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何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか? 2

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 10:48:33ID:R6vu/Xof
前スレ
何故秀吉は将軍にならずに関白になったのか?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/
0859人間七七四年2008/08/24(日) 20:04:08ID:xevbcsz/
>>858の意見に大賛成
0860人間七七四年2008/08/25(月) 23:37:42ID:xCZSzTYT
>>855
買えたかなー、一応向こうはきっちり正統で系図残ってるし、難しかったと思うが。
0861人間七七四年2008/08/25(月) 23:42:08ID:57A4j0Cm
経基や満仲の子供あたりの系譜じゃダメかい
さすがに胡散臭いかな
0862人間七七四年2008/08/25(月) 23:45:53ID:pVFsrCwO
秀吉はなりたかったんだけど、なれなかったんじゃないの?
0863人間七七四年2008/08/26(火) 02:18:05ID:Nj/Mdsoh
系譜なんてのはそれ自体が胡散臭いんだけど、源氏だけはしっかりしてる。
だもんで、源氏を名乗る、というのはそれなりに意味があることなんだよね。
だから、秀吉なんかは名乗りようがない、というところ。

家康が、足利の兄貴を祖としたことはそれなりにすごいことで、普通は
名乗りたくても出来ない。
さすがとしかいいようがない。
これをおかしな解釈してる人も多いようだが。

858に賛成なんだが、もっと積極的に「秀吉路線とは別方式にした」と
いうのを強調すべきだろうな。
0864人間七七四年2008/08/26(火) 05:21:20ID:SMLM+c49
藤原家がどこの馬の骨ともしらない人間に藤原家を名乗ってほしくないから天皇と組んで豊臣を新設したんだよ。
0865人間七七四年2008/08/26(火) 06:58:25ID:APOD8xtE
時々負け惜しみのように湧いてくるな
0866人間七七四年2008/08/27(水) 01:54:53ID:WxjRIwdj
マジレスもなんだが、源平藤橘、以来何百年ぶりかの新姓下賜なんて、ものすごいことなんだよ。
二代で消滅させた家康はさすがとしか言いようがない。
秀吉が藤原を名乗ってくれるなら、一族の中の下っ端、なんだから藤原からみたら
ありがたいぐらいなんだ。
0867人間七七四年2008/08/27(水) 07:06:02ID:XI13VxQX
家康が、源氏の家系だといいはじめたのは、征夷大将軍就任のときではなくて、
もっとはるか以前で、桶狭間の戦いが終わったころ。

「三河守」という位をもらおうとしたが、源氏や平氏の家柄出身でなくては
就くことができない決まりになっていた。
当時、松平姓だった家康は、家系図を「購入」して、もともとは松平でなくて
得川で、新田源氏の末裔なのだと、でっちあげた。
でもこれでOK!、と朝廷から三河守の称号を得た。
0868人間七七四年2008/08/27(水) 09:56:31ID:Gxkwa+nU
織田信秀は朝廷から三河守うけてるけど、織田家は平氏も源氏もなのっていないが
0869人間七七四年2008/08/27(水) 13:39:03ID:WxjRIwdj
信秀はどえりゃぁ寄付したもんで、そのおかげでもらったようなもんだからね。
つまり、家柄うんぬんというのは朝廷側の気分一つだったちゅうわけか、当時は。
0870人間七七四年2008/08/27(水) 19:37:25ID:MqljxpXn
そうなんか
織田は平氏だと思ってた
0871人間七七四年2008/08/27(水) 20:23:38ID:Gxkwa+nU
もとは忌部氏だったのか?
信秀のころは藤原氏を名乗っていた模様。信長が途中から平氏を名乗り始める。
0872人間七七四年2008/08/27(水) 22:54:34ID:S5eilfAv
元は忌部氏という説があるだけで、詳しいことは依然分かっていない
分かっているのは、どうやら越前時代から藤原姓を名乗っていたらしいこと
0873人間七七四年2008/08/28(木) 21:36:24ID:ynOpnTRn
>>867が間違いだらけなのに誰もつっこまないのが笑えた
0874人間七七四年2008/08/29(金) 16:11:34ID:pqWE5ZOS
スルーもできないなんて…
0875人間七七四年2008/08/29(金) 17:22:55ID:bhFSpqX3
文体からしてアレだから突っ込まなかったが
0876人間七七四年2008/08/29(金) 18:48:06ID:Ch1B1tQc
>>873-875←ばかどもが!。

歴史雑誌の徳川家康特集号で、
その中に書いてあったことをパクっただけだよ。
0877人間七七四年2008/08/29(金) 19:20:58ID:bhFSpqX3
歴史雑誌がアレなのかパクり方がアレだったのか
0878人間七七四年2008/08/29(金) 19:31:07ID:Ch1B1tQc
「もともとは松平でなくて 得川」は、
徳川の間違いだろバーカ。

とでも思っているのだろうか。
0879人間七七四年2008/08/29(金) 19:34:29ID:bhFSpqX3
すまん、真性だった。スルーするわw
0880人間七七四年2008/08/29(金) 19:37:01ID:NyKvyZ/D
もっとやってくれ。
0881人間七七四年2008/08/29(金) 19:49:57ID:Ch1B1tQc
正解は得川。

上野国新田郡得川郷の出身でのちに徳川になった、と
系図では一応説明されている。

>>879は真性のようだから、永遠にスルーしてろ!。w
0882人間七七四年2008/08/29(金) 19:54:50ID:NyKvyZ/D
>>881
どういう雑誌か知らないけど、新田源氏の末裔と言ったのは
さすがに桶狭間の後じゃないよね、そういうようにも取れる引用だし。
ちなみに桶狭間の時、家康は10代後半、まだまだ家系図なんていう時期でもないし。

・・つられたか・・
0883人間七七四年2008/08/29(金) 20:01:01ID:Ch1B1tQc
>>882は礼節をわきまえた学問熱心な人物だから(好評価!)、
雑誌の記述を調べとくわ。
0884人間七七四年2008/08/29(金) 20:03:19ID:bhFSpqX3
>>883
もちっと勉強してこいよw
0885人間七七四年2008/08/29(金) 20:10:48ID:Ch1B1tQc
>>884のbhFSpqX3 は、>>879で言ってたように
スルーするんじゃなかったのかよ。もうでてきたw
0886人間七七四年2008/08/29(金) 20:14:45ID:bhFSpqX3
>>885
お前みたいな真性ともっと遊びたいなと思って
我慢できずに出てきちゃったさww
0887人間七七四年2008/08/29(金) 20:26:12ID:NyKvyZ/D
>>883
歴史雑誌と言ってムーだとこわいから調べなくてもいい。
08888832008/08/29(金) 20:39:53ID:Ch1B1tQc
新・歴史群像シリーズ(12) 徳川家康

1566年(桶狭間合戦の6年後)、家康は松平から徳川に改める勅許を得て、徳川家康となった。
家康は、近衛前久らに賄賂を贈り、前久は万里小路家から系図を探し出し、このような偽系図をでっちあげた。

この系図では、新田義重の子で、上野国の得川郷を与えられ、得川を名乗ったが
のちに徳川という字を使うようになり、その子孫が諸国をまわる僧となって、
三河国の加茂郡松平郷に至って、そこで松平を名乗った。つまり、本当は松平でなく、徳川である、
という主張をしている。メリットは、清和源氏新田氏の末裔であるとアピールすることにあった。

なぜ、この時期に改姓しなければならなかったか?。
松平家康は、三河を統一した時点で「松平蔵人佐」という官位であった。三河の支配者として
「三河守」がほしくなったが、三河守の官職は源氏か平氏か藤原氏か橘氏でなければならず、
松平氏のままではだめだった。

祖父清康が、一時期、源氏新田の世良田氏を名乗ったこともあり、新田流に系図をつなげることを思いついたのであろう。
改姓の効果はすぐあらわれ、翌年(1567年)には、三河守に任官している。

以上、p44〜45の要点引用
0889人間七七四年2008/08/29(金) 20:49:09ID:bhFSpqX3
>>888
君の元レスと色々違う件

まぁそれは置いておいて、>>888に「万里小路家から〜」と書かれている通り
一気に源姓を名乗ったわけじゃなく、まず藤姓を名乗っている
家康が源姓を名乗り始めるのは、うろ覚えだが1588年頃じゃなかったっけ
0890人間七七四年2008/08/29(金) 20:57:29ID:NyKvyZ/D
>>888
やっぱり引用がおかしくないかな。
1566なんてまだ三河のあんちゃんで、上野国と結びつけるのは
後に江戸に本拠を置いたのと混同してないかな。
これだと、前久が見つけ出してくれたようだけど、実際は家康がさがしてきた
「得川」だろうし。

ほんで、新田源氏を名乗る、ということがどういう意味を持つかに
全く触れてないから、家康の偉大さに触れられない。

・・つられたか・・
0891人間七七四年2008/08/29(金) 21:03:12ID:iuaDpBsC
>>867を見るかぎり、リア厨臭いな
得川の本当の読みとか知らないんだろうな
0892人間七七四年2008/08/29(金) 23:10:20ID:IFTbwt+5
信長にとっては姓などどうでも良かったんだよ。

でも、遥かに脆弱な基盤しかない秀吉にとっては、どうでもいいものでも
ありがたがるポーズを取らざるを得なかった。おじゃるどもへのご機嫌取
りは、信長の非じゃないw
0893人間七七四年2008/08/30(土) 01:45:35ID:UEjITdSF
>>890
そもそも「松平蔵人佐という官位」の部分だけで
ツッコミどころ満載だろww
0894人間七七四年2008/08/31(日) 01:11:20ID:rTvR5Zct
歴史群像シリーズという時点で突っ込みどころ満載。同門冬時あたりが寄稿したんだろ
0895人間七七四年2008/08/31(日) 01:19:53ID:vgn8GgQ/
童門、懐かしい
0896人間七七四年2008/09/01(月) 04:06:13ID:yOru+fhb
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4ADBF_jaJP233JP234&q=%e6%9d%be%e5%b9%b3%e8%94%b5%e4%ba%ba%e4%bd%90

蔵人は令外官で四等官制を取っていない筈なのだが、ググってみると言継卿記にそう書いてあるとか「本当かよ」という情報が現われる。
0897人間七七四年2008/09/01(月) 20:59:34ID:rx0dWHZH
どうもんの文章は名前が書いてなくても読んだら
雰囲気だけでわかりますね
0898人間七七四年2008/09/02(火) 07:52:11ID:gYxMzwUC
どうでもいいもん
0899人間七七四年2008/09/03(水) 00:33:52ID:fbsTgF1H
さらしあげ
0900人間七七四年2008/10/27(月) 18:39:06ID:1DMv3eC+
>>887
歴史群像も結構怖いぞ
0901人間七七四年2008/11/08(土) 23:41:00ID:aoUpjy4r
第125回 その時歴史が動いた 夢は征夷大将軍〜徳川家康・逆転の策略

を見たけど酷いな・・・。

「関白は公家の頂点、征夷大将軍は武家の頂点」

「秀吉は生前征夷大将軍地位を望んだが、かなわなかった」

「過去将軍になれたのは源氏の系統に属する武士だけ」

「将軍になるため、源氏の身分になるため足利義昭に養子にしてくれるように頼んだが断られて失敗している」


みたいな事を堂々と言ってるんだが。

ちなみにゲストは小和田哲男
0902人間七七四年2008/11/09(日) 00:39:24ID:8qonI8T1
まあ通説ではそういうことになってるんだし、
NHKの娯楽番組でついつい無批判に通説を採用しちゃうのは仕方が無い
本能寺の変黒幕説とか家康が信玄の息子だったとか
噴飯ものの珍説を公共の電波に乗せられるよりは遥かにマシだと思うしか
0903人間七七四年2008/11/14(金) 07:22:42ID:wbheYD0D
通説だけで十分じゃん。
0904人間七七四年2009/01/17(土) 21:18:57ID:3gDQzIjW
小牧・長久手の戦い→家康と講和。この時点で東国支配できないと朝廷に判断されたから99%ムリ
小田原の役→後北条を滅亡まではいいが、家康に改封させて東国支配を任せた→100%捨ててる
もともとなる気がなかったか、将軍職は初めから可能性はなかったと考えるのが妥当。武功・政策レベルでムリ
0905人間七七四年2009/01/17(土) 21:21:29ID:WElimWwt
バーカ
0906人間七七四年2009/01/20(火) 15:17:22ID:mChs/OOu
いっその事、徳川家康や北条氏等を屈服させて天下統一を達成した時点で

改めて、朝廷に征夷大将軍任官の工作をすれば、

すんなりと将軍就任を許されて、
関白兼征夷大将軍という過去に例のない権力を掌握出来そうだが…。

将軍就任で、幕府も開府出来て、
源氏や足利将軍家のように、
豊臣家の世襲制(ただし、血縁者が居ればの話だが…。)も確保出来そう。
0907人間七七四年2009/01/20(火) 15:31:47ID:/HHeI23s
>>906
関白が征夷大将軍に「成り下がって」どうする。
0908人間七七四年2009/01/20(火) 15:46:14ID:rYrfpMF6
将軍にはなれんだろw
0909人間七七四年2009/01/20(火) 16:34:52ID:/7K8bcqP
なぜなれないの?
0910人間七七四年2009/01/20(火) 16:37:44ID:/HHeI23s
関白になったから。
関白のほうが偉いから。
0911人間七七四年2009/01/20(火) 16:40:23ID:lW/KTWyp
戦国時代はみな足利家に取って代わり天下をおさめる
ことをねがい、血統、家柄に関係なく望む位につけた。

ってか?そんなリベラルな時代じゃねえってば。
0912人間七七四年2009/01/20(火) 19:53:33ID:X7Big3fa
首相が外相や蔵相の兼任やるようなもんと思えば、関白兼征夷大将軍でも
別にいいんじゃないの。
そもそも秀吉の関白就任自体が前代未聞の特例なんだし。
0913人間七七四年2009/01/20(火) 21:06:18ID:WcPpQLaB
小学生の時みた歴史漫画だと源氏の子孫じゃないからなれないとあったけど
0914人間七七四年2009/01/20(火) 23:41:49ID:MsAddT9p
征夷大将軍は源氏じゃなきゃダメって、ホントだろうか?
確かに、それ以前に幕府開いた2人とも源氏だったし、
”先例”ってことだと、そうなんだろうけど、関白になるより
難しかったとも思えない

徳川幕府後の人間からすれば、武家政権なら征夷大将軍で
幕府だろうって思うけど、あの当時としては、どうだったんだろう?
0915人間七七四年2009/01/21(水) 01:36:35ID:JZ7AVBR7
平家だって関白とかやってなかったっけ

源氏うんぬんは幕府を作らせたくない公家の言い訳になったのかも
武士の大半は源氏の流れをくむ家系なんだし朝廷がいえば無理に幕府を作ろうとすれば反発されるし
0916人間七七四年2009/01/21(水) 06:36:33ID:WOD9mjWI
っていうかさ、「幕府」っていう特別な政体は無いよ。
単に後の時代からそう名付けられただけでさ。
0917人間七七四年2009/01/21(水) 10:15:23ID:pnNIiwZc
関白太政大臣は工作で藤原氏の血統になんとか入れたからなれた

将軍は工作しても血統に入れなかった、つまり、農民出身の
信長の1家臣のまま

だから将軍になれなかった

藤原氏の血統に入れない場合は1戦国武将で終わりの可能性大

まわりの有力大名は関白の肩書きに従ってただけだからな
0918人間七七四年2009/01/21(水) 10:26:00ID:pnNIiwZc
>>915
平家は太政大臣どまり。
0919人間七七四年2009/01/21(水) 14:59:07ID:364lY1bM
時代は飛ぶが、
幕末の徳川慶喜は、朝廷と幕府の一元化を図る為か、
将軍が摂政を兼ねる構想を持ち出して、
側近達に朝廷工作等を命じていたそうだが…。
0920人間七七四年2009/01/21(水) 17:19:24ID:R1ay+Smk
秀吉は養子工作の前に内大臣になってるわけだがww
0921人間七七四年2009/01/21(水) 17:48:04ID:FPO8fAcL
>>920
「平秀吉」としてな。
0922人間七七四年2009/01/21(水) 19:27:41ID:eEx5wq66
はいはい三職推任
0923人間七七四年2009/01/23(金) 03:23:06ID:Ee4aB94Y
>>917
肩書きだけで従えられるなら、足利昌山だって近衛前久だって天下人になれたわけだが。
家康なんか血統工作しなくても源氏長者を久我家からうばってしまったしな。
0924人間七七四年2009/01/23(金) 03:40:28ID:rfpuU4lC
>>923
源氏の長者は征夷大将軍に付属するものではない。
まあ、源氏で武家の場合、征夷大将軍で、なおかつ公家を被官化したものが名乗れる
称号だと考えるといい。
0925人間七七四年2009/01/23(金) 09:28:41ID:BGfJku6J
>>917
任官要請を奏上するのは誰かわかってる?
わかってたらそんなこと言えないよね。
自分達の官位をやる前に自分達が任官しない高官(征夷大将軍)をやるよね。
0926人間七七四年2009/01/23(金) 12:43:12ID:zdMDD3Gc
やるもなにも征夷大将軍を朝廷が指名してたっけ?
五摂家が口出しできる話じゃないだろ?
0927人間七七四年2009/01/23(金) 18:03:18ID:rfpuU4lC
だいたい秀吉は武家に関しては豊臣姓をどんどん下げ渡して、
朝廷権威と共に、「豊臣ノ長者」としての家父長権威で統制しておる。
秀吉の政権は、官位序列と豊臣家と言う家内序列の二本立てで形成されている。
0928人間七七四年2009/02/09(月) 01:47:27ID:ZVqHeJDj
>>926
何を言っておるのか。
権限上は、五摂家は普通に口出しできる立場だが。

徳川時代は将軍家の権力が強すぎて、実質的に口出し出来なかっただけ。
鎌倉時代とか普通に五摂家が関わってる。
0929人間七七四年2009/02/10(火) 21:08:15ID:DOcHy6sj
>>928
朝廷内部に対しては江戸時代が一番権力を持っていた>摂関家
摂関家に独占的権力を与えて、その摂関家5家のみを江戸幕府が飼いならせば他の公家を無視しても幕府の権力が朝廷内部に浸透させられたから。
0930人間七七四年2009/02/10(火) 21:21:18ID:npUo87EJ
>>928
紫衣事件とか知らんのか

幕末は幕府の権威失墜して朝廷の力が大きくなったけど
0931人間七七四年2009/02/10(火) 21:26:34ID:b4oQJ3gG
>>930
>>928>>929のどちらにレスしているのかは知らないが、どちらも
紫衣事件の背景として間違ったことは言ってないだろ。
0932人間七七四年2009/02/10(火) 21:26:35ID:npUo87EJ
アンカー間違った
>>926
0933人間七七四年2009/03/29(日) 10:25:02ID:d/z2dyhk
天下統一後、秀吉は独裁者ですよ。必要なら関白でも将軍でも近衛大将でも何でもなれるでしょう。
独裁者に血筋もなにも関係ありません。(天皇は無理でしょうがね)
当時だれも文句言えませんって。
家康だって逆らえば殺されます。公家も同様。
ただ必要なかっただけ。
0934人間七七四年2009/03/29(日) 13:21:07ID:9s9RPVHZ
血筋に関係ない?関白だって近衛家の猶子になる
ことでなれたんだぞ。
将軍職を足利家から奪えば諸大名を敵にまわすことになる、
少なくても毛利や上杉は抵抗しないわけにはいかなくなる。
0935人間七七四年2009/03/29(日) 13:59:00ID:5MbgMgvg
文字が左右対称に近い方が有利だから
0936人間七七四年2009/03/29(日) 17:28:08ID:ToBVpv96
普通に関白の方が偉いからだろう。
征夷大将軍より武家関白制のほうがより上位にあった。
むしろなぜ家康は関白にならなかったのかの方が問題。
0937人間七七四年2009/03/29(日) 20:57:49ID:BPl92SAJ
>>934
なんで毛利や上杉が抵抗しなきゃなんねーんだよw
足利ブランドに夢持ちすぎだろw
0938人間七七四年2009/03/29(日) 22:36:13ID:fKACxG8j
>>936
武家関白制は秀吉末期には朝儀が機能停止状態になるという矛盾が生じていたから
0939人間七七四年2009/03/31(火) 20:35:52ID:c3kdr99g
>>936
中世以後、公家社会は散位・非参議など官職に就けない公家がごまんといた。
そこに秀吉の元で武家が官職を占めるようになった。だが、武家出身者に複雑な宮中儀式なんて行える訳がない。
しかも、左右の両大臣が秀吉によって失脚させられて宮中儀式も満足に行えなくなって朝廷の権威が低下。
そうなると、秀吉自身の天下人としての権威は健在だったが関白自体の権威は低下。
秀吉が死んだ頃には朝廷の組織は完全に機能麻痺に陥った。
徳川家康が「武家官位」を定めたのは、武家が官職を占めて公家が排除される自体を防ぐ側面もあった。
0940人間七七四年2009/04/01(水) 17:23:20ID:+RFPLSk3
>>939
武家関白制でも幕府でも、朝廷が日本統治の実権をほぼ握らない(外交は別みたいだったけど)のは変わらない。
朝廷の機能なんて式典ばかりなんだら、なにも官職に公家が付いていないとやっていけない〜なんてこともないのでは?
新たに役職を設けることもできる。

どうもしっくりこないんだが。
0941人間七七四年2009/04/01(水) 17:24:40ID:+RFPLSk3
言い方がおかしかった。
武家関白制は形式上朝廷による直接統治だから、「朝廷が日本統治の実権を〜」のくだりは当てはまらないよね。
0942人間七七四年2009/04/01(水) 18:24:58ID:v9qptW2E
官位と征位大将軍は違うんじゃないだろか。

官位は、帝に変わり政をするための役職
将軍は、朝廷に変わり武力で異敵を討つ為に作られた役であり官位は低くてもなれる
0943人間七七四年2009/04/01(水) 18:26:43ID:0JP8hmse
権威と権力の違い。
0944人間七七四年2009/04/01(水) 18:30:41ID:VAGr1yOw
>>939
武家が云々って言う以前に、すでに大葬、即位礼すら満足に
行えてなかったんだから、朝廷の権威もすでに低下していただろ。
むしろ、卑賤の関白を一方ではさげすみながら、一方では財力、軍事力に
感謝していたのが公家たちの実態じゃないのか?
0945人間七七四年2009/04/01(水) 18:35:34ID:v9qptW2E
なんで家康って徳川を名乗ったのや?

松平のままならスムーズに将軍になれたやんか
0946人間七七四年2009/04/01(水) 18:55:38ID:MaYuoPgA
めんどくせぇ公家連中を排除して武家で政治を行うには幕府体制がよかんじゃろ

今は衰退しててもいつ何時復活するかわからんに、制度としてきちんと定めとくがよかったじゃに
0947人間七七四年2009/04/02(木) 00:55:23ID:B5jdVv/o
>>940
その式典ですら満足に行えなくなったんだよ。
もう一つ、朝廷公家は全国統治組織としてはとっくに消滅していたが、
荘園や製造運輸販売の商業経済方面は武家政権が成立した室町鎌倉の頃でも
まだ強く握っていた。彼らがそんな力も完全に失うのは江戸以降。
逆に言うと、そういった旧勢力が握っていた特権も武士に奪われていくのが
戦国時代であり、奪って力をつけていったのが戦国大名。
0948人間七七四年2009/04/02(木) 05:52:19ID:/IIHMSmB
書くのが面倒臭いから短い関白にしたでいいや
0949人間七七四年2009/04/02(木) 17:59:56ID:LPg9mqHy
>>939
>しかも、左右の両大臣が秀吉によって失脚させられて宮中儀式も満足に行えなくなって朝廷の権威が低下。
>そうなると、秀吉自身の天下人としての権威は健在だったが関白自体の権威は低下。
>秀吉が死んだ頃には朝廷の組織は完全に機能麻痺に陥った。
秀吉の権威と、関白そのものの権威との乖離はナニによって確かめられる?
また秀吉が朝廷の権威を貶める意図とは何?
徳川家が朝廷から官位の実質的な任命権を奪取したことはしたが、それでもなお、自己権力による権威の付与を行わなかったのは何故?
つまりは、最終的には朝廷の官位に頼っているのは何故?
0950人間七七四年2009/04/02(木) 22:58:57ID:i6G4Ju+t
秀吉は本来織田家の一家臣として生涯を終えるつもりが、
本能寺の変をきっかけに天下とったから、
政権構想がなかったんじゃなかろうか。
だから幕府をひらいて天下を経営するプランがなかったのではなかろうか。
と妄想してみる。
0951人間七七四年2009/04/03(金) 10:13:39ID:f5bhIlJ0
>>945
松平緒家の上位に立つため、と俺の妄想。
0952人間七七四年2009/04/03(金) 16:55:12ID:au11I55s
秀吉が将軍になれなかったのは、将軍の価値に気付けなかったから。
実際に秀吉が将軍になる意味は薄いけど、秀吉自身がならなくても
秀長に将軍にならせて、豊臣のNO2が将軍につくとかって言う慣例を
作っておけば徳川につけこまれる隙がひとつ減った。

当時ボロボロだった将軍と言う地位もちゃんと実力の裏づけをもって
メンテナンスすれば恐ろしい威力を発揮するということに気付かなかったから
秀吉は豊臣家から将軍を出すことができなかった。

なろうとさえ思えば将軍になるのも、誰かを将軍にするのも
出来たと思うけどね。
極論としては秀吉が家康を将軍にして、豊臣と徳川の関係を決定しても良かったとすら思う。
自分でとった将軍じゃなく、豊臣からもらった徳川将軍じゃあ、豊臣をつぶしにくくなるだろうからね。
0953人間七七四年2009/04/03(金) 20:42:01ID:1wpm1XgT
それは面白そうだなw(ほめ言葉
0954人間七七四年2009/04/04(土) 00:15:32ID:gXYHtqIT
別に将軍は征夷大将軍だけじゃないからにんともかんとも
北畠顕家や懐良親王も大将軍として巨大な権力を持って、中央とは独立して政権を作っていた存在な訳で

あんまり「大将軍」の位を(っていうか幕府を作れる位を)乱立することは
地方分権を認めてしまうことで、中央集権志向から脱却してしまうから
百官の上に立つ関白を選んだ秀吉の選択肢ではないだろう
0955人間七七四年2009/04/04(土) 01:24:04ID:FL3W5C2P
農民出身じゃなかったからじゃないの?
征夷大将軍は源氏でないとなれないって聞いたんだが
0956人間七七四年2009/04/04(土) 01:27:32ID:YDtGxNOF




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0957人間七七四年2009/04/04(土) 02:49:12ID:8fXAnCLq
年齢的に、手っ取り早く政権構築して安定化させるのに公家、官位ってもんを利用して
武家を組み込んで一本化しただけじゃないの?
秀頼があと10年早く生まれるか秀勝か鶴松もしくは秀長が生存してれば盤石だったと思うけど。
0958人間七七四年2009/04/04(土) 03:20:57ID:gcGX6yxa
>>949
そもそも武家政権と言っても大政奉還の瞬間まで朝廷機構の一部にしか過ぎない
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。