「徳川家康」は先入観に邪魔された人は結構いたんじゃないかな。
俺は秀頼を助ける気があったとか信じてしまってる奴だけど。
ただ、人生五十の時代に、秀吉が死亡した年で将軍を譲り翌年に豊国祭を盛大にやる、長い年月豊家滅亡を企んだあとがみられない(拙い鐘銘事件はそのつけ?)とかは自分的に納得したりしてしまうんだが。
天下人としての家康には大坂の問題解決は絶対で滅ぼす覚悟もあったが、できれば大和転封や、淀人質とかですませたかったんじゃないかな。