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▼殺生関白▼羽柴秀次▼

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 20:07:32ID:2kl/Yh2s
彼が生きていたら、豊臣家の運命も変わっていたのでは?
0320人間七七四年2007/07/07(土) 04:28:23ID:/quwE60v
>>319
秀吉は当事既に、豊臣一門の事よりも秀頼の将来の事のみしか考えて無いのだから仕方あるまい。
豊臣権力を秀頼から奪う第一候補は身内なのだから。
0321人間七七四年2007/07/07(土) 04:41:09ID:bsG2QP2L
実際娘が何人か助命されて一人は真田幸村の側室になってる>秀次の娘
隆精院がそうだな
つうか姫なんか残しても豊臣家には大して影響しないだろ
影響しないから助命したわけで
0322人間七七四年2007/07/07(土) 06:09:24ID:Tzz/nJlm
>>320
この隆精院ってこの事件のとき何歳だったのかな?
真田信繁と婚姻してたのだから相応の年齢じゃないとおかしいけど
秀次自身が28歳だったんだから、彼女の年齢は・・・
0323人間七七四年2007/07/07(土) 06:37:20ID:bsG2QP2L
隆精院が何年生まれで事件の時何歳だったか不勉強なので知らないが、
彼女の旦那である幸村自身隆精院の父親である秀次より一歳年長なわけで、
親子ほど年の離れた夫婦関係だったことは間違いないよ
0324人間七七四年2007/07/07(土) 07:26:13ID:uzkCdJNx
>>318
石高的に大身はいたけど
(羽田4万8千石、桑山3万石、本田2万5千石、箸尾2万石)
筆頭家老は藤堂のはず。
石高でかいのは秀吉直参を譲り受けたのが多いから、新参といえば新参。
0325人間七七四年2007/07/08(日) 00:07:20ID:joBMHY6P
>>8
身内の大和豊臣や秀次を潰し
自身も警戒してた黒田や、碌で主家を上回る徳川を残すのが不可解だよな

一門より他人を信頼する、あまり例を見ない男だった
見事に裏目に出たわけだが
0326人間七七四年2007/07/08(日) 13:03:08ID:nc5J+yJB
いや、家康も信頼していたと言う訳ではないと思うよ、
単に関東と言う場所を甘く見ていたんだと思う。
たとえ禄が大きかろうと中央から離れた関東に追いやっておけば何もできまいと言う自負。

実際に、秀吉は信長配下のころも蹂躙される武田・上杉しか見て無いし、
小田原での合戦も圧勝に終わって東で苦労はして無い。
軽んじても無理は無いといえる。

それでも蒲生を置いたり無理矢理上杉を膨らませて置いたりと、
見張り役はつけてるしちゃんと警戒も怠ってないが、心のどこかに「たかが関東」という
気持ちがあったのは否定できない気がする
0327人間七七四年2007/07/08(日) 21:55:01ID:Hx1kp2HN
>>325
幼い秀頼から「豊臣権力」を奪い取る第一候補は、同じ一族だし。
そのほかは決して「豊臣権力」は奪取できないからね。
家康も「豊臣権力」の外に新秩序を打ち立てたわけだし。
0328人間七七四年2007/07/09(月) 02:09:42ID:7MFjgl2D
しかしだ、ただでさえ貴重な男系血族を皆殺しにしてしまったら
羽柴家が断絶する危険性が高まることも分からなかったのかな?
不可解なほど負の部分ばかりが増幅されているあの足利義教だって
永享の乱や結城合戦の戦後処理で持氏一族を皆殺しにしようとはしなかった。
持氏の末っ子・永寿王は(側近たちの説得で渋々とはいえ)助命したし
持氏の妻妾や娘たちにいたっては最初から殺す気も無かった。
彼が永寿王を助命したのは室町将軍家断絶時の受け皿を確保するためであったはず。
仮に秀次が本当に叛乱なり秀吉暗殺などを計画していたとしても
秀次の子たちは絶対に殺してはいけなかった。
親族を粛清しまくって源氏宗家の断絶を早めてしまった源頼朝の轍を
秀吉は頼朝を遥かに上回る悪辣なやり方で踏んでしまったわけだ。
0329人間七七四年2007/07/09(月) 03:14:41ID:wkFueev2
>>328
まあ頼朝の方は、それなりに成長した子供が何人かいたから、流石に断絶するとは思わなかっただろうけどなw

足利はやっぱり強固な一門意識があるけど、秀吉にはそう言う一門意識ってものを一切感じないな。
そのあたりは所詮地生えの領主ではなく、織田家の軍務官僚の世界でのみのし上がってきた人間だったから、と
見えなくもない。
0330人間七七四年2007/07/09(月) 20:25:44ID:zENkm0c7
秀次の子を織田家における津田信澄みたいな立場に置けなかったのは失敗だよな。
まあ年齢的に関が原の時点では何の力にも無らなかったかもしれんが。
0331人間七七四年2007/07/09(月) 20:51:24ID:DEScSDfk
秀次生きてても家康の傀儡にされてたろ
0332人間七七四年2007/07/09(月) 22:10:40ID:wkFueev2
>>331
個人の能力じゃなくて、もし秀次事件がなかったら、「豊臣家世継ぎ」としても秀次家には無傷なまま数カ国にまたがる大領と、
豊臣家子飼いの直属軍民官僚群と、秀頼に何があってもその後をしっかりと固められる多くの後継者候補(秀次の子供達)がいた。

秀吉後の政権安定感が違うわな。
0333人間七七四年2007/07/10(火) 00:14:34ID:2e+HR8ZL
傀儡ならたとえ最後に追放されても、ある程度は羽柴の血統は残るからな。
0334人間七七四年2007/07/10(火) 02:25:36ID:/rD1dhYg
大義名分の意味でも全然違うな、秀次は一応豊臣家を関白と共に継いでしまっているからね、
その時点で本来ならば、秀頼は大御所の息子であって、「秀次の次の後継者候補」の一人に過ぎない。
にもかかわらず無理矢理剥奪して継がせようとしてしまった時点で立つべき名分は地に落ちた訳だ。
そこで今更、家康が力任せに何しようが豊臣家が何か言える義理はなくなってしまった。

だが結局傀儡にされようと後継者争いが起ころうと、秀次が関白のままで残るのであれば、
あくまで豊臣家内の名分が立ったままになってしまう、となれば家康も史実ほど力づくではいけなくなるだろね。

それでも家康の実力を考えれば結局権力は握ってしまうだろうし、秀次は傀儡かもしれんが、
傀儡だとしても残ると言う事は権威が残ると言う事、全然意味が違う。

秀次と家康では実力の桁が違っても子々孫々そうだという保証はどこにも無い。
0335人間七七四年2007/07/11(水) 00:34:44ID:HlR1g5AK
しかし天下人の甥っ子兄弟全滅ってのも凄いな。
たとえ暗愚でも誰か一人でも生き残ってたら、歴史は変わっていただろうに。
0336人間七七四年2007/07/11(水) 01:25:59ID:oiJG5YfF
少なくとも羽柴家が消滅することはなかっただろうね
0337人間七七四年2007/07/11(水) 21:42:03ID:VBHgkJet
傍系に天下取られる位なら他家に譲ったがマシと思ってたんじゃ?>秀吉
0338人間七七四年2007/07/11(水) 22:12:34ID:eaqgxFDW
そんなわけない
0339人間七七四年2007/07/15(日) 23:00:34ID:JJ29hDnZ
高台院は羽柴家の後継ぎとして親類から養子をとり、羽柴利次と
名乗らせていたらしいね。近江に3000石の所領を持つ旗本になっている
ということだ。ただ、高台院死後は羽柴姓から木下姓に変更させられているようだが。

どなたか、このあたりの資料をネットにUPしている人はいないだろうか?

日出と足守、立石の各木下家よりも嫡流といえるのは、この近江木下家ではないだろうか。
準大名である立石木下家が秀頼の子孫でなければの話だが。


0340人間七七四年2007/07/16(月) 00:21:59ID:ZDWh70O6
秀次系が残るには秀次自身が出家、そしてその系統が小大名として残るか、
秀吉を追放或いは殺すしかなかったのではないか?
ただこれをしたら内乱状態になってしまう・・・
秀次付きで山内、田中、堀尾などは残ったのに前野や木村が駄目だった
理由は何でしょう?
0341人間七七四年2007/07/16(月) 03:05:59ID:hZ5ceL6q
>>340
> 秀次付きで山内、田中、堀尾などは残ったのに前野や木村が駄目だった
> 理由は何でしょう?

生かしておいても(秀頼にとって)害がないと判断されたかどうか。前野や木村は大物だから
変な政治力を発揮される事を恐れたんでしょ。
0342人間七七四年2007/07/16(月) 03:20:33ID:DSTbIXxg
秀次出家しても生き残れなかったわけで。
0343人間七七四年2007/07/16(月) 04:46:13ID:NYc/smhg
とりあえず義父の秀吉が唐入りで忙しい時に朝廷に内緒で献金したり、
諸大名から自分に忠誠を誓わせる誓紙をとったりするのは止めた方が良かったな
秀次には秀吉への叛意は無かったと部下だった甫庵は記してるが、こんなことしてたら疑われても仕方ない
如水の勧めどおり自分から外征軍の総大将買ってでるなり、ともかく秀吉に二心の無いことを示さなきゃいけなかった
0344人間七七四年2007/07/16(月) 05:16:03ID:hZ5ceL6q
>>343
> とりあえず義父の秀吉が唐入りで忙しい時に朝廷に内緒で献金したり、
> 諸大名から自分に忠誠を誓わせる誓紙をとったりするのは止めた方が良かったな

その辺は本当に秀吉にナイショでやったかどうかなんて怪しいものだ。
秀次の周りは秀吉の目が光りすぎるほどひかっていた訳で。秀吉の意向に反した行為を
そんなホイホイと行えたなんて、先ず信用できない。
秀次荒淫説と一緒で、後付の理屈と考えた方が自然だろう。
0345人間七七四年2007/07/16(月) 05:28:58ID:NYc/smhg
秀次の周囲に秀吉の目が光ってたからすぐに秀吉の知るところとなって問題になったのでは?
単に秀次が不注意だったとする方が理にかなってるだろう
あと秀次の嗜好殺人というのは怪しいものだが、彼が精力絶倫だったと言うのは間違いない事実
そのことを注意した秀吉の書状が現存してるし、六条河原で処刑された秀次の女房連中は30人以上だった
0346人間七七四年2007/07/16(月) 08:02:43ID:UypARO3e
>>そのことを注意した秀吉
秀吉が人に注意できるくらい品行方正か?
ホント秀吉って勝手な奴だなあw
0347人間七七四年2007/07/16(月) 09:56:59ID:Ajc3IZeH
秀次は実際叔父同様、策略家で好色な所もあったのだろう
一方的な被害者とするのは、秀頼貧弱説と同じく構成の後付けに過ぎない
0348人間七七四年2007/07/16(月) 12:13:28ID:DSTbIXxg
というか秀頼が生まれた後は自分が逆風の中に居るのがわかって焦ったんだろう、
その中で少しでも自分の身を守ろうとしてただけに過ぎない、そういうのは策略とは言わない。

一族の少ない豊臣家にとって、秀次の子が多いことはむしろ歓迎すべきだったのにな。
0349人間七七四年2007/07/16(月) 16:37:07ID:5XjpreNU
焦って下手打ったんだろうな。
気の毒だが浅慮というか・・・。
秀次生きてても豊臣だめになったんじゃない?
0350人間七七四年2007/07/16(月) 17:07:25ID:e+5Asq3a
おれが秀吉なら家康に難癖つけて5万石程度にするか、抵抗するなら無理矢理取り潰す
けどな。経済力が圧倒的に違うんだから負ける事はあり得ないし。
0351人間七七四年2007/07/16(月) 18:19:19ID:762wVGEG
秀吉は家康つぶすべきだったってのよく見るけど、
そんなことはおれらが後の歴史を知ってるからいえるわけで。
当時家康は律儀で通ってたし、又左だって安全牌ってわけじゃなかったろ。
もともと堀秀政は加賀の押さえとして越前に配置されてたともいわれてるし。
ようは徳川前田上杉毛利佐竹等は互いに牽制させるつもりだったのでは。
家康はなんかの時に使えるとでも思ってた・・・というか思わされたのかな。

その辺は家康が狸って言われる所以だろ。
信長にだってあれだけ忠実で、幾ら扱き使われても絶対服従してながら
本能寺起きたら河尻、穴山を煽動して殺させて甲信を併呑。
秀吉にだって生きてる間は手が出せないから絶対服従だけど、
死んだら豊家をのっとって、あまつさえ秀吉、秀長の墓を暴く。
・・・なんか書いてて、家康ってキレタいじめられっこみたい・・・
0352人間七七四年2007/07/16(月) 21:07:43ID:NYc/smhg
秀長の墓は暴いてないんじゃないかな?>家康
0353人間七七四年2007/07/16(月) 21:56:01ID:DSTbIXxg
>>350
北条みたいに真っ向から敵対してくれるなりするならともかく、
完全に服従してる上に豊臣家にとっても功労者である徳川を無理に押し潰す様な事をしては、
他の外様大名に示しがつかない。

それでも無理矢理押し通そうとすれば徳川に同情的な流れになる事は避けられない、
そして彼らが明日はわが身と恐怖心を抱いてしまったら最後、次々と離反者が相次ぐ。
特に秀吉の恩恵の少ない東国の連中はかなり危ない、味方の中でもあまりやる気は出してくれないだろう。

それでもかろうじて潰せるかもしれないが、多くの離反者に250万石の大大名である家康の連合軍を
力押しで叩き潰すとなったら1年や2年ではすまない。朝鮮出兵も真っ青の大損害になる事は容易に想像できる。

更に更にそこまでやってやっと東国を得ても、そこまで強引にやっておいて豊臣を信用する奴などいなくなるだろう
そんな政権に何の意味があるのか?
0354人間七七四年2007/07/16(月) 23:12:56ID:O5Ay5sTK
立小便の時に刺しておけば・・・剣術&健康マニアの家康に返り討ちにされるか
0355人間七七四年2007/07/17(火) 00:01:38ID:jqut3Zke
秀次の父親はどの程度の階層出身だったのですか?
姉が秀吉より先に結婚していたなら秀吉の出身階層も推測できませんか?
0356人間七七四年2007/07/17(火) 00:30:26ID:GuUR5kHA
>>351>>353
そこで諦めず、策略をめぐらして徳川を族滅するのが真の天才。
筑前が本来兼ね備えていたはずの天才的頭脳を駆使すれば
徳川を血祭りにあげるなどたやすきことだったといえる。
時代は遡るが、政敵を根こそぎ滅ぼしていった北条得宗家の例を見よ。
畠山、比企、梶原、千葉、三浦、毛利、安達、平頼綱・・・
政敵をすべて死滅させて強固な絶対権力を完成させたのが
足利義満・義教親子をも超える武家政権史上最強の名君・北条貞時公だ。
筑前は貞時公の前例に倣って徳川とその息のかかった勢力を血祭りにあげるべきだった。
討伐する理由がなければ作る、作れなければ徳川亭を奇襲攻撃して家康親子を討ち取る。
そう、あの日本史上空前絶後の壮挙(暴挙?)・平禅門の乱を再現すべきだったのだ。
0357人間七七四年2007/07/17(火) 00:57:32ID:MQRUJy4k
>>356
このアホは最上義光スレにも現れた奴だな。
あれだけ呆れられてまた同じこと言ってるのか。
0358人間七七四年2007/07/17(火) 01:13:11ID:/J/jg1Gp
>>356
だから政敵じゃなくて味方だっつーの、わからん奴だな。
0359人間七七四年2007/07/17(火) 02:39:17ID:cDp2j71B
>>353
250万石って家康に従っていた大名領や与力領含んでだろ。
そんなもん策略でなんとかなる。

大義名分なんぞいくらでも作れるんだよ。離反者が出ないようにな。

それにたかが家康程度に朝鮮出兵ほどの犠牲には間違いなくならない。
なぜなら北条征伐の先例があるから。



0360人間七七四年2007/07/17(火) 04:17:22ID:/J/jg1Gp
>>359
家康と同様毛利や伊達など、生き残った外様たちは皆、一度は敵対しながらも
秀吉に従う事で信頼を得て、秀吉はその証として領土と安全を保証してきた。
その中で同じ事をしてきた・・・どころか早くから従っていて服従している家康が結果的になんの落ち度もなく潰される。

だったら多くの外様にとっても自分たちだけは大丈夫なんて保証はどこにもなくなる。
それをいくらでもどうにかできると言われても、具体的に言ってもらえなければわかるわけない。
0361人間七七四年2007/07/17(火) 08:35:35ID:tYPJoxzs
>何の落ち度も無く

国家安康君臣豊楽なみの粗探しをするか、
無ければ権力の力で捏造すればいい。
徳川が正論唱えても、末期の豊臣と同じで味方する者は少ない。
0362人間七七四年2007/07/17(火) 10:28:46ID:ppZot70c
つーか普通に考えて、家康潰すってなったらみんな納得すると思うよ
あの時代、家康って秀吉と匹敵し得る唯一の存在でしょう
本当に天下平定するためには絶対潰しておくべき存在
家康潰されたからもしかしたらうちも、なんて思い上がった身の程知らずはほとんどいないと思う
0363人間七七四年2007/07/17(火) 12:10:16ID:cDp2j71B
あら探しをしてそれを口実に改易処分、今までの奉公に対して堪忍料として
5万石くらいを捨扶持に与えれば脱糞したうえ、取り繕うためか焼き味噌と
称して食べて、あまりの苦さに顔をしかめたところを絵師にかかれるよう
な男なら謀反をするような度胸はないだろう。
実力者とはいえ、当時の家康と秀吉にはかなりの力の差があったはず。
0364人間七七四年2007/07/17(火) 12:57:56ID:r5SJIi6V
  秀  次  に  関  係  無  い

  話  を  し  て  い  る  奴  は  、

  巣  に  帰  れ
0365人間七七四年2007/07/17(火) 15:35:57ID:jUqJJr9/
>何の落ち度も無く

信雄のことはぁ?一応へタレでも大大名だぞ。取り潰すような理由でもないだろ。
あとは信包とか。
それに本題の秀次自体イチャモンつけて潰した様なもんだろ。家老の前野と木村も。

ところで若江八人衆って石田三成とかに仕えて関ヶ原で奮戦したのは有名だけど、
それ以前にどんな武功があったの?もともと秀吉あたりの直参だったんだっけ?
0366人間七七四年2007/07/17(火) 17:11:20ID:PesQlCvp

  文禄4年(1595年)

 ◇関白豊臣秀次 朝鮮渡海の儀

1月16日 羽柴秀吉、島津義弘及び吉川広家へ来年の羽柴秀次の
名護屋への動座予定の準備、兵粮の入替、および釜山浦の兵站
基地において兵粮の調達を行うことを命令。また秀吉は朝鮮を
「九州同前」と認識しているので内輪替後に帰朝すべきこと、
在城周辺の耕地開作を指示。詳細は寺沢広高に伝達させること
を通知。──『島津家文書』『吉川家文書』

2月16日 山中長俊、朝鮮在陣中の吉川広家を慰労。来年の
羽柴秀次の動座・渡海について報告。詳細については寺沢広高
が伝達することを通知。──『吉川家文書』
0367人間七七四年2007/07/17(火) 17:13:56ID:PesQlCvp
   文禄4年(1595年)

  ◇関白秀次に暗雲立ちこめる

3月8日 羽柴秀吉、聚楽第において羽柴秀次と対面。
──『言経卿記』

3月27日 羽柴秀吉、禁裏に参内し先に羽柴秀頼が叙爵した御礼などを奏上。
──『公卿補任』

4月10日 羽柴秀吉、伏見城において聚楽第より下向した羽柴秀次と対面。
──『言経卿記』

4月16日 羽柴秀保(秀次実弟)が大和国郡山城にて、横死する事件が発生。
──『言経卿記』
0368人間七七四年2007/07/17(火) 17:16:19ID:PesQlCvp
   文禄4年(1595年)

  ◇秀次の命運尽きる

7月3日 羽柴秀次、謀反の嫌疑で、石田三成・増田長盛ら奉行衆
より、詰問を受ける。──『公卿補任』

7月8日 羽柴秀吉、羽柴秀次を召喚し、関白・左大臣の官職を剥奪、
羽柴秀次は出家し、高野山へ追放される。──『公卿補任』

7月10日 前田玄以・石田三成・増田長盛・長束正家ら奉行衆、
吉川広家へ羽柴秀次の高野山放逐を正式通知し、虚説を否定。
──『吉川家文書』

7月15日 羽柴秀次、高野山において、謀反の科により自害。
──『言経卿記』

7月15日 木村重茲、羽柴秀次に連座して京都山崎の大門寺で自刃。
──『日本史人物生没年表』
0369人間七七四年2007/07/17(火) 17:19:53ID:PesQlCvp
   文禄4年(1595年)

   ◇秀吉の秀頼溺愛に諸将憂う

7月12日 石田三成・増田長盛、全5ヶ条の「霊社上巻起請文」
を提出。諸大名に対し豊臣秀頼への表裏無く、盛り立てること。
諸事については秀吉の「御法度」「御置目」を遵守すること。
豊臣秀頼を疎略にし、「御法度」「御置目」に違反する者は、
例え誰であっても糺明の上成敗すべきこと。秀吉の恩恵を受けた
者共は子々孫々までも豊臣氏への忠誠を尽くすべきことを誓約。
──『大阪城天守閣所蔵木下家文書』

7月20日 羽柴秀吉、諸大名に豊臣秀頼に対する忠誠および
法度・御置目の遵守を誓わせる血判起請文を提出させる。
──『毛利家文書』

8月2日 羽柴秀次妻子妾等、京都三条河原に於いて秀次首級を
前に辞世の和歌を詠む。その後、全て処刑される。
──『特殊文書』『言経卿記』

9月3日 石田三成・増田長盛ら奉行衆、島津忠恒へ
「今度京都之儀」すなわち秀次事件に関して秀吉の
「御朱印」が発給された旨、事件は落着したことを通達。
──『島津家文書』
0370人間七七四年2007/07/17(火) 18:49:28ID:TposnFwL
>>358
筑前にとって家康は一応「味方」=家来には違いなかったが
大きな潜在的脅威であるには違いなかっただろ。
だからこそ彼は徳川を関東に「追放」したんじゃないか。

貴重な親族を無実の罪で殲滅して、逆に家康らを誅殺しなかった筑前。
羽柴家を自ら壊滅に追いやった筑前はキチガイと化していたのか。
0371人間七七四年2007/07/17(火) 19:25:23ID:k7wNnWdE
まさに狂気の沙汰だな。
バカ秀吉
0372人間七七四年2007/07/17(火) 22:59:32ID:/J/jg1Gp
>>365
信雄は自分の提示した加増に異を唱えた訳で、その時点で全く意味が違う。
もしも秀吉が明らかに減俸をしようとしているのであれば、信雄に対しても同情する流れは出来たろうが、
加増すると言ってるのに、わがまま言ってるようでは世間も他の大名も味方はしてくれない。
むしろ黙って秀吉の恩恵を受けておけば領土的には得をするし、安全であると言う事の示しになる。
これは家康も同じ事、関東行きを蹴ってたら恐らく同じ運命辿っていただろう、
むしろ秀吉はそれを狙ってたかもしれない・・・が家康は素直に受けてしまった、これでは手の出しようがない。

だが秀次の場合、関白ではあっても固有の武力は大して持ってないわけで。
これは秀吉の意のままに出来てしまっても仕方がない、
だがそれですら最上のように後に遺恨を残してしまっているし、
関白と言う職がなんら権威の無いものと言う事を世に示してしまった。

別にこれは家康に限った話じゃない、秀吉は毛利も警戒していたし。
0373人間七七四年2007/07/20(金) 07:23:34ID:xGEbKdWu
保守ですー
0374人間七七四年2007/07/23(月) 10:53:32ID:gsgZXEtv
つうか秀次って処刑の前に関白左大臣を辞職してたんだな
てっきり現職のまま処刑されたと思ってたよ
0375人間七七四年2007/07/27(金) 21:30:22ID:CZAUI8Pv
別冊歴史読本の戦国武将御家騒動録に秀次事件について詳しく書かれている。
0376人間七七四年2007/08/20(月) 09:18:59ID:nSLmuNLw
  
0377人間七七四年2007/10/05(金) 17:33:58ID:RnPVhYj5
0378人間七七四年2007/10/05(金) 18:33:13ID:A+6ulb4P
秀次事件の時、山内さんや田中さんはなんで連座にならなかったの?
0379人間七七四年2007/10/08(月) 07:47:52ID:m+wFFfo2
秀吉は天才軍師を秀次に与えてしまい危機を覚えて秀頼安泰の為に死刑にした。

謙信亡きのちに北条打倒に燃えて立ち上がり、秀吉の元で謀を巡らし千里の外で勝利を決する稀代の策謀家。
家康と北条が最も恐れた天才軍師渡瀬繁詮は秀吉の関東政策の頭脳として仕えて
その智略で危機に陥った自分の兄弟たちを救援すべく佐野・宇都宮・佐竹・上杉を動かし北条包囲を形成し北条始まって以来の最大の危機に叩き落とし小牧長久手の戦いに北条が援軍を送れないようにした鬼才の持ち主。
0380人間七七四年2007/10/08(月) 08:54:05ID:0dJ716dQ
>>379
天才軍師が危険なら直臣に取り返せばいいじゃんw
0381人間七七四年2007/10/08(月) 09:48:57ID:LPXZLYXm
神軍師
謙信亡きのちに北条打倒に燃えて立ち上がり、秀吉の元で謀を巡らし千里の外で勝利を決する稀代の策謀家。
家康と北条が最も恐れた天才軍師渡瀬繁詮は秀吉の関東政策の頭脳として仕えて
その智略で危機に陥った自分の兄弟たちを救援すべく佐野・宇都宮・佐竹・上杉を動かし北条包囲を形成し北条始まって以来の最大の危機に叩き落とし小牧長久手の戦いに北条が援軍を送れないようにした鬼才の持ち主。
0382人間七七四年2007/10/08(月) 15:58:14ID:tUzUBRDS
>>379
>>381
コピペ
0383人間七七四年2007/10/08(月) 19:34:41ID:yGrVNp4m
そもそも渡瀬繁詮が由良氏の出というのが実は大間違いだしなぁ。
0384人間七七四年2007/10/10(水) 17:54:33ID:0+Oex0x5
>>383
kwsk
0385人間七七四年2007/10/10(水) 21:06:41ID:FseDQgM6
>384
渡瀬繁詮は播磨国衆で有馬則頼の女婿。
だから死後、所領は義弟の有馬豊氏のものとなり、繁詮の子孫は有馬家臣となった。
0386人間七七四年2007/10/15(月) 18:30:40ID:aN+BSLdj
正室側室ほとんど皆殺しにしたのは妊娠してて男児を生むのを恐れたのだろうか
0387人間七七四年2007/10/15(月) 19:58:52ID:gPSXc6lf
>>386
刑を執行する方が後ろ暗いからな。徹底的にやらないと安心出来ないさ。
0388人間七七四年2007/10/27(土) 00:37:00ID:9e2IJM3D
誰か一の台が中心になって巨額の財産隠しをしていたという説について詳しい人いない?
0389人間七七四年2007/11/13(火) 13:06:14ID:QWzoTnu0
>>385
じゃあ、由良氏出身が定説になっているのは、何故?
0390人間七七四年2007/11/13(火) 21:59:18ID:LBAp8Ozr
小牧・長久手の戦での失態が評価を落としちゃってるけど、相手が充実期の徳川家康じゃ悪すぎたな。
0391人間七七四年2007/11/13(火) 22:08:02ID:tGLzJaZL
家康に補佐されたとはいえ、東北征伐はほぼ過失なく全うしたし、領地の支配も善政といえる物だったらしいしなあ>秀次
0392人間七七四年2007/11/22(木) 19:56:58ID:dwKbvERS
権力者の一族で争ってくれた方が
身内を殺すことで脆弱になり自らの首を絞めてくれるから
後釜狙いの奴らには嬉しいことこの上ないだろうな
0393人間七七四年2007/11/24(土) 22:13:42ID:o61tCgAp
前野長康とか殺したり秀吉は頭おかしくなってたんだろうね
いつ寝首をかかれないか、逃れようの無い恐怖心ばかりがめぐってたんだろう
0394人間七七四年2007/11/25(日) 15:53:52ID:+yJgtVto
>>392
一概にそうは言えない。
司馬氏の晋の例がある。

0395人間七七四年2007/11/25(日) 16:05:13ID:FXQtCwVu
そんな殺生な
0396人間七七四年2007/11/28(水) 00:31:35ID:ofyegJeX
七王の乱ってどう考えても弱体化じゃないか?
0397人間七七四年2007/11/28(水) 00:49:22ID:4KjIE5fi
>>396
王族の力が強すぎて後釜になれる連中が存在せず、異民族の侵入を許す結果になった。
つまり本末転倒。
0398人間七七四年2008/01/02(水) 23:51:18ID:0jGhXDIa
>>315

どこにあるか、わかりますか。
0399人間七七四年2008/02/24(日) 10:30:13ID:4MTkFeCC
保守保守
0400人間七七四年2008/03/02(日) 00:55:58ID:Wvqg1Mtv
筑前は平禅門の乱のような正面切った軍事作戦を何故やらなかったのだ?
このほうが諸侯や庶民たちの支持を失わずにすむのは間違いないし
(実際に、北条貞時はを平禅門の乱を機に得宗家を全盛期に導いた)
不意をつかれた敵(=秀次一家)を確実に全滅させることもできる。
平頼綱一家は一人残らず討ち取られてその血筋は根絶やしにされた。
0401人間七七四年2008/04/02(水) 20:20:38ID:jGQp5njD
けっきょく秀次事件を仕組んだのは誰なん?
0402人間七七四年2008/04/02(水) 22:20:04ID:Biq04Euf
>>401
一義的には秀吉だろ
0403人間七七四年2008/04/02(水) 23:36:51ID:3RmTcOhx
三成、淀殿、他の奉行、山内・田中・あと一人名前忘れた、家康
あたりはどうなんだろうな
0404人間七七四年2008/04/28(月) 20:29:48ID:HdKGD7he
父親は羽柴武蔵守一路(はしばむさしのかちかづみち)が正しいの?
0405人間七七四年2008/05/04(日) 10:56:51ID:Z630LwBv
近江八幡山の前は摂津池田が領地だったの?
0406人間七七四年2008/05/04(日) 13:09:20ID:ylHADNjW
>390

白山林戦は羽柴秀次は桶狭間戦時の今川義元みたいな感じだったのだろう。
ちょっと違うか・・・
0407人間七七四年2008/05/04(日) 22:29:48ID:u0ieMDfe
>>403
三成は秀次擁護派だろ
0408人間七七四年2008/05/05(月) 00:05:39ID:IZk3/W0v
側室に明智光秀の娘がいた、というのは史実ですか?
0409人間七七四年2008/05/05(月) 00:14:35ID:V2M/UYOc
秀次の乱行は罪状挙げるための創作という話もあるが秀保のほうはマジ
で「ヒデーやす」だったみたいだねえ。
0410人間七七四年2008/05/05(月) 01:56:25ID:IYOYMGwm
>>409
秀保の方も捏造だろ。
暴君説は後世の史料と地元の到底信じられない伝承しかない。
0411人間七七四年2008/05/11(日) 11:57:04ID:5i5ThFuT
秀次公は素晴らしいお方です。近江八幡城も素晴らしく建造して、いまだに残る
八幡掘もすごいものです。そのことは、蒲生家もいっています。近江八幡には、
おおきな銅像もあります。黒田官ベイも素晴らしいと言っています。
後世で作られた虚像に憤りは隠せません。
0412人間七七四年2008/08/14(木) 00:34:09ID:0HapvOPp
一応、血筋は真田の方に残ったんだよな?
0413人間七七四年2008/08/21(木) 07:24:02ID:f6hTsHWJ
>>407

妻妾(有力者の子女が殆ど)皆殺しの現場に立ち会ってる人が、
「実は僕秀次擁護派です」って言っても信用はされん罠。

子女を殺された有力者達や、秀次と仲が良かった有力者や、秀次に金を借り睨まれた有力者は、
みんなアンチ三成派となって家康とつるんでしまった。
結果論だが余りにも豊臣家にとって痛かったわな。
0414人間七七四年2008/08/21(木) 11:51:54ID:noARoO42
というか三成が妻子処刑現場に立ち会ったかも怪しいんじゃなかったっけ
小瀬甫奄の太閤記にはそう記されているが、そのネタ本の大田牛一の
大かうさまぐんきのうちじゃ書かれてないとかどっかのスレで見たが
まあ現物をどっちも確認してないのでわからんけど
0415人間七七四年2008/08/24(日) 10:44:58ID:B9t2JU0x
反対しようが、執行したのは三成が代表する奉行衆だしな>処刑
0416人間七七四年2008/08/25(月) 21:09:44ID:Hgx5e0rv
>>414
だから何だよ
「だしな」って誰に言ってんだバカ
0417人間七七四年2008/09/04(木) 02:38:37ID:BsIOqD/O
秀次って関白になってから家康とか利家みたいな大老にもため口だったのかな?
で家康とかもははー関白殿下とか言って頭下げてたの?
0418人間七七四年2008/09/04(木) 12:23:34ID:0uavHQTo
>>417
何を当たり前のことを。
0419人間七七四年2008/09/04(木) 19:11:49ID:vyirOCKO
いくら秀次の方が偉くてもタメ口なんて利くわけないと思うが
殿上人なんだから話し方にもそれなりのルールが有る
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