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▼殺生関白▼羽柴秀次▼

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 20:07:32ID:2kl/Yh2s
彼が生きていたら、豊臣家の運命も変わっていたのでは?
0002名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 20:13:14ID:gitNovm4
クソゲー関白秀次
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156423008/
0003名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 20:13:59ID:uiIDKFGt
秀次にいったい何ができたというんだ・・・
0004名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 20:20:42ID:2kl/Yh2s
秀次切腹事件で危なかった人物

藤堂高虎
山内一豊
伊達政宗
最上義光
0005名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 20:59:43ID:2kl/Yh2s
秀次の悪行話は粛清を正当化するための後付のような気がします。
実際は聡明な人物だったかもしれませんね。
0006名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 21:23:08ID:2kl/Yh2s
秀次事件のあと落書があり「ゆくすえめでたかるべき政道にあらず」と
豊臣家が真の天下人でないことを指摘する者もいたそうな。
0007名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 00:55:52ID:oxmR6Jfu
秀次事件で疑問なのは
妻妾と子供がみんな殺された事ですね。
秀次の子供ってどんなのがいたんでしょう?
0008名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 01:48:44ID:aDA5S9kE
>>7
そりゃあ生き残られて秀頼を脅かしそうなのが出てきたら怖くてしょうがないからな。
秀吉だって徹底的に滅ぼすさ。正当性のない後ろ暗さもあるわけだし。
ちなみに殺されたのは、三条河原にて秀次の遺児(4男1女)及び正室・側室併せて39名。
0009名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 02:59:49ID:tI1XpLwH
一番危険な人物の家康には無警戒で、秀次一族に矛先を向けた秀吉って認知症だったの?
0010名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 03:15:31ID:MAjCcqRX
当時の家康は義理堅い人物で通ってたからな
秀吉自身も危険視して遠ざけるんじゃなく、積極的に中央政権に参画させてたし
家康の本性を見抜けなかった秀吉の迂闊さを責めるのは自由だが、
認知症扱いは無いだろ
0011名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 04:04:20ID:6GzQ1l88
>>9
前田利家は死にかけだし、
宇喜田は馬鹿だし、毛利はヘタレじゃん。
結局、頼れる大物は家康だけ。
0012名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 05:29:27ID:aDA5S9kE
>>9
秀次は隙を見せた(つーか隙だらけだった)が、家康は最後まで秀吉に隙を見せなかった。
もうろくした独裁者に、少しでも権力を持つものは、隙を見せたらおしまいだってことですよ。
0013名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/18(月) 01:08:53ID:2NkVrtVU
>>7
娘が一人許されて生き延びてますね。
その後なんと三成の援助を受けてたとか。
最後は大阪の陣で大阪方について
徳川方(浅野家?)に捕らえられて
殺されてます。
数奇な運命としかいいようがない。
0014名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/18(月) 14:58:30ID:ZeHW72rY
駒姫(最上義光の娘)があまりにも可愛そうですね。
0015名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/18(月) 15:22:59ID:n7x7KCf6
秀次の父親って讃岐に流されたの?

秀次が腹切らされる前に、弟の秀保が、十津川で変な死に方してるけど、秀吉に暗殺されたのかな?
0016名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/18(月) 17:10:07ID:da+Yh3RP
>>13
真田幸村の側室になった娘とは違うんか?
0017名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/18(月) 19:39:41ID:gEh33QCf
今回の大河では3話程主役なのでいくらか名誉回復したんではなかろうか。
ただ、「功名…」の主役っていったい誰なの(?.?)。
0018一豊2006/09/18(月) 19:44:18ID:3qodD+Bv
(´;ω;`)ぶわっ
0019名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/18(月) 21:59:52ID:rKHLOCsh
>>17
千代
0020名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 01:30:32ID:81HmRGMa
妻妾の中には有力者の縁者も多かったし
死にかけた大名もいるしなあ
そういうとこも豊臣政権の終わりをはやめたんじゃまいか
0021名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 15:43:48ID:VoO7CbOB
家康のように秀吉が死ぬのをひたすら待ち続ければよかったのに・・・
忍耐が足りんぞ!秀次!
おぬしが生きておったなら家康は天下を取れなんだかもしれんのにのう・・・
0022名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 17:43:50ID:y0KyqzLR
>>13
通説と違って実際には三成は秀次助命に奔走して、秀次死後は遺臣達を召抱えてるくらいだからな。
遺臣たちの多くは三成に恩を感じて、関が原で奮戦し討ち死にしてるくらいだし。
0023名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 17:49:31ID:KREanf2s
>>21
隙がなくても理由つけてころされたろうなあ。
実際、自害の理由もなんだったか全然わからんし。
妊婦の腹を割いて胎児取り出したとかいわれても、全然信用できんわな。
0024名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 17:51:11ID:KREanf2s
>>22
まぁ、秀吉を煽ってはいたんだろう。秀次を関白の地位から引きずり下ろすとか。
でも、耄碌ジジイがあそこまで暴走するとは思わなかったんだろうな。
0025名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 19:24:07ID:B/NXct9G
>>5
秀次の乱行は信長公記の「たいかうさまのぐんきのうち」にも
一応の記述があり全くのウソではない。
あと「聡明であった」とはおせじにも言えない。
福島正則が「せいぜい土いじりしか能のない男」と酷評している。
0026名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 19:52:06ID:a34D+nMQ
>>25
>福島正則が「せいぜい土いじりしか能のない男」と酷評している。

それは正に福島のことじゃんw  秀次は文学に造詣の深い相当な教養人。
奥州征伐に来た際も、足利学校の貴重な書籍を京に持って帰ってる。
0027名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 20:03:09ID:B/NXct9G
どうかねえ。
秀次のまわりに教養関係で伊達政宗とか浅野幸長とかと交流できたのが
彼の能力の証のように言われることがあるが、
邪推すると豊臣の次期後継者の秀次にチヤホヤと集まっただけとも言える。
それと最上義光に大切な娘を差し出させたのも地位ゆえだなあ。
0028名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 20:13:08ID:ErxL7wPF
信長公記とたいかうさまぐんきのうちは作者同じだけど別物だろ
それに牛一の記事も伝聞程度のものに過ぎず、どの程度信頼できるか疑問
とりあえず秀次に関して悪い噂があった、としか
0029名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 20:56:11ID:tbXon8To
>>2の クソゲー関白秀次 が意外に面白かったおれはたぶん少数派。
0030名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 20:58:34ID:JNPgFQNf
後付け話っていうのは色々有るんだろうけど
三条河原っていうの見せしめだから、その時の根拠っていうが有るんだろう
0031名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 21:10:47ID:B/NXct9G
逆に言うとちょっとした怒りから農民を殺害する程度の出来事は
多くの人物がやってたかもしれない。
常識人に見える家康ですら鷹狩りの最中に前を横切った商人に怒り
家臣に命じて斬り殺させたなんて逸話もあるしね。

秀次も関白になった権力と尊大な気持ちからちょっとムカつくふるまいをした
庶民を殺した程度の事ならあっても不思議ではないんだよ。
なんとなくそういう気持ちはわかる。俺も秀次の立場ならそうしたかもしれない。
そういう行動が「殺生関白」として伝わったのかもね。
0032名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/20(水) 00:17:09ID:JOcd28na
>>25
秀次の乱行は信長公記の「たいかうさまのぐんきのうち」にも
一応の記述があり全くのウソではない。


著者の太田は秀吉に仕えた時期があったから、信憑性に問題がある。
秀頼を後継者にと考えた秀吉にとって邪魔になったと考えた方が自然
0033名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/20(水) 01:31:13ID:6yJr6/nQ
秀次の側室が多かったのは、豊臣政権に参入した時期が遅い東国の大名達が、
家の安泰のために送り込んだと聞いたけど本当?
0034名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/20(水) 03:03:47ID:Z4J/+PHs
>>31
殺生関白はよく狩りをすることからきたらしい。
高貴な人は殺生をしてならないというのは昔からけっこうあるからな。
0035名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/20(水) 03:52:51ID:LkFDDdRk
いや、もし俺がそういう身分になったら、ムカつく奴は殺すと思う。
秀次もドン百姓から天下人になったわけだからね。
0036名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/20(水) 08:33:51ID:JOcd28na
>>34
>高貴なひと

家康は鷹狩りが趣味だったぞ
0037名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/20(水) 09:19:01ID:+YNRJk3o
九条政基みたいに本当に人殺しちゃった関白がいるからね
0038名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 02:55:28ID:RmPxGaXu
結局、針小棒大に誇張されただけだと思うけどね。
0039名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 03:21:25ID:YZifCJrr
昼間から飲めや謡えや乱交三昧
公家なんてヤル事が無いから金のある秀次にたかって
これは想像できるな
0040名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 00:48:12ID:7JYxARWw
>>33
最上義光ははじめ拒否したような・・・なのに連れてかれて・・・。
0041名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 04:17:04ID:ISUiDrcx
>>40
それは秀次粛清後のアリバイ工作でしょ。額面通りに受け止めるのはちょっとなあ。
0042名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 06:34:04ID:7JYxARWw
>>41
アリバイ?なんのこっちゃ。初め断った事とは関係ないっしょ。

また>>33に関してだが、公家の娘や京付近の大名の娘も同じく混じってるので、全く関係ない。
秀次が失脚させられた事自体は秀吉の陰謀によるものだと思うし、可哀想だと思うが、
女好きだったのはまず間違いないだろう、関白を譲る際の訓戒状の件もあるし。
0043名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 06:42:11ID:9PNYuejo
>>42
あなたが他人の文意を読めないと言うことだけがよくわかりました。
0044名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 07:27:14ID:FUMIJnIm
>>42
秀吉、秀長兄弟は子供少ないし
ヤリチン秀次でいいじゃん むしろ頼もしいよ
0045名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 12:06:37ID:RBIansRb
>>44
ヤリチン秀次の将来・・・8男7女とかになって、諸大名と姻戚関係持ちまくり


ちょっwwヤベッwwwwww
0046名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 22:41:35ID:uYFSC65r
秀頼がぶっちゃけ邪魔だったな
ヤリチン秀次は、家康みたいに諸大名と姻戚関係持ちまくれるから
むしろ豊家にとってはGJ!
0047名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 22:45:53ID:7JYxARWw
>>43
先に人のレスにレスしておきながら、元の俺の文章無視して
文意が読めないとか逆切れされても困るんだが。
0048名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 22:56:47ID:KShszwE6
秀次が仮に生きていても家康の敵ではないから結局豊臣は滅びたんじゃないかな
もし家康に勝てるほどの人物なら自分の危険を早く察知していったんは身を
引いていたと思うけど
0049名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 23:11:46ID:V26WBOVN
滅びるにしてもあそこまできれいに片が付いたか、て辺りが問題じゃないかな。
家康にだって寿命はあるわけだし、出来は悪くないにしろ秀忠に父親までの才覚が
あるとも思えないから家康が死ぬまである程度の権威、権力を保たれるとさ。
0050名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 23:20:53ID:GZHy9Ncy
秀次に、家康と対抗できる力はたぶん無いだろう。

もしも秀吉が、秀次を殺すことなく、そのまま秀次を関白に据え置いたまま亡くなったとしたら、やはり家康は野心を剥き出しにするだろうし、豊家恩顧の諸将からも家康に媚びる裏切り者がでるだろうな?
0051名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 23:26:43ID:RO17SqQc
現役関白の権威ってそう捨てたもんじゃないのでは?
0052名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 23:43:07ID:YIoJaGPh
秀次が秀吉の後継者として存続した場合、家康は秀頼を担ぎ上げて対抗するんじゃないかな
正則の秀次評みたいに豊臣恩顧でも秀次に微妙な感情を抱いていた人物も居るみたいだし、
家康が彼らや淀殿を懐柔することは有り得ると思う
0053名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 23:52:04ID:pHEzlc4e
秀吉むかつくな
0054名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 00:01:50ID:2GpN35/O
むしろ三成むかつく
0055名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 00:02:25ID:XO3i0vAC
秀次の母ともの事を考えれば、晩年の秀吉の悪辣さが、よく見えてくるような。

まさか秀吉は、秀次の生殖能力を妬んでたんじゃないだろうな?

大政所なかは、いい時に死んだんだろうな。
息子が、孫や曾孫を殺すなんて事件に、生きていて遭遇してたら堪らなかったんじゃないの?
0056名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 02:15:59ID:mqokpps9
>>52
家康はむしろ秀次に取り入って操る方が楽なんじゃないかな。
四国征伐とかで一緒に居た時間は長いわけだし。

でも秀次が消されなかった場合、秀次切腹後にかなり不審な死に方した弟の秀保も
生きてる可能性が有るんじゃないかな?
その場合、秀吉死後も大和豊臣家は存続してる事になるから、秀次は結構な戦力を
持つ事になりそう。
0057名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 06:57:28ID:EuBJyMVK
>>41
最上義光は最初は秀次の「駒姫を側室にくれ」という要求を断ったのは史実だよ。
ただ、そのあと採算の申し出を受けるうちに
秀吉の後継の秀次に娘を差し出すのは有利と考え直し嫁に出したという。

だが、その時点すでに秀次はすでに失脚していて、
駒姫は秀次に会う事も出来ずに秀次の側室として首をはねられたというわけ。
0058名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 10:29:58ID:xzXglR7f
>>55
>まさか秀吉は、秀次の生殖能力を妬んでたんじゃないだろうな?

これはかなりあるだろう。
秀次が秀頼のことを、「あれは太閤の子ではない」と
いったのが秀吉を怒らせ、あのような事件を
引き起こしたといわれている。

0059名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 10:48:05ID:5ulxLw3u
だからといって正室・側室達までも惨殺するなどもってのほかだわな。
0060名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 12:00:50ID:dcN18Wfc
>>47
>>43のアリバイ工作というのは、最上義光が最初娘を差し出すのを嫌がったという記録は
実際は秀次に取り入るために積極的に差し出したものの、秀次が失脚する段になって
秀次に取り入ろうとしたことが自分にまで類が及ぶのが嫌で、嫌々ながら
娘を差し出したってことに捏造したかもしれないってことでは?
0061名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 12:26:05ID:9HyY2wUG
>>60
>秀次に取り入るために積極的に差し出したものの、

そりゃないな。進物なら、鷹か栗毛の奥州名馬などを贈っておけばよい。
伊達などは秀吉に愛妾を所望されても、易々と献じるのを拒否している。
まして可愛い愛娘を、義光が差し出すわけはないよ。
0062602006/09/24(日) 12:50:12ID:dcN18Wfc
>>61
俺に言われても・・・・。
41=43の言ってる事を代弁しただけだし。
0063名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 13:07:10ID:vqvB3+cm
>>61
お前は本当に文章の意味を理解できない奴だな。
つーか、秀次に側室を差し出す事を進物と言う感覚で考えていること自体がおかしい。
鷹や馬を送る事とは根本が違う事がわかってないみたいだし…。

何のために政略結婚があるのか、この時代の家、家族とはどういうものか、
そこから勉強しなおすべきだと思うよ。
0064名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 14:50:12ID:XO3i0vAC
>>58
だよね。秀次は、秀吉と違って生殖能力には恵まれてた。殺された子の中にも、男子は1〜2人いたそうだし、当時の秀吉は朝鮮出兵など妄想にとりつかれていた。
きっと、「まだ若い秀次が、これからも、どんどん男子を作って、秀頼は蔑ろにされるどころか殺される」なんて妄想にとりつかれてたのではないかな?
そんな気がしてならないんだよね。
その妄想と、秀次の生殖能力への嫉妬心が、あんな基地外じみた事件を引き起こしたんじゃないかな?
0065名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 15:19:24ID:i4eMar5E
実子の秀頼が秀吉死後に蔑ろにされるのを怖れたというのはともかく、
生殖能力への嫉妬云々は勘ぐりすぎだろ
秀吉と秀次の仲が決定的に悪化したのは秀頼誕生後のことだし、
それ以前の秀次もやりまくりだったけど秀吉との関係は良好だった
一時的にも後継者であった秀次が自身と同じく精薄だったらそっちの方が困るでしょ
0066名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 15:30:51ID:EuBJyMVK
>>60
たいした根拠もなく想像だけで「捏造」とか決め付けられてもなあ・・・・

>>61
>まして可愛い愛娘を、義光が差し出すわけはないよ。

こちらの断言っぷりもわけわからん。
0067名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 15:49:18ID:dcN18Wfc
>>66
かもしれない、って言ってるのを決め付けと読み取るそのお頭を何とかしてくれ。
可能性としてはありえない話ではないだろう。
0068名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 15:55:08ID:ayk8bZTU
>>41>>43
アリバイって言葉の使い方が間違ってるのに
文意も糞もないだろ。
意味は解釈可能だがそういう問題じゃない。
何で戦国板ってこういう馬鹿ばっかなんだ?
0069名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 16:02:47ID:9HyY2wUG
>>60
そう。>>60の「捏造」説が根拠もない、妄想の類だから指摘されたまで。
論外なのは>>63。外れなコメントも笑止。奥州一揆の情勢等もっと勉強
したほうがよいだろう。
0070名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 17:21:23ID:EuBJyMVK
別に最上義光は駒姫を慰みに秀次にくれてやったわけではない。
あくまでちゃんとした婚姻外交だろうが、
それを理解できないとは頭が痛い。
0071名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 19:19:53ID:k0Q/y44s
殺生関白って、
摂政関白をもじったもの?
0072名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 20:05:44ID:VCif4UcQ
その発想はなかったわ!>摂政関白
どうだろね
0073名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 20:17:59ID:i4eMar5E
広辞苑にも(「摂政関白」をもじった語)と書いてるじゃん
0074名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 20:43:26ID:OwuMvEm5
ここまでくると釣りなのか、ホントに馬鹿なのか分からん
0075名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 21:18:33ID:y5IXFwLi
まあ釣りだと思う
0076602006/09/25(月) 00:07:44ID:50fTeg+b
>>61
>>66
>>69
だからさ〜俺は39、40のやりとりをみてアリバイ工作の意味を
こういう意味じゃないかって解釈しただけなのに、なんで叩かれなきゃならんのさ。
史料がねつ造されてる云々は別に俺の主張ではないんだが。
0077432006/09/25(月) 01:25:34ID:wL1gGaUJ
>>41>>43なのだが。
>>60が書いたのと同じように解釈したけど面倒だったので一文ですませただけ。
>>39-42の流れがかみ合ってないよねって言いたいだけだから。
どっちにしても、それぞれの主張に沿った史料があるならそれを示せばいいんでない?
0078名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 15:53:16ID:vZeiUt6J
>>60
なんか本人の俺を素通りして随分レスが進んでるが、一応
嫌々ながらってのは史実だと思うよ、資料を見る限りでも状況からの類推でも
とりあえず駒姫に対する義光の愛情は半端ではなかった。
しかしまぁどうしてもという事で送ったわけだがこの時期は資料によって曖昧で
ハッキリしない、秀次の顔も見なかったというのもあれば、2年は暮らしたと言う説もある。
ただどっちにしても秀頼が生まれた後の事になるので、
積極的に送ったとしては非常に疑問が残る。

また最上義光が政略結婚のためだけに駒姫を送った事で、
自分に累が及ぶのを嫌がるような冷血漢なら、あんなに助命を訴えすぎず、
また処刑されたあともあんなにたてついて、結果自分まで幽閉されてしまうような事にはならんよ。
そしてこの窮地を家康に助けてもらい、この時の豊臣家への恨みを胸に
関ヶ原では上杉相手に獅子奮迅の働きを見せるわけで。

基本的に謀略家で伊達側の資料により冷血なイメージを持たれやすい義光だが、
この一件に関しては大した根拠も無く判断して欲しくは無い。

>>68
同意だ、だからアリバイ?なんのこっちゃと言ったんだが、
通じなかった、まず日本語の勉強からすべきだな。

>>76-77
お前ら本人か?
まずはアリバイと言う単語から勉強しなおせ。
日本語を喋ってもらわないと会話ができん。
0079名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 20:04:18ID:ZfjPHVYW
だったら嫁に出す前に秀吉の所に如何なものかって伺いをたてれば?
0080名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 21:05:27ID:vZeiUt6J
秀吉は朝鮮出兵の総指揮中、国内政治に関することは秀次に委任してる。
んなくだらん事でわざわざ聞いてくれるほど暇じゃない。

下手すりゃ秀吉からも秀次からも不興を買うハメになって最上家取り潰し
なんて事も普通に考えられる。
0081名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 21:51:58ID:BbGjWd30
名馬だの金だの差し出せば高感度が上がるだろうな。
娘を出すというのは親戚になるわけだから秀次の時代が来たとき最上は大きくなるからねえ。
0082名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 22:59:22ID:ZfjPHVYW
>>80
どうかな?秀吉は秀頼が産まれて直ぐに帰って来ちゃってるだろ
むしろ20万石の大名が秀吉を通さない方がおかしいよ
0083名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 00:56:44ID:RjNJABFM
別に無断で側室に送ったわけじゃないぞ、何言ってんだ?
0084名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 01:51:29ID:wp1qcL5/
どんな文書が残ってるの?
0085名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 01:56:13ID:wp1qcL5/
最上の取次ぎ奉行はだれ浅野?
0086名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 07:08:20ID:DQoL/6qu
>>78
いや勿論、義光は娘を秀次に売ったわけでも、
嫌がる娘を強引に秀次に送ったわけでもないだろう。
秀次に嫁がせることが駒姫の幸せになるとも思ったんだろうね。
そしてうまくすれば駒姫が秀次の嫡男かそこまで行かなくても豊臣家の分家の祖でも産むかもしれない。
しかし、秀吉に実子(?)が産まれたのは「まさか」の出来事だったと思われ。

どちらにしろ「駒姫を秀次に嫁がせた」という事に眉をひそめるような意見は
のちの経緯を持つ現代人だからこそ持つ印象で
当時としては秀吉の後継者で関白たる秀次に娘を嫁がせるのを躊躇する理由はなかっただろう。
0087862006/09/26(火) 07:09:58ID:DQoL/6qu
あ、厳密に言えば鶴松はすでに産まれて死んでた筈。
でも、これ自体、奇跡みたいなもんだから、
続いて秀頼までが産まれるのは義光にも予想できなかったろ。
0088名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 07:19:02ID:vFR6hfSt
>>86
語尾がすべて「だろう」「かもしれない」「思われ」。単なるあなたの
浅はかな主観で、説得力がないよ。秀次は駒姫を見初め、奥州下向の数
年後側室として所望した。(相当執着していたことがわかる)
義光は内心苦悩の上、断り切れずに差し出したのが真相だろう。
0089名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 07:32:56ID:SDJpSGlA
うまいなアンタ
0090名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 07:41:18ID:8jmraX5j
そんな殺生な…
0091862006/09/26(火) 08:10:14ID:DQoL/6qu
>>88
おいおい、そんな事、言ってたら何も居えないだろうが。
そもそも、あんただって最後に「真相だろう」とか言ってるじゃん。
0092名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 08:22:37ID:Rfbfj0OG
なんか典型的なダブルスタンダードだな。
0093名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 08:48:12ID:RjNJABFM
>>86
駒姫の嫁いだ時期が残念ながら確定的な資料が少なく曖昧なので断言は出来ないが、
秀次の顔も見ないうちに殺されたと言うのもあれば、側室に入って2年近くは経ったという
説もある、まぁ大体その前後なんだろう。と言う事を踏まえた上で考えてみて欲しい。

秀次事件が1595年、秀頼が生まれたのが1593年。しかし生まれたのが1593年なんだから、
淀君が孕んだのはその約一年弱前と言う事になるだろう。
つまりどちらにしろ、「秀吉の子が出来た事が判明してから嫁いだ」事になるのよ駒姫は、予想以前に。
この状況で義光が娘をやるのに躊躇するのはいたって自然だと思うんだが。
愛娘なだけに余計に。しかし時の関白の命に逆らえなかった。

何もおかしな点は無いと思うが、また義光はもともと豊臣家からやや冷遇されていたので、
秀吉に泣きつけるような立場ではなかったと言う点も付け加えておく。
0094名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 09:05:13ID:cRp0RLMd
最上は家親を家康の近従としているように、九戸の乱征時頃から家康派の武将だしな。
0095名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 09:15:44ID:f2LQj2KT
地理的に中央から遠い東北の諸大名は、総じて秀吉への接近が遅れた。
そのため西国大名に比較して、東北の大名家は冷遇された。
だから秀次を通じて豊臣政権との接近を図り、また地理的に近い関東の
徳川家の助けを通じて政権とのコネクションを間接的に持つしかなかった。
親徳川勢力が多いのはそのせい。
0096名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 09:36:34ID:DQoL/6qu
なんつーか、最上厨がいるんじゃないの?
「義光がわずかでも政略結婚という理由で駒姫を読めに出すわけがない」
とかいう思い込みで話してる輩。

別に最初はとりあえず断ったけど、再三、頼まれて、
「まあ秀次とよしみを通じておくのもいいし、駒姫のためにもなるだろう」と考え直して嫁に出した。
で良いと思うんだが、
あくまで頑として秀次に逆らえなかったと主張するわけ?
いやあ、別に秀次くらいなら断りとおせるだろ。
0097名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 09:55:08ID:d6c4UI39
駒姫「私が豊臣を呪い殺しました。ざまあみろです。」
0098名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 10:13:25ID:RjNJABFM
>>96
政略的な意味があるかというなら、無いわけ無いだろう。
ただ秀次の要請によるものだった、コレに余計な反論を入れるからだろう。

あと関白の要請をそう簡単に断れるわけないだろう、
菊亭晴季とかかなり悲惨だぞ。

俺が言いたいのは秀次の死自体は悲劇だろうが、
側室をあんなにも集めて遊んでいたのはあくまで秀次の悪癖であって、
>>33のようなそれすら原因を求めるようなレスに対して反論したまでの事。
0099名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 10:27:24ID:7jL2RhWD
今出川は秀吉没後に右大臣で復帰してるからこの辺の動きは難しいな、近衛信尹の失脚とか
東国だと蒲生の問題がね、後に宇都宮が改易になってそこに蒲生が入る訳だけど
0100名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 10:33:17ID:RjNJABFM
>>95
最上は色々と事情があってアレだったが、
東北の大名が冷遇されたってのはどうだろうか?
割と優遇されてる大名も多いだけに中央から遠いから冷遇と言うのは根拠として微妙な気がする。
親家康が多いのは単純に近い所からってのは当たり前だし、コレも微妙。
0101名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 10:49:12ID:7jL2RhWD
木村常陸が淀城を預けられていたとすれば伏見の秀吉のお膝元に位置するわけで
秀次と関係の位置付けも難しいな
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