▼殺生関白▼羽柴秀次▼
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 20:07:32ID:2kl/Yh2s0772人間七七四年
2011/03/03(木) 00:11:50.54ID:1YJb2dqG0773人間七七四年
2011/03/03(木) 00:40:30.15ID:gR8z8s9U秀次が凡庸だろうと、政権に参加していない家康がどんな大義名分で
政権に参加できるんだ?
0774人間七七四年
2011/03/04(金) 01:51:47.97ID:ak5TIlJ0豊臣以下、一番天下への野心と実力があったのは家康だけだし。
江戸公方とかに適当な名前つけて中央から遠ざけておけばよかったんじゃね?
家康さえ権力の中枢から排除しておけば、
秀吉死後に家康が野心丸出しにしても、天下簒奪はならなかったろうなぁ。
0775人間七七四年
2011/03/04(金) 13:19:23.80ID:DaM4afsh何でと言われても豊臣政権において家康は実質的に東国統治の責任者なんだが。
家康の臣従は家康と秀吉の連合政権の樹立に近い話だったわけで。
だいたい臣従以降秀吉の生きている間、家康は秀吉に反抗していないんだから
秀吉の判断は100%正しかったというべきだろ。秀吉が死んだあとのことなんか知るか。
お前が自分の死んだ後のことも全部予測できるのならお前は秀吉を批判していい。
0776人間七七四年
2011/03/04(金) 21:32:34.64ID:N6ACm7ct家康に実質的権限なんてない。指南や取次の浅野石田増田のほうが
専権を与えられてる。
0777人間七七四年
2011/03/05(土) 10:55:37.64ID:Vmx9bHTqなら意味ないよ。
秀吉遺訓を破りまくった家康を、誰も咎めることができなかった(咎めようとはしたが)ため死文化して
しまったように、実質的な武力の裏づけのない権限なんてこの時代なんの役にも立たない。
秀次後継だろうが、秀吉という後ろ盾を失った後に、秀次が家康他を押さえつけることができるかどうかにかかる。
秀次が引き継いだとして、その状況というのは、唐入り戦況悪化ということもあり、決して楽観できる状況ではない。
0778人間七七四年
2011/03/05(土) 13:51:17.94ID:wyh56rU5いや、見事朝鮮半島を占領して領地にして、秀吉の死後に新国家樹立⇒日本も支配ってなってたかもしれんがw
0779人間七七四年
2011/03/05(土) 16:33:14.35ID:rNPMdVCoそれを危険だからって天皇を動かして止めたのが秀次
0780人間七七四年
2011/03/05(土) 20:41:41.97ID:5BwrCrW+0781人間七七四年
2011/03/05(土) 22:13:46.35ID:Ujq0wguY秀次がまだ関白殿下と呼ばれていた頃、家康は中央の政権に参加していない。
そして、秀吉死後でも秀次が関白殿下のままなら家康が中央政権に参加する
大義名分がない。
0782人間七七四年
2011/03/06(日) 05:57:17.29ID:02eAJwIyということは、もしかして秀吉は諸武将の力を削いで豊臣家の支配を磐石にとかじゃなくて、
ガチで勝てると思って朝鮮出兵したのか。そりゃ徳川家は送らんわな。
勝って領土増やされたら危ないってことで。本当に耄碌してたんだなぁ。
0785人間七七四年
2011/03/06(日) 07:23:55.47ID:kF9EPZJu0786人間七七四年
2011/03/06(日) 07:41:40.76ID:D5pSim7Kその中央の政権(豊臣政権)自体が弱体化しようとしているんだが。
もっとも、
・豊臣政権の主導で空前の大遠征を企画するも失敗。一片の領土も獲得できず。
・参加した大名同士で深刻な対立が発生。
・それを抑えられるカリスマ創業者秀吉が死亡。政権の求心力低下は不可避。
この状況で、最有力大名の家康の力も借りず、秀次だけで諸大名の不満を宥め、抑えることができるかな?
モタモタしていたら頼みがたしと見切りを付けられ、諸大名は次の頼れる親分を求めて勝手な行動をしだすだけ。
秀吉死後に、一時的に戦国時代に逆戻りという史実で起こった構図のとおりだね。
0787人間七七四年
2011/03/06(日) 07:44:39.74ID:ybAFW/GF0788人間七七四年
2011/03/06(日) 07:50:43.91ID:D5pSim7K秀吉に不興を買うのを覚悟してまで、秀次擁護に走った大名ってどのくらいいたっけ。
0789人間七七四年
2011/03/06(日) 08:29:24.69ID:tiLKKbz60790人間七七四年
2011/03/06(日) 09:19:23.79ID:KmtmbJzB正室として池田家、側室として最上家
主な与力大名
前野家、木村家、中村家、堀尾家、山内家
主な家臣
田中兵部、不破万作、大場土佐、舞兵庫
交流の濃い大名
浅野親子、蜂須賀親子、増田長盛親子、細川忠興、毛利輝元・秀元
一徳川家がどうこう出来るような陣容ではない
0791人間七七四年
2011/03/06(日) 10:00:23.13ID:ry2KNnPU仮に、秀吉が死んだあとに秀次が朝鮮出兵の後始末をしなくてはならなくなったら、徳川家を朝鮮出兵した連中への
生贄にしてしまうという手段もあるじゃないかな。
北条攻め以来、戦から離れていた徳川家が朝鮮で経験を積んだ連中に勝てるとは思えないし、恩賞に伴う大規模な
国替えを行うことで豊臣政権の支配力強化を図れると思うし。
0792人間七七四年
2011/03/06(日) 10:16:52.90ID:QWqwX/09佐竹以外の関東諸将、伊達あたりは家康派といえる大名だけど、
他はどうだろ。対家康のために越後に上杉、常陸に佐竹、甲斐に浅野、
会津に蒲生、東海道に秀次派諸将とガチガチに固めたわけだし。
あと、伊達は強いものになびくだけなので、いざ家康がヤバイってときは
すぐに寝返るだろうし。
0793人間七七四年
2011/03/06(日) 10:18:53.15ID:p/XSSbrL秀吉の後ろ楯があるから味方した訳じゃ無いべ
秀吉の後継者、次の権力者だから味方したんだろ
外様とか他の豊臣系がどう動くかは未知数だが少なくとも秀次と関係のある連中は積極的に裏切る事は無いだろ
秀次がすんなり後を継いだら裏切る理由は無い
0794人間七七四年
2011/03/06(日) 11:50:37.98ID:y549fheg大きく違うわけだし簡単にどうこういえるもんではないな。
0795人間七七四年
2011/03/07(月) 22:34:22.70ID:o2Y5RyVt実際、秀次が失脚した時に秀次派? とやらの連中まったく頼りにならなかったしな。
そもそも秀次派だったとも思えんし。
0796人間七七四年
2011/03/08(火) 09:27:22.97ID:AMOQZvT5その後の政権運営で離反者を出す可能性は有るが
0797人間七七四年
2011/03/08(火) 11:45:11.68ID:AJW2iVH9秀吉に比べれば家康のがマシ
0798人間七七四年
2011/03/08(火) 21:12:31.46ID:bmIoc9TRそのまま受け継いだら、家康なんぞ正直目じゃないだろ。
0799人間七七四年
2011/03/08(火) 22:25:52.73ID:vKyYqJPp秀次に不満な大名なんてそもそもいない
0800人間七七四年
2011/03/08(火) 22:41:25.70ID:bmIoc9TRつか、わざわざ時の権力者に謀反するような真似をするメリットもないしな
0801人間七七四年
2011/03/08(火) 23:43:29.69ID:ad1myIc7秀次派は山内、堀尾、生駒、中村が伏見城を攻める
0802人間七七四年
2011/03/08(火) 23:53:27.36ID:bmIoc9TR秀次が関白職についたままなら、家康のほうが謀反人になるぜ、それ。
0803人間七七四年
2011/03/09(水) 10:25:51.87ID:Bi/BenNL最低でも関白職は自分から放棄していなければ生かしてもらえないだろうし
秀次が秀頼を手元で管理することは秀吉が認めないのは明らかだから
権威などの後ろ盾がない状態で秀頼を担いだ家康とガチ勝負をしなければならん
0805人間七七四年
2011/03/09(水) 12:52:15.45ID:ooUtB+sn伏見に秀次
江戸に家康
0806人間七七四年
2011/03/09(水) 14:08:03.36ID:v5G0hY8s幼君秀頼を相手に虐めまくって権力を奪いとったのが家康。
0807人間七七四年
2011/03/09(水) 14:23:03.65ID:TL3w5V070808人間七七四年
2011/03/09(水) 19:25:01.66ID:vja7aIec0809人間七七四年
2011/03/09(水) 20:12:12.13ID:ooUtB+sn無謀すぎる
0810人間七七四年
2011/03/10(木) 06:22:21.07ID:yz4lAoso唐入りの後始末をそもそもどうつけるかのか、恩賞としてやる領土も得られなかったのに、諸大名の
不満をどう宥めるのか、大敗による求心力の低下をどう回復させるのか。
頓挫した拡大路線から、新路線への展開をどう道筋つけるのか。
そもそもが貴種でもない血筋から、実力でのしあがったのが秀吉であり、秀次も諸大名を従わせるには
やはり実力を示すしかない。たんに二代目を継げばうまくいくなどという状況ではないよ秀忠とはまったく違う。
0811人間七七四年
2011/03/10(木) 07:32:14.93ID:09KX0lgsそれに秀次は子宝に恵まれていたから婚姻や養子策も使える。
五大老の前田や上杉を威圧して己が威令を世間に示す隙すらない家康に出る幕なんてまったく無い。
0812人間七七四年
2011/03/10(木) 20:50:18.15ID:oPdowfch秀次が関白殿下のままで、家康がどんな隙に付け込んでこられるんだよ?
力のまま無理矢理干渉したら、それこそ謀反で征討されるだけだしな。
0813人間七七四年
2011/03/10(木) 21:44:20.09ID:BrR71Xz2秀次が生きて関白なまま秀吉が死んだら秀忠が後を継いだ状態と大して違いは無いわな
秀吉が秀次殺して政権グダグダにした挙句、外様に政治参加させたから秀吉死後ああなった訳で
0814人間七七四年
2011/03/10(木) 22:19:33.48ID:jiOD5xLZ0815人間七七四年
2011/03/10(木) 23:30:26.57ID:dA87Js36朝廷に対しての前例を作り、
縁戚関係によって旧織田家家臣筋の有力者池田氏を取り込み、
与力大名には羽柴家尾張閥と近江閥をほどよくブレンドさせ、
奥州仕置きを通じて秀吉正室ねねの実家浅野長政幸長親子との関係強化
軍事的に西の脅威となりうる毛利家に対しては弟秀長娘を毛利秀元に嫁がせ
秀長の跡目に秀次弟
そして毛利の隣に宇喜多、大阪湾を挟んで蜂須賀(秀次与力大名前野家と縁戚)
東の脅威となりうる徳川家に対しては東海道に秀次与力大名をずらりと並べ
三河に池田、尾張に秀次弟、甲斐には浅野を配置
秀吉の凄みは、このような次代継承者秀次システムを己で作り上げながら
秀吉自身が完璧に壊した点だな
0816人間七七四年
2011/03/10(木) 23:40:41.54ID:yz4lAoso秀次が、秀吉の後継者たることを強調したければ、その政策も全面的に継承しなければならないが、
それはすなわち、秀吉の遺志を継いで唐入りも継続という結論になるんだが。
でなければ、亡き太閤殿下の遺志に背くということなるわけで。
0817人間七七四年
2011/03/10(木) 23:56:41.22ID:UbnDjnkW秀次が生きていればその遺命に従って粛々と撤兵するだけだろう
もっとも外征失敗による政権への動揺はもちろんあるだろうけどね
0818人間七七四年
2011/03/11(金) 06:33:49.09ID:LHFOg6WR0819人間七七四年
2011/03/11(金) 06:43:04.49ID:ZcH/zahV0821人間七七四年
2011/03/11(金) 09:02:55.76ID:RN1mhPTb安泰だとは思ってはいないが天下を統べる家が他に移るには当然代わりうる対抗馬が必要でしょ
後世の歴史から見れば徳川家康ってことになるんだろうけど秀次が豊臣氏2代目関白職を次いだままで
あったとすれば、いわゆる5大老5奉行制度もないので豊臣氏の政権運営に携わることもない徳川家は
単なる身代の大きい一地方大名に過ぎず、徳川政権下における前田家みたいなもの
0822人間七七四年
2011/03/11(金) 09:51:50.41ID:V4ftWVvq0823人間七七四年
2011/03/11(金) 10:33:39.13ID:fOB+8INz0824人間七七四年
2011/03/12(土) 07:03:00.63ID:FdaLRcEB五大老就任が徳川天下獲りの必須条件みたいな意見をよく見かけるが、歴史を振り返れば他の武家政権
―三幕府にしても平家にしても―は、その政権の要職に就いていた者から倒されたわけではないよ。
失政や時代の流れ等により、武士たちの支持を失ったから倒されることになった。
同じ二代目でも、秀忠と秀次で決定的に違うのは、秀忠は家康が敷いた路線をそのまま踏襲していけば
よかったのに対し、秀次は先代秀吉のやり方が唐入り失敗で壁にぶち当たり、拡大路線に変わる新たな
方針を、秀次の政策として新規に起さねばならないところ。だから、秀次の政治的力量次第というわけ。
0825人間七七四年
2011/03/14(月) 09:10:30.60ID:Cpkin/bl0826人間七七四年
2011/03/15(火) 05:59:33.81ID:bH3wkOVl0827人間七七四年
2011/03/15(火) 15:52:43.22ID:2e8eYByu0828人間七七四年
2011/03/15(火) 21:34:15.08ID:bH3wkOVl池田輝政ってそんなに配慮しなければならないほど利用価値があったか、或いは権力があったんですか?wikiを読む限りだと、さほど、、、という感じがします。
むしろ、菊亭晴季の方に配慮した方が良かったように思えますが。
0829人間七七四年
2011/03/15(火) 23:48:43.87ID:f/C7567H0830人間七七四年
2011/03/16(水) 17:24:34.22ID:gKJWrR0A最上とか縁のない田舎大名ならともかく
恒興は秀吉の同僚みたいなもんだし
長久手で死んだとはいえ、配慮したんじゃ?
0832人間七七四年
2011/03/18(金) 13:07:25.47ID:Hh32T/zy0833人間七七四年
2011/03/18(金) 17:40:49.02ID:hrcjglLo0834人間七七四年
2011/03/18(金) 23:05:32.48ID:Hhjt0uQl0835人間七七四年
2011/03/18(金) 23:08:46.89ID:VfuNFCAH0836人間七七四年
2011/03/19(土) 01:30:18.09ID:wjbmcTuA0837人間七七四年
2011/03/19(土) 08:54:05.75ID:VShfC5mW家康が東西両陣営における近い未来の戦力増加要素として西軍大津攻略部隊と
東軍秀忠部隊を天秤にかけた結果なのだろう
将も兵も朝鮮での戦闘歴が豊富で大津城を抜いて意気上がる立花・秀包部隊
将も兵も合戦からおよそ10年無縁で悪路の中山道を強行して駆けてくる秀忠部隊
0838人間七七四年
2011/03/26(土) 10:46:45.68ID:KrTMlQ22秀次の大敗は、戦略そのものを変えてしまった。
戦さで屈服させることができなかった相手としてその後の家康の特別扱いに繋がっていく。
0839人間七七四年
2011/04/22(金) 14:29:04.16ID:m66L7lM80840人間七七四年
2011/05/16(月) 11:08:35.04ID:chy/EIP10842人間七七四年
2011/05/19(木) 05:22:07.55ID:YVFx5zpD秀次はん、あの世で暇そうやね
0843人間七七四年
2011/05/28(土) 09:52:17.88ID:9mUbG5nt『日本西教史』の豊臣秀次に関する記述はどこまで信用できる?
後、柏書房から出版された『消された秀吉の真実』読んだ人いる?
0844人間七七四年
2011/05/29(日) 03:29:21.25ID:KnWtJKom0845人間七七四年
2011/05/31(火) 15:14:58.17ID:G1t/I+fZ0846人間七七四年
2011/05/31(火) 15:39:49.04ID:BRyEv1mY0847人間七七四年
2011/05/31(火) 20:35:32.81ID:H/W8QK0K0849人間七七四年
2011/05/31(火) 21:29:01.07ID:tfEIAcOy三成&正則がタッグ組んで秀頼派になるのかな
外様抜きの内紛だとして
0850人間七七四年
2011/05/31(火) 22:34:21.24ID:c9HQuX400851人間七七四年
2011/06/01(水) 20:04:50.01ID:nEgHLWBZなら呑めばよかったのにな
0852人間七七四年
2011/06/01(水) 20:22:39.46ID:H6dAKl/oそれやってても無理だろ。秀吉の死後必ず争いになって、恐らく共倒れ。
一番いいのは、毛利秀元みたいに秀次が自分から身を引いて、秀頼後見役になることだったろう。
秀次がそうしないなら、秀吉は秀頼跡継ぎ諦めるべきだったけど、何の功も才もない秀次ごときにって感情はどうにもならないね。
0853人間七七四年
2011/06/01(水) 22:50:48.00ID:1f6l2TP40854人間七七四年
2011/06/01(水) 22:53:06.42ID:BGXzuNAQ秀次自身が自分の無実を主張するための切腹だった、って説は面白いな。
だとすると秀次は一種の「恨み腹」をしたわけで、これをすると親族や家臣には恨みの対象への
復讐義務が生じる。
秀吉が秀次の恨みの対象を自分だと捉えたとすれば、秀吉による秀次親族や家臣への
執拗な粛清の理由も見えてくる気がする。
0855人間七七四年
2011/06/02(木) 00:17:21.91ID:Gy7OwD9g0858人間七七四年
2011/06/03(金) 09:10:37.23ID:GASYbf+/ここに書かれているフロイスの報告やモンタヌス日本誌の記述から
豊臣秀次が一般市民を殺害していた可能性は否定できないと思うのだけど
このスレ住人的にははどう?
0860人間七七四年
2011/06/03(金) 12:34:13.91ID:GASYbf+/>信憑性は俗悪週刊誌の記事程度
>>858であげたルイス・フロイスの報告やモンタヌス日本誌とか>>858にはないけど、ジャン・クラッセの日本西教史にある
豊臣秀次の殺人関連の記述は当時世間に流れていた噂ということなのかな?
でもモンタヌス日本誌と日本西教史に出てくる屠殺場の話は信憑性あると思うんだよね。
0861人間七七四年
2011/06/03(金) 16:26:00.04ID:0hMkWYv4何かの処刑かもしれないしキリスト教徒から見れば悪では
なくてもこっちでは許されないことかもしれないし
こういう一事をもって人間性とか性格の判定をしようとするなら
そういう手法の方に問題があるだろうし。
0862人間七七四年
2011/06/03(金) 19:31:51.14ID:cZUvo1L9荒っぽい気性は仕方ないと言うか当然なんじゃない
乱心、冷酷とかそういう類いのものではないと思う
0863人間七七四年
2011/06/04(土) 09:45:18.65ID:4/OsbRLE前野、木村といった秀吉糟糠の家臣団と服部、滝川などの織田系家臣団と中村、山内、田兵、
不破の近江系家臣団の混交所帯だけど内輪揉めなどの記録は残っていない
良く言えば、己が能力(不足なことを)を知っていて家臣に仕事を任せられるし、家臣間の調整も
できるという2代目にはもってこいなタイプ
0864人間七七四年
2011/06/04(土) 20:34:30.63ID:XCmmMxWg0865人間七七四年
2011/06/04(土) 20:43:52.53ID:lA1RO6UX0867人間七七四年
2011/06/05(日) 17:15:36.40ID:RVwz2XP4>「消された秀吉の真実」に出てたけど、秀次の切腹が秀吉の命令ではなく、
>秀次自身が自分の無実を主張するための切腹だった、って説
でもその『消された秀吉の真実』の中で堀越祐一に批判されていた宮本義己は『誰もしらなかった江』で、
豊臣秀次の自刃の理由は、謀反に対する無実=偽り、すなわち不誠実な対応を咎められたうえでの自刃であって、
無実の意味が「謀反の嫌疑が晴れた」とした自分の解釈は間違っていたと言っているよ。
無実はこれのhttp://dic.mobile.yahoo.co.jp/p/dic/search/detail?type=jj&index=21871817904400三番目の意味なんだと宮本義己は言っているんだろうね。
0868人間七七四年
2011/06/06(月) 15:08:01.98ID:Xt7DtxSK0869人間七七四年
2011/06/09(木) 12:27:28.62ID:0gvvigvxここで話題になっている秀次関連の記述読んだ人いる?
0870人間七七四年
2011/06/30(木) 05:54:26.78ID:Xd4FiAKT0871人間七七四年
2011/07/11(月) 20:29:17.88ID:a+iSm9do■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています