戦争の天才という点では上杉謙信だろう
上杉謙信は自国の領土は拡大しなかったが、おそらく晩年は信長を打つには関東平定してからと思っただろう
彼は大儀を重んじる
関東管領の大儀から北条氏を打つのが先だ
謙信健在であれば本願寺も朝倉も従っただろう
ただ、謙信は野戦の名手で城攻めは不明だ

10万の大軍でも迎え撃つ奇策を放つ
ただ、織田信長もアイディアマンだった
織田信長は桶狭間で偶然勝利したが、あとは自軍が数が勝る戦い以外はさっさと引き上げる
武士の信念のようなものは無かった
何しろ勝てばいい、勝てそうもなければ朝廷をつかってでも一時的に和睦する
武田信玄は信長に姻戚関係をもたれ、煽てられて遅れを取った
3年喪に服せと遺言したと伝えられるが、これが武田氏滅びの要因ではないか
その間に浅井朝倉が滅ぼされては勢力の均衡は崩れ去った
勝頼が立ち上がったときはすでに武田120万石、織田250万石の差でさらに京、堺の都市を押さえていた
徳川家康は憧れの武田信玄に多くを学んでいる
一番運が良かったのは家康ではないだろうか?
秀吉政権のときにナンバー2になるほどになったが
そもそも三河遠州など60万石どまりの大名だ
上杉、毛利などよりずっと格下も格下
秀吉は気前がよすぎた
だから秀頼の時代は大阪城と黄金だけ
もし、秀吉が朝鮮出兵をしていなかったら、徳川幕府はなかっただろう
秀吉の家臣団が家康にはつかなかっただろう