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将来を嘱望されながら亡くなった二代目

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 23:36:52ID:pSvcRIAj
織田信忠、松平信康、三好義興、武田義信、豊臣秀頼・・・
彼らが長生きすれば、父親達を越えることはできたのでしょうか?
また、家の運命も変わったのでしょうか?
0002名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 23:46:16ID:vZeiUt6J
秀頼は長生き関係無いと思う。

信康は別の意味で家の運命変えそう。
0003名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 00:09:07ID:WbvYGh/H
長生きする事で歴史に影響を及ぼすならやはり斎藤義龍じゃないだろうか?
信長が美濃で躓けば秀吉も家康も躓つわけで
歴史が全く違くなる
0004名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 00:12:57ID:lgQd3HFR
4面楚歌
0005名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 00:31:45ID:o6/pAM0y
長宗我部信親、尼子政久、島津久保、最上義康とかもそうだな
最上は親父には望まれてなかったようだが、家臣には慕われていたそうな
0006名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 00:35:20ID:DJYpqy8L
信忠は嘱望というか
実際に頭角を見せてたからなー
父親越えはアレだが、単純に一武将として評価出来る
0007名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 00:51:49ID:shhKF7Ux
武田義信は武将としての資質は置いといて、家臣の誰もが認める二代目って意味では惜しかったな。
勝頼を前線の司令官として使えるし、虎昌を後見役に信玄亡き後も家臣団の結束は固かっただろうし。
0008名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 01:07:56ID:Nm7lYgH0
ただ信忠が生きてたら織田家の後継者はいるわけで清洲会議も秀吉の天下も無くなってたんだよな…
信忠レベルの武将なら秀吉や勝家とかの家臣団を独立大名にさせるような事はなかったと思う
0009名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 11:29:53ID:AMeyKh9B
信忠も義信も正当後継者だったから
いなくなったら跡継ぎ問題でグダグダ
0010名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 12:15:38ID:ov76MQ1C
飽くまでイフだが、
毛利が吉川・小早川を養子縁組で吸収したように、武田も今川に誰かを
養子として送り込めば、平和に吸収出来たんじゃないか?もっとも、
安芸の国人みたいな小規模勢力と違って、由緒ある大勢力だから時間は
かかったかもしれないが。氏真は一時期、北条氏直を猶子にしたくらい
なんだから。武田が北条より先にそれをしていればなあ、と思う
そういう方向だったら、義信の反応も少しは違ってたんじゃないかね
切らずに済んだかもしれん
0011名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 13:50:04ID:hY2Sz2VV
信忠、信親は戦死組だが
義信は実の親に殺されてるののでイフが難しい
0012名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 13:58:11ID:fu4xpvpF
信忠は25歳でアボンか。
信長が25歳のころは今川義元と戦ってたころか。
0013名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 16:26:48ID:HBsh019x
義興の話が出てこないが、教興寺合戦の獅子奮迅の働きは見るべきものが有るよ。
0014名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 18:30:05ID:ov76MQ1C
>>11
義信のイフ=信玄のイフってことになるな

義興、某コーエーゲームでは、酷い顔に大したこと無い能力で、
冴えない武将だったよな。彼の肖像画は親父と似て爽やかな感じだったのに。
どこか織田信忠肖像と雰囲気が似た感じだったのは気のせいか。
京都府立大か京都大の図書館所蔵だった気がする
0015名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 20:45:24ID:HBsh019x
>>14
太閤シリーズならWは大大名の若殿。
Xなら爽やかな若武者となっております。
0016名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 02:02:58ID:LUp144WF
>>10
義信は今川義元の婿なんだから、義信自身を今川家の後継としてねじ込むのもありかもな。
実際北条は嫡孫を養子として入れてるわけだし。
で、将来的には義信は武田に戻って、今川家は義信次男か誰か武田一門の者が家督を継ぐと。
0017名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 17:47:13ID:FtJwfwgp
>>16
でも義信は氏真と同い年だからなあ、何か妙な感じになりそうだなw
義信と正室今川氏との間に男子でもいれば、養子縁組しやすかったかもな

「利根過ぎる大将」(「理屈くさく小賢しい」って感じか)という評価も
あるようだが、『甲陽軍艦』の批評だし・・・著者の主観とか風聞とかに
左右されてる部分はあるかもしれないけど、実際イメージはそっちに流れ
ちゃっている感があるよな。
0018名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 11:04:51ID:WYpMQsZP
毛利隆元もこのスレの範疇に入るのかな?
実際なかなかの人物のようだが。
0019名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 11:14:55ID:uZ2npCJ5
義信と氏真と氏政が同年なのか。

義信と氏真が30近く(30過ぎ)まで男子がないというのは
戦国時代的にどうなんだろう。
0020名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 13:29:14ID:c6FmkPdV
蟄居の身でありながら
側室も子供もたくさん作った真田幸村なんでどうなんでしょう?
0021名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 21:53:29ID:zYFOZLWy
親子してけっこう金遣いとか荒いよな(いろいろ必要だったんだろうが)

では幸村が高野山に蟄居させられなければ
放蕩ものの次男坊として兄貴に迷惑かけまくりだった可能性もあるのか
0022名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 22:34:52ID:wo1Fz3da
>>19
詳しくは知らないが、たぶん三国同盟がらみで側室が持てなかったんじゃないかな。
北条家はもともと側室は入れないらしいけど。

でも義信に世継ぎが居たら、武田の後継問題はますます揉めそうだな。
0023名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 23:23:34ID:Rd2941ao
この頃って、結婚して長く子供ができなかったら、自分の連れて来た
侍女等を、旦那に捧げて、できた子供を自分の子とするんじゃなかっ
たかな。
0024名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 23:35:44ID:8G32fAoV
北条家は一夫一妻制だったみたいだね、めずらしく近代的。

とはいえ氏政は氏直を24で作ってるから問題なしだけど。
0025名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 01:27:47ID:nM/JB/+3
能力面では微妙だが、立場・血筋的に羽柴秀勝(信長の四男)が長生きしてたら、
その後の歴史がまた違った展開になって面白かったのに。
0026名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 01:30:28ID:2KeVsdG8
>>25
秀吉に殺されたって説があるな、秀勝。
0027名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 01:33:29ID:nM/JB/+3
あと池田元助(輝政の兄)も結構有望だったらしいね。
0028名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 13:46:00ID:tzp4syo1
>>26
18歳ぐらいで氏んだんだっけ?
怪しいな
0029名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 18:46:27ID:Ndg9KSza
輝政は有能だったしいいんじゃない?

この2代目が死ななきゃ歴史はよくなってた〜って感じのヤツらばっかだし
0030名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 20:44:43ID:cvD57v99
>>25
その次に秀次の謀反処刑がなければどうなってたかな?みたいな。
秀吉死亡時にいい年した跡取りがいれば。
秀次派:家康vs秀頼派:三成
みたいな争いが起きるのか...。
0031名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 20:46:48ID:2KeVsdG8
>>30
応仁の乱だな、それ。
0032名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/06(金) 00:50:58ID:qz/z+rh4
穴山梅雪の嫡男も早世してなければ、徳川政権下で武田家再興してたかもな
0033名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/06(金) 10:45:27ID:iYJFhG+b
北条氏康の嫡・新九郎
0034名無しさん2006/11/22(水) 02:16:38ID:9ntqZp4P
>>32
梅雪の死には家康の謀略が見えるから息子も敵討ちを恐れた
家康に消された可能性も否定できない
0035名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/22(水) 03:25:47ID:h64gBJMx
もし信親が戸次川の戦いで死ななかったら長宗我部家は復興したと思う。元親に勝るとも劣らない大人物になっただろう
0036名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/22(水) 14:08:14ID:7vjqh64e
>>35
大人物かは知らんが春日局の後押しで江戸幕府の要職にはなっただろうね
0037名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/22(水) 14:40:07ID:GM8okCsj
思いっきり外様のくせに?
どうせ西軍についてあぽんでしょ
0038名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/22(水) 15:45:21ID:Miwbjc37
現在でもそうだけど、有能な2代目ってのは必ず古参の重臣の一部と揉めるよね。
おそらく有能だと現在の地位脅かされるっていうのがあると思う。
信長と勝家の初期もそういう捉え方できるし、元親も姫・・だしなあ。
そういう意味では誰もが認める・・・という2代目は個人的な能力的にはどうなんだろ?
信康なんかは、将来有望と絶賛する家臣と酒井みたいにそりの合わない重臣いたりして
それっぽい気がするんだけど。
0039名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/22(水) 17:04:24ID:b5/zirbS
>19>22
亀レスだが、武田義信には子がいたとする説はあるよ。
足利義輝の子とか歴史の表舞台に出なかった(もしくは隠された)人物ってのはいるもんだ。
0040名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/22(水) 19:41:41ID:W3tzBrVy
義信生存説もある(南部武田氏)
0041名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/23(木) 15:55:03ID:HaSXJ/IU
>>38
二代目と古参の重臣の対立というより、二代目の側近と古参の重臣の対立であって
二代目の器量や人物にかかわらずどの家、どの組織でも起こりうるものだと思う。
江戸幕府なんか家康側近と秀忠側近の間に顕著に見られるし、織田家も順当に信忠が跡を継いだとしても
信忠付の川尻、斎藤、森あたりと柴田、丹羽あたりで対立が起きたんだろうな。
0042名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/23(木) 18:43:17ID:MDuIwE8M
>>18
隆元は金庫番として地味に活躍したっぽいね。
ちなみに、いなくなってから毛利の活動が微妙に
しょぼくなっている。
0043名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/24(金) 00:21:31ID:XV+VBUH2
織田家と言えば、織田信行(信勝)も当初は柴田や林に支持されてた様だけど
実際どの程度の器量だったんだろうね。

仮に二度目の謀反を起こしてなかったら、後に清洲会議で重要な役割を担う
ぐらいにはなってたかな?
0044名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/24(金) 00:29:49ID:0CdbivxZ
佐久間や林と一緒に追放されるのが関の山っぽい
0045名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/24(金) 00:57:32ID:w5bBhunP
信長は意外と身内には甘いから、再び反抗するなどのまずい問題起こさずに従っていれば家臣として生き残れるのでは
斎藤と組んで反抗した庶兄信広や岩倉織田氏の信安も許してるし
0046名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/24(金) 02:15:44ID:t1qJrw8a
史実でも信長は信行の息子達をちゃんと育てて、特に長男の信澄は一門衆の五番目に据えている。
信行が信長に従っていれば、信包と同じく同母弟と言うこともあって一門衆のかなり上位にいられたんじゃないかな。
史実での馬揃えの時の序列が信忠、信雄、信包、信孝、信澄の順だったからこのときまで生きていたと仮定すれば、
おそらく信雄の次ぐらい?本人の器量も周りに期待されてたみたいだし、そんなにひどいってことはなさそう。
0047名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/24(金) 02:28:02ID:xGyeakny
毛利尼子筑紫秋月とか
0048名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/24(金) 12:04:04ID:qeMJj9KZ
>>45
なぁ……織田一族のあからさまに不自然な戦死や謀殺を分かって発言してる?戦時の配置を見て不条理を感じ無かったのか?
信長はさ、当時の近隣大名に比べても苛酷に過ぎる程だよ…?自分で殺さないで他人に殺させる術がうまいよ、ほんと。
0049名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/24(金) 12:31:09ID:IT76HRAD
>>45-46に同意
0050名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/24(金) 14:16:37ID:SqSWCW1g
織田信行も世良田二郎三郎に殺されるってか
0051名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/24(金) 14:36:51ID:oMfInioQ
>>48
信光
信広
信治
信時
信興
秀孝
のことを言っているの?
0052名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/24(金) 14:51:14ID:JhMivQco
48が具体例を出さない限りはなんとも
0053名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/24(金) 17:07:16ID:ySO91pQx
とりあえず
信忠、義興、隆元は実績だしてるのでスレ違いだな
0054名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/24(金) 23:02:15ID:XV+VBUH2
信忠は織田家の天下を次ぐ事が規定路線だったことを考えると、
あそこで死んだら二代目として実績を出したとは言えない。
0055名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 02:43:18ID:N4dGwVo4
隆元や義興も実績はあるけど、実質的な当主となる前に死んでる。
0056名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 02:54:39ID:l8E+M8Ah
とりあえず>48には誰が謀殺されて誰々が不自然な戦死なのかを挙げてほしい。
謀殺のソースとか不自然とする理由とかもあればなおよし。
0057名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 05:12:47ID:e4aJFguz
信光が謀殺で秀孝が不自然な死にあたるんじゃね
信興や信治は重要拠点に置かれていたわけだし信頼されてたはず
長島で死んだ奴らは本陣近くにいたんだししゃーないべ
0058名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 07:24:13ID:+kwQZ5mz
>>54
信忠は織田家の家督を継いでたけど
0059名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 15:27:04ID:mxT+RMFu
>>58
家督は継いだけど「天下人織田家」二代目としての活動をする前に
死んだから実質的には父親の跡を継いだとはいえない。
形式的には当主でもまだ父親が健在で当主の権限も
軍事面や濃尾二国のみに限定されてるし。
0060名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 16:49:55ID:+kwQZ5mz
そりゃ信長が死んでない以上は当たり前のことで
そんなこと言ってても一切意味がない
二代目としての実績があるんだからそれで十分
0061名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 16:52:35ID:+kwQZ5mz
「1616年まで徳川秀忠には二代目としての実績がない」
と言うのがまったく無意味なのと同じことだよ
0062名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 17:44:35ID:Lutao4z+
そもそも将来を嘱望された二代目は、みんな一武将としては活躍してた人ばかりだから。
やっぱ全権を持つ実質的な当主になる前に亡くなった人は、このスレ的の範疇でしょ。
0063名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 17:52:39ID:+kwQZ5mz
スレ違いかどうかといえば
スレ違いではないだろうね
俺は別に>>53に与しはしないよ
0064名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 18:13:45ID:N4dGwVo4
>>60
全然十分じゃないな。
将来を嘱望されてるってことは、ある程度後継者となるだけの実績や器量を示してるってのは大前提。
信忠が優れた器量の片鱗を見せていたのは異論の余地ははないが、
実質的な組織のトップになる前に死んでしまったのだからこのスレの範疇に入る。
0065名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 18:20:00ID:+kwQZ5mz
だからこのスレの範疇に入ると俺も言ってますので
0066名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/25(土) 18:32:12ID:+kwQZ5mz
というか信忠、義興、隆元あたりを外されて
どっかの、信長の外交辞令を真に受けた親バカ親父の息子
みたいなのしかこのスレの範疇に入ってこないようでは
話すことがなくなる
そこまで行くと「後継者となるだけの実績や器量を示して」ないからな

逆に信忠に二代目としての実績がないなんてことを認めると
それはそれでひどく歪んだ信忠像が帰結して困る
0067名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/26(日) 19:54:22ID:PBIT06uj
信忠があのときあんな近場にいなければ、もしくは逃げ出して他の身内と合流していれば・・
どうなっただろう。
とりあえず、正当後継者の信忠が生きていれば、光秀につく者も少ないだろう
(というか、信忠が死んだ史実においても、光秀は孤立してたけど)
とはいえ、信長死す、という情報が西や東に正式に伝われば、これもまた史実どおり、柴田などの方面軍連中は敵に足止めされ、中央に戻りにくい。
また、史実では毛利に先んじて情報を入手できた秀吉だが、信忠が堂々と宣言するとなるとその幸運もそううまくいかないだろう。
ま、毛利が秀吉に恩を売ろうと考えるんならそのまま返してくれるだろうけど、それはやはり楽観的な考えだろう。

しかし、主力といえる方面軍の連中が戻ってこなくとも、史実では光秀につくどころか、意思すらなかなかはっきりさせなかった畿内の連中も、
信忠にならつくだろうから、その兵力だけで充分光秀と戦えるだろう、とは思う。
それでもし勝ち抜けば、強力な実績となるし、秀吉などの野心あふれる有力家臣達も、ますます黙って従わざるをえなくなり、
天下統一事業はおそらくそのままうまくいくだろう。

が、もし光秀に負けるようなことがあれば・・今度は逆に光秀の地盤が固まってしまい、
方面軍は挟み撃ちにされてしまうため、光秀の天下が見えてきてしまう。
0068名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/30(木) 01:40:13ID:MyC4l26Z
開幕アウェーだったら、シーズン前のPSMで盛り上げて欲しいな。
0069名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/30(木) 01:41:05ID:MyC4l26Z
ごめん誤爆
0070名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/06(火) 18:05:48ID:6WPSxryU
やはり優秀な子孫を維持してくのは難しいんだろうな。
そう考えると北条や島津は凄いなあ。
0071名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/06(火) 23:03:05ID:3/Jl9u7K
長宗我部信親の戦死はまったく残念だった
0072名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/06(火) 23:22:16ID:8oPk26Xd
>>71 禿同です
仙石が討たれればヨカタのに

まぁどの道長宗我部家が存続するのは難しいと思うけど
信親には何か惹きつけられます
0073名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/07(水) 03:42:31ID:s6AOuQ83
長野爺さんの息子なんてのはスレ違いでしょうか?
0074名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/07(水) 08:55:52ID:E1D1iU/E
問題なし
存分に語られい
0075人間七七四年2007/02/15(木) 02:44:08ID:Tclbohgf
長野業盛か
まあ箕輪城は落城するとして、越後へ落ち延び村上同様客将か、伊勢守が引き取って
厩橋で再起を窺うとか。
伊勢守は離れると思えんから新陰流は興らないなあ。
景虎派にならざるを得ないだろうから御館の乱の結果が逆になるかもしれん。
0076人間七七四年2007/03/24(土) 01:07:25ID:nVgz19qu
信長の子供だった秀勝が生きてたら、本当にどうなってたかわからないね。
かれは武将として対毛利戦で戦っています。秀吉と苦楽をともにしていた人物に
なっていただろうから、豊臣政権下では跡取になる可能性もあったかも。
0077人間七七四年2007/03/24(土) 01:17:13ID:kMU5Urb3
信長四男の羽柴秀勝って、秀吉に消されたんじゃないの?
0078人間七七四年2007/03/24(土) 06:42:28ID:15JZnm9H
>>67
>信忠があのときあんな近場にいなければ、もしくは逃げ出して他の身内と合流していれば・・
>どうなっただろう。

光秀も馬鹿ではないので本能寺は起きませんでした。
0079人間七七四年2007/03/24(土) 10:26:00ID:Vegu9NkL
ですな
0080人間七七四年2007/03/24(土) 23:15:03ID:qbZuX9Gn
上杉和也
0081人間七七四年2007/04/08(日) 00:43:37ID:Wes31DkG
尼子政久・塩冶興久が死んだのは
本家的にはいたかったんじゃないかな?
晴久の代はまだなんとかなっていたが、
義久の代になると一族もそんなにいないし。
0082人間七七四年2007/04/09(月) 02:04:13ID:jrCqHFnr
織田信忠・松平信康・長曽我部信親

嫡男に信の字が付くとアレだな、短命だよな…
なんか呪いでもあるんか?w
0083人間七七四年2007/04/09(月) 02:16:54ID:5azRsVpY
芦名盛氏の子の盛興も嘱望されてたみたいね。
盛興が早死したために盛氏がまた当主に戻ったみたいだし。
義広じゃなく盛興だったら伊達の繁栄も無かったかもしれん。
0084人間七七四年2007/04/09(月) 05:52:49ID:AWZR+rZ+
>>82
つ武田信虎、武田晴信、松平元信
まぁ短命だとそれに武田義信、武田信勝、真田信繁が増えるか。
真田信繁は嫡男じゃないがな。
0085人間七七四年2007/04/09(月) 12:37:20ID:CAHELbIJ
真田信繁は普通じゃない?死んだの40代だろ?たしか
0086人間七七四年2007/04/09(月) 22:14:31ID:b5SghfkX
>>84-85
真田の生没年くらい調べてから出直して来い
0087人間七七四年2007/04/09(月) 23:08:41ID:AWZR+rZ+
>>86
正直スマンカッタ
48歳か。
平均的ぐらいなんかな。
病死じゃなく壮健な状態で戦死したから若いとばかり思ってた。
0088人間七七四年2007/05/21(月) 20:51:49ID:YkTGcslW
0089人間七七四年2007/05/23(水) 03:37:14ID:erfcNzYp
>織田信忠、松平信康、三好義興、武田義信、豊臣秀頼
そもそも、こいつらの中で"二代目"といってよさそうなのは秀頼しかいない件
0090人間七七四年2007/05/23(水) 07:45:37ID:2muMaacF
>>89
細かい。器の小ささを感じる。
言いたいことはわかるが、スレタイを見て意味が伝われば別に問題ない。
0091人間七七四年2007/05/23(水) 07:51:05ID:ucSyQj5v
>>89-90
>>1だけど、アホでごめん。
大勢力を築いたのを初代として考えたんだ。
0092人間七七四年2007/05/23(水) 23:17:17ID:QlGn811a
そういえば信玄時代の武田家臣って、名将ぞろいと言われながらあんまりその2代目の活躍って聞かないな。
真田ぐらいか?
0093人間七七四年2007/05/24(木) 01:13:49ID:4WSKxq/r
初代藩主の息子だったら、宇和島・伊達宗時
中風でヨイヨイになった秀宗に代わって事実上の藩主として働いてたんだけどね。
0094人間七七四年2007/05/24(木) 12:18:04ID:7MTrTiVM
>>92
甘利信忠
0095人間七七四年2007/05/24(木) 14:12:00ID:/eLiPXFY
たぶん俺
0096人間七七四年2007/06/18(月) 03:31:21ID:UFi7frF+
高坂昌澄
0097人間七七四年2007/08/06(月) 14:38:55ID:6tIwT/eZ
織田信忠
0098人間七七四年2007/08/08(水) 21:15:44ID:nNJ5SSqr
南斗白鷺拳シュウの息子シバ
0099人間七七四年2007/09/08(土) 22:23:15ID:tb4/au3A
0100人間七七四年2007/09/09(日) 01:47:23ID:8tlpRO4J
羽柴秀勝
0101人間七七四年2007/09/11(火) 08:05:17ID:rwZQPy7l
真田信綱
0102人間七七四年2007/10/18(木) 20:12:08ID:svtpk9eN
長宗我部信親
0103人間七七四年2008/02/24(日) 10:15:53ID:anEytukw
保守
0104人間七七四年2008/03/30(日) 03:47:08ID:CvwW7S4a
秀吉の時代、家康は徳川姓のままだったが、秀忠は「豊臣秀忠」を名乗っていた。
0105人間七七四年2008/03/31(月) 18:46:29ID:FaO/M/59
姓は徳川のままだし、氏の意味に使ってるなら家康が源(藤原)じゃね?
0106人間七七四年2008/04/19(土) 00:10:29ID:S9KLIO3o
三好義興
0107人間七七四年2008/05/21(水) 09:38:54ID:PtaNnsfV
徳川秀忠
0108人間七七四年2008/06/22(日) 00:24:38ID:PHhrd785
毛利隆元
0109人間七七四年2008/07/05(土) 12:43:36ID:vvU37+BO
結城秀康
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