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▼殺生関白▼羽柴秀次▼

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 20:07:32ID:2kl/Yh2s
彼が生きていたら、豊臣家の運命も変わっていたのでは?
0103名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 23:50:15ID:+ge4eho5
>>34
遅いレスですまないが、高貴な人は殺生してはならないというけど、
左大臣頼長は人に気に食わない奴を暗殺させ、
しかも自分で自慢げに日記に書きちらしている下郎だ。

まあ、そんな奴だから悪左府と呼ばれて嫌われるのだろうが。
0104名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 00:43:27ID:dFIKeoy0
秀次の狩りに関しては、行った場所が問題なんじゃなかったっけ。
まぁそれ自体がデッチ上げかもしれんので、なんとも言えないけど。

ただ関白になる際の秀吉からの訓戒状見る限り、狩りが好きだったのは事実っぽい。
0105名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 06:59:50ID:MCmYhp0A
>>97
八幡太郎義家「見事に羽柴家は断絶したな」
0106名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 07:31:52ID:iW/28dQg
あの訓戒状って何時の時代だっけ?
秀次の漁色を戒めて「自分の真似をするでないぞ」とか逝っちゃう奴
あれを見る限り秀吉との関係は極めて良好だったはずなのにどこでボタンを掛け違えたのやら・・・
0107名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 10:29:18ID:CgewP+a9
>>106
>どこでボタンを掛け違えたのやら・・・
秀吉に子供が生まれてからだな。実際物凄く良くあるお家騒動のパターンではあるけど。
0108名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 10:37:03ID:dFIKeoy0
>>106
関白を譲る時につけくわえたものだったはず、
ただ個人的にはこの訓戒状の内容から見ても、
極めて良好な関係とは言いがたいものを感じる・・・。

コレから関白になろうという人物に対してあの幼児を諭すかのような
訓戒状を出す辺り、信頼と言う点で言えばやはりどうしても疑問があったのではないか・・・、
少なくとも秀吉にとっては。
0109名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 11:00:21ID:iW/28dQg
勿論秀頼の誕生が秀吉=秀次間の不和の原因になったことは重々承知してるけど、
当初は秀頼に秀次の娘を見合わせることで、秀頼と秀次に分散した
豊臣家の権力の一本化を果たすという構想が秀吉にあったと聞く(ソースは失念したけど)
その場合秀次こそが秀頼の最も信頼できる後見人になったはずなのに、
自らその後見人を始末してしまう晩年の秀吉はやはりどうかしてたと言うしかない
まあ自分が秀頼を大事に思う心境を踏まえて、秀次も血の繋がらない秀頼ではなく
実子に跡を継がせようと思うに違いない、と勝手に思い込んだのかもしれないけど

>>108
まあ正直秀吉は秀次のことをそんなに評価してなかったとは思うw
けどあの訓戒状から駄目な息子を諭す親心みたいなものを感じてしまう
0110名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 20:27:46ID:tqgGIXsk
秀吉やたら養子が多かったからなぁ
養子陣に比べると秀次は見劣りしただろうね
養子の結城秀康みたいなのが秀次の位置に居たら
秀吉は安心して死ねただろうな
0111名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 15:58:54ID:QSCnAmE9
>>110
秀康が養子にいたら、かえってビクビクもんだろ。
それに、秀吉の養子陣じゃ、優秀なのは実質人質の秀康と秀家だけで
血縁関係は実子も含めてボロボロだよ。豊臣家の教育はかなーり問題
あったからしょうがないが。
0112名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 21:22:37ID:V2ylrNF2
豊臣秀次って本当に謀反を起こそうとしたのか?
0113名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 21:31:59ID:SANjM4ys
太閤記
0114名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 21:48:34ID:oPR2wUTn
>>111
秀家が優秀???
奢侈癖があり、その費用で家の財政は傾いた。
内政はガタガタ。
お家騒動を起こし統率力もない。
軍事もお家騒動までは宇喜多譜代、
それ以降は明石にまかせっきり。
関が原で福島と渡り合えたのも明石が指揮取ってたから。

うーんいいところなしのような・・・
豊臣に付き切った以外は秀秋や秀次と多分、大差ない。
0115名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 22:18:06ID:7ViN0+e8
>>112
十中八九捏造。まあ、最後の最後は多少そういう動きもあったかもしれないが、それは
そこまで秀吉が追い詰めたってこと。
0116名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 22:24:42ID:SANjM4ys
まあ有能として書くわけないよな。
「有能なのになんで殺したんだ」って言われちゃ困るからな。
逆に「無能だから殺した」と言えば納得させることができる。

まだ28歳だったんだよね。
0117名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 22:59:27ID:WxuCvbat
関白秀次が出した人掃令が大学入試の参考書にでてるから歴史に名を残したじゃないか
0118名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 07:26:48ID:W8NpVFUY
秀秋ってけっこう優秀じゃないか?
早く死んだからあれだけど関が原では絶好のタイミングで裏切ったり
岡山の行政改革やったりけっこう業績残してる。
きっとそこそこ切れ者だったんじゃないかと
0119名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 09:33:15ID:ZQ+E0yX0
松尾山に布陣出来た時点で秀秋の戦略勝利だろ
間違いなく名将の器
ただ東軍圧勝に導いてしまったが失敗というか若さなんだろうな
0120名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 09:36:56ID:I6TfV9qE
>>118
>>119
家老の稲葉、平岡の力だろ
0121名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 12:27:39ID:0CYNrWbY
>>119
名将の器が戦後神経衰弱に陥った挙句憤死しないだろw
0122名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 18:13:26ID:zgJhG6/+
>>120-121
天才
0123名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 22:35:35ID:fAncnM9C
そもそも秀秋ぐらいの世代の大名で、自らの才覚で大軍を率いられる武将自体少なくない?

もしも秀秋が太平の世まで長生きしてたら、豊富な合戦経験の有る、関が原生き残りの老将として
頼りにされたかもよw
0124名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 22:37:23ID:Yy/IF2I0
豊富って…
0125名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 23:06:48ID:lxaINJmf
秀秋は朝鮮出兵も経験してるからなあ
あの年齢の大名としてはむしろ実戦経験豊富な方だったんじゃないかと
0126名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 23:10:20ID:Yy/IF2I0
>>125
加藤とか福島と大して年齢変わらないじゃん。
0127名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 23:20:00ID:lxaINJmf
福島正則・加藤清正は1561/1562年生まれで小早川秀秋は1582年生まれ、
それこそ親子といってもいいくらい年齢が離れてるぞ
0128名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 23:25:09ID:Yy/IF2I0
>>127
すまん、秀次と間違えてた…orz
0129名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 23:27:07ID:lxaINJmf
秀次は1567年生まれで伊達政宗や立花宗茂、真田幸村とほぼ同じ年代だね
この辺の連中とは仲が良かったんだろうか
たしか政宗は秀次事件で厳しい立場に追い込まれてたよね
0130名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 23:28:31ID:NeojYhHv
>>128
秀次は朝鮮出兵してないし、君には書き込みは早すぎるんじゃない?半年ROMってなよ
0131名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 01:15:35ID:Sv0EjKV9
謀反だったら連座を三条河原で見せしめにすればいいのに
妻子の根絶やしを見せしめにしたんだから凄いよ秀吉
0132名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 08:34:02ID:Ha3QPFaQ
秀秋ねえ。
奴は秀吉に多数の優秀な家臣をつけられてるからね。
奴のあげた功績がどれだけ奴自身の才覚によるものか疑問。

あと、岡山への移封は言われているほど難しくはなかったろ。
むしろベストミックスだったかもね。
宇喜多秀家は自分を微塵も疑わず豊臣家の一員だと思いこんでて、
ずっと「羽柴秀家」もしくは「豊臣秀家」と文書に署名してたような男。
しかもお家騒動のあとは領内は豊臣ゆかりの家臣が牛耳ってたし
同じく豊臣ゆかりの家臣が付けられてた小早川秀秋一行には
むしろやりやすかったかもね。
0133名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 10:08:32ID:Dn+/lgMa
>>121
まあ秀秋の死については色々いわれてるからなあ。
秀秋の死ぬ三日前に弟死んでるし。
0134名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 11:00:28ID:WYpMQsZP
>>132
>ずっと「羽柴秀家」もしくは「豊臣秀家」と文書に署名してたような男。

当時の羽柴姓を与えられてた大名はみな正式な文書には羽柴姓で署名している。
秀家の自負がどうこうというのは全く関係ない。
0135名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 11:48:56ID:x9LlVA7+
文化人秀次が政務を執り
名将秀秋に軍事を任せていたら
豊家は安泰であった
0136名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 19:25:17ID:8DO1gZmr
>>134
家康だって羽柴武蔵大納言で署名しているもんな。
逆に正式にもらえていない加藤清正が署名したら
蟄居させられるくらいだし。
0137名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 19:32:59ID:Sv9Lg50G
でも豊臣が滅亡したら、みんなその姓捨ててるw
0138名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 19:39:38ID:K5tiALvI
>>137
豊臣は滅亡してないよ。
木下家が豊臣を本姓とし続けた。
0139名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 19:50:00ID:Sv9Lg50G
>>138
壇ノ浦で平家滅亡してないって言ってるようなもんだぞ・・・
0140名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 21:05:33ID:G7Sjzwdf
>>137
その代わり毛利も島津も「松平」に。
0141名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 21:22:47ID:Sv0EjKV9
正室が秀吉の妹、継嗣の嫁が秀頼生母の妹
豊臣の縁故ならやっぱ家康が最強かな
0142名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 22:15:03ID:8G32fAoV
>>135
どう見ても、そこまでの器じゃない。
暗愚ではなかったと言うに過ぎないでしょ、残念ながら。

その二人が居た所で、江戸に居る狸の化物にナニができたのか?と甚だ疑問。
0143名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 22:35:43ID:5quPy/tv
秀次が生きてると家康が豊臣攻められんだろう。
0144名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 22:41:39ID:G7Sjzwdf
>>143
秀次が家康をどうにかできるような器とでも?
まあ、秀次は家康と非常に仲が良かったから、平和裏に政権交代が行われたかもしれないけどな。
0145名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 22:48:43ID:PYi7uYXs
秀頼が存在せず秀吉から秀次にスムーズに政権移行が行われた場合家康の出る幕は無いだろう
秀次が政権を執った時には五大老みたいなシステムも無いだろうから
0146名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 01:11:35ID:zxTRBoE3
秀次が生きてる限り北の政所は豊臣方に着くから家康は何もしてこないだろ
0147名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 01:14:58ID:kuU6i02k
>>144
個人としての器量は大したことなくても成人の天下人後継者というだけで、家康といえどもうかつに手は出せない。
史実でも幼君秀頼の代理として西軍を破って実質的に天下を手に入れたわけだし。
もちろん秀次が諸大名の離反を招くような大きな失策をすればまた話は別だが、
生前の実績を見る限り、家臣の補佐があればそれなりの治績を残せる程度の器量はある。
0148名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 03:14:27ID:6Ok3V5UE
どうだろうか?秀頼だろうと秀次だろうと秀吉じゃなければ同じだよ、家康から見りゃ。
軍事的に見ても秀次にとって家康は、初めて大将として采配を奮った合戦で圧倒的な実力差を見せ付けられ、
その後も秀次が大将として戦うような戦いの横にはしっかり補佐として家康がついて行ってる
いわばそこで信頼してると言うだけでなく、まず真っ先に敵にまわしたくない存在と思うだろう。
ここに落とし穴がある。

まず穴をほじくるとしたら秀次の家臣からだろうね、
当然前野やら木村やらも史実と違って生き残るわけで、彼らが実質政治の中枢に入ってくるのは
まず間違いないだろう。田中や中村、堀尾らも近い関係上優遇されるに違いない。
しかし彼らの武力は大した物ではない。

逆に面白くないのが、朝鮮出兵で奮戦した連中、
秀次は当たり前だが彼らの奮戦は見ても居ないし、居残り組みとばかり仲良くなってるので、
自然と疎遠になる可能性は高い、秀吉が死んだ事で骨折り損になる可能性がかなりある。

また宇喜多秀家・小早川秀秋ら秀吉の養子連中が血筋とは言え同じく養子の秀次の言う事を
素直に聞くというのも違和感を感じる。
実子の秀頼ならともかく、秀次に対してそんな簡単に動いてくれるだろうか?
秀秋なんか結局秀頼も裏切ったようなもんだし、秀次なんか余計だろう。

三成らいわゆる文治派に関しても秀次に対する忠誠心と言う意味では疑問もある。
無論、豊臣家に対する忠義として動いてくれる期待もあるが、例えば上記の宇喜多秀家が
秀次と不和になったりした場合、どちらも豊臣家なら三成は秀家につくのは間違いない。

つまり関ヶ原における西軍が秀次の味方になってくれる保証など何一つ無いわけだ。
むしろ、秀次の経歴を見る限り、西軍諸将よりはるかに家康や政宗の方が関係が深いわけで、
むしろ彼らの武力に頼らなければ、収まりのつかない状況になる可能性がかなり高い、
ここで家康に依存してしまうようならアウトだろう。
「それなりの治績」レベルじゃ家康の前では、屁でもない。
それ以上が無ければこの状況を打破できる可能性はゼロに等しい。

ただ>>144の言うとおり仲が良いだけに平和に交代する可能性は大いにある。
0149名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 05:36:33ID:UZySorDB
秀次の予定は明の関白なんだけど
とりあえず名護屋入りの予定が入ってたんだよね
0150名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 07:14:32ID:1uZ3h5RT
家康が関が原前後に見せた謀略の凄さも5大老筆頭として政務代行者という立場が
あってのものによるところが大きいと思うのだが。
ゲームや仮想戦記みたいに能力があればなんとでもなるというもんでもないでしょ。
0151名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 07:50:08ID:9dcZXvSO
五大老筆頭・秀頼後見人として中央政権に参画してない家康なんて
領土がでかいだけで天下に大した影響を持てないだろ
江戸時代の前田氏みたいなもの
0152名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 11:27:30ID:2XOI119u
>秀次は当たり前だが彼らの奮戦は見ても居ないし、居残り組みとばかり仲良くなってるので、
>自然と疎遠になる可能性は高い、秀吉が死んだ事で骨折り損になる可能性がかなりある。

確かに出兵そのものが失敗し、土地を得られなかったわけで十分な恩賞を与えることが出来ず不満が残る可能性はある。
ここに家康が付け入る点ができる点では同意。

>また宇喜多秀家・小早川秀秋ら秀吉の養子連中が血筋とは言え同じく養子の秀次の言う事を
>素直に聞くというのも違和感を感じる。
>実子の秀頼ならともかく、秀次に対してそんな簡単に動いてくれるだろうか?
〉秀秋なんか結局秀頼も裏切ったようなもんだし、秀次なんか余計だろう。

彼らから見れば義兄であり秀吉とも血縁なんだから、秀頼がいない場合ならば当然秀次に仕えるだろ。
秀秋は秀頼誕生で他家に追い出されたことも裏切りの一端にあるわけだから、秀次が跡を継いだならこの裏切る動機も弱くなる。

>三成らいわゆる文治派に関しても秀次に対する忠誠心という意味では疑問もある。
>無論、豊臣家に対する忠義として動いてくれる期待もあるが、例えば上記の宇喜多秀家が
>秀次と不和になったりした場合、どちらも豊臣家なら三成は秀家につくのは間違いない。

通説と違って三成は秀次助命に奔走するなど決して不仲ではない。
それに秀次と秀家が不仲になった場合三成は秀家につくと言うが、
秀吉の甥である秀次〉赤の他人である秀家 なのに秀家につくという理屈がわからん。
だいたい秀次が跡を継いだのに秀家が秀次と対立すれば豊臣家に対する反抗であり、武力に訴えることになればただの謀反だ。
0153名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 11:28:41ID:5DdTbPGW
>>148
同意
豊臣家の派閥抗争を秀次独断で、纏め上げるのは無理だと思う
0154名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 12:17:29ID:9dcZXvSO
勝手な妄想を捏ね上げただけじゃん
秀吉を家康、秀次を秀忠、秀家・秀秋を忠輝・忠直、三成を正純、家康を政宗あたりにでも変えてやれば
そのまま江戸幕府初期の政情不安を指摘する文章になる
0155名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 16:45:37ID:6Ok3V5UE
>>152
秀家も秀秋も朝鮮出兵に行ってるのよ、
そういう意味でも上の文章と繋がってる面もあるの。

秀秋が小早川に送られたのは秀次在命中だよ、
どちらにせよもう後を継がすつもりなど無いからこそ送ったのであって、
残念ながら秀頼がいなかろうと同じだろう。某漫画じゃあるまいし。
また秀秋が小早川の領土を有していないなら、むしろ存在意義が無いので、無視しても結構。

三成と秀次は不仲では無いという説があるという程度で、
どっちとも言えないというレベル、仲が良いなどと言う話は聞いたことが無い。
だが秀家は三成と元々つながりがあるので、単純な話。
三成が武断派に襲われたときも助けられてるし。

ただの謀反・・・なんていったって誰が抑えてくれるのよそれを。
別に武力で反抗するとは限らない。言う事を聞かないだけかもしれない、
でもだとしたら秀次側から攻め入って黙らせないといけないかもしれない。
と言っても、宇喜多・小早川の両名を敵にまわすと、
毛利を敵にまわしたも同じなので、生はかな兵力では勝てない。
さてそうなった場合秀次の経歴から言って、誰の力を借りるのが一番確実だろうか?

>>154
政宗が関東で240万石の大名だったら、それでも充分意味が通じるよ。
仙台で60万石じゃどうにもならんがね。数字も考えないなんて妄想にしても酷い。
0156名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 17:05:01ID:PVsX+Cyx
>三成と秀次
若江八人衆中七人が秀次死後三成に仕え、うち五人が関ヶ原で戦死、という
状況を考えると、以前からそれなりに懇意だったんじゃないかとは思えるね。
0157名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 17:13:50ID:6Ok3V5UE
>>156
それも含めて色んな説があるよ、その辺はもう少し調べてみると面白い。
三成が秀次の家臣を引き取る形になったのは、そもそも
秀次の遺領を譲り受ける形になった事が原因として大きい。

ただ以前からのつながりを示すようなものは存在しない。
まぁ三成は家康があまり好きでないし、家康も含めて秀次周りの人間は、
三成からすれば苦手な人間が多いのが事実。
秀次自身尾張出身だし、前野長康もそう、いわゆる尾張閥。

少なくとも以前から懇意だったと言う説は聞いた事が無い。
0158名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 17:16:27ID:2XOI119u
>>155
仲がいいからといって秀家と三成が組んで反抗する?んなバカな。
どんなかたちにせよ謀反は謀反、秀家が秀次に反旗を翻すにしても何の大義名分がある。
正当な豊臣家後継者秀次と養子の一人に過ぎない秀家、人望のない三成では諸大名がどちらにつくかは自明の理。
それに秀秋が荷担するにしても(秀秋が秀次へ謀反を起こす積極的理由があるとは思えないが)、毛利が支援するかな?
小早川は秀秋入嗣でそれまでの重臣の多くは隆景とともに三原に移っているわけだし、
史実の関ヶ原をみても毛利吉川とは別行動をしていてすでに毛利系の大名とは言いがたい。
0159名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 17:24:18ID:6Ok3V5UE
>>158
謀反とまで行かなくても、朝鮮出兵組みで組んで、
不平分子になる可能性は大いにあるといってるの。

そんな状況で天下が収まってるとどのクチで言えるのよ。
0160名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 22:28:40ID:2XOI119u
不平を持つ不満分子はいつの時代でもいて当たり前だろ。
問題はその不満分子がどのような動きをするかだが、豊臣宗家に力がある以上
それら不満分子にどれだけのことができるかと言えばたかが知れているだろう。
また同じことをいうが実績をみる限り、秀次は家臣の補佐を受けながら天下を治める程度の器量はあるように思える。
実際個人的にはさほどの器量のなかった秀忠が江戸幕府を安定させた
事例があるわけだし、秀次とて二代目としてうまく天下を治められた可能性は十分ある。
0161名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 22:35:06ID:y2EKLiPS
>個人的にはさほどの器量のなかった秀忠
なんだ釣りか
0162名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 22:39:52ID:2XOI119u
>>161
秀忠は政治家としてならまだしも、武将としては無能だろ。
肝心の政治家としての部分だって有能な家臣によるところが大きい。
アホかお前は?
0163名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 22:44:09ID:y2EKLiPS
初代がでかい存在になりあがった2代目としてはかなり有能の部類だよ
2代目が秀忠でなかったら徳川300年の基礎はできなかった
秀次なんぞと比べて大差ないってのは釣り以外のなにものでもないぞw
0164名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 22:52:23ID:2XOI119u
そうか?別に本人の才覚が大したことなくても体制を固められた例は足利義詮の前例もある。
組織のトップは本人が必ずしも有能である必要はなく、家臣が力を発揮出来るようにすればいいんじゃないか?
日本史では少ないが中国史を見ると結構ある組織のスタイルだと思うが。
0165名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 22:53:01ID:PVsX+Cyx
>例えば上記の宇喜多秀家が秀次と不和になったりした場合、
>どちらも豊臣家なら三成は秀家につくのは間違いない。

だとすると、この二人はどう「もう少し調べてみる」と「間違いない」
ほど親密だったのが分かる?
0166名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 22:53:57ID:uRluNmnm
だいたい秀次もそうだが、秀忠みたいな体制固めの役割を担う人間は武将としての能力なんて、もう求められていないんだよ。
ケンカが多少強いところで、もはや何の意味もない世の中にしようとしているわけなのだから。必要なのは法と、それを執行する組織作りと行政力。
それに関して秀忠は抜群の能力を発揮している。
0167名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 22:54:14ID:PVsX+Cyx
あ、ごめん途中で単に
>可能性は大いにある
に変わってるのね。
0168名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 22:56:58ID:uRluNmnm
>>164
家臣が能力を発揮出来るようにすることの、出来るトップってのは物凄く優秀だぞ?
いっぺん社会に出てみ?そういう能力を引き出してくれるトップって言うのがいかに希少か
わかるとおもうよ?
0169名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 23:00:45ID:6Ok3V5UE
>>160
秀忠の時代に、徳川の勢力を脅かす勢力がどこに存在したんだ?一体。
外様最大の勢力を誇った加賀前田でさえ100万には実際は届いてないぞ。

完全に治めきって、地方の力も奪い去った後の二代目と、
まだまだ収まりきって無い部分のあった二代目で同じと考えられるのは単純にも程がある。

秀次が秀忠と同じで済むようにするには、秀吉死後の20年間に
家康が行った事を全て行う必要がある、秀次に人並み以上の統治能力ぐらいはあったろうと言うのはわかる
だが、正直言って関ヶ原前後の天下の情勢を舐めてないか?
まだまだ武力で押し切らなければならない部分が多く存在していた上に、
豊臣宗家は実力者の相次ぐ死と朝鮮出兵で恐ろしく消費してる。過信できる力など何一つ無いぞ。

それをひっくり返せるのは「家臣の補佐を受けながらなら〜」とか寝ぼけた枕詞のつく奴に、
出来るわけが無いだろう。
0170名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 23:01:42ID:y2EKLiPS
>>164
不安定な政権で絶頂時ですら実効支配は畿内周辺にしか及ばず
その支配権もいくつかの名家の集合体としてしか機能してなかった政権と
徳川の体制を比べることが間違えてると思うが・・・
(秀吉が目指したのも足利ではなく徳川の選んだ道)
0171名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 23:23:41ID:J2Fswmit
というか朝鮮出兵組みに、そんな天下を脅かすほどの横の繋がりある?
0172名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/01(日) 23:28:10ID:2XOI119u
>>169
実際秀吉が没した直後天下を取る実力、意志を持っていたのは徳川家康くらいだが、
史実でも幼君の名代として賊軍を倒すという形を取らざるを得なかったわけで、この段階では家康ほどの実力者であっても豊臣家の御為という大義が必要だった。
つまりまだこの段階では豊臣家の権力、権威はまだまだ盤石だった。
まして秀次が跡を継いだならば自己の判断がある成人の当主なわけで史実よりも格段に家康の天下取りは難しくなる。

それと
>まだまだ武力で押し切らなければならない部分が多く存在していた上に
この武力で押し切らなければならない部分とは具体的に何?
0173名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 00:08:07ID:MUk2FiPw
秀頼が生まれた時点で三好に戻ればよかったんだよ
0174名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 00:25:46ID:dfQeZkZJ
>>172
当然、戦国の真っ只中と言うわけでも無いんだから
いくらなんでも力づくというわけには行かない。
それは豊臣の権威などと言う秀吉亡き後にはどうとでもなってしまう代物ではなく、
ようは時勢の流れに他ならない。天下の情勢を読み取った家康がそれを利用したと言うだけ。
本当に豊臣の権威が存在するなら、秀吉が死んだ後の家康の行動に
利家らが弾劾した時点で、家康は粛清されなければおかしいでしょ。
でも粛清どころか、ますます増長、聞く耳持たず。

あと前提が間違ってる、秀次にとって家康は三成やらなんぞより遥かに信頼のできる味方だよ、
家康がそれを利用しないわけ無いでしょ。
自己の判断のある秀次だからこそ、周囲の余計なクチバシが入らない分、
神輿にするには秀頼より遥かに楽。

武力で押し切らなければいけないと言うのは、戦争しなければいけないと言う意味じゃなくて、
武力を盾に、外様の力を削いで、中央への影響力を削ぐと言う意味。
秀次にできるだろうか?
0175名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 00:28:57ID:2LkrxWM4
マカマカー!
0176名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 00:29:44ID:2LkrxWM4
マカマカ?
0177名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 00:41:23ID:ilzytbqj
>>174
秀次にとって家康が信頼できる味方だというのが分からん。小田原〜奥州のこと?
だとすると根拠に乏しいし、秀次は秀吉が家康を警戒していたのを
よく知っていたわけだからそうそう簡単に頼るかな?
0178名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 01:32:20ID:OnO5WUrH
そもそも秀次と家康の仲が特別に良かったなんて聞いたことがない
秀次事件の時も家康は秀次と距離を取ってたおかげで難を逃れてるわけだし
朝鮮出兵で活躍した連中や秀家と仲が悪かったという根拠もない
それなのに「不平分子になる可能性は大いにある」と言われてもねw
0179名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 04:08:13ID:dfQeZkZJ
特別仲が良かったとは言うんじゃなくて、ただ情勢的に近いのは尾張系の人間、
前田利家、実際交流のあった政宗、それと同盟組んでる家康らになるでしょ、
突然三成ら五奉行が配下になるというのも妙な話。
そもそも固有の力を持つ外様の有力大名である大老家はともかく、
五奉行は、秀次の体制になったときに同じ力を発揮できるだろうか?
それこそ木村や前野らと政争を始めてしまう危険性はあると思う。
もっとも利家はすぐ死んでしまうからあてにできんけど。

ちなみに、前提を確認したいんだが、当然秀吉が1598年までは生きてるわけだし、
秀次が政権を動かすのってそれ以降ということだよね。

朝鮮出兵連中が秀吉死後に不平分子になるのは根拠も何も、
史実どおりでしょ、秀次がいたから不平が無いなんてそれこそ根拠が無ければ、
ありえないよ。秀秋が秀吉に領土削られるのも1597年、これも史実。

三成が味方かどうかは知らんし、存在意義も変わると思うが
(説によって変わるが増田と一緒に秀次を讒言したと言うのも説としてあるので本当に謎)
秀吉の死後に彼らの紛争を抑えなければいけないのはどっちにしろ史実の流れでしょ。

あと秀吉は外様は誰だって警戒してたし、家康だけ特別警戒してたと言うほどじゃない、
むしろ信頼してた点もかなりある、もし本当に警戒してたんなら、
朝鮮に無理矢理にでも連れてって、真っ先に消耗させるでしょ。
でも、何故か国内の政治に専念したいというのが許されてる。
0180名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 04:19:55ID:OnO5WUrH
秀次が政権を執った場合当然秀吉政権の多くの官僚たちは閑職に追いやられるだろう
君の指摘どおり外様の有力大名である五大老と違って、
五奉行は秀吉の権威がその権力基盤、秀吉が死んだ後の連中に政争を始められるだけの体力はないよ
大した揉め事も起こらず政権から消え去るだけ
秀吉死後の所謂武断派と文治派の対立は武断派の連中の三成への個人的反発が原因、
対立してた文治派が政権から消えれば武断派には特に揉め事を起こす理由もない
多少不満を持ってたとしても秀秋みたいな小僧ははなから問題外
0181名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 04:48:19ID:dfQeZkZJ
そうかもね、とは言え朝鮮出兵関連の撤兵指示はさすがにすぐ必要なので
そのまま三成が任されるだろうから、そこでの軋轢はヤッパリ起こってしまうだろう。

そうなれば三成襲撃事件は史実どおり起こると思われるが、
確かに史実と違って近江の地盤が無い秀次政権では帰る場所はなくなってる可能性が高く、
そのまま豊臣政権から五奉行ごと消え去ってしまうかもしれない。
とは言え史実どおりなら秀家や家康の助けで一応は助かるだろうし、
上杉や佐竹などの有力大名との関係もなくなるわけでは無いだろうから、
そんな綺麗に消え去るかどうかはわからない。
実際、関ヶ原でもベクトルは違えど同じく消え去りかけてた所から関ヶ原を起こしてるんだから、
予測はつかない。

ただそうなった場合、正則・清正と前野長康らを中心とした尾張の勢力が牛耳る豊臣政権ということだろうか?
それはそれで興味あるが。
0182名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 05:15:29ID:OnO5WUrH
朝鮮出兵の撤退は秀吉の遺言通り五大老筆頭である家康が取り仕切ったはずだけど記憶違いだったか?
もし秀次が存命なら当然秀次の仕事になってるはず
関ヶ原で失脚した三成が蜂起したのは豊臣家を蔑ろにする家康に反発したからでしょ
秀次政権で同じように失脚(すると思う、人望無かったし)した三成が果たして
秀次に対し同じようにクーデターを起こすだろうか
そもそも前提が秀次生存のifである以上真面目に考察するのもどうかと思うが、
自分はその場合三成には反乱を起こす理由も大義名分も無いと思う
0183名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 06:16:16ID:dfQeZkZJ
関ヶ原も基本的に大した大義名分など無いしね、お互いに。
そんなもんあったら、はじめから秀頼を連れてこれたし。

三成が豊臣家が安泰なら自分は消え去ってもいい
なんて聖人君子のような考えならそれもありだが、基本的には
自分の立場を守るために豊臣家が必要だったのであり、
それを排除しようとする徳川に対抗したってのが始まりであって、
秀次が秀吉以来の自分の立場を排除しようとしたなら、家康と何の違いがあるのか?

あっさり政治の舞台から引き摺り下ろされてハイそれまでよってのは
甘すぎる気がしてならない。そんな人物ならそもそも関ヶ原など起こせない。
また一緒に排除される五奉行連中もそんなに単純な連中なら、
豊臣政権の基盤を支える事などできないよ。

秀次生存のIFならコレは重要な事だよ、これを治めなければ成らないのだとすれば
やはり秀次には荷が重いとしか思えない。
別に秀次に能力が無いといってるわけじゃない、
秀次や事件で連座させられた連中主体の政権では相手が悪すぎる。

家康の手を借りるなら話は別だが。
0184名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 08:13:29ID:2nCmKKNh
>>170
そりゃ違うぞ。確かに豊臣政権は徳川政権よりは下だが、
少なくとも、それまで存在したあらゆる中央政権よりも豊臣は強大だった。
なんせ日本中に命令して関東や奥羽を仕置きしたり大陸を攻めたりする程だったしね
秀吉存命中は家康も含めて誰も秀吉に逆らえなかった。
こんな強大な政権は実は今までの日本になかった。

それと畿内以外にもあちこちに徳川政権でいう天領(お蔵入り地)を持ちその合計は
220万石程度はあったという。
他に日本各地の金山、銀山を押さえ、博多などの港の運上益も独占。
経済能力はすざまじいものだ。

あと江戸幕府でいう親藩・譜代も豊臣政権には存在してた。
親藩は豊臣秀次、小早川秀秋、豊臣秀長、木下など、加藤や福島も実は秀吉の親戚筋だ。
譜代に相当するのは山崎の合戦以前の配下が相当するんだろう。
黒田、竹中、蜂須賀、山内、七本槍、石田など。
ただ、家柄の卑しい豊臣家の結束は秀吉が死んだあとは激しく脆かったけどね。

なんにせよ一つ言えるのは
実は徳川政権というのは豊臣政権に酷似してる部分があり、
実は家康が秀吉のやり方を模倣しさらに改良強化したものだ。
秀吉というお手本・土台がなければ
家康がいきなりあんな強力政権を作れたわけではない。
0185名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 08:18:02ID:2nCmKKNh
>>170
>(秀吉が目指したのも足利ではなく徳川の選んだ道)

繰り返しになるが
それは秀吉が家康より劣っていたからでは少なくともない。
むしろ家柄を除いてはやはり優れていただろう。
単に秀吉が強い力で切り開いた道を家康が進んだから、
家康が強力政権を作れただけ。
0186名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 16:42:20ID:LfsU2cpN
クソスレ候補だったわりには、えらくまともな議論になってんな。

秀吉死後に家康が豊臣家を二つ以上に割ることが出来るかどうかだな。
つまり、秀次政権にどういう派閥が出来るかだが。
まず、五奉行を中心とする秀吉側近衆だな。だが、これは幼君を抱くのと
違って一気に衰弱するだろう。中核となる大名もおらんし。
次に、秀次側近衆だな。ただ、この連中は秀吉が死ぬ前は権力的にはさほ
どではないし、大きな武力を持っているということもない。秀吉の旗本衆
を動かせるようになるくらいか。権力は飛躍的にあがるが、その基盤はま
だまだ根付いていない。
次に、秀次恩顧大名とでもいう勢力で、細川・伊達など次代を見て秀次に
近寄った連中ということになる。秀次が長く後継者として位置していれば、
この層はかなり増えているはず。ただ、この連中は家康派とはかなり重な
る部分も多いだろう。
次に、豊臣家忠誠大名っていうか、家としての豊臣家に従う連中だが、こ
の層は宇喜多秀家の他は有力大名はほとんどいない。子飼い加藤・副島な
んかも関が原で家康についたのを見てもわかるが、秀次につくとは限らな
い。むしろ、秀次に対しては反発している傾向がある。特に副島はそう。
それから、豊臣一族。この層に対しては、秀次は実子の秀頼よりも求心力
が落ちる。それだけに、反発が大きくかえって敵になりやすいかもしれん。
ただ、北の政所と秀次の関係にもよるが。
後は、毛利みたいに基本的に日和見な連中だが、こいつらの場合は、やっ
ぱ養子の秀次の場合は求心力が落ちる。

なんていうか、秀頼の場合と違って、敵味方がはっきりしていない感じで
はあるな。これで各大名の取り合いになった場合、どうなるかってことだ
が。
0187名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 20:02:25ID:zYhOVBKj
短くまとめられるかがカギ。
0188名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 20:26:30ID:99lnm2K7
秀次が死なない=秀保も死なないって仮定したら、豊臣一族単体でも十分戦える。
0189名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 21:05:16ID:dfQeZkZJ
それどんどん仮定が都合良く解釈されすぎて無いか?

だったら初めっから秀長が死なない仮定をだした方がわかりやすい。
0190名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 21:05:33ID:H3G11J57
秀次政権顕在の場合
関が原のような戦争が起きるかだが
確実に起きると思う。
動機として

1)朝鮮出兵での恩賞無き戦い
外部に報奨を得られない以上、国内の乱によって勢力拡大を望むのは
いわば当然であり、戦乱を望む雰囲気は十分あっただろう。
であれば関が原のような戦も起きたのだし。

2)秀次自身が戦争を欲していた。
秀次政権の場合二代目であり、秀吉に比べ統制は弱まるというか威光は
低下するのは避けられない。
まして秀吉は問題を山積して亡くなったのであり
秀次は自身の政権が天下に号令する前例として謀反する敵を
討伐すべく天下の軍を動員する名文を必要としただろう。
ちょうど家康が上杉征伐を強行したように。
 そして1)とも微妙にリンクするが、どこかに空きを用意して
国内の再編成をしなければ国内にある憤懣を処理しきれない。

>>186
ここから秀次が誰を槍玉に挙げるか推測すればよい。
0191名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 21:23:54ID:H3G11J57
おそらくランクとしては史実での五大老クラスだろう。
前田と宇喜多は係累と関係からして秀次と行動をともにする与党となり
細川や尾張系の連中は分裂する可能性はあるな。
秀次は国内の結束の為外に敵を用意する構図を使い、どこかを槍玉にする
と思う。
でおそらく毛利、徳川、上杉あたりが狙われる相手になると思う。

上杉の場合、史実での徳川に対したように秀次に敵対したか?
ありえる。秀次には最上、伊達そして前田が接近しており
これは上杉とは色合いが異なる。

毛利の場合、微妙だが上方に近すぎて政権基盤の近所で戦争を起こすことを
秀次周辺は望まないと思う。

徳川家の場合。かなりの相手だが狙うだけの見返りは大きい。
徳川を倒したら秀次の権威は高まる。東国での大規模再編が可能となり
>>190での1)の不満をある程度解消できるだけの余裕も出来る。

秀次政権では狙われる可能性の高い徳川と上杉と
豊臣家で傍流に追いやられる連中が接近して野党になる構図を考えればよい。
 三成たち史実での奉行衆は、秀次政権での本多正純のように前時代の辣腕官僚として
粛清される危険が大きく、政権から外されていく可能性は高い。
 上杉や佐竹そして小西と三成の関係は史実と変わらないだろうし、これに徳川が
加わるパターンで考えればいいと思う。
この連中が徳川嫌いとか言うのはあくまで後世のこじ付けの感が強く
実際のところ、彼らと徳川が組んだ可能性も勢力図によってありえると思う。
名文として正統な後継者として秀頼を使う方法があるしな。

 どういうきっかけかは分からないけど
この二つのラインが戦争で決着をつける事になると思う。
0192名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 21:32:51ID:oyfUo8ls
秀次生存でしかも関白職にも就いているというIFだと2頭制が秀吉の死まで
続いているということであり、その場合秀吉は秀頼の後継体制の担保のために
統治システムの改編をおこなってるのではないだろうか。
0193名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 21:39:49ID:dfQeZkZJ
ちょっと待って一応この仮定は、秀頼がいないという事が前提らしいよ。

実際もし存在したら、三成ら旧体制派が黙っちゃいない事はまず間違いないし、
大混乱してしまうだろう、まぁ妥当な仮定だとは思う。
0194名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 23:11:37ID:1+idxDCM
>>193
秀頼がいるは、前提とはできないな。
というか、それを前提とすると、秀頼派と秀次派の激突以外の選択しか
なくなってしまうし。
0195名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 23:32:47ID:dfQeZkZJ
>>194
だろうね、
っていうか俺がそれを言ってるので、
俺に言うべき事では無いかと。
0196名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 05:22:20ID:AHVU6C0M
秀次・秀保が生きていても、やはり秀吉が死ねば、家康に媚びる勢力がでてくるかもしれないし、小早川秀秋でも担いで分裂させ弱体化を企む者も出てくるのでは?

秀保の家老は、藤堂高虎。
藤堂高虎なんて秀保を暗殺してしまうかも知れない。秀吉死後、藤堂高虎が秀保に忠誠を尽くすか、どうか疑問
0197名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 06:30:28ID:xZ6vyILl
>>196
つくすだろ。
藤堂高虎は主君をころころ変えたがそれは主家が滅亡したから
積極的に主を裏切ったことは一度もない。
0198名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 07:34:32ID:XCk3zgAJ
政局がどう転んでも秀秋様の決断次第で決まる
0199名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 08:55:50ID:m1ySUhbv
そこで東国大名を動員した第三次朝鮮出兵ですよ。
0200名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 12:58:41ID:Vy4VM/bt
今戦国時代からかえってきた。秀次を殺したのは秀吉の陰謀でした。理由は自分が信長に自分がやったこと(三法氏擁立)
を家康にさせないため
0201名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 13:36:03ID:yMUGyGdg
>>200
お前スゲェな
0202名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 14:12:21ID:ty3XsOAy
>>196
高虎をまるで呂布か松永久秀のようにみなすのっていまだにあるんだな。
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