逆説の『鉄砲伝来と倭冦の謎』に異議ありA

ポルトガル商人であるメンデス・ピントが書いた、「日本人は他国の国民よりも生来武事を好み、武事に楽しみを持っている国民である」と言う事について、鉄砲伝来当時の日本の記述がある。
この記述は「東洋遍歴記」の第百三十四章の中にあり、鉄砲伝来について「逆説の鉄砲伝来」論によく似ているが、私の異議の原因ともなっている。

『(前略)したがって、この鉄砲熱はその後ますます盛んになり、それから五ヵ月半後、私たちがそこを立去った時には、その地には六百挺以上の鉄砲があった。
そして、のちに、副王ドン・アフォンソ・デ・ノローニャが進物を託して私を豊後王のもとに最後に派遣した際、すなわち一五五六年に、日本人が断言したところによれば、この王国の首府である府中の町には三万挺以上の鉄砲があった。
そして、この物がそんなにひどく殖えるなどということはあり得ないように思われたので、私がこれにたいそう驚いたところ、信頼し得る立派な人である数人の商人が言い、
また多くの言葉をもって断言したことには、日本全島で三十万挺以上の鉄砲があり、彼らだけでも、六度にわたって二万五千挺の鉄砲を交易品として琉球人のもとに持って行ったということである。
したがって、ゼイモトが善意と友情から、また、先に述べたように、ナウタキンから受けた礼遇・恩顧の幾分かに応えるために贈ったわずか一挺の鉄砲が因で、この国は鉄砲に満ちあふれ、
どんな寒村でも少なくとも百挺の鉄砲の出ないような村や部落はなく、立派な町や村では何千挺という単位で語られているのである。
このことから、この国民がどんな人たちか、生来どんなに武事を好んでいるかがわかるであろう。彼らは、既知の他のいずれの国民よりもそれに楽しみを見出しているのである。』

メンデス・ピントの「東洋遍歴記」では、ポルトガル商人の鉄砲や硝石(煙硝)の商売関与した記述が見られない。
第百三十四章では、「六度にわたって二万五千挺の鉄砲を交易品として琉球人のもとに持って行った」と注目に値する記述がある。