戦国時代の馬はポニーサイズ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 11:40:18ID:DuDy4IDa0341人間七七四年
2008/03/04(火) 08:07:33ID:3sTNOmZu0342人間七七四年
2008/03/04(火) 16:06:40ID:gwONCzpy地面からキコウな正確には。
0343人間七七四年
2008/03/05(水) 07:51:22ID:tAKM1fQg専門家の方ですか。
素人の読む程度の本では体高が肩までの高さぐらいしか書いていないので、出来ればもう少し詳しく教えてもらえれば有難いのですが。
キコウ→? 馬の高さ? 騎高? どこ?
などと言う状態になっております。
0344人間七七四年
2008/03/05(水) 09:16:23ID:1B8Lh3zu0345人間七七四年
2008/03/05(水) 10:29:20ID:tAKM1fQgありがとうございます。
0346人間七七四年
2008/03/05(水) 10:39:12ID:2rWVOSFV0347人間七七四年
2008/03/05(水) 11:45:08ID:yK1XSZei0348人間七七四年
2008/03/06(木) 05:56:04ID:z7Dfz4ox髟 (き) 甲 (こう)
耆
0349人間七七四年
2008/03/12(水) 08:45:16ID:UW3XNiczペット屋で犬の体長が胸からお尻になるみたいなもんか?
一つ気になるのは、日本以外でもキコウまでの高さで体高になっているのかどうか?字から見て日本独自のものぽい
0350人間七七四年
2008/03/12(水) 17:11:06ID:CPnjWXvw0351人間七七四年
2008/05/16(金) 13:16:32ID:70aXf7FN飼い方をしていたのかな?
0352人間七七四年
2008/05/18(日) 01:11:33ID:byQaPNkQ良好な食生活を送るのとは違う。
0353人間七七四年
2008/05/19(月) 02:04:47ID:RZcSmpu9しかし、馬が家畜化されると、より栄養価が高く美味しい食料として、豆類や
穀物を与え、より良い食生活を送らせるようになった。
特に冬から春先にかけては新鮮な野草が不足するため、豆類や穀物で十分な栄
養を補給する必要があった。
0354人間七七四年
2008/05/24(土) 06:01:29ID:0btzdmVb無機物の補給源もちゃんとあるし素敵な環境
0355人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 20:20:44ID:Mwcf1tYM0356人間七七四年
2008/08/24(日) 00:22:00ID:A9YdTcDI少なからず小田原北條家の近隣諸国ぐらいまでは
普通に知られていたと思われ。
0357人間七七四年
2008/08/24(日) 17:41:54ID:iYDUkYKQ義経の「鵯越(ひよどりごえ)の坂落し」。
そんなことはありえない!
ポニーのような小馬に乗った坂東武者…。
これが本当だ!
「技術」の視点から、源平合戦の通念をくつがえす。
『源平合戦の虚像を剥ぐ』(川合康著、講談社選書メチエ帯より)
(笑)
0358人間七七四年
2008/08/24(日) 18:26:09ID:adm0ITzV日本式の乗馬・操馬法について調べてから書けって思うw
落としという表現は誇張かもしれないが険しい山道でも
平気なのが和種だろ。
斜面のきつい富士山やその山麓ですら登ったり下りたりを
してきたような馬だぞ。
0359人間七七四年
2008/08/24(日) 21:29:15ID:nMadTa5h・唐沢玄蕃が厩橋城攻防戦で金の馬鎧を着用
・北条家で馬鎧の着用を義務付ける軍令状
・信長が初陣で馬鎧を着用
・1575年信長の馬廻衆百騎以上が馬鎧を着け岐阜に帰陣しているのを島津家久が目撃
・家康が信長に三百領の馬鎧を献上
・徳川家で馬鎧の生産を命じる記録複数
・朝鮮出兵の閲兵式で伊達隊が馬鎧の上に豹皮や孔雀の羽で着飾っていた
0360人間七七四年
2008/08/30(土) 12:25:42ID:AnUyQkqRそだね。今でも富士山の富士吉田口には普通に馬がいる。
どの馬も和種をかけたと思われる太い足の馬ばかり。
こんな感じ
ttp://santa21.fc2web.com/2004/fuji2004/index.html
↑多分戦国時代もこういう体格の馬が多かったと思うよ。
今のように小さくなったのは江戸時代に改良されてからだから。
0361人間七七四年
2008/08/30(土) 12:42:25ID:uVE+OfOi競馬用のトレーニングしてない大馬でも長距離は無理なの?
0363人間七七四年
2008/08/30(土) 14:16:27ID:rEthkc33論外だわ
0364人間七七四年
2008/08/30(土) 16:17:30ID:jFcYF4EQ富士山にいる馬で少し調べたがこっちの方が和種の特徴が
良く出てると思われ。
その馬はさりげなく重種がかけてある感じが出てるような・・・。
でも貫禄ある足だよな。サラブにはまずない魅力。
(蛇足になるがその写真、心霊写真っぽくないか?
鼻孔がやけに長くて違和感を感じるんだが。動いていただけかもしれんけど)
・奥のは和種に出やすい河原毛と手前はいかにも木曽馬って感じの馬。
ttp://www.360navi.com/photo/15yamanasi/01fuji/05mt05/10photo16.jpg
・河原毛の全体像。
ttp://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/12/68/61/src_12686123.jpg
>>361
大馬でもエンデュランスという人馬一体マラソンみたいな競技が
できるのだから長距離でも可能。
この競技はそれこそ100km以上のこともある。
でも、おもしろいぞこの競技。まじではまる。
戦国時代もこんな感じで移動していたのかなと思う。
エンデュランスについて
ttp://www.hea-gr.jp/
0365人間七七四年
2008/08/31(日) 00:20:05ID:p0DqN//4てか、合戦図に出てくるまんまの馬だ(;´Д`)ハァハァ
大河もこういう馬ばかりで作ってくれ!
0366人間七七四年
2008/08/31(日) 15:46:46ID:3zIpxFfu・今の俳優は背の高い人が多いから義龍のようなことになりかねない。
・今まで馬を貸してもらっていた牧場などの付き合い上
などの理由で大河で使うのは難しいらしい。
本当は和種の方が甲冑での騎乗も映える(合戦図にある武者のような感じが
出やすい)からN○Kとしては使いたくて仕方ないらしい。
関係者から以前聞いた話だと、風林火山では信玄の中の人がなかなか乗馬が
うまくならずスタッフは本番をどうするかと頭を悩まし、性格がのんびりしていて
従順な和種なら大丈夫では?とその路線で準備も進めていたらしい。
ところが、某人らが自馬を持ち込むこととなりその人らの馬が
サラブだったためやむなく断念したことがあったそうだよ。
0367人間七七四年
2008/08/31(日) 19:15:24ID:MiKz6InT草原の風景がダダッピロすぎるならCGで誤魔化せ。
0368人間七七四年
2008/08/31(日) 20:50:37ID:Z8EP1i8X今さらながらカピ亀には木曽馬みたいな馬の方がむしろ似合ってたと思う。
使いたいならせめてOPだけでも使えば良かったんじゃないかなと。
OPぐらいの頭数ならさすがに揃うべ?
0369人間七七四年
2008/09/02(火) 01:46:06ID:p9/UYJAY0370人間七七四年
2008/09/02(火) 15:19:23ID:WLc6B5mC結構強暴で油断してるとよくかまれそうになった。
0371人間七七四年
2008/09/02(火) 20:14:20ID:IG8Aumts0372人間七七四年
2008/09/02(火) 20:46:21ID:RCuxf+BA身長170cmの人間の胸ぐらいあるから、それほど小さくないよ。
まして当時の平均身長は157cm程度だから
並んで立った状態だと馬の胴体の上に人の頭が出るくらいになるから
乗り降りの便とかを考えると丁度扱いやすく実用的なサイズだと思う。
競馬のサラブレッドを見てると騎手の騎乗の際、他の人に補助してもらって乗ってるでしょ。あれじゃ戦場でイザというときヤバイと思うな。
0373人間七七四年
2008/09/03(水) 01:40:52ID:k0cRUYFP戦場ではF1カーよりもジムニーの方がまだ役に立つ
0374人間七七四年
2008/09/03(水) 02:19:27ID:dCHWg/WZ確たる事実なわけで、戦国時代にアラブ種などの大きな馬があったらそっちが
使われていた可能性も高いんじゃないかと思ったりもする。
騎馬武者は見栄えが重要だしね。
0375人間七七四年
2008/09/03(水) 14:36:35ID:bPVPiwRW戦国時代においても在来馬は役に立たずであったかのように言われることがある。
しかしながらこれは、近代の後装ライフル銃と火縄銃とを比較して、
火縄銃は能力が低いとして
戦国時代においても火縄銃は役立たずであったと言うのに等しい。
あくまで明治以降では、品種改良が重ねられた近代馬種との比較において
相対的に能力不足になっていたのであって、
戦国時代にあって役立たずであったわけではない。
また明治という時代は、近代欧米技術の導入が積極的に図られた時代であり、
そのために、在来技術が実際以上に貶めて評価される傾向にあった時代でもある。
(在来の物をダメだダメだと言わないと、新規技術の導入は中々進まない。)
そいった時代背景も考慮に入れるべきであろう。
0377人間七七四年
2008/09/05(金) 23:04:20ID:WquCCxUH戦えない
0378人間七七四年
2008/09/06(土) 01:15:51ID:KAGzM9z6本当? 戦国時代は蹄鉄もなければまともにハミすら使わず、
日本流の戦闘への向き不向き以前に、まともな馬具がそもそも
なかったというべき。
0379人間七七四年
2008/09/06(土) 01:27:58ID:34WXfIsU0380人間七七四年
2008/09/06(土) 01:47:39ID:KAGzM9z6蹄鉄がいらないそうだ。ただ、蹄鉄があれば蹄は柔らかいけれども大型化した
馬に改良する方向も出てきたはず。
日本では鉄が貴重品なので馬に使う消耗品にするにはもったいないので
蹄鉄が無視され続けたという可能性はあるかもしれない。
でも、鉄製農具が広く普及した鎌倉〜室町期以降なら、蹄鉄のような
鉄の消耗品というのにも耐えらえると思うんだけどなぁ。
0383人間七七四年
2008/09/06(土) 23:05:36ID:LunuOg3fそういう方向で言いたかったのなら当時の乗馬法では馬具を
あまり用いなくても操馬ができ、馬も轡なしでも大丈夫な性質だっためと
いったような内容を前に書くべきなんだよ。
ここにいるみんながみんな乗馬、特に古くからの日本での
乗馬法に詳しい訳ではないのは最初から読めばわかること。
自分が理解している=他人も理解しているわけではないと
いうことを前提にレスは入れた方がいい。
そしてけんか越しでないのに煽るような書き方もどうかと。
ちなみに蹄鉄技術は去勢と同じで明治時代に入ってきたものだから
日本に無かったのは当たり前。日本には石畳のような路地は
あまり無かった上に蹄を痛めるような場所も少ないから
鉄を履かすという感覚が無かったんだろ。沓や草鞋だけで十分だし。
あと、蹄鉄って必ずしも必要なものでもない。必要時以外は
外しておくことも少なくないよ。鉄を履かせると基本的に複数頭での
放牧ができない(喧嘩をおっぱじめると大きい怪我のもと)し
冬場の凍った地面だと滑って危険だから。蹄鉄が主な原因で
罹る怖い病気もあるからリスクを減らすためということも。
0385人間七七四年
2008/09/07(日) 00:13:46ID:2syIt/EH残れなかったとみるべきじゃないの? 見栄えのいい馬が賞賛されていた
のにも関わらず、一向にそういう方向に改良が進まなかったわけだし。
まあ、今の在来馬って意外と気性が荒いけどね。
大陸では普通に去勢をしていたし、蹄鉄も欧州に比べるとかなり遅かった
とはいえ、14世紀頃には一般化していたわけで、日本では馬具や去勢技術
など馬関連の多くの技術がなぜか非常に遅れていたのは厳然たる事実でしょ。
だからといって馬が戦力にならなかったのかとかいうのは別問題だけど。
0388人間七七四年
2008/09/11(木) 21:38:46ID:9rgHqW/Rしたのは五世紀になってからである・・・
ハミの歴史は非常に古くデレイフカ遺跡と呼ばれる後期新石器時代の
遺跡からハミの断片と推測される加工した鹿の角が発見されている
この遺跡から同時に発掘された馬の前白歯にはハミの使用によると
思われる異常な磨耗が認められている・・・馬の博物誌より
戦国時代には普通にハミを使ってると思うけど?
0389人間七七四年
2008/09/11(木) 21:55:58ID:pDzrhcicハミがはさまってるんじゃね?
曳いた馬には、騎馬武者が乗ってる。
0390人間七七四年
2008/09/11(木) 22:26:24ID:capKuY1gと称するものが出品されてますがw
ttp://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w23624300
0391人間七七四年
2008/09/11(木) 22:45:16ID:f0lh3l4e0392人間七七四年
2008/09/12(金) 10:54:07ID:I3g/EcIW暴れて蹄鉄打たせない馬はしばらく裸足で調教してる
普通に馬に乗る分には蹄鉄が無くても問題ないと思うけど
尖った石がゴロゴロ落ちてるような道なら草鞋はかしたほうが良いかも
昔は牛にもはかしてたらしいから
0393人間七七四年
2008/09/13(土) 05:07:27ID:Cfiqhloo0394人間七七四年
2008/09/13(土) 05:28:11ID:Cfiqhloo蒙古襲来絵詞、大坂合戦図屏風絵等で、見た限りすべての馬にハミが装着されている事を確認。
轡取りなんて役もあるだろ・・・
そもそもハミがなきゃ手綱がつけられないだろうw
0395人間七七四年
2008/09/22(月) 12:11:03ID:ky7oFCTuポニーに鎧を着た武将を乗せるなんていう検証番組も全くのナンセンス
因みに同時代の西洋の騎士が乗る馬もポニーサイズ
0396人間七七四年
2008/09/22(月) 20:45:52ID:O9SktHBO0397人間七七四年
2008/09/22(月) 21:28:50ID:5ImQrdFEあ、ほんとだね。
0398人間七七四年
2008/09/23(火) 01:23:45ID:7sgVTkEPアラブ、サラブ系の足の長い貧相な馬が遙か昔からスタンダードっていう思い込みが恐ろしいよな
0399人間七七四年
2008/09/23(火) 12:06:38ID:XhNBtBzVそのせいでシェトランドポニーみたいな小さいのが
ポニーの典型であるかのような誤解が生じやすい。
「戦国時代の馬はポニーサイズ」というのは
そういう誤解を利用して、まるで戦国時代の馬が
シェトランドポニーみたいな小さな馬であったかのような
ミスリードを行ってるのよね。
0400人間七七四年
2008/09/23(火) 17:19:34ID:6J49MyK6走れるかどうかは知らないが。
ロバは主に物運び用だな。日本にロバが多くいたかどうかも知らない。
0401人間七七四年
2008/09/25(木) 06:46:45ID:nak651rE同時代の中東や欧州には存在しなかった(と言われている)鐙(あぶみ)も。
ミスリードする輩ってのは、意図的にミスリードしようとしているとしか思えんところがあるのが如何にも胡散臭い。
鈴木某とか。
0402人間七七四年
2008/09/28(日) 22:38:28ID:ghVsbaZR本などには案外気難しく扱いずらいとは書いてあるが
ロバ×馬=ラバ←これは走らせるとけっこう速い!
メキシコだったかな?ラバで競馬してる
0403人間七七四年
2008/09/28(日) 23:38:54ID:5StnpZoH逆がケッテイでこいつは気難しいらしい。
スペインだかに「ケッテイのように頑固だ」って言い回しがあった
日本にはこういう計画繁殖みたいなことって根づかなかったね
0404人間七七四年
2008/09/28(日) 23:52:22ID:EDFUNCfwってのはあんまりきかないね。吉宗の時はどうだったっけ?
0405人間七七四年
2008/09/29(月) 18:24:14ID:9aDNhgGaまったく興味をしめさなかったみたい
0406人間七七四年
2008/09/29(月) 18:29:19ID:1b3iznQs当時の日本人の平均身長なんて120cmくらいだろ。ポニーとかでちょうど良い。
0407人間七七四年
2008/09/29(月) 19:46:07ID:82fefCnn0408人間七七四年
2008/09/29(月) 20:11:41ID:PZKyeI0f0409人間七七四年
2008/09/29(月) 22:06:28ID:9aDNhgGa注意、あくまでも冗談ですょ〜
0410人間七七四年
2008/09/30(火) 01:12:49ID:ZUMsrhUf0411人間七七四年
2008/09/30(火) 03:34:26ID:WBHsZzmRA 150cm 弥生時代「最大」から江戸時代「最小」まで継続縮小説
B 157cm 戦乱期の戦国で一時最大 江戸期で縮小説
他説もあるかも。
0412人間七七四年
2008/10/01(水) 22:46:24ID:q9Yd4p9Q相手を威圧できなきゃただのでかい的か暴れて味方に損害を与える厄介者
0413人間七七四年
2008/10/01(水) 23:14:26ID:5T5mXeOwピュロスのローマ侵攻のときは象にビビったローマ軍が崩壊した戦いもあったし
ただザマみたいに隊列に間隔をあけてしっかり象対策されたりするとな・・・
0414人間七七四年
2008/10/02(木) 00:45:36ID:7Q9xjnof象は群れのボスを調教すると、そのボスが群れの他の個体を教育するんで、調教、訓練は他の動物よりも楽って部分はあるみたい。
カウティリヤの「実利論」(ダルマシャーストラ)には戦象に関する記述もあるので、興味のある方はそちらも参照されたし。
0415人間七七四年
2008/10/02(木) 07:55:31ID:lA0Ks9Zu次は訓練されてない傭兵
戦象が負けた相手は訓練された歩兵で
実はこれ、オリエントでは騎兵軍団より貴重
0416人間七七四年
2008/10/02(木) 19:08:40ID:+dsXcssAゾウで戦うというよりも権威の象徴ぽいね
まあ馬も同じようなかんじだけど
0417人間七七四年
2008/10/05(日) 23:58:17ID:WgRtJz6Sサンデーサイレン酢系のほうがおおいのかな
0418人間七七四年
2008/10/07(火) 02:13:33ID:rmvh5vBn0419人間七七四年
2008/10/10(金) 16:36:56ID:AtXcPTVTとはいえ、日本では圧倒的にサンデーサイレンス系統が強いんで、増えてるかもね。
ただ、気性面で考えると断言しにくいけど。
0420人間七七四年
2008/10/18(土) 21:57:15ID:hIDlmZQc>B 157cm 戦乱期の戦国で一時最大 江戸期で縮小説
平均に比べると、戦国武将って結構背高いよね。
やっぱ身体がでかくないと武将としてダメだったんだろうか。
日本在来馬って大分減っちゃったんだよね?
一番大きかった南部馬も絶滅して。
大河で西洋のでかい馬でてるとなんか違和感。
0421人間七七四年
2008/10/18(土) 22:01:43ID:hIDlmZQcでも一応区分ではポニーじゃん。
それにやっぱ西洋の馬に比べれば小せえ!って思えるし。
俺は好きだけどさ、日本・中国・蒙古の馬。
てか中国はアラブ馬輸入してなかったのかな?
0422人間七七四年
2008/10/18(土) 22:46:29ID:zb/33nF0・中手骨(38例)―体高分布 121〜139cm:平均値 130.9cm
・中足骨(34例)―体高分布 109〜138cm:平均値 130.1cm
・とう骨(26例)―体高分布 117〜136cm:平均値 128.7cm
・脛骨(26例)―体高分布 109〜140cm:平均値 127.4cm
・上腕骨(3例)―体高分布 119〜139cm:平均値 128.5cm
・大腿骨(1例)―体高分布 128.1cm
◆全平均値 129.5cm
◇最も多い体高 126〜136cm
日本は幕末まで在外馬の流入、飼料の改良など行われなかったのでこの平均値が日本軍馬の平均値と思ってよいと思われる
0423人間七七四年
2008/10/18(土) 22:50:38ID:hIDlmZQcその程度なんだろう。
0424人間七七四年
2008/10/18(土) 23:47:56ID:zb/33nF0小馬―四尺(約121cm)
中馬―四尺五寸(約136cm)
大馬―五尺(約152cm)
軍記物で名馬と呼ばれる馬の体高はだいたい四尺六寸〜四尺八寸(約139〜145cm)の範囲
0425人間七七四年
2008/10/20(月) 23:01:56ID:6T+hDYEb北海道和種(ばんえい競馬の馬じゃない方)なら元々南部馬だから
大河ドラマで走っててもおかしくないかも
0426人間七七四年
2008/10/21(火) 18:47:14ID:tDYzBXxzやっぱ完全にポニーだな
これで完全装備の糞重い武者が乗ったら蹄鉄もまともじゃないから動き鈍そう
去勢もしてないから牡馬なら暴れそうだ
0427人間七七四年
2008/10/21(火) 20:16:54ID:PiQ8trH20428人間七七四年
2008/10/22(水) 00:49:47ID:4Pfkuwoc何訳のわからんこと言ってんだ
そんなこと考えてる奴いるわけないだろ
もともと軍馬に向いていない日本馬を無理矢理軍馬にして馬具も技術も不完全なんだから言われても仕方ないだろう
0429人間七七四年
2008/10/22(水) 18:29:01ID:Sa6R+q3j0430人間七七四年
2008/10/22(水) 23:14:13ID:WZfnL+NF鎌倉時代のヨロイを測ると、大柄のものが多く、
人間の身長が180センチくらいだという。
なんでも当時は気温が高めで、人間も大きかったようだ。
もっとも、
>>422を見る限りでは、馬は大きくもないが。
0431人間七七四年
2008/10/22(水) 23:19:23ID:GYstk5vD誇張だと言い切るのはちょっと無理がある。
0432人間七七四年
2008/10/22(水) 23:20:52ID:R966THOTつーか、気温が高かったら人間が大きくなるってwwww
お前いっぺん東南アジア行ってこいよwwww
0433人間七七四年
2008/10/22(水) 23:43:57ID:EkARjgVT0434人間七七四年
2008/10/23(木) 00:56:31ID:w7EhqNgX鎖で鉄騎を繋いで鉄の方陣を作ったり、
数千〜数万の楔となって敵戦列を破砕するなど、大規模な装甲騎兵の運用が見られた。
機動戦術を主とするモンゴル帝国の軍馬も蹄鉄を打ってない。
0435人間七七四年
2008/10/23(木) 14:57:02ID:RIm93HV4温暖化により食糧事情が良化すると体はでかくなる。
逆に慣例化すると小さくなる。小氷期だった江戸中期〜後期なんて、
小人かと思うほどに小さい人が多い。
こんな常識すら、草はやして喜んでいるバカは知らないんだなぁ。
0436人間七七四年
2008/10/23(木) 18:37:01ID:99j/Qd3l食糧事情が平均気温だけで決まると思ってるの?
気候その他の要因も大きい。
第一身分の差はなんも考えてないのか?騎乗身分ってどれくらい偉いか知ってるか?
バカにする前に当時の人間の平均身長の統計データぐらいもってるんだろうな?
俺の知る限りでは14世紀と16世紀の平均身長は殆ど変わらん。
180とかバカじゃないの?お前の身長より高いじゃん。
0437430
2008/10/23(木) 20:18:08ID:HvzxRhYw源 頼朝(みなもと の よりとも)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の武将である。鎌倉
幕府の初代征夷大将軍として知られる。 ...... 身長は大山祇神社に奉納された甲冑を元
に推測すると165センチ前後はあったとされ、当時の平均よりは長身である。
義経
身長に関しては義経が奉納したとされる大山祇神社の甲冑を元に推測すると150cm前後くらいではないかと言われている。しかし甲冑が義経奉納という根拠はなく、源平時代のものとするには特殊な部
49 :習志野権兵衛:03/08/17 23:15
確か足利尊氏もでかくて180cm。現存の遺品の甲冑もでかい。
10 :日本@名無史さん :03/07/10 07:47
徳川吉宗はよく分からない。愛知県岡崎市大樹寺にある
位牌では156cmしかないし。遺骨の発掘調査でもしないと
分からないかな。なお、
坂本竜馬:176cm 藤堂高虎:187cm 前田利家:179cm 加藤清正:181cm
伊達政宗:159cm 徳川秀忠:159cm 明治天皇:168cm 西郷隆盛:183cm
源 義経:147cm 東条英機:163cm 徳川慶喜:157cm 桐野利秋:177cm
ナポレオン156cm ヒットラー175cm ルーズベルト:191cm アラビアロレンス 165cm
仏人平均:176cm 独人平均:180cm 英人平均:178cm 米人平均:175cm
0438つづき
2008/10/23(木) 20:19:12ID:HvzxRhYw武田信玄は153B(肖像画や鎧甲から計算)。伊達政宗は遺骨から計算して
161B。
95 :日本@名無史さん:03/11/02 12:18
徳川将軍(遺体からの推定身長)
http://www.jah.ne.jp/~risuko/hone.html
家宣 160.0
家重 156.3
家慶 154.4
家茂 156.6
天親院(家定正室) 147.8
静寛院(家茂正室、和宮) 143.4
桂昌院(家光側室・綱吉実母) 146.8
殊妙院(家慶側室) 147.9
0439つづき(まとめ)
2008/10/23(木) 20:21:23ID:HvzxRhYw幼少の七代家継を除けば、一番小さいのは五代綱吉。135センチ。
十五代慶喜も小さく、侍女の回想談によると「今のお人が想像なさるより
はるかに小柄で五尺そこそこでした」とある。150センチ程度ですね。
ttp://ameblo.jp/urutora5963/entry-10106190674.html
人類学者の鈴木尚氏によると、日本人の身長には”大人期”と”小人期”の周期があり、
現代は”大人期”に当たっているのだという。つまり、食べ物や生活環境だけの問題では
ないということだ。
過去の大人期の代表としては、南北朝時代があげられる。たとえば、この時代に活躍
した新田義貞などは、180センチもある大丈夫(だいじょうふ)だったという。
一方、小人期の代表は、平安時代と江戸時代。とくに平安時代は日本史のなかの
”氷河期”ともいえ、寒冷期にも当たっているため、それが食物の生産に悪影響を与え、
当時の人々の身長をより低くさせたといわれる。この時期の日本女性の身長は、
140センチくらいだったと推定されている。
0440430
2008/10/23(木) 20:25:58ID:HvzxRhYw>>人間の身長が180センチくらいだという。
情報源は本からだったが、
鎌倉時代の有名人がでかかったとあり(鎧から)、
それは源頼朝と思ったが、そうでなく、新田義貞のことだった。
0441人間七七四年
2008/10/23(木) 23:23:59ID:vXS89zyw蒙古兵は革製のラメラ・アーマー程度で日本の武士みたいに重武装でないし
一日100`走れる人を乗せることが目的で品種改良されてきた遊牧民の馬と
農耕目的で品種改良もされず去勢も知らずや馬蹄、鐙、鞍など馬具の技術も低位であることを同次元で比べることはできない
鉄騎は中国や鮮卑族が多用したが、それも西域から馬をかけ合わせ品種改良された馬だ
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