戦国時代の馬はポニーサイズ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 11:40:18ID:DuDy4IDa0182名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/26(金) 22:05:32ID:V9PgvgUY戦国より鎌倉末の方が背は高い
>>181
体長、体重
0183名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 00:08:44ID:5cnP3I4eいくら鎌倉時代の身長が高いにしても現代人サイズはないだろ・・・。
0184名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 23:55:44ID:a2Z5m8/h日本人成年男性の平均身長の推移
縄文時代 156p
弥生時代初期 156p
弥生時代末期 160.5p
古墳時代 160.5p
14世紀 157p
16世紀 157p
18世紀 155.5p
1901年 157cm(一説では155cm)
ttp://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/sintyou.htm
0185人間七七四年
2007/02/28(水) 00:07:46ID:MSQwW4atとして愛用してた馬がアラブ馬の(マレンゴ)体高141a
ワーテルローの戦いのあと捕らえられてイギリスに連れて行かれ
38歳で死んだあとロンドンの国立軍事博物館に収められている
ちなみにウェリトン将軍は(コペンハーゲン)体高152aにワーテルロー
の戦いの時に15時間ほとんどこの馬に乗って戦闘を指揮してたと言われている
そのぐらいの馬が一番乗りやすのでは?
0186人間七七四年
2007/02/28(水) 20:58:23ID:eS/zrDHL農家に残っていたのがおとなしい馬だったんだろ?
幕末に来た外国人の記録では、日本の馬は気性が荒く、
馬同士で喧嘩している姿をよく見かけたとの記述がある。
0187人間七七四年
2007/03/01(木) 00:31:16ID:hilv6/ptその辺の記録はね〜
その人がタマタマみた数頭の馬で判断されることもあるし
戦国時代の宣教師の記録並みに怪しい・・・
0188人間七七四年
2007/03/01(木) 17:01:26ID:ezotujFu0189人間七七四年
2007/03/02(金) 02:14:00ID:83Ju7Z790190人間七七四年
2007/03/03(土) 21:47:16ID:iwaAbw9Rそして馬同士のけんかなんぞ今でも普通に見れることだ。
特に食欲と性欲に関係すると馬の種類関係なくスゲー喧嘩するよ。
生きることと子孫を残すことは本能だから。
そして人間の指令にひたすら従順になるよう調教して乗る西洋馬術が
当たり前の人たちから見れば当時の日本の馬は荒く見えたんだろうな。
西洋ではあばれ馬はどちらかというと嫌われたし気性が荒い若い馬は
馬齢がある程度高くなっておとなしくなるまでは放牧と調教ばかりで
人前に出したり実戦で使ったりはあんましなかったらしいからね。
今でも、ヨーロッパでは例えばウィーンにあるスペイン乗馬学校等で
披露される馬術に使う馬は平均12歳ぐらいだし、障害競技などで
出される馬も8歳前後なんてザラ。
0191人間七七四年
2007/04/05(木) 12:57:33ID:QPJKQHUJ国産馬の小ささが関係しているのでしょうか
0192人間七七四年
2007/04/05(木) 19:58:29ID:buDSk97W一方、日本にはそもそも去勢の習慣が無かった。
去勢済みの馬を馬本来の気性だと思いこんでる一般西洋人が
当時日本の牡馬を見たら種固有の荒々しい気性だと思い込むだろうよ。
0194人間七七四年
2007/04/05(木) 22:31:53ID:WUu/wThc女性の文化が発達していたからだと言う説を聞いたことがある。
0196人間七七四年
2007/04/06(金) 20:34:38ID:vea2Cl4x>>610
新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と共に出土した128体の馬の平均体高は、129.5cm。
126〜136cm台がもっとも分布数が多く、大きいもので140cm。
グスタフアドルフ時代のスウエーデン軍装備目録の、騎兵用軍馬の体高は112〜133cm。
モンゴル馬と同程度の小柄な馬だ。
北欧は馬の体格が劣っているのは知られているが、この小さな馬であの長剣突撃を行なっていた。
0197人間七七四年
2007/04/07(土) 01:33:53ID:cUuv2Zan車の運転でも大きい車より軽自動車のほうが扱いやすい。
スピードが遅く、着座位置が低いほうが、落馬しても怪我をしにくい。
乗り降りもしやすい。
足が短い小さな馬のほうが上下動が少なく、騎射のさいの命中精度が高い。
乗員の疲労も少ない。
0198人間七七四年
2007/04/08(日) 06:11:30ID:SYSgGj93することもある。実は。騎射の命中精度って最後はタイミングだから。
馬の扱い方は人によるところも多いけど体格云々より性格が
一番左右すると自分は思う。
0199人間七七四年
2007/04/08(日) 08:17:40ID:BOHYQxhGにするのだろうが、体重80kg程度の猪と戦う事になったらその怖さは想像付くだ
ろう?裸で四角いリングに上がって、興奮させた猪と遣り合ったら先ず無事では
済まない。
此れがだ木曾馬だと300〜400kgある。しかもその上には武装した人間が乗ってる
んだ合計体重は更に増す。瞬発力は猪並にあり、その突進力の凄さが解る。
しかも野生動物とは違い、相手は確実に自分を殺しに着てる。
もうねこんな相手と「武装させてやるから戦え」なんて言われても普通に無理っ
て答えるよ。
0200人間七七四年
2007/04/08(日) 14:00:37ID:xXM1V+z8いいかもしれないが、馬同士でみれば、体格がはるかに
大きな相手には萎縮してしまいそうだな。
0201人間七七四年
2007/04/08(日) 15:13:29ID:rAvhtCJI0202人間七七四年
2007/04/08(日) 16:10:49ID:rhXkTclb0203人間七七四年
2007/04/08(日) 16:46:35ID:xE+sFAxr0204人間七七四年
2007/04/08(日) 16:49:37ID:8Viw9UXE同程度が正解。
0205人間七七四年
2007/04/08(日) 19:44:21ID:86QztVBx0206人間七七四年
2007/04/08(日) 20:15:08ID:BMb9GAOG0207人間七七四年
2007/04/08(日) 20:37:08ID:XYbSwdI80208人間七七四年
2007/04/09(月) 01:29:29ID:60YD7Fxvどれをとっても実戦レベル向きなのは当たり前だが鎌倉武士。
そして流鏑馬経験者≠弓がうまいだよ。
一昔前までは弓が何段以上という規定があった流派もなくはないけど
様々な理由で今はこの流派も緩和されたし、指導する立場としては
弓も馬も初心者の方が変にクセがついていない分指導しやすいから
初心者の方が歓迎される傾向にあって、弓馬を始めるまで弓を引いたことは
ないなんていう人も少なくなくないんだよ実は。
それと弓(歩射含)に重きをおく指導なのか馬術に重きを置く指導なのか
流派や会によっても違ってくるから流鏑馬経験者と一口には言っても
本当に弓のレベルってバラバラだよ。歩射(弓道)と騎射(弓馬)は
似て非なるものでもあるし。
0209人間七七四年
2007/04/09(月) 03:37:03ID:XZ33EDEy色々と本を読むとポニーはない
運耕馬とポニーの間くらいのサイズ
しっかりと勉強しなさい
0210人間七七四年
2007/04/09(月) 04:06:16ID:Ra3hq+89大鎧は騎乗戦闘のための鎧だし、南北朝時代には馬鎧の使用もしばしば見られた
戦国期の馬鎧ような装飾目的ではない
0211人間七七四年
2007/04/09(月) 06:28:41ID:EX1RUajg意味がないと否定傾向にあったからじゃないかな。
0212人間七七四年
2007/04/09(月) 21:08:54ID:HCiNLOqY南北朝期に多く見られる腹巻は、元は徒歩武者が使用していた物が次第に騎馬武者にも
使われるようになった武具だからね。騎馬武者が馬上戦だけを考慮していたのなら、防御性に勝る
大鎧が廃れる理由がないもんな。
0213人間七七四年
2007/04/10(火) 22:58:14ID:eBFhKUfi0214人間七七四年
2007/04/11(水) 13:31:15ID:gvIF+zl6やるから騎射に興味があるなら見に行くがよろし
武田流の弓は日置系統らしいからいちよ実戦向き
0215人間七七四年
2007/04/13(金) 03:21:01ID:lNu2goIGその通り。
兵頭二十八氏が南北朝の戦の最大の特徴は馬上打物と言っていたが、
馬上での斬撃に重点が置かれたため、動きを制限する大鎧は廃れていったということだ。
刀も1m数十cmもあるような大業物もよく使われた。
0216人間七七四年
2007/04/13(金) 03:23:29ID:lNu2goIG0217人間七七四年
2007/04/13(金) 03:41:38ID:lNu2goIG0218人間七七四年
2007/04/13(金) 05:43:49ID:1qaIUDAiその通りって、>>213のレスでよく意味が分かったなお前。
因みに馬上で大太刀や薙刀の斬撃をする場合、人間工学からいって下馬した方が戦いやすいと思うがね。
生きるか死ぬかの状況で、わざわざ戦いにくいことをするとは思えんな。
0219人間七七四年
2007/04/13(金) 07:06:30ID:lNu2goIG大太刀による馬上の斬り合いは南北朝のハイライトだからね。
馬鎧が最も使われた時代でもある。。
古くは源平合戦の頃から、騎馬集団で体当たりの如く敵陣に突っ込む崩す戦法があった。
南北朝では騎馬武者が腹巻を、徒歩武者が大鎧を着る例が増えた。
本来騎乗戦用の大鎧だが、徒歩の弓兵が増えたためだろうか。
0220人間七七四年
2007/04/13(金) 07:26:20ID:1qaIUDAi颯爽と敵に突入して馬上で斬り結ぶって軍記物のハイライト表現みたいだね。
>南北朝では騎馬武者が腹巻を、徒歩武者が大鎧を着る例が増えた。
主人のおさがり説に一票。
0221人間七七四年
2007/04/13(金) 19:49:06ID:lNu2goIGどうみても妄想w
60 :名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/21(日) 00:56:40 ID:1iPJUm/G
鈴木の考え方の傾向として以下の特徴があるね。
1:今日伝わる歴史の通説は「天下人史観」に毒された嘘偽りのものである。
2:よって今日伝わる通説は信じられない。
これが鈴木の考えの基本線であり、根源だね。
絶対的な先入観と言っていい。
で、この先入観に基づいて、以下のように鈴木は研究を施す傾向がある。
1):通説は否定されなければならないので、
研究対象についての通説否定を唱える自分の考えと一致する他の研究者の論文を探す。
2):その論文を裏付ける史料を探し、自説に肉付けを施す。
3):通説を唱える人間の主張を独自に規定し、これを侮蔑的に否定しながら、
自説の優位性を強硬に主張する。
0222人間七七四年
2007/04/13(金) 19:50:15ID:lNu2goIG以上の特徴を有する鈴木の研究の何が問題かと言うと、
1:自分の先入観(通説は間違い)を絶対的に考え、これに異を唱える意見を一切否定する。
わかりやすくいえば頑固。
2:自説に都合のいい(納得できる)他の研究発表、史料のみを無批判に採用し、
これだけをもって高圧的に通説否定をしてしまう。以下例文参照。
例):「○○は通説とされるが、××さんの最近の研究では、
実際は△△だったのではないか、という通説とはまるで逆の考え方が示されている。
それを裏付けるように◇◇という史料には●●という記述があって、これを裏付けている。
常識的に考えれば、◇◇という史料とその時の情勢を考えれば、
××さんのように考えるほうが通説よりもはるかに自然のように思われる。
こうしてみると、○○という通説は実は天下人史観に毒された信者が、
バカの一つ覚えのように勝手に信仰しているだけなのである」
このように通説批判を行う他の研究者の論文を紹介しそれを裏付ける史料を紹介し、
自分がそれに納得理由出来る理由を軽く述べたあと、
それをもって「通説は間違い」と一方的に断言してしまう。
中には軍忠状などを元に合戦形態の分析を行ったような好例もあるが、
「天下人批判」などの際はこういう乱暴な分析を行う傾向がある。
実際、「信憑性が低い」と自ら述べていた小瀬甫庵の甫庵太閤記を史料としていたり、
戦国期よりはるか後にまとめられた常山紀談の記述だけを信用して人物批評を行っている。
通説・それに対する反論双方を多角的に分析するという視点が根本的に欠けており、
そのため非常に検証があいまいなまま強引に通説批判を行ってしまうのだ。
0223人間七七四年
2007/04/13(金) 19:53:31ID:lNu2goIGそれで、単純でわかりやすいものに影響されやすい
若年層に人気が出たってだけ。
0224人間七七四年
2007/04/13(金) 21:55:55ID:o2xL70ph鎌倉武士が見たら馬の大きさ、速さに圧倒されるだろうね。
0225人間七七四年
2007/04/13(金) 22:05:51ID:CfDD1rxzポニーサイズでも短距離の早駆けなら、スピードはのる。
0226人間七七四年
2007/04/13(金) 22:23:58ID:yG1sCZxv下から急所切られれば即アボーンなのにな。
0227人間七七四年
2007/04/13(金) 22:48:57ID:o2xL70phポニーがサラブを抜くのか?
0228人間七七四年
2007/04/13(金) 23:08:26ID:i19gocdZ0229人間七七四年
2007/04/14(土) 00:11:57ID:Q4lJBGGi急所は関係ないだろw
0231人間七七四年
2007/04/14(土) 05:20:32ID:Wscs2QgCああ耳の前あたりの所な
0232人間七七四年
2007/04/14(土) 07:46:44ID:YJhEjCK/またお前か
ほんと好きだね〜鈴木叩き
しかも上から目線w
0234人間七七四年
2007/04/14(土) 09:19:48ID:pF/cbptM大きすぎたために、大斧で足のアキレス腱を切られ、壊滅。
馬の場合にも、大きな馬は自重で足への負担がかかるやすい。
レース馬もまめに足の手入れをしないと、すぐに足がだめになる。
0235人間七七四年
2007/04/14(土) 12:37:32ID:yZHfshfb競争馬は足の故障もよくあるし。
ガラスの様に脆い足だなぁ、確かに。
0236人間七七四年
2007/04/16(月) 00:28:57ID:y7UP5gIi0237人間七七四年
2007/04/19(木) 23:30:15ID:LB0DwPYE0238人間七七四年
2007/04/20(金) 10:28:07ID:lk9zIw3v戦国期の足軽の生活や戦闘をイラスト付きでまとめた軽い読み物なのだが、
変にマニアックにならずに雑兵の成り立ちから武具の着方、陣中のインスタント
食品、バクチの現状、デタラメな治療法、味方の貴重品の略奪、略奪人狩り
までまとめてくれている。家康クソ漏らしの件についても「東照大権現様は
袴のあいだからどうやってウンチをはみ出させたのだろうとそればかり疑問に
感じていた」という筆者が、出陣用の袴は真ん中から左右に割れる構造を
していることを解説、「妙な胡座のかき方をした場合、股間が丸見え」とまで
開陳して大河ドラマの女武者の股間について体験談を述べるという代物だ。
ラストがまた凄く、足軽が江戸期・明治期と形を変えて被差別職として
生きつづけたことを述べて、こう結んでおり、イラストが秀逸。
「明治五年には卒族という地位そのものが廃止され、翌年に平民の一般兵士が
入隊。一見、近代的な軍隊のような体裁となったが、何のことはない、中味は
下級武士・足軽・軍夫・夫丸のピラミッド構造である。戦国期に逆戻りしたような
もので、階級間の差別感覚といじめが濃厚な分、初期の足軽社会より暗く始末の
悪い組織であった。これがそのまま明治大正と続き、太平洋戦争の敗北により
ようやく終息する」
0239238
2007/04/20(金) 10:29:22ID:lk9zIw3v隷属者が司法の末端を担いそのうち戦闘補助員となりましたが、明治に入ると
再び同じ形に戻った。もっと悪いことには、徴兵制によってごく普通の人々までが
足軽と同じ扱いを受けるようになりました。
他国の軍隊に比べて異常に待遇の悪い組織と上下の階級意識の差。
補給をさほど考慮せず兵を送り出し、敵地での『乱取り』を許す指揮官の
無能さ。江戸時代の大番屋や足軽長屋で行われたのと全く変わらぬ
兵士間のいじめ。スタイルも見てください。足軽と帝国陸軍兵士とを
並べてみると、驚くほどその姿が似ています』
なるほど氏の言うとおり、現代人の我々の目からすると、これはとても
近代軍隊の姿とは思えない。
昭和二十年、わずか数十年前、我々の父や祖父の代まで、「足軽雑兵」の
時代は続いていたのである」
0240人間七七四年
2007/04/21(土) 09:34:06ID:PYWhtrZlなんか階級間の差別感覚とか階級意識の差とかをやたらと強調した挙句
それを帝国陸軍批判に結びつける手法に左翼イデオロギー臭を感じる。
0241人間七七四年
2007/04/21(土) 12:59:32ID:pUfBwCce指揮官の無能さだのイジメだのスタイルだの、軍制と関係ないことをあげて、
明治以降の軍の戦国の足軽を同一視するとはあまりにも浅はか過ぎる。
0242人間七七四年
2007/04/21(土) 15:28:51ID:NKHmKsOS持つ性質と正反対だからなあ。
効率も補給も無視して兵力を浪費する体質は明らかに各国軍隊の
それじゃない。足軽の身分に因を求める方が「どこの軍も同じ」と
思考停止している人間より明らかにマトモ。
0243人間七七四年
2007/04/21(土) 15:58:16ID:35y/I6Ni先輩、すべからくの使い方間違ってまっせ
0244人間七七四年
2007/04/21(土) 16:56:45ID:35y/I6Ni近藤好和氏の著書読んできた。
馬上一騎打ちという戦士のルールに乗っ取った戦闘に於いてのみ馬上打物戦を行えるといった解釈でいいのかね。
0246人間七七四年
2007/04/21(土) 22:16:58ID:PYWhtrZlここでやれ。
雑兵足軽の実状
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150275919/
0247人間七七四年
2007/04/22(日) 11:11:16ID:VeHH5R1B>>240
同じ作者の本を俺も持っている。
「絵解き・雑兵足軽たちの戦い」以前に、「絵解き・戦国武士の合戦心得」というものもある。
戦国武将の方はあくまで武将に絞って武器や武装を解説している。
どちらも面白いし、鈴木眞哉氏よりもずっと武具に精通しているという印象を受けた。
どちらも極めて分かりやすいのだが、足軽の本の最後で太平洋戦争まで話をつなげるのだけは止めて欲しかったな。
鈴木眞哉氏にも言えるが、旧軍隊批判(?)で結ぶのが唐突でちと蛇足だ。
0248人間七七四年
2007/04/22(日) 13:05:51ID:Es8xGqY20249人間七七四年
2007/04/22(日) 22:17:37ID:WYTYpXFp0250人間七七四年
2007/04/24(火) 14:56:21ID:97dhQuDy過ごさせられて遺恨コツズイだから。
戦争ってのが若い奴らみたいに思想や理屈じゃないんだよな、身体の記憶だし。
軍隊カフェなんてものを作る世代は伊達じゃない。
0251人間七七四年
2007/04/27(金) 16:21:46ID:nYvQsOpv日本軍は兵站を軽視していたわけではなくて、
戦闘艦・民間船を無差別に撃沈する通商破壊のせいで補給線が維持できなかったてのが真相らしい。
米兵が乾パンを食ってるときに、日本兵は飯盒で食事してたわけだし。
関東軍では兵站はそれなりだったんじゃないかと。
0252人間七七四年
2007/05/10(木) 17:39:14ID:KF9rUst4極めて分かりやすいのだが、
この本で、今ひとつ解りにくいのが、与力・同心の位置づけ。
内与力は町奉行(旗本)の家来らしいから、幕府の直臣ではなさそう。
その他の与力は、御家人?
旗本・御家人という身分と、奉行・与力・同心という、役職名がからまってるから
よけいに解りにくい。
与力も同心も足軽の事なのかな。つまり御家人は全員、もとの足軽なのかな。
だとすると、御家人が将軍への御目見えが出来ないことも納得しやすい。
0254人間七七四年
2007/05/11(金) 20:14:41ID:RFCW4qae奉行の家来だが俸禄は与力と同等で幕府から出る。
無論、何人も内与力に任命できる訳ではなく、最大10人までと決められていたそうだ。
0255人間七七四年
2007/06/28(木) 23:38:31ID:SGlKxviZ0256人間七七四年
2007/07/07(土) 04:24:35ID:DnP8XeLF0257人間七七四年
2007/07/07(土) 23:36:14ID:hV1jJu1c0258人間七七四年
2007/07/10(火) 21:54:48ID:4VDwVe6v0259人間七七四年
2007/07/11(水) 10:41:00ID:BMFNgmTCP419
「クマン人は熟練した騎馬兵であり、遊牧生活で鍛えられた頑丈なポニーを乗りこなし、退くと見せかけて
一気に反撃に出る戦術を得意としていた。過去の十字軍はこの戦術を用いるトルコ人やシリア人に何度も
敗北を喫しており、このときもブロウ伯が性急に行動したせいで、また一つ同じような負けを重ねることに
なった。ラテン軍が広く拡散して猛攻の勢いが弱まると、クマン人はさっと向きを変えて雄たけびを上げ、
続けざまに矢を射ながら西欧人のほうへ突進してきた。」
0260人間七七四年
2007/07/11(水) 18:42:12ID:IYkLNRB9しかも日本では馬の去勢も蹄鉄も知らず、馬具も騎馬突撃可能なものではない
従って日本には明治まで騎兵は存在しない
0262人間七七四年
2007/07/11(水) 20:06:35ID:lnjvVTz5使っての乗馬法をこなせるように
なってから言おうなw
0263人間七七四年
2007/07/11(水) 20:25:19ID:swm0ohs9全力疾走はさせなかったけど頑張れば40kmくらいでそうだとのこと
0265人間七七四年
2007/07/11(水) 23:16:52ID:GaNV84KAサラブレッド=スポーツカー
どちらが戦場向きかは言うまでもない。
0266人間七七四年
2007/07/11(水) 23:44:03ID:swm0ohs9中世ヨーロッパでは馬の速度よりも鎧の重量に耐える頑丈さが求められた
向こうで馬に速度が求められるようになったのは17世紀以降だね
鉄砲や大砲の列に突っ込むには鈍くちゃダメだからね
0267人間七七四年
2007/07/12(木) 14:41:37ID:8yB1rwkV0268人間七七四年
2007/07/12(木) 15:26:09ID:U0Ob4oJkが、フィクションにせよ「できなくはねぇよな」と思わせるほど馬が小さかっ
たんだろうな。今の馬だとそのフィクション自体がバカバカしすぎて成立しな
い。
0269人間七七四年
2007/07/12(木) 19:11:20ID:hgScNBvR物理的におかしな動きを見せても
大概の人は気にしないのと同じだよ
軍記物語はあくまで小説の類だから
0270人間七七四年
2007/07/12(木) 23:30:31ID:oE9pnZhv背負って稽古した!て話があるから2,300キロの馬を背負う事は不可能
ではないと思うけど・・・次の日動けなかったらしい
ひよどり越えについては崖を下る事をビビッテ嫌がる馬を無理やり引きずり・・・
て話なのでは?
0271人間七七四年
2007/07/13(金) 08:32:50ID:LACsOe58サラブレッドだとノイローゼになりそうだなw
前に自分でバケツを蹴ってその音に驚いて、高速道路を疾走した馬がいたなぁ
0272人間七七四年
2007/07/13(金) 21:20:23ID:Dg6JoVa8越えの奇襲をやった。当時の馬が鹿とあんまり変わらん大きさだったおかげで
あの作戦ができたんかもしれん。今のデカ馬だったらこれはムリやな、で終わ
ってたかもな。
0273人間七七四年
2007/07/13(金) 21:58:32ID:xUIosehO0274人間七七四年
2007/07/14(土) 17:27:30ID:xOdbZ5i/サラブレッドのような足が長く細い体型は、競馬場のような平坦地をひたすら高速で走るためのもの。
0275人間七七四年
2007/07/14(土) 19:38:39ID:bozFkjtJ蠣崎は15世紀の下北半島時代に蒙古馬を輸入していたそうだが。
0276人間七七四年
2007/07/15(日) 01:49:24ID:iGu1PUbN0277人間七七四年
2007/07/15(日) 23:04:49ID:fu2PrmRj0278人間七七四年
2007/07/15(日) 23:13:55ID:Z0A3sO12知らんかった
0279人間七七四年
2007/07/16(月) 00:12:09ID:9EXa+R+2畠山重忠。
重忠は古今著聞集や吾妻鏡にも逸話が残るほど有名な大力の武者で、
平家では大力が伝説化されて取り入れられた。
大名である重忠の乗馬は秩父鹿毛という名馬、300`以上はあるだろう。
馬を背負ったのは架空の話だよ。
>>275
江戸時代の徳川家もペルシャ馬を輸入させて、房総・陸奥の牧で品種改良に用いたというけど
実際のところ成果は不明で、上手くはいかなかったようだ。
延宝4年の馬頭観音(オランダ様)があるという下総小金牧の輸入馬は、群れに馴染めず性格も荒れ、
周囲の作物を荒らし、上から命じられた牧士に殺されてしまったという。
0280人間七七四年
2007/07/19(木) 10:43:25ID:tNtkYUncサラブレッドなんか見た目がゴツいだけでムチャクチャ虚弱だからこれに乗って戦いたくはない
10キロも走らずに骨折するような代物だし
0281人間七七四年
2007/07/19(木) 12:06:39ID:WmXkLJeTでかくて力があって、過酷な環境での労働にもよく耐えるから戦場向き。
あとは木曾馬。ジムニーのように乗り回せそう。
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