したのもその結果。
「川中島もの」というふうに分類される歌舞伎作品群も
大当たりし、浮世絵(芝居絵)も多く描かれた。
0112人間七七四年
2007/05/09(水) 12:35:45ID:UjBESfT4それは単に石川数正が出奔したせいで
甲州流に切り替えた流れの中での事じゃないのか。
実に照らして流行るというのとは違う気がするぞ。
0113人間七七四年
2007/05/14(月) 15:42:16ID:VB4xKvBE北条夫人のような嫁さんは欲しいw
そもそも何で北条夫人は、甲相同盟が决裂しても実家に帰らなかったんだろう。
0114人間七七四年
2007/05/17(木) 00:13:36ID:gk7aGg4q0115人間七七四年
2007/05/24(木) 03:00:40ID:pO0zYCML長篠の戦は長篠城を落としきれなかった時点で負けだな。
1万5千しか出してないのは、徳川の勢力を削ることが目的で
信長との決戦までは考えてなかったんじゃないか?
城さえ落とせば包囲されて退路を絶たれる恐れがなくなるから
無理に決戦を挑む必要もなかったと思う。
0116人間七七四年
2007/05/26(土) 11:32:51ID:SVRAPtsH降伏して、当主切腹のかわりに、臣下は助命しかないよ。
いずれにせよ勝頼は死ぬしかない。
遺言どおり3年の動かなかったとしても、勢力差は広がっていくばかり。
なら打って出た勝頼の判断は間違っていない。
商業と生産の拠点である近畿地方を抑えた信長に、あんな山奥の武田家がどうやって勝てというのか。
0117人間七七四年
2007/05/26(土) 16:46:42ID:LzSG4rEk早期に同盟or従属してれば、切腹の必要もなかったと思われ。
勝つのは、まあ普通に無理だな。石高以上に経済の差がありすぎる。
0118人間七七四年
2007/05/27(日) 02:23:30ID:uv+hSKnyそうかな?
さすがに武田家の当主が助命してもらえるとは思えんけど。
三方ヶ原の戦いまでやっちまったんだぜ。
その直前で降伏したのなら、助命もあっただろうけど。
織田側に勝頼の命を助けるだけの理由はないだろ。
0119人間七七四年
2007/05/27(日) 03:45:59ID:F3ULOQQb実際、信玄死亡後に織田側から同盟の打診もしてるんだから、
助命なんてレベルより、全然上の講和の可能性だって全然有り。
0120人間七七四年
2007/06/03(日) 01:55:07ID:LCEXDKBHそのおかげで信玄死後勝頼の言う事あまり聞かなくなって
信玄が氏ぬ直前、勝頼に指揮権をゆずっていたら歴史も変わっていたはず
多分俺知ったかぶり
0121人間七七四年
2007/06/04(月) 08:53:09ID:xrSSIZAu低脳が多いなwwww
0122人間七七四年
2007/07/08(日) 00:23:52ID:TETkLeGc0123人間七七四年
2007/07/17(火) 23:47:19ID:xGHVXHe/長篠の戦を決戦と考えると負けは滅亡に繋がる。
つまり勝つしかないない。
そのためには玉砕覚悟で勝負を仕掛けるしかないと思う。
右翼、左翼に少数の押さえを残し残りの兵で中央突破を狙う。
中央を敗れれば右翼、左翼は分断されるので敵も混乱し
大軍の利は生かしづらい。
中央を敗れるかだけど本陣も攻撃に参加させる文字どうり
全軍で突撃をかければ柵は突破できる可能性高い
(内藤隊が柵破った事考えると)
柵さえ破れれば白兵戦になり兵の強さ、数、士気あたりが勝負決める。
兵の強さは死傷者武田1万、連合軍6千の史実が正しいなら武田の方が
強い(兵数、地形、火力で不利な状態で攻撃し6千も損害与えた事考えると)
数は連合軍、士気は武田(武田は玉砕覚悟の兵、さらに連合軍の作戦
は柵を破られ白兵戦に持ち込まれた時点で失敗し連合軍の士気は落ちると
思う 作戦失敗のショックは完璧な作戦ほど大きい)
こうなると徳川は援軍を頼んだ身であるから引けないが信長の場合は
一時退却を決意する可能性は十分ある(作戦失敗し、しかも相手が
玉砕覚悟で来てる、この状態で信長が引かないとは思えない
引き際のいい武将なので)
信長が引けば家康も引き、損害が武田の方が多くても一応勝ちになる。
中央突破に対抗して敵が右翼、左翼から打って出て包囲しにくれば右翼、
左翼の押さえの部隊と交戦になる。
その場合は中央突破をやめ出てきた敵を討つのもあり。
敵さんは陣地に篭ってる間は自在に兵動かしづらいがこちらは
相手が陣地いる間は自在に兵動かせるので相手に応じた動きがしやすい。
だから「中央突破やめ出てきた敵と戦う」という作戦は可能。
もしそれに対抗し敵が中央からも打って出れば武田の待ち望んだ野戦。
そうなれば絶対勝てる保障はないが十分戦えると思う。
ポイントは「玉砕覚悟の攻撃」 通常の戦闘では本陣が攻撃に参加
するのはありえないが(指揮とれなくなるし本陣壊滅したら元も子もない)
味方、敵に「決して引かない」という覚悟を見せ全軍で攻撃に出るには
本陣攻撃参加は必要。
右翼の押さえは馬場、左翼の押さえは山県に任せ敵の動きしだい
(敵が中央に加勢にいき守りが薄くなった場合等)には攻撃に参加、
万が一 敵が打って出てもこの二人ならかなり時間稼げると思う。
残りは中央突破(信長の首狙う)
武田の唯一の利点は「戦いの主導権、つまりどこを戦場にするかを
連合軍が陣地篭ってる間は選べること」
この利点を生かし全軍であたれば勝機はあったと思う。
0124人間七七四年
2007/07/17(火) 23:48:24ID:/W+9+MdZ0125人間七七四年
2007/07/18(水) 00:20:06ID:6NPFmtY8ポイントはとか言ってるけど、その前に文全体に秩序だったまとまりがなく
非常に読みづらい。言いたい事がたくさんあるのは分かるが、その文章では読み手に
伝わらないよ。多分十代の子だろうから、今の内に文章構成能力を磨く事をおすすめする。
健闘を祈る。
0126人間七七四年
2007/07/18(水) 00:33:14ID:fVh81RMt元々、織田・徳川は柵の内側だけで戦ってたわけじゃないし、
柵だって幾重にもあり、堀に盛り土もあった。
大体、死傷者が1万とか6千とかあり得ないから。
0127山形義光
2007/07/18(水) 00:56:57ID:LK9Sce260128人間七七四年
2007/07/18(水) 15:49:36ID:l8zxVv2x0130人間七七四年
2007/08/29(水) 15:48:36ID:T4W+3nlbまぁヤツの事だから無理難題ふっかけるか謀殺するか「勝頼以下一門は全員切腹」とか言いそうだ。
降伏した北畠ですら謀殺&幽閉だし。
まだ切腹ならいいほうで秋山みたく逆さ磔やら鋸引きとかにされたりして。
信長は相当な武田嫌いだしな。
0131Y ◆nzdGjBH722
2007/08/29(水) 19:24:12ID:8j5BfK3L主君に息子貰っといて脱出させずに敵に売るとか屑杉wんで、おまえにも無様な死に方をとか叔母が
いまわの際に言ってたらしいが、どう見ても負け犬の遠吠えw
0132Y ◆nzdGjBH722
2007/08/29(水) 19:25:23ID:8j5BfK3Lここに詳しく載ってる:http://miraikoro.3.pro.tok2.com/index.html
0133人間七七四年
2007/08/29(水) 21:00:52ID:pWOkUqDO多分史板の濃姫スレで遠山夫人を卑下しまくっていた奴だろうが
おまいさん岩村城開城について周辺の状況も視野に入れて
もう少しきちんと勉強した方がいいとオモ。
どんな事情であれ援軍をまわせなかった信長にも
非はあるのだし、ご房に関しても売るとはこれまた
かなりの言い過ぎ。
遠山夫人はあの状況の中でよくやったと思うよ。
0134人間七七四年
2007/08/30(木) 10:51:45ID:/+mZn8DO忍者を大量に送って信長暗殺すればいいだろ
失敗したらどっか北の国に亡命すればいい
0135人間七七四年
2007/08/30(木) 11:54:59ID:+Mt4GAbN0136人間七七四年
2007/08/30(木) 15:21:06ID:6Uy48X280137人間七七四年
2007/08/30(木) 22:11:07ID:sbEg2SlO新府城は作らずに上野の箕輪か厩橋あたりに行く
忠誠心高い盛信や土屋あたりをひきつれて徹底抗戦
その方がまだマシな死様を迎えれそう
0139人間七七四年
2007/08/31(金) 12:19:55ID:qDNrlGBO所領を織田に差し出し
甲斐安堵を条件に降伏
長篠前なら
信勝が成人し家督を継ぐまでは
大きな戦は避ける
あくまでも自分は諏訪四郎勝頼であり
信勝が成人するまでの代理という立場で
譜代の家臣と付き合いを深める
0140人間七七四年
2007/08/31(金) 12:30:18ID:hQ/yLlwY鴨川達夫『武田信玄と勝頼』によると勝頼は佐竹を仲介にして織田と和睦しようとしたが、
天正7年12月に信長のところに行った佐竹氏の使者は年が明けても相手にされず
門前払いを食ったという。
このとき勝頼が出そうとした条件は不明だから、甲斐一国安堵ぐらいまでへりくだれば
受けたかもしれないが、そんな条件を出すとは思えないし、いくら国主でも勝手にそんな
条件は出せないだろう。
上杉はそれに近い状態で信長滅亡まで生き残ったわけだが、これは御館の乱という
状況があったので既成事実を認めたようなものだった。
0141人間七七四年
2007/08/31(金) 13:58:47ID:dvt/AiII0142人間七七四年
2007/08/31(金) 21:23:56ID:aGrZkpzZ雨(できれば大雨)の日を選んで、織田・徳川軍に突撃し決戦する。
0143人間七七四年
2007/09/01(土) 08:59:53ID:qIfcizs00144人間七七四年
2007/09/02(日) 06:05:42ID:6zqprdXi見方の戦力を出来る限り温存し、建て直しを図るにはどうしても上手く撤退する必要が
あるからね。
武田には高坂正信という逃げ弾正と呼ばれた殿の名手が居たが、残念ながら長篠の合戦では
海津城で留守をまもっていて戦場にいなかった。上杉に対する睨みもあったけど。
勝頼にとって痛かったのは高坂のような退却戦の名手がいなかった事もあるだろう。
長篠の合戦は織田・徳川連合軍の三千丁の鉄砲に倒れたというのが通説になってるが
むしろ馬場をはじめとする重臣クラスの家臣たちは退却する際に討ち死にしている。
そういう点ではワーテルローの戦いによく似ているところがあるね。
ただ上手く撤退できたとしても、その後家臣たちを纏められたかどうかは疑問。
0145人間七七四年
2007/09/02(日) 10:08:04ID:YFlbZRM30146人間七七四年
2007/09/02(日) 21:56:40ID:gnAoyMqqで、信勝が元服したら、家督を譲って隠居だな。
信勝は一応、織田の血を引いているので、信長といえども無茶はしないと思う。
ただ、これをやったら、家臣どもが謀反を起こす可能性があるけど。
そのときは織田の力を借りて、謀反人どもをぶっ殺す。
万が一負けた場合は、身一つで織田か北条に逃げて、再起を図る。
0147人間七七四年
2007/09/03(月) 04:18:54ID:45JgS5RB0148人間七七四年
2007/09/03(月) 10:24:09ID:qjDKM2rt0149人間七七四年
2007/09/03(月) 17:17:04ID:0QLAimkK0150人間七七四年
2007/09/04(火) 21:57:35ID:uMB3Xu5J自分の子供たちにあまい信長にとっては、この差はでかい。
0151人間七七四年
2007/09/07(金) 23:11:06ID:r57PzUUN0152人間七七四年
2007/09/12(水) 21:08:08ID:SgKvcawp北畠や磯野路線だと思う……。
よくて放逐(というか命の危険を考えて逐電)、悪くて謀殺。
しかも勝頼の戦上手は信長も認めていたところだから、
まあ殺すだろう。
これ信長の常套手段。
0153人間七七四年
2007/09/12(水) 22:47:56ID:o7A5Ja00嬉しい。もっと詳しく!
0154名無し野電車区
2007/09/15(土) 15:25:41ID:oi9TnpeFせめて新府跡に作ってあげろよと思うんだが
0155人間七七四年
2007/09/16(日) 12:50:36ID:X7IlvFQl今まではこのスレの3行以上の文に何の価値もなかったが
これは知識になる価値のあるレスなので読んどけ
まずこのスレがここまで続いたのは
前提条件に「信玄が存命なら信長を倒せたかもしれない」
という期待があることだろう。今回はそれを否定するものだ
結論から言うと、三方ヶ原時既に武田家は詰んでいた
@信玄征西時既に織田家の勢力は武田家を凌いでいる
(単独攻略は不可能、包囲網による挟撃が頼み)
A包囲網崩壊寸前
B多額の負債を抱えた出兵
Aが以外と知られてないな
この知識不足がスレの続く要因となったのだろうが
信長は長距離の土塁を敷き詰め浅井・朝倉を封じ込めていた
三方ヶ原を知ると信長は土塁に抑えの兵を残して近江を離れ悠然と岐阜に入り決戦に備えている
浅井朝倉はそれを突破し追撃する力も既になかった
頼みの挟撃もできずに信長の本隊が待ち構える岐阜に攻撃を仕掛けても
恐らく攻めきる事ができなかっただろう、それどころか他の城を包囲時
逆に挟撃を受ける可能性が出てきた
金銭面からも長く戦線は維持できず
寿命が尽きなくても結局甲斐に引き上げる
一度引き上げてしまえば後はご存知のとおりだ
結局信玄の上洛は信長にとって窮地と言うほどでもなく
むしろ最後の機会とばかりに信玄の仕掛けた大博打といえる
三河でまごついていたところを見ると浅井朝倉に期待した甘い計算だった
勝頼は人気のあった武田信玄を持ち上げるために
犠牲にされてしまった感が否めない
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