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▼殺生関白▼羽柴秀次▼

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 20:07:32ID:2kl/Yh2s
彼が生きていたら、豊臣家の運命も変わっていたのでは?
0817人間七七四年2011/03/10(木) 23:56:41.22ID:UbnDjnkW
秀吉は死の直前に当たって大陸からの全面撤退を命じてる
秀次が生きていればその遺命に従って粛々と撤兵するだけだろう
もっとも外征失敗による政権への動揺はもちろんあるだろうけどね
0818人間七七四年2011/03/11(金) 06:33:49.09ID:LHFOg6WR
秀吉の名によって出された撤退命令なんてないよ。
0819人間七七四年2011/03/11(金) 06:43:04.49ID:ZcH/zahV
前任のケツ拭きも後継者の仕事だわな、糞垂れ流しのまんまじゃ迷惑だし
0820人間七七四年2011/03/11(金) 07:39:07.21ID:XUZymlBs
>>818
毛利家文書に秀吉が撤退を命じたという書状が残ってるわけだけど
なにが「ない」の?
0821人間七七四年2011/03/11(金) 09:02:55.76ID:RN1mhPTb
>>816
安泰だとは思ってはいないが天下を統べる家が他に移るには当然代わりうる対抗馬が必要でしょ
後世の歴史から見れば徳川家康ってことになるんだろうけど秀次が豊臣氏2代目関白職を次いだままで
あったとすれば、いわゆる5大老5奉行制度もないので豊臣氏の政権運営に携わることもない徳川家は
単なる身代の大きい一地方大名に過ぎず、徳川政権下における前田家みたいなもの
0822人間七七四年2011/03/11(金) 09:51:50.41ID:V4ftWVvq
色々考えると、要するに淀さんが子供産んでなければよかったんだな
0823人間七七四年2011/03/11(金) 10:33:39.13ID:fOB+8INz
よほど大きなミスを秀次がしない限り、家康の出番ないな
0824人間七七四年2011/03/12(土) 07:03:00.63ID:FdaLRcEB
>豊臣氏の政権運営に携わることもない徳川家は単なる身代の大きい一地方大名に過ぎず

五大老就任が徳川天下獲りの必須条件みたいな意見をよく見かけるが、歴史を振り返れば他の武家政権
―三幕府にしても平家にしても―は、その政権の要職に就いていた者から倒されたわけではないよ。
失政や時代の流れ等により、武士たちの支持を失ったから倒されることになった。
同じ二代目でも、秀忠と秀次で決定的に違うのは、秀忠は家康が敷いた路線をそのまま踏襲していけば
よかったのに対し、秀次は先代秀吉のやり方が唐入り失敗で壁にぶち当たり、拡大路線に変わる新たな
方針を、秀次の政策として新規に起さねばならないところ。だから、秀次の政治的力量次第というわけ。
0825人間七七四年2011/03/14(月) 09:10:30.60ID:Cpkin/bl
秀忠は家康の路線をそのまま踏襲はしてないだろ?つーか江戸幕府の路線敷きしたのは秀忠と家光じゃん
0826人間七七四年2011/03/15(火) 05:59:33.81ID:bH3wkOVl
くだらない疑問かもしれないですが、秀次の妻子が処刑された時、正室は助命されましたよね。これは何故でしょうか?
0827人間七七四年2011/03/15(火) 15:52:43.22ID:2e8eYByu
池田恒興の娘だからじゃなかろうか
0828人間七七四年2011/03/15(火) 21:34:15.08ID:bH3wkOVl
ということは、恒興は当時はもう死んでるから輝政の姉妹だから助かった、ということですかね。
池田輝政ってそんなに配慮しなければならないほど利用価値があったか、或いは権力があったんですか?wikiを読む限りだと、さほど、、、という感じがします。
むしろ、菊亭晴季の方に配慮した方が良かったように思えますが。
0829人間七七四年2011/03/15(火) 23:48:43.87ID:f/C7567H
秀忠が行なった、大きな政策の転換って何かあったっけ?
0830人間七七四年2011/03/16(水) 17:24:34.22ID:gKJWrR0A
>>828
最上とか縁のない田舎大名ならともかく
恒興は秀吉の同僚みたいなもんだし
長久手で死んだとはいえ、配慮したんじゃ?
0831人間七七四年2011/03/17(木) 01:02:31.14ID:p/R5Cldr
>>829
戦争がなくなった
0832人間七七四年2011/03/18(金) 13:07:25.47ID:Hh32T/zy
まあ家康はあくまで駿府政権で、「江戸幕府』というのは実質秀忠が初代だな。
0833人間七七四年2011/03/18(金) 17:40:49.02ID:hrcjglLo
井伊直政が秀次に暴言した逸話知ってる人いますか?
0834人間七七四年2011/03/18(金) 23:05:32.48ID:Hhjt0uQl
秀次の小牧長久手の失態と、秀忠の関ヶ原の失態、どちらがより減点対象といえるかな。
0835人間七七四年2011/03/18(金) 23:08:46.89ID:VfuNFCAH
目くそ鼻くそ
0836人間七七四年2011/03/19(土) 01:30:18.09ID:wjbmcTuA
どっちも本人のミスというよりは周辺の問題だからなあ
0837人間七七四年2011/03/19(土) 08:54:05.75ID:VShfC5mW
赤坂で待つという選択を捨てるには捨てるだけの意味がある
家康が東西両陣営における近い未来の戦力増加要素として西軍大津攻略部隊と
東軍秀忠部隊を天秤にかけた結果なのだろう
将も兵も朝鮮での戦闘歴が豊富で大津城を抜いて意気上がる立花・秀包部隊
将も兵も合戦からおよそ10年無縁で悪路の中山道を強行して駆けてくる秀忠部隊
0838人間七七四年2011/03/26(土) 10:46:45.68ID:KrTMlQ22
秀忠の遅参は、勝ち戦の中での失態。無様ではあったがその後の戦略政略に与えた影響は軽微。
秀次の大敗は、戦略そのものを変えてしまった。
戦さで屈服させることができなかった相手としてその後の家康の特別扱いに繋がっていく。
0839人間七七四年2011/04/22(金) 14:29:04.16ID:m66L7lM8
保守
0840人間七七四年2011/05/16(月) 11:08:35.04ID:chy/EIP1
近江八幡では名君として崇められてるよねこの人
0841人間七七四年2011/05/16(月) 11:10:31.77ID:VkDd38qR
>>840
近江八幡のごくごく一部だけだろw
一般市民は存在すら知らんわ
0842人間七七四年2011/05/19(木) 05:22:07.55ID:YVFx5zpD
>>840
秀次はん、あの世で暇そうやね
0843人間七七四年2011/05/28(土) 09:52:17.88ID:9mUbG5nt
過疎だから質問
『日本西教史』の豊臣秀次に関する記述はどこまで信用できる?

後、柏書房から出版された『消された秀吉の真実』読んだ人いる?
0844人間七七四年2011/05/29(日) 03:29:21.25ID:KnWtJKom
age
0845人間七七四年2011/05/31(火) 15:14:58.17ID:G1t/I+fZ
保守
0846人間七七四年2011/05/31(火) 15:39:49.04ID:BRyEv1mY
面白そうだな。オカルトチックで。
0847人間七七四年2011/05/31(火) 20:35:32.81ID:H/W8QK0K
秀次が生きていれば秀頼派と秀次派に別れて関ヶ原したよね!
0848人間七七四年2011/05/31(火) 20:37:00.79ID:c9HQuX40
>>847
戦まで発展するかな? 
0849人間七七四年2011/05/31(火) 21:29:01.07ID:tfEIAcOy
秀頼vs秀次だと
三成&正則がタッグ組んで秀頼派になるのかな
外様抜きの内紛だとして
0850人間七七四年2011/05/31(火) 22:34:21.24ID:c9HQuX40
内紛で衰えたところを、外様につけこまれそう
0851人間七七四年2011/06/01(水) 20:04:50.01ID:nEgHLWBZ
日本を七つに分けて云々てマジなの?
なら呑めばよかったのにな
0852人間七七四年2011/06/01(水) 20:22:39.46ID:H6dAKl/o
>>851
それやってても無理だろ。秀吉の死後必ず争いになって、恐らく共倒れ。
一番いいのは、毛利秀元みたいに秀次が自分から身を引いて、秀頼後見役になることだったろう。
秀次がそうしないなら、秀吉は秀頼跡継ぎ諦めるべきだったけど、何の功も才もない秀次ごときにって感情はどうにもならないね。
0853人間七七四年2011/06/01(水) 22:50:48.00ID:1f6l2TP4
秀次が自分から身を引いて鶴松の後見役になる話なら何故か北条統一スレで熱く語られていたw
0854人間七七四年2011/06/01(水) 22:53:06.42ID:BGXzuNAQ
「消された秀吉の真実」に出てたけど、秀次の切腹が秀吉の命令ではなく、
秀次自身が自分の無実を主張するための切腹だった、って説は面白いな。

だとすると秀次は一種の「恨み腹」をしたわけで、これをすると親族や家臣には恨みの対象への
復讐義務が生じる。

秀吉が秀次の恨みの対象を自分だと捉えたとすれば、秀吉による秀次親族や家臣への
執拗な粛清の理由も見えてくる気がする。
0855人間七七四年2011/06/02(木) 00:17:21.91ID:Gy7OwD9g
茶茶さんさえいなければ…
0856人間七七四年2011/06/02(木) 18:39:35.08ID:WWI6dklI
>>854
じゃあ福島さんは秀次の男気に感動してついて来たの?
0857人間七七四年2011/06/02(木) 18:43:28.93ID:fpbrc/am
>>856
謀反容疑の尋問って事だろ。>正則
0858人間七七四年2011/06/03(金) 09:10:37.23ID:GASYbf+/
http://www20.atwiki.jp/hgs00/m/pages/18.html?guid=on

ここに書かれているフロイスの報告やモンタヌス日本誌の記述から
豊臣秀次が一般市民を殺害していた可能性は否定できないと思うのだけど
このスレ住人的にははどう?
0859人間七七四年2011/06/03(金) 11:25:07.36ID:yqYDn3UM
>>858
そもそもフロイスの信憑性なんて俗悪週刊誌の記事程度。
0860人間七七四年2011/06/03(金) 12:34:13.91ID:GASYbf+/
>>859
>信憑性は俗悪週刊誌の記事程度

>>858であげたルイス・フロイスの報告やモンタヌス日本誌とか>>858にはないけど、ジャン・クラッセの日本西教史にある
豊臣秀次の殺人関連の記述は当時世間に流れていた噂ということなのかな?
でもモンタヌス日本誌と日本西教史に出てくる屠殺場の話は信憑性あると思うんだよね。
0861人間七七四年2011/06/03(金) 16:26:00.04ID:0hMkWYv4
一般市民というのも微妙だなあ。
何かの処刑かもしれないしキリスト教徒から見れば悪では
なくてもこっちでは許されないことかもしれないし
こういう一事をもって人間性とか性格の判定をしようとするなら
そういう手法の方に問題があるだろうし。
0862人間七七四年2011/06/03(金) 19:31:51.14ID:cZUvo1L9
庶民出身なんだし
荒っぽい気性は仕方ないと言うか当然なんじゃない
乱心、冷酷とかそういう類いのものではないと思う
0863人間七七四年2011/06/04(土) 09:45:18.65ID:4/OsbRLE
大将として担ぐぶんには及第点だったのだろうな
前野、木村といった秀吉糟糠の家臣団と服部、滝川などの織田系家臣団と中村、山内、田兵、
不破の近江系家臣団の混交所帯だけど内輪揉めなどの記録は残っていない
良く言えば、己が能力(不足なことを)を知っていて家臣に仕事を任せられるし、家臣間の調整も
できるという2代目にはもってこいなタイプ
0864人間七七四年2011/06/04(土) 20:34:30.63ID:XCmmMxWg
秀忠みたいなタイプ?
0865人間七七四年2011/06/04(土) 20:43:52.53ID:lA1RO6UX
秀忠みたいになれなかったから粛清されたのだろう
0866人間七七四年2011/06/05(日) 00:00:11.03ID:UZw3WoWD
>>865
徳川の場合だって、家康は信康を粛清しなければならなかったわけで、
ほんと厄介だね。
0867人間七七四年2011/06/05(日) 17:15:36.40ID:RVwz2XP4
>>854
>「消された秀吉の真実」に出てたけど、秀次の切腹が秀吉の命令ではなく、
>秀次自身が自分の無実を主張するための切腹だった、って説


でもその『消された秀吉の真実』の中で堀越祐一に批判されていた宮本義己は『誰もしらなかった江』で、
豊臣秀次の自刃の理由は、謀反に対する無実=偽り、すなわち不誠実な対応を咎められたうえでの自刃であって、
無実の意味が「謀反の嫌疑が晴れた」とした自分の解釈は間違っていたと言っているよ。
無実はこれのhttp://dic.mobile.yahoo.co.jp/p/dic/search/detail?type=jj&index=21871817904400三番目の意味なんだと宮本義己は言っているんだろうね。
0868人間七七四年2011/06/06(月) 15:08:01.98ID:Xt7DtxSK
あげ
0869人間七七四年2011/06/09(木) 12:27:28.62ID:0gvvigvx
モンタヌス日本誌や日本西教史は近代デジタルライブラリーで読めるけど、
ここで話題になっている秀次関連の記述読んだ人いる?
0870人間七七四年2011/06/30(木) 05:54:26.78ID:Xd4FiAKT
保守
0871人間七七四年2011/07/11(月) 20:29:17.88ID:a+iSm9do
age
0872人間七七四年2011/07/11(月) 22:59:52.73ID:au6/qrYS
秀吉は将軍じゃなくて関白を選択したのが間違い。
関白はその性質上、必ず大人しかなれない。
これが将軍だったら秀頼が幼少でも秀吉の圧力で秀次からすぐに譲らせる事が出来た。
しかし関白だと秀吉がいくら圧力をかけても秀頼が成人するまで譲位が不可能。
秀吉が秀頼成人まで生きれる可能性は低いし、秀頼が成人になって秀次が譲位する確証はどこにもない。
いずれ確実に秀頼を関白にするには秀次を消すしかないという判断になったんだろ。
秀吉が将軍になれていたら歴史は大きく変わっていたかも。
0873人間七七四年2011/07/11(月) 23:12:08.81ID:fiCDkmtH
選択しなかったのではなく、成れなったんだよww
足利義昭様の養子になれなかったから。
義昭殿の

大 勝 利

だね!!!
0874人間七七四年2011/07/12(火) 01:09:58.30ID:QvufKzfG
ちなみに言っておくと豊臣秀吉が最後までその権力の正当性の証明としたのは、
実は関白ではなく太政大臣の地位。関白は辞任しても太政大臣の地位は最後まで
保持し続けた。
なので豊臣が武家関白家として武士を統率した、というのは少しちがうとおもう。
本質的には平清盛のような、太政大臣政権だな。
0875人間七七四年2011/07/13(水) 07:25:18.51ID:J9zPKeMG
>>873
義昭じゃなくても他に源氏系の人間なんてたくさんいただろ
0876人間七七四年2011/07/13(水) 18:38:43.59ID:aAglbYah
当時の征夷大将軍は源氏というより足利家の「家職」。藤原氏はたくさんいても
摂関家は5つだけ、みたいな物。
義昭の死と共に「将軍職を家職とする足利宗家」が断絶したとされた。
0877人間七七四年2011/07/14(木) 18:09:30.68ID:IB9vLpC9
てことは、義昭が存命だったら家康が征夷大将軍になる際に何らかの了解を得ないと
いけなかったってこと?
幸いすでに死んでたけどさ。
0878人間七七四年2011/07/14(木) 19:59:21.11ID:aVAR+d05
生きていたら何らかのスジを通すのは必要だったかもしれんな。
ただその場合家康が将軍職ではなく、他の官位で公儀形成を行なった可能性もあるがw
0879人間七七四年2011/07/15(金) 14:41:22.65ID:P/Yl3HFk
>>876
家職ではないし
そもそも義尋を忘れるな…
>>877
義昭は准三后に出世し出家しとるから将軍職は手放しているよ。
0880人間七七四年2011/07/16(土) 19:59:01.32ID:LmpPYKz7
むしろ秀次が早死にしていれば・・・秀勝が三代目豊家関白に。
0881人間七七四年2011/07/16(土) 23:44:23.84ID:5ae2KqSl
秀保が秀次より長生きしていたら・・・って定義は恐らくないんだろうな。
0882人間七七四年2011/07/18(月) 08:38:48.00ID:yeD5jXRa
a
0883人間七七四年2011/07/19(火) 01:43:37.15ID:YtuOL1/B
秀頼が生まれてなければ…と仮定した場合、家康が天下を簒奪するのはかなり難しくなるな。
秀次は小牧長久手での痛い経験があるから執拗に家康を警戒し続けるだろう。
そうなると家康は関ヶ原みたいな戦も起こせなくなる。
0884人間七七四年2011/07/19(火) 10:35:38.11ID:c1KYHs1i
だから秀頼誕生には家康が絡んでたという説もあるんだよな。
家康が淀の浮気相手を差し向けたという説や、家康自体が秀頼の父親という説まで。
全ては将来邪魔になる秀次を秀吉に殺させるために。
0885人間七七四年2011/07/19(火) 10:47:58.54ID:Sj600Njf
そんな説あるのかwww
0886人間七七四年2011/07/19(火) 11:45:00.36ID:FzGcpgJz
家康どんだけ未来が見えてたんだよw
0887人間七七四年2011/07/20(水) 16:24:50.50ID:DySY15Kb
見えすぎちゃって困るのw
0888人間七七四年2011/07/21(木) 15:16:09.12ID:HUs1fZhl
秀頼がいたからこそ、秀次を消しても豊臣は一枚岩でいられたんだが。
秀頼がいなければ、そもそも秀次は安泰だったんでは? という見方もあるが
結局秀次に天下を治めるだけの器量がなければ秀吉死後に潰されるだけ。
0889人間七七四年2011/07/21(木) 16:41:47.41ID:F/4/4whb
結局秀次の能力次第だよね!

の無限ループだなwこのスレはww
0890人間七七四年2011/07/22(金) 00:30:08.64ID:BoV6K66+
>>888
どこが一枚岩だ?
秀次なら豊臣恩顧が家康に利用される事も無かっただろ。
まず三成が秀次によって中枢から遠ざけられるから加藤や福島が三成憎しで結集する事もない。
0891人間七七四年2011/07/22(金) 10:17:16.67ID:Oj+0qQVF
しかし尾張の田舎者があの歳で死ぬまで軍務政務であれだけの仕事をしながら
文化面や剣術などでもそれなりに高いレベルまで達したって言うんだろ?
能力や努力の面では水準よりもずっと高いものがあったんじゃないのか?
0892人間七七四年2011/07/22(金) 16:46:56.41ID:3UK/QC1O
秀吉没後も秀次が関白で君臨してれば家康自身も天下簒奪は諦めてたんじゃないか?
豊臣恩顧の大部分が秀次の元でまとまってる状況ではどうやっても難しい。
秀次に嫌われて遠ざけられた三成と組むというウルトラCでもやらないと。
0893人間七七四年2011/07/22(金) 16:59:03.58ID:QDWUTPQT
仮定に仮定を重ねられても困る
0894人間七七四年2011/07/22(金) 17:02:18.90ID:a7REJmnv
まあ史実でも家康の天下簒奪は寿命ギリギリだしな。
0895人間七七四年2011/07/22(金) 17:25:14.47ID:e4+FhvBt
別に獲れそうになっちゃったから獲っただけで
秀吉に臣従した時点で諦めてるよ
勝手に我慢して天下狙ってたイメージ作られてるだけ
0896人間七七四年2011/07/23(土) 00:56:07.87ID:TVSwGZaj
秀吉死んだあと天下餅が転がってたので拾いました、ってだけだよな。
波風立たなければ、そのまま豊臣政権下の大大名のまま一生を終えただろう。
0897人間七七四年2011/07/23(土) 01:06:57.74ID:FQR0oXNk
波風たってないのにうろちょろする奴をバカという
0898人間七七四年2011/07/23(土) 18:40:24.50ID:OUYsF9jM
そう考えるとやはり淀のせいで豊臣が滅んだって事になるな
0899人間七七四年2011/07/24(日) 07:10:03.43ID:IQIPu3sC
>>987
おいおい、愛の人バカにするのかよ
0900人間七七四年2011/07/24(日) 09:07:49.28ID:CHvPvADa
秀頼とその周辺のせいだけどな大坂の陣
淀や大野は和平派
0901人間七七四年2011/07/24(日) 11:18:37.54ID:sXxoFNXA
和平っつーか現実派だな。
0902人間七七四年2011/07/24(日) 14:35:37.59ID:/LpZN56C
未だに淀のせいとか言う奴が居るのに驚き
0903人間七七四年2011/07/24(日) 16:41:03.42ID:sXxoFNXA
江戸初期に成立した軍記物の「大阪物語」だと、主戦派は秀頼として描かれているな。
淀殿は、少なくとも冬の陣の後は国替えまで認めているし。
0904人間七七四年2011/07/24(日) 21:57:36.00ID:w8gox4df
お家の滅亡なんてのは当主に全責任がある。トップなんだから。秀頼が悪い。
0905人間七七四年2011/07/24(日) 22:10:29.61ID:4LIgb+il
>>904
あなたの家は安泰ですか?
0906人間七七四年2011/10/10(月) 22:37:19.65ID:bm3ioYnq
質問なんだけど、

『駒井日記』の文禄二年十一月廿九日の記事に
「一 姫君様御祈祷東寺宝厳院被仰付、政所様御座 間へ被参候、其段重而一往之念不申上とて益庵御しかり被成候」
ってあって、
これを自分なりに訳してみたんだけど
「(関白様が)姫君様の御祈祷を東寺の宝厳院に御命令され、(若)政所様が(関白様の)御座之間に参られた其の件をもう一度ひと通りの注意も申し上げなかったといって益庵を御叱りに成られました。」
こんな感じになったんだけど、これで大丈夫かな?
0907人間七七四年2011/10/10(月) 23:07:21.84ID:mXMoXr1k
>>906
それでいいと思うよ
0908人間七七四年2011/10/10(月) 23:18:26.45ID:bm3ioYnq
>>907
そうなのありがとう。
ついでに質問だけど、益庵を叱ったのって、秀次で良いんだよね?一応秀次が益庵を叱った風に訳したんだけど。
0909人間七七四年2011/10/10(月) 23:26:03.80ID:mXMoXr1k
>>908
この前後の文脈も見ないと断言はできないけど、この部分を見た限りその解釈でいいと思う。
0910人間七七四年2011/10/10(月) 23:55:32.84ID:bm3ioYnq
>>909
ごめん、だいぶ前に文献出版の『増補駒井日記』からそこだけ抜き出したから前後の文脈はわかんないんだ。
でも色々答えてくれてありがとう。
0911人間七七四年2011/10/11(火) 15:02:24.04ID:PxcnIdNC
秀頼なんてどう考えても秀吉の子じゃなく、茶々が天下を盗むために他の男で作った子だろう
それは当時もみんな考えてたに違いない 北政所おね様なんかとくにそうだろう
秀次があとをつぐべきだったよ
0912人間七七四年2011/10/11(火) 16:42:05.16ID:HrRDQDqK
>>693>>694
秀次の馬廻であった林亀之助からも聞いた川角太閤記は秀次擁護側で
>>701>>702>>710
太田牛一の大かうさまくんきのうちが秀頼擁護側なんだよね。
池田家お抱えの太田は売筆家で金銭で歪曲捏造する男だからなぁ。

前田家お抱えの小瀬甫庵の太閤記はどう書いてあんだろ。
>>716>>718>>720>>745
これがその時の政治状況だよね。
0913人間七七四年2011/10/12(水) 14:48:52.02ID:idSTlBvR
太田は関ケ原の記述でもデタラメ吐いてるから
全く信用できない著作ばかり
0914人間七七四年2011/10/12(水) 18:54:50.60ID:6F7D8F5h
信長公記をソースに語るものは全員バカで頭がおかしい太田牛一信者である!!
太田牛一の著作は全て二級以下!一級資料ではない!!
一級資料だと言っているものはキチガイである!!!
わたしはどの学者よりも資料を見聞し、賢いのでそれが分かる!!!!

>>913様は仰りたいんですよね。
代弁しておきましたよ。
0915人間七七四年2011/10/12(水) 20:41:56.66ID:JGwEhPdP
>>912様も
0916人間七七四年2011/10/14(金) 13:00:37.62ID:B3Di2FkV
秀長があと10年生きていればうまいこと調整付けてくれたろうが
秀長、利休が死んで以降は秀吉のやること全部裏目だからのう
秀次も割食った部分は大きかろう
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。