>>169
実際秀吉が没した直後天下を取る実力、意志を持っていたのは徳川家康くらいだが、
史実でも幼君の名代として賊軍を倒すという形を取らざるを得なかったわけで、この段階では家康ほどの実力者であっても豊臣家の御為という大義が必要だった。
つまりまだこの段階では豊臣家の権力、権威はまだまだ盤石だった。
まして秀次が跡を継いだならば自己の判断がある成人の当主なわけで史実よりも格段に家康の天下取りは難しくなる。

それと
>まだまだ武力で押し切らなければならない部分が多く存在していた上に
この武力で押し切らなければならない部分とは具体的に何?