「『甲陽軍艦』は、信玄に仕えた山本勘助の子で、京都妙心寺の僧が、遺老の話を収録したというが、その多くは信用できない」
とか
「信玄の家臣高坂昌信に仮託して、江戸時代の軍学者小幡勘兵衛景憲が著したもの」
とされ、史料としての信憑性は低いと言われてきた。
「偽書」とまで酷評されたこともある。

ところが、国語学者の酒井憲二氏が、1994年から1998年にかけて『甲陽軍艦大全』全7巻を刊行するにおよび、状況は大きく変わってきた。
それまでにも、高坂昌信が後述し、それを猿楽師の大蔵彦十郎と、高坂の甥春日惣次郎が筆録したといわれたこともあったが、その事がほぼ確定した。

つまり「偽書」とか「虚妄の書」といったこれまでのレッテルが徐々にはがされ、史料として使える部分もあるというように変化してきているのである。
(以上歴史読本より転載)


長年、架空の人物とされていた山本勘助も実在が確定されており(市河文書)
『甲陽軍艦』はある程度の信憑性はあるのではないか。
この板では軽視されすぎでは?