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戦国時代の馬はポニーサイズ

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 11:40:18ID:DuDy4IDa
だっせーのw
0442人間七七四年2008/10/24(金) 01:03:42ID:M59ajvCd
突進するならイノシシでも突っ込ませれば効果的
0443人間七七四年2008/10/24(金) 01:45:40ID:MIl0AZPQ
>>441
日本の馬と蒙古や中国の馬は同種。
モンゴル騎兵は他の遊牧国家同様、弓騎兵の他に決戦兵力として重騎兵を持っている。
モンゴル重騎兵は鋼鉄製の札と鎖製のラメラーアーマー、鎖とプレートでできた籠手を身に着ける。
その上で鉄札を綴じ合わせた重厚な馬鎧を馬に着せている。
武器は槍や斧、メイス、片手用曲刀で武装していた。

そもそもこの手の重騎兵は鮮卑、宋、清代の鉄騎に至るまで中国・モンゴルで幅広く存在していた。
0444人間七七四年2008/10/25(土) 05:22:36ID:VNPsJETD
モンゴルというと軽装の弓騎兵だけしかいないと思っている人多いんだよな
むしろ重騎兵のほうがやばいわけで
0445人間七七四年2008/10/25(土) 19:09:05ID:fNKEkwoD
最近は鈴木史観が蔓延ってるから仕方ないね
0446人間七七四年2008/10/26(日) 01:21:13ID:PG8U88JQ
>>441
>農耕目的で

電波飛ばすなよw
0447人間七七四年2008/10/27(月) 06:44:46ID:nDySs9GG
宮崎県都井岬の野生馬って、軍用馬生産の目的で放牧されたのが由来じゃなかったかと。

確かにサラブレッドみたいにデカくはないが、ポニーほど小さくもないし。
推古天皇が「馬ならば日向の駒」と詠んだくらい宮崎の馬は有名だったそうな。
0448人間七七四年2008/10/27(月) 08:23:57ID:jZKGiib0
そこらの馬に鎧武者乗せたら走らなかった。だから騎馬武者はいない、って本気で思ってる奴はいるのかね?

そこらのニートに2〜30キロの鎧着せて、「戦どころか走るのもままならない。足軽なんていなかった」とか言うの?
0449人間七七四年2008/10/27(月) 10:31:06ID:Bw2mlPMm
>>447
>>422
実際の数字出てんじゃん


ポニーじゃん
0450人間七七四年2008/10/27(月) 17:05:05ID:Pb2Xg5Qn
ポニーとかいう輩は南部馬というのを知らんのだろうな…
日本=木曽馬の概念なんだろう。
鈴木氏の影響か?

戦国時代は運用以外にも馬の役目があった。
無論、戦闘用。
その為に品種改良を多く大型化させようとしていた。

騎馬隊は一応、大河のようなものではなかったが存在していた(馬は少ないが)
対抗策の一つに槍衾というのも生まれた
巨大な馬は突撃させるだけでも脅威となった証拠ともいえる。

ただ騎馬だけの部隊もなく騎馬は実質扱いにくく
相手の部隊が潰れた状態でないと槍衾で返り討ち。
移動用であり、奇襲用で戦う際は下馬するのが基本。
馬上で戦うのは難しいかったからだ。

士気の下がった部隊にとって槍衾は呼吸が揃っての代物。
ましてや、そんな状態で巨大な馬が走ってきたら…

天下泰平の世に巨大な馬は無用であった為、小型化さしていった。
戦う必要が無いのに巨大な馬を持って何とする?という具合。

時代が進むにつれ、軍馬そのものの需要が下がり。
役蓄馬の需要が高まった。道路網の発達で駅馬が大量に要求されたことなどから
体高のある馬よりも、がっちりと低く構えた力持ちの馬にとって代わった… 

こんな所だろ。
04514502008/10/27(月) 17:08:41ID:Pb2Xg5Qn
ミスったw
「その為に品種改良を行い、大型化さしていった」だw
0452人間七七四年2008/10/27(月) 18:44:05ID:vr/DOL2p
おお、見事なまとめだな。
ほぼ決まりか。
0453人間七七四年2008/10/27(月) 19:19:05ID:IMU6cB8W
>天下泰平の世に巨大な馬は無用であった為、小型化さしていった。
そもそもこれが立証されてないから憶測に過ぎない
つか日本在来種と言われてさえいない南部馬を引き合いに出す時点でオhル
0454人間七七四年2008/10/27(月) 22:02:18ID:Pb2Xg5Qn
>>453
スレタイには『戦国時代の馬はポニーサイズ』とある。
答えはノー! >>450にある通りの理由だ。
これが『日本の馬は元々ポニーサイズ』なら答えはイエスだ。

用は日本在来種にこだわる必要は無いということだ。
南部馬は実在しなかった馬でも、戦国時代にはいなかった馬でもない。
実在した馬ということと、戦国時代に大型化された事実。
南部馬は戦国以前に日本にいた馬。引き合いにだしても問題ないのでは?

>天下泰平の世に巨大な馬は無用であった為、小型化さしていった。

無駄に巨大な馬を飼育すると、幕府に何を思われるか…
一戦交えるつもりか?と思われるだろうしな。
幕府も小型化を推し進めたようだ。
そのような史料も確かあった筈だが… 

戦国時代が終わり火縄銃が急激に消えていくのと同じ
戦闘用という役割がなくなった馬は消えていった…
巨大化した馬は絶滅している事実がある。

幕末。明治にかけて歴史は逆をいくわけだが…(再び銃の需要。馬の需要↑)

0455人間七七四年2008/10/27(月) 23:07:13ID:IMU6cB8W
>>454
現存する南部馬は品種改良され大型化されたんだけど
だから日本馬事協会は日本在来種に南部馬入れてないんだぞ?
発掘された馬骨からポニーサイズなのは間違いないし、現存する和種の純血種は体高でもポニーサイズ
これは疑いようもない事実なんだが、今要る在来種でもっとも日本古来の馬に近いのは対馬馬と言われてる

南部馬を引き合いに出す時点で違う意味わかった?

フロイスの日本史でも馬

で一生懸命小型化したと力説してるが、それを裏付ける文献などの証拠は?
“小型化”を主張してる論説でも大きくとも体高140前後から、最大でも120超える程度まで小型化したというぐらいで、
基本的に日本馬が小中型の馬、いわゆるポニーサイズなのは疑いようもないんだが?
0456人間七七四年2008/10/27(月) 23:24:18ID:oSiWqg3w
使われないからなくなったという論理が真なら、大名も兵力を持たない存在になってないとおかしいよな
0457人間七七四年2008/10/27(月) 23:44:02ID:HPFQME39
>>454
南部馬が小型化していったのは事実みたいだが
さすがに戦国時代のウマの大半は147センチ以下だろ
分類でいえばポニーだ。スレタイは間違っていない

>>455
参考までに
http://www.jtng.com/thrc/p70nanbu/p70.html

南部馬は一般に大型で、体高5尺(150センチ)を超えるものもしばしば出ました。
盛岡南部藩38代利済の栗毛馬の国一は、体高が5尺2寸5分(157.5センチ)もあって、
江戸藩邸に置かれて殿様のお国自慢のタネでした。


低い馬を好む傾向は徳川中期に顕著でした。宝暦9年(1759)の七戸代官所調査によると、
特に優れたメス馬で体高4尺6寸5分(139.5cm)というのもありますが、
平均すれば4尺3寸5分(130.5cm)にとどまっています。
オス馬はこれより2寸(6cm)ほど高いのが普通でした、
背の高い馬は荷を乗せるのに不便なため次第に敬遠されていきます。


馬産の主目的が軍用馬の生産にあったころは、騎馬戦に有利である点から大型馬がもてはやされた。
だが荷物運搬用には、積み下ろしが楽な背の低い馬が好まれる。
俗に南部九牧と呼ばれた藩牧は、いずれも良馬の産出で知られ、
なかでも本県上北地方にあった木崎野は大型馬の出どころだった。
ところが明和3年(1763)の2歳駒調査では、
すでに4尺4寸(1m32)を超える馬は無く、
ほとんどが4尺2〜3寸と小型化傾向が顕著になっている。
0458人間七七四年2008/10/28(火) 00:12:28ID:ZrIpy0Jj
ポニーサイズ?
だから何?
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c2/Gustavus_Adolphus_at_the_Battle_at_Breitenfeld.jpg
0459人間七七四年2008/10/28(火) 03:27:16ID:xuBrwBmS
>>458
当時のヨーロッパはパイク(長矛)と銃を組み合わせたテルシオやオランダ大隊の隆盛で
騎馬の突撃は自殺行為とされていたが、
騎兵突撃戦術の復活に成功したウェーデン軍の軍馬は平均115cmくらい。日本馬より小さい
ポニーで軍用に耐えないという考えがおかしい
0460人間七七四年2008/10/28(火) 08:29:02ID:FozEz3T0
>>455
南部馬現存してたのか…
品種改良されて巨大化している南部馬が…
昭和初期には絶滅していたものと思っていた。

火縄銃も本来日本のものではないのだから…

外国から馬が入ってきて、それが使えると思ったら
使う為に品種改良するなりするのが戦国大名じゃないの?
日本在来云々や日本馬事協会は関係ないんじゃない?

鎌倉時代のような戦い方が減ったのは
槍衾なり、槍が長くなったり、馬を大型化させた結果。
小柄な日本人には以前の様に馬上で戦うのが
扱いにくくなったからでないかな。 元々馬上では難しそうだが
流鏑馬みたいのがあるし、弓馬の道ともいったことだしね。

発掘された馬骨は戦国時代のもの? 日本全国調べた結果?
火縄銃の工夫のように、戦国大名によって馬の目の付け所も違うだろうし
大型化さした所もあれば、そうでない所もあっただろう。
中には馬なんかもう時代遅れだろうという所もあった筈。

馬は分類的にはポニーとされるものが戦国時代の大半ではあったが
武将クラスが乗る馬は巨大であるのが多かった。
小柄な馬なら馬鹿にされるし目立たない…という所でしょ。

まあ、今のサラブレッドが巨大すぎるだけだから
ポニーサイズ=小さい。
ポニーサイズ=木曽馬という概念であることに問題があるんだろう。

逆に世界=巨大な馬という概念が日本に生まれてきているのが問題。
0461人間七七四年2008/10/28(火) 18:39:20ID:n4w8DghT
軍勢の移動経路が
よく雑誌に地図で表示されているが、
すんごい距離だぞ。

桶狭間の戦いで、織田信長は清洲城から馬を走らせている。
立ったまま飯をかきこんで、鎧をつけさせ、それから10キロ以上走らせてる。
供の者は徒歩だが。


桶狭間の戦いでは、馬から降りて、信長自身もヤリをもって突きまくってる。

馬の使い方として、移動および、敵前で下馬しての戦闘、
のまさに典型例。
0462人間七七四年2008/10/28(火) 18:42:44ID:2NiAntc3
>>460
品種改良って…
それよりも遥かに導入しやすい馬具や技術ですら、
戦国期に蹄鉄も去勢も導入されなかったことすら知らないのか?

調べもせずに妄想だけで語るバカなのはわかったから、消えろ。
0463人間七七四年2008/10/28(火) 23:06:41ID:Yhs30aLr
>>462
絶対必要というもんでもない
>蹄鉄、去勢
0464人間七七四年2008/10/28(火) 23:21:09ID:YpdIJB+s
>>460
>昭和初期には絶滅していたものと思っていた。
そうだね、どこぞのサイトにはそう書いてるねw
寒立馬も南部馬の一種だし、純血種としての南部馬はもう絶滅してるねw

>発掘された馬骨は戦国時代のもの? 日本全国調べた結果?
発掘だから鎌倉期から江戸期まであり、戦国期(室町期も含む)もあるんだけど
JRAの博物館行って聞いてきたらいいぞw

でそっくり返すが、ポニーサイズ否定する君の物証は?

>武将クラスが乗る馬は巨大であるのが多かった。
これもね

大きい馬が好まれるのは疑いようもないが、南部馬が体高150超えても特筆されるぐらい珍しかった時代に、
さも巨大だったように誇張表現してるのが君
日本馬がポニーサイズなのは疑いようもない事実で、否定するなら物証だしてくれ
小柄だったら馬鹿にされるとあるが、平均しても140前後なので、今で言う小型馬が標準なんだよ
つか木曽馬に拘る理由が謎

それと
>外国から馬が入ってきて、それが使えると思ったら
>使う為に品種改良するなりするのが戦国大名じゃないの?
品種改良する知識も技術もなかったんですけど?
思い込みで語ってるのか?
0465人間七七四年2008/10/29(水) 08:34:44ID:wlZ6rm7F
>>462
7・8世紀ごろには蹄の裏を焼いて
硬質にする方法や繊維質のもので保護する護蹄方法
また万葉集にも護蹄を示す記述がある。

護蹄手段を耐久性のある素材として鉄にもとめ
鉄沓(てつのくつ)として鋲を打った鉄板を着用したのは
わが国では、戦国時代であったとされている。

只、雨でも降ろうものなら、道がぬかるんで滑る等し
日本の地形にも合わなかった。 
変わりに馬の蹄に蹄鉄をつけず、馬にも藁で作ったクッションと滑り止めを
兼ねた馬ぐつを履かせることが多かったとある。

去勢は雌馬の方が扱いやすいという考えも確かにあったが
荒々しい方が威力はあるからな。 敢えてしなかったんだろ。

雌馬放して、去勢してない馬を使っている騎馬隊から
難を逃れた武将の話云々が戦国時代にあった筈。
雄馬興奮して大変だったそうだw 
0466人間七七四年2008/10/29(水) 09:48:09ID:LePU9D2o
>>465 羽柴秀長が放された雌馬に大混乱起こし敗北した話があるね
0467人間七七四年2008/10/29(水) 13:56:15ID:9BIgawTa
そもそも人間のサイズも
ポニーサイズだったのだから問題ないのでは。

現代人でもポニーサイズの人いるでしょ?160以下の人

戦国時代にサラブレッドみたいな馬がいても
当時の日本人からすれば
馬の図体がデカ過ぎて、一度落馬したら乗れないよ。
0468人間七七四年2008/10/29(水) 14:14:36ID:IwKhStLA
サラブレッドは近代に成立した種だし、
速度が出るが怪我が多すぎて軍用に使われていないよ。
0469人間七七四年2008/10/29(水) 15:08:32ID:zIbqiCBQ
>>460
とりあえず、基礎知識としてこれぐらい読んでおいて欲しいところ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%85%B5

>>468
まあ、サラブレッドの主な原種でもあるアラブ種を使っていたし、
各種在来種の改良のためにサラブレッドを種付けしたりもしていた。
フランスが幕末に幕府に品種改良のために寄贈したのは有名。もっとも、
見た目はサラブレッドらしかったものの血統は不明だったので、血統登録上は
アラブ種という馬が多かったようだけど。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%A0%82_(%E9%A6%AC)

海外での軍馬の事例は
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Horses_in_warfare が異様に詳しい。
0470人間七七四年2008/10/29(水) 17:48:47ID:WoYdUDN3
武田厨ホイホイスレ
0471人間七七四年2008/10/30(木) 00:10:47ID:8rNE0Pg0
そもそもポニーを言葉の響と歓楽地で子供を乗せるちっこい種としか認識していないのが間違いだな
0472人間七七四年2008/10/30(木) 03:15:07ID:vjhQ4GSs
サラブレッドの三大始祖の一頭が体高152cm(一説には144cm)だからな。
現代でも、アラブ種は140〜150p程度。
戦国時代はアラブ種もポニーサイズなんだけどなあw
0473人間七七四年2008/10/30(木) 05:44:58ID:u2o73BgD
>>472
嘘つけ
食性も変わらず、外国馬との交配もない日本の馬が急激に10cm以上も高くなるわけないだろ
鎌倉〜南北朝時代には良馬の奪い合いで武士同士殺し合いまで発生してんのに

とにかく去勢技術、蹄鉄がなければ集団使用やギャロップは絶対無理
0474人間七七四年2008/10/30(木) 07:06:48ID:mcodsaoV
>>473
日本じゃ多くて50騎に各種足軽隊が付くのが基本単位なので、問題なし
0475人間七七四年2008/10/30(木) 08:41:33ID:WAcVQLOz
馬にあんまり早く走られても、各種足軽隊が付いていけませんな。
0476人間七七四年2008/10/30(木) 09:40:10ID:vjhQ4GSs
>>473
馬鹿なの?
日本種の話しなんかしてないのに、なんで日本種の話しに見えるのかな?
0477人間七七四年2008/10/30(木) 09:50:25ID:u2o73BgD
>>476
おーそうかい、だったら戦国時代〜なんて語句入れんな糞虫
0478人間七七四年2008/10/30(木) 11:42:03ID:YTqNUrX0
横からいらんことを言うけどさ、お前の日本語能力までは面倒みれんだろ・・・。
0479人間七七四年2008/10/30(木) 16:33:52ID:95NlSgpT
460が再登場せんなぁ
0480人間七七四年2008/10/30(木) 17:27:40ID:vjhQ4GSs
本当の事を書いて糞虫呼ばわりされるなら、デタラメ書けば褒めてくれるのかねw
0481人間七七四年2008/10/30(木) 17:55:44ID:WTU2mPhP
>>473
モンゴル帝国では旗信号による一糸乱れぬ集団機動戦術(偽装退却、円陣射戦法等)
で他国を圧倒したが、蹄鉄は打っていないよ。
0482人間七七四年2008/10/30(木) 18:02:22ID:WTU2mPhP
>>475
西洋騎士も徒歩の従者が随伴して戦っていたけどね。
日本だと鎌倉時代は従者も騎乗しているし、馬当てという突撃戦法も源平合戦以降見られる。
蒙古襲来絵詞で百騎の騎馬集団で攻撃をかける場面では、
従者の馬が射られて血を吹き、しかたなく徒歩で旗を持って従うシーンもある。
0483人間七七四年2008/10/30(木) 18:58:56ID:vjhQ4GSs
西洋の騎士達は、雌馬に乗る事は恥としてきた。
乗るのは当然牡馬。
十字軍関係の史書には、発情期に馬が嘶いて敵に見つかったとか、そういう逸話が山ほど。
(ちなみに、古代のローマ軍にも似たような逸話がある。)
つまり、西洋の古代〜中世時代、彼らは馬の去勢を知らなかったのだが、騎馬の集団運用が存在しなかったと言う人はいない。

去勢も蹄鉄もあった方が良いに越した事は無いが、絶対条件でも必要条件でもない。
0484人間七七四年2008/10/30(木) 19:01:51ID:WAcVQLOz
ほう、そんなシーンが描かれてあったか。

馬が射られて血を吹き出しながら、騎馬で突撃する武者(主人公ね)しか
知らなかったよ。この騎馬武者の武器は、弓だったな。
0485人間七七四年2008/10/31(金) 08:38:07ID:i/gOd7B5
>>462
戦国時代には、既に去勢や蹄鉄というのは一応伝わっている。
>>405にあるように、日本人が余り興味を示さなかったのは何故か分かるか?

>>465に理由が少しあるし、外国の攻城兵器も日本で普及。
使われなかったのも日本の地形が異なる点にある。
運搬という面が大きいだろう。 

馬を運搬や戦闘(時代により需要に差があるが)にと重宝する日本は
馬の数が多く必要であるのに去勢してどうするんだ?
競走馬にでもするつもりか? 

去勢すると攻撃的な性質が失われるし、生産力が落ちる。
>>401を見れば、日本が馬を重宝していた事が分かるだろう。
馬の技術や馬具も使えると思えば使っている。
0486人間七七四年2008/10/31(金) 08:51:29ID:ruK13YGL
>>485
去勢すると生産力が落ちるって…
お前、底が抜けるほどの馬鹿だな。
0487人間七七四年2008/10/31(金) 21:47:11ID:/qvQHpyb
ママ 見て! 釜の底がぬける!
0488人間七七四年2008/10/31(金) 23:04:14ID:HHzdFL/F
>>486
去勢すると馬の攻撃性が失われる為
日本の戦国時代に必要とされていた軍馬としての生産力が落ちると
思っていたのだが違うのか?

荒馬を乗りこなすことが誉れとされていたということ等もあるだろうが
日本と外国では兵器や環境も違うように
馬に求められていた性質も異なる筈なのだが…
0489人間七七四年2008/10/31(金) 23:29:23ID:A+ExcVyy
馬の繁殖は基本的に優秀な少数の牡馬を
多数の牝馬相手に繁殖させるから
あぶれた多数の牡馬を去勢しても馬の生産力は落ちない
ということを>>486は言いたかったのだろう
0490人間七七四年2008/11/01(土) 00:04:23ID:Qjghewc1
現代の競争馬の去勢に関しても、日本とそれ以外の地域では異なる。
種牡馬になれない/なれそうもない馬が去勢されるのは世界的な常識だといっても差し支えない。
しかし、成績の優劣に関わらず、牡の競走馬の去勢は日本では殆ど行われていない。
これは商業的合理性とかそういうのとは別のものと言わざるを得ないw

それはそれとして、
サラブレッドの三大始祖の一頭とされるバイアリータークは、元々はオスマン朝の軍馬だった。
英国軍人が戦利品として得、その後も戦争で活躍し、最後は種牡馬として生涯を閉じたとされる。
軍馬→種馬だから、当然ながらこの軍馬も去勢はされていないという事になる。
0491人間七七四年2008/11/01(土) 23:01:26ID:1elfdu71
>>473
>とにかく去勢技術、蹄鉄がなければ集団使用やギャロップは絶対無理

珍説だなーw
それって人間に例えるとニューハーフになってスパイク履かないと
全力疾走も集団行動もできないってことだよ?
悪いこと言わないからさ、一ヶ月・・・いや2週間で十分だから
どっかの馬牧場か乗馬クラブでスタッフバイトして本物の動くお馬達と
存分に戯れてきなよ。
0492人間七七四年2008/11/02(日) 07:44:58ID:Px4qUOAc
無知なおばかさん1人を弄るスレに成り下がってしまったな
0493人間七七四年2008/11/02(日) 14:59:51ID:8FLMm887
>>490
日本では血統なんだかんだと口では言っていても、結局は馬を
単数で見たり数打てば当たる感覚が古くから残っているから
どうしても種牡馬選別が及び腰だったり甘かったりなんだよね。
これは競走馬の世界だけではなく乗馬界なども同じ。
だから、一部の種にばかり頼って偏ってしまうきらいもあって
名馬があまり出ないし、出てもうまく継いでいけない・・・orz

和種は使えないと絶滅推進運動やったのでもわかるけど
結局、日本の場合は血統を重んじるという意識が現代でも
まだまだ低いんだよ。
0494人間七七四年2008/11/02(日) 15:06:15ID:8FLMm887
ごめん、下三行は少し言葉足らずだった。
こっちでお願いします。

和種は使えないと絶滅推進運動やったのでもわかるけど
結局、日本の場合は血統を重んじると言う意識がもともと
あまり無かったんだろうし、それは現代になっても
少しは改善されてきてるとは言ってもまだまだ低いんだよ。
0495人間七七四年2008/11/02(日) 22:34:53ID:tVrIJhex
まぁ確かに日本は血統保存にかなり疎いつうかそういう考えが
無かった感じなのは否めんな。
名馬という記録はあっても、そんじゃあその子は?孫は?となると
記録はもとより逸話すら残っとらんしね。

そういえば、サンデーサイレンスの子で幻の三冠馬とまで称された
フジキセキ。種牡馬としても悪くない成績を残していたにも関わらず
今では外国に出してしまったらしいぞー苦笑ー
0496人間七七四年2008/11/02(日) 23:54:48ID:yAEverCI
>>494
まあ一応血統保存の意識が無かったわけではないみたいだけどな
三春馬の場合
天明年間に名馬と言われた日暮を種馬にしてその後も名馬を得てるわけだし
当時の人も血統の重要性は認識してたと思うよ

日暮ー小桜       
     巻衣ー花月ー岩船ー雲竜
             花山  旭
             村雨
0497人間七七四年2008/11/02(日) 23:57:03ID:7A1/BV88
維新前は血統うんぬんどころか、馬の品種改良概念すら薄いような気が。
0498人間七七四年2008/11/05(水) 04:14:57ID:jSalY8re
日本馬に乗ったことあるやついるの?
0499人間七七四年2008/11/05(水) 09:21:50ID:0Dkco4cI
牧場のアラブ馬を含めて、乗ったこともない。

牛にさわったことすら、ない。
0500人間七七四年2008/11/05(水) 11:52:36ID:8LnzQuud
馬事公苑に行けば?

でも臭いよ
0501人間七七四年2008/11/07(金) 14:17:22ID:eV7Xb5M2
誰だ日本では馬に乗って戦ってなかったとか戯言を垂れ流す奴は
絵画史料見てから言え。馬に乗って戦ってるぞ。
「大坂夏の陣図屏風」
ttp://www.osakacastle.net/castle_ch/display/index.htm

ついでに日本刀で戦闘もしてるな。
0502人間七七四年2008/11/07(金) 16:13:19ID:Lk52QiKY
>>501
そんな奴いないよ
南北朝より前に突撃騎兵がいないと言う奴はいたけど
0503人間七七四年2008/11/07(金) 18:13:49ID:y45jK+5a
ポニーのような馬格だから騎馬戦術がなかったなどという、モウコウマの
馬格すら知らない鈴木的なヤシはさすがにおらん罠。

ただ、海外に比べて馬具や馬産関連など、馬周りのほとんどの技術が劣っていた
のにも関わらず、それらの技術を受け入れようとしなかったのは確かで、それは
なぜなのかという話になっている。
0504人間七七四年2008/11/07(金) 19:42:43ID:ip4iSUda
牛馬の去勢については江戸時代に長崎近辺で行われていた
というから、技術や知識の伝来自体はあったんだろうね
0505人間七七四年2008/11/07(金) 19:54:02ID:qJaEUjV+
信長公記でも下馬して戦ったとあるけどね
馬は貴重品なんで、そりゃ下手に突っ込んで怪我でもさせられたらタマランからね
0506人間七七四年2008/11/07(金) 21:21:23ID:cFqvgxUd
>>503
馬産関係が劣っていたのは認めるが馬具関係は劣ってなぞいない。
むしろ、山岳地帯を騎馬をする場合は日本の馬具の方が有利なこともある。
0507人間七七四年2008/11/07(金) 23:09:10ID:KHmq/ghe
>>503
乗り崩しという戦法や馬に関連するの多多ある事実があるからな。

馬周りの殆どが異国より劣っていたというのは言い過ぎ。
馬産関係はまだしも
海外の技術は必ずしも当時の日本で使えたものでもないからな。
山岳地帯での馬に関連するのは日本の方が上かもしれんしね。
単純に優劣は決められない。

>>506
細かいことですまない。自分が間違っているのかもしれないが
正しくはこうだと思う。

×劣ってなぞいない ○劣ってなどいない 
0508人間七七四年2008/11/08(土) 01:34:29ID:436kVgNd
鐙一つとっても草鞋のように底がペッタンコの履物が
主流だった日本では海外で使われていた鐙は足の裏が
痛くなるからまず使い物にはならないだろうしね。
0509人間七七四年2008/11/08(土) 02:06:17ID:bOQn7ESz
>>507
…横入りですが……
これは戦国時代から使われ出した”なんぞ”が変化した”なぞ”じゃないでしょうか。

元々の”なんぞ”は、代名詞「なに」に副助詞「ぞ」の付いた「なにぞ」の音変化で、ある事物を例示する意を表します。

ですから、これを誤用とするには無理があるかと。
0510人間七七四年2008/11/08(土) 11:47:52ID:+2PSaXpp
>>460
スレ違いだけど、火縄銃は本来日本のものでない〜というけれど、
じゃあ火縄銃が本来どこの国のものかあなた言えますか?
火薬発明あり、製鉄技術あり、いろいろな国の文明が絡んでできているのですよ
0511人間七七四年2008/11/08(土) 14:02:57ID:xSEuOSRT
大陸とは環境も違うし、馬術の体系もめちゃくちゃ違うので、
馬具も違うのが当然とはいえ、西欧はもちろん中国の騎馬民族的な
知識すらまるで導入されなかった。

部分的な導入では意味がなく、今までの常識をかなりひっくり返さないと
導入できないと判断され、馬に乗ることが武士の特権だったというのに
影響があまりにも大きすぎると判断されたのかな? にしても、去勢ぐらいは
導入されてもよかったのに。
0512人間七七四年2008/11/08(土) 19:51:49ID:PvZfEKyG
日本じゃ、その辺りの仕事をやる人間は、いわゆる賤民に分類されてるから難しかったのかもね。
0513人間七七四年2008/11/08(土) 21:32:19ID:+2PSaXpp
家畜の去勢は牧畜という生産形態と密接に結びついているから、
牧畜文化のある地域にはすんなりと受け入れらるけど
日本は牧畜文化がないからよほどのメリットがないと浸透しない・・・のだと思う。

ついでに牧畜文化のある国では人間の男を去勢した宦官というものも、
ひろく行われる・・。
0514人間七七四年2008/11/09(日) 00:05:47ID:oRzTJuOQ
外国から馬を何度も輸入しているから知識も一緒に来ていそうだけど
浸透しなかっただけじゃないの
コストや風習などでそれほど魅力を感じなかったとかで
0515人間七七四年2008/11/09(日) 02:53:45ID:KaSFvji2
ポニーというか、ロバ
0516人間七七四年2008/11/09(日) 17:48:22ID:tvR0+Yq6
>>513
中国の宦官と家畜の去勢では、切る所がけっこう違うんだな。

中国の宦官だが、ペニスごと切り落とす。もち激痛があるはずなので、男なら
想像できると思う。ブルルーッ。

家畜の去勢では、キンタマ袋に切れ目を入れて、睾丸だけ引っぱり出して、取り除く。
後ろ足で蹴られることもあるらしいが、事が終わると、家畜は何事もなかったような
動作をとるそうで、そうは痛くないらしい。

人間でやった場合はどうだか知らないが、西洋でも音楽隊のために
声の高い男子を作るために、玉だけ取る手術が行われた。
たぶんやっぱり痛かったと思うが。

おまけとして、イスラム教徒がする「割礼」というものがあるが、
包皮を切り取るだけ。砂漠で洗いづらい環境ゆえに生じた風習。
0517人間七七四年2008/11/09(日) 17:55:48ID:d4pC1oIa
松風を知らんのか?
0518人間七七四年2008/11/09(日) 19:20:12ID:0drEAMvl
>>517
体高140cmぐらいのポニーのことか?
0519人間七七四年2008/11/09(日) 20:22:33ID:oRzTJuOQ
体高140cmを舐めているアホはいつになったら消えるんだろうね
0520人間七七四年2008/11/09(日) 21:32:04ID:0drEAMvl
いいや舐めてませんよ
140cmもあれば立派なポニーですよ
0521人間七七四年2008/11/10(月) 18:16:34ID:ZR5mh2wL
要するに、ヨーロッパの19世紀のものさしで測らにゃならんような軍隊だったって事なんだろw>16世紀の日本
0522人間七七四年2008/11/10(月) 20:23:00ID:pW9HuYWQ
>>510
語源から辿るとフランスでFA
0523人間七七四年2008/11/10(月) 22:40:27ID:ULrg6XSi
帝釈栗毛がいるんだが?
0524人間七七四年2008/11/11(火) 01:26:02ID:aJbRYMEg
>505
同じ頃、西洋でも下馬して戦っていたりする
この傾向は16世紀半ばまで続く事になる
百年戦争でもフランス騎士がロングボウに備えて下馬戦闘しているな
0525人間七七四年2008/11/11(火) 01:41:31ID:aJbRYMEg
騎兵戦術が花形だった古代マケドニアや、
馬まで鎧で覆いローマに恐れられたカタフラクトで有名なパルティアの馬は
日本の馬より小さい。
しかも鐙がないので足で馬体にしがみつくしかない。
なのに騎兵が大規模運用され決戦兵力だったのは注目に値するな。

ゲルマン部族の馬は極めて小さかったらしく、カエサルのガリア戦争でローマを支援したときは
貧弱で知られたローマの馬のほうがまだ使えると即座に乗り換えさせている。
0526人間七七四年2008/11/12(水) 17:29:17ID:gOyjLI0d
メンアットアームズの下馬と武者の下馬戦闘は意味合いが違うと思うが
0527人間七七四年2008/11/12(水) 17:58:32ID:1tHNnOZN
時代を大きく下らせて、南北戦争でのネイサン・フォレストの下馬戦闘というのもあるな。
0528人間七七四年2008/11/14(金) 12:35:22ID:3DqoJALn
http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/0604160010.JPG

これでしょ?
当時のサイズに近いの。
0529人間七七四年2008/11/14(金) 15:20:29ID:/qFnqwdm
>>525
目ざとい嘘つくなよ
アケメネス朝時代の馬は15ハンド=150cmぐらい
とオスプレイに書いてあるじゃないかよ
0530人間七七四年2008/11/14(金) 19:28:45ID:B7sExDTW
日本馬いろいろ
ttp://www.geocities.jp/koyodaikisoumabokujyo/jho-1.html
0531人間七七四年2008/11/15(土) 00:42:54ID:pFh9v3qS
>528
うわ、小ぃせ!
幕末期の、平均身長150cmぐらいだった日本人と較べて、その馬高か。ポニーより多少は大きいとは言え、大差ないんじゃね?

>530
これはこれは、すごく参考になる。サンクス
0532人間七七四年2008/11/15(土) 01:49:55ID:qqr6kLXd
>>531
何が言いたいの?
古代ローマ人の男性の平均身長は150cmぐらいといわれている
後に南イタリアに侵入したランゴバルト人はローマ人より背が高かったが
そのランゴバルト人が雇ったノルマン人(フランス化したノルマンディー地方に住む北方人)は
ランゴバルト人から巨人と言われたが、ノルマン人の平均身長は167cmぐらいといわれている
栄養状態が良いとは言えないそれらより古い古代人ならさらに低いだろ

これの上の方のレスに誰かが書いてあった日本の遺跡から発掘された複数の軍馬の骨から推定された体高だと
日本の軍馬は120〜140cmぐらいだろ
よっぽどこっちの方が小さいと思うがね
0533人間七七四年2008/11/15(土) 18:07:16ID:49+YbEdT
南北朝時代の有名な騎射戦について、図書館で読んだ。
(藤本正行の「鎧をまとう人々」)
騎馬に乗ったAと敵の騎馬兵Bが、
一対一で弓で射ち合うシーンがあった。元の記載は当時の文献による。

戦闘はお互い接近するところから。
A→   ←B

でも、騎馬に乗ったままなので、弓は左側に向ける。右側だと弓の弦が馬の腹にあたって
しまい、引けない。

だから、実際にはこのように近付いていった。
     ←B

A→  

だが、騎馬Bは弓の名手として名高い源為朝だとわかったため、
騎馬A(大庭景義)は不利と感じ、予想外の行動にでる。

   ←B
A↑  

方向を急に変えて、騎馬Bの直前を突っ切る策にでた。

  A↑←B

騎馬Aは右方向には矢は射てず、騎馬Bも自馬の頭が邪魔で矢を討てず、
お互い射てないまま、交差した。

  ↑A
   ←B

騎馬Aは左旋回を続けながら、騎馬Bと同航態勢にした。

   ←A
    ←B

これにより、騎馬Aは左に矢を討てるのに、騎馬Bは右には矢を放つことができず、
騎馬Aが一方的優勢に立つことができた。

だが、騎馬Bは弓の名人ゆえ、窮地に陥りながらも、矢を放つ。
騎馬Aの左の膝に当たり、騎馬Aは敗走する。

騎馬A(大庭景義)が後に語った回顧として、
騎馬B(源為朝)が不利な状態だったためで、自分は左足負傷だけで済んだ、という。

以上。
本によれば、この騎馬戦は、もっとも代表的だという。
0534人間七七四年2008/11/15(土) 18:12:48ID:49+YbEdT
この騎馬戦は、もっとも代表的だという。
ではなくて、
この騎馬戦は、もっとも有名だという。
と書いてあったように思う。
0535人間七七四年2008/11/15(土) 18:25:17ID:49+YbEdT
鎌倉時代の鎧が、なぜ大鎧と言われるのかについては、
実際に大きな鎧だからであり、馬に乗ることが前提であるため、
つまり、自分で歩くわけではないので、重い鎧となったという。

武者と鎧あわせて、合計100kgの重さで、馬は超大変。
だが、駄馬でも、米俵を馬の両腹脇に下げて運んで(1俵60kgを計2つ)
いたりするので不可能でもない。

のちの戦国時代には、足軽という(←この表現からして、鎧は比較的軽く、
馬にも乗らないことがわかる)武者による戦闘が主流になったため、
大鎧を装備しての騎射戦は廃れてしまっている。
0536人間七七四年2008/11/15(土) 20:27:49ID:sgtEFra2
>>533
ちょっとニュアンスは違うけど、その話はここでも挙げられてるね
ttp://homepage2.nifty.com/kousyuryu-kisya/kachukishakou/ss03.html
0537人間七七四年2008/11/15(土) 21:03:01ID:49+YbEdT
大庭の言葉は「勇士はただ騎馬に達すべき事なり。」という説教に続く。
馬を乗りこなせるかどうかで生死が分かれたわけなので、この主張は当然であろう。

馬に乗らざねば武士にあらず、と言いそう。
0538人間七七四年2008/11/15(土) 23:10:57ID:vimDscUk
>>529
いや、カスピ海東部の遊牧民発祥のパルティアは軽種馬。
しかも鐙は乗り降りでしか使わない片鐙ね。
0539人間七七四年2008/11/15(土) 23:46:15ID:7bUJvTbX
>>537
そのサイトは昔の馬術を探求している会が開いているようだから
どうしても騎乗(騎射)重視になってしまうだけなんじゃね?
0540人間七七四年2008/11/16(日) 01:54:52ID:jYrP5ZbS
>532
人間に身長から推定して、馬の大きさが随分と小さいよな、と書いた@531

だから、この写真の馬の大きさが120〜130cmぐらいの高さだよな、って意味。
「日本の軍馬は120〜140cmぐらいだろ 」という>532 の記述と一致してるんだから、問題ないだろ?
0541人間七七四年2008/11/17(月) 10:36:12ID:G2xczSiV
>>540
阿呆ですか
写真があるということは幕末で外来馬が流入して交配ぐらいさせてるし
飼育法や飼料も西欧化されてるのは容易に考えられる
幕末の幕府軍はフランスの指導で騎兵隊編成してるんだから馬や馬具が流入して当然
革命時、フランスは体高148cm以下の馬を軍役適さずとしてそれ以下を農耕など使役馬として放出した

あと日本に去勢法なくても・・・
とほざいた馬鹿いたけど
去勢はただ馬を従順にするだけではない
去勢馬は骨の太さをあまり変えずに長くなり通常の牡馬、牝馬より体高で10ハンド=10cm程高くなり
顔も小さく面長になる
出自が同じ中国大陸にも関わらず西域馬との交配や去勢馬のある中国馬に比べ
和製馬は体高も低く、その割には顔が馬鹿でかいのである
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