静岡大学教授小和田哲男氏について
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 03:39:15ID:+5nMQ8o3歴史雑誌やテレビ番組にも度々顔を出す戦国史の研究者ですが、
この人は実際どのような評価を受けているのでしょうか?
歴史素人、玄人、両方の方の見解を・・・
0210人間七七四年
2008/10/17(金) 07:14:24ID:UaiZ22Ge・同じ内容を繰り返す
・真似をする
・深夜、早朝のレス
0211人間七七四年
2008/10/17(金) 11:58:13ID:/MY9OfQW=偽書メーカー=津軽外三郡誌
0212人間七七四年
2008/10/17(金) 18:53:17ID:/MY9OfQW=偽書メーカー=津軽外三郡誌
0213人間七七四年
2008/10/18(土) 06:46:05ID:ks2OhATPブロックくらったんでこっちで鬱憤晴らしてる。
0214人間七七四年
2008/10/19(日) 21:38:30ID:D98Gf787>私自身も「決して良質な史料とはいえない」と自分の本には書いてきた。
>ただ書かれていることが全部間違いで、否定されるかといえばそうではなく、
>『武功夜話』にしか見えない話の中には、史料として使える部分もあるのではと考え、そのように接し、使ってきた。
>ところが、1999年、勝村公氏が、「偽書『武功夜話』と贋系図『前野氏系図』の検証」(『歴史民俗学』第15号)
>という論文を発表し、『武功夜話』偽書説の烽火をあげた。
>ついで、藤本正行、鈴木真哉両氏は、2002年に書名もそのものずばり『偽書「武功夜話」の研究」(洋泉社新書)を出し、
>『武功夜話』偽書説が主流となってきた趣がある。
>それぞれの主張については、両書を読んでいただくとして、
>私が気になるのは、両書とも、『武功夜話』の成立を明治以後としている点である。
>藤本正行、鈴木真哉氏は、明治40年以降、勝村公氏に至っては、昭和29年以降とする。
>だから偽書だという主張である。
>偽書ならば歴史の研究には使えないということになる。
>偽書と家伝史料・軍記物とでは全く扱い方が違ってくるわけで、
>「いつか原本に当って確認したい」と考えていたところ、閲覧の機会を得て、
>吉田龍雲氏の土蔵に入り、刊本となった『武功夜話』の原本とされる21巻本の「武功夜話」に接することができた。
>「千代女留書」といわれる「武功夜話拾遺」を含め、すべて、江戸時代のものと見てよいと私は判断した。
>江戸中期というよりは、後期の可能性が高い。
>しかし明治40年以降、昭和29年以降ということはありえないのではなかろうか。
>実は『武功夜話』には原本になったという21巻本の他にも先行する「武功夜話」があり、
>それらと刊本との照合も必要になるし、『武功夜話』の典拠とされる「覚書」類の研究も今後は必要になってくるように思われる。
0215人間七七四年
2008/10/20(月) 16:43:09ID:agGHZ5QOむしろ記述にほぼ同時代のものと矛盾がないかじゃないか? 同一人が書いた文書群にしては相互で矛盾をきたしているのは解せない。
0216人間七七四年
2008/10/20(月) 18:00:17ID:GkBM8N67紙なんか入手するのは容易いだろ。
でも、戦前から戦後に流行った先祖顕彰私書だとすると、
矛盾点や、明らかな嘘、作り物と分かるようにしてあるのは納得が行く。
わざとそういう部分を入れ込む事で、歴史に干渉しないように制作されていたからな。
0217人間七七四年
2008/10/21(火) 03:10:22ID:FrLCimmy徳川の伝える正史を無視して、
郷土地誌の伝えるデタラメを妄信して、史実化しようとする。
0218人間七七四年
2008/10/21(火) 17:17:59ID:FrLCimmy0219人間七七四年
2008/10/21(火) 23:29:07ID:XsdR/1Jiわたしは何かの罠かと思いました
0220人間七七四年
2008/10/22(水) 04:30:54ID:HB67Ub+3石田三成は義の人だとかなんとか
0221人間七七四年
2008/10/22(水) 06:43:19ID:jOy37Ara0222人間七七四年
2008/10/22(水) 08:35:44ID:9QnF6oJN0224和田喜八郎と小和田哲男
2008/10/22(水) 19:05:06ID:f2D7DeT70225人間七七四年
2008/11/13(木) 22:16:09ID:fDUMBDfN調査士業務に関して誤った記事が記載されております。
9月号の27ページです。
(目次では26ページと記載されております。)
われわれの仕事は、法務局に登記申請の代理人として土地や家屋の特定できる内容を図面を添付して所有者に代わり
登記申請することであり、地盤調査や建物強度に関してど素人であり、なんらの関与もしてません。
0226人間七七四年
2008/11/17(月) 03:14:07ID:UGruL7A80227人間七七四年
2008/11/17(月) 10:25:10ID:dArouBB50228人間七七四年
2008/11/22(土) 02:26:50ID:ySffXHzN★アダルトビデオの茨城大学を卒業しました★
★アダルトビデオの静岡大学を卒業しました★
と言うべき・・・・
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/student/1225926098
0229人間七七四年
2008/11/29(土) 01:55:22ID:5jdpZ1bK徳川の伝える正史を無視して、
郷土地誌の伝えるデタラメを妄信して、史実化しようとする。
0230人間七七四年
2008/12/03(水) 22:15:04ID:6Rg8Tl2Yキタ━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━!!!
0231人間七七四年
2008/12/03(水) 22:18:52ID:1z8s/uPH0232人間七七四年
2008/12/03(水) 23:34:40ID:ThzV/yHKどんな風にむごかったの?
0233人間七七四年
2008/12/03(水) 23:42:33ID:+5quoxOi今週のその時歴史が動いたをみると、本当に「専門外」だけなのか?
本当にきちんとした学者?
0234人間七七四年
2008/12/09(火) 15:29:34ID:r8UWGutY海道一の弓取=徳川家康のこと。今川義元のことは完全な捏造。
家康の軍法の師匠は、雪斎は、幕末の地誌(郷土誌)の駿国雑志の捏造。徳川の公文書に記載なし。
家康は、今川に恩義を感じていた?捏造です、改正三河後風土記、徳川実紀では、今川は三河を横領した悪党です。
0235人間七七四年
2008/12/09(火) 19:13:49ID:EtHbnyayて言うか、何で殺されなかったの?奥方が氏真の従姉妹だから?
0236人間七七四年
2008/12/11(木) 20:23:44ID:ThcbOfY50237人間七七四年
2008/12/14(日) 18:11:22ID:VUFsFWfs「桶狭間・信長の奇襲神話は嘘だった」を読むと、
小和田がいかにデタラメを言ってるのかがよく分かる。
0238人間七七四年
2008/12/16(火) 02:20:21ID:H94tLQsN久保田昌希
こいつもデタラメ言ってる。
0239人間七七四年
2008/12/16(火) 23:08:16ID:JtGUq9CS0240人間七七四年
2008/12/19(金) 23:17:38ID:btMRqhik今川マンセー厨房のキチガイ学者双璧。
0241人間七七四年
2008/12/19(金) 23:26:49ID:JyRb3ejh0242人間七七四年
2008/12/29(月) 02:51:19ID:/0MPxOsy今川マンセー厨房のキチガイ学者双璧。
0243人間七七四年
2009/01/02(金) 05:09:05ID:p6pZ4jRi海道一の弓取=徳川家康のこと。今川義元のことは完全な捏造。
家康の軍法の師匠は、雪斎は、幕末の地誌(郷土誌)の駿国雑志の捏造。徳川の公文書に記載なし。
家康は、今川に恩義を感じていた?捏造です、改正三河後風土記、徳川実紀では、今川は三河を横領した悪党です。
0244人間七七四年
2009/01/02(金) 16:01:26ID:Eu5xnvL3若き日の家康が義元の家臣(外様ではあるが、礼遇されてる)として仕えたことは確実だな。
主人を裏切ったとか言われたくなくて、「人質だった」などとデタラメな説明するようになったけど。
0245人間七七四年
2009/01/03(土) 23:17:53ID:Utl2C76g家康が今川を裏切ったのは、桶狭間で義元が討たれて氏真に「仇討ちを!」って言ったのに氏真にやる気がなくて失望したからだって聞いた
人質って言っても、そんなに悪い扱いじゃなかったと思う
0246人間七七四年
2009/01/04(日) 04:32:03ID:i8dvFswL悪い扱いじゃなかったのは事実だろうよ。
ってか、そもそも人質じゃないだろ。単なる主従関係。
中堅以上の家臣は城下に常駐するシステムだった今川家の事情ゆえ、
外様ながら権限が大きい分郡守護なみ大手領主の松平家は、
本来なら最初から駿府に居住する義務があったんだが、広忠が現役だった時代にはそれが困難だっただけ。
0247人間七七四年
2009/01/04(日) 15:35:16ID:4Yj4MOfl海道一の弓取=徳川家康のこと。今川義元のことは完全な捏造。
家康の軍法の師匠は、雪斎は、幕末の地誌(郷土誌)の駿国雑志の捏造。徳川の公文書に記載なし。
家康は、今川に恩義を感じていた?捏造です、改正三河後風土記、徳川実紀では、今川は三河を横領した悪党です。
0248人間七七四年
2009/01/07(水) 16:07:46ID:9bNAMe6i家永遵嗣氏もすごいと思う。両氏とも室町・戦国史の権威、でしょう。
0249人間七七四年
2009/01/07(水) 17:14:47ID:gzC5dLwnむしろ売文の方向だと思う。
同時代の話題のうちでも、比較的、一般受けが悪かった内容を一般向けに紹介しようって方向で、
古代史の森浩一とかと類似の方向性じゃないのかな。
ただ、テレビ向けに舵を切ってからは、テレビの欠陥との相乗作用で、劣化が目立つようになったけど。
なんせ、テレビ番組の基本は「事実よりもディレクターの意向」(または視聴率)だからな。
迎合したり省いたり、リップサービスしたりして、事実から遠ざかってしまう媒体。
0250人間七七四年
2009/01/07(水) 18:15:39ID:08p57GXN0251人間七七四年
2009/01/09(金) 22:23:42ID:aYMlI//N0252人間七七四年
2009/01/10(土) 06:16:24ID:9YiZKpqHただの名義貸しみたいなもん
0253人間七七四年
2009/01/10(土) 13:54:42ID:HqjJ7U0h小和田が監修してるんだが、オレが九州しか詳しくないんで九州の事についてしか
言えないんだけど、結構いい加減なマップだな。
国人と呼んでいいのかわからん名前はあるのに、明らかな国人クラスの名前はないし、
豊臣政権前の配置と政権後の配置がごっちゃになってたり(一応注釈はされてるが)
結局、自分が興味ない地域とかはいい加減なんだな、このオッサン。
0254人間七七四年
2009/01/10(土) 20:29:07ID:72bNOS2z今川義元もいいかげんでデタラメ。
0255人間七七四年
2009/01/12(月) 18:45:50ID:1PjR5Bj8海道一の弓取=徳川家康のこと。今川義元のことは完全な捏造。
家康の軍法の師匠は、雪斎は、幕末の地誌(郷土誌)の駿国雑志の捏造。徳川の公文書に記載なし。
家康は、今川に恩義を感じていた?捏造です、改正三河後風土記、徳川実紀では、今川は三河を横領した悪党です。
0256人間七七四年
2009/01/13(火) 00:20:28ID:+pRBxxW+0257奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/15(木) 00:19:49ID:pBFtJy0H0258人間七七四年
2009/01/15(木) 01:36:14ID:jzSChMPm0259人間七七四年
2009/01/15(木) 03:52:02ID:jzSChMPmいよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。
0260人間七七四年
2009/01/15(木) 10:22:25ID:9SNVf3m6専門でもないし興味もないが、徳川の家臣筋の著作、
しかも、だいぶ後世になってからの著作ばかりというのは
弱すぎるんじゃ。
0261人間七七四年
2009/01/15(木) 15:57:12ID:cmu6wkNo0262人間七七四年
2009/01/16(金) 00:30:26ID:CxGZnfIMあれ
0263人間七七四年
2009/01/16(金) 03:18:48ID:boRX/eghいよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。
0264人間七七四年
2009/01/18(日) 23:28:21ID:s5AyWQIC不勉強な上に、偏った考えなようなので一言。
家康が雪斎に教育を受けていたのは事実。
静岡の臨済寺(今川義元時代、雪斎が住持。信玄が破壊、後に家康が再建)に、家康手習いの間を再現したものがある。
家康が雪斎の教育に恩義を感じていなければ、臨済寺を再建する必要もない。
今川家は、家康(当時松平元康)を、今川家のための有力な家臣として育てようとしていたといえる。
さらに今川の親類衆関口氏の娘を義元の養女として、家康に嫁がせている。
人質とはいえ、今川家は三河松平を厚遇していた証拠だ。
ただ、外様は先方衆になるのは、戦国の常識。
三河にしかいない松平家臣が、今川の領袖に降ったのを面白がるはずもなく、
後年書かれた後の三河物語等に、今川を良く書くわけがないだろ。
資料は、誰がどういう状況で書いたかを前もって分かっていないと。
0265奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/18(日) 23:33:33ID:xHbU9Wbq0266人間七七四年
2009/01/18(日) 23:52:30ID:TeZdkrmr人質に出されるわ、
途中で拉致されるわ、
父親は殺されるわ、
三河に良い思いがなくて当然かなと。
その点、祖母(曾祖母だっけ?)と暮らした駿河時代のほうが良い思い出がありそう。
実際、隠居所は生まれ故郷の三河でも青年時代をすごした遠江でもなく、
まさに少年期を過ごした駿河だったわけで。
0267人間七七四年
2009/01/19(月) 00:41:09ID:dedbxet2晩年(死期)を迎えたいそうです
0268人間七七四年
2009/01/19(月) 11:40:33ID:qkNtw9I1いや、「人質」ってのが俗説(後付けの「言い訳」から来た?)なだけじゃないのか。
今川家を含め、有力な大名の多くは、
室町幕府に倣って重心の城下集住を進めてたから。
(室町幕府は主要大名の恒常的な在京を原則としていた)
「家康は主要な家臣の1人だから駿府在住が求められていた」ってだけだと思うよ。
>外様は先方衆になるのは、戦国の常識。
ってか、国境紛争を原則とする大名間戦争においては、
係争地近隣の領主(地元衆)が紛争当事者、大名は「後詰め」「援軍」の位置づけだから、
「戦況によっては大名が援軍として実際に戦うこともあるが、
原則は地元衆同士の戦い」なんじゃないのかな。
もっとも尾張に近隣の領主である松平が先方となるのは必然。というより、
形式上は「松平と織田の紛争に、援軍として今川が駆けつけた」って形になってたんじゃないのかな?
0269人間七七四年
2009/01/19(月) 23:09:58ID:mLOiTCWw外様が先方については、地元の国境紛争当事者は当然前線で戦う運命ですが、それ以外の地域からも新顔は先方衆にされたようですよ。
新顔外様にとっては働きの見せ場だし、またいつ裏切るか分からないと信用されていませんから前線に出されます。
戦国中期から後期になると、結構遠い地域の豪族が前線の城の守将となっていることが古文書から明らかにされます。
例えば武田氏時代の駿河・丸子城の守将に信濃の豪族(名前忘れた)がなっていたりします。
境目の豪族でなければ、平穏な自分の地元にいる必要はないから他地方の前線に行って働けってことなんでしょうね。
0270人間七七四年
2009/01/20(火) 00:23:08ID:HzrZsXIs0271人間七七四年
2009/01/21(水) 09:21:31ID:WOD9mjWI不勉強な上に、偏った考えなようなので一言。
あなたの書き込みには家康が雪斎から直に教育を受けた根拠が書かれていません。
>家康が雪斎の教育に恩義を感じていなければ、臨済寺を再建する必要もない。
臨済寺は義父義元の菩提寺だよね。再建して当たり前。
0272人間七七四年
2009/01/21(水) 10:46:43ID:cB2CnZJKそういう反論だと、あなたは、
・ 家康が雪斎から(直接ではないかも知れないが)間接的には教育を受けていた、
という根拠を>>264氏は示した。
・ 家康は、義父義元にそれなりの恩義を感じていた。
ことを認めることになっちゃうんだけど、それでいいのかい。
0273人間七七四年
2009/01/21(水) 13:46:39ID:WOD9mjWIうん、例のコピペ厨とは別人だからね。
一つ目は教育を受けたと言える程付きっきりだったかは雪斎も暇じゃなかっただろうし疑問だけど、
ふとした時に何かしらの指導は受けていたんじゃないかと思うよ。
若い時の家康は短気が目立つから諌められたこともあったんじゃないかとか。
義元の恩義にしても、結局のところ人質だったから恨んでいた可能性もあれば恩義を感じていた可能性も、
またその両方も有り得るけど、今川家を抹殺してないどころか小禄ながら残してる点を考えると、
松平家は今川家に一時従っていただけであって家康が今川家の悪評を垂れ流して抹殺しても、
主家滅ぼしとは言われないと思うから深い恨みは無かったと思う。
家康が度々義元の墓所に赴いた話のソースも信憑性も知らないけど、
有り得ない事ではないし、そうだったら良いなと思う。
0274人間七七四年
2009/01/21(水) 16:18:41ID:O8E7fTBEあと今川家臣から心無い侮蔑を投げつけられれば、一言では言えない複雑な思いを感じてたと思う。
0275人間七七四年
2009/01/21(水) 16:32:20ID:cB2CnZJK> >>272
> うん、例のコピペ厨とは別人だからね。
ああ、納得。私も>>264とは別人だよ。
ただ、そうすると
> >>264
> 不勉強な上に、偏った考えなようなので一言。
というのは、ただの混ぜっ返しでいいのかな。
雪斎が「手取り足取り教えた」というようなことは書いてない
(そんなのは、よほどズバリの史料がないと証明も反証もできない)
し、寺を再建した理由も排他的という訳じゃあない。
>>274
あの辺の「三河衆の辛酸話」は誇張されてる面が多い可能性もあるしね。
遠江衆や甲斐衆への対抗心、成上がり者としての子孫への訓戒、
など、いくつかの動機がある。
ただでさえ年寄りの苦労話は大げさになりがちだし。
0276人間七七四年
2009/01/21(水) 19:11:23ID:0J0a0y6m一時したがっていただけだ、とか主家滅ぼしたわけじゃない、とか
神君マンセー史観にどっぷりと漬かりきっているとしか。
0279人間七七四年
2009/01/22(木) 23:56:06ID:g3CrB844普通なら読破に1週間以上かかるのに、この人の本は3〜4日で読み終える
0280奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/23(金) 00:04:30ID:wWfSP6tX0281人間七七四年
2009/01/23(金) 10:07:03ID:BLQjQ8gw0282人間七七四年
2009/01/23(金) 10:09:22ID:BGfJku6J0284人間七七四年
2009/01/27(火) 20:09:30ID:36fb51I/こいつの歴史捏造、危険だぜ。
武功といい、捏造だらけ。
0285人間七七四年
2009/02/01(日) 19:49:24ID:tEUpZ2Hl「徳川が伝える正史」が正しいなら
信康自刃もやはり信長の命令なのか?
これこそ徳川御用学者の捏造なのに。
0286人間七七四年
2009/02/02(月) 14:25:48ID:NWYKJLWHいよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。
0287人間七七四年
2009/02/03(火) 20:38:27ID:0Frap2cb答えろよ厨さん。
0288人間七七四年
2009/02/07(土) 13:13:29ID:o+GBDtlt『NHK大河ドラマ・功名が辻』で、山内一豊夫婦の手首にミサンガもどきの
布切れ巻かせちゃった自称時代考証屋さんのことですな。
0289人間七七四年
2009/02/08(日) 12:35:55ID:lNG0M4l90290人間七七四年
2009/02/08(日) 17:12:17ID:Rm5vA6Gn偽書の武功夜話をマンセーするキチガイ。
0291人間七七四年
2009/02/08(日) 17:50:22ID:sK6Xx6Ogあと「愛」のこじつけも。
所詮御用学者。
0292人間七七四年
2009/02/08(日) 17:55:17ID:GXwWGMJkバカ発見!
0293人間七七四年
2009/02/08(日) 23:51:07ID:YB22gjc10294人間七七四年
2009/02/09(月) 00:02:56ID:cl+KEa/w以前、『日本歴史』で小和田氏初め6人の学者さんの座談会が
収録されてたが、それ見るかぎりだと、「秀吉」の時とかは結構
細かく仕事してたみたいだけど、今回はあんまり反映されてる様子が
無いな。
0295人間七七四年
2009/02/09(月) 00:17:19ID:izIt6XkY0296人間七七四年
2009/02/09(月) 01:07:54ID:4NQU/NUx0298人間七七四年
2009/02/09(月) 01:41:40ID:ZqPvvf+7篤姫が評判良かったのに落差激しいなw
確かに与六時代は良かったよ。
つか来週も再来週も毎回、主役は泣くんですか?
0299人間七七四年
2009/02/09(月) 10:22:13ID:77FgJT48この板で篤姫を面白いと思っているのは少数派
しかし小和田氏の名声も地に落ちるわ、これでは。
0300人間七七四年
2009/02/09(月) 13:39:31ID:A3ucNyDQ→予算と室内スペースの都合につき、考証のせいではない
槍を使う人すらまれだったんだが?
→槍の殺陣を素人に教える時間も予算もない。考証の(ry
幹部候補たる上田衆が自ら刀だけでやぶの中をうろつき回ってたのは?
→エキストラを予算、室内ス(ry
0301名無しさん@お腹いっぱい
2009/02/10(火) 00:01:54ID:QIuyb2PLとりあえずはお疲れ様でした。
0302名無しさん@お腹いっぱい
2009/02/10(火) 00:05:52ID:QIuyb2PLかつて柴辻俊六さんも大河の時代考証をした時のエピソードで、
いろいろ提言しても結局NHKがその方がおもしろいのでとか言われて
納得いかなかったとかおっしゃっていた。
0304人間七七四年
2009/02/10(火) 01:08:41ID:TXMtxI/m期待するのが間違ってるよ
0305人間七七四年
2009/02/10(火) 07:41:48ID:gsxXHz8e静岡県西部の端っこのインチキ政令市のバカどもか?
インチキ製造業が崩壊した憂さを晴らしてるようだが、
江戸のプロトタイプ静岡市としては迷惑千万な話だぞ!
0306人間七七四年
2009/02/10(火) 11:54:08ID:5g4o/nQ30307人間七七四年
2009/02/10(火) 16:34:18ID:iSEMBBIW0308人間七七四年
2009/02/10(火) 18:06:35ID:03Mo8epc西部(遠江)と東部は今川はむしろ敵だよ。
小和田氏が今度、牧の原市の歴史調査をすることになっているらしいが
今川びいきの見方をするかどうかをみてればわかるよ。
0309人間七七四年
2009/02/10(火) 20:46:27ID:YY87FRSD>>308
それ言ったら県内全域で敵になる。
今川も最初は遠州を拠点に駿河を攻め取ったしね。
つまり廬原氏ヒャッホー!!!
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