▼殺生関白▼羽柴秀次▼
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 20:07:32ID:2kl/Yh2s0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 20:13:14ID:gitNovm4http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156423008/
0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 20:13:59ID:uiIDKFGt0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 20:20:42ID:2kl/Yh2s藤堂高虎
山内一豊
伊達政宗
最上義光
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 20:59:43ID:2kl/Yh2s実際は聡明な人物だったかもしれませんね。
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 21:23:08ID:2kl/Yh2s豊臣家が真の天下人でないことを指摘する者もいたそうな。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 00:55:52ID:oxmR6Jfu妻妾と子供がみんな殺された事ですね。
秀次の子供ってどんなのがいたんでしょう?
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 01:48:44ID:aDA5S9kEそりゃあ生き残られて秀頼を脅かしそうなのが出てきたら怖くてしょうがないからな。
秀吉だって徹底的に滅ぼすさ。正当性のない後ろ暗さもあるわけだし。
ちなみに殺されたのは、三条河原にて秀次の遺児(4男1女)及び正室・側室併せて39名。
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 02:59:49ID:tI1XpLwH0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 03:15:31ID:MAjCcqRX秀吉自身も危険視して遠ざけるんじゃなく、積極的に中央政権に参画させてたし
家康の本性を見抜けなかった秀吉の迂闊さを責めるのは自由だが、
認知症扱いは無いだろ
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 04:04:20ID:6GzQ1l88前田利家は死にかけだし、
宇喜田は馬鹿だし、毛利はヘタレじゃん。
結局、頼れる大物は家康だけ。
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 05:29:27ID:aDA5S9kE秀次は隙を見せた(つーか隙だらけだった)が、家康は最後まで秀吉に隙を見せなかった。
もうろくした独裁者に、少しでも権力を持つものは、隙を見せたらおしまいだってことですよ。
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 01:08:53ID:2NkVrtVU娘が一人許されて生き延びてますね。
その後なんと三成の援助を受けてたとか。
最後は大阪の陣で大阪方について
徳川方(浅野家?)に捕らえられて
殺されてます。
数奇な運命としかいいようがない。
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 14:58:30ID:ZeHW72rY0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 15:22:59ID:n7x7KCf6秀次が腹切らされる前に、弟の秀保が、十津川で変な死に方してるけど、秀吉に暗殺されたのかな?
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 17:10:07ID:da+Yh3RP真田幸村の側室になった娘とは違うんか?
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 19:39:41ID:gEh33QCfただ、「功名…」の主役っていったい誰なの(?.?)。
0018一豊
2006/09/18(月) 19:44:18ID:3qodD+Bv0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 21:59:52ID:rKHLOCsh千代
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 01:30:32ID:81HmRGMa死にかけた大名もいるしなあ
そういうとこも豊臣政権の終わりをはやめたんじゃまいか
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 15:43:48ID:VoO7CbOB忍耐が足りんぞ!秀次!
おぬしが生きておったなら家康は天下を取れなんだかもしれんのにのう・・・
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 17:43:50ID:y0KyqzLR通説と違って実際には三成は秀次助命に奔走して、秀次死後は遺臣達を召抱えてるくらいだからな。
遺臣たちの多くは三成に恩を感じて、関が原で奮戦し討ち死にしてるくらいだし。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 17:49:31ID:KREanf2s隙がなくても理由つけてころされたろうなあ。
実際、自害の理由もなんだったか全然わからんし。
妊婦の腹を割いて胎児取り出したとかいわれても、全然信用できんわな。
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 17:51:11ID:KREanf2sまぁ、秀吉を煽ってはいたんだろう。秀次を関白の地位から引きずり下ろすとか。
でも、耄碌ジジイがあそこまで暴走するとは思わなかったんだろうな。
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 19:24:07ID:B/NXct9G秀次の乱行は信長公記の「たいかうさまのぐんきのうち」にも
一応の記述があり全くのウソではない。
あと「聡明であった」とはおせじにも言えない。
福島正則が「せいぜい土いじりしか能のない男」と酷評している。
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 19:52:06ID:a34D+nMQ>福島正則が「せいぜい土いじりしか能のない男」と酷評している。
それは正に福島のことじゃんw 秀次は文学に造詣の深い相当な教養人。
奥州征伐に来た際も、足利学校の貴重な書籍を京に持って帰ってる。
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 20:03:09ID:B/NXct9G秀次のまわりに教養関係で伊達政宗とか浅野幸長とかと交流できたのが
彼の能力の証のように言われることがあるが、
邪推すると豊臣の次期後継者の秀次にチヤホヤと集まっただけとも言える。
それと最上義光に大切な娘を差し出させたのも地位ゆえだなあ。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 20:13:08ID:ErxL7wPFそれに牛一の記事も伝聞程度のものに過ぎず、どの程度信頼できるか疑問
とりあえず秀次に関して悪い噂があった、としか
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 20:56:11ID:tbXon8To0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 20:58:34ID:JNPgFQNf三条河原っていうの見せしめだから、その時の根拠っていうが有るんだろう
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 21:10:47ID:B/NXct9G多くの人物がやってたかもしれない。
常識人に見える家康ですら鷹狩りの最中に前を横切った商人に怒り
家臣に命じて斬り殺させたなんて逸話もあるしね。
秀次も関白になった権力と尊大な気持ちからちょっとムカつくふるまいをした
庶民を殺した程度の事ならあっても不思議ではないんだよ。
なんとなくそういう気持ちはわかる。俺も秀次の立場ならそうしたかもしれない。
そういう行動が「殺生関白」として伝わったのかもね。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 00:17:09ID:JOcd28na秀次の乱行は信長公記の「たいかうさまのぐんきのうち」にも
一応の記述があり全くのウソではない。
著者の太田は秀吉に仕えた時期があったから、信憑性に問題がある。
秀頼を後継者にと考えた秀吉にとって邪魔になったと考えた方が自然
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 01:31:13ID:6yJr6/nQ家の安泰のために送り込んだと聞いたけど本当?
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 03:03:47ID:Z4J/+PHs殺生関白はよく狩りをすることからきたらしい。
高貴な人は殺生をしてならないというのは昔からけっこうあるからな。
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 03:52:51ID:LkFDDdRk秀次もドン百姓から天下人になったわけだからね。
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 08:33:51ID:JOcd28na>高貴なひと
家康は鷹狩りが趣味だったぞ
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 09:19:01ID:+YNRJk3o0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 02:55:28ID:RmPxGaXu0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 03:21:25ID:YZifCJrr公家なんてヤル事が無いから金のある秀次にたかって
これは想像できるな
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 00:48:12ID:7JYxARWw最上義光ははじめ拒否したような・・・なのに連れてかれて・・・。
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 04:17:04ID:ISUiDrcxそれは秀次粛清後のアリバイ工作でしょ。額面通りに受け止めるのはちょっとなあ。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 06:34:04ID:7JYxARWwアリバイ?なんのこっちゃ。初め断った事とは関係ないっしょ。
また>>33に関してだが、公家の娘や京付近の大名の娘も同じく混じってるので、全く関係ない。
秀次が失脚させられた事自体は秀吉の陰謀によるものだと思うし、可哀想だと思うが、
女好きだったのはまず間違いないだろう、関白を譲る際の訓戒状の件もあるし。
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 06:42:11ID:9PNYuejoあなたが他人の文意を読めないと言うことだけがよくわかりました。
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 07:27:14ID:FUMIJnIm秀吉、秀長兄弟は子供少ないし
ヤリチン秀次でいいじゃん むしろ頼もしいよ
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 12:06:37ID:RBIansRbヤリチン秀次の将来・・・8男7女とかになって、諸大名と姻戚関係持ちまくり
ちょっwwヤベッwwwwww
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 22:41:35ID:uYFSC65rヤリチン秀次は、家康みたいに諸大名と姻戚関係持ちまくれるから
むしろ豊家にとってはGJ!
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 22:45:53ID:7JYxARWw先に人のレスにレスしておきながら、元の俺の文章無視して
文意が読めないとか逆切れされても困るんだが。
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 22:56:47ID:KShszwE6もし家康に勝てるほどの人物なら自分の危険を早く察知していったんは身を
引いていたと思うけど
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 23:11:46ID:V26WBOVN家康にだって寿命はあるわけだし、出来は悪くないにしろ秀忠に父親までの才覚が
あるとも思えないから家康が死ぬまである程度の権威、権力を保たれるとさ。
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 23:20:53ID:GZHy9Ncyもしも秀吉が、秀次を殺すことなく、そのまま秀次を関白に据え置いたまま亡くなったとしたら、やはり家康は野心を剥き出しにするだろうし、豊家恩顧の諸将からも家康に媚びる裏切り者がでるだろうな?
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 23:26:43ID:RO17SqQc0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 23:43:07ID:YIoJaGPh正則の秀次評みたいに豊臣恩顧でも秀次に微妙な感情を抱いていた人物も居るみたいだし、
家康が彼らや淀殿を懐柔することは有り得ると思う
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 23:52:04ID:pHEzlc4e0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 00:01:50ID:2GpN35/O0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 00:02:25ID:XO3i0vACまさか秀吉は、秀次の生殖能力を妬んでたんじゃないだろうな?
大政所なかは、いい時に死んだんだろうな。
息子が、孫や曾孫を殺すなんて事件に、生きていて遭遇してたら堪らなかったんじゃないの?
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 02:15:59ID:mqokpps9家康はむしろ秀次に取り入って操る方が楽なんじゃないかな。
四国征伐とかで一緒に居た時間は長いわけだし。
でも秀次が消されなかった場合、秀次切腹後にかなり不審な死に方した弟の秀保も
生きてる可能性が有るんじゃないかな?
その場合、秀吉死後も大和豊臣家は存続してる事になるから、秀次は結構な戦力を
持つ事になりそう。
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 06:57:28ID:EuBJyMVK最上義光は最初は秀次の「駒姫を側室にくれ」という要求を断ったのは史実だよ。
ただ、そのあと採算の申し出を受けるうちに
秀吉の後継の秀次に娘を差し出すのは有利と考え直し嫁に出したという。
だが、その時点すでに秀次はすでに失脚していて、
駒姫は秀次に会う事も出来ずに秀次の側室として首をはねられたというわけ。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 10:29:58ID:xzXglR7f>まさか秀吉は、秀次の生殖能力を妬んでたんじゃないだろうな?
これはかなりあるだろう。
秀次が秀頼のことを、「あれは太閤の子ではない」と
いったのが秀吉を怒らせ、あのような事件を
引き起こしたといわれている。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 10:48:05ID:5ulxLw3u0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 12:00:50ID:dcN18Wfc>>43のアリバイ工作というのは、最上義光が最初娘を差し出すのを嫌がったという記録は
実際は秀次に取り入るために積極的に差し出したものの、秀次が失脚する段になって
秀次に取り入ろうとしたことが自分にまで類が及ぶのが嫌で、嫌々ながら
娘を差し出したってことに捏造したかもしれないってことでは?
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 12:26:05ID:9HyY2wUG>秀次に取り入るために積極的に差し出したものの、
そりゃないな。進物なら、鷹か栗毛の奥州名馬などを贈っておけばよい。
伊達などは秀吉に愛妾を所望されても、易々と献じるのを拒否している。
まして可愛い愛娘を、義光が差し出すわけはないよ。
006260
2006/09/24(日) 12:50:12ID:dcN18Wfc俺に言われても・・・・。
41=43の言ってる事を代弁しただけだし。
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 13:07:10ID:vqvB3+cmお前は本当に文章の意味を理解できない奴だな。
つーか、秀次に側室を差し出す事を進物と言う感覚で考えていること自体がおかしい。
鷹や馬を送る事とは根本が違う事がわかってないみたいだし…。
何のために政略結婚があるのか、この時代の家、家族とはどういうものか、
そこから勉強しなおすべきだと思うよ。
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 14:50:12ID:XO3i0vACだよね。秀次は、秀吉と違って生殖能力には恵まれてた。殺された子の中にも、男子は1〜2人いたそうだし、当時の秀吉は朝鮮出兵など妄想にとりつかれていた。
きっと、「まだ若い秀次が、これからも、どんどん男子を作って、秀頼は蔑ろにされるどころか殺される」なんて妄想にとりつかれてたのではないかな?
そんな気がしてならないんだよね。
その妄想と、秀次の生殖能力への嫉妬心が、あんな基地外じみた事件を引き起こしたんじゃないかな?
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 15:19:24ID:i4eMar5E生殖能力への嫉妬云々は勘ぐりすぎだろ
秀吉と秀次の仲が決定的に悪化したのは秀頼誕生後のことだし、
それ以前の秀次もやりまくりだったけど秀吉との関係は良好だった
一時的にも後継者であった秀次が自身と同じく精薄だったらそっちの方が困るでしょ
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 15:30:51ID:EuBJyMVKたいした根拠もなく想像だけで「捏造」とか決め付けられてもなあ・・・・
>>61
>まして可愛い愛娘を、義光が差し出すわけはないよ。
こちらの断言っぷりもわけわからん。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 15:49:18ID:dcN18Wfcかもしれない、って言ってるのを決め付けと読み取るそのお頭を何とかしてくれ。
可能性としてはありえない話ではないだろう。
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 15:55:08ID:ayk8bZTUアリバイって言葉の使い方が間違ってるのに
文意も糞もないだろ。
意味は解釈可能だがそういう問題じゃない。
何で戦国板ってこういう馬鹿ばっかなんだ?
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 16:02:47ID:9HyY2wUGそう。>>60の「捏造」説が根拠もない、妄想の類だから指摘されたまで。
論外なのは>>63。外れなコメントも笑止。奥州一揆の情勢等もっと勉強
したほうがよいだろう。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 17:21:23ID:EuBJyMVKあくまでちゃんとした婚姻外交だろうが、
それを理解できないとは頭が痛い。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 19:19:53ID:k0Q/y44s摂政関白をもじったもの?
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 20:05:44ID:VCif4UcQどうだろね
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 20:17:59ID:i4eMar5E0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 20:43:26ID:OwuMvEm50075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 21:18:33ID:y5IXFwLi007660
2006/09/25(月) 00:07:44ID:50fTeg+b>>66
>>69
だからさ〜俺は39、40のやりとりをみてアリバイ工作の意味を
こういう意味じゃないかって解釈しただけなのに、なんで叩かれなきゃならんのさ。
史料がねつ造されてる云々は別に俺の主張ではないんだが。
007743
2006/09/25(月) 01:25:34ID:wL1gGaUJ>>60が書いたのと同じように解釈したけど面倒だったので一文ですませただけ。
>>39-42の流れがかみ合ってないよねって言いたいだけだから。
どっちにしても、それぞれの主張に沿った史料があるならそれを示せばいいんでない?
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 15:53:16ID:vZeiUt6Jなんか本人の俺を素通りして随分レスが進んでるが、一応
嫌々ながらってのは史実だと思うよ、資料を見る限りでも状況からの類推でも
とりあえず駒姫に対する義光の愛情は半端ではなかった。
しかしまぁどうしてもという事で送ったわけだがこの時期は資料によって曖昧で
ハッキリしない、秀次の顔も見なかったというのもあれば、2年は暮らしたと言う説もある。
ただどっちにしても秀頼が生まれた後の事になるので、
積極的に送ったとしては非常に疑問が残る。
また最上義光が政略結婚のためだけに駒姫を送った事で、
自分に累が及ぶのを嫌がるような冷血漢なら、あんなに助命を訴えすぎず、
また処刑されたあともあんなにたてついて、結果自分まで幽閉されてしまうような事にはならんよ。
そしてこの窮地を家康に助けてもらい、この時の豊臣家への恨みを胸に
関ヶ原では上杉相手に獅子奮迅の働きを見せるわけで。
基本的に謀略家で伊達側の資料により冷血なイメージを持たれやすい義光だが、
この一件に関しては大した根拠も無く判断して欲しくは無い。
>>68
同意だ、だからアリバイ?なんのこっちゃと言ったんだが、
通じなかった、まず日本語の勉強からすべきだな。
>>76-77
お前ら本人か?
まずはアリバイと言う単語から勉強しなおせ。
日本語を喋ってもらわないと会話ができん。
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 20:04:18ID:ZfjPHVYW0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 21:05:27ID:vZeiUt6Jんなくだらん事でわざわざ聞いてくれるほど暇じゃない。
下手すりゃ秀吉からも秀次からも不興を買うハメになって最上家取り潰し
なんて事も普通に考えられる。
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 21:51:58ID:BbGjWd30娘を出すというのは親戚になるわけだから秀次の時代が来たとき最上は大きくなるからねえ。
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 22:59:22ID:ZfjPHVYWどうかな?秀吉は秀頼が産まれて直ぐに帰って来ちゃってるだろ
むしろ20万石の大名が秀吉を通さない方がおかしいよ
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 00:56:44ID:RjNJABFM0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 01:51:29ID:wp1qcL5/0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 01:56:13ID:wp1qcL5/0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 07:08:20ID:DQoL/6quいや勿論、義光は娘を秀次に売ったわけでも、
嫌がる娘を強引に秀次に送ったわけでもないだろう。
秀次に嫁がせることが駒姫の幸せになるとも思ったんだろうね。
そしてうまくすれば駒姫が秀次の嫡男かそこまで行かなくても豊臣家の分家の祖でも産むかもしれない。
しかし、秀吉に実子(?)が産まれたのは「まさか」の出来事だったと思われ。
どちらにしろ「駒姫を秀次に嫁がせた」という事に眉をひそめるような意見は
のちの経緯を持つ現代人だからこそ持つ印象で
当時としては秀吉の後継者で関白たる秀次に娘を嫁がせるのを躊躇する理由はなかっただろう。
008786
2006/09/26(火) 07:09:58ID:DQoL/6quでも、これ自体、奇跡みたいなもんだから、
続いて秀頼までが産まれるのは義光にも予想できなかったろ。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 07:19:02ID:vFR6hfSt語尾がすべて「だろう」「かもしれない」「思われ」。単なるあなたの
浅はかな主観で、説得力がないよ。秀次は駒姫を見初め、奥州下向の数
年後側室として所望した。(相当執着していたことがわかる)
義光は内心苦悩の上、断り切れずに差し出したのが真相だろう。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 07:32:56ID:SDJpSGlA0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 07:41:18ID:8jmraX5j009186
2006/09/26(火) 08:10:14ID:DQoL/6quおいおい、そんな事、言ってたら何も居えないだろうが。
そもそも、あんただって最後に「真相だろう」とか言ってるじゃん。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 08:22:37ID:Rfbfj0OG0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 08:48:12ID:RjNJABFM駒姫の嫁いだ時期が残念ながら確定的な資料が少なく曖昧なので断言は出来ないが、
秀次の顔も見ないうちに殺されたと言うのもあれば、側室に入って2年近くは経ったという
説もある、まぁ大体その前後なんだろう。と言う事を踏まえた上で考えてみて欲しい。
秀次事件が1595年、秀頼が生まれたのが1593年。しかし生まれたのが1593年なんだから、
淀君が孕んだのはその約一年弱前と言う事になるだろう。
つまりどちらにしろ、「秀吉の子が出来た事が判明してから嫁いだ」事になるのよ駒姫は、予想以前に。
この状況で義光が娘をやるのに躊躇するのはいたって自然だと思うんだが。
愛娘なだけに余計に。しかし時の関白の命に逆らえなかった。
何もおかしな点は無いと思うが、また義光はもともと豊臣家からやや冷遇されていたので、
秀吉に泣きつけるような立場ではなかったと言う点も付け加えておく。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 09:05:13ID:cRp0RLMd0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 09:15:44ID:f2LQj2KTそのため西国大名に比較して、東北の大名家は冷遇された。
だから秀次を通じて豊臣政権との接近を図り、また地理的に近い関東の
徳川家の助けを通じて政権とのコネクションを間接的に持つしかなかった。
親徳川勢力が多いのはそのせい。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 09:36:34ID:DQoL/6qu「義光がわずかでも政略結婚という理由で駒姫を読めに出すわけがない」
とかいう思い込みで話してる輩。
別に最初はとりあえず断ったけど、再三、頼まれて、
「まあ秀次とよしみを通じておくのもいいし、駒姫のためにもなるだろう」と考え直して嫁に出した。
で良いと思うんだが、
あくまで頑として秀次に逆らえなかったと主張するわけ?
いやあ、別に秀次くらいなら断りとおせるだろ。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 09:55:08ID:d6c4UI390098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 10:13:25ID:RjNJABFM政略的な意味があるかというなら、無いわけ無いだろう。
ただ秀次の要請によるものだった、コレに余計な反論を入れるからだろう。
あと関白の要請をそう簡単に断れるわけないだろう、
菊亭晴季とかかなり悲惨だぞ。
俺が言いたいのは秀次の死自体は悲劇だろうが、
側室をあんなにも集めて遊んでいたのはあくまで秀次の悪癖であって、
>>33のようなそれすら原因を求めるようなレスに対して反論したまでの事。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 10:27:24ID:7jL2RhWD東国だと蒲生の問題がね、後に宇都宮が改易になってそこに蒲生が入る訳だけど
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 10:33:17ID:RjNJABFM最上は色々と事情があってアレだったが、
東北の大名が冷遇されたってのはどうだろうか?
割と優遇されてる大名も多いだけに中央から遠いから冷遇と言うのは根拠として微妙な気がする。
親家康が多いのは単純に近い所からってのは当たり前だし、コレも微妙。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 10:49:12ID:7jL2RhWD秀次と関係の位置付けも難しいな
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 18:48:14ID:Rfbfj0OG0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 23:50:15ID:+ge4eho5遅いレスですまないが、高貴な人は殺生してはならないというけど、
左大臣頼長は人に気に食わない奴を暗殺させ、
しかも自分で自慢げに日記に書きちらしている下郎だ。
まあ、そんな奴だから悪左府と呼ばれて嫌われるのだろうが。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 00:43:27ID:dFIKeoy0まぁそれ自体がデッチ上げかもしれんので、なんとも言えないけど。
ただ関白になる際の秀吉からの訓戒状見る限り、狩りが好きだったのは事実っぽい。
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 06:59:50ID:MCmYhp0A八幡太郎義家「見事に羽柴家は断絶したな」
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 07:31:52ID:iW/28dQg秀次の漁色を戒めて「自分の真似をするでないぞ」とか逝っちゃう奴
あれを見る限り秀吉との関係は極めて良好だったはずなのにどこでボタンを掛け違えたのやら・・・
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 10:29:18ID:CgewP+a9>どこでボタンを掛け違えたのやら・・・
秀吉に子供が生まれてからだな。実際物凄く良くあるお家騒動のパターンではあるけど。
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 10:37:03ID:dFIKeoy0関白を譲る時につけくわえたものだったはず、
ただ個人的にはこの訓戒状の内容から見ても、
極めて良好な関係とは言いがたいものを感じる・・・。
コレから関白になろうという人物に対してあの幼児を諭すかのような
訓戒状を出す辺り、信頼と言う点で言えばやはりどうしても疑問があったのではないか・・・、
少なくとも秀吉にとっては。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 11:00:21ID:iW/28dQg当初は秀頼に秀次の娘を見合わせることで、秀頼と秀次に分散した
豊臣家の権力の一本化を果たすという構想が秀吉にあったと聞く(ソースは失念したけど)
その場合秀次こそが秀頼の最も信頼できる後見人になったはずなのに、
自らその後見人を始末してしまう晩年の秀吉はやはりどうかしてたと言うしかない
まあ自分が秀頼を大事に思う心境を踏まえて、秀次も血の繋がらない秀頼ではなく
実子に跡を継がせようと思うに違いない、と勝手に思い込んだのかもしれないけど
>>108
まあ正直秀吉は秀次のことをそんなに評価してなかったとは思うw
けどあの訓戒状から駄目な息子を諭す親心みたいなものを感じてしまう
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 20:27:46ID:tqgGIXsk養子陣に比べると秀次は見劣りしただろうね
養子の結城秀康みたいなのが秀次の位置に居たら
秀吉は安心して死ねただろうな
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 15:58:54ID:QSCnAmE9秀康が養子にいたら、かえってビクビクもんだろ。
それに、秀吉の養子陣じゃ、優秀なのは実質人質の秀康と秀家だけで
血縁関係は実子も含めてボロボロだよ。豊臣家の教育はかなーり問題
あったからしょうがないが。
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 21:22:37ID:V2ylrNF20113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 21:31:59ID:SANjM4ys0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 21:48:34ID:oPR2wUTn秀家が優秀???
奢侈癖があり、その費用で家の財政は傾いた。
内政はガタガタ。
お家騒動を起こし統率力もない。
軍事もお家騒動までは宇喜多譜代、
それ以降は明石にまかせっきり。
関が原で福島と渡り合えたのも明石が指揮取ってたから。
うーんいいところなしのような・・・
豊臣に付き切った以外は秀秋や秀次と多分、大差ない。
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 22:18:06ID:7ViN0+e8十中八九捏造。まあ、最後の最後は多少そういう動きもあったかもしれないが、それは
そこまで秀吉が追い詰めたってこと。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 22:24:42ID:SANjM4ys「有能なのになんで殺したんだ」って言われちゃ困るからな。
逆に「無能だから殺した」と言えば納得させることができる。
まだ28歳だったんだよね。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 22:59:27ID:WxuCvbat0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 07:26:48ID:W8NpVFUY早く死んだからあれだけど関が原では絶好のタイミングで裏切ったり
岡山の行政改革やったりけっこう業績残してる。
きっとそこそこ切れ者だったんじゃないかと
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 09:33:15ID:ZQ+E0yX0間違いなく名将の器
ただ東軍圧勝に導いてしまったが失敗というか若さなんだろうな
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 09:36:56ID:I6TfV9qE>>119
家老の稲葉、平岡の力だろ
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 12:27:39ID:0CYNrWbY名将の器が戦後神経衰弱に陥った挙句憤死しないだろw
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 18:13:26ID:zgJhG6/+天才
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 22:35:35ID:fAncnM9Cもしも秀秋が太平の世まで長生きしてたら、豊富な合戦経験の有る、関が原生き残りの老将として
頼りにされたかもよw
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 22:37:23ID:Yy/IF2I00125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 23:06:48ID:lxaINJmfあの年齢の大名としてはむしろ実戦経験豊富な方だったんじゃないかと
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 23:10:20ID:Yy/IF2I0加藤とか福島と大して年齢変わらないじゃん。
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 23:20:00ID:lxaINJmfそれこそ親子といってもいいくらい年齢が離れてるぞ
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 23:25:09ID:Yy/IF2I0すまん、秀次と間違えてた…orz
0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 23:27:07ID:lxaINJmfこの辺の連中とは仲が良かったんだろうか
たしか政宗は秀次事件で厳しい立場に追い込まれてたよね
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 23:28:31ID:NeojYhHv秀次は朝鮮出兵してないし、君には書き込みは早すぎるんじゃない?半年ROMってなよ
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 01:15:35ID:Sv0EjKV9妻子の根絶やしを見せしめにしたんだから凄いよ秀吉
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 08:34:02ID:Ha3QPFaQ奴は秀吉に多数の優秀な家臣をつけられてるからね。
奴のあげた功績がどれだけ奴自身の才覚によるものか疑問。
あと、岡山への移封は言われているほど難しくはなかったろ。
むしろベストミックスだったかもね。
宇喜多秀家は自分を微塵も疑わず豊臣家の一員だと思いこんでて、
ずっと「羽柴秀家」もしくは「豊臣秀家」と文書に署名してたような男。
しかもお家騒動のあとは領内は豊臣ゆかりの家臣が牛耳ってたし
同じく豊臣ゆかりの家臣が付けられてた小早川秀秋一行には
むしろやりやすかったかもね。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 10:08:32ID:Dn+/lgMaまあ秀秋の死については色々いわれてるからなあ。
秀秋の死ぬ三日前に弟死んでるし。
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 11:00:28ID:WYpMQsZP>ずっと「羽柴秀家」もしくは「豊臣秀家」と文書に署名してたような男。
当時の羽柴姓を与えられてた大名はみな正式な文書には羽柴姓で署名している。
秀家の自負がどうこうというのは全く関係ない。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 11:48:56ID:x9LlVA7+名将秀秋に軍事を任せていたら
豊家は安泰であった
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 19:25:17ID:8DO1gZmr家康だって羽柴武蔵大納言で署名しているもんな。
逆に正式にもらえていない加藤清正が署名したら
蟄居させられるくらいだし。
0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 19:32:59ID:Sv9Lg50G0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 19:39:38ID:K5tiALvI豊臣は滅亡してないよ。
木下家が豊臣を本姓とし続けた。
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 19:50:00ID:Sv9Lg50G壇ノ浦で平家滅亡してないって言ってるようなもんだぞ・・・
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 21:05:33ID:G7Sjzwdfその代わり毛利も島津も「松平」に。
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 21:22:47ID:Sv0EjKV9豊臣の縁故ならやっぱ家康が最強かな
0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 22:15:03ID:8G32fAoVどう見ても、そこまでの器じゃない。
暗愚ではなかったと言うに過ぎないでしょ、残念ながら。
その二人が居た所で、江戸に居る狸の化物にナニができたのか?と甚だ疑問。
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 22:35:43ID:5quPy/tv0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 22:41:39ID:G7Sjzwdf秀次が家康をどうにかできるような器とでも?
まあ、秀次は家康と非常に仲が良かったから、平和裏に政権交代が行われたかもしれないけどな。
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 22:48:43ID:PYi7uYXs秀次が政権を執った時には五大老みたいなシステムも無いだろうから
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 01:11:35ID:zxTRBoE30147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 01:14:58ID:kuU6i02k個人としての器量は大したことなくても成人の天下人後継者というだけで、家康といえどもうかつに手は出せない。
史実でも幼君秀頼の代理として西軍を破って実質的に天下を手に入れたわけだし。
もちろん秀次が諸大名の離反を招くような大きな失策をすればまた話は別だが、
生前の実績を見る限り、家臣の補佐があればそれなりの治績を残せる程度の器量はある。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 03:14:27ID:6Ok3V5UE軍事的に見ても秀次にとって家康は、初めて大将として采配を奮った合戦で圧倒的な実力差を見せ付けられ、
その後も秀次が大将として戦うような戦いの横にはしっかり補佐として家康がついて行ってる
いわばそこで信頼してると言うだけでなく、まず真っ先に敵にまわしたくない存在と思うだろう。
ここに落とし穴がある。
まず穴をほじくるとしたら秀次の家臣からだろうね、
当然前野やら木村やらも史実と違って生き残るわけで、彼らが実質政治の中枢に入ってくるのは
まず間違いないだろう。田中や中村、堀尾らも近い関係上優遇されるに違いない。
しかし彼らの武力は大した物ではない。
逆に面白くないのが、朝鮮出兵で奮戦した連中、
秀次は当たり前だが彼らの奮戦は見ても居ないし、居残り組みとばかり仲良くなってるので、
自然と疎遠になる可能性は高い、秀吉が死んだ事で骨折り損になる可能性がかなりある。
また宇喜多秀家・小早川秀秋ら秀吉の養子連中が血筋とは言え同じく養子の秀次の言う事を
素直に聞くというのも違和感を感じる。
実子の秀頼ならともかく、秀次に対してそんな簡単に動いてくれるだろうか?
秀秋なんか結局秀頼も裏切ったようなもんだし、秀次なんか余計だろう。
三成らいわゆる文治派に関しても秀次に対する忠誠心と言う意味では疑問もある。
無論、豊臣家に対する忠義として動いてくれる期待もあるが、例えば上記の宇喜多秀家が
秀次と不和になったりした場合、どちらも豊臣家なら三成は秀家につくのは間違いない。
つまり関ヶ原における西軍が秀次の味方になってくれる保証など何一つ無いわけだ。
むしろ、秀次の経歴を見る限り、西軍諸将よりはるかに家康や政宗の方が関係が深いわけで、
むしろ彼らの武力に頼らなければ、収まりのつかない状況になる可能性がかなり高い、
ここで家康に依存してしまうようならアウトだろう。
「それなりの治績」レベルじゃ家康の前では、屁でもない。
それ以上が無ければこの状況を打破できる可能性はゼロに等しい。
ただ>>144の言うとおり仲が良いだけに平和に交代する可能性は大いにある。
0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 05:36:33ID:UZySorDBとりあえず名護屋入りの予定が入ってたんだよね
0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 07:14:32ID:1uZ3h5RTあってのものによるところが大きいと思うのだが。
ゲームや仮想戦記みたいに能力があればなんとでもなるというもんでもないでしょ。
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 07:50:08ID:9dcZXvSO領土がでかいだけで天下に大した影響を持てないだろ
江戸時代の前田氏みたいなもの
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 11:27:30ID:2XOI119u>自然と疎遠になる可能性は高い、秀吉が死んだ事で骨折り損になる可能性がかなりある。
確かに出兵そのものが失敗し、土地を得られなかったわけで十分な恩賞を与えることが出来ず不満が残る可能性はある。
ここに家康が付け入る点ができる点では同意。
>また宇喜多秀家・小早川秀秋ら秀吉の養子連中が血筋とは言え同じく養子の秀次の言う事を
>素直に聞くというのも違和感を感じる。
>実子の秀頼ならともかく、秀次に対してそんな簡単に動いてくれるだろうか?
〉秀秋なんか結局秀頼も裏切ったようなもんだし、秀次なんか余計だろう。
彼らから見れば義兄であり秀吉とも血縁なんだから、秀頼がいない場合ならば当然秀次に仕えるだろ。
秀秋は秀頼誕生で他家に追い出されたことも裏切りの一端にあるわけだから、秀次が跡を継いだならこの裏切る動機も弱くなる。
>三成らいわゆる文治派に関しても秀次に対する忠誠心という意味では疑問もある。
>無論、豊臣家に対する忠義として動いてくれる期待もあるが、例えば上記の宇喜多秀家が
>秀次と不和になったりした場合、どちらも豊臣家なら三成は秀家につくのは間違いない。
通説と違って三成は秀次助命に奔走するなど決して不仲ではない。
それに秀次と秀家が不仲になった場合三成は秀家につくと言うが、
秀吉の甥である秀次〉赤の他人である秀家 なのに秀家につくという理屈がわからん。
だいたい秀次が跡を継いだのに秀家が秀次と対立すれば豊臣家に対する反抗であり、武力に訴えることになればただの謀反だ。
0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 11:28:41ID:5DdTbPGW同意
豊臣家の派閥抗争を秀次独断で、纏め上げるのは無理だと思う
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 12:17:29ID:9dcZXvSO秀吉を家康、秀次を秀忠、秀家・秀秋を忠輝・忠直、三成を正純、家康を政宗あたりにでも変えてやれば
そのまま江戸幕府初期の政情不安を指摘する文章になる
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 16:45:37ID:6Ok3V5UE秀家も秀秋も朝鮮出兵に行ってるのよ、
そういう意味でも上の文章と繋がってる面もあるの。
秀秋が小早川に送られたのは秀次在命中だよ、
どちらにせよもう後を継がすつもりなど無いからこそ送ったのであって、
残念ながら秀頼がいなかろうと同じだろう。某漫画じゃあるまいし。
また秀秋が小早川の領土を有していないなら、むしろ存在意義が無いので、無視しても結構。
三成と秀次は不仲では無いという説があるという程度で、
どっちとも言えないというレベル、仲が良いなどと言う話は聞いたことが無い。
だが秀家は三成と元々つながりがあるので、単純な話。
三成が武断派に襲われたときも助けられてるし。
ただの謀反・・・なんていったって誰が抑えてくれるのよそれを。
別に武力で反抗するとは限らない。言う事を聞かないだけかもしれない、
でもだとしたら秀次側から攻め入って黙らせないといけないかもしれない。
と言っても、宇喜多・小早川の両名を敵にまわすと、
毛利を敵にまわしたも同じなので、生はかな兵力では勝てない。
さてそうなった場合秀次の経歴から言って、誰の力を借りるのが一番確実だろうか?
>>154
政宗が関東で240万石の大名だったら、それでも充分意味が通じるよ。
仙台で60万石じゃどうにもならんがね。数字も考えないなんて妄想にしても酷い。
0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 17:05:01ID:PVsX+Cyx若江八人衆中七人が秀次死後三成に仕え、うち五人が関ヶ原で戦死、という
状況を考えると、以前からそれなりに懇意だったんじゃないかとは思えるね。
0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 17:13:50ID:6Ok3V5UEそれも含めて色んな説があるよ、その辺はもう少し調べてみると面白い。
三成が秀次の家臣を引き取る形になったのは、そもそも
秀次の遺領を譲り受ける形になった事が原因として大きい。
ただ以前からのつながりを示すようなものは存在しない。
まぁ三成は家康があまり好きでないし、家康も含めて秀次周りの人間は、
三成からすれば苦手な人間が多いのが事実。
秀次自身尾張出身だし、前野長康もそう、いわゆる尾張閥。
少なくとも以前から懇意だったと言う説は聞いた事が無い。
0158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 17:16:27ID:2XOI119u仲がいいからといって秀家と三成が組んで反抗する?んなバカな。
どんなかたちにせよ謀反は謀反、秀家が秀次に反旗を翻すにしても何の大義名分がある。
正当な豊臣家後継者秀次と養子の一人に過ぎない秀家、人望のない三成では諸大名がどちらにつくかは自明の理。
それに秀秋が荷担するにしても(秀秋が秀次へ謀反を起こす積極的理由があるとは思えないが)、毛利が支援するかな?
小早川は秀秋入嗣でそれまでの重臣の多くは隆景とともに三原に移っているわけだし、
史実の関ヶ原をみても毛利吉川とは別行動をしていてすでに毛利系の大名とは言いがたい。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 17:24:18ID:6Ok3V5UE謀反とまで行かなくても、朝鮮出兵組みで組んで、
不平分子になる可能性は大いにあるといってるの。
そんな状況で天下が収まってるとどのクチで言えるのよ。
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:28:40ID:2XOI119u問題はその不満分子がどのような動きをするかだが、豊臣宗家に力がある以上
それら不満分子にどれだけのことができるかと言えばたかが知れているだろう。
また同じことをいうが実績をみる限り、秀次は家臣の補佐を受けながら天下を治める程度の器量はあるように思える。
実際個人的にはさほどの器量のなかった秀忠が江戸幕府を安定させた
事例があるわけだし、秀次とて二代目としてうまく天下を治められた可能性は十分ある。
0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:35:06ID:y2EKLiPSなんだ釣りか
0162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:39:52ID:2XOI119u秀忠は政治家としてならまだしも、武将としては無能だろ。
肝心の政治家としての部分だって有能な家臣によるところが大きい。
アホかお前は?
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:44:09ID:y2EKLiPS2代目が秀忠でなかったら徳川300年の基礎はできなかった
秀次なんぞと比べて大差ないってのは釣り以外のなにものでもないぞw
0164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:52:23ID:2XOI119u組織のトップは本人が必ずしも有能である必要はなく、家臣が力を発揮出来るようにすればいいんじゃないか?
日本史では少ないが中国史を見ると結構ある組織のスタイルだと思うが。
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:53:01ID:PVsX+Cyx>どちらも豊臣家なら三成は秀家につくのは間違いない。
だとすると、この二人はどう「もう少し調べてみる」と「間違いない」
ほど親密だったのが分かる?
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:53:57ID:uRluNmnmケンカが多少強いところで、もはや何の意味もない世の中にしようとしているわけなのだから。必要なのは法と、それを執行する組織作りと行政力。
それに関して秀忠は抜群の能力を発揮している。
0167名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:54:14ID:PVsX+Cyx>可能性は大いにある
に変わってるのね。
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 22:56:58ID:uRluNmnm家臣が能力を発揮出来るようにすることの、出来るトップってのは物凄く優秀だぞ?
いっぺん社会に出てみ?そういう能力を引き出してくれるトップって言うのがいかに希少か
わかるとおもうよ?
0169名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 23:00:45ID:6Ok3V5UE秀忠の時代に、徳川の勢力を脅かす勢力がどこに存在したんだ?一体。
外様最大の勢力を誇った加賀前田でさえ100万には実際は届いてないぞ。
完全に治めきって、地方の力も奪い去った後の二代目と、
まだまだ収まりきって無い部分のあった二代目で同じと考えられるのは単純にも程がある。
秀次が秀忠と同じで済むようにするには、秀吉死後の20年間に
家康が行った事を全て行う必要がある、秀次に人並み以上の統治能力ぐらいはあったろうと言うのはわかる
だが、正直言って関ヶ原前後の天下の情勢を舐めてないか?
まだまだ武力で押し切らなければならない部分が多く存在していた上に、
豊臣宗家は実力者の相次ぐ死と朝鮮出兵で恐ろしく消費してる。過信できる力など何一つ無いぞ。
それをひっくり返せるのは「家臣の補佐を受けながらなら〜」とか寝ぼけた枕詞のつく奴に、
出来るわけが無いだろう。
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 23:01:42ID:y2EKLiPS不安定な政権で絶頂時ですら実効支配は畿内周辺にしか及ばず
その支配権もいくつかの名家の集合体としてしか機能してなかった政権と
徳川の体制を比べることが間違えてると思うが・・・
(秀吉が目指したのも足利ではなく徳川の選んだ道)
0171名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 23:23:41ID:J2Fswmit0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 23:28:10ID:2XOI119u実際秀吉が没した直後天下を取る実力、意志を持っていたのは徳川家康くらいだが、
史実でも幼君の名代として賊軍を倒すという形を取らざるを得なかったわけで、この段階では家康ほどの実力者であっても豊臣家の御為という大義が必要だった。
つまりまだこの段階では豊臣家の権力、権威はまだまだ盤石だった。
まして秀次が跡を継いだならば自己の判断がある成人の当主なわけで史実よりも格段に家康の天下取りは難しくなる。
それと
>まだまだ武力で押し切らなければならない部分が多く存在していた上に
この武力で押し切らなければならない部分とは具体的に何?
0173名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 00:08:07ID:MUk2FiPw0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 00:25:46ID:dfQeZkZJ当然、戦国の真っ只中と言うわけでも無いんだから
いくらなんでも力づくというわけには行かない。
それは豊臣の権威などと言う秀吉亡き後にはどうとでもなってしまう代物ではなく、
ようは時勢の流れに他ならない。天下の情勢を読み取った家康がそれを利用したと言うだけ。
本当に豊臣の権威が存在するなら、秀吉が死んだ後の家康の行動に
利家らが弾劾した時点で、家康は粛清されなければおかしいでしょ。
でも粛清どころか、ますます増長、聞く耳持たず。
あと前提が間違ってる、秀次にとって家康は三成やらなんぞより遥かに信頼のできる味方だよ、
家康がそれを利用しないわけ無いでしょ。
自己の判断のある秀次だからこそ、周囲の余計なクチバシが入らない分、
神輿にするには秀頼より遥かに楽。
武力で押し切らなければいけないと言うのは、戦争しなければいけないと言う意味じゃなくて、
武力を盾に、外様の力を削いで、中央への影響力を削ぐと言う意味。
秀次にできるだろうか?
0175名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 00:28:57ID:2LkrxWM40176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 00:29:44ID:2LkrxWM40177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 00:41:23ID:ilzytbqj秀次にとって家康が信頼できる味方だというのが分からん。小田原〜奥州のこと?
だとすると根拠に乏しいし、秀次は秀吉が家康を警戒していたのを
よく知っていたわけだからそうそう簡単に頼るかな?
0178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 01:32:20ID:OnO5WUrH秀次事件の時も家康は秀次と距離を取ってたおかげで難を逃れてるわけだし
朝鮮出兵で活躍した連中や秀家と仲が悪かったという根拠もない
それなのに「不平分子になる可能性は大いにある」と言われてもねw
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 04:08:13ID:dfQeZkZJ前田利家、実際交流のあった政宗、それと同盟組んでる家康らになるでしょ、
突然三成ら五奉行が配下になるというのも妙な話。
そもそも固有の力を持つ外様の有力大名である大老家はともかく、
五奉行は、秀次の体制になったときに同じ力を発揮できるだろうか?
それこそ木村や前野らと政争を始めてしまう危険性はあると思う。
もっとも利家はすぐ死んでしまうからあてにできんけど。
ちなみに、前提を確認したいんだが、当然秀吉が1598年までは生きてるわけだし、
秀次が政権を動かすのってそれ以降ということだよね。
朝鮮出兵連中が秀吉死後に不平分子になるのは根拠も何も、
史実どおりでしょ、秀次がいたから不平が無いなんてそれこそ根拠が無ければ、
ありえないよ。秀秋が秀吉に領土削られるのも1597年、これも史実。
三成が味方かどうかは知らんし、存在意義も変わると思うが
(説によって変わるが増田と一緒に秀次を讒言したと言うのも説としてあるので本当に謎)
秀吉の死後に彼らの紛争を抑えなければいけないのはどっちにしろ史実の流れでしょ。
あと秀吉は外様は誰だって警戒してたし、家康だけ特別警戒してたと言うほどじゃない、
むしろ信頼してた点もかなりある、もし本当に警戒してたんなら、
朝鮮に無理矢理にでも連れてって、真っ先に消耗させるでしょ。
でも、何故か国内の政治に専念したいというのが許されてる。
0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 04:19:55ID:OnO5WUrH君の指摘どおり外様の有力大名である五大老と違って、
五奉行は秀吉の権威がその権力基盤、秀吉が死んだ後の連中に政争を始められるだけの体力はないよ
大した揉め事も起こらず政権から消え去るだけ
秀吉死後の所謂武断派と文治派の対立は武断派の連中の三成への個人的反発が原因、
対立してた文治派が政権から消えれば武断派には特に揉め事を起こす理由もない
多少不満を持ってたとしても秀秋みたいな小僧ははなから問題外
0181名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 04:48:19ID:dfQeZkZJそのまま三成が任されるだろうから、そこでの軋轢はヤッパリ起こってしまうだろう。
そうなれば三成襲撃事件は史実どおり起こると思われるが、
確かに史実と違って近江の地盤が無い秀次政権では帰る場所はなくなってる可能性が高く、
そのまま豊臣政権から五奉行ごと消え去ってしまうかもしれない。
とは言え史実どおりなら秀家や家康の助けで一応は助かるだろうし、
上杉や佐竹などの有力大名との関係もなくなるわけでは無いだろうから、
そんな綺麗に消え去るかどうかはわからない。
実際、関ヶ原でもベクトルは違えど同じく消え去りかけてた所から関ヶ原を起こしてるんだから、
予測はつかない。
ただそうなった場合、正則・清正と前野長康らを中心とした尾張の勢力が牛耳る豊臣政権ということだろうか?
それはそれで興味あるが。
0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 05:15:29ID:OnO5WUrHもし秀次が存命なら当然秀次の仕事になってるはず
関ヶ原で失脚した三成が蜂起したのは豊臣家を蔑ろにする家康に反発したからでしょ
秀次政権で同じように失脚(すると思う、人望無かったし)した三成が果たして
秀次に対し同じようにクーデターを起こすだろうか
そもそも前提が秀次生存のifである以上真面目に考察するのもどうかと思うが、
自分はその場合三成には反乱を起こす理由も大義名分も無いと思う
0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 06:16:16ID:dfQeZkZJそんなもんあったら、はじめから秀頼を連れてこれたし。
三成が豊臣家が安泰なら自分は消え去ってもいい
なんて聖人君子のような考えならそれもありだが、基本的には
自分の立場を守るために豊臣家が必要だったのであり、
それを排除しようとする徳川に対抗したってのが始まりであって、
秀次が秀吉以来の自分の立場を排除しようとしたなら、家康と何の違いがあるのか?
あっさり政治の舞台から引き摺り下ろされてハイそれまでよってのは
甘すぎる気がしてならない。そんな人物ならそもそも関ヶ原など起こせない。
また一緒に排除される五奉行連中もそんなに単純な連中なら、
豊臣政権の基盤を支える事などできないよ。
秀次生存のIFならコレは重要な事だよ、これを治めなければ成らないのだとすれば
やはり秀次には荷が重いとしか思えない。
別に秀次に能力が無いといってるわけじゃない、
秀次や事件で連座させられた連中主体の政権では相手が悪すぎる。
家康の手を借りるなら話は別だが。
0184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 08:13:29ID:2nCmKKNhそりゃ違うぞ。確かに豊臣政権は徳川政権よりは下だが、
少なくとも、それまで存在したあらゆる中央政権よりも豊臣は強大だった。
なんせ日本中に命令して関東や奥羽を仕置きしたり大陸を攻めたりする程だったしね
秀吉存命中は家康も含めて誰も秀吉に逆らえなかった。
こんな強大な政権は実は今までの日本になかった。
それと畿内以外にもあちこちに徳川政権でいう天領(お蔵入り地)を持ちその合計は
220万石程度はあったという。
他に日本各地の金山、銀山を押さえ、博多などの港の運上益も独占。
経済能力はすざまじいものだ。
あと江戸幕府でいう親藩・譜代も豊臣政権には存在してた。
親藩は豊臣秀次、小早川秀秋、豊臣秀長、木下など、加藤や福島も実は秀吉の親戚筋だ。
譜代に相当するのは山崎の合戦以前の配下が相当するんだろう。
黒田、竹中、蜂須賀、山内、七本槍、石田など。
ただ、家柄の卑しい豊臣家の結束は秀吉が死んだあとは激しく脆かったけどね。
なんにせよ一つ言えるのは
実は徳川政権というのは豊臣政権に酷似してる部分があり、
実は家康が秀吉のやり方を模倣しさらに改良強化したものだ。
秀吉というお手本・土台がなければ
家康がいきなりあんな強力政権を作れたわけではない。
0185名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 08:18:02ID:2nCmKKNh>(秀吉が目指したのも足利ではなく徳川の選んだ道)
繰り返しになるが
それは秀吉が家康より劣っていたからでは少なくともない。
むしろ家柄を除いてはやはり優れていただろう。
単に秀吉が強い力で切り開いた道を家康が進んだから、
家康が強力政権を作れただけ。
0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 16:42:20ID:LfsU2cpN秀吉死後に家康が豊臣家を二つ以上に割ることが出来るかどうかだな。
つまり、秀次政権にどういう派閥が出来るかだが。
まず、五奉行を中心とする秀吉側近衆だな。だが、これは幼君を抱くのと
違って一気に衰弱するだろう。中核となる大名もおらんし。
次に、秀次側近衆だな。ただ、この連中は秀吉が死ぬ前は権力的にはさほ
どではないし、大きな武力を持っているということもない。秀吉の旗本衆
を動かせるようになるくらいか。権力は飛躍的にあがるが、その基盤はま
だまだ根付いていない。
次に、秀次恩顧大名とでもいう勢力で、細川・伊達など次代を見て秀次に
近寄った連中ということになる。秀次が長く後継者として位置していれば、
この層はかなり増えているはず。ただ、この連中は家康派とはかなり重な
る部分も多いだろう。
次に、豊臣家忠誠大名っていうか、家としての豊臣家に従う連中だが、こ
の層は宇喜多秀家の他は有力大名はほとんどいない。子飼い加藤・副島な
んかも関が原で家康についたのを見てもわかるが、秀次につくとは限らな
い。むしろ、秀次に対しては反発している傾向がある。特に副島はそう。
それから、豊臣一族。この層に対しては、秀次は実子の秀頼よりも求心力
が落ちる。それだけに、反発が大きくかえって敵になりやすいかもしれん。
ただ、北の政所と秀次の関係にもよるが。
後は、毛利みたいに基本的に日和見な連中だが、こいつらの場合は、やっ
ぱ養子の秀次の場合は求心力が落ちる。
なんていうか、秀頼の場合と違って、敵味方がはっきりしていない感じで
はあるな。これで各大名の取り合いになった場合、どうなるかってことだ
が。
0187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 20:02:25ID:zYhOVBKj0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 20:26:30ID:99lnm2K70189名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 21:05:16ID:dfQeZkZJだったら初めっから秀長が死なない仮定をだした方がわかりやすい。
0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 21:05:33ID:H3G11J57関が原のような戦争が起きるかだが
確実に起きると思う。
動機として
1)朝鮮出兵での恩賞無き戦い
外部に報奨を得られない以上、国内の乱によって勢力拡大を望むのは
いわば当然であり、戦乱を望む雰囲気は十分あっただろう。
であれば関が原のような戦も起きたのだし。
2)秀次自身が戦争を欲していた。
秀次政権の場合二代目であり、秀吉に比べ統制は弱まるというか威光は
低下するのは避けられない。
まして秀吉は問題を山積して亡くなったのであり
秀次は自身の政権が天下に号令する前例として謀反する敵を
討伐すべく天下の軍を動員する名文を必要としただろう。
ちょうど家康が上杉征伐を強行したように。
そして1)とも微妙にリンクするが、どこかに空きを用意して
国内の再編成をしなければ国内にある憤懣を処理しきれない。
で>>186
ここから秀次が誰を槍玉に挙げるか推測すればよい。
0191名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 21:23:54ID:H3G11J57前田と宇喜多は係累と関係からして秀次と行動をともにする与党となり
細川や尾張系の連中は分裂する可能性はあるな。
秀次は国内の結束の為外に敵を用意する構図を使い、どこかを槍玉にする
と思う。
でおそらく毛利、徳川、上杉あたりが狙われる相手になると思う。
上杉の場合、史実での徳川に対したように秀次に敵対したか?
ありえる。秀次には最上、伊達そして前田が接近しており
これは上杉とは色合いが異なる。
毛利の場合、微妙だが上方に近すぎて政権基盤の近所で戦争を起こすことを
秀次周辺は望まないと思う。
徳川家の場合。かなりの相手だが狙うだけの見返りは大きい。
徳川を倒したら秀次の権威は高まる。東国での大規模再編が可能となり
>>190での1)の不満をある程度解消できるだけの余裕も出来る。
秀次政権では狙われる可能性の高い徳川と上杉と
豊臣家で傍流に追いやられる連中が接近して野党になる構図を考えればよい。
三成たち史実での奉行衆は、秀次政権での本多正純のように前時代の辣腕官僚として
粛清される危険が大きく、政権から外されていく可能性は高い。
上杉や佐竹そして小西と三成の関係は史実と変わらないだろうし、これに徳川が
加わるパターンで考えればいいと思う。
この連中が徳川嫌いとか言うのはあくまで後世のこじ付けの感が強く
実際のところ、彼らと徳川が組んだ可能性も勢力図によってありえると思う。
名文として正統な後継者として秀頼を使う方法があるしな。
どういうきっかけかは分からないけど
この二つのラインが戦争で決着をつける事になると思う。
0192名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 21:32:51ID:oyfUo8ls続いているということであり、その場合秀吉は秀頼の後継体制の担保のために
統治システムの改編をおこなってるのではないだろうか。
0193名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 21:39:49ID:dfQeZkZJ実際もし存在したら、三成ら旧体制派が黙っちゃいない事はまず間違いないし、
大混乱してしまうだろう、まぁ妥当な仮定だとは思う。
0194名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 23:11:37ID:1+idxDCM秀頼がいるは、前提とはできないな。
というか、それを前提とすると、秀頼派と秀次派の激突以外の選択しか
なくなってしまうし。
0195名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 23:32:47ID:dfQeZkZJだろうね、
っていうか俺がそれを言ってるので、
俺に言うべき事では無いかと。
0196名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 05:22:20ID:AHVU6C0M秀保の家老は、藤堂高虎。
藤堂高虎なんて秀保を暗殺してしまうかも知れない。秀吉死後、藤堂高虎が秀保に忠誠を尽くすか、どうか疑問
0197名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 06:30:28ID:xZ6vyILlつくすだろ。
藤堂高虎は主君をころころ変えたがそれは主家が滅亡したから
積極的に主を裏切ったことは一度もない。
0198名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 07:34:32ID:XCk3zgAJ0199名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 08:55:50ID:m1ySUhbv0200名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 12:58:41ID:Vy4VM/btを家康にさせないため
0201名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 13:36:03ID:yMUGyGdgお前スゲェな
0202名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 14:12:21ID:ty3XsOAy高虎をまるで呂布か松永久秀のようにみなすのっていまだにあるんだな。
0203名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 20:29:23ID:27ABIqlI小説の影響でむしろ善人のイメージが流れすぎてる印象もまたあるよ。
確かに裏切って主君を変えたというよりは、時勢の流れで主君が変わっていったのが
藤堂高虎だけど、この秀保に関してとか、微妙にグレーな物も混じってる。
なんとも言えない人物ではあると思うよ、柔軟な思考力を持ってた事は疑いないし。
0204名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 21:28:22ID:nM/JB/+3死んだ後出家して高野山に登ったり、大和豊臣家の断絶回避の為に
高吉擁立に奔走したりしてなかったけ。
0205名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 00:10:08ID:i07NiDFsまさにその辺、いくらなんでもその後の美談過ぎる話と、もともと1万石前後の大名だった高虎が
主君死後に有能と言う話だから・・・というだけで7万石の加増になって戻っている事は、
やはり微妙な違和感を感じざるをえない。
秀保は一族虐殺された秀次の弟、その家老が一度出家しようとしたにもかかわらず、
あっさり戻ってきて何故か異例の大加増・・・。
無論証拠など無いが、その後の高虎のあっさり家康に鞍替えした柔軟な考えを見る限り、
いくら秀長に心酔してたからといって、あまりに行動に差があるように感じられるんだよ。
今まで言われてきたような君主をコロコロ変えるような不義理な人物と言う評価は間違いだと思うけど、
最近の高虎評は本などの影響を受けすぎて逆にあまりに善人に捉えすぎてるように見える。
0206名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 00:13:35ID:Rm1x1n33そりゃ高虎も戦国大名だから海千山千だよ。だけど君は高虎の旧来の評価を
引きずりたくてしょうがないように見える。
0207名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 00:58:01ID:i07NiDFsただ一つだけ
>>196は俺じゃないぞ、ただ>>197みたいなのもどうなのよ?って事。
状況によって高虎の忠誠に疑問を持つ事がそんなに間違ってるとは思わないって事。
積極的に裏切ってないと言うけど、じゃ秀頼は高虎にとってなんなのよと。
0208名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 05:21:40ID:7R4d7OLd他では島津や加藤嘉明とかが朝鮮出兵で加増を受けてる
秀保の死によって大和豊臣家は断絶したわけだから、その遺領分け(場所は四国だが)という側面もある
0209名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 00:58:52ID:lXaQMfC8秀吉が城持ちになる前とか、どんな立場だったんだろう。
0210名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 01:30:54ID:Q2vd8/rT秀次の父については、こんな一説があるみたい
http://www.miwa-e.ed.jp/05gakunenn/6nenn/2/2-1/newpage2.html
0211名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 07:56:22ID:oD1b0twM1551年に秀吉の姉と婚姻してるのか。
やはり秀吉は国人の子供だったんだろうな。
0212名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 08:58:02ID:bTriU6w6ようするに半農半士の子。
それが大げさに表現されて「農民の子」とか言われた。
半農半士といっても、当時はよっぽどの上級武士以外は
農村に居て農業を兼務するのは当たり前だったし。
それなりの武士でもおかしくない。
確か秀吉の乳は足軽大将の地位だったはず。
0213212
2006/10/05(木) 08:58:59ID:bTriU6w60214やきにく
2006/10/05(木) 10:17:04ID:pqda/B+K武士と農民、国人大名と土豪なんて区別はないに等しかったわけで。
0215名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 18:43:12ID:Q2vd8/rT吉房の墓
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/n_16_honkoku2.htm
ともの墓は善正寺
http://www.h5.dion.ne.jp/~zikkoji/houjyoue.htm
http://www.hal-kyoto.com/ki/kyosikai/q_and_a/chikusyozuka/index.html
渡辺世祐氏によると善正寺にあるのは、秀次の墓じゃなくて秀勝の墓らしいけど。
ともは最初、嵯峨に善正寺をたてて1600年に現在地に移したらしい
0216名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 20:46:50ID:4ShDYLoT浅野・木下家に兄弟が居たねねより悲惨かもな。
0217名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 20:48:51ID:7p72Ia69というか、弟が息子殺して、夫を追放したんだからなぁ。
ただの百姓やってれば、こんな悲惨な目にあわんですんだんだろうに。
0218名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 01:11:08ID:qXW725kN案外、その腹いせがあったのかも?
ともの晩年は悲惨だったと思う。他の息子も、秀勝は秀吉の無謀な出兵が原因で、秀保も秀吉の暗殺説もある。年が寄ってから、家庭崩壊させられた。ある意味で、お市以上の悲劇かもしれない。
お市は美人で、ともはダサい百姓老婆のイメージがあるから、お市のように同情されて悲劇のヒロインに持ち上げられることがないんだろうね?
案外、北政所は、ともの不幸に同情してたかも?
0219名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 10:22:16ID:KmndnXS5姉は一家崩壊、弟は酷使されて早死に。妹も兄の政略結婚のせいで鬱病だし。
正妻と妾が争って、息子は殺されるし。ちゃんと、淀から秀頼を取り上げて、
北の政所のもとで養育させれば、もっとましな展開になったろうに。
もともと下層から成り上がって環境の激変があったとしても、不幸の多くは
秀吉の不徳のせいとしか思えないな。
0220名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 13:28:20ID:NJ2qv1U70221名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 22:43:26ID:trVVuwcd今までの秀吉視点での立身出世物語とはまったく雰囲気の異なるものになりそうだし。
0222名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 00:10:05ID:qNZc/96m恐ろしく冷徹な、怪物のような秀吉像が見られそうだね。
0223名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 00:40:53ID:Ww7Hgvk60224名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 00:58:44ID:gMw5JtCt秀吉に毒殺された説もあるよな
0225名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 01:05:54ID:qNZc/96m秀長が毒殺だったかどうかはわからないが、秀長も、兄に親兄弟が将棋の駒のように
扱われて、内心思うところもあっただろう。実の父親も追放同然で追い出されたわけだし。
秀吉がもし秀長を暗殺するとしたら、秀長がそういう機微を、ふっと秀吉の前で出してしまった
時にそう考えるかもしれない。「こいつ、オレを恨んでいるのか?」って。
0226名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 01:16:16ID:hXdHOsrd0227名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 01:37:36ID:Ww7Hgvk6当時は、まだ大政所も健在だったし、秀長は有能で権勢欲もあまり強くないから、秀吉は頼りにしてたのかも?
秀長が死んでから、秀吉は目に見えて狂ってるね
0228名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 02:55:47ID:25ecYUGr親兄弟が将棋の駒の様に〜ってもそんなのは何処の大名・武士も一緒、
それでさえも生活が保障されてるだけまだどこぞの百姓よりはましだろうね。
特に百姓身分の女なんて子供生むだけの農奴みたいなもん、
夫が死ねば自分や家族を養うために新しい夫へ、自分が子供を生めなければあっさり捨てられる、
当然男は男で農業の重労働をこなしながらの賦役や兵役、大半の農民はただの雑兵として死ぬか、
貧しい生活をしながら一生年貢を払い続けるだけの一生を送るかしかない存在だぞ。
0229名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 03:03:12ID:UWoN0LQWあっちは小説としては滅茶苦茶面白かったが
>>228
信長も家康も一族は彼らのせいで大なり小なり不幸になってる
けど秀吉は豊臣家自体が滅亡してしまったからな
生き残って血筋を残したのは豊臣完子くらいだし
そう考えるとやはり権力者と言うのは業が深いな
0230名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 03:06:56ID:qNZc/96mとっくに否定された農民暗黒史観を恥ずかしげもなく披露されても…。
それに、秀吉の実家が貧農だと言うのも今はほぼ否定されている。
豪族と豪農の間くらいの家柄と言うのが今の主流。実は前田利家の実家と大差ないくらい。
0231名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 03:35:05ID:25ecYUGr戦国時代の農民が大名・武士に比べて悪い待遇でないと?
もはやただの珍説だねそれは。
また利家の実家といえば荒子に2千貫の領主、信長に利家を小姓として
仕官させれる位の力を持った家、
「農民ではなかったかもね」程度しか言われてない秀吉と大差ないとは、
秀吉の実家がどれくらいの家だったかご教授願いたいもんだ。
0232名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 12:47:16ID:+oXuYSpv0233名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 12:48:21ID:757FKoZPまぁ、あれだ。少なくともいえるのは秀吉ってのは、家族愛が
ありそうでないってことだ。もしくは、非常に自分本位な家族
愛の持ち主だっていうかね。周囲も大変だったろうなと思うが。
秀吉が人を殺すのを嫌ったとうのと同じように、家族に対する
愛情が深いっていうのも、誤ったイメージなわけ。秀次なんて
その最大の被害者だしな。
0234名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 13:18:00ID:UWoN0LQW秀次粛清も結局のところは実子の秀頼可愛さから出たもの
秀吉の家族愛は愚かではあったが自分本位だったとは思わない
0235名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 17:58:47ID:qNZc/96m武士と農民が階級として分離されていない時代だぞ?そこを理解してる?
秀吉の実父が織田家に仕えていたのも秀吉が今川の松下家に仕えていたのも
秀吉の「木下家」が、当時の支配構造の中で、少なくとも最小単位を担っていた階級だったからだよ。
絵本太閤記みたいなエピソードはただのファンタジーだよ。
秀吉自身が小物として信長近辺に仕えられた理由。織田家家臣の浅井家から嫁を迎えられた
理由。名目上とはいえ利家と親友付き合いができたという理由。
それが、秀吉の才覚だけで可能になったと考えるのなら、当時の社会を全く君は理解していない。
0236名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 05:04:38ID:prCxjxme「実は前田利家の実家と大差ない」なんてのは有り得ないな
最大限好意的に解釈しても没落した足軽頭の家に過ぎない
0237名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 08:50:30ID:D4YjrV6i0238名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 14:24:03ID:DTjHJRCW武士と農民が混同されるのはよっぽどの底辺で一介の足軽とかそこらへん、
だから秀吉の家はまさにその底辺で百姓と変わりない存在、特に父の死後はね。
また秀吉が今川家に仕えたのは単なる小者として、
秀吉の父が織田家に仕えれたのも一介の足軽として、
秀吉が父の家督も継げずに各地を放浪したというのがその証拠であり、
当時の支配体制での秀吉の家の地位はしょせん百姓か足軽か?程度のものでしかなく、
父の死後からのスタートは百姓からのスタートと変わりない。
>秀吉自身が小物として信長近辺に仕えられた理由。織田家家臣の浅井家から嫁を迎えられた
>理由。名目上とはいえ利家と親友付き合いができたという理由。
ここらへんははっきり言って秀吉の才覚以外の何ものでもない、
ただし小者として信長に仕えたというのは底辺からの話であり、信長近辺とかではない、
浅井家も当時では単なる弓衆であり大した家柄でもなくむしろ下の方、
(浅野長勝に実子がいないこと大きかったかもね)小者として仕官していた、
もしくはある程度出世したいたであろう秀吉とはそこまで身分違いの話ではない。
で、理解してない俺に>実は前田利家の実家と大差ないくらい。
というのを具体的に教えてくれよ。
0239名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 16:23:23ID:DTjHJRCW間違えた、浅井じゃない浅野ね。
0240名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 19:00:58ID:sXqsUBhpそれまでは今ひとつわからんのじゃなかった?
ところで秀次の父の長尾家って元々土豪?
0241名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 19:17:38ID:dj1Gfv0C0242名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 21:31:25ID:eQMDY3Hi家督www
0243名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 21:33:07ID:mQ3kevNp「何をやっていたか?」と言う点に関して、色んな説があるのは聞いたことあるが、
荒子城主の前田氏と大差ないとまで言い切ったのははじめて見た。
0244名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 22:18:35ID:oM5clJHN0245名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 01:22:50ID:HUG4Xh+G0246名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 04:40:41ID:7PGKSmSRだから父は足軽で、小者として仕え始めた秀吉はまさに最下層。
一方の利家は2000貫の領主の息子で自身は14歳で50貫、
家督を継ぐ前に450貫(家督相続後は2450貫)の知行を得ていた利家とはまさに雲泥の差がある。
まあ秀吉がいかに凄まじい出世を果たしたかってのが分かるね。
0247名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 05:03:44ID:7TVutE0lhttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4101309329
この本の秀次はちょっとすごいな。内容はムチャクチャだが「これなら秀吉も妻子丸ごと皆殺しするなあ」って納得してしまったw
あと
http://www.hidetugu.jp/
こんなのあるのね。
0248名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 10:33:40ID:HUG4Xh+G自分は未見だが大河ドラマの秀次もこんな感じだったんだろうか
0249名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 11:44:41ID:RoYqpGOy個人的には大河の方がまだ納得できる、
学問にしても政治にしても頑張ってはいるけどどこか空回りしてる所も
大河では一応描いている感じではあったし。
倶楽部ではまるっきり、美化して物凄い善政の優秀な政治家のように書かれてるけど
大河ではそこまでやってない、最期の演出がカッコよかっただけw
0250名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 19:22:04ID:CSLSn4Jpなぜ筑前は頼朝の轍を踏んでしまったんだ
0251名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 20:28:25ID:7TVutE0l個人うんぬんよりも、家臣団の方が力が強い連合政権的な政府は、結局
長続きしない、ってことじゃないかな?鎌倉幕府が安定したのは北条氏の絶対的指導力が
確立してからだし、徳川幕府は配下の親藩、譜代、外様にそれぞれ権威、権力、財力、を
分散させる事により将軍家への求心力を高め、長期安定政権を築いた。
そういう意味で秀吉の政権には知恵が無いわな。室町幕府の延長線上にしか過ぎないように
見えるよ。
0252名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 20:53:39ID:pEdFuXucそもそも秀吉が「自らがトップの政権」を構想し始めたのは本能寺の後だろうし。
0253名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 21:31:34ID:cGkSMPFP初期の扱いは数少ない一門の有効利用って感じだったしな。
0254名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 22:29:16ID:LrKl4ObSこの漫画の三好笑岩さん家紋が丸に三になってる。
松皮菱知らんのか?
0255名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 02:51:56ID:K92NE9TG秀次の父親については、>>210・>>215以外に、長尾姓だという説や、大高村の農民説などがあるみたい。
母ともと年令差もあるし、ともは、秀次を産む以前に誰かと婚姻歴があったのかな?なんて思ったりもする。末っ子の秀保とは46才も離れてるし、何だか不自然だもんねぇ。
0256名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 04:15:55ID:a91LP7db秀吉が小物だったかはわからんわけだが。
ただ前田よりは下だったろうとは思う。
0257名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 14:53:30ID:orKJgOx5秀吉時代は別に家臣団の力は強くない、少なくとも室町・鎌倉に比べれば遥かに秀吉の独裁といえる、
家臣団の力が向上するのは秀頼が幼君であったために権力が家臣の手に委ねられてしまったから、
秀頼を補佐できる親族も居なかったし。
豊臣政権の泣き所はよく言われるように結局は親族の少なさと譜代の臣が居ないことでしょう、
特に晩年まで子供が居ないのは痛かった、家康みたいに息子達に領土を与える事も出来なかったし。
まあ秀頼の誕生も最悪のタイミングだったけどね。
あと徳川も豊臣の延長線みたいなもんで、言われてるほどの差は無い。
0258名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 16:00:53ID:y060xk8F親族の少なさと譜代が居ないのは、そのまま豊臣家と徳川家の政権構造の差であって、
それは大きな違いがあると思うんだけど?
0259名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 16:16:12ID:9DQTzJrR子飼いの七本槍や奉行衆の登用で親族・譜代の薄さを補おうとしたわけで・・・
そういう様々な工夫で辛うじて成立してたのが豊臣政権なわけよ
結局後継者が幼いため外様の中央への介入を黙認する羽目になり、秀吉死後脆くも瓦解してしまうわけだが、
逆に言えばその脆いバランスの政権を生前ともかくも保っていた秀吉は
やはり一流の政治感覚の持ち主だったと言うしかない
少なくとも豊臣政権を室町幕府の延長線上に捉えたりするのは誤り
0260名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 17:08:11ID:MOq6L5mlつーか、五大老なんて機構を作って、それにいたよっている時点でもう…。
例えば徳川幕府の時代に、老中筆頭に前田家とか伊達家の人間が着いたら
普通政権簒奪されたって理解するでしょ。どんな人でも。
0261名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 17:29:32ID:9DQTzJrR一族に人材が無く、跡継ぎが幼君である秀頼を支えるために秀吉が最晩年に構築したもの
五大老は外様の有力大名を中央に参画させることで政権運営をさせると同時に、
お互いに監視させることで特定大名が権力を濫用することを防ぐ狙いがあった
この五大老の人選はなかなか秀吉も考えたようで、
実力ナンバーワンの家康に対して前田=宇喜多、毛利=小早川の縁戚大名が
合同して対立するように作られてる
まあ所詮は一時凌ぎの苦肉の策、秀吉死後に野望を露にした家康に速攻で無効にされてしまうが、
当時の秀吉には他に取る手段が無かったんだろう
秀次さえ存命ならこんなものに頼る必要は無かったんだけどね、こればかりは自業自得としか言い様がない
0262名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 21:27:19ID:hk1HkIGT徳川毛利上杉などの巨大な大名を政治的に抑えるしかなかったしな。
0263名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 22:36:58ID:MOq6L5mlむしろ秀吉の体制って、西日本は羽柴(豊臣)−毛利同盟で、東日本は豊臣−徳川同盟で
押さえた体制、ってふうにも見れるな。んで、秀吉がやじろべえの真ん中。
0264名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 02:42:43ID:+35mQxNP譜代がいないってのは、徳川みたいな古くからの譜代が居ないって事ね、
豊臣家に譜代が居ないわけじゃない、親族も同じく少ないけど存在する、
ただそれは程度問題の話であり、政権構造自体の差異という程ではない。
>>263
秀吉存命中は徳川も毛利も秀吉の同盟相手と言えるほどの力は無いでしょ。
0265名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 16:14:23ID:6QhAzCkO同盟ではないが、ナンバー2を二精力作ってバランスを取ろうとしていた。
豊臣本家220万石
徳川256万石
毛利120+小早川36万石+吉川14万石+毛利秀包13万石=183万石
小早川隆景が生きていれば、東:徳川、西:毛利でバランスを取ろうとしていたのがわかる。
隆景が死んで、ぜんぶおじゃん。
秀吉のナンバー2模索は、秀長の死から始まり、
・秀長
・秀次(←ここまでは身内)
・徳川と毛利with小早川隆景
・徳川と前田
の流れになっている。
優柔不断かつ日和見と言う点では毛利以上、
味方としては一番できの悪い前田に運命を託したところで、ジ・エンド。
0266名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 01:29:53ID:50RVn+VP内府違いの詰問状の件では、反徳川の大名を纏め上げた。
利家側
毛利輝元、上杉景勝、宇喜田秀家、細川忠興、加藤清正、加藤嘉明、浅野幸長
佐竹義宣、立花宗茂、小早川秀包、小西行長、長宗我部盛親、浅野長政、前田玄以
増田長盛、長束正家、石田三成
家康側
伊達政宗、福島正則、池田輝政、黒田長政、藤堂高虎、森忠政、織田有楽
黒田如水、有馬則頼、金森素玄、新庄直頼
利家が家康よりも長生きしたならばそもそも関ケ原自体発生してないし、徳川幕府
自体の成立も怪しかっただろう。
0267名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 02:04:31ID:C3UZwvNcまぁ、それじゃあ良くっても三国志にしかならんわな。
実際は、豊臣家を蚊帳の外においての東西決戦だったが。
0268名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 02:13:46ID:/AAN/khkどうかな・・・その後の家康暗殺未遂事件、利家なら切り抜けられたと確実に言えるかどうか、
正直怪しい。そこまでの力が利家にあったなら、もっと事前に打てる手はいくらでもあったろう。
0269名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 02:26:52ID:C3UZwvNc有り金全部賭けるなら、家康と利家のどっちを選ぶかって言われりゃ、
迷わず家康を選ぶもんなぁ。
0270名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 02:38:01ID:/AAN/khk利家には野望自体が無く、当然家を賭けてまで博打に出るはずも無い。
むしろそういう人物だったからこそ最後まで秀吉から警戒されず、信用されたわけで。
何よりもこれが大きい。覚悟の無い人間では自ら旗頭になれようはずが無い。
かといって反家康派に神輿にされるほど無能ではない。
いざとなったら家康と組んで平和裏に政権交代ぐらい訳無くやってのける。
0271名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 09:01:00ID:U2r0bn2t利家に家康を打倒できるだけの実力があったかどうかは疑問だけどな
0272名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 13:28:01ID:Ko9pBDAE>もっと事前に打てる手はいくらでもあったろう。
例えば具体的にどんなだろう?
三成を隠居させるとか武断派との仲立ちとか?
利家死後、家康が活発に動き出した事や、三成vs武断派の確執が表沙汰になったからなぁ。
>>270
>覚悟の無い人間では自ら旗頭になれようはずが無い。
利家は家康と一戦もやむなしって腹づもりでだったんだが。
実際堀尾吉晴らの仲裁がなければ戦になっててもおかしくない位の状況だった。
何をもって覚悟がないとか言うのか。
0273名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 18:43:39ID:p8Ve58Mr家康を倒した後、秀頼が成人するまで、天下を背負って立つ
覚悟があったとはとても思えないがな。
で、それができなきゃ、また戦乱が始まる可能性はかなり高い
しな。家康は勝ったあと即座に天下を固めたが、利家にはその
能力も覚悟もないわな。(まぁ、ただの一戦で天下を決めて
しまうなんて芸当は、家康以外にゃできないだろうけど)
0274名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 19:21:09ID:Ko9pBDAE>家康を倒した後、秀頼が成人するまで、天下を背負って立つ
>覚悟があったとはとても思えないがな。
すでにわけわかめなわけだが。
後見人として上座で秀頼を抱いて諸大名の参賀の礼を受けたり、遺言で利長に豊臣家の危機の際には
在京の軍勢と自領の軍勢半分を率いて豊臣家を守れと残してるくらいだし。
内府詰問では、五大老筆頭で石高も倍くらい違う家康に対して堂々と渡り合ってる。
島津加増では家康の反対を押し切って断行してるし。
これで豊家重臣としての覚悟が無いってんならどう説明するのさ。
>また戦乱が始まる可能性はかなり高いしな。
>家康は勝ったあと即座に天下を固めたが、利家にはその能力も覚悟もないわな。
というか、何を持って利家には覚悟も無いとか、戦乱が起こる可能性が高いとか脳内で断定して、
自分の妄想を垂れ流してるのかがわからん。
タイムマシンで過去に戻って利家を見てきたのか?
家康がいない豊臣天下行く末のIfの時代でも見てきたのか?
領国経営、軍事能力は過去の経歴からみても利家は家康に及ばないと思うが、
豊臣家の安泰を願って家康と対等以上に渡り合ってる。
他人の好みはどうでもいいが、自分の好みで勝手に妄想ソースで利家には覚悟も能力も無いって断定してるのが痛すぎる。
それに利家が>>273の言うような無能な人間だったら、家康も当時の平均寿命を越えた
高齢って危機的状況の中なぜ利家の死を待ったかのよう動き出したのか。
寿命で死ぬ可能性がかなり高い状況でそこまで時を待ったのはそれだけ利家を侮れない
人間だと思ってたからだろ。
0275名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 19:58:29ID:p8Ve58Mrまぁ、利家大好きなのはわかったからさw
必死に長文書いて、痛々しいぞw
まぁ、幼君の下で、利家が補佐して徳川家を滅亡させてさらにその
残党を蠢動させず、不安にかられる他の大大名も抑えきると。
なかなか、天下が取れそうだな。利家すげーやw
0276名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:03:32ID:67JTu5gj秀吉もそのあたりの事を重々わかっていたから、晩年特に前田の権威を高めるように努めた。
毛利上杉をさしおいて大納言にしたり、秀頼の後見人にしたりな。
秀吉は利家に名実ともに豊臣政権保守派筆頭の地位を与えたわけよ。
実際利家はとても人望があったし、その地位に立つべき人物だと思われていたわけよ
この利家が秀頼とともに大坂城にいるかぎり、家康といえどもだいそれたことはできなかった。
つまり利家が生きて家康に牽制を加え続けていれば、家康の台頭を防ぐ事はできたと思う。
利家はその時代家康と唯一同格と言える人物だったし、家康から喧嘩を売れば
勝てないだろう。
0277名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:16:23ID:U2r0bn2t利家に覚悟(笑)が無かったという根拠を述べなければお話にならない
0278名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:27:15ID:50RVn+VPそういや鳥屋って糞コテも利家嫌いみたいで、どこから拾ってきたかわからん
妄想ソース垂れ流して利家叩きしてたがID:p8Ve58Mrからは同じ臭いがする。
0279織田常真
2006/10/23(月) 22:54:40ID:6PEu8ToF0280名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 00:16:12ID:rensGvwuただの人になったおまいの言う事は誰もきかないだろうよ
0281名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 11:19:06ID:8TnJMQQA499 名前:鳥屋尾宅間守 ◆Mzllk81HNE 投稿日:2006/04/21(金) 23:42:08
んだね。高坂、陶、井伊は文句なく有能な男達であるのは疑いないわけだ。
尻で前田家の家督を相続した利家と同列にされても困るわな。
まあ大納言まで登りつめたのは秀吉が家康を牽制するためだったことは誰の目にも明らかだったわけで。
「なんの取り柄もない男だが秀頼のことは粗略にすまい。」とだけ秀吉は思ったわけで。
しかし唯一の希望もこの男は裏切ったがね。
死期が近づいて、いよいよという時に息子利長を呼び寄せ
「おまえは金沢に帰り八千を率い、利政には大坂に八千詰めさせ有事に備えよ」と言ったというが、この話が事実だとしたら利家も本当にわざとらしい男だな。
利政ならともかく、利長がそのような物騒な命令を聞くタマかどうか親ならわかるだろうに。利家はおそらく実行しないことを見越して、ただ自己満足のために戯言をほざいただけだろ?
また家康が見舞いにきた際「わしは長くあり申さん。息子をお頼み申す。」と涙ながらに訴えたという話もある。
後の前田藩が幕府におもねるため、史書をそう書き替えたとも考えられるが、しかし、いままでの利家の処世術を考えると、これが一番しっくりくる。おそらく事実ではないかな。
中には「家康が見舞いに来たら差し違える」と言った話もあるが、絶対うそだなwへたれ利家にそんな度胸があるわきゃないwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0282名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 11:27:29ID:K5MQjh0x0283名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 00:49:38ID:HRXr//DQ別に批判してるわけではなく、そういう柔軟性を持てた大名だと思う。
情勢を冷静に見極める能力は長けてるし、あの情勢下で、家康に対して批判を行うのはともかく、
豊臣家のために合戦まで起こす事に利があるならやるだろうが、果たしてあるだろうか?
逆に家康も豊臣も倒して天下を取ろうとでも思っていたならともかく。
そういうわけでもない、秀頼の事は本気で案じている事は疑いないし。
上杉景勝のような意地が先行する頭の固いタイプならともかく、利家がそんな愚行に及ぶとは思えない。
かと言って軽視されては困ると言う事で、婚姻を始めた家康に素早く批判を行い、
存在感を見せ付けている政治的な手腕はさすがだと思う。
家康と刺し違える云々も情勢次第ではそういうことも考えたんじゃないだろうか。
だがあくまで政治的な解決を求めていたんだと思う。
そういう意味で、利家が居た方がかえって徳川政権への委譲がスムーズに行ったのでは?
というのは同意。一番中立な立場でかつ現実を見る事が出来た人物だと思う。
0284名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 01:45:43ID:9cCepxr4ほとんど胴衣なんだけど一つ
>利家が居た方がかえって徳川政権への委譲がスムーズに行ったのでは?
俺たちはパックストクガワーナを知ってるから、豊臣政権が続くより徳川政権のほうが
長期安定政権なんだろうと知っているが、当時の人達から見たらどうだろうか。
スレタイでもあるように、晩年の秀吉はたしかに朝鮮出兵や秀次を自刃においやるなど
愚行ともいえる事を行ったが、それでも政権としては今までに無いほど確固たるもので、
嫡子秀頼が成人するまで利家亡き後家康がサポートを続けていれば、江戸時代以上に
長期安定政権になって、西欧諸国とも対等に渡り合えてたかも知れん。
無論あっという間に西欧諸国の植民地になってたかもしれないが。
なんにせよ、豊臣政権下で家康の力が強くなったから平和的に政権移譲しよう
ってよりも、せっかく何百年と続いてきた戦乱期を強大な力で収めたのだから、
現政権を維持する方が何百倍も確実だし、利家もそうした意向の遺言も残してるし
豊家よりも強大な力を持つ徳川家を危険視してたと思うんだが。
0285名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 03:12:05ID:ljAPdbPQありえん、利家がそんな人物だったら家康を詰問なんかしないし、
利家の立場を考えれば徳川政権への委譲の何処が中立かつ現実的なのか・・・。
0286名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 05:06:49ID:hI4EfZH4秀次と家康は仲が良かったから平和裏に政権交代が云々と逝って突っ込まれてた人
相手にしなくていいよ
0287名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 15:42:57ID:GS0yfQdMそうするとその後の豊臣政権はどうなるだろうか?
とりあえず前田、上杉、佐竹辺りで徳川領はもってかれそうだ。
0288名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 17:39:17ID:WSr9mcVC前田は大谷領の越前を併合して、関東の一部30万石あたりで大谷とか
深く考えずに即レスしてみた
0289名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 02:02:37ID:yKuE19BD伏見城は味気ない。
0290名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 08:58:22ID:ZfK5EgSg0291名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 04:20:57ID:Zg5Di7dP0292名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 00:29:27ID:MX9b6EZW殺生関白とか畜生塚の話とかドン引きだろ
けど知名度自体は実績と比較したらこんなもんじゃないの
秀吉の後を継いで関白になったといっても実権は殆ど秀吉が握ってたし、統治期間も短かった
日本史の用語集で取り上げられるくらいの評価で妥当
0293名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 19:36:35ID:5nsco84/加藤清正や小早川秀秋は知らなかったが
秀次は知っていた。
見てた大河ドラマとかにもよるか。
0294名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 21:57:30ID:j43Ho1HQ清正や秀秋は用語集には出てるが教科書には出てなかったはず。
今はどうか知らないけど。
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2006/12/04(月) 22:55:42ID:KBje+nBQ関ヶ原を決定付けたとかで
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2006/12/04(月) 23:42:54ID:1ovF+/yn有名になることはなかっただろうな。
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2006/12/06(水) 22:02:59ID:stA5rH2X秀次の娘は大坂の陣で大坂方にはせ参じている。けっこう複雑だな。
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2007/02/04(日) 09:30:48ID:A4IVu1Q4の多さからして秀次の家系を豊臣宗家にするよう計るし、その場合豊臣秀頼を徳川家の結城秀康の様に別の
大大名にする、後宇喜多秀家や小早川秀秋達をうまく黙らせる、そして秀次家臣団と五奉行をうまく使う。
後は2代目としては徳川秀忠よりは条件はかなり悪いことは確か、特に徳川家康には警戒が必要だ、
また史実同様に淀&秀頼が秀次政権に歯向かった」場合取り潰しか、秀次が秀頼を攻めると思う
その時豊臣家蔵入地は秀次と秀頼でどう分割するのだろうか。
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2007/02/04(日) 09:38:59ID:A4IVu1Q4後々問題が起こりそう。あと豊臣秀次が2代目の場合キリスト巨布教を認めていれば
面白いけど。
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2007/02/04(日) 12:57:12ID:vJSDrkNm0301名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/04(日) 14:14:18ID:eLNBWP5l後詰の秀次軍の敗走により先鋒の池田勝入・森長可隊が孤立して全滅する羽目になったと
若輩の身だったとはいえ秀次の小牧・長久手における失態は非常に大きい
彼の経歴に後々まで暗い影を及ぼした気がする
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2007/02/04(日) 15:28:27ID:K/VCQpqv補佐の池田は母のコネで出世したさして才覚はない人物だし、
森も勇猛だが戦が巧いとは言い難い人物。
それなりに高い身分で老練な人物を補佐につけるべきだったな。
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2007/02/04(日) 17:43:18ID:/5+4TnWZ0304名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 17:21:37ID:Io8dqC6i小牧・長久手で秀次を逃がすために揃って討ち死にしたんだよね・・・
有能でも身分が高くもなかったかもしれんが、彼らが生きていて秀次を支え続けていれば
後年の秀吉との衝突の際に何らかの助けになったかもしれない
ていうかそういう人材自体が豊臣家に不足してるのが一番の問題だったか
0305名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 05:08:51ID:90XHXykP秀吉が外征で必死こいてる時に、勝手に
権力固めしてオナニーしてるようじゃ殺されて当然。
0306名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 05:22:52ID:teXP1HcS秀吉の機嫌をとるために朝鮮出兵の総大将として渡海すべき、
と助言しても相手にしなかったらしいな>秀次
秀吉の猜疑心から逃れるには確かにそれしかないし、
いざ秀吉と対決する際にも朝鮮出兵で築くであろう、
外征軍総大将としての戦績と人脈は決して無駄にはならないと思うんだが
何で拒否したか謎、心底から腑抜けてたのかね
0307名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 07:18:30ID:xI3sjT0Kそれが家康が利家のいた頃はあまり露骨なことできなかった理由。
0308名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 08:08:09ID:xI3sjT0K公家に贈り物したりしたのは
返ってまずかったと思われ。
0309人間七七四年
2007/02/15(木) 21:43:07ID:ORc80AnS0310人間七七四年
2007/03/23(金) 23:30:26ID:hjMIcpht秀次の広大な屋敷も前田のものになり、豊臣政権内での地位も一段と
あがった。
0311人間七七四年
2007/03/24(土) 04:17:17ID:VL4ecGMp0313人間七七四五年
2007/03/26(月) 08:21:59ID:8T6UFioS0314人間七七四年
2007/05/06(日) 00:20:41ID:ASY6ZRTh0316人間七七四年
2007/05/15(火) 01:09:21ID:k43Bn3Dlそんな絵が残ってるのか・・・驚愕。
どこかで見れませんか?
0317人間七七四年
2007/06/26(火) 05:03:38ID:yFMrQBud0318人間七七四年
2007/06/26(火) 14:44:09ID:jtJeVgie藤堂が2万石ならもっと大身がいそうなのですが・・・
0319人間七七四年
2007/07/07(土) 04:14:05ID:XOfMh9AX同じ失脚させるにしろ、もう少し上手くやって姫ぐらい残しておけば豊臣の力になったのに・・・
0320人間七七四年
2007/07/07(土) 04:28:23ID:/quwE60v秀吉は当事既に、豊臣一門の事よりも秀頼の将来の事のみしか考えて無いのだから仕方あるまい。
豊臣権力を秀頼から奪う第一候補は身内なのだから。
0321人間七七四年
2007/07/07(土) 04:41:09ID:bsG2QP2L隆精院がそうだな
つうか姫なんか残しても豊臣家には大して影響しないだろ
影響しないから助命したわけで
0322人間七七四年
2007/07/07(土) 06:09:24ID:Tzz/nJlmこの隆精院ってこの事件のとき何歳だったのかな?
真田信繁と婚姻してたのだから相応の年齢じゃないとおかしいけど
秀次自身が28歳だったんだから、彼女の年齢は・・・
0323人間七七四年
2007/07/07(土) 06:37:20ID:bsG2QP2L彼女の旦那である幸村自身隆精院の父親である秀次より一歳年長なわけで、
親子ほど年の離れた夫婦関係だったことは間違いないよ
0324人間七七四年
2007/07/07(土) 07:26:13ID:uzkCdJNx石高的に大身はいたけど
(羽田4万8千石、桑山3万石、本田2万5千石、箸尾2万石)
筆頭家老は藤堂のはず。
石高でかいのは秀吉直参を譲り受けたのが多いから、新参といえば新参。
0325人間七七四年
2007/07/08(日) 00:07:20ID:joBMHY6P身内の大和豊臣や秀次を潰し
自身も警戒してた黒田や、碌で主家を上回る徳川を残すのが不可解だよな
一門より他人を信頼する、あまり例を見ない男だった
見事に裏目に出たわけだが
0326人間七七四年
2007/07/08(日) 13:03:08ID:nc5J+yJB単に関東と言う場所を甘く見ていたんだと思う。
たとえ禄が大きかろうと中央から離れた関東に追いやっておけば何もできまいと言う自負。
実際に、秀吉は信長配下のころも蹂躙される武田・上杉しか見て無いし、
小田原での合戦も圧勝に終わって東で苦労はして無い。
軽んじても無理は無いといえる。
それでも蒲生を置いたり無理矢理上杉を膨らませて置いたりと、
見張り役はつけてるしちゃんと警戒も怠ってないが、心のどこかに「たかが関東」という
気持ちがあったのは否定できない気がする
0327人間七七四年
2007/07/08(日) 21:55:01ID:Hx1kp2HN幼い秀頼から「豊臣権力」を奪い取る第一候補は、同じ一族だし。
そのほかは決して「豊臣権力」は奪取できないからね。
家康も「豊臣権力」の外に新秩序を打ち立てたわけだし。
0328人間七七四年
2007/07/09(月) 02:09:42ID:7MFjgl2D羽柴家が断絶する危険性が高まることも分からなかったのかな?
不可解なほど負の部分ばかりが増幅されているあの足利義教だって
永享の乱や結城合戦の戦後処理で持氏一族を皆殺しにしようとはしなかった。
持氏の末っ子・永寿王は(側近たちの説得で渋々とはいえ)助命したし
持氏の妻妾や娘たちにいたっては最初から殺す気も無かった。
彼が永寿王を助命したのは室町将軍家断絶時の受け皿を確保するためであったはず。
仮に秀次が本当に叛乱なり秀吉暗殺などを計画していたとしても
秀次の子たちは絶対に殺してはいけなかった。
親族を粛清しまくって源氏宗家の断絶を早めてしまった源頼朝の轍を
秀吉は頼朝を遥かに上回る悪辣なやり方で踏んでしまったわけだ。
0329人間七七四年
2007/07/09(月) 03:14:41ID:wkFueev2まあ頼朝の方は、それなりに成長した子供が何人かいたから、流石に断絶するとは思わなかっただろうけどなw
足利はやっぱり強固な一門意識があるけど、秀吉にはそう言う一門意識ってものを一切感じないな。
そのあたりは所詮地生えの領主ではなく、織田家の軍務官僚の世界でのみのし上がってきた人間だったから、と
見えなくもない。
0330人間七七四年
2007/07/09(月) 20:25:44ID:zENkm0c7まあ年齢的に関が原の時点では何の力にも無らなかったかもしれんが。
0331人間七七四年
2007/07/09(月) 20:51:24ID:DEScSDfk0332人間七七四年
2007/07/09(月) 22:10:40ID:wkFueev2個人の能力じゃなくて、もし秀次事件がなかったら、「豊臣家世継ぎ」としても秀次家には無傷なまま数カ国にまたがる大領と、
豊臣家子飼いの直属軍民官僚群と、秀頼に何があってもその後をしっかりと固められる多くの後継者候補(秀次の子供達)がいた。
秀吉後の政権安定感が違うわな。
0333人間七七四年
2007/07/10(火) 00:14:34ID:2e+HR8ZL0334人間七七四年
2007/07/10(火) 02:25:36ID:/rD1dhYgその時点で本来ならば、秀頼は大御所の息子であって、「秀次の次の後継者候補」の一人に過ぎない。
にもかかわらず無理矢理剥奪して継がせようとしてしまった時点で立つべき名分は地に落ちた訳だ。
そこで今更、家康が力任せに何しようが豊臣家が何か言える義理はなくなってしまった。
だが結局傀儡にされようと後継者争いが起ころうと、秀次が関白のままで残るのであれば、
あくまで豊臣家内の名分が立ったままになってしまう、となれば家康も史実ほど力づくではいけなくなるだろね。
それでも家康の実力を考えれば結局権力は握ってしまうだろうし、秀次は傀儡かもしれんが、
傀儡だとしても残ると言う事は権威が残ると言う事、全然意味が違う。
秀次と家康では実力の桁が違っても子々孫々そうだという保証はどこにも無い。
0335人間七七四年
2007/07/11(水) 00:34:44ID:HlR1g5AKたとえ暗愚でも誰か一人でも生き残ってたら、歴史は変わっていただろうに。
0336人間七七四年
2007/07/11(水) 01:25:59ID:oiJG5YfF0337人間七七四年
2007/07/11(水) 21:42:03ID:VBHgkJet0338人間七七四年
2007/07/11(水) 22:12:34ID:eaqgxFDW0339人間七七四年
2007/07/15(日) 23:00:34ID:JJ29hDnZ名乗らせていたらしいね。近江に3000石の所領を持つ旗本になっている
ということだ。ただ、高台院死後は羽柴姓から木下姓に変更させられているようだが。
どなたか、このあたりの資料をネットにUPしている人はいないだろうか?
日出と足守、立石の各木下家よりも嫡流といえるのは、この近江木下家ではないだろうか。
準大名である立石木下家が秀頼の子孫でなければの話だが。
0340人間七七四年
2007/07/16(月) 00:21:59ID:ZDWh70O6秀吉を追放或いは殺すしかなかったのではないか?
ただこれをしたら内乱状態になってしまう・・・
秀次付きで山内、田中、堀尾などは残ったのに前野や木村が駄目だった
理由は何でしょう?
0341人間七七四年
2007/07/16(月) 03:05:59ID:hZ5ceL6q> 秀次付きで山内、田中、堀尾などは残ったのに前野や木村が駄目だった
> 理由は何でしょう?
生かしておいても(秀頼にとって)害がないと判断されたかどうか。前野や木村は大物だから
変な政治力を発揮される事を恐れたんでしょ。
0342人間七七四年
2007/07/16(月) 03:20:33ID:DSTbIXxg0343人間七七四年
2007/07/16(月) 04:46:13ID:NYc/smhg諸大名から自分に忠誠を誓わせる誓紙をとったりするのは止めた方が良かったな
秀次には秀吉への叛意は無かったと部下だった甫庵は記してるが、こんなことしてたら疑われても仕方ない
如水の勧めどおり自分から外征軍の総大将買ってでるなり、ともかく秀吉に二心の無いことを示さなきゃいけなかった
0344人間七七四年
2007/07/16(月) 05:16:03ID:hZ5ceL6q> とりあえず義父の秀吉が唐入りで忙しい時に朝廷に内緒で献金したり、
> 諸大名から自分に忠誠を誓わせる誓紙をとったりするのは止めた方が良かったな
その辺は本当に秀吉にナイショでやったかどうかなんて怪しいものだ。
秀次の周りは秀吉の目が光りすぎるほどひかっていた訳で。秀吉の意向に反した行為を
そんなホイホイと行えたなんて、先ず信用できない。
秀次荒淫説と一緒で、後付の理屈と考えた方が自然だろう。
0345人間七七四年
2007/07/16(月) 05:28:58ID:NYc/smhg単に秀次が不注意だったとする方が理にかなってるだろう
あと秀次の嗜好殺人というのは怪しいものだが、彼が精力絶倫だったと言うのは間違いない事実
そのことを注意した秀吉の書状が現存してるし、六条河原で処刑された秀次の女房連中は30人以上だった
0346人間七七四年
2007/07/16(月) 08:02:43ID:UypARO3e秀吉が人に注意できるくらい品行方正か?
ホント秀吉って勝手な奴だなあw
0347人間七七四年
2007/07/16(月) 09:56:59ID:Ajc3IZeH一方的な被害者とするのは、秀頼貧弱説と同じく構成の後付けに過ぎない
0348人間七七四年
2007/07/16(月) 12:13:28ID:DSTbIXxgその中で少しでも自分の身を守ろうとしてただけに過ぎない、そういうのは策略とは言わない。
一族の少ない豊臣家にとって、秀次の子が多いことはむしろ歓迎すべきだったのにな。
0349人間七七四年
2007/07/16(月) 16:37:07ID:5XjpreNU気の毒だが浅慮というか・・・。
秀次生きてても豊臣だめになったんじゃない?
0350人間七七四年
2007/07/16(月) 17:07:25ID:e+5Asq3aけどな。経済力が圧倒的に違うんだから負ける事はあり得ないし。
0351人間七七四年
2007/07/16(月) 18:19:19ID:762wVGEGそんなことはおれらが後の歴史を知ってるからいえるわけで。
当時家康は律儀で通ってたし、又左だって安全牌ってわけじゃなかったろ。
もともと堀秀政は加賀の押さえとして越前に配置されてたともいわれてるし。
ようは徳川前田上杉毛利佐竹等は互いに牽制させるつもりだったのでは。
家康はなんかの時に使えるとでも思ってた・・・というか思わされたのかな。
その辺は家康が狸って言われる所以だろ。
信長にだってあれだけ忠実で、幾ら扱き使われても絶対服従してながら
本能寺起きたら河尻、穴山を煽動して殺させて甲信を併呑。
秀吉にだって生きてる間は手が出せないから絶対服従だけど、
死んだら豊家をのっとって、あまつさえ秀吉、秀長の墓を暴く。
・・・なんか書いてて、家康ってキレタいじめられっこみたい・・・
0352人間七七四年
2007/07/16(月) 21:07:43ID:NYc/smhg0353人間七七四年
2007/07/16(月) 21:56:01ID:DSTbIXxg北条みたいに真っ向から敵対してくれるなりするならともかく、
完全に服従してる上に豊臣家にとっても功労者である徳川を無理に押し潰す様な事をしては、
他の外様大名に示しがつかない。
それでも無理矢理押し通そうとすれば徳川に同情的な流れになる事は避けられない、
そして彼らが明日はわが身と恐怖心を抱いてしまったら最後、次々と離反者が相次ぐ。
特に秀吉の恩恵の少ない東国の連中はかなり危ない、味方の中でもあまりやる気は出してくれないだろう。
それでもかろうじて潰せるかもしれないが、多くの離反者に250万石の大大名である家康の連合軍を
力押しで叩き潰すとなったら1年や2年ではすまない。朝鮮出兵も真っ青の大損害になる事は容易に想像できる。
更に更にそこまでやってやっと東国を得ても、そこまで強引にやっておいて豊臣を信用する奴などいなくなるだろう
そんな政権に何の意味があるのか?
0354人間七七四年
2007/07/16(月) 23:12:56ID:O5Ay5sTK0355人間七七四年
2007/07/17(火) 00:01:38ID:jqut3Zke姉が秀吉より先に結婚していたなら秀吉の出身階層も推測できませんか?
0356人間七七四年
2007/07/17(火) 00:30:26ID:GuUR5kHAそこで諦めず、策略をめぐらして徳川を族滅するのが真の天才。
筑前が本来兼ね備えていたはずの天才的頭脳を駆使すれば
徳川を血祭りにあげるなどたやすきことだったといえる。
時代は遡るが、政敵を根こそぎ滅ぼしていった北条得宗家の例を見よ。
畠山、比企、梶原、千葉、三浦、毛利、安達、平頼綱・・・
政敵をすべて死滅させて強固な絶対権力を完成させたのが
足利義満・義教親子をも超える武家政権史上最強の名君・北条貞時公だ。
筑前は貞時公の前例に倣って徳川とその息のかかった勢力を血祭りにあげるべきだった。
討伐する理由がなければ作る、作れなければ徳川亭を奇襲攻撃して家康親子を討ち取る。
そう、あの日本史上空前絶後の壮挙(暴挙?)・平禅門の乱を再現すべきだったのだ。
0359人間七七四年
2007/07/17(火) 02:39:17ID:cDp2j71B250万石って家康に従っていた大名領や与力領含んでだろ。
そんなもん策略でなんとかなる。
大義名分なんぞいくらでも作れるんだよ。離反者が出ないようにな。
それにたかが家康程度に朝鮮出兵ほどの犠牲には間違いなくならない。
なぜなら北条征伐の先例があるから。
0360人間七七四年
2007/07/17(火) 04:17:22ID:/J/jg1Gp家康と同様毛利や伊達など、生き残った外様たちは皆、一度は敵対しながらも
秀吉に従う事で信頼を得て、秀吉はその証として領土と安全を保証してきた。
その中で同じ事をしてきた・・・どころか早くから従っていて服従している家康が結果的になんの落ち度もなく潰される。
だったら多くの外様にとっても自分たちだけは大丈夫なんて保証はどこにもなくなる。
それをいくらでもどうにかできると言われても、具体的に言ってもらえなければわかるわけない。
0361人間七七四年
2007/07/17(火) 08:35:35ID:tYPJoxzs国家安康君臣豊楽なみの粗探しをするか、
無ければ権力の力で捏造すればいい。
徳川が正論唱えても、末期の豊臣と同じで味方する者は少ない。
0362人間七七四年
2007/07/17(火) 10:28:46ID:ppZot70cあの時代、家康って秀吉と匹敵し得る唯一の存在でしょう
本当に天下平定するためには絶対潰しておくべき存在
家康潰されたからもしかしたらうちも、なんて思い上がった身の程知らずはほとんどいないと思う
0363人間七七四年
2007/07/17(火) 12:10:16ID:cDp2j71B5万石くらいを捨扶持に与えれば脱糞したうえ、取り繕うためか焼き味噌と
称して食べて、あまりの苦さに顔をしかめたところを絵師にかかれるよう
な男なら謀反をするような度胸はないだろう。
実力者とはいえ、当時の家康と秀吉にはかなりの力の差があったはず。
0364人間七七四年
2007/07/17(火) 12:57:56ID:r5SJIi6V話 を し て い る 奴 は 、
巣 に 帰 れ
0365人間七七四年
2007/07/17(火) 15:35:57ID:jUqJJr9/信雄のことはぁ?一応へタレでも大大名だぞ。取り潰すような理由でもないだろ。
あとは信包とか。
それに本題の秀次自体イチャモンつけて潰した様なもんだろ。家老の前野と木村も。
ところで若江八人衆って石田三成とかに仕えて関ヶ原で奮戦したのは有名だけど、
それ以前にどんな武功があったの?もともと秀吉あたりの直参だったんだっけ?
0366人間七七四年
2007/07/17(火) 17:11:20ID:PesQlCvp文禄4年(1595年)
◇関白豊臣秀次 朝鮮渡海の儀
1月16日 羽柴秀吉、島津義弘及び吉川広家へ来年の羽柴秀次の
名護屋への動座予定の準備、兵粮の入替、および釜山浦の兵站
基地において兵粮の調達を行うことを命令。また秀吉は朝鮮を
「九州同前」と認識しているので内輪替後に帰朝すべきこと、
在城周辺の耕地開作を指示。詳細は寺沢広高に伝達させること
を通知。──『島津家文書』『吉川家文書』
2月16日 山中長俊、朝鮮在陣中の吉川広家を慰労。来年の
羽柴秀次の動座・渡海について報告。詳細については寺沢広高
が伝達することを通知。──『吉川家文書』
0367人間七七四年
2007/07/17(火) 17:13:56ID:PesQlCvp◇関白秀次に暗雲立ちこめる
3月8日 羽柴秀吉、聚楽第において羽柴秀次と対面。
──『言経卿記』
3月27日 羽柴秀吉、禁裏に参内し先に羽柴秀頼が叙爵した御礼などを奏上。
──『公卿補任』
4月10日 羽柴秀吉、伏見城において聚楽第より下向した羽柴秀次と対面。
──『言経卿記』
4月16日 羽柴秀保(秀次実弟)が大和国郡山城にて、横死する事件が発生。
──『言経卿記』
0368人間七七四年
2007/07/17(火) 17:16:19ID:PesQlCvp◇秀次の命運尽きる
7月3日 羽柴秀次、謀反の嫌疑で、石田三成・増田長盛ら奉行衆
より、詰問を受ける。──『公卿補任』
7月8日 羽柴秀吉、羽柴秀次を召喚し、関白・左大臣の官職を剥奪、
羽柴秀次は出家し、高野山へ追放される。──『公卿補任』
7月10日 前田玄以・石田三成・増田長盛・長束正家ら奉行衆、
吉川広家へ羽柴秀次の高野山放逐を正式通知し、虚説を否定。
──『吉川家文書』
7月15日 羽柴秀次、高野山において、謀反の科により自害。
──『言経卿記』
7月15日 木村重茲、羽柴秀次に連座して京都山崎の大門寺で自刃。
──『日本史人物生没年表』
0369人間七七四年
2007/07/17(火) 17:19:53ID:PesQlCvp◇秀吉の秀頼溺愛に諸将憂う
7月12日 石田三成・増田長盛、全5ヶ条の「霊社上巻起請文」
を提出。諸大名に対し豊臣秀頼への表裏無く、盛り立てること。
諸事については秀吉の「御法度」「御置目」を遵守すること。
豊臣秀頼を疎略にし、「御法度」「御置目」に違反する者は、
例え誰であっても糺明の上成敗すべきこと。秀吉の恩恵を受けた
者共は子々孫々までも豊臣氏への忠誠を尽くすべきことを誓約。
──『大阪城天守閣所蔵木下家文書』
7月20日 羽柴秀吉、諸大名に豊臣秀頼に対する忠誠および
法度・御置目の遵守を誓わせる血判起請文を提出させる。
──『毛利家文書』
8月2日 羽柴秀次妻子妾等、京都三条河原に於いて秀次首級を
前に辞世の和歌を詠む。その後、全て処刑される。
──『特殊文書』『言経卿記』
9月3日 石田三成・増田長盛ら奉行衆、島津忠恒へ
「今度京都之儀」すなわち秀次事件に関して秀吉の
「御朱印」が発給された旨、事件は落着したことを通達。
──『島津家文書』
0370人間七七四年
2007/07/17(火) 18:49:28ID:TposnFwL筑前にとって家康は一応「味方」=家来には違いなかったが
大きな潜在的脅威であるには違いなかっただろ。
だからこそ彼は徳川を関東に「追放」したんじゃないか。
貴重な親族を無実の罪で殲滅して、逆に家康らを誅殺しなかった筑前。
羽柴家を自ら壊滅に追いやった筑前はキチガイと化していたのか。
0371人間七七四年
2007/07/17(火) 19:25:23ID:k7wNnWdEバカ秀吉
0372人間七七四年
2007/07/17(火) 22:59:32ID:/J/jg1Gp信雄は自分の提示した加増に異を唱えた訳で、その時点で全く意味が違う。
もしも秀吉が明らかに減俸をしようとしているのであれば、信雄に対しても同情する流れは出来たろうが、
加増すると言ってるのに、わがまま言ってるようでは世間も他の大名も味方はしてくれない。
むしろ黙って秀吉の恩恵を受けておけば領土的には得をするし、安全であると言う事の示しになる。
これは家康も同じ事、関東行きを蹴ってたら恐らく同じ運命辿っていただろう、
むしろ秀吉はそれを狙ってたかもしれない・・・が家康は素直に受けてしまった、これでは手の出しようがない。
だが秀次の場合、関白ではあっても固有の武力は大して持ってないわけで。
これは秀吉の意のままに出来てしまっても仕方がない、
だがそれですら最上のように後に遺恨を残してしまっているし、
関白と言う職がなんら権威の無いものと言う事を世に示してしまった。
別にこれは家康に限った話じゃない、秀吉は毛利も警戒していたし。
0373人間七七四年
2007/07/20(金) 07:23:34ID:xGEbKdWu0374人間七七四年
2007/07/23(月) 10:53:32ID:gsgZXEtvてっきり現職のまま処刑されたと思ってたよ
0375人間七七四年
2007/07/27(金) 21:30:22ID:CZAUI8Pv0376人間七七四年
2007/08/20(月) 09:18:59ID:nSLmuNLw0377人間七七四年
2007/10/05(金) 17:33:58ID:RnPVhYj50378人間七七四年
2007/10/05(金) 18:33:13ID:A+6ulb4P0379人間七七四年
2007/10/08(月) 07:47:52ID:m+wFFfo2謙信亡きのちに北条打倒に燃えて立ち上がり、秀吉の元で謀を巡らし千里の外で勝利を決する稀代の策謀家。
家康と北条が最も恐れた天才軍師渡瀬繁詮は秀吉の関東政策の頭脳として仕えて
その智略で危機に陥った自分の兄弟たちを救援すべく佐野・宇都宮・佐竹・上杉を動かし北条包囲を形成し北条始まって以来の最大の危機に叩き落とし小牧長久手の戦いに北条が援軍を送れないようにした鬼才の持ち主。
0381人間七七四年
2007/10/08(月) 09:48:57ID:LPXZLYXm謙信亡きのちに北条打倒に燃えて立ち上がり、秀吉の元で謀を巡らし千里の外で勝利を決する稀代の策謀家。
家康と北条が最も恐れた天才軍師渡瀬繁詮は秀吉の関東政策の頭脳として仕えて
その智略で危機に陥った自分の兄弟たちを救援すべく佐野・宇都宮・佐竹・上杉を動かし北条包囲を形成し北条始まって以来の最大の危機に叩き落とし小牧長久手の戦いに北条が援軍を送れないようにした鬼才の持ち主。
0383人間七七四年
2007/10/08(月) 19:34:41ID:yGrVNp4m0385人間七七四年
2007/10/10(水) 21:06:41ID:FseDQgM6渡瀬繁詮は播磨国衆で有馬則頼の女婿。
だから死後、所領は義弟の有馬豊氏のものとなり、繁詮の子孫は有馬家臣となった。
0386人間七七四年
2007/10/15(月) 18:30:40ID:aN+BSLdj0388人間七七四年
2007/10/27(土) 00:37:00ID:9e2IJM3D0390人間七七四年
2007/11/13(火) 21:59:18ID:LBAp8Ozr0391人間七七四年
2007/11/13(火) 22:08:02ID:tGLzJaZL0392人間七七四年
2007/11/22(木) 19:56:58ID:dwKbvERS身内を殺すことで脆弱になり自らの首を絞めてくれるから
後釜狙いの奴らには嬉しいことこの上ないだろうな
0393人間七七四年
2007/11/24(土) 22:13:42ID:o61tCgApいつ寝首をかかれないか、逃れようの無い恐怖心ばかりがめぐってたんだろう
0394人間七七四年
2007/11/25(日) 15:53:52ID:+yJgtVto一概にそうは言えない。
司馬氏の晋の例がある。
0395人間七七四年
2007/11/25(日) 16:05:13ID:FXQtCwVu0396人間七七四年
2007/11/28(水) 00:31:35ID:ofyegJeX0399人間七七四年
2008/02/24(日) 10:30:13ID:4MTkFeCC0400人間七七四年
2008/03/02(日) 00:55:58ID:Wvqg1Mtvこのほうが諸侯や庶民たちの支持を失わずにすむのは間違いないし
(実際に、北条貞時はを平禅門の乱を機に得宗家を全盛期に導いた)
不意をつかれた敵(=秀次一家)を確実に全滅させることもできる。
平頼綱一家は一人残らず討ち取られてその血筋は根絶やしにされた。
0401人間七七四年
2008/04/02(水) 20:20:38ID:jGQp5njD0403人間七七四年
2008/04/02(水) 23:36:51ID:3RmTcOhxあたりはどうなんだろうな
0404人間七七四年
2008/04/28(月) 20:29:48ID:HdKGD7he0405人間七七四年
2008/05/04(日) 10:56:51ID:Z630LwBv0406人間七七四年
2008/05/04(日) 13:09:20ID:ylHADNjW白山林戦は羽柴秀次は桶狭間戦時の今川義元みたいな感じだったのだろう。
ちょっと違うか・・・
0407人間七七四年
2008/05/04(日) 22:29:48ID:u0ieMDfe三成は秀次擁護派だろ
0408人間七七四年
2008/05/05(月) 00:05:39ID:IZk3/W0v0409人間七七四年
2008/05/05(月) 00:14:35ID:V2M/UYOcで「ヒデーやす」だったみたいだねえ。
0411人間七七四年
2008/05/11(日) 11:57:04ID:5i5ThFuT八幡掘もすごいものです。そのことは、蒲生家もいっています。近江八幡には、
おおきな銅像もあります。黒田官ベイも素晴らしいと言っています。
後世で作られた虚像に憤りは隠せません。
0412人間七七四年
2008/08/14(木) 00:34:09ID:0HapvOPp0413人間七七四年
2008/08/21(木) 07:24:02ID:f6hTsHWJ妻妾(有力者の子女が殆ど)皆殺しの現場に立ち会ってる人が、
「実は僕秀次擁護派です」って言っても信用はされん罠。
子女を殺された有力者達や、秀次と仲が良かった有力者や、秀次に金を借り睨まれた有力者は、
みんなアンチ三成派となって家康とつるんでしまった。
結果論だが余りにも豊臣家にとって痛かったわな。
0414人間七七四年
2008/08/21(木) 11:51:54ID:noARoO42小瀬甫奄の太閤記にはそう記されているが、そのネタ本の大田牛一の
大かうさまぐんきのうちじゃ書かれてないとかどっかのスレで見たが
まあ現物をどっちも確認してないのでわからんけど
0415人間七七四年
2008/08/24(日) 10:44:58ID:B9t2JU0x0417人間七七四年
2008/09/04(木) 02:38:37ID:BsIOqD/Oで家康とかもははー関白殿下とか言って頭下げてたの?
0419人間七七四年
2008/09/04(木) 19:11:49ID:vyirOCKO殿上人なんだから話し方にもそれなりのルールが有る
0420人間七七四年
2008/09/05(金) 00:50:37ID:pkMeJIpz0421人間七七四年
2008/10/27(月) 22:37:43ID:U6m3OayW0422人間七七四年
2008/11/14(金) 01:19:26ID:Qf8NsjIE中から羽柴家(豊臣)を再興すること自体は可能だよな。
0423人間七七四年
2008/11/14(金) 05:47:50ID:cRK+OnGo0424人間七七四年
2008/11/14(金) 05:52:36ID:RYYZqBY3秀吉、秀次、秀長、あと羽柴秀俊(小早川秀秋)だけ。
あとは家康も含めて、「殿」。
0425シマシュン
2008/11/14(金) 20:25:29ID:r+7LaCcJ豊太閤の私的生活 渡辺世祐 (講談社学術文庫)昭和55年 校訂 桑田忠親
36ページに
東京大学史料編纂所に京都瑞竜寺書出しの木下家系図がある。(中略)その文はつぎのとおりである。
日秀 羽柴武蔵守一路室、
一路法名建性院殿、三位法印日海大居士、
慶長十七年壬子八月十五日逝去
とあります。
よく一路は法名だといわれますが、上記の史料からすると
一路は諱(読みは、かずみち?)のような気がするのですが
皆さんはどう思いますか?
0426人間七七四年
2008/11/15(土) 04:42:18ID:TmeGRHWC0427人間七七四年
2008/11/16(日) 03:29:31ID:oWe3asEdアンチ石田で勝手に思考停止してるのはかまわんが、嘘はまきちらすなよ。流れとしては確か、
秀吉の不興を買ってしまった秀次のことで家老の前野が悩んでて石田に相談にしたら
石田のほうも困ってて、なんとか殿下にとりなおしえみるね、ってメールもらったところに
増田と(坊主の方の)前田が来て、ハイハイ無駄な抵抗オシマイ、これからお前らの皆殺しケテーイ
って通達に来たんだったはず。
というか、付け家老は前野はじめ木村や服部小平太など軒並み切腹させたれてるのに
お咎めなしの田中とか山内とかの連中ってなんかきな臭い。
>>426
笑岩ってさすがにもう死んでなかったっけ。
0428人間七七四年
2008/11/16(日) 04:24:35ID:xRUPXe240429人間七七四年
2008/11/16(日) 04:38:05ID:eVbAQ5Jgなんて話があるな。>秀次の教養
0430人間七七四年
2008/11/16(日) 06:18:20ID:W2zeO4lF0431人間七七四年
2008/11/18(火) 01:27:54ID:iPJydwk1血縁だけのボンクラではなくて、政権の2代目としてはそこそこの安定した君主にはなれたかもね。
血縁だけで能無しの実父にはだめだししてたし、それなりに物事を見極める力はあったんじゃないの。
それだけに、秀頼が誕生した時にもっとうまくたちまわってれば・・・
とも思うけど、あの頃の秀吉はもうボケてたし、
秀長がなくなちゃってるいじょう、誰もとりなせる奴がいないからな。石田位では焼け石に水。
前野さえ殺されたから、秀長が生きててもどうなったかあやしいけど。
一度後継者に指定されちゃった以上、今更降りるっていっても秀吉は疑心暗鬼になってるし
秀次は詰みでどうしようもなかったのかな。
田中とかは秀次をとりなすどころか讒言してたから、秀次死後とりたてられたともいわれるね>家老達
0432人間七七四年
2008/11/18(火) 01:55:39ID:xybM7AhT太閤に報告しなきゃいけないんじゃないかね
しかし子だくさんプラス側室おおすぎ
0433人間七七四年
2008/11/18(火) 14:23:36ID:TcJMo6Ed人となりというか素行が秀吉からは良く思われてなかったのかもね
権力を持ったご老人にはこれでもかというくらいヨイショしておかないと…
0434人間七七四年
2008/11/19(水) 21:08:28ID:tBdHfx2B秀次が秀頼に権力を渡さないんじゃねぇか、殺されちゃうんじゃねぇかってパラノイア状態だから
いくらヨイショしても無駄だろ。(そうでもなきゃあそこまで徹底的に一族皆殺しなんてしないでしょ)
多分、もう権力要らないし関白辞めて自分探しwに言ってくるわ、ってシャムに行こうとしてもやっぱり殺されたんじゃね。
ボケた独裁者ってこわいよね。なまじ秀吉は昔は人当たりよかっただけに凄惨だね。
現実的にかなり難しいけど、殺られる前に家康とか巻き込んで本当に謀反起こしたりはできなかったのかな。
ちょっかいだしたがりの伊達とかなら案外のってきたかもね。
0435人間七七四年
2008/11/19(水) 21:17:08ID:5SwTNtPs0436人間七七四年
2008/11/19(水) 22:32:07ID:2JL5OrOt0437人間七七四年
2008/11/19(水) 23:33:38ID:+SbOdfM6家康は息子の秀忠に
「もし太閤(秀吉)と関白(秀次)が戦になって太閤が死んだなら、
お前は太閤の息子(秀頼)を擁立して関白と戦え」
なんて手紙送ったりしてるからなあ
秀吉が死んだという仮定でもなお秀次と戦う気満々の家康、
やっぱ諸大名たちの間で秀次の評価ってかなり低かったんじゃないかと
これじゃガチで謀叛起こしても成功するはずがない
0438人間七七四年
2008/11/20(木) 13:00:17ID:jFr+pBOS秀吉のいない大阪城とガキの秀頼なんぞなんとでもなるから
ここは秀次を潰して豊臣政権をわるチャンスと考えてたと読めなくも無い。
0439人間七七四年
2008/11/20(木) 22:29:06ID:WY3JXPzU0440人間七七四年
2008/11/20(木) 22:58:18ID:bgVeoQ3j0441人間七七四年
2008/11/25(火) 22:08:46ID:xDPKi/egそれは秀吉に実子ができたら、次期関白はその子に譲り、さらに自分の娘を正室と
して差し出す事を条件にして受ける、というものだが。
これなら自分の血統を入れることも可能だし、秀吉の親心を満たす事だってできる
だろうに。
0442人間七七四年
2008/11/26(水) 08:27:31ID:1CI1lM5/0443人間七七四年
2008/11/26(水) 23:42:33ID:AdkXy954そもそも秀吉自身が子供ができないと考えたから関白を譲ったのであって
秀吉にまた子供ができたらなんて当時は誰一人考えていないことだったんだよ
だいたい秀次自身にもう子供がいるのに別の子供に譲れなんて受け入れられない
秀次だって自分の子供を愛しているわけだから
0444人間七七四年
2008/11/27(木) 00:18:48ID:5xEGVDS5おれが秀次なら、将来秀吉に実子ができたら、自分の娘を嫁がせる事を
条件にだして関白を継ぐ。将来、本当に秀吉に実子ができればその子に
関白職を譲る。むろん、自分の娘を正室にする。秀吉に子ができなけれ
ば自分自身の子に関白職を譲る。
自分の実子に継がせたくなるのは親の情だし、そうなれば殺されるかどう
かはともかく、自分を排除しにかかってくるだろうと、計算しておくこと
も可能だったのではないかな。
0445人間七七四年
2008/11/27(木) 00:46:03ID:KlC+SqFo0446人間七七四年
2008/11/27(木) 05:18:31ID:/i4zFOQNそれでも結局秀吉の疑いを解くことは出来ずに粛清された、っつうような流れ
0447人間七七四年
2008/11/27(木) 23:51:25ID:+RZfYqq8全てをなげうって隠居するぐらいしか助からん・・・でも末期の秀吉じゃそれも許しそうにないな
0448人間七七四年
2008/11/27(木) 23:52:57ID:KlC+SqFo0449人間七七四年
2008/11/28(金) 03:25:39ID:tW5FgydK不思議でならんよ。いろいろな課題を与えてはクリアさせて武将としての器量を磨かせていたのに・・・
0450人間七七四年
2008/11/28(金) 03:30:55ID:7fqsM08Tかれがやったのは、秀吉の私的な権力の形成だけ。
0451人間七七四年
2008/11/28(金) 03:48:04ID:zn5fIp4W0452大和中納言秀保 ◆MtKiRaGd8.
2008/11/28(金) 12:52:46ID:9BEuP6tsで藤田恒春氏は
文禄二年(1593)四月七日に
「御妾之腹」の若君が
六月七日に死去した後、喪に服さなかったのを批判していますが、
当時産まれて2ヶ月ぐらいの子供が亡くなった場合
喪に服するんでしょうかね?
0453人間七七四年
2008/11/28(金) 23:00:46ID:7fqsM08T0454人間七七四年
2008/11/28(金) 23:28:39ID:P8aCcDVi0456人間七七四年
2008/11/30(日) 01:01:11ID:k80jxHMi0457人間七七四年
2008/11/30(日) 09:54:46ID:sENHjQ0wんで坊主になってしまえば良い
0458人間七七四年
2008/11/30(日) 21:11:51ID:f7Y8iTBO0459人間七七四年
2008/11/30(日) 21:44:47ID:dNRejpMfこれならローリスクハイリターンで関白を死守できる
0460人間七七四年
2008/11/30(日) 22:48:29ID:vNIbrrAi次期関白はその子に譲ると表明するか、あるいは自分の養子にもらって
関白の職を譲りたい、といえばよかったと思うのだが。
0461人間七七四年
2008/12/01(月) 00:57:39ID:naqKX/y+そして北京を本拠地とし、日本は秀次に任せておけばいいくらいに考えていた事。
これを忘れちゃいかん。
0462人間七七四年
2008/12/05(金) 16:53:59ID:I90868BV男色のほうが女色より崇高にして立派な営みだという真理を、しかと会得していたのだナッ!!
それに引き替え当節の日本男児たるや、軟弱下劣なヘテロ風情に成り果ててしまいやがって。
呆れ返るゼッ!!!!!
まったく。
O TEMPORA O MORES !
0463人間七七四年
2008/12/06(土) 07:34:57ID:TVybqlU+0464人間七七四年
2008/12/06(土) 08:45:05ID:YBJCvlXB秀吉相手に保身なんて考えつかんだろ
0465大和中納言秀保 ◆MtKiRaGd8.
2008/12/16(火) 05:22:20ID:VtYLC3DR0466人間七七四年
2008/12/28(日) 13:05:13ID:bG26+w8X貴重な男系親族を潰すなんて常識じゃ考えられんよ
実際に筑前を殺そうとしてたというならまだしも
まちがいなく無実だったわけだからな
あの室町幕府6代将軍だって鎌倉公方家を根絶やしになどしなかったというのに
0467人間七七四年
2009/02/25(水) 22:19:49ID:MwuFeC/30468人間七七四年
2009/02/25(水) 23:13:45ID:EqJ6jlQl0469人間七七四年
2009/02/26(木) 11:22:19ID:VlJyOVam秀頼に手をかけやすいのはやはり親族だし、有力者たちが双方を担いで分裂すれば豊臣政権はその日に終わる。
0471人間七七四年
2009/02/28(土) 16:01:04ID:KdhfW0Gt0475人間七七四年
2009/03/03(火) 05:08:08ID:jk7V1ZRKでも血が繋がってる事の重大さは過去のほうがあるだろうな。
0476人間七七四年
2009/03/03(火) 10:50:54ID:RBcCZQ7L血がつながっていなくても、より高貴だったり名家だったりする家からの養子の方が、
庶子なんかよりも歓迎されたりする。
0478プラナポ ◆h176FY1dLs
2009/04/30(木) 01:18:16ID:26qfsfWQ多聞院日記だと甥と言われていて養子と言われてないんだよね。
0479人間七七四年
2009/05/01(金) 19:57:34ID:E7RVInwb家臣としてはそうかもしれんが
親として実子より貴種の養子を有難がる奴はおらんだろ。
0481京都人
2009/05/01(金) 23:28:30ID:YMHzv+cH所縁のある人(佐竹義宣の弟の多賀谷宣家)に嫁いだって書いてあった。
因みに、真田信繁に嫁いだ秀次の娘の母親は不明らしい(一の台と書いている資料もあるが…)
0482人間七七四年
2009/05/02(土) 21:20:36ID:tOYROBpC秀次を粛清してまで、赤の他人の家康に秀頼を託して
結局殺されたというのは皮肉というか因果応報というか
0483人間七七四年
2009/05/04(月) 05:21:03ID:kmTTuQBQ秀長は早死にだし。秀次は自分で殺しちゃうし、秀頼は体格はよかったらしいけど、淀君に甘やかされて将としての器はアレだっていうし…
秀秋はご覧のありさまだよ!
後継者選びって大事だよなあ
0484人間七七四年
2009/05/04(月) 05:41:25ID:0ir2Z/UU0486人間七七四年
2009/05/04(月) 09:28:51ID:5ldv4lSZ秀次産んだ年も35ぐらいだし遅すぎないかと思うんだが
0487人間七七四年
2009/05/04(月) 11:14:03ID:JbwEwHlQ秀頼の補佐をすると言えば良かったし、家老もそれを進めるべきだったって書いてたけど
そうすれば秀吉に殺されなかったのかなあ?
0489人間七七四年
2009/05/04(月) 12:56:10ID:zfEQ2hfy夏の陣の直前に仕込まれて生まれた男子がいて、元服後は三好を名乗って
その姉にあたる人の旦那の家に仕えたってよ。
0491人間七七四年
2009/05/04(月) 14:01:59ID:w0YsjRQC結局信頼せざるをえなくなった家康よりはマシだと思うがな。
関白辞職、出家、男児は寺に入れる
くらいの態度を示せば充分だろ。
0492プラナポ ◆h176FY1dLs
2009/05/04(月) 23:06:39ID:3U0bNwzq藤田恒春さんの『豊臣秀次の研究』読んだ方いますか?
0493人間七七四年
2009/05/05(火) 10:13:29ID:6nvPJfDhたかが怪しいガキができたくらいで政権体制のリセットボタンを押す秀吉が悪いんだよ
秀吉側が秀頼を主家させますくらいの態度を見せるべきだろ
0494人間七七四年
2009/05/05(火) 10:14:10ID:6nvPJfDh0495人間七七四年
2009/06/23(火) 11:50:51ID:99hU6/Fp天下分け目の戦いがおこったのは間違いない。
それは関ヶ原型でなくたぶん応仁の乱型になっただろう。
そのとき家康がどちらかに味方したか、中立を守ったかはわからないが。
0496人間七七四年
2009/06/23(火) 14:20:45ID:1KK7fK6eそれを五大老で補佐する
。
ただ、どっちにしても徳川は石高が大きすぎるな。
やはり家康だけは始末しとかんと。
0497人間七七四年
2009/06/30(火) 00:13:22ID:01dEWZgl実子が生まれたので秀次こそ遠慮すべし。
せっかくの秀吉の譲歩案を飲んで、
大人しく秀頼を自分の養子にして後継者に指名しとけばよかったんだよ。
0498人間七七四年
2009/07/03(金) 09:18:37ID:gUiz38UE0499人間七七四年
2009/07/03(金) 09:54:13ID:TLGVw6az結局、秀頼を担いで三成が挙兵
0500人間七七四年
2009/07/03(金) 11:57:56ID:tZ4HTNXK……まあ秀吉が認めてりゃ一緒だが
0501人間七七四年
2009/07/25(土) 06:28:15ID:9WUrjI5U0502人間七七四年
2009/07/25(土) 06:29:32ID:9WUrjI5U譲歩案なんて出したの?
0503人間七七四年
2009/07/25(土) 15:07:01ID:A/ST0wEZ応仁の乱状態に突入もあり得る話。
0504人間七七四年
2009/07/25(土) 15:17:44ID:VGBg7LRJ0505人間七七四年
2009/07/29(水) 07:28:15ID:6oSFVGjD0506人間七七四年
2009/08/01(土) 08:59:51ID:W30tzOEI藤堂ほどの人物ならば不祥事が発覚する前に諌めたはず。
「秀次失脚」は石田三成の陰謀の説もある。これに激怒した高虎は一旦まげを切る。
だから三成は「大トラ」を野に放して(徳川移籍)しまう。
関が原の前に勝負あり。
0507人間七七四年
2009/08/01(土) 09:09:00ID:W30tzOEI藤堂は本当は徳川に行きたくて行きたくてしょうがなかった。
本来は敵(主君浅井の滅亡後に近江にドカドカ乗り込んだ)になる豊臣に身柄を預けて、その秀吉や石田ら「秀吉チルドレン」の前では猫をかぶる。
でも加藤や福島を「弟分」にして、自身は徳川寄りのスタンスで移籍をうかがう。
ちょうど石川数正が豊臣に鞍替え。そして徳川への移籍を決意。平たく言うと「石川・藤堂トレード」のお膳立て。
関が原の戦いの直前に移籍、弟分らを引き連れる。
なにせ茶店のツケを100倍にして払う、男気あふれる人物だから。「移籍」に関しては意外と用意周到。
0508人間七七四年
2009/08/01(土) 09:15:56ID:EBIfwplEサイズは甲冑の中でも最大級で、秀次は180センチ近くの堂々たる体格であったらしい。秀吉自身は150センチもない小男だったのに、なぜ秀次はこんなにでかいんだろう。
0511人間七七四年
2009/08/02(日) 18:33:31ID:VNfUnKn6すみません。秀保と秀次を混同してました。でも、「大和豊臣家」取り潰しに激怒したらしいよ。
高虎は秀長に格別の義理(歴女に告ぐ。「義」は直江兼続の専売特許じゃないよ)を持っていた。
今日少し「天地人」で触れるが、秀吉後の跡目相続争いが徳川鞍替えのきっかけとなったと言われる。
五奉行になれなかった事(豊臣時代も「外様」で、以外にも豊臣時代の待遇が良くない)で決定的、と私は思う。
現代の話になるが、加藤紘一・中川秀直両氏はついに藤堂にはなれなかった。「融通と情熱」があればなれたのだが。
0512人間七七四年
2009/08/02(日) 18:46:11ID:NuOHvFNZ>若江八人衆は殆どが後に石田家臣やがな(´・ω・`)
秀次事件で「豊臣親衛隊」がゴッソリ粛清された時点で
もはや滅亡は免れ得なかったんだろうね、豊臣は
だから史実では三成が何とか大粛清に発展しないように諫めたわけだし
蒲生騒動(の発端)と秀次事件は、かなり密接に関わっていると思うんだけど
あまり語られてないような気がする…
0513人間七七四年
2009/09/11(金) 13:52:28ID:6LdE1VH+秀次事件は飛びぬけてるけど他にも数え切れない悪行があるからな。
それこそ秀次が逆立ちしても及ばない悪さ。
それくらい悪くないと天下人にはなれんということかも知れぬ。悪さも裏がえせば良さになることだしな。
秀吉もなんかのきっかけで白い面が表になってれば良かったんだが。
0514人間七七四年
2009/10/19(月) 00:22:26ID:7VaJUAgj0515人間七七四年
2010/01/11(月) 12:58:06ID:wLGEASqE秀次だけならまだしも、女たちまで皆殺し(それも公開処刑)なんてありえんわ
そもそも豊臣(羽柴)家はただでさえ血縁者が少ないんだぞ
その貴重な血族を大量に消すなんてバカなことをあの筑前がするわけない
そんなバカモノだったら筑前は天下人になれるはずがなかった
0516人間七七四年
2010/01/11(月) 13:03:57ID:F3oHd5Ab秀
そ
そ
そ
0517人間七七四年
2010/03/01(月) 03:54:05ID:5aj6HY9L秀吉は晩年に頭がおかしくなったのです
0518人間七七四年
2010/03/01(月) 07:17:07ID:S0KZSpckこのくらいの年齢は秀吉はまだ信長に使えたばかりのペーペーの頃やん。
0520人間七七四年
2010/04/10(土) 22:38:53ID:9t6zyEvS2001年から2002年のいずれかに当時のNHK大河ドラマ『利家とまつ』関連で前田利家本が複数出版された中の一冊に、余り知られていない秀次の木像(よく新人物往来社の書籍に引用されている、つり目の木像とは顔つきがまったく違います。)が掲載されていたのですが、
その書籍のタイトルを忘れてしまったのでタイトルを分かる方がいたら教えて頂きたいのです。
多分その木像は瑞龍院が秀次を偲んで作らせた善正寺所蔵の木像だと思うのですが。
0521人間七七四年
2010/04/15(木) 20:55:00ID:YlXQuSPWそんな軽い調子で言うのは非常識
もっと真摯に謝罪して欲しい
在日同胞の当然の権利を与え続けている鳩山さんを見習って欲しいな
0523人間七七四年
2010/04/18(日) 03:35:49ID:5c5QCtE60524人間七七四年
2010/04/18(日) 10:00:45ID:5c5QCtE6「 一、法印年寄付、万おろかなる事可有之候、当座のまにあわせ無異儀様ニ申成儀可為曲言事
清須を守る三好吉房は年を取っているため間違ったことがあるかも知れない。何もなかったように繕うことは曲事である、と家臣へ命じたものである。
しかしながら、三好吉房は、実父である。かかる法度のなかに実父をこのように取りあげること自体、秀次の為人を自ずから示しているようである。」
と言っています。これってどうなんでしょうかね?
0525人間七七四年
2010/04/18(日) 10:17:32ID:lNMgp4wQということで、政治家として高く評価するかもしれないね
ま、秀次だから
0526人間七七四年
2010/04/20(火) 03:50:26ID:Vtm9NAdgどうでもいいが
51歳まで生きた秀長は当時では早死にではないと思うが。
もちろん、長寿でもないんだが。
0527人間七七四年
2010/04/20(火) 19:04:33ID:HMd3GuAc彼は輝元のいとこで輝元の息子くらい年が離れていました
大の力自慢で碁盤に大人をのせてそのまま
持ち上げるほどのパワーをほこるほど
とにかく毛利のHOPEと見られ40越えても
子供のいない輝元の養子になりそのまま
毛利本家の後継者になる予定(秀吉がそれをつき毛利本家にあのカス金吾を
養子にさせようと考えてたが小早川で手を打った)だったら輝元に実子が生まれてしまったので
養子の座を捨て実子の後見人になり関ヶ原以後は毛利の分家を継ぐ
秀次も同様に秀頼の後見に入りそのまま分家に収まっておれば悲劇をうまなかったのにね
石田らに土下座してとりいるべきだった
0528人間七七四年
2010/04/20(火) 21:53:05ID:iWkdJ972無駄無駄
秀吉がそんなの許すはずがない
生かしておくこと自体が秀吉にとって脅威だったのだから
殺す以外に秀吉に選択肢はなかった
0529人間七七四年
2010/04/20(火) 21:54:22ID:iWkdJ972毛利は輝元はとりあえず常人だった
秀吉はとっくに狂っていた
そもそも同じ土俵で語ること自体が無理
0530人間七七四年
2010/04/21(水) 06:37:36ID:L3zl7+JQその子供に後継者にさせるとか日本の国の四分の一を秀頼にやり四分の三を
秀次にやるとか言うて妥協させようとしたが秀次はガンとして首を振らなかった
また秀次は一説によると石川五右衛門に
秀吉暗殺を依頼したが失敗、五右衛門は誰の依頼かはかなかったがバレバレ、
それと同時期くらいに反秀吉派にクーデターを持ちかけるが
堀尾、田中ら家老クラス(実は秀吉のスパイ)が秀吉にチクったので秀吉もついに
堪忍袋の緒が切れたという事、、、秀次の自業自得と見られる
0532人間七七四年
2010/04/21(水) 16:56:22ID:5Pn4j5TD信憑性はかなり高いよ
0533人間七七四年
2010/04/21(水) 19:50:20ID:Qaulmcw6ソースが欲しい
0534人間七七四年
2010/04/21(水) 19:59:09ID:VwTZyQfZ0535人間七七四年
2010/04/21(水) 20:44:33ID:8Qh7Jre6史料中心でいけば殺生関白の定説を肯定することになるんじゃないの?
「太閤記」と「太閤様軍記」といった軍記物はもちろん、
「兼見卿記」や「多聞院日記」みたいな
比較的信憑性の高い一次資料でも
母娘併姦や公金横領といった
秀次の悪行や不正が記録されてるわけで
>>530
秀頼と秀次による日本分割案(?)は、
自分は司馬遼太郎の「豊臣家の一族」でしか見たことないな
博覧強記の司馬遼だからマイナーな史料からの引用かもしれんが、
小説だから完全に司馬遼の創作である可能性もあると思う
石川五右衛門による秀吉暗殺未遂も「梟の城」からじゃないの?
秀次側近の木村常陸介が大坂城に忍び込んだという逸話はあるようだが
堀尾田中山内が秀吉のスパイだった、つうのはまあわかる
こいつら処罰免れるどころか加増されてるくらいだもんな
0536人間七七四年
2010/04/22(木) 17:15:38ID:1tisS0ii五右衛門が活躍してた時期と、大坂城に秀吉暗殺の刺客が忍び入った時期が同じだったから、後で五右衛門が大阪城に入った様に言われたって聞いたけど。
0537人間七七四年
2010/04/22(木) 17:35:16ID:mFJvxyo/単なるこそ泥に日あぶりなんぞ考えられないので石川の秀吉暗殺未遂事件は事実だと思う
0538人間七七四年
2010/04/22(木) 17:41:14ID:mFJvxyo/日→火
0540人間七七四年
2010/04/22(木) 18:13:03ID:mFJvxyo/というのはあまりに有名な話しだけどね
0541人間七七四年
2010/04/23(金) 02:06:03ID:a19zpAVI五右衛門
0542人間七七四年
2010/04/23(金) 02:33:13ID:SsOIqj5d0543人間七七四年
2010/04/23(金) 06:19:52ID:EtO5sDbO0544人間七七四年
2010/04/25(日) 05:47:38ID:yhY4dG6F0545人間七七四年
2010/05/03(月) 03:17:03ID:YTeZi3500546人間七七四年
2010/05/29(土) 21:59:57ID:9ucz7zuX結局秀頼が成人する前に秀吉が死んでしまったし。
0547人間七七四年
2010/07/22(木) 16:31:46ID:8UwaJojk0548だぅ
2010/07/24(土) 07:17:23ID:Pjah18wb天下の4分の1を秀頼にやるくらいなんでもないだろうに
自分の力で天下取った訳じゃないのにな秀次は、この辺の空気の読めなさが愚鈍なのかな
0549人間七七四年
2010/08/04(水) 11:02:25ID:oNd2DRlw絶対に、許さないからね。
0550人間七七四年
2010/08/04(水) 12:22:43ID:hFoNnKP6/wwvvwwvwvーミ |
. | ヾ_ 上_ 『>マジっすか!? 俺、信じてたのに!!』
. | 〜 l し⌒ u V E |
___| (。) (。) u 〃」へヘ_____
/ | ゙ 、,、 u |ヽ ヽ
/ ヾ / u | | | \
/  ̄/ ̄|_______ / / |/ | \
/ / 山\  ̄\) / / | ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ヽ
ノ\_) ヽ ~|\___/ / | ノ \
/ ヽ ヽ | /○\ / | <ノ ~> ノ> )ヽ >」
L//< イヽヽ ).|/ \/ | </ </ </
ヽヽヽ></ ヽ ○ |
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/skate/1277120346/
0551人間七七四年
2010/08/09(月) 01:18:13ID:0NcuXttv秀長はどんな運命を辿ったのだろう?
1.兄に従順な秀長のこと、秀次粛清を容認
2.豊臣家の将来を鑑み秀次の擁護に回ったため、共に粛清の憂き目に
3.同じく秀次擁護のため秀吉の怒りを買うが、粛清までには至らず追放される
4.秀次粛清の容認又は秀次擁護により追放の何れであっても、結局秀次の次に粛清される
関白職を継いでいないという秀次との違いはあるにせよ、
晩年の秀吉のことを考えると、
秀長粛清の可能性が0だったとは、どうにも思えないのだが。
0552人間七七四年
2010/08/09(月) 01:24:03ID:EqFY+N85という選択肢はないのか
まあ個人的には3だと思うが
実際存命中に謹慎食らったりしてるからな
0553人間七七四年
2010/08/09(月) 06:55:51ID:PF0TYzp5このへんもやりそう。まぁ1.の類似バージョンだが。
0554人間七七四年
2010/08/09(月) 13:29:57ID:aYyHL52L・秀次を擁護はするが秀吉と後の秀頼の為に秀次は切腹まで持っていく。
が、罪は秀次のみであり、子孫その他は影響を及ぼさないように調整。
秀次事件のようにMAP兵器並みに広範囲に影響を出すようなことはしなかったと思われる。
0555人間七七四年
2010/08/09(月) 19:53:26ID:PF0TYzp5といっても、男子はさすがに難しいだろうな。
もし秀吉死後に秀次の嫡男でも生き残っていたなら、どのように利用されるか
わかったもんじゃないし。
0557人間七七四年
2010/08/10(火) 20:11:37ID:quGYyCzd秀次事件の頃の秀吉だと、身内に対する疑心暗鬼が尋常じゃなさそうだから、
秀長といえども秀次助命の説得は厳しそうな気がする。
良くて婦女子への虐殺を防げるかどうかと思う。
0558人間七七四年
2010/08/13(金) 20:23:08ID:KZ0fe2vi「優れた才能を有し、気前のよい人で多くの資質を備え、機敏、怜悧、かつ稀に見る賢明さの持ち主であり、特に親切で、その他にも多くの優れた徳を備えていた。(中略)
殿にとっては、人間の血を流すことは何でもないことで、人間を虐殺するにあたっても(その手段は)非常に戦慄的であった。(中略)
私が若い頃に読んだ歴史上の人物でも、またこれらの皇帝でも、関白殿がなしたようなに自ら手を下した人間の血で地面を汚し、このような悪業をひどく愛好するとか、またこのような不評の業を誇らしく思った人はいなかった」
やっぱり秀次の辻切りは事実ですかね?
0559だ
2010/08/13(金) 20:48:29ID:WyBGajlPもう歯止めがかかんないんじゃね?
0560だ
2010/08/13(金) 20:58:50ID:WyBGajlP利休も秀次も殺す必要は無かったよな
0561人間七七四年
2010/08/13(金) 21:35:32ID:nQ0Ln1UI2011年春・NHKハイビジョンで午後10時〜午後10時55分、3夜連続にて放送予定
0562人間七七四年
2010/08/14(土) 01:45:20ID:dFyf6/Egそれによるデメリットを極力押さえ込むことをし、
基本力ではなく対話で抑え込むタイプだったので、
秀次を切腹させ、子の中で男子は成人近くなら処断、幼児なら出家させる。
女子なら秀吉自身の養女とするか、その時点で適当に引き取り先を探す。
嫁侍女その他は実家戻し。
これ以上に寛容な処置ってあるかね?
意見プリーヅ。
0563人間七七四年
2010/08/14(土) 05:36:01ID:V/mYVeH/やはり秀吉の頭がいかれてしまったとしか理由がないんではないだろうか
0564人間七七四年
2010/08/14(土) 22:20:17ID:P3lvxg3k秀次に唯一味方する可能性の有る一門の大勢力の当主が秀次事件の直前に亡くなってるんだし。
0565人間七七四年
2010/08/14(土) 23:35:22ID:gluRTAeQ0566人間七七四年
2010/08/15(日) 07:11:44ID:4ib9K84T20代の武将に求めすぎだろ。秀吉本人も20代んときは織田信長のぞうり温めてるような年頃なのにな
0567だ
2010/08/16(月) 05:25:18ID:TDfUVSo90568人間七七四年
2010/08/16(月) 08:40:37ID:9jCdKgwx若い頃にコイツは凄そうって評価された奴なんていくらでも居るじゃん
0569人間七七四年
2010/08/16(月) 14:15:51ID:1ybJbeMX能の研究書である謡抄は秀次が作らせたらしいし
0570だ
2010/08/16(月) 15:38:37ID:f0jkVxRJ蒲生は若い頃長篠、姉川の戦いにも従軍してるよ
0571人間七七四年
2010/08/16(月) 17:49:46ID:9jCdKgwx勝利に繋がる大活躍したってんなら別だろうけど
0572人間七七四年
2010/08/16(月) 22:31:08ID:zZCzjbLZこれにしてもキャリア的に本人の裁量権がどこまであったのかも疑問だし。
0573人間七七四年
2010/08/17(火) 00:01:13ID:1uF+YA5L史料的な裏づけある話なのか知ってる人いる?
0574人間七七四年
2010/08/17(火) 00:12:43ID:f0n0o5fV金沢文庫や足利学校や中尊寺からのは書籍の収集保護ではなく、ただの個人的な蒐集癖による収奪だと言われる事もありますね。
0575人間七七四年
2010/08/17(火) 00:21:51ID:p3mhKzxL0576人間七七四年
2010/08/18(水) 00:10:34ID:+NJx/ULL北野での盲人殺害や鉄砲の練習と称して農民撃ち殺しまくったり、弓の練習と称して通行人捕まえて射殺しまくったり、試し切りしたいから罪のない人捕まえてさせて斬り殺しまくったりしたというのは事実なのかな?
0577人間七七四年
2010/08/18(水) 00:17:27ID:mMS23L8r0580だ
2010/08/18(水) 08:38:37ID:xZin9GsC秀次は評価された話一度も聞いたことないわ
0581人間七七四年
2010/08/18(水) 16:23:08ID:Q6velcQ8一の台は秀吉に暇を出されて親元に帰されていたから
秀吉のモノを妾にしたというのとは少し違うような
>>580
文化面に関しては当時の文化人から高く評価されてるよ
記録も残ってたはず
武功に関しても、失敗したのは小牧長久手だけで
他は特筆するものではないにせよ普通に危なげなく武功をたててるな
0582人間七七四年
2010/09/07(火) 15:55:34ID:WbN9L3sj0583人間七七四年
2010/09/08(水) 00:23:26ID:WEaU34CA隠居みたいな身分でも公の立場で粗相があってはならないから、家臣に頼んで親の心配をしてあげてる孝行息子だという捉え方も出来るな
>>527
秀元も晩年は本家と軋轢起こしてるけどね
処分されなかったのは個人的に幕府とつながりがあったから
0584人間七七四年
2010/09/11(土) 01:53:24ID:Nh5J5erK0585人間七七四年
2010/09/12(日) 09:58:30ID:s5Si9azRこれの何が悪いかわからん。秀次のこと何でもいいから貶めたいだけじゃん。
0586人間七七四年
2010/09/12(日) 12:39:39ID:1V6jaMoD100%事実無根。
つか。秀次の母親の日秀が秀次供養するために建てた瑞龍寺に
村雲の寺地と「瑞龍寺」の寺号、寺領1000石を与えたのは他でもない後陽成天皇だぜ。
そんな不道徳なことを本当にやってたら天皇がわざわざそんなことをするはずがない。
秀次の家族を弔った瑞泉寺を角倉了以が建立した時も、
江戸幕府の許可を得て号してる。
後陽成天皇も江戸幕府首脳も、秀次が殺生関白でないことを知ってたから、
わざわざ供養したり許可出したわけで。
0587人間七七四年
2010/09/12(日) 12:58:04ID:1V6jaMoD文禄2年(1593)の6月8日に女人禁制の比叡山に女人を引き連れ、殺生禁断の地で狩を行い、
止めようとした僧たちの塩酢の器の中に獲った鹿肉を入れたとあるが、
山科言経の日記『言経卿記』では、
秀次はその日に山科らと聚楽第の山里で琵琶法師の平家物語を聞いてる。
(山里町という山里茶亭を由来とする町名があることからおそらく聚楽第の茶亭)
つか、仮に山里が聚楽第でなかったとしてもそういう事実があれば
山科言経が日記に残してない方がおかしい。
0588人間七七四年
2010/09/12(日) 16:24:21ID:Ay9BLmNN徳川にとっては寧ろ好都合だったろうから、
供養を拒否する必要も無かったかも知れないな。
0589人間七七四年
2010/09/12(日) 16:39:24ID:1V6jaMoDつ禁中並公家諸法度
公家の不行跡を理由に法令出して取り締まりした幕府が、
本当に乱行やってたとしたらそんな関白の供養の許可は出せない。
0590人間七七四年
2010/09/12(日) 16:48:58ID:EPLvAvaq精神衰弱で無茶な言動が多く帝や太閤に睨まれた
近衛信尹ですらちゃんと供養されてるぞ
0591人間七七四年
2010/09/12(日) 16:57:43ID:1V6jaMoD幕府の許可を得て他人が寺社を建立した例がある関白をまず上げてくれ。
話はそれからだろう。
0592人間七七四年
2010/09/12(日) 17:08:32ID:EPLvAvaq「本当に乱行やってたとしたらそんな関白の供養の許可は出せない」
と主張する貴方が供養の許可を出せなかった例を挙げるのが筋じゃないの?
つうか
>身内が供養するのは当然
なら日秀が秀次を弔うために建てた寺を根拠に挙げるのはおかしいね
>幕府の許可を得て他人が寺社を建立した例がある関白をまず上げてくれ
なぜ此の流れでこっちが例を挙げなきゃいけないのか
わからんが、秀吉がそうだね
北政所からの懇願を受けて幕府が高台寺を建立してる
豊国大明神の神号が剥奪された後に、「国泰祐松院殿霊山俊龍大居士」
の戒名を与えられて天台宗の儀式で祀られてる
そのために幕府から妙法院に別途1000石が寄進されてる
0593人間七七四年
2010/09/12(日) 17:15:40ID:1V6jaMoD>なら日秀が秀次を弔うために建てた寺を根拠に挙げるのはおかしいね
後陽成天皇が寺領千石与えて尼門跡寺院にしてるんだが。
>村雲の寺地と「瑞龍寺」の寺号、寺領1000石を与えたのは他でもない後陽成天皇だぜ。
都合の悪い文章は目に入らないのか?
少なくとも、父親に無礼を働いたり悪逆非道な行為を行った人物の供養のための寺を
尼門跡寺院にしたケースも寺領を寄進したケースもないぞ。
あったら出してくれ。
>秀吉がそうだね
北の政所は秀吉の身内です。妻を君は他人というのかね?
どの時代でも妻は身内だよ。
阿呆すぎる。
0594人間七七四年
2010/09/12(日) 17:22:54ID:EPLvAvaq>北の政所は秀吉の身内です。妻を君は他人というのかね
高台寺は北政所が幕府にお願いして、幕府が寺領を寄進して建立した寺院
日秀のケースと殆ど経緯と同じですよ
あと大坂の陣で豊臣家が滅亡した後に幕府から1000石別に寄進されてると既に書いた
こちらは完全に他人でしょ?
こちらは既に質問に答えたんだからさ、
いい加減君が不行跡を理由に供養が許されなかった公家の例を出すべきだろう
いや、出せないのは知ってるんだけどねw
0595人間七七四年
2010/09/12(日) 17:26:44ID:1V6jaMoD日秀は別に後陽成天皇に依頼してないし、
高台寺は門跡寺院でもないからケースは全く別だよ。
門跡寺院くらい調べろ。
>あと大坂の陣で豊臣家が滅亡した後に幕府から1000石別に寄進されてると既に書いた
>こちらは完全に他人でしょ?
高台院の没年くらい調べたらどうだ?
秀吉の妻である高台院に対する配慮だよ。
つまり、身内の供養を助けてる。
違うケースを同じだと言い張られてもなあ。
君が事実をうやむやにしようとしてるとしか思えんよ。
0596人間七七四年
2010/09/12(日) 17:31:39ID:1V6jaMoDケースA
日秀が建立した、村雲門跡瑞龍寺。
後陽成天皇が寺領を寄進して、日蓮宗唯一の門跡寺院である。
ケースB
角倉了以が建立した、慈舟山瑞泉寺。
幕府の許可を得て建立。
このAとBを区別せずにごっちゃに高台寺のケースと比べてるからおかしいんだよ。
0597人間七七四年
2010/09/12(日) 17:38:23ID:EPLvAvaqそりゃ全く同じケースなんて存在しないだろう
身内の供養を助けた云々なら後陽成天皇の寄進もそう解釈できるってだけ
高台寺に限らず秀吉を弔った神社仏閣は日本各地に存在するし、
大坂の陣で豊臣家が滅びた後も幕府の目を盗みながら
細々と祭祀を続けてたんだけどね
最後にもう一度言うね
>行跡を理由に供養が許されなかった公家の例
をいい加減に出してくれないか
本当に「都合の悪い文章は目に入らない」人はこれだから困る
0598人間七七四年
2010/09/12(日) 17:46:50ID:1V6jaMoD本当に日本語が読めない馬鹿だなあ。
ケースAは後陽成天皇が公的に秀次の供養を認め、重視してる証拠だ。
乱行を行ったり自分の父親を侮辱した人物に対する対応としてはあり得ない。
これはお前のような馬鹿にも判るな?
ケースBは幕府が公的に第三者による祭祀を認めたというケース。
>高台寺に限らず秀吉を弔った神社仏閣は日本各地に存在するし、
>大坂の陣で豊臣家が滅びた後も幕府の目を盗みながら
>細々と祭祀を続けてたんだけどね
お前本人が書いてるように、公的に認めてないケースじゃないかw
それが何の例になるんだ、阿呆。
>行跡を理由に供養が許されなかった公家の例
猪熊教利と大炊御門頼国
こいつらは公的に祭祀が許されなかった。
0599人間七七四年
2010/09/12(日) 17:55:52ID:EPLvAvaq乱行は別として、個人的友誼から後陽成天皇が
秀次とその老母日秀を哀れに思って寄進したということは十分に考えられる
そもそも後陽成帝自身あんまり評判の良い天皇じゃないしな
公的に認められてないのは豊臣家が滅びて幕府に遠慮してたから
それ以前は普通に公的な許可(この場合は幕府)を得て祭祀を続けられてた
>それが何の例になるんだ、阿呆
そもそも君が「幕府の許可を得て他人が寺社を建立した例」を聞くから
仕方なく秀吉の例を挙げたんだが
阿呆は話の流れを忘れてる君の方だろう
>猪熊教利と大炊御門頼国
猪熊事件の関係者じゃん
こいつらの祭祀を幕府が禁止したというソースは?
猪熊は知らんが頼国はちゃんと大炊御門家で祀られてるはずだが
そもそも関係者以外は自発的に菩提を弔おうという気にはなれない連中だが
0600人間七七四年
2010/09/12(日) 18:00:59ID:1V6jaMoD>そりゃ秀次は生前から後陽成天皇と仲が良かったからな
>乱行は別として、個人的友誼から後陽成天皇が
>秀次とその老母日秀を哀れに思って寄進したということは十分に考えられる
>そもそも後陽成帝自身あんまり評判の良い天皇じゃないしな
個人的な感情じゃ門跡寺院としては続かない。よって論外。
>そもそも君が「幕府の許可を得て他人が寺社を建立した例」を聞くから
>仕方なく秀吉の例を挙げたんだが
>阿呆は話の流れを忘れてる君の方だろう
どれ一つとして幕府の許可を得て”他人が”建立した例じゃないだろう。
幕府の許可を得て妻が建立した例と、幕府の許可を得ないで他人が奉ってた例だけだがw
>こいつらの祭祀を幕府が禁止したというソースは?
>猪熊は知らんが頼国はちゃんと大炊御門家で祀られてるはずだが
>そもそも関係者以外は自発的に菩提を弔おうという気にはなれない連中だが
勅勘被って死罪になったり、許されずに死んだら公的な祭祀は出来ない。
そんなことも知らんのか。
こいつらの赦免はされてないから公的に奉られてません。
結局、何一つまともに答えずに自分の思い込みだけ垂れ流してる馬鹿。
0601人間七七四年
2010/09/12(日) 18:03:50ID:1V6jaMoD今度はこっちが聞こうか。
>乱行は別として、個人的友誼から後陽成天皇が
>秀次とその老母日秀を哀れに思って寄進したということは十分に考えられる。
乱行が酷かったのに個人的友誼から
乱行が酷かった人物を供養する寺に寺領を寄進して門跡寺院にした例を挙げてくれ。
もちろん、>>576で上がってるような乱行な。
十分に考えられるからには根拠があるんだろうな。
0602人間七七四年
2010/09/12(日) 18:08:20ID:EPLvAvaq君は大坂の陣以前には日本全国に豊国神社があったことを知らんの?
阿波にも長浜にも金沢にも津軽にも存在した
これらは「他人」であるその地方の領主が「幕府の許可を得て」建立したものだが
>勅勘被って死罪になったり、許されずに死んだら公的な祭祀は出来ない
瑞龍寺が建立されたのは秀吉存命時だということを忘れてないか?
秀次の場合は当人とその一族の刑死で罪を贖ったと見られてたんだろ
>結局、何一つまともに答えずに自分の思い込みだけ垂れ流してる馬鹿
何一つまともなソースも出せない人がどういう顔下げてこういうこと書くのかね
>>601
自分で自分にレスして何がしたいの
0603人間七七四年
2010/09/12(日) 18:14:38ID:1V6jaMoD残念ながら、豊国神社を建立したのは幕府ではなく、豊臣政権です。
幕府と豊臣政権の区別も付かない馬鹿は質問だけ答えて黙ってろ。
>瑞龍寺が建立されたのは秀吉存命時だということを忘れてないか?
>秀次の場合は当人とその一族の刑死で罪を贖ったと見られてたんだろ
>勅勘被って死罪になったり、許されずに死んだら公的な祭祀は出来ない
秀次は勅勘被って死罪になったわけじゃありません。
そもそも秀吉に関白を死罪に出来るだけの公的な権限はありません。
あれは公的な処分ではないのです。
違うというなら、秀次宛の勅勘を出して下さい。
さて、もう一度>>601の質問に答えてね。君のは答えになっていないから。
秀次以外に乱行したのに門跡寺院を建立されたケースがあるのかどうか。
0604人間七七四年
2010/09/12(日) 18:20:23ID:1V6jaMoD他人の祭祀の例で高台院と豊国神社上げて、
公的な祭祀と私的な祭祀の区別も付かず、
挙げ句の果てに勅勘と私的な制裁をごっちゃにするとは。
こういう馬鹿が殺生関白という荒唐無稽な話を信じて流布してきたんだろうなあ。
あきれ果てた話だ。
0605人間七七四年
2010/09/12(日) 18:22:56ID:EPLvAvaq建立したのは幕府でも豊臣政権でもなく、
公儀の許可を受けたその地方の領主(蜂須賀氏なり前田氏なり)でしょ
つうかそう書いてるじゃん
読めないの?リアルで
>秀次は勅勘被って死罪になったわけじゃありません
勅勘のあるなしで言えば秀次は
猪熊事件で許されないまま亡くなった人たちとは事情が違うね
角倉了似が菩提寺を建立しても何の問題もないね
そもそも日秀が秀吉存命時に建立した時も特に問題になってないし
>秀次以外に乱行したのに門跡寺院を建立されたケース
それは知らないな
多分ないんじゃね
そもそも門跡寺院自体がレアなケースだしな
けどそれで秀次が品行方正だったという根拠にはならない
だって『多聞院日記』や『兼見卿記』、フロイスの報告書にも
秀次の不行跡は記録されてるからね
秀次の場合が唯一のケースになるんじゃないかな
0606人間七七四年
2010/09/12(日) 18:32:44ID:1V6jaMoD>公儀の許可を受けたその地方の領主(蜂須賀氏なり前田氏なり)でしょ
>つうかそう書いてるじゃん
>読めないの?リアルで
そういう、江戸城を造ったのは太田道灌ではなく労役にかり出された人夫です、
みたいな詭弁を相手にする気はないんで。
豊国神社として神に祭ったのも、各地に神社を建立しようと企画したのも豊臣政権です。
>角倉了似が菩提寺を建立しても何の問題もないね
>そもそも日秀が秀吉存命時に建立した時も特に問題になってないし
そりゃ元々冤罪なんだから罪になるわけがないw
>だって『多聞院日記』や『兼見卿記』、フロイスの報告書にも
>秀次の不行跡は記録されてるからね
>>576で上げられたような狂気の所行ではありません、残念w
0607人間七七四年
2010/09/12(日) 18:34:49ID:1V6jaMoD第三者が幕府の許可得て祭るとか、天皇がその供養寺を門跡寺院にするとか、
思い込むのは勝手だけどねw
お前がそう言うんならそうなんだろうさ、お前の中ではな(AA略
0608人間七七四年
2010/09/12(日) 18:41:26ID:EPLvAvaqだったら舵取り役の豊臣政権が滅びた後は祭祀を続ける理由もないよね
実際は金沢や津軽の豊国神社は細々と祭祀を続けられてたわけで
全部が全部そうとはいわないが、上で挙げた例は領主からの自発的な動きです
ってこれ書くの二度目だよね
>そりゃ元々冤罪なんだから罪になるわけがない
冤罪なら罪を着せた秀吉たちから尚更問題視されそうなものだけど
>>>576で上げられたような狂気の所行ではありません、残念w
『多聞院日記』に書かれてる公金横領はともかく、
母娘併姦や嗜好殺人が狂気の所行じゃないとでも?
複数の同時代資料が記録してる不行跡をなかったことにしようなんて無理ですね
まあ秀次を悲劇の君主に仕立て上げたいのは自由だけどね
お前がそう思うならそうなんだろう、お前の中ではな(AA略
0609人間七七四年
2010/09/12(日) 18:47:43ID:pL6bbq+l煽り口調や罵り合いの応酬では二人ともに品性を疑われて頭が変な奴で終わる。
紳士的に議論した方がくだらない余分な文章が無くなっていいと思うがどうだろ?
0610人間七七四年
2010/09/12(日) 18:50:45ID:EPLvAvaq今は反省してる
0611人間七七四年
2010/09/12(日) 18:54:55ID:pL6bbq+lただ良い悪いは別にして、双方とも良いことを言っていると思うので勿体無いと思った。
紳士的な議論を期待します。
0612人間七七四年
2010/09/12(日) 18:56:10ID:1V6jaMoD>複数の同時代資料が記録してる不行跡をなかったことにしようなんて無理ですね
残念ながら、秀次の罪状に関する朝廷サイドの公式な記録は何一つ残ってないんだ。
猪熊事件のような風紀紊乱ですらきっちり勅勘が残ってるのにな。
下級公家の罪状と朝廷の譴責が記録に残ってるのに、
関白の罪状とそれに対する朝廷の譴責が残ってないのは何故でしょうね。
風紀紊乱ですら天皇が死罪を命じたのに、嗜好殺人で何の公的文章が残ってない。
そんな訳がないだろう。
史料吟味すら出来ないなら史料読むのやめとけ。
>>609
ID:EPLvAvaq の話題反らしと立論が無茶苦茶なんでねえ。
今更紳士ぶっても無駄でしょ。
0613人間七七四年
2010/09/12(日) 19:03:30ID:pL6bbq+lいまさらID:1V6jaMoDに非が無かったとも言えないでしょう。
ID:1V6jaMoDとしても罵り合うことが目的ではあるまい。
煽り口調で勝負をつけることには感心しない。
こっちもこんな偉そうなこと言って申し訳ないが、心があるなら分かってくれ。
0614人間七七四年
2010/09/12(日) 19:05:41ID:EPLvAvaq関白秀次に対する譴責は秀吉とその意を受けた奉行衆が既にやってる
朝廷としては最高権力者である秀吉の動きを
黙って見てるだけしか無かっただけ
猪熊事件みたいなトカゲのしっぽとは訳が違う
史料吟味出来ないって
今でも秀次の殺生関白は学会の「通説」、
むしろ完全に潔白だったという人のほうが少数派なんだけどね
>>613
まあ御覧の通りこんな感じの人だからさ、ぼちぼちやるしかないね
0615人間七七四年
2010/09/12(日) 19:10:19ID:1V6jaMoDいや、貴方の言うことも判るが、話題を逸らされ続けたらまともな議論にならんよ。
>>614
日記は公文書ではない。
>朝廷としては最高権力者である秀吉の動きを
>黙って見てるだけしか無かっただけ
>猪熊事件みたいなトカゲのしっぽとは訳が違う
太閤が関白を罰する法的根拠がない以上、正統な手続きには当然天皇の裁可が必要。
罪が確かなら秀吉は当然上奏して天皇の裁可を仰ぐ必要がある。
それをせずに罰したのは、私的に事件を片付けるため。
>史料吟味出来ないって
>今でも秀次の殺生関白は学会の「通説」、
>むしろ完全に潔白だったという人のほうが少数派なんだけどね
掲載誌名も論文名を挙げられない「通説」など素人のハッタリ以上の価値はない。
「通説」を主張するならせめて論文名は挙げてもらわないと吟味できないんだが。
0616人間七七四年
2010/09/12(日) 19:13:15ID:pL6bbq+lID:1V6jaMoD
多謝。
ROMに戻ります。
こっちのことは無視してください。
0617人間七七四年
2010/09/12(日) 19:31:29ID:EPLvAvaq刑死するという自体が空前絶後なんだけどね
このような特例に天皇の裁可が必要という形式論は無意味
秀次事件前後の京洛は秀次謀反の噂に怯えた庶民が
逃亡するような一触即発の混乱状態(家康の秀忠に宛てた書状から)
帝への上奏というプロセスを踏む余裕がなかっただけだろう
それとは別に当時の一般的な武家の価値観として「主君押込」というものがある
これは主君を家臣一同の合議で排除することを指す言葉だが、
武士である秀吉がその理論を以て秀次処分を強行したとしても不思議ではない
本当に秀次が邪魔でしょうがなければ
奉行による譴責などせずに兵を派遣して殺せば良い
「通説」ってのは広く一般に受け入れられてるから「通説」なんだが
広辞苑や大辞泉で「豊臣秀次」の項目を引いてみるといい
現代の研究者でも桑田忠親(まあこの人は古いが)や脇田修、
小和田哲男がそのまま殺生関白史観で秀次を紹介してるね
わざわざ論文など探さなくても、彼らの本なら近所の図書館にあるでしょ
逆に「後陽成天皇が御門跡にしたから秀次は冤罪」なんて誰が主張してるの
(『太閤様軍記』の日付については知ってるから別に良い)?
研究者名と論文名を挙げてくれないか
0618人間七七四年
2010/09/12(日) 19:39:03ID:1V6jaMoD謀反の罪なら切腹ではなく斬首。
それ以前に関白は取り上げられているはず。
実際には秀次は高野山で自害するまで関白。
その間に上奏して裁可を仰ぐ余裕は十分にあった。
論文を読まないと論旨と根拠、研究方法が判らない以上、
広辞苑や大辞泉の一般論は意味がない。
非殺生関白説は、笠谷和比古や藤木久志。
今回の論説についての論文名は後日研究室で検索するので待って欲しい。
0619人間七七四年
2010/09/12(日) 19:40:38ID:EPLvAvaq0620人間七七四年
2010/09/12(日) 19:48:00ID:1V6jaMoD豊臣秀次の研究 藤田恒春 文献出版
あと、小和田哲男に関しては『豊臣秀次 殺生関白の悲劇』では、
殺生関白論に否定的な先行研究を引用して立論していたと思ったので、
そちらの根拠となる小和田哲男の書名、論文名も出来ればお願いしたい。
「史料としての信憑性は高いわけであるが、秀吉の行為を正当化するために、
ことさら秀次の悪行をでっち上げた感がある」(233頁)
0621人間七七四年
2010/09/12(日) 20:01:26ID:1V6jaMoD現物は確認してないが、
宮本義己 「豊臣政権における太閤と関白‐豊臣秀次事件の真因をめぐって‐」 『國學院雑誌』89‐11(1988)
だと思う。ID変わる前に取り急ぎ報告まで。
0622人間七七四年
2010/09/12(日) 21:49:07ID:s5Si9azRすみませんが『多聞院日記』や『兼見卿記』やフロイスの報告書に記録されている秀次の不行跡とは何でしょうか?教えてください。
0623人間七七四年
2010/09/12(日) 21:55:03ID:gkUq2H3Hコピー取ってるからちょっと確認してくるわ
0624人間七七四年
2010/09/12(日) 22:41:00ID:JyjecIbm0625人間七七四年
2010/09/13(月) 03:00:23ID:PH8voM5T秀次の不行跡について触れてる記述はみつけられなかった
どこに書いてあるんだ?
0626人間七七四年
2010/09/13(月) 13:19:27ID:1mk+0DEMむしろ秀次を評価する記録が残ってる
ID:EPLvAvaqのフカシだと思う
0627人間七七四年
2010/09/13(月) 15:34:57ID:F2MlgMQvフロイスの『日本史』には書いてないけど、文禄四年にフロイスが本部に送った報告書には確か書いてあったはずだよ。
0628人間七七四年
2010/09/13(月) 15:45:31ID:1mk+0DEM本国のエズス会総長クラウディオ・アクアディーヴァに送った書状には、
私が若い頃に読んだ歴史上の人物でも、またこれらの皇帝でも、
関白殿がなしたように自ら手を下した人間の血で地面を汚し、
このような悪業をひどく愛好するとか、
またこのような不評の業を誇らしく思った人はいなかった。
こういう記述はあっても、それが都で一般人殺したことかどうかとか、
具体的にどこで誰殺したとかの記述は無かったはずだけど
九戸征伐の記述の伝聞かも知れないって話もある
0629人間七七四年
2010/09/13(月) 16:08:24ID:F2MlgMQvそうそうそれです。確かに一般人を殺したとは書いてないですね。フロイスの報告書にそれっぽい記述はあるよと言いたかっただけです。ちょっと言葉が足りませんでした。
0632人間七七四年
2010/09/14(火) 20:58:40ID:6pDbVI4a0633人間七七四年
2010/09/14(火) 21:06:44ID:CeFFOAnX異議があるならあんたが史料出せばいい
少なくとも、自分はフロイスが書いたという秀次の不行跡の記録については興味があるからな
そんなものがあればの話だが
多門院日記や兼見卿記は知らんが
0634人間七七四年
2010/09/14(火) 23:12:48ID:CV4nomMC0635人間七七四年
2010/09/14(火) 23:27:28ID:6FZfbzmwちょうど同じ時に病になった後陽成天皇からの玄朔への呼び出しを無視して自分の所で診察させたのが秀次事件の原因とか言ってるけどこれってどうなんだろ?
0638人間七七四年
2010/09/15(水) 04:14:35ID:gR9Stzb7それを問題にするなら朝廷サイドであって秀吉じゃなかろう。
つか、それで妻子まで殺すってのはどう考えても筋が通らん。
0639人間七七四年
2010/09/15(水) 20:43:51ID:k+1bojvh宮本義己「豊臣政権における太閤と関白−豊臣秀次事件の真因をめぐって−」(『國學院雑誌』89編11号、1988年)
難波正治「「太閤・関白体制」の特質」(『海南史学』34号、1996年)
0640人間七七四年
2010/09/15(水) 21:44:04ID:k+1bojvh0642人間七七四年
2010/09/16(木) 11:35:26ID:PTEYH0K2曲直瀬玄朔は朝廷への再出仕も許されてるから秀吉の無理押しの犠牲者だろうね。
後陽成帝が許さなかったのであれば存命中には再出仕できないだろうから。
また、それを問題視したということは秀次事件自体について
秀吉が謀反や殺生を口実にできなかったという傍証にもなるね。
謀反や殺生の確たる証拠があればわざわざそんな微罪を罪に問う必要は無いから。
典型的な口実のための口実でしょう。
0643人間七七四年
2010/09/16(木) 20:03:51ID:aXVsfMNW藤田恒春は秀次大嫌いなのかその本でさんざん貶めてたよ。何様のつもりなんだよ。
0644人間七七四年
2010/09/16(木) 20:18:01ID:aXVsfMNW何様のつもりなんだよ。は藤田恒春のことで>>620氏のことではありません。紛らわしくてごめんなさい。
学者は秀次のこと人間性含めて評価しないのがおおすぎなんだよ。「文化面では評価してやるけど、後は人間性含めて無能な阿呆だよねw」って感じだし。
後秀次可哀想って同情してる学者も「無能な秀次が秀吉の後継者になったのが可全ての間違いでそれが可哀想だよね。」って感じだし。
0645人間七七四年
2010/09/17(金) 06:48:07ID:goqTcX/j秀頼誕生で自分の存在の意味が変わったのをどこまで把握してたのか怪しいし
そもそも自分の権力が何に立脚しているのかも認識してたのか怪しいから。
0646人間七七四年
2010/09/17(金) 08:02:43ID:LkPIAVMe0647人間七七四年
2010/09/21(火) 19:08:50ID:GorKQeAF0648人間七七四年
2010/09/22(水) 15:02:36ID:ppNV72lr精進したり鳴物停止しなきゃいけないのにねぇ
0649人間七七四年
2010/09/22(水) 23:18:23ID:jbw/7g1mでなきゃ、謀反を摘み取るためとはいえ事の運びが早すぎるものね。
0650人間七七四年
2010/09/22(水) 23:27:31ID:rh1/qZrY0651人間七七四年
2010/09/23(木) 01:42:03ID:VLoc4n1y気が小さければ拾誕生時点でさっさと関白辞めて事なきを得たのに。
0652人間七七四年
2010/09/23(木) 01:50:56ID:VLoc4n1y秀次が円満に秀頼に関白を譲っても、いつか秀次の子が関白を狙ってくるかも知れない。
しかし何も無しで秀次の子を殺すのはまずいから秀次を謀反人に仕立て上げて謀反人の子供として殺した。
0653人間七七四年
2010/09/23(木) 19:34:02ID:BDyVDbbqそれって天理図書館報ビブリアに載ってる物ですよね。
文禄二年から文禄四年までの秀次に関して何か気になる記述はありますか?
0654人間七七四年
2010/09/24(金) 19:35:24ID:52WHp6mo渡辺世祐
桑田忠親
宮本義己
藤田恒春
0655人間七七四年
2010/09/25(土) 18:11:42ID:motAPx9K0656人間七七四年
2010/09/25(土) 19:10:58ID:tf9gUlxv新時代の香りがする秀次さんとは評価する点が違う
0657人間七七四年
2010/09/25(土) 20:39:01ID:1r701l3w隠居願いを出して、毎月5000万円位のおこづかいもらって
悠々自適に引きこもるのに。
0658人間七七四年
2010/09/25(土) 21:15:37ID:2Rh/GYKI腹を切って腸を秀頼にぶちまけるのに。
0659人間七七四年
2010/09/25(土) 22:12:53ID:motAPx9K0660人間七七四年
2010/09/26(日) 11:02:40ID:DLMRX+QLまったく隠遁されるのも本意ではなかったろうな。
0661人間七七四年
2010/09/26(日) 20:16:38ID:uHBAR9U3俺には意味分からん。秀次は亡くなった木下兄弟の分まで頑張りたいから津田監物を頂きたいって言ったんだろ?
後、同じ書状で秀次が秀吉の甥であることを鼻にかけて人にも慮外の振る舞いをするとか言ってるが、秀吉おまえ見たんかい?秀次を讒言した奴の嘘を信じただけだろ?
0662だ
2010/09/26(日) 22:50:20ID:40sfe5eL家康に渡るよりよくね?
0663人間七七四年
2010/09/26(日) 23:09:55ID:QV+1183X明確には書いてないけど一柳を手打ちにしようと思ったけど思いとどまったって書いてるのから推測すると
諫言した一柳に秀吉の甥であること鼻にかけて秀吉に取次ぎさせたとかいうような事情だったんじゃねーのかな
0664人間七七四年
2010/09/26(日) 23:29:36ID:uHBAR9U3木下兄弟が戦死したからそれを挽回する為に津田監物を欲しいというのが何か悪いの?
「人にも慮外の躰、沙汰の限りに候」が事実なんすかねぇ?
0665人間七七四年
2010/09/26(日) 23:43:48ID:DLMRX+QL死んじゃったから代わり頂戴と気安くいわれたらそりゃ怒ると思うが。
0666人間七七四年
2010/09/26(日) 23:47:32ID:uHBAR9U3今思ったことだけど、木下兄弟が死んだ事と、池田監物を欲しいと言った事は関係ないかもしれない。勝手に秀吉が秀次に八つ当たりしただけかもしれない。
0667人間七七四年
2010/09/27(月) 00:17:33ID:K43LGdx9戦死者でて身の回りが手薄なので武将派遣してもらえないかと言うような問い合わせなら兎も角
武辺者指定して貰い受けようなんて傲慢でしょまんま血縁を鼻にかけてる
0668人間七七四年
2010/09/27(月) 01:30:48ID:ZVb+KTDX一、今度、木下助左衛門・同勘解由相附け候ところ、両人の者ながら殺し候こと、取分け迷惑と存ずべきところ、
其の心はなく、一柳市介を以て、津田監物とやらんを欲しきよし申し候。
たとひ、秀吉様、誰やの者を預かり候とも、今度御預かりなされ候者、一人も残さず、両人ながら討死致させ、
我はのこり候間、又御預かりの儀、外聞迷惑のよし斟酌申すべきどころ、申させ候者は、なかなか申すに及ばず、取次ぎ候者、無分別の大たわけと存じ、既に市介めを手討ちにも致したきと、秀吉存じ、今まで言葉にも出さず、腹中に折りこみ候て、遠慮を加へ候。
よくよく分別を致し、諸事に嗜みこれあり候て、秀吉甥の切れかと呼ばれ候はば、何より以て満足たるべく候間、右の一書を守り、心持以下嗜み尤もに候事。
0670人間七七四年
2010/09/27(月) 15:27:20ID:ZVb+KTDX0671人間七七四年
2010/09/27(月) 16:17:41ID:Fp+R2RHU0672人間七七四年
2010/09/28(火) 22:36:55ID:hzlTxGqF0673人間七七四年
2010/09/28(火) 23:10:08ID:PQhGXjEFさらに鳴り物入りで始めた唐入りも・・・だしな
スケープゴートが必要だったんだろうが、やり方が悪かったとしか
0674人間七七四年
2010/09/29(水) 06:42:10ID:QryefL23アホらし
0675人間七七四年
2010/09/29(水) 10:12:19ID:mOGYVCi+0676人間七七四年
2010/09/29(水) 10:32:55ID:jAvGw/2S秀吉はその数少ない身内を後に粛清していますよ。
0678人間七七四年
2010/10/01(金) 23:39:05ID:bbIAjuWa0679人間七七四年
2010/10/03(日) 00:08:18ID:W2Bge4PJ0680人間七七四年
2010/10/03(日) 07:25:06ID:xAwnzMuEいや、皮肉じゃなくて
0681人間七七四年
2010/10/05(火) 07:56:06ID:UY29vqlR0682人間七七四年
2010/10/08(金) 00:16:57ID:/SDbjXpu0683人間七七四年
2010/10/10(日) 05:34:38ID:cF8/S0V90684人間七七四年
2010/10/11(月) 18:10:24ID:fm5nU2Z50685人間七七四年
2010/10/12(火) 00:29:49ID:941cOVUf0686人間七七四年
2010/10/12(火) 13:00:28ID:Rw+V5wdq三成とかその辺りかな
秀吉の死後、その側近は退けられることが普通に分かってるから
どうにかして秀次を退けないといかん
0688人間七七四年
2010/10/12(火) 18:21:21ID:T1Vrtphw> 福島正則かな
> 清洲領を引き継いだし一番得したのが怪しい
蔵入地だらけで管理費程度しか出ないような清須の領有が得ってw
0693人間七七四年
2010/10/13(水) 23:44:52ID:OdzCsCo8川角太閤記でその話が出てるな
秀吉にいろいろ吹き込んだのが三成だった、という話だが
秀次旧臣に取材したためか秀次の記述が同情的だし
真偽は別にして、当時その辺りにそういう説が流布されてたのは間違いない
つまりは、そういうことをしそうな奴が三成だと思われていたのだろう
0694人間七七四年
2010/10/14(木) 05:31:39ID:wTp4PgbZその秀次旧臣は服部吉兵衛ですね。
『川角太閤記』の作者とは一緒に青木紀伊守に仕えその次に田中吉政に仕えた事から良く知る人物だったようですね。
0695人間七七四年
2010/10/14(木) 09:47:56ID:bwxF3gue川角太閤記は秀次事件の描写が異様に詳しくてスペースも大きく割いてるよね。
当時豊臣政権周辺にいた人達にとって、それだけ衝撃的な事件だったということなのだろう。
0696人間七七四年
2010/10/14(木) 14:21:20ID:NHz11t/E0697人間七七四年
2010/10/14(木) 19:14:16ID:bwxF3gue秀次の家中に譜代家臣なんて一人も居ないんだから、
ほとんどの旧家臣に秀次という人間への思い入れなんてゼロだろ。
だいたい長く歴史のある家の家臣団でも一端滅ぼされたら滅ぼした相手の家臣団に
組み込まれるのがこの時代だぜ?
今川家臣の多くが何故武田に仕えたのか考えてみろ。
0698人間七七四年
2010/10/15(金) 02:17:37ID:JJ4x6OG3三成スレでも時々見かけるが
もしかして潰された家の家臣は潰した家に仕えるわけないとか思ってる?
浅井旧臣がどれだけ織田家に組み込まれたかとか
今川旧臣がどれだけ徳川家に組み込まれたかとか例は一杯あるよな
まぁ、こういうのよく分かってないうちはついそういう風に考えちゃうもんではあるが
そういう考え方って当時は一般的じゃないよな
主家の跡取りに年端もいかない幼児を据えて簒奪するのが公然とまかり通る時代だし
0699人間七七四年
2010/10/16(土) 12:43:27ID:z9oXmbCE0700人間七七四年
2010/10/16(土) 14:07:54ID:AE0JRF610701人間七七四年
2010/10/17(日) 12:22:38ID:DobnCLZ4庶民を虐殺したから「殺生関白」と呼ばれてるわけではありません。
0703人間七七四年
2010/10/21(木) 00:25:18ID:ztecd5sm0704人間七七四年
2010/10/24(日) 15:31:58ID:M0h/WZ0e0706人間七七四年
2010/10/26(火) 17:52:12ID:Z1+Qa5shそういえば秀次は文禄元年末から病がちになるんだよね。
0707人間七七四年
2010/10/27(水) 18:52:06ID:uP1P9ahj0708人間七七四年
2010/11/01(月) 22:28:13ID:mqktzVob0709人間七七四年
2010/11/01(月) 23:09:06ID:eSf/9aBaついでに司馬遼以降も、研究者はともかく小説の中ではさして扱い変わらない
最近のベストセラー「秀吉の枷」でも通説通りの乱行を行ってた
0710人間七七四年
2010/11/01(月) 23:17:16ID:NUryERzK殺生関白も乱行もあれからだが、当時牛一は秀頼に仕えていたので
秀頼の正統性を高めるためああいう書き方になったくさい
0711人間七七四年
2010/11/01(月) 23:22:00ID:acsIo3bV「秀吉の枷」では淀に毒を盛られて、それで精神に支障を来たしていたみたいな
解釈じゃなかったっけ。
で、その乱行を梅毒のせいだと勘違いした秀吉のために、関わった(感染の可能性
ある)者があのように皆殺しにされたと。
まぁ史実とは考えにくいが、発想としては面白いと思ったな。
0712人間七七四年
2010/11/01(月) 23:42:44ID:eSf/9aBa聚楽第を燃やすのもそのためなんだよね
0713人間七七四年
2010/11/03(水) 18:26:46ID:P5Uh0dyg0714人間七七四年
2010/11/20(土) 21:52:16ID:WSQLRtQF0715人間七七四年
2010/12/01(水) 16:56:33ID:NvQfBAE3秀吉が秀次に発給したとされる、秀次が秀吉の甥であることを鼻にかけ慮外の振る舞いをし、木下助左衛門と勘解由兄弟を死なせたのにもかかわらず、池田監物(津田監物とも)が欲しいと一柳市介を使いに遣り要求したことなどを叱責した
五箇条からなる訓戒状は偽物の可能性ってないんでしょうか?
0716人間七七四年
2010/12/02(木) 11:51:37ID:yBuZd+3Ihttp://c.2ch.net/test/-/sengoku/1258353808/72
0717715
2010/12/03(金) 07:37:02ID:oQw8iiXg0718人間七七四年
2010/12/03(金) 11:59:12ID:o+o0gV/n秀次の自刃の時期に連動して奥羽が混乱と言えば
秀次に熱心に仕えて毛利や伊達や細川はその甲斐もあって秀次から大借金させてもらってたんだよな。
それを秀吉は人気取りって批判してたよね。
0719人間七七四年
2010/12/03(金) 12:24:49ID:gsiYezwB0720人間七七四年
2010/12/03(金) 13:02:36ID:o+o0gV/n外征に集中する秀吉側近官僚の三成・大谷・上杉側が津軽や小野寺
織田以来の武断派の前田・蒲生側が南部や安東
内政委任された秀次側が伊達・最上
結局は政権内の権力闘争なんじゃないか?
秀次や蒲生らが死亡後に
子の烏帽子親に三成を選んでいることもあり安東は三成に近づいたような気がする。
蒲生や秀次無きのちに前田の権威が陰り、その空白を埋める形で権威を拡大させた家康に伊達最上が近づいたか。
相変わらず南部は前田かな。
そして関ヶ原へ突入。
0721人間七七四年
2010/12/04(土) 03:00:56ID:ZXQg+qf/所領安堵の運動も三成を通じてやっていたようだし、その事を最上が指摘している
小野寺は逆に上杉とは敵対姿勢で、大谷や上杉の検地に対してゴタゴタ起こしている
関ヶ原で西軍に付いたのは単に敵(最上)の敵(上杉)は味方ってだけだろう
0722人間七七四年
2010/12/07(火) 18:53:26ID:fgUbcoyO0723人間七七四年
2010/12/12(日) 00:18:26ID:15qCZMFp普段から秀吉の甥で有ることを利用して他人に最低最悪な振る舞いをし、木下祐久と木下勘解由を死なせたのに、秀吉に一柳直末を派遣して津田監物頂戴と強請って秀吉から叱責される無能秀次。
治天の君が崩御なされた諒闇期間中なのに山科言経に鶴汁食べること強要するは、狩りはするは、相撲興業するは、
更に聖上陛下が御病気の時に自分が病気だからと陛下の御典医を勝手に呼び出し診察させ、陛下を危うく崩御させかけた不敬極まりない国賊秀次。
太閤殿下この国賊を一族もろとも処罰して頂き本当にありがとうございます。
0724人間七七四年
2010/12/12(日) 05:52:11ID:zZ2abUSU0725人間七七四年
2010/12/12(日) 12:51:31ID:15qCZMFp秀次が叔父の力を利用して威張り散らしてた性悪なのも、武将として無能なのも
御皇室を軽んじた国賊なのも事実じゃんかよ。
0726人間七七四年
2010/12/13(月) 02:05:46ID:TS9lIbmQ0727人間七七四年
2010/12/13(月) 08:53:02ID:wa3wFaH9秀次には家康ほどのタヌキ演技力が無かったと言うことだ。
0728人間七七四年
2010/12/13(月) 23:54:13ID:pnaswWrc他人の力を利用していた奴も、武将として無能なのも、皇室を軽んじているのも、
「この戦国時代には山ほどいた」ということをふまえて、
戦国時代の武将は全部国賊ですよ?
天皇の命令にも従わないし。
それに皇室を重んじてるなら、この時代の皇族その他が困窮してない。
0729人間七七四年
2010/12/14(火) 04:43:12ID:HVS9ZQrC和睦仲介をしてもらったりしてた大名だっていたのも知らんで全員国賊ってw
かりにも天皇につながる源氏や平家との繋がりをでっち上げた武将たちが軽んじてるわけないだろ。
0731人間七七四年
2010/12/14(火) 09:47:58ID:8Z67z/kJ金で権威や大義名分が買えるなら安いと考えた連中の方が多いかもな
0732人間七七四年
2010/12/14(火) 10:43:49ID:HVS9ZQrCそもそも現地で公家領を実質的に支配してた惣村らが合意して武将配下になったりしてたから。
戦乱の中で水利権の自衛が必要になり惣村一揆などが組織される中で公家が自力で守れない以上はどこかの傘下に入るのはやむを得ない。
なんせ京まで年貢を無事に運べないんだから。
自力防衛する為に現地へ下向した公家もいたが、
領主としての統治力が試されただけ。
どちらの陣営に付くかによって治乱興亡するわな。
公家か武家かは関係無くその地の領主としての警察権実行力があるか無いかだけ。
天皇の名前を持ち出して領地横領で逆賊認定された戦国武将なんていない。
そもそも逆パターンで武家が奪った領地を公家や寺社に寄進したりしてるし。
公家が戦火を逃れて武家の世話になったりしてるし。
朝廷にとっても道中で略奪されるより武家からの寄進や献金の方が確実に実入りになる。
0733人間七七四年
2010/12/14(火) 11:19:31ID:S1SBfOqb阿呆か。荘園ってのが公家のものだけとか考えてるのかおまえは?
皇室の荘園も全国に存在するわ。無知は黙ってろ。
0734人間七七四年
2010/12/14(火) 11:39:38ID:HVS9ZQrC戦国末期まで存在した皇室経営荘園なんて無いよ。
時代の変遷とともに時代に合わなくなっていった荘園は守護請でほとんど守護大名が護ってくれてるうちに解体され失われたから。
でも守護大名も逆賊にされて追討命令なんて出てない。
京洛近郊の公家寺社領は足利幕府が護ってくれていたね。
それが足利幕府が全国統治出来なくなった後も京洛では支配権を持ち続けられた理由だし、
逆に奪ったら足利幕府は治安維持能力を喪失するから。
そもそも秀吉が検地を通して荘園を完全否定したからって
秀吉が天皇な対して逆賊になるわけでもないだろ。
0736人間七七四年
2010/12/14(火) 12:02:48ID:HVS9ZQrC荘園否定した秀吉は逆賊ですか?
0737人間七七四年
2010/12/14(火) 12:18:51ID:ewiCWZLV0738人間七七四年
2010/12/14(火) 13:29:25ID:ewiCWZLV0739人間七七四年
2010/12/15(水) 23:49:41ID:gZQ1V642秀次が糞だとわかるぞ
0740人間七七四年
2010/12/16(木) 00:13:32ID:4rExSGpb0741人間七七四年
2010/12/16(木) 16:56:38ID:QWzT87x20742人間七七四年
2010/12/16(木) 20:20:56ID:mxxwPfH00743人間七七四年
2010/12/17(金) 13:40:41ID:pq4m/SiT0744人間七七四年
2010/12/19(日) 15:12:27ID:IcUg+wBz秀次は小賢しいチキン野郎プゲー
0745人間七七四年
2010/12/19(日) 15:58:10ID:vTXG1r1bそれをみて伊達が秀次に歩み寄り毛利や細川ともども大金を借りまくったりして支持を拡大させてたからな。
おそらく朝鮮出兵軍事費用に関わるトラブルがあったと思われる。
秀吉が全力を傾けていた朝鮮出兵の方針で対立してたのは間違いない。
0746人間七七四年
2010/12/19(日) 20:11:48ID:E1+IawwI0747人間七七四年
2010/12/19(日) 21:35:37ID:jaNk5+rD秀次粛清の情報を聞かされて、いち早く秀吉に忠誠を誓って助かった、って感じみたいだな。
0748人間七七四年
2010/12/19(日) 22:24:03ID:UviLZfZU豊臣政権に大ダメージだったろうな。ただでさえ有力な譜代が少ないのに。
0749人間七七四年
2010/12/21(火) 19:58:38ID:7hivd26s0750人間七七四年
2010/12/22(水) 00:10:43ID:XI2A4HsL0751人間七七四年
2010/12/28(火) 00:14:26ID:FJyTOw7S0752人間七七四年
2010/12/30(木) 16:17:13ID:vRd8tnDK0753人間七七四年
2011/02/03(木) 21:00:51ID:x1dbgKsV0754人間七七四年
2011/02/04(金) 16:31:47ID:MJ+2yLh2秀次乱行伝説は全部捏造?それとも南北朝の護良親王みたいに圧迫されつづけ壊れた結果?
0755人間七七四年
2011/02/04(金) 16:50:43ID:R9+sqWlP0758人間七七四年
2011/02/05(土) 10:52:19ID:rZl4ESM8秀次の子女を有効に活用できていたら豊臣政権としての基板はもっと確かなものになっただろう。
秀吉個人の血脈?知らんがな。
0759人間七七四年
2011/02/06(日) 04:06:59ID:kueaJX8V関白になるにしても、最初からショートリリーフなら
秀吉がトップで下に関白秀次って形を貫徹して、二元化の弊害は最低限に押さえられただろうし
淀殿、三成との対立も特に無く、他の豊臣家臣団との関係も別に悪くなかったようだし
北政所との関係も特に悪く無い
鶴松死亡は色んな意味で他人の人生もねじ曲げてそう
0760人間七七四年
2011/02/06(日) 15:50:15ID:zey1cbjK0761人間七七四年
2011/02/10(木) 23:08:15ID:0FOGzis3太平の世だったなら、まだ勤まったろうに。
0763人間七七四年
2011/02/24(木) 08:26:30.87ID:e7g+v+nk0765人間七七四年
2011/03/01(火) 01:14:15.64ID:mD84lncz0766人間七七四年
2011/03/01(火) 07:14:16.29ID:AE0xE213秀次の次って誰?
秀次の息子?
0767人間七七四年
2011/03/02(水) 06:22:34.46ID:IgkIoyRz0768人間七七四年
2011/03/02(水) 22:57:53.88ID:MFPhcqhP史実は秀頼の補佐として、次第に騙して権力や領地を奪っていったから成功しただけ。
0769人間七七四年
2011/03/02(水) 23:54:05.11ID:IgkIoyRz0770人間七七四年
2011/03/03(木) 00:01:36.37ID:gR8z8s9U史実では入れざるを得なかったからああなったが、秀次が生きていたら
家康の出る幕はないだろ。豊臣公儀の下の一大名で終わっただろうよ
0771人間七七四年
2011/03/03(木) 00:05:44.49ID:YuJt1LlL0772人間七七四年
2011/03/03(木) 00:11:50.54ID:1YJb2dqG0773人間七七四年
2011/03/03(木) 00:40:30.15ID:gR8z8s9U秀次が凡庸だろうと、政権に参加していない家康がどんな大義名分で
政権に参加できるんだ?
0774人間七七四年
2011/03/04(金) 01:51:47.97ID:ak5TIlJ0豊臣以下、一番天下への野心と実力があったのは家康だけだし。
江戸公方とかに適当な名前つけて中央から遠ざけておけばよかったんじゃね?
家康さえ権力の中枢から排除しておけば、
秀吉死後に家康が野心丸出しにしても、天下簒奪はならなかったろうなぁ。
0775人間七七四年
2011/03/04(金) 13:19:23.80ID:DaM4afsh何でと言われても豊臣政権において家康は実質的に東国統治の責任者なんだが。
家康の臣従は家康と秀吉の連合政権の樹立に近い話だったわけで。
だいたい臣従以降秀吉の生きている間、家康は秀吉に反抗していないんだから
秀吉の判断は100%正しかったというべきだろ。秀吉が死んだあとのことなんか知るか。
お前が自分の死んだ後のことも全部予測できるのならお前は秀吉を批判していい。
0776人間七七四年
2011/03/04(金) 21:32:34.64ID:N6ACm7ct家康に実質的権限なんてない。指南や取次の浅野石田増田のほうが
専権を与えられてる。
0777人間七七四年
2011/03/05(土) 10:55:37.64ID:Vmx9bHTqなら意味ないよ。
秀吉遺訓を破りまくった家康を、誰も咎めることができなかった(咎めようとはしたが)ため死文化して
しまったように、実質的な武力の裏づけのない権限なんてこの時代なんの役にも立たない。
秀次後継だろうが、秀吉という後ろ盾を失った後に、秀次が家康他を押さえつけることができるかどうかにかかる。
秀次が引き継いだとして、その状況というのは、唐入り戦況悪化ということもあり、決して楽観できる状況ではない。
0778人間七七四年
2011/03/05(土) 13:51:17.94ID:wyh56rU5いや、見事朝鮮半島を占領して領地にして、秀吉の死後に新国家樹立⇒日本も支配ってなってたかもしれんがw
0779人間七七四年
2011/03/05(土) 16:33:14.35ID:rNPMdVCoそれを危険だからって天皇を動かして止めたのが秀次
0780人間七七四年
2011/03/05(土) 20:41:41.97ID:5BwrCrW+0781人間七七四年
2011/03/05(土) 22:13:46.35ID:Ujq0wguY秀次がまだ関白殿下と呼ばれていた頃、家康は中央の政権に参加していない。
そして、秀吉死後でも秀次が関白殿下のままなら家康が中央政権に参加する
大義名分がない。
0782人間七七四年
2011/03/06(日) 05:57:17.29ID:02eAJwIyということは、もしかして秀吉は諸武将の力を削いで豊臣家の支配を磐石にとかじゃなくて、
ガチで勝てると思って朝鮮出兵したのか。そりゃ徳川家は送らんわな。
勝って領土増やされたら危ないってことで。本当に耄碌してたんだなぁ。
0785人間七七四年
2011/03/06(日) 07:23:55.47ID:kF9EPZJu0786人間七七四年
2011/03/06(日) 07:41:40.76ID:D5pSim7Kその中央の政権(豊臣政権)自体が弱体化しようとしているんだが。
もっとも、
・豊臣政権の主導で空前の大遠征を企画するも失敗。一片の領土も獲得できず。
・参加した大名同士で深刻な対立が発生。
・それを抑えられるカリスマ創業者秀吉が死亡。政権の求心力低下は不可避。
この状況で、最有力大名の家康の力も借りず、秀次だけで諸大名の不満を宥め、抑えることができるかな?
モタモタしていたら頼みがたしと見切りを付けられ、諸大名は次の頼れる親分を求めて勝手な行動をしだすだけ。
秀吉死後に、一時的に戦国時代に逆戻りという史実で起こった構図のとおりだね。
0787人間七七四年
2011/03/06(日) 07:44:39.74ID:ybAFW/GF0788人間七七四年
2011/03/06(日) 07:50:43.91ID:D5pSim7K秀吉に不興を買うのを覚悟してまで、秀次擁護に走った大名ってどのくらいいたっけ。
0789人間七七四年
2011/03/06(日) 08:29:24.69ID:tiLKKbz60790人間七七四年
2011/03/06(日) 09:19:23.79ID:KmtmbJzB正室として池田家、側室として最上家
主な与力大名
前野家、木村家、中村家、堀尾家、山内家
主な家臣
田中兵部、不破万作、大場土佐、舞兵庫
交流の濃い大名
浅野親子、蜂須賀親子、増田長盛親子、細川忠興、毛利輝元・秀元
一徳川家がどうこう出来るような陣容ではない
0791人間七七四年
2011/03/06(日) 10:00:23.13ID:ry2KNnPU仮に、秀吉が死んだあとに秀次が朝鮮出兵の後始末をしなくてはならなくなったら、徳川家を朝鮮出兵した連中への
生贄にしてしまうという手段もあるじゃないかな。
北条攻め以来、戦から離れていた徳川家が朝鮮で経験を積んだ連中に勝てるとは思えないし、恩賞に伴う大規模な
国替えを行うことで豊臣政権の支配力強化を図れると思うし。
0792人間七七四年
2011/03/06(日) 10:16:52.90ID:QWqwX/09佐竹以外の関東諸将、伊達あたりは家康派といえる大名だけど、
他はどうだろ。対家康のために越後に上杉、常陸に佐竹、甲斐に浅野、
会津に蒲生、東海道に秀次派諸将とガチガチに固めたわけだし。
あと、伊達は強いものになびくだけなので、いざ家康がヤバイってときは
すぐに寝返るだろうし。
0793人間七七四年
2011/03/06(日) 10:18:53.15ID:p/XSSbrL秀吉の後ろ楯があるから味方した訳じゃ無いべ
秀吉の後継者、次の権力者だから味方したんだろ
外様とか他の豊臣系がどう動くかは未知数だが少なくとも秀次と関係のある連中は積極的に裏切る事は無いだろ
秀次がすんなり後を継いだら裏切る理由は無い
0794人間七七四年
2011/03/06(日) 11:50:37.98ID:y549fheg大きく違うわけだし簡単にどうこういえるもんではないな。
0795人間七七四年
2011/03/07(月) 22:34:22.70ID:o2Y5RyVt実際、秀次が失脚した時に秀次派? とやらの連中まったく頼りにならなかったしな。
そもそも秀次派だったとも思えんし。
0796人間七七四年
2011/03/08(火) 09:27:22.97ID:AMOQZvT5その後の政権運営で離反者を出す可能性は有るが
0797人間七七四年
2011/03/08(火) 11:45:11.68ID:AJW2iVH9秀吉に比べれば家康のがマシ
0798人間七七四年
2011/03/08(火) 21:12:31.46ID:bmIoc9TRそのまま受け継いだら、家康なんぞ正直目じゃないだろ。
0799人間七七四年
2011/03/08(火) 22:25:52.73ID:vKyYqJPp秀次に不満な大名なんてそもそもいない
0800人間七七四年
2011/03/08(火) 22:41:25.70ID:bmIoc9TRつか、わざわざ時の権力者に謀反するような真似をするメリットもないしな
0801人間七七四年
2011/03/08(火) 23:43:29.69ID:ad1myIc7秀次派は山内、堀尾、生駒、中村が伏見城を攻める
0802人間七七四年
2011/03/08(火) 23:53:27.36ID:bmIoc9TR秀次が関白職についたままなら、家康のほうが謀反人になるぜ、それ。
0803人間七七四年
2011/03/09(水) 10:25:51.87ID:Bi/BenNL最低でも関白職は自分から放棄していなければ生かしてもらえないだろうし
秀次が秀頼を手元で管理することは秀吉が認めないのは明らかだから
権威などの後ろ盾がない状態で秀頼を担いだ家康とガチ勝負をしなければならん
0805人間七七四年
2011/03/09(水) 12:52:15.45ID:ooUtB+sn伏見に秀次
江戸に家康
0806人間七七四年
2011/03/09(水) 14:08:03.36ID:v5G0hY8s幼君秀頼を相手に虐めまくって権力を奪いとったのが家康。
0807人間七七四年
2011/03/09(水) 14:23:03.65ID:TL3w5V070808人間七七四年
2011/03/09(水) 19:25:01.66ID:vja7aIec0809人間七七四年
2011/03/09(水) 20:12:12.13ID:ooUtB+sn無謀すぎる
0810人間七七四年
2011/03/10(木) 06:22:21.07ID:yz4lAoso唐入りの後始末をそもそもどうつけるかのか、恩賞としてやる領土も得られなかったのに、諸大名の
不満をどう宥めるのか、大敗による求心力の低下をどう回復させるのか。
頓挫した拡大路線から、新路線への展開をどう道筋つけるのか。
そもそもが貴種でもない血筋から、実力でのしあがったのが秀吉であり、秀次も諸大名を従わせるには
やはり実力を示すしかない。たんに二代目を継げばうまくいくなどという状況ではないよ秀忠とはまったく違う。
0811人間七七四年
2011/03/10(木) 07:32:14.93ID:09KX0lgsそれに秀次は子宝に恵まれていたから婚姻や養子策も使える。
五大老の前田や上杉を威圧して己が威令を世間に示す隙すらない家康に出る幕なんてまったく無い。
0812人間七七四年
2011/03/10(木) 20:50:18.15ID:oPdowfch秀次が関白殿下のままで、家康がどんな隙に付け込んでこられるんだよ?
力のまま無理矢理干渉したら、それこそ謀反で征討されるだけだしな。
0813人間七七四年
2011/03/10(木) 21:44:20.09ID:BrR71Xz2秀次が生きて関白なまま秀吉が死んだら秀忠が後を継いだ状態と大して違いは無いわな
秀吉が秀次殺して政権グダグダにした挙句、外様に政治参加させたから秀吉死後ああなった訳で
0814人間七七四年
2011/03/10(木) 22:19:33.48ID:jiOD5xLZ0815人間七七四年
2011/03/10(木) 23:30:26.57ID:dA87Js36朝廷に対しての前例を作り、
縁戚関係によって旧織田家家臣筋の有力者池田氏を取り込み、
与力大名には羽柴家尾張閥と近江閥をほどよくブレンドさせ、
奥州仕置きを通じて秀吉正室ねねの実家浅野長政幸長親子との関係強化
軍事的に西の脅威となりうる毛利家に対しては弟秀長娘を毛利秀元に嫁がせ
秀長の跡目に秀次弟
そして毛利の隣に宇喜多、大阪湾を挟んで蜂須賀(秀次与力大名前野家と縁戚)
東の脅威となりうる徳川家に対しては東海道に秀次与力大名をずらりと並べ
三河に池田、尾張に秀次弟、甲斐には浅野を配置
秀吉の凄みは、このような次代継承者秀次システムを己で作り上げながら
秀吉自身が完璧に壊した点だな
0816人間七七四年
2011/03/10(木) 23:40:41.54ID:yz4lAoso秀次が、秀吉の後継者たることを強調したければ、その政策も全面的に継承しなければならないが、
それはすなわち、秀吉の遺志を継いで唐入りも継続という結論になるんだが。
でなければ、亡き太閤殿下の遺志に背くということなるわけで。
0817人間七七四年
2011/03/10(木) 23:56:41.22ID:UbnDjnkW秀次が生きていればその遺命に従って粛々と撤兵するだけだろう
もっとも外征失敗による政権への動揺はもちろんあるだろうけどね
0818人間七七四年
2011/03/11(金) 06:33:49.09ID:LHFOg6WR0819人間七七四年
2011/03/11(金) 06:43:04.49ID:ZcH/zahV0821人間七七四年
2011/03/11(金) 09:02:55.76ID:RN1mhPTb安泰だとは思ってはいないが天下を統べる家が他に移るには当然代わりうる対抗馬が必要でしょ
後世の歴史から見れば徳川家康ってことになるんだろうけど秀次が豊臣氏2代目関白職を次いだままで
あったとすれば、いわゆる5大老5奉行制度もないので豊臣氏の政権運営に携わることもない徳川家は
単なる身代の大きい一地方大名に過ぎず、徳川政権下における前田家みたいなもの
0822人間七七四年
2011/03/11(金) 09:51:50.41ID:V4ftWVvq0823人間七七四年
2011/03/11(金) 10:33:39.13ID:fOB+8INz0824人間七七四年
2011/03/12(土) 07:03:00.63ID:FdaLRcEB五大老就任が徳川天下獲りの必須条件みたいな意見をよく見かけるが、歴史を振り返れば他の武家政権
―三幕府にしても平家にしても―は、その政権の要職に就いていた者から倒されたわけではないよ。
失政や時代の流れ等により、武士たちの支持を失ったから倒されることになった。
同じ二代目でも、秀忠と秀次で決定的に違うのは、秀忠は家康が敷いた路線をそのまま踏襲していけば
よかったのに対し、秀次は先代秀吉のやり方が唐入り失敗で壁にぶち当たり、拡大路線に変わる新たな
方針を、秀次の政策として新規に起さねばならないところ。だから、秀次の政治的力量次第というわけ。
0825人間七七四年
2011/03/14(月) 09:10:30.60ID:Cpkin/bl0826人間七七四年
2011/03/15(火) 05:59:33.81ID:bH3wkOVl0827人間七七四年
2011/03/15(火) 15:52:43.22ID:2e8eYByu0828人間七七四年
2011/03/15(火) 21:34:15.08ID:bH3wkOVl池田輝政ってそんなに配慮しなければならないほど利用価値があったか、或いは権力があったんですか?wikiを読む限りだと、さほど、、、という感じがします。
むしろ、菊亭晴季の方に配慮した方が良かったように思えますが。
0829人間七七四年
2011/03/15(火) 23:48:43.87ID:f/C7567H0830人間七七四年
2011/03/16(水) 17:24:34.22ID:gKJWrR0A最上とか縁のない田舎大名ならともかく
恒興は秀吉の同僚みたいなもんだし
長久手で死んだとはいえ、配慮したんじゃ?
0832人間七七四年
2011/03/18(金) 13:07:25.47ID:Hh32T/zy0833人間七七四年
2011/03/18(金) 17:40:49.02ID:hrcjglLo0834人間七七四年
2011/03/18(金) 23:05:32.48ID:Hhjt0uQl0835人間七七四年
2011/03/18(金) 23:08:46.89ID:VfuNFCAH0836人間七七四年
2011/03/19(土) 01:30:18.09ID:wjbmcTuA0837人間七七四年
2011/03/19(土) 08:54:05.75ID:VShfC5mW家康が東西両陣営における近い未来の戦力増加要素として西軍大津攻略部隊と
東軍秀忠部隊を天秤にかけた結果なのだろう
将も兵も朝鮮での戦闘歴が豊富で大津城を抜いて意気上がる立花・秀包部隊
将も兵も合戦からおよそ10年無縁で悪路の中山道を強行して駆けてくる秀忠部隊
0838人間七七四年
2011/03/26(土) 10:46:45.68ID:KrTMlQ22秀次の大敗は、戦略そのものを変えてしまった。
戦さで屈服させることができなかった相手としてその後の家康の特別扱いに繋がっていく。
0839人間七七四年
2011/04/22(金) 14:29:04.16ID:m66L7lM80840人間七七四年
2011/05/16(月) 11:08:35.04ID:chy/EIP10842人間七七四年
2011/05/19(木) 05:22:07.55ID:YVFx5zpD秀次はん、あの世で暇そうやね
0843人間七七四年
2011/05/28(土) 09:52:17.88ID:9mUbG5nt『日本西教史』の豊臣秀次に関する記述はどこまで信用できる?
後、柏書房から出版された『消された秀吉の真実』読んだ人いる?
0844人間七七四年
2011/05/29(日) 03:29:21.25ID:KnWtJKom0845人間七七四年
2011/05/31(火) 15:14:58.17ID:G1t/I+fZ0846人間七七四年
2011/05/31(火) 15:39:49.04ID:BRyEv1mY0847人間七七四年
2011/05/31(火) 20:35:32.81ID:H/W8QK0K0849人間七七四年
2011/05/31(火) 21:29:01.07ID:tfEIAcOy三成&正則がタッグ組んで秀頼派になるのかな
外様抜きの内紛だとして
0850人間七七四年
2011/05/31(火) 22:34:21.24ID:c9HQuX400851人間七七四年
2011/06/01(水) 20:04:50.01ID:nEgHLWBZなら呑めばよかったのにな
0852人間七七四年
2011/06/01(水) 20:22:39.46ID:H6dAKl/oそれやってても無理だろ。秀吉の死後必ず争いになって、恐らく共倒れ。
一番いいのは、毛利秀元みたいに秀次が自分から身を引いて、秀頼後見役になることだったろう。
秀次がそうしないなら、秀吉は秀頼跡継ぎ諦めるべきだったけど、何の功も才もない秀次ごときにって感情はどうにもならないね。
0853人間七七四年
2011/06/01(水) 22:50:48.00ID:1f6l2TP40854人間七七四年
2011/06/01(水) 22:53:06.42ID:BGXzuNAQ秀次自身が自分の無実を主張するための切腹だった、って説は面白いな。
だとすると秀次は一種の「恨み腹」をしたわけで、これをすると親族や家臣には恨みの対象への
復讐義務が生じる。
秀吉が秀次の恨みの対象を自分だと捉えたとすれば、秀吉による秀次親族や家臣への
執拗な粛清の理由も見えてくる気がする。
0855人間七七四年
2011/06/02(木) 00:17:21.91ID:Gy7OwD9g0858人間七七四年
2011/06/03(金) 09:10:37.23ID:GASYbf+/ここに書かれているフロイスの報告やモンタヌス日本誌の記述から
豊臣秀次が一般市民を殺害していた可能性は否定できないと思うのだけど
このスレ住人的にははどう?
0860人間七七四年
2011/06/03(金) 12:34:13.91ID:GASYbf+/>信憑性は俗悪週刊誌の記事程度
>>858であげたルイス・フロイスの報告やモンタヌス日本誌とか>>858にはないけど、ジャン・クラッセの日本西教史にある
豊臣秀次の殺人関連の記述は当時世間に流れていた噂ということなのかな?
でもモンタヌス日本誌と日本西教史に出てくる屠殺場の話は信憑性あると思うんだよね。
0861人間七七四年
2011/06/03(金) 16:26:00.04ID:0hMkWYv4何かの処刑かもしれないしキリスト教徒から見れば悪では
なくてもこっちでは許されないことかもしれないし
こういう一事をもって人間性とか性格の判定をしようとするなら
そういう手法の方に問題があるだろうし。
0862人間七七四年
2011/06/03(金) 19:31:51.14ID:cZUvo1L9荒っぽい気性は仕方ないと言うか当然なんじゃない
乱心、冷酷とかそういう類いのものではないと思う
0863人間七七四年
2011/06/04(土) 09:45:18.65ID:4/OsbRLE前野、木村といった秀吉糟糠の家臣団と服部、滝川などの織田系家臣団と中村、山内、田兵、
不破の近江系家臣団の混交所帯だけど内輪揉めなどの記録は残っていない
良く言えば、己が能力(不足なことを)を知っていて家臣に仕事を任せられるし、家臣間の調整も
できるという2代目にはもってこいなタイプ
0864人間七七四年
2011/06/04(土) 20:34:30.63ID:XCmmMxWg0865人間七七四年
2011/06/04(土) 20:43:52.53ID:lA1RO6UX0867人間七七四年
2011/06/05(日) 17:15:36.40ID:RVwz2XP4>「消された秀吉の真実」に出てたけど、秀次の切腹が秀吉の命令ではなく、
>秀次自身が自分の無実を主張するための切腹だった、って説
でもその『消された秀吉の真実』の中で堀越祐一に批判されていた宮本義己は『誰もしらなかった江』で、
豊臣秀次の自刃の理由は、謀反に対する無実=偽り、すなわち不誠実な対応を咎められたうえでの自刃であって、
無実の意味が「謀反の嫌疑が晴れた」とした自分の解釈は間違っていたと言っているよ。
無実はこれのhttp://dic.mobile.yahoo.co.jp/p/dic/search/detail?type=jj&index=21871817904400三番目の意味なんだと宮本義己は言っているんだろうね。
0868人間七七四年
2011/06/06(月) 15:08:01.98ID:Xt7DtxSK0869人間七七四年
2011/06/09(木) 12:27:28.62ID:0gvvigvxここで話題になっている秀次関連の記述読んだ人いる?
0870人間七七四年
2011/06/30(木) 05:54:26.78ID:Xd4FiAKT0871人間七七四年
2011/07/11(月) 20:29:17.88ID:a+iSm9do0872人間七七四年
2011/07/11(月) 22:59:52.73ID:au6/qrYS関白はその性質上、必ず大人しかなれない。
これが将軍だったら秀頼が幼少でも秀吉の圧力で秀次からすぐに譲らせる事が出来た。
しかし関白だと秀吉がいくら圧力をかけても秀頼が成人するまで譲位が不可能。
秀吉が秀頼成人まで生きれる可能性は低いし、秀頼が成人になって秀次が譲位する確証はどこにもない。
いずれ確実に秀頼を関白にするには秀次を消すしかないという判断になったんだろ。
秀吉が将軍になれていたら歴史は大きく変わっていたかも。
0873人間七七四年
2011/07/11(月) 23:12:08.81ID:fiCDkmtH足利義昭様の養子になれなかったから。
義昭殿の
大 勝 利
だね!!!
0874人間七七四年
2011/07/12(火) 01:09:58.30ID:QvufKzfG実は関白ではなく太政大臣の地位。関白は辞任しても太政大臣の地位は最後まで
保持し続けた。
なので豊臣が武家関白家として武士を統率した、というのは少しちがうとおもう。
本質的には平清盛のような、太政大臣政権だな。
0875人間七七四年
2011/07/13(水) 07:25:18.51ID:J9zPKeMG義昭じゃなくても他に源氏系の人間なんてたくさんいただろ
0876人間七七四年
2011/07/13(水) 18:38:43.59ID:aAglbYah摂関家は5つだけ、みたいな物。
義昭の死と共に「将軍職を家職とする足利宗家」が断絶したとされた。
0877人間七七四年
2011/07/14(木) 18:09:30.68ID:IB9vLpC9いけなかったってこと?
幸いすでに死んでたけどさ。
0878人間七七四年
2011/07/14(木) 19:59:21.11ID:aVAR+d05ただその場合家康が将軍職ではなく、他の官位で公儀形成を行なった可能性もあるがw
0879人間七七四年
2011/07/15(金) 14:41:22.65ID:P/Yl3HFk家職ではないし
そもそも義尋を忘れるな…
>>877
義昭は准三后に出世し出家しとるから将軍職は手放しているよ。
0880人間七七四年
2011/07/16(土) 19:59:01.32ID:LmpPYKz70881人間七七四年
2011/07/16(土) 23:44:23.84ID:5ae2KqSl0882人間七七四年
2011/07/18(月) 08:38:48.00ID:yeD5jXRa0883人間七七四年
2011/07/19(火) 01:43:37.15ID:YtuOL1/B秀次は小牧長久手での痛い経験があるから執拗に家康を警戒し続けるだろう。
そうなると家康は関ヶ原みたいな戦も起こせなくなる。
0884人間七七四年
2011/07/19(火) 10:35:38.11ID:c1KYHs1i家康が淀の浮気相手を差し向けたという説や、家康自体が秀頼の父親という説まで。
全ては将来邪魔になる秀次を秀吉に殺させるために。
0885人間七七四年
2011/07/19(火) 10:47:58.54ID:Sj600Njf0886人間七七四年
2011/07/19(火) 11:45:00.36ID:FzGcpgJz0887人間七七四年
2011/07/20(水) 16:24:50.50ID:DySY15Kb0888人間七七四年
2011/07/21(木) 15:16:09.12ID:HUs1fZhl秀頼がいなければ、そもそも秀次は安泰だったんでは? という見方もあるが
結局秀次に天下を治めるだけの器量がなければ秀吉死後に潰されるだけ。
0889人間七七四年
2011/07/21(木) 16:41:47.41ID:F/4/4whbの無限ループだなwこのスレはww
0890人間七七四年
2011/07/22(金) 00:30:08.64ID:BoV6K66+どこが一枚岩だ?
秀次なら豊臣恩顧が家康に利用される事も無かっただろ。
まず三成が秀次によって中枢から遠ざけられるから加藤や福島が三成憎しで結集する事もない。
0891人間七七四年
2011/07/22(金) 10:17:16.67ID:Oj+0qQVF文化面や剣術などでもそれなりに高いレベルまで達したって言うんだろ?
能力や努力の面では水準よりもずっと高いものがあったんじゃないのか?
0892人間七七四年
2011/07/22(金) 16:46:56.41ID:3UK/QC1O豊臣恩顧の大部分が秀次の元でまとまってる状況ではどうやっても難しい。
秀次に嫌われて遠ざけられた三成と組むというウルトラCでもやらないと。
0893人間七七四年
2011/07/22(金) 16:59:03.58ID:QDWUTPQT0894人間七七四年
2011/07/22(金) 17:02:18.90ID:a7REJmnv0895人間七七四年
2011/07/22(金) 17:25:14.47ID:e4+FhvBt秀吉に臣従した時点で諦めてるよ
勝手に我慢して天下狙ってたイメージ作られてるだけ
0896人間七七四年
2011/07/23(土) 00:56:07.87ID:TVSwGZaj波風立たなければ、そのまま豊臣政権下の大大名のまま一生を終えただろう。
0897人間七七四年
2011/07/23(土) 01:06:57.74ID:FQR0oXNk0898人間七七四年
2011/07/23(土) 18:40:24.50ID:OUYsF9jM0900人間七七四年
2011/07/24(日) 09:07:49.28ID:CHvPvADa淀や大野は和平派
0901人間七七四年
2011/07/24(日) 11:18:37.54ID:sXxoFNXA0902人間七七四年
2011/07/24(日) 14:35:37.59ID:/LpZN56C0903人間七七四年
2011/07/24(日) 16:41:03.42ID:sXxoFNXA淀殿は、少なくとも冬の陣の後は国替えまで認めているし。
0904人間七七四年
2011/07/24(日) 21:57:36.00ID:w8gox4df0906人間七七四年
2011/10/10(月) 22:37:19.65ID:bm3ioYnq『駒井日記』の文禄二年十一月廿九日の記事に
「一 姫君様御祈祷東寺宝厳院被仰付、政所様御座 間へ被参候、其段重而一往之念不申上とて益庵御しかり被成候」
ってあって、
これを自分なりに訳してみたんだけど
「(関白様が)姫君様の御祈祷を東寺の宝厳院に御命令され、(若)政所様が(関白様の)御座之間に参られた其の件をもう一度ひと通りの注意も申し上げなかったといって益庵を御叱りに成られました。」
こんな感じになったんだけど、これで大丈夫かな?
0908人間七七四年
2011/10/10(月) 23:18:26.45ID:bm3ioYnqそうなのありがとう。
ついでに質問だけど、益庵を叱ったのって、秀次で良いんだよね?一応秀次が益庵を叱った風に訳したんだけど。
0910人間七七四年
2011/10/10(月) 23:55:32.84ID:bm3ioYnqごめん、だいぶ前に文献出版の『増補駒井日記』からそこだけ抜き出したから前後の文脈はわかんないんだ。
でも色々答えてくれてありがとう。
0911人間七七四年
2011/10/11(火) 15:02:24.04ID:PxcnIdNCそれは当時もみんな考えてたに違いない 北政所おね様なんかとくにそうだろう
秀次があとをつぐべきだったよ
0912人間七七四年
2011/10/11(火) 16:42:05.16ID:HrRDQDqK秀次の馬廻であった林亀之助からも聞いた川角太閤記は秀次擁護側で
>>701>>702>>710
太田牛一の大かうさまくんきのうちが秀頼擁護側なんだよね。
池田家お抱えの太田は売筆家で金銭で歪曲捏造する男だからなぁ。
前田家お抱えの小瀬甫庵の太閤記はどう書いてあんだろ。
>>716>>718>>720>>745
これがその時の政治状況だよね。
0913人間七七四年
2011/10/12(水) 14:48:52.02ID:idSTlBvR全く信用できない著作ばかり
0914人間七七四年
2011/10/12(水) 18:54:50.60ID:6F7D8F5h太田牛一の著作は全て二級以下!一級資料ではない!!
一級資料だと言っているものはキチガイである!!!
わたしはどの学者よりも資料を見聞し、賢いのでそれが分かる!!!!
と>>913様は仰りたいんですよね。
代弁しておきましたよ。
0916人間七七四年
2011/10/14(金) 13:00:37.62ID:B3Di2FkV秀長、利休が死んで以降は秀吉のやること全部裏目だからのう
秀次も割食った部分は大きかろう
0917人間七七四年
2011/10/14(金) 13:21:51.93ID:qiWzl/TZ0918人間七七四年
2011/10/14(金) 13:31:43.41ID:XbAdmr1F0919人間七七四年
2011/10/14(金) 13:39:36.68ID:B3Di2FkV死去辺りを境にして秀吉周りにはイエスマンしかいなくなっちゃったじゃない
秀吉と外をつなぐ緩衝地帯として秀長、利休は重要だったよ
その後秀次にその役割は果たせなかったんだし
0921人間七七四年
2011/10/14(金) 20:34:32.15ID:lG6fPjz7秀長と言わず秀保が生きていただけでも違ったと思うよ
0922人間七七四年
2011/10/14(金) 21:52:49.40ID:sWQM2clcなんか、怪しと思わない?
噂の発信源が同じなんじゃないかなって気がする
0923人間七七四年
2011/10/14(金) 22:35:33.99ID:eAJ6BKps秀次と違って表舞台での実績が無いから歴史にも残らないだけで。
0925人間七七四年
2011/10/15(土) 00:37:11.40ID:HgBDEKk50926人間七七四年
2011/10/15(土) 17:52:56.26ID:Keb5ROT/0927人間七七四年
2011/10/15(土) 18:03:48.88ID:X1BCkiC10928人間七七四年
2011/10/15(土) 21:29:55.00ID:Mcdn/EAj0929人間七七四年
2011/10/16(日) 12:22:51.95ID:1jl+/a2q後世の批判を気にして高虎はかなり
言い訳ができるネタを仕込んでるとしか思えない
高虎の美名がさらに如何わしさを出してる。
主君を変えまくりなの、キッチリ反論理由が存在してんのが逆に不審
0930人間七七四年
2011/10/16(日) 12:48:29.34ID:V3Tkw5bEもう誰だって気に入らないやつを犯人にできるなw
0931人間七七四年
2011/10/16(日) 13:18:15.16ID:xIWNSNsH0932人間七七四年
2011/10/16(日) 18:43:15.36ID:3vHvAR6N0933人間七七四年
2011/10/18(火) 08:32:51.28ID:qwSIpUdk長男:仙千代丸 処刑
次男:百丸 処刑
三男:十丸 処刑
四男:土丸 処刑
不詳 甘丸 秀次事件前に夭逝か、あるいは他の兄弟との混同した架空の人物
不詳 水丸 秀次事件前に夭逝か、あるいは他の兄弟との混同した架空の人物
娘 露月院誓槿大童女(秀頼の許嫁) 処刑
娘 梅小路家室 生存
娘 真田信繁の側室・隆精院 生存
娘 お菊 生存
四男一女を処刑したんだな。
0934人間七七四年
2011/10/18(火) 09:01:49.15ID:yyXQ/cJY撫で切り略奪で街自体を廃虚にしちゃうからな
0935人間七七四年
2011/10/18(火) 09:35:41.15ID:ZVYgFsjW0936人間七七四年
2011/10/18(火) 10:01:51.35ID:yyXQ/cJY0937人間七七四年
2011/10/18(火) 10:42:31.73ID:3GXrupqa0938人間七七四年
2011/10/18(火) 10:46:28.23ID:MVwaKoV2完全に見放されていたと捉えるべきだろうな。
0939人間七七四年
2011/10/18(火) 11:06:50.77ID:Qr1uVJaz通達してたとしか思えないわけだが・・・
0940人間七七四年
2011/10/18(火) 11:48:23.20ID:3GXrupqa奉公構えの意味を完全に勘違いしているわけだが…。
それに公然と援助しなくても、隠し扶持は普通に行われていた。
何よりもお前は、関ヶ原の後家康がすぐに絶対権力を握ったかのような勘違いをしている。
当時家康にはそこまでの権力はない。
0941人間七七四年
2011/10/18(火) 13:29:35.10ID:ox6xKPq8誰も助けないのはやはり異常だから
0942人間七七四年
2011/10/18(火) 13:37:17.95ID:3GXrupqa普通に考えてって、どう普通に考えてなんだよ?w
だいたい家康に秀信を排除する必要が何処にある?
秀信にそこまで影響力があるのなら誰かしら援助しているし、影響力がないのなら
家康が排除する必要はない。
何でもかんでも家康陰謀論に結びつけるのは、非常に頭が悪く見えるから気をつけなw
0943人間七七四年
2011/10/18(火) 14:00:09.10ID:ZVYgFsjW秀信ちゃんは残念。秀信ちゃんは敗戦後空気過ぎる気がする。
0944人間七七四年
2011/10/18(火) 16:26:11.76ID:LFUvIry9そうでなければ
野垂れ死なんて悲惨なことになる前に
食い扶持くらい誰が与えただろよ。
それと氏真は、氏政がイラネってなった後に
信長が将来の武田攻めに利用できるから保護しただけで、
家康が助けたわけじゃない。
0945人間七七四年
2011/10/21(金) 08:22:09.29ID:SbrOdnei0946人間七七四年
2011/10/21(金) 14:12:08.53ID:lGjBBHpz0947人間七七四年
2011/10/21(金) 20:22:21.14ID:Dgbx0YZW瀬名と共に殺されてるよ。
0950人間七七四年
2011/10/22(土) 08:18:51.90ID:bXFb96j3ありとあらゆるコミュニティの一切が
見て見ぬ振りをして
見殺しにしてる以上は、
時の最高実力者による
絶対に助けるなよ。
助けたら災いがお前に降りかかるぞ令が出ていたんだろう。
家康は織田と豊臣の嫡流筋は完全に根絶やしした。
織田や木下の支流は脅威にならんから許したが。
0951人間七七四年
2011/10/22(土) 10:12:34.81ID:Aq6meTQNお前は完全に勘違いしているか知識がないだけだろうが、賤ヶ岳の段階で織田家家督は三法師から
織田信雄に移っている。秀吉がそうした。
なのでこの時期の秀信は織田家嫡流でも何でもない。
半端な知識で歴史語ると恥をかくだけだぞ?今のお前みたいに。
0952人間七七四年
2011/10/22(土) 11:52:55.53ID:bXFb96j3家康が関東移封した際に
信雄は家康旧領への移封を拒否して改易出家してるし、
その後は秀の名前をもらった秀信が惣領。
その後、信雄は秀吉に許されたが、
関ケ原でも家康によって改易させられたので、
大坂城出仕してるわけだが知らんのかね?
0953人間七七四年
2011/10/22(土) 11:57:27.76ID:Aq6meTQNお前は本当に救いようのない馬鹿だな。賤ヶ岳以後織田宗家の惣領が変更される手続きは成されていない。
秀信はあくまで「岐阜中納言家」の惣領にすぎん。
> その後は秀の名前をもらった秀信が惣領。
腹抱えて笑わせてもらったwおまえ信雄の嫡男が「秀雄」って言うことも知らないのかw
0955人間七七四年
2011/10/22(土) 12:00:41.84ID:rUHEXSoR0956人間七七四年
2011/10/22(土) 12:16:22.50ID:bXFb96j3越前大野5万石に飛ばされた秀雄なんて比較にもならんじゃんw
アホくさ
0957人間七七四年
2011/10/22(土) 13:29:22.82ID:HmaW4LWP秀次はそれに巻き込まれたんじゃねの
利休も
0958人間七七四年
2011/10/23(日) 06:46:07.01ID:+C5X6UMP政所様というのは池田恒興の娘のことでしょうか?
この人は大体どれくらい(期間や回数)史料に出てくるんでしょうか?
文禄年間といえば、一の台がすでに秀次のそばにいた時期だな、と思いまして。
逆に、一の台が史料に出てくることもありますか?
>>933
娘の梅小路家室とお菊についての信憑性はどの程度なんでしょうか?
特にお菊については最後まで酷すぎて秀次の娘としてはあり得ないような気がします。
0959人間七七四年
2011/10/23(日) 15:33:19.26ID:/Hpu7vLj奥羽が大混乱していて
朝鮮出兵に動員どころじゃなかったのか。
秀次は謀反を考えていた
可能性が高いな。
0960人間七七四年
2011/10/23(日) 17:40:54.33ID:xv4efLj6家康も晩年はちょっとおかしかった 人間である以上避けようがない
弟秀長と仲が悪くなったってのも秀長のちゃんとした意見を聞こうと
しなかったためにどーにかなっちゃったのかもしれないな
0961人間七七四年
2011/10/23(日) 17:58:25.48ID:uY12O8IV朝鮮出兵を視野に入れて九州征伐の時も
博多復興させたりしてるから49歳ですでに耄碌してたのかな?
じゃあ本能寺で死んだ信長も耄碌DQNしてたから
耄碌してた光秀に殺されたのかwww
0962人間七七四年
2011/10/23(日) 21:15:22.84ID:UECaaQvn0963人間七七四年
2011/11/03(木) 12:10:02.89ID:D2GfYfi4朝鮮人や在日の意向を受けた犬HKが歴史歪曲してるだけなのにw
対外侵略行為が悪いなら世界史の教科書は悪事だらけだろwww
0964人間七七四年
2011/11/03(木) 12:39:26.15ID:aCOiw4zZ外国行くくらいなら足元固めろwwwww
って思っている奴が多いだけ。
0966人間七七四年
2011/11/03(木) 15:19:51.52ID:P4PsEox+なんかけっこう太閤さんは血を見るのを好まないという設定とかが多いけど。
0967人間七七四年
2011/11/03(木) 19:38:39.62ID:z6ENU7Er0968人間七七四年
2011/11/04(金) 07:28:26.42ID:O+GaLuis最初落とした・降伏した城をとりあえず37564
それを見て他の城々がビビり降伏するとそっちは優遇
秀吉の常套手段
0969人間七七四年
2011/11/04(金) 10:28:52.22ID:CF6HGvx90970人間七七四年
2011/11/04(金) 20:56:37.48ID:nD358f4M0971人間七七四年
2011/11/04(金) 21:37:35.96ID:hU/9Ll9J奴らインド・ヨーロッパ語族だしな!!
がんばれ!超頑張れ!!
0972人間七七四年
2011/11/11(金) 20:44:11.03ID:5g2GUUMf秀次がかなり
悪逆無道をしていたとしてるな。
0973人間七七四年
2011/11/11(金) 21:14:21.51ID:EVMSYCLW0974人間七七四年
2011/11/11(金) 22:55:38.23ID:SWRvU0RN日清日露戦争は無意味だったか?
大いにプラスがあっただろが。
勝ってたらプラスがあって負けたらマイナス。それが戦争。
太平洋戦争も無意味だったという奴が多いが勝ってたら有意義な戦争。
0975人間七七四年
2011/11/11(金) 23:49:41.60ID:k10J/U/+過去の歴史に意味を求めるな。
求めたり否定しても無駄。
それが起きたその後の世界に俺らはいるんだから。
>>974のように「日本では無意味だが世界的に見れば凄い事」何ていくらでもある。
太平洋戦争はヨーロッパアメリカでは日本は最悪な評価だが、
そいつらの植民地であった東南アジアからすれば「日本は自分の国を植民地化から救ってくれた」なんて
感謝されていたりする。
0976人間七七四年
2011/11/13(日) 23:36:40.34ID:svTAhDTO範頼のケースと同じ。
0977人間七七四年
2011/11/15(火) 00:30:08.80ID:XAwbOduDもう見てないかもしれないけど、
梅小路家室、お菊はかなり怪しいような気がするね。
気になるのは、付き人みたいな人たちまで殺されているのに、仙千代丸以下、子供達の乳母らしき人がまったくいないこと。
亡くなった人の名前や辞世の句も史料によってバラバラだから、ここらへんの信憑性は全体的にものすごく薄いと思う。
0978人間七七四年
2011/11/15(火) 10:00:37.43ID:E7btXw0E秀吉の残虐性を演出してるから、
大量虐殺されたことにされてるけど、
確かなソースは無いからね。
最上の正室の娘が殺されて、それを悲嘆した正室も死んだとか言うが、
大崎夫人の娘かどうかも証明できないもので非常に怪しい。
それに大崎夫人の死の理由にリンクさせるとか理不尽過ぎる。
0979人間七七四年
2011/11/15(火) 10:10:58.08ID:345sgPP0出るんじゃね? 本人の死刑だけじゃすまないでしょ
0980人間七七四年
2011/11/15(火) 10:13:14.10ID:YAGnxBSkつーか何でもかんでも徳川史観という定義不明の魔法の言葉を持ちだす奴ははっきり信用できん。
そんなものではなくきちんとした史料を出すべき。
0981人間七七四年
2011/11/15(火) 10:26:29.06ID:43hSfTc30982人間七七四年
2011/11/15(火) 10:30:45.27ID:A2Hf5zch当時としても異例だろう。
似たようなことやったのは荒木がらみでの信長ぐらいだが、これも
「降伏して説得役を務める、という条件で解放してやった相手が、再度の寝返りor逃走」
という特異条件で、だし。
0983人間七七四年
2011/11/15(火) 10:46:51.47ID:E7btXw0E秀次を一切弁護せずに、
生前は非常に仲が良かった縁で秀次の持っていた財から配下まで半分以上引き継いで
前田が焼き肥りしたからな。
利家夫妻の謀略なんじゃないかとすら思うわ。
0984人間七七四年
2011/11/15(火) 15:18:25.98ID:k2aSwqL9えっ?頼朝は天皇まで海中へ飛び込んで自殺するよう追い詰めたじゃん。
>>981
えっ?じゃあ比叡山や高野山の僧をぶち殺しまくった信長とかどうなんるんだよw
>>982
えっ?千姫が秀頼の娘の奈阿姫を自らの養女にしていたから
特別に助命された経緯は黙殺ですか?
さすが在日毛利厨チョン州人ですね。
0985人間七七四年
2011/11/15(火) 15:27:11.13ID:k2aSwqL9つか、わずか17分の間に単発ID自演3連投とか
鮮人むちゃくちゃ必死過ぎw
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。