上杉謙信とその周辺の国の確執
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0001akira!
2006/10/07(土) 18:54:55ID:JvNi4Ael手取川で織田信長をも撃破した最強の武将と言われています。
軍神と言われ、義に生きた上杉謙信について、悪いことを聞く
事が余り無いように思います。
上杉謙信に攻められた国の人(特に石川県の人に聞きたい!)
にとって上杉謙信とはどのようなイメージなのでしょうか。
それぞれの立場で意見を聞かせてください!
0314人間七七四年
2007/08/14(火) 01:29:52ID:qGAJ8tH00315Y ◆nzdGjBH722
2007/08/16(木) 02:56:16ID:ElGeGKgC秀吉が戦後になってやたら嫌われだしたのと同じだな。
ただ証拠となるものが残ってない以上謙信のが可哀想だが。
0316人間七七四年
2007/09/17(月) 09:18:39ID:UWJ8uXl80317人間七七四年
2007/09/17(月) 18:48:27ID:suHTUQ3v0318人間七七四年
2007/09/17(月) 22:49:44ID:eo15+WUx0319人間七七四年
2007/09/18(火) 23:11:51ID:2DJAB+N00320人間七七四年
2007/09/18(火) 23:19:49ID:2DJAB+N0実は景勝には病気で亡くなった兄がいたんです。
0321人間七七四年
2007/09/18(火) 23:30:02ID:2DJAB+N0上杉謙信とは・・・・・・・・・・・・・・・仙桃院に神が降りてきて変身!
これですべての 謎がとけた・・・
学会に発表しなきゃ。
おい、俺が 何も考えてないときにパッと閃いた学説 出し抜いて先に発表すんじゃねぇぞ!
0322人間七七四年
2007/09/28(金) 00:18:38ID:BsOXUSzvうまく景虎が上杉家当主になれば、越後・越中・能登・飛騨・加賀の一部まで北条の手に入るんだぞ。
すごいもったいないと思わないか?
そして武田勝頼と手を結び、北陸道から上洛を企図することも可能だ(成功・失敗は別として)
0323人間七七四年
2007/09/28(金) 03:29:58ID:VWDA6moR息子のクーデター止めさすために敵方に身をよせた喜平次ママ
人妻献身、仙人桃尻。
0324人間七七四年
2007/09/28(金) 12:19:51ID:cforPDn70325人間七七四年
2007/09/28(金) 12:43:20ID:0C23kCKa仁田山城で虐殺している。
このスレではちょくちょく謙信が越山での上野攻略の話が出ているが
上野でも結構な勢力が謙信と戦って没落しているよ。
謙信越山の時にすぐ参陣したのは白井・総社・箕輪だけで、後は大抵北条方だった。
まず綱成の次男、北条康元が入っていた沼田倉内城を攻略し、岩櫃城以前の吾妻の拠点、岩下城に
明間城を攻略、厩橋城の厩橋長野氏は戦わずに開城、那波氏は早い時期に北条についていて
管領家と対立していたが謙信の攻撃によって開城、没落し、館林城の赤井氏も滅ぼされている。
すぐ降伏した厩橋長野も那波攻めの最中に暴れ馬が出たことで謀反を疑われ殺され滅亡。
結果、沼田、厩橋(那波領、大胡領含む)は謙信が支配下においている。
一方、小豪族が点在する西上野では倉賀野城を北条から取り戻して倉賀野直行に返し、
1558年頃に武田に味方した安中氏庶流を攻めて安中氏の嫡流に城を返している。
(ただしこれらは別働隊がやったのかもしれないが)
0326人間七七四年
2007/09/29(土) 21:53:15ID:LnP7Fe3K詳しく乙
謙信の猛攻はすごいなw
0327人間七七四年
2007/09/30(日) 06:23:37ID:/lfR1gNsゲームじゃないんだから
そんな長細い補給線切られたらアボンぬ
0328人間七七四年
2007/09/30(日) 06:35:03ID:devskvjq0329人間七七四年
2007/10/05(金) 02:30:29ID:brbQuAfu全く上杉厨共の書き込みを見てると情けなくって涙が出てくる。
30代になったいい無職がまだ「デカマラの六尺謙信公」とか言ってデカマラの六尺謙信公を求めてひた走る
この健気さにうっとりだ。
アホかこの童貞が!
いずれ謙信公が女狐と結婚したら後悔するぜ
男ならもっとビシッ!とズリ道を極めろってんだ!
俺はその為に毎日1000回のゼンズリを欠かさない。
「オッス!!オッス!!」と気合を入れながらデカマラを振り下ろす度に菊門にギュッ、と力を込める。
こうして鍛え抜かれた俺の性根は「衆道」なんて立派なシロモンとは対極を成す、まさに「男の極み」だ。
そのあまりのデカマラっぷりにご近所じゃあ“デカマラの毘沙門天”って呼ばれてる。
そんな俺だが、俺でさえ家を出たくなるほどの形のいいデカマラの六尺謙信公の出現を心待ちにしている。
勿論、最悪のアウェイを味わいたい命知らずの衆道彼も受付中だ!
毎週金曜14時頃はだいたい衆道の結婚相談所&出会い系の衆道サイトにいる。178*74*48角刈りにねじり鉢巻がユニフォームだ。
俺のほぼ不可能な衆道&糞尿離れ!離せるもんならハナしてみやがれ!!
この書き込みに勃起した包茎ミニマラ上杉厨房もオレと一緒に
ズリ道極めようぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
0330人間七七四年
2007/10/19(金) 09:08:38ID:lVrcE1Q3八幡原近辺の出身としては上杉謙信、敵に塩を送った。毘沙門天の化身。
武田信玄は風林火山でしょう。
どちらも素晴らしい戦国武将というイメージですね。
最近は知らないが、私が子供のころはカブトムシのオスをシンゲン
メスをマンジュウと呼んでました。
地元の人で昔からいる人は、川中島古戦場ってあまり呼ばないですよ、八幡原です。
0331人間七七四年
2007/12/09(日) 16:54:55ID:7zg/2nnY割り込んできて、終わっちゃたんだね。
0334人間七七四年
2007/12/11(火) 17:35:01ID:hvCLT2ov勝頼に信越国境に出兵してくれとか要請出すから
勝頼が不信感増して景勝に寝返った
0335人間七七四年
2007/12/19(水) 07:37:17ID:XbzEKxMR0336人間七七四年
2008/01/02(水) 00:42:01ID:6UPAPqvV0337人間七七四年
2008/01/02(水) 09:03:15ID:h0CyPnam0338人間七七四年
2008/01/16(水) 08:46:27ID:5YgZri5g0339人間七七四年
2008/02/15(金) 18:20:46ID:bkok2sXCつまり付け家老的存在
将軍の意向によっては関東公方に代わって采配を振るったり関東公方を滅ぼす事もある
0340人間七七四年
2008/02/15(金) 18:27:43ID:cT1lZ6lt鎌倉公方滅亡後にはふつうに関東管領だけで関東政治やってたし。
越後上杉が鎌倉公方復活運動しやがって足を引っ張ったが。
まっその越後上杉が守護代長尾家を滅亡させて、代わりに守護代にした長尾能景・長尾為景・長尾景虎の最強3代を生んでしまうワケだがw
0341人間七七四年
2008/03/08(土) 11:21:22ID:sbavAW4O0342人間七七四年
2008/03/08(土) 20:06:02ID:XFz1l38y北条と20年の泥沼なんて正気じゃないよ。
0343人間七七四年
2008/04/22(火) 15:02:20ID:F7ADc40x0344人間七七四年
2008/05/04(日) 15:37:31ID:OCQ1ag6X/::. :. :. .:::::...::::::.:::::.::::::::::::::::::::::::::::::::\ ,、_,ノー-、__,ハ.ィ
:::::.:::.:::::::::i、:::::::::ト、ヽ 、::::::::::::::::::::::::::、_ヽ-'
:::::::::::::i|::::|.ヽ:::::::l \\ヽ\:::::::::::::く だ ll_o こ 上
:::::::::i|:| l:::|u ヽト、l /_,≧、ヽ. t::::,r-、} ろ || ̄ l 杉
::::l!::|'l| l::| 、 ヽイ/〃'_ リ u ヽ`tフ !!!! ヾ= ゆ ヲ
:::ハ::「l_≧:いヽ^ヽ! ヾ=彳// 八 ∠、 ‖ う タ
小 il{i´{{¨_/////////// ⌒ /i:|ヽ. ‖ の は
l!|ハ ヽ ヾ=''///////,. -‐‐ 、 u l:レ } ‖ 見
/! ぃヾ///////// ヽ /l:|/ っ て
tヘ////rー‐' }/ ∠_ て
` ト、 ヽ / /|!ハ る
l:| ` ー;'⌒ヽ _ ,∠.._ i: /: /:} ん
l! ,⊥ Y二.「: : \ |/: :/: :| /
_,.」 ヽr‐} ノ:ヽ: : : ヽ: :/: : :レ'⌒ヘ ,. 、 _z':
r'フ入. ヽ ゙t '.∠ ---―――¬/;.イ∨l! ト、/ : : :
}_,、_,ノヽ. 、 ヘ r‐{ |´l| ! li| | l: : : : :
 ̄ `ーヘ.フ. | ll | l |:/: : :::
,. '" _,,. -…; ヽ |タ l l.|: : :::::::
(i'"((´ __ 〈 } | | j: :::/:
|__ r=_ニニ`ヽfハ } 腹ン中が | | |: /: : :
ヾ|! ┴’ }|トi } パンパンだぜ| j | !: : :/
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「´r__ァ ./ 彡ハ、 | !| : : : : :
ヽ ‐' / "'ヽ | |: : /::
ヽ__,.. ' / ヽ. | |/::::_;.
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0345人間七七四年
2008/05/04(日) 15:41:16ID:DshEx+TA0346人間七七四年
2008/05/04(日) 18:28:07ID:0LYTJHM/あれやって越後武士の結束をはかってた。
0347人間七七四年
2008/05/04(日) 19:40:39ID:9rfM7nfi謙信の関東出兵は晩秋に出てって年を越す長期にわたるものが多いけど、農兵の割合が多い軍隊を豊かな関東に連れてって農民に略奪させるのが目的だったらしいよ。
0348人間七七四年
2008/05/04(日) 19:52:08ID:4xkPPJcoログ見ておけ
0349人間七七四年
2008/05/04(日) 20:29:58ID:9rfM7nfi絶対そうだとは言わないけどさ(そもそも根拠ってどんなだ。上杉方の誰かが「略奪のために戦してました」って残した資料が欲しいのかな)、十分そう考えれるでしょ。
領地全然とらなかったのも説明つくしさ、領土欲なくて義のために戦ってたってのよりも。
戦国大名が何を目的に戦ってたかなんて推測するしかないし。
0350人間七七四年
2008/05/04(日) 20:44:58ID:192xr2l7そんな目的で遠征してたなら
国を運営する能力も全く無いバカというほかしかない。
そんな経済感覚無いトップだったらとっくに越後が破綻してる。
0351人間七七四年
2008/05/04(日) 20:46:24ID:4xkPPJco略奪があったとされる被害者たる北条側の資料を探ると
出てくるのは永録四年の初遠征だけ
しかも謙信が統制できない関東軍がその主体。
それなのに国費を費やしてたった数千人ばかしを食いぶち減らしに連れていく等ありえない。
そのうち二度も行った五千人の上洛も略奪のためだと主張する猛者が出るんじゃないかとw
0352人間七七四年
2008/05/04(日) 20:52:57ID:9rfM7nfi領土もとれない戦をただ毎年繰り返してたとするよりはよほど経済感覚あると思いますが。
0353人間七七四年
2008/05/04(日) 20:53:38ID:4xkPPJco迎撃の真似すら出来ない北条は阿呆かと。
上杉の遠征は全てが義のためではないが、安易に面白説にひっかからないでくれ。
強いていうなら国内で取れぬ国衆の統制を
外征でなし崩しに取ろうとしていたのと、
単なる国防のための遠征ですよ。
0354人間七七四年
2008/05/04(日) 20:56:08ID:nXgkquxiもっと換金性の高い布とか掻っ攫っていけば、それを売って米買ってくればいいじゃない
北条なんか米買ってるし
0355人間七七四年
2008/05/04(日) 21:09:05ID:0LYTJHM/何回論破されたネタだと思ってんだ。少しはROMれよ。
0356人間七七四年
2008/05/04(日) 21:15:01ID:9rfM7nfi上杉家は港があったから交易して金はあったらしいしね。
領土欲のない戦国大名説は臭いなって思ってたけど、国衆の統制が目的というのもありそうだなと思えました。
0358人間七七四年
2008/05/04(日) 21:51:36ID:0BQ4226+越後は青苧の産地だから
それで麻布作ったり、青苧をそのまま都に送って
巨利を得ていたんだよ
謙信が二度も上洛したのは青苧座を握っていた三条西家との相談
より越後青苧座が力を持つよう、協力を取り付けてきた
あと事件が頻発していた日本海ルートの安全に尽力してる
これだけで年4万貫の船頭前が越後に入るようになった
他にも塩、蝋、木材、紙などの交易で大儲け
為景時代に越後から逃げた商人を呼び戻し、優遇政策も実施
謙信と北条の奴隷は一人20文
信玄の奴隷は一人2貫〜10貫(10000文)
謙信にとって奴隷売買は10円チョコにも値しない商売
謙信は里見、太田らに兵糧の買付けを依頼している
0359人間七七四年
2008/05/04(日) 22:32:32ID:vK+rS6Qy0360人間七七四年
2008/05/05(月) 08:56:18ID:kq8H838oお前に知識があるのは分かったけど、もうちょっと要点ついて批判してほしいね
経済的に余裕があるというのと、金儲けの事業を起こさないというのは同義ではない
現代日本で金持ちが金儲けしないのか?
0361人間七七四年
2008/05/05(月) 09:18:32ID:uMi3Jl4f大赤字になるだけ。
経済活動できる国主だからこそ、んなことはせん。
0362人間七七四年
2008/05/05(月) 10:09:10ID:l+9C4n+8代わって説明すると、当時の年貢システムはエドジダイと違って、
百姓から米じゃなくて銭を納めさせていた。
石高じゃなくて貫高制度。
つまり大名の出兵に伴う兵糧は領地から得た現物をそのまま使うんじゃなくて
国費で米を買い求めていたわけです。
で、謙信は晩年の大内みたいな海上貿易で儲けた富裕大名。
もし越後が不作でも商人は自分から争うように米を売りに来る。
だからわざわざ、莫大な国費を用いて人的消耗(しかも貴重な労働力である農民兵主体)
の危険が伴う関東に略奪目当てに出兵するなんてありえないってことかと。
0363人間七七四年
2008/05/05(月) 15:34:59ID:kq8H838o上の段落は蛇足と考えるが如何?
要するに労働力の損失が痛いから、略奪のための遠征はないということでしょ?
江戸時代の話だったと思うが、飢饉難民を救済するのに、土木事業を行わせて、米を渡していたそうだ
貧民でも働かせて、食い物を与えるという構図だな
貴重な労働力というが、永原慶二によれば当時の地方都市でも随一の人口抱えている
具体的に言うならば、原田伴彦の試算によれば、春日山3万、山口、駿府、岐阜一万、清洲八千人
かなりの余剰労働力がありそうだが?
この余剰労働力を農家で生産に従事させるのと、貧民救済を兼ねて略奪させてくるのとどちらを選択するかという事だが
貧民救済にはもうひとつ、治安維持という側面もあるな
0364人間七七四年
2008/05/05(月) 18:35:08ID:Qu6NUS/V戦争だろうが公共工事だろうが働かせて給金払うのは当たり前だろうが。
謙信は遠征で出した兵に糧食を与えず
自力で略奪させて賄わせていたと言いたいのか。
0365人間七七四年
2008/05/05(月) 20:04:52ID:kq8H838o発端は米しか奪うものがないという事に対する批判だったんだが、偉くそれたな
まあ、他のものも可能性があるって事
0367人間七七四年
2008/05/05(月) 21:26:12ID:uMi3Jl4f越後は布・蝋・木材・紙などの輸出で豊かであり
貧しく無かったし米は金で買えたし
関東遠征中は食料調達は関東勢が行っていた。
ここまで分かっていてなんで「遠征は略奪目的」に
しがみ付いてるのか分からんな。
略奪を頻繁に行っていた史料も出せないし
何を略奪したって事にしたいんだよw
0368人間七七四年
2008/05/05(月) 21:42:01ID:kq8H838oそれがこの話に何か影響を与えるものとも思えないが?
>>367
米以外のものでも略奪の可能性はあるということ
問題意識は>>365に書いたとおり
論理として、「米雑穀が欠乏する関東では略奪するものがない」という事に対して、いや他にもあるだろうという事なんだが
同時に略奪をしていた事に関してまで少し話がそれてたな
後者に関してはまた別の話だ
誤解を招いてすまんね
0369本当はどれだ
2008/05/05(月) 22:01:52ID:+mvMI+Ue↓
来る馬ばっかりの陣
↓
狂う馬ばかりの陣
↓
狂う魔が駆りの陣
↓
来る魔かがりの陣
つかりた・・
0370人間七七四年
2008/05/06(火) 11:01:51ID:p7RbHsVFたとえそれが目的じゃなくても上杉軍も人並みに略奪してたろうし、遠征の目的としてもそれほどおかしくないと思う。
0371人間七七四年
2008/05/06(火) 11:28:32ID:kmFWRC0a補給だって厩橋から利根川を利用して簡単に送り出せるのに。
だいたい上杉軍は年中のようにひっきりなしに出兵しまくってるのに
この手の話をするやつはみんな何も採れない冬だけ口減らしに出兵すると歪曲してんだよなw
たかが8000の越兵の口減らし?そんなら労役免除なってるヤツらは口減らしに参加できなくて不満だろがw
保存食や冬期の脂ののった魚貝類もあるのに…そもそも秋に収穫して冬に早くも口減らしかよw
0372人間七七四年
2008/05/06(火) 11:48:26ID:p7RbHsVF特に略奪遠征説を支持したわけではないよ。最後の「目的としてもそれほどおかしくない」は蛇足だった気がするけど。
用は略奪はどこもやってたから、たとえ関東で略奪してても実は謙信は悪人だということにはならんと言いたかった。
0373人間七七四年
2008/05/06(火) 12:15:33ID:6Fym8lNy川中島でも一度乱取りした記録がある。
だから我々も上杉軍を乱暴狼藉のない綺麗な軍隊と言う気はないよ。
でもこういう謂れのない強盗目当ての出兵だとかいう
くだらない汚名を有名な学者につけられて迷惑しており、
その話題になるたび、ナーバスになってしまう。
そこは察してやっとくれ。
0374人間七七四年
2008/05/06(火) 14:20:20ID:R74hu2aH0375人間七七四年
2008/05/06(火) 14:30:48ID:kmFWRC0aお前が基地外なのはよくわかったよ
0376人間七七四年
2008/05/06(火) 14:43:21ID:R74hu2aH0377人間七七四年
2008/05/06(火) 15:28:15ID:6Fym8lNy初心者向けの上杉本でよく書かれる毘沙門ではなく俺を拝めと告げたのも江戸期の創作。
0378人間七七四年
2008/05/06(火) 15:36:32ID:R74hu2aH米沢はさながら嘘つき村ですねぇ(呆
0379人間七七四年
2008/05/06(火) 15:49:53ID:GJ8hz3wc竹下登元首相の孫であるロックミュージシャンのDAIGO(28)
が、「行列のできる法律相談所」の番組内で、元号「平成」の選定
者が、故宇田川精二東京大学名誉教授であることを暴露し、話題を
呼んでいる。
宇田川氏と竹下登元首相とは、生前より親交があり、DAIGOが
幼少期に宇田川氏に漢字のドリルを解いてもらったというエピソー
ドが紹介された。
(5月4日9時18分配信 デイリースポーツ)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1209369247/l50
0380人間七七四年
2008/05/06(火) 16:38:45ID:kfXTBD0N史実だったとしても「俺が神だ」って内容じゃないしね
至急、間者を放つ必要に迫られて毘沙門堂へと戻る暇は無い
間者を放つ前に神へ誓わせるしきたりに拘泥できない状況
だから「今は毘沙門堂へ戻ってられない。俺を神だと思って、この場所で誓え。」と言っただけ
しきたりや神に左右されない普通の判断
0381人間七七四年
2008/05/06(火) 18:47:54ID:R74hu2aHよほどお互い信用できなかったのですねぇ
ヒステリックで疑い深く小動物のように周囲を警戒する姿が目に浮かぶようですね^^
0383人間七七四年
2008/05/06(火) 20:01:05ID:qrF0gcBQ伊賀人同士が敵味方に分かれて、互いに情報を交換し合ったり
どちらかが土壇場で裏切るケースも
諜報を任される忍や山伏連中は密教と深く関わっていたのではないかなぁ
まぁ今の価値観は当て嵌まらないよね
どっちにせよ作り話っぽいし
0384人間七七四年
2008/05/08(木) 19:57:20ID:xwUMvdS4こんな大昔の文にレスしても仕方ないが、
史学ってのは司法などの世界と違って、
「誰の目にも明らかな証拠がなければ無罪」ってもんじゃないんだよ。
たとえ、明らかな証拠がなくても当時の慣習からいって
謙信や景勝も男色していた事は有力だ。
あと謙信は当時の男色のメッカたる寺院に幼少の時から
すごしていたわけで、さらに可能性は高い。
勿論、明らかな証拠がない限り絶対に100%まではならないんだが、
史学の世界は「疑わしきは罰せず」じゃないからな。
0385人間七七四年
2008/05/08(木) 20:00:08ID:xwUMvdS4あんたはもしかして他のスレでも
「戦国大名が甘味や宗教を信じていたわけがない」と主張している人物か?
そんなことはないだろう?
当時としては神や宗教を信じるのは非合理なことではない。
特に謙信は宗教に関しては毎日すざまじい数の写経や真言をしてた逸話があり信じきってたからな。
まあ「我を毘沙門天だと思って」の逸話が事実ではないかもしれんが。
0386人間七七四年
2008/05/08(木) 20:07:41ID:Rj60FzC5コピペ乙
0387人間七七四年
2008/05/08(木) 20:55:12ID:7uHZSH47いい加減な断定すんなよw
だいたい出家って言ったって幼少時にいただけで思春期の青年期にはすでに衆道のメッカには謙信は居なかったんだから、そんなもん仏門で教わってないだろ。
0388人間七七四年
2008/05/08(木) 21:01:14ID:2brGudBm377だが、私は謙信の信仰心は一切否定しておらず、むしろ比較的神仏を軽視した信長や信玄と違って、
自らを神様だなんて自称するほど傲慢ではないと言いたいだけ。
小説とかだと俺は毘沙門天の化身だなんて描かれる事が多いが、
これは根拠がないイメージなんだよ。
0389人間七七四年
2008/05/08(木) 21:43:27ID:2brGudBmまま、熱くならず。
史学を疑わしきを罰せずの世界と言い切ってしまったら、
何の研究も発見も意味を成さなくなるよな。
逆に言うと384みたいな思考が女性説な温床になる。
むしろ男色をしていたなら尚更、女色をしていないとおかしいと思うんだが、
それはどうなるのかねえ。
0390人間七七四年
2008/05/08(木) 21:44:50ID:2brGudBmを
疑わしきを罰せずではない
に訂正
0391人間七七四年
2008/05/08(木) 23:34:12ID:xwUMvdS4絶対的証拠が残ってない、だから謙信は衆道を全くやっていない
とかいう断定がおかしいと言ってるんだけどね。
>>387
年代から言って掘られてたかもね。
>>389
男色専門のゲイという人種もいるよ。
戦国期はほとんどバイだが細川政元みたいなゲイもいる。
謙信は信仰や武運長久のために女性を絶ったのかもしれない。
元々、男色は女色が戒律で禁じられている僧侶が中国の影響ではじめたものだし。
0392人間七七四年
2008/05/08(木) 23:42:59ID:xwUMvdS4ああ、そういう事だったか。
でも少なくとも信玄は信仰心は厚く神仏を軽視したなんて事はないし、
信長が無神論者、無宗教者なんて話しはウソで彼も神社の参拝は欠かさなかったんだけどね。
あと禅宗にも帰依してた。
もっとも謙信の信仰心は彼らよりさらに上だったろう。
そのために少なくとも仏教で禁じられている女色は絶ったんだろう。
女色はダメだが男色はいいなんてのは現代人の理解を超えてるが
そういう事だったわけで。
0393人間七七四年
2008/05/08(木) 23:57:40ID:2brGudBm信玄は願文で神仏と対等かのような取引じみた事を記し、
不動明王と一体化を考えていたのか、甲府の不動像に自らの毛髪を塗り込んでいる。
信長は宣教師の言葉を信じるなら禅宗への帰依は形ばかり。
心から帰依していたら男色を否定する宣教師など手打ちでしょう。
でも信長や細川政元が本当に男色していた証拠ってあったっけ。
0394人間七七四年
2008/05/09(金) 00:16:33ID:8g3TH3fQ信長は加賀藩の飼料に前田利家の逸話があるしな。
ただ信長の衆道で疑問時されてるのは森蘭丸との関係だな。
他のもう一人、衆道相手として有名な小姓ともっぱらやってたらしいが忘れた。
0395人間七七四年
2008/05/09(金) 00:40:46ID:g0jtJfuW宣教師も僧の間で流行ってるとは書いていたが、武家で流行ってたとは書いてないはず。
景虎も寺に入ったと言っても、坊主になるため住み込みしたんじゃなくて、
武将になるために通っていたとしたら、ご説は全く成り立たなくなる。
0396人間七七四年
2008/05/09(金) 03:15:10ID:KljAyNxO畿内東国はそれほどズブズブなシャーマニズムな宗教観はすでになかった。
オマエらが奈良や京都の仏閣めぐりしたり、受験の為にお守り買ったり、
正月に御参りしてるからって宗教心が篤いわけでないのと一緒。
0397人間七七四年
2008/05/09(金) 03:55:41ID:8g3TH3fQ大内義隆にもそんな話しがあれば
武田信玄や伊達政宗、芦名の内紛とかいった話がある。
てか男色否定者は多分に「戦国武将が男色などしてたわけがない」
という願望が激しいのだが。
>>396
それも「戦国武将が宗教や神を信じるわけがない」とかいう願望。
少なくともその例えは適当ではない。現代人とは比べようがない。
てか貴方の頭の中には「現代人のような信仰」か「ズブズブのシャーマニズム」かの
二者択一しかないのかね?
0398人間七七四年
2008/05/09(金) 04:22:38ID:KljAyNxO「戦国武将が男色などしてたわけがない」
「戦国武将が宗教や神を信じるわけがない」
はっ?誰もそんなこと言ってないが?独善的に断じてるが頭大丈夫か?
だいたいそんなの地域差や各武将ごとにみんな個性もあって違うだろ。
いろんなヤツがいるって言ってる。
オマエは断言しちゃってるが逆説的に言って
みんな男色で、みんな宗教も神も信じていたと主張したいのか?
0399人間七七四年
2008/05/09(金) 06:03:10ID:8g3TH3fQ謙信は僧侶になるために寺に入ったんだよ。
>宣教師も僧の間で流行ってるとは書いていたが、武家で流行ってたとは書いてないはず。
ウラが取れないな。
>>398
ああ、そうかスマン。
別の場所に居る論敵をこのスレに当てはめてしまった。
0400人間七七四年
2008/05/09(金) 06:21:48ID:snNfU1ad全ての寺が男色のメッカだったのだろうか
特に謙信が幼少時過ごした曹洞宗なんか只管打坐「ただ座禅を組め」だよね
「目を閉じるな、下らない妄想をするな、法力なんて有り得ない」
「密教なんて嘘だ、公案なんて馬鹿げてる、禅問答なんて止めろ、ただ黙々と座れ〜!」っていう
要するに達磨が行った面壁三年を目指した宗派でしょ
果たしてそんな連中と、稚児を抱いて救済を得るとかいう「稚児灌頂」が相容れるのか
抱かれる稚児は「お前は菩薩様じゃ〜!」と名前の最後に「丸」を付けられたそうだが
謙信は付けられてないね
んで、これは多分に密教っぽい考え方だけど、それと道元はどうにも結び付かない
もっとも永平寺はじめ全ての曹洞宗の寺が、道元の教えを守ってる訳でもないだろう
実際永平寺では稚児行列をやってるという話も聞いた
それでも男色からは最も遠い宗派だと思うし
曹洞宗及び林泉寺の実態が分からない限り
「寺は男色を教える所」などと十把一絡げにするのは強引ではないか
0401人間七七四年
2008/05/09(金) 07:31:20ID:DCph//Kv性的対象にする男子は10代中盤〜後半になる頃であって
謙信はその年頃になる前に寺から戻されてる。
0402人間七七四年
2008/05/09(金) 08:15:54ID:g0jtJfuW謙信が僧侶になるためにと言うのは江戸時代以前にそれを示唆する資料がない。
林泉寺じゃなくて常安寺で修業していたと言う説もあるよ。
0403人間七七四年
2008/05/09(金) 11:51:14ID:8g3TH3fQ刑事裁判なら心象的には真っ黒でも立証しきれなければ無罪になるが史学ではそうではない。
逆に言えば歴史はどんな奇説でも入り込む余地があるという事。
影武者徳川家康の愛蔵本の後書きで小和田教授もそう言ってた。
0404人間七七四年
2008/05/09(金) 13:21:43ID:KljAyNxOそんなこと言ったら謙信は女性w
0405人間七七四年
2008/05/09(金) 13:49:22ID:atvsTsf30406人間七七四年
2008/05/09(金) 17:59:20ID:/SwwudoE島津、毛利、武田、畠山、北条…
読みが違うのは置いとけば
0407人間七七四年
2008/05/10(土) 06:28:56ID:hX0RGdLA謙信の場合「確証がない」というより
具体的な相手との「逸話すらない」状態
例えば、信長のように前田利家と同衾した際、「手を握って離しませんでした」
なんて暴露されたり
政宗のように片倉重長の頬を舐め回したとか
只野勝吉へ釈明する内容の恋文を送っているとか
信玄も高坂へ釈明する恋文が伝わってる
武将の特徴を其々把握する為には
まず互いを比較してみよう、という人は実際多いんじゃないだろうか?
そこで得られた差異から、対象とする武将の輪郭が掴める
このケースから得られた差異は何かというと、
謙信は(同時代の武将と違って)相手が分からない
謙信には(同性愛を示す)相手とのエピソードがない
よって謙信は信玄、信長、政宗と違い、
この時代の武将としては比較的、衆道に執着してなかったのではないか・・・
という推測が成り立つと思う
0408人間七七四年
2008/05/10(土) 09:18:02ID:z4iPEL5/年が違うか?
0409人間七七四年
2008/05/10(土) 12:11:10ID:vmoFRg4hでも近衛の手紙って、別に男を示してない気もするが。
男女どちらにしても、噂話を聞いただけに過ぎないし、
古河時も下らない噂にガクブルして謙信の政策を狂わせるし、
この人の言うことはあてにならんね。
0410人間七七四年
2008/05/10(土) 12:37:11ID:4s2/jgDA将軍様が若衆呼んで一緒に酒飲まさせてもらって
「謙信も若衆を気に入ったようです」って感じの書簡だから
なんの判断材料にもならんだろw
その状況じゃ誰だって「お酌していただけて嬉しい!」って反応するわw
0411人間七七四年
2008/05/10(土) 13:54:03ID:D30k6R7l謙信は男と言い張るのも、女と言い張るのも、男色だったと言い張るのも結局確証はないわけだが。
高野山に登ったってのも、幼い頃寺に入ったってのも一次には見られない。
現時点で確実なのは上杉謙信という大名が日本の戦国時代に生きていたという事だけ。
ただ、遺骸が残っているはずだから、墓の中を見ればそれではじめて確証がとれる。
でも徳川家重のように遺骨を調査後女性説が浮上した人物もいるけどね。
0412人間七七四年
2008/05/10(土) 21:30:27ID:dM7kA8P7むしろ梅干や味噌を肴に、一人だけで黙々と呑んでたイメージがあるんだが。
0413人間七七四年
2008/05/11(日) 22:14:45ID:O3BTpYX8架空の娘?
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