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静岡大学教授小和田哲男氏について

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/08(日) 03:39:15ID:+5nMQ8o3
戦国史関連の多くの著作を持ち、
歴史雑誌やテレビ番組にも度々顔を出す戦国史の研究者ですが、
この人は実際どのような評価を受けているのでしょうか?
歴史素人、玄人、両方の方の見解を・・・
0210人間七七四年2008/10/17(金) 07:14:24ID:UaiZ22Ge
・ageている
・同じ内容を繰り返す
・真似をする
・深夜、早朝のレス
0211人間七七四年2008/10/17(金) 11:58:13ID:/MY9OfQW
小・和田喜八郎(哲男)

=偽書メーカー=津軽外三郡誌

0212人間七七四年2008/10/17(金) 18:53:17ID:/MY9OfQW
小・和田喜八郎(哲男)

=偽書メーカー=津軽外三郡誌

0213人間七七四年2008/10/18(土) 06:46:05ID:ks2OhATP
/MY9OfQWはウィキペディアで荒らししていたオタスケマンという奴。
ブロックくらったんでこっちで鬱憤晴らしてる。
0214人間七七四年2008/10/19(日) 21:38:30ID:D98Gf787
歴史読本6月号の武功夜話についての発言

>私自身も「決して良質な史料とはいえない」と自分の本には書いてきた。

>ただ書かれていることが全部間違いで、否定されるかといえばそうではなく、
>『武功夜話』にしか見えない話の中には、史料として使える部分もあるのではと考え、そのように接し、使ってきた。

>ところが、1999年、勝村公氏が、「偽書『武功夜話』と贋系図『前野氏系図』の検証」(『歴史民俗学』第15号)
>という論文を発表し、『武功夜話』偽書説の烽火をあげた。
>ついで、藤本正行、鈴木真哉両氏は、2002年に書名もそのものずばり『偽書「武功夜話」の研究」(洋泉社新書)を出し、
>『武功夜話』偽書説が主流となってきた趣がある。

>それぞれの主張については、両書を読んでいただくとして、
>私が気になるのは、両書とも、『武功夜話』の成立を明治以後としている点である。
>藤本正行、鈴木真哉氏は、明治40年以降、勝村公氏に至っては、昭和29年以降とする。
>だから偽書だという主張である。

>偽書ならば歴史の研究には使えないということになる。
>偽書と家伝史料・軍記物とでは全く扱い方が違ってくるわけで、
>「いつか原本に当って確認したい」と考えていたところ、閲覧の機会を得て、
>吉田龍雲氏の土蔵に入り、刊本となった『武功夜話』の原本とされる21巻本の「武功夜話」に接することができた。

>「千代女留書」といわれる「武功夜話拾遺」を含め、すべて、江戸時代のものと見てよいと私は判断した。
>江戸中期というよりは、後期の可能性が高い。
>しかし明治40年以降、昭和29年以降ということはありえないのではなかろうか。

>実は『武功夜話』には原本になったという21巻本の他にも先行する「武功夜話」があり、
>それらと刊本との照合も必要になるし、『武功夜話』の典拠とされる「覚書」類の研究も今後は必要になってくるように思われる。


0215人間七七四年2008/10/20(月) 16:43:09ID:agGHZ5QO
紙よりも内容だろ。紙なら古紙を寝かせておいて使うこともある。偽系図屋なんかが使う手だ。
むしろ記述にほぼ同時代のものと矛盾がないかじゃないか? 同一人が書いた文書群にしては相互で矛盾をきたしているのは解せない。
0216人間七七四年2008/10/20(月) 18:00:17ID:GkBM8N67
まして、制作したと言われてるのが、古物商で地元の郷土史家。
紙なんか入手するのは容易いだろ。
でも、戦前から戦後に流行った先祖顕彰私書だとすると、
矛盾点や、明らかな嘘、作り物と分かるようにしてあるのは納得が行く。
わざとそういう部分を入れ込む事で、歴史に干渉しないように制作されていたからな。
0217人間七七四年2008/10/21(火) 03:10:22ID:FrLCimmy
小和田哲男=郷土史家の親玉だな。

徳川の伝える正史を無視して、

郷土地誌の伝えるデタラメを妄信して、史実化しようとする。
0218人間七七四年2008/10/21(火) 17:17:59ID:FrLCimmy
和田喜八郎と小和田哲男
0219人間七七四年2008/10/21(火) 23:29:07ID:XsdR/1Ji
数年前に出した同氏の書籍の中に、石田三成をメチャクチャコケ下ろした文章がありましたが、去年の佐和山一夜城祭りのゲストに来られてたそうです
わたしは何かの罠かと思いました
0220人間七七四年2008/10/22(水) 04:30:54ID:HB67Ub+3
関ヶ原の祭りの講演は無難な事話してたよ
石田三成は義の人だとかなんとか
0221人間七七四年2008/10/22(水) 06:43:19ID:jOy37Ara
金になるなら心にもないことも言います。
0222人間七七四年2008/10/22(水) 08:35:44ID:9QnF6oJN
三成の本出してるけれど、かなり高評価してるよ、小和田は
0223人間七七四年2008/10/22(水) 18:51:15ID:X2DhJ7/c
>>219
>>222
どっちなんだよw
0224和田喜八郎と小和田哲男 2008/10/22(水) 19:05:06ID:f2D7DeT7
和田喜八郎と小和田哲男


0225人間七七四年2008/11/13(木) 22:16:09ID:fDUMBDfN
http://www.chosashi.or.jp/

調査士業務に関して誤った記事が記載されております。

9月号の27ページです。
(目次では26ページと記載されております。)

われわれの仕事は、法務局に登記申請の代理人として土地や家屋の特定できる内容を図面を添付して所有者に代わり
登記申請することであり、地盤調査や建物強度に関してど素人であり、なんらの関与もしてません。
0226人間七七四年2008/11/17(月) 03:14:07ID:UGruL7A8
ガイキチ小和田の捏造。
0227人間七七四年2008/11/17(月) 10:25:10ID:dArouBB5
鈴木信者が発狂か
0228人間七七四年2008/11/22(土) 02:26:50ID:ySffXHzN
これから卒業生は

★アダルトビデオの茨城大学を卒業しました★

★アダルトビデオの静岡大学を卒業しました★

と言うべき・・・・
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/student/1225926098
0229人間七七四年2008/11/29(土) 01:55:22ID:5jdpZ1bK
小和田哲男=郷土史家の親玉だな。

徳川の伝える正史を無視して、

郷土地誌の伝えるデタラメを妄信して、史実化しようとする。


0230人間七七四年2008/12/03(水) 22:15:04ID:6Rg8Tl2Y
NHKに

キタ━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━!!!
0231人間七七四年2008/12/03(水) 22:18:52ID:1z8s/uPH
あまりにむごい番組なんでチャンネル変えちゃったよw
0232人間七七四年2008/12/03(水) 23:34:40ID:ThzV/yHK
>231
どんな風にむごかったの?
0233人間七七四年2008/12/03(水) 23:42:33ID:+5quoxOi
近代史や古代史での電波ぶりは「専門外」だとこのスレなどでは言われそうだが、
今週のその時歴史が動いたをみると、本当に「専門外」だけなのか?

本当にきちんとした学者?
0234人間七七四年2008/12/09(火) 15:29:34ID:r8UWGutY
今川義元と雪斎を神格化して、家康の師匠にしようという勢力がこの知恵袋にいますね。捏造は許されませんよね?小和田哲男でしょうか?今川厨の捏造擁護にだまされないように。

海道一の弓取=徳川家康のこと。今川義元のことは完全な捏造。

家康の軍法の師匠は、雪斎は、幕末の地誌(郷土誌)の駿国雑志の捏造。徳川の公文書に記載なし。

家康は、今川に恩義を感じていた?捏造です、改正三河後風土記、徳川実紀では、今川は三河を横領した悪党です。

0235人間七七四年2008/12/09(火) 19:13:49ID:EtHbnyay
独立した後、信康と奥方を殺されずに済んだのは恩に感じても良いんじゃないか?
て言うか、何で殺されなかったの?奥方が氏真の従姉妹だから?
0236人間七七四年2008/12/11(木) 20:23:44ID:ThcbOfY5
>>234の考えだって正しいとは誰も証明できないでしょう
0237人間七七四年2008/12/14(日) 18:11:22ID:VUFsFWfs
藤本氏の「偽書武功夜話の研究」「信長は謀略で殺されたのか」
「桶狭間・信長の奇襲神話は嘘だった」を読むと、
小和田がいかにデタラメを言ってるのかがよく分かる。
0238人間七七四年2008/12/16(火) 02:20:21ID:H94tLQsN
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%A1%B6%E7%8B%AD%E9%96%93%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84/

久保田昌希

こいつもデタラメ言ってる。
0239人間七七四年2008/12/16(火) 23:08:16ID:JtGUq9CS
小和田は北条研究だけしてれば良かったのに…とよく言われてるな
0240人間七七四年2008/12/19(金) 23:17:38ID:btMRqhik
久保田昌希

今川マンセー厨房のキチガイ学者双璧。
0241人間七七四年2008/12/19(金) 23:26:49ID:JyRb3ejh
基地外はどっちかというと・・・
0242人間七七四年2008/12/29(月) 02:51:19ID:/0MPxOsy
久保田昌希

今川マンセー厨房のキチガイ学者双璧。
0243人間七七四年2009/01/02(金) 05:09:05ID:p6pZ4jRi
今川義元と雪斎を神格化して、家康の師匠にしようという勢力がこの知恵袋にいますね。捏造は許されませんよね?小和田哲男でしょうか?今川厨の捏造擁護にだまされないように。

海道一の弓取=徳川家康のこと。今川義元のことは完全な捏造。

家康の軍法の師匠は、雪斎は、幕末の地誌(郷土誌)の駿国雑志の捏造。徳川の公文書に記載なし。

家康は、今川に恩義を感じていた?捏造です、改正三河後風土記、徳川実紀では、今川は三河を横領した悪党です。


0244人間七七四年2009/01/02(金) 16:01:26ID:Eu5xnvL3
師匠って可能性は全くないだろうが、
若き日の家康が義元の家臣(外様ではあるが、礼遇されてる)として仕えたことは確実だな。

主人を裏切ったとか言われたくなくて、「人質だった」などとデタラメな説明するようになったけど。
0245人間七七四年2009/01/03(土) 23:17:53ID:Utl2C76g
徳川の公文書なんて捏造だらけで信じられません

家康が今川を裏切ったのは、桶狭間で義元が討たれて氏真に「仇討ちを!」って言ったのに氏真にやる気がなくて失望したからだって聞いた
人質って言っても、そんなに悪い扱いじゃなかったと思う
0246人間七七四年2009/01/04(日) 04:32:03ID:i8dvFswL
中段、裏切った理由の説明は眉唾だろうけど、
悪い扱いじゃなかったのは事実だろうよ。

ってか、そもそも人質じゃないだろ。単なる主従関係。
中堅以上の家臣は城下に常駐するシステムだった今川家の事情ゆえ、
外様ながら権限が大きい分郡守護なみ大手領主の松平家は、
本来なら最初から駿府に居住する義務があったんだが、広忠が現役だった時代にはそれが困難だっただけ。
0247人間七七四年2009/01/04(日) 15:35:16ID:4Yj4MOfl
今川義元と雪斎を神格化して、家康の師匠にしようという勢力がこの知恵袋にいますね。捏造は許されませんよね?小和田哲男でしょうか?今川厨の捏造擁護にだまされないように。

海道一の弓取=徳川家康のこと。今川義元のことは完全な捏造。

家康の軍法の師匠は、雪斎は、幕末の地誌(郷土誌)の駿国雑志の捏造。徳川の公文書に記載なし。

家康は、今川に恩義を感じていた?捏造です、改正三河後風土記、徳川実紀では、今川は三河を横領した悪党です。


0248人間七七四年2009/01/07(水) 16:07:46ID:9bNAMe6i
小和田氏は、一般に有名ですが、
家永遵嗣氏もすごいと思う。両氏とも室町・戦国史の権威、でしょう。
0249人間七七四年2009/01/07(水) 17:14:47ID:gzC5dLwn
残念ながら、小和田氏は権威と呼べるような業績があるわけではなく、
むしろ売文の方向だと思う。

同時代の話題のうちでも、比較的、一般受けが悪かった内容を一般向けに紹介しようって方向で、
古代史の森浩一とかと類似の方向性じゃないのかな。

ただ、テレビ向けに舵を切ってからは、テレビの欠陥との相乗作用で、劣化が目立つようになったけど。
なんせ、テレビ番組の基本は「事実よりもディレクターの意向」(または視聴率)だからな。
迎合したり省いたり、リップサービスしたりして、事実から遠ざかってしまう媒体。
0250人間七七四年2009/01/07(水) 18:15:39ID:08p57GXN
かつて自分が書いていたことと違うことを言っていたときには思わず目を覆ったぜ
0251人間七七四年2009/01/09(金) 22:23:42ID:aYMlI//N
大河の三成の髪型にOK出した考証のセンセイage
0252人間七七四年2009/01/10(土) 06:16:24ID:9YiZKpqH
まともな時代考証なんてしてないよ
ただの名義貸しみたいなもん
0253人間七七四年2009/01/10(土) 13:54:42ID:HqjJ7U0h
歴史群像シリーズの「戦国武将群雄譜」に載ってる戦国国人・大名マップってのを
小和田が監修してるんだが、オレが九州しか詳しくないんで九州の事についてしか
言えないんだけど、結構いい加減なマップだな。
国人と呼んでいいのかわからん名前はあるのに、明らかな国人クラスの名前はないし、
豊臣政権前の配置と政権後の配置がごっちゃになってたり(一応注釈はされてるが)
結局、自分が興味ない地域とかはいい加減なんだな、このオッサン。
0254人間七七四年2009/01/10(土) 20:29:07ID:72bNOS2z

今川義元もいいかげんでデタラメ。
0255人間七七四年2009/01/12(月) 18:45:50ID:1PjR5Bj8
今川義元と雪斎を神格化して、家康の師匠にしようという勢力がこの知恵袋にいますね。捏造は許されませんよね?小和田哲男でしょうか?今川厨の捏造擁護にだまされないように。

海道一の弓取=徳川家康のこと。今川義元のことは完全な捏造。

家康の軍法の師匠は、雪斎は、幕末の地誌(郷土誌)の駿国雑志の捏造。徳川の公文書に記載なし。

家康は、今川に恩義を感じていた?捏造です、改正三河後風土記、徳川実紀では、今川は三河を横領した悪党です。


0256人間七七四年2009/01/13(火) 00:20:28ID:+pRBxxW+
ここは知恵袋じゃないぞ
0257奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/01/15(木) 00:19:49ID:pBFtJy0H
今川の本領は刈谷なのにな。
0258人間七七四年2009/01/15(木) 01:36:14ID:jzSChMPm
幡豆郡吉良荘今川=西尾市今川のこと。

0259人間七七四年2009/01/15(木) 03:52:02ID:jzSChMPm
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。
0260人間七七四年2009/01/15(木) 10:22:25ID:9SNVf3m6
>>259
専門でもないし興味もないが、徳川の家臣筋の著作、
しかも、だいぶ後世になってからの著作ばかりというのは
弱すぎるんじゃ。
0261人間七七四年2009/01/15(木) 15:57:12ID:cmu6wkNo
今日、教育の「名軍師列伝」って番組に小和田先生が出ますよ。
0262人間七七四年2009/01/16(金) 00:30:26ID:CxGZnfIM
すごくつまらなかった。
あれ
0263人間七七四年2009/01/16(金) 03:18:48ID:boRX/egh
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。

0264人間七七四年2009/01/18(日) 23:28:21ID:s5AyWQIC
>>255

不勉強な上に、偏った考えなようなので一言。

家康が雪斎に教育を受けていたのは事実。
静岡の臨済寺(今川義元時代、雪斎が住持。信玄が破壊、後に家康が再建)に、家康手習いの間を再現したものがある。
家康が雪斎の教育に恩義を感じていなければ、臨済寺を再建する必要もない。
今川家は、家康(当時松平元康)を、今川家のための有力な家臣として育てようとしていたといえる。
さらに今川の親類衆関口氏の娘を義元の養女として、家康に嫁がせている。
人質とはいえ、今川家は三河松平を厚遇していた証拠だ。
ただ、外様は先方衆になるのは、戦国の常識。
三河にしかいない松平家臣が、今川の領袖に降ったのを面白がるはずもなく、
後年書かれた後の三河物語等に、今川を良く書くわけがないだろ。
資料は、誰がどういう状況で書いたかを前もって分かっていないと。


0265奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/01/18(日) 23:33:33ID:xHbU9Wbq
家康は三河を故郷だと思っていなかったのではないかと。
0266人間七七四年2009/01/18(日) 23:52:30ID:TeZdkrmr
母親が離縁されるわ、
人質に出されるわ、
途中で拉致されるわ、
父親は殺されるわ、
三河に良い思いがなくて当然かなと。

その点、祖母(曾祖母だっけ?)と暮らした駿河時代のほうが良い思い出がありそう。
実際、隠居所は生まれ故郷の三河でも青年時代をすごした遠江でもなく、
まさに少年期を過ごした駿河だったわけで。
0267人間七七四年2009/01/19(月) 00:41:09ID:dedbxet2
人間は一番思いいれのある場所で
晩年(死期)を迎えたいそうです
0268人間七七四年2009/01/19(月) 11:40:33ID:qkNtw9I1
>264
いや、「人質」ってのが俗説(後付けの「言い訳」から来た?)なだけじゃないのか。

今川家を含め、有力な大名の多くは、
室町幕府に倣って重心の城下集住を進めてたから。
(室町幕府は主要大名の恒常的な在京を原則としていた)

「家康は主要な家臣の1人だから駿府在住が求められていた」ってだけだと思うよ。

>外様は先方衆になるのは、戦国の常識。

ってか、国境紛争を原則とする大名間戦争においては、
係争地近隣の領主(地元衆)が紛争当事者、大名は「後詰め」「援軍」の位置づけだから、
「戦況によっては大名が援軍として実際に戦うこともあるが、
原則は地元衆同士の戦い」なんじゃないのかな。
もっとも尾張に近隣の領主である松平が先方となるのは必然。というより、
形式上は「松平と織田の紛争に、援軍として今川が駆けつけた」って形になってたんじゃないのかな?
0269人間七七四年2009/01/19(月) 23:09:58ID:mLOiTCWw
人質って意味が多分今と大きく違っていて、実家に何かあったら詰め腹切らされる運命付の子会社子息の親会社への出向受入みたいな感じではないかと思っています。

外様が先方については、地元の国境紛争当事者は当然前線で戦う運命ですが、それ以外の地域からも新顔は先方衆にされたようですよ。
新顔外様にとっては働きの見せ場だし、またいつ裏切るか分からないと信用されていませんから前線に出されます。
戦国中期から後期になると、結構遠い地域の豪族が前線の城の守将となっていることが古文書から明らかにされます。
例えば武田氏時代の駿河・丸子城の守将に信濃の豪族(名前忘れた)がなっていたりします。
境目の豪族でなければ、平穏な自分の地元にいる必要はないから他地方の前線に行って働けってことなんでしょうね。
0270人間七七四年2009/01/20(火) 00:23:08ID:HzrZsXIs
また、今川マンセーのバカが沸いてきた。
0271人間七七四年2009/01/21(水) 09:21:31ID:WOD9mjWI
>>264
不勉強な上に、偏った考えなようなので一言。

あなたの書き込みには家康が雪斎から直に教育を受けた根拠が書かれていません。
>家康が雪斎の教育に恩義を感じていなければ、臨済寺を再建する必要もない。
臨済寺は義父義元の菩提寺だよね。再建して当たり前。
0272人間七七四年2009/01/21(水) 10:46:43ID:cB2CnZJK
>>271
そういう反論だと、あなたは、

・ 家康が雪斎から(直接ではないかも知れないが)間接的には教育を受けていた、
という根拠を>>264氏は示した。

・ 家康は、義父義元にそれなりの恩義を感じていた。

ことを認めることになっちゃうんだけど、それでいいのかい。
0273人間七七四年2009/01/21(水) 13:46:39ID:WOD9mjWI
>>272
うん、例のコピペ厨とは別人だからね。
一つ目は教育を受けたと言える程付きっきりだったかは雪斎も暇じゃなかっただろうし疑問だけど、
ふとした時に何かしらの指導は受けていたんじゃないかと思うよ。
若い時の家康は短気が目立つから諌められたこともあったんじゃないかとか。
義元の恩義にしても、結局のところ人質だったから恨んでいた可能性もあれば恩義を感じていた可能性も、
またその両方も有り得るけど、今川家を抹殺してないどころか小禄ながら残してる点を考えると、
松平家は今川家に一時従っていただけであって家康が今川家の悪評を垂れ流して抹殺しても、
主家滅ぼしとは言われないと思うから深い恨みは無かったと思う。
家康が度々義元の墓所に赴いた話のソースも信憑性も知らないけど、
有り得ない事ではないし、そうだったら良いなと思う。
0274人間七七四年2009/01/21(水) 16:18:41ID:O8E7fTBE
家康自身は人質ながら駿府で厚遇されてる一方で、三河の家臣達は苦しい生活を余儀なくされて、板挟みになってたんじゃないかと。
あと今川家臣から心無い侮蔑を投げつけられれば、一言では言えない複雑な思いを感じてたと思う。
0275人間七七四年2009/01/21(水) 16:32:20ID:cB2CnZJK
>>273
> >>272
> うん、例のコピペ厨とは別人だからね。
ああ、納得。私も>>264とは別人だよ。

ただ、そうすると
> >>264
> 不勉強な上に、偏った考えなようなので一言。
というのは、ただの混ぜっ返しでいいのかな。

雪斎が「手取り足取り教えた」というようなことは書いてない
(そんなのは、よほどズバリの史料がないと証明も反証もできない)
し、寺を再建した理由も排他的という訳じゃあない。

>>274
あの辺の「三河衆の辛酸話」は誇張されてる面が多い可能性もあるしね。
遠江衆や甲斐衆への対抗心、成上がり者としての子孫への訓戒、
など、いくつかの動機がある。
ただでさえ年寄りの苦労話は大げさになりがちだし。
0276人間七七四年2009/01/21(水) 19:11:23ID:0J0a0y6m
>>273
一時したがっていただけだ、とか主家滅ぼしたわけじゃない、とか
神君マンセー史観にどっぷりと漬かりきっているとしか。
0277人間七七四年2009/01/21(水) 23:41:10ID:WOD9mjWI
>>276
反論出来ないからって事実無根な中傷か。情けないね。
0278人間七七四年2009/01/22(木) 17:55:49ID:8l65ZcGB
>>277
つーより、3行以上の長い文章が理解できないだけのような。
0279人間七七四年2009/01/22(木) 23:56:06ID:g3CrB844
この人の本は何故か読みやすい。読書は寝る前に布団の中でしか読まないけど
普通なら読破に1週間以上かかるのに、この人の本は3〜4日で読み終える
0280奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/01/23(金) 00:04:30ID:wWfSP6tX
読みやすさという文章力が毒なのか。
0281人間七七四年2009/01/23(金) 10:07:03ID:BLQjQ8gw
今日は甲陽軍鑑は殆ど信じてもいいなんて抜かしてた。
0282人間七七四年2009/01/23(金) 10:09:22ID:BGfJku6J
前に缶コーヒーおごってもらった。
0283人間七七四年2009/01/23(金) 10:42:49ID:sag4H0Di
>>281
ところと場合によってはありけりだけれどね。その台詞。
0284人間七七四年2009/01/27(火) 20:09:30ID:36fb51I/
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012493090?fr=rcmd_chie_detail

こいつの歴史捏造、危険だぜ。

武功といい、捏造だらけ。
0285人間七七四年2009/02/01(日) 19:49:24ID:tEUpZ2Hl
>コピペ厨
「徳川が伝える正史」が正しいなら
信康自刃もやはり信長の命令なのか?
これこそ徳川御用学者の捏造なのに。
0286人間七七四年2009/02/02(月) 14:25:48ID:NWYKJLWH
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。

0287人間七七四年2009/02/03(火) 20:38:27ID:0Frap2cb
コピペはもういいから、1つ前のレスに
答えろよ厨さん。
0288人間七七四年2009/02/07(土) 13:13:29ID:o+GBDtlt
>>1
『NHK大河ドラマ・功名が辻』で、山内一豊夫婦の手首にミサンガもどきの
布切れ巻かせちゃった自称時代考証屋さんのことですな。
0289人間七七四年2009/02/08(日) 12:35:55ID:lNG0M4l9
オワタ哲男
0290人間七七四年2009/02/08(日) 17:12:17ID:Rm5vA6Gn
今川マンセーのキチガイ。小和田。

偽書の武功夜話をマンセーするキチガイ。
0291人間七七四年2009/02/08(日) 17:50:22ID:sK6Xx6Og
甲陽軍鑑もな
あと「愛」のこじつけも。
所詮御用学者。
0292人間七七四年2009/02/08(日) 17:55:17ID:GXwWGMJk

バカ発見!
0293人間七七四年2009/02/08(日) 23:51:07ID:YB22gjc1
この人は大河の時代考証の仕事をしていない。
0294人間七七四年2009/02/09(月) 00:02:56ID:cl+KEa/w
>>293
以前、『日本歴史』で小和田氏初め6人の学者さんの座談会が
収録されてたが、それ見るかぎりだと、「秀吉」の時とかは結構
細かく仕事してたみたいだけど、今回はあんまり反映されてる様子が
無いな。
0295人間七七四年2009/02/09(月) 00:17:19ID:izIt6XkY
天地人見たけど、我々で史実考証の怠慢を抗議したほうがいいんじゃないか、これは
0296人間七七四年2009/02/09(月) 01:07:54ID:4NQU/NUx
今日の天地人のひどさは交渉云々以前の話でそ。脚本も演出もおかしい。
0297人間七七四年2009/02/09(月) 01:21:41ID:g6jTgHgj
>>295
演出とかご都合主義とか、そんなこと以前の問題だったからな
0298人間七七四年2009/02/09(月) 01:41:40ID:ZqPvvf+7
大河終了フラグが立ちました。
篤姫が評判良かったのに落差激しいなw
確かに与六時代は良かったよ。
つか来週も再来週も毎回、主役は泣くんですか?
0299人間七七四年2009/02/09(月) 10:22:13ID:77FgJT48
>>298
この板で篤姫を面白いと思っているのは少数派

しかし小和田氏の名声も地に落ちるわ、これでは。
0300人間七七四年2009/02/09(月) 13:39:31ID:A3ucNyDQ
弓も鉄砲もない果たし合いみたいなシーンが合戦?つーか攻城なのか?
→予算と室内スペースの都合につき、考証のせいではない

槍を使う人すらまれだったんだが?
→槍の殺陣を素人に教える時間も予算もない。考証の(ry

幹部候補たる上田衆が自ら刀だけでやぶの中をうろつき回ってたのは?
→エキストラを予算、室内ス(ry
0301名無しさん@お腹いっぱい2009/02/10(火) 00:01:54ID:QIuyb2PL
昨日は小和田氏の最後の講義だったそうだ。
とりあえずはお疲れ様でした。
0302名無しさん@お腹いっぱい2009/02/10(火) 00:05:52ID:QIuyb2PL
>>295
かつて柴辻俊六さんも大河の時代考証をした時のエピソードで、
いろいろ提言しても結局NHKがその方がおもしろいのでとか言われて
納得いかなかったとかおっしゃっていた。
0303人間七七四年2009/02/10(火) 00:27:00ID:3RDevDBS
>>302
意見しても採用されるかどうかは別だというしね。
0304人間七七四年2009/02/10(火) 01:08:41ID:TXMtxI/m
てか、脚本書いてるのが戦国を知らない女性でしょ?
期待するのが間違ってるよ
0305人間七七四年2009/02/10(火) 07:41:48ID:gsxXHz8e
昨日で定年退職されたようだね。ところでここで小和田先生批判している連中は
静岡県西部の端っこのインチキ政令市のバカどもか?
インチキ製造業が崩壊した憂さを晴らしてるようだが、
江戸のプロトタイプ静岡市としては迷惑千万な話だぞ!
0306人間七七四年2009/02/10(火) 11:54:08ID:5g4o/nQ3
何を言っとるんだお前は
0307人間七七四年2009/02/10(火) 16:34:18ID:iSEMBBIW
>>306 釣られるなって。どうせ今川、徳川マンセーの基地外静岡人だよ。スルー、スルー(って言ってる俺がダメかw)。
0308人間七七四年2009/02/10(火) 18:06:35ID:03Mo8epc
>>307静岡人すべてが今川びいきなどと思わないでくれ!。
西部(遠江)と東部は今川はむしろ敵だよ。
小和田氏が今度、牧の原市の歴史調査をすることになっているらしいが
今川びいきの見方をするかどうかをみてればわかるよ。
0309人間七七四年2009/02/10(火) 20:46:27ID:YY87FRSD
静岡と浜松が争うのは勝手だが清水人の俺まで巻き込むなよ。
>>308
それ言ったら県内全域で敵になる。
今川も最初は遠州を拠点に駿河を攻め取ったしね。
つまり廬原氏ヒャッホー!!!
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