▼火縄銃について語ろう▲
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/23(水) 22:56:37ID:MMPKGKDMどのように運用されていたのか?
各大名家の武将ごとの火縄銃の所持率は?
はたして鉄砲隊として一纏めにして運用できたのか?
などなど。
0168人間七七四年
2008/04/30(水) 14:04:40ID:7LBreP/J0169人間七七四年
2008/05/15(木) 12:49:15ID:zxnoMTga0170人間七七四年
2008/05/15(木) 13:22:18ID:s3ZQvq4r0171人間七七四年
2008/05/16(金) 02:11:09ID:SORd/DcM0172人間七七四年
2008/05/17(土) 00:39:04ID:C1XqMhlE0173sage
2008/05/17(土) 14:42:18ID:LP+HSCT6実家の屋根裏から火縄銃が出てきました。登録は済ませたんですが、その際係の方から
「このままだとサビがさらに進行するから、サビ落しと油引きしといて下さいね。」
とのこと。
当方古美術等に全く明るくないもんで、どなたかお詳しい方いらっしゃったらやり方を教えて
頂けないですか?どうも紙やすりやワイヤーブラシ厳禁、木部にも油が必要とかで難しそうです。
宜しくお願い致します。
0174人間七七四年
2008/05/17(土) 14:43:52ID:LP+HSCT60175人間七七四年
2008/05/18(日) 01:44:53ID:5PGagpa40176人間七七四年
2008/05/18(日) 10:39:22ID:eEcaN8Vj奇襲攻撃や挟み撃ちなどの相手にばれないようにする攻撃に使いにくい
まだまだ戦国時代は弓のお世話にならざるを得ない
0177人間七七四年
2008/05/18(日) 11:25:29ID:5PGagpa40178人間七七四年
2008/05/18(日) 16:08:08ID:WbutC3Qk0179人間七七四年
2008/05/18(日) 16:55:34ID:5PGagpa40180人間七七四年
2008/05/20(火) 16:49:12ID:xCYV+Cd/0181人間七七四年
2008/05/20(火) 16:53:31ID:xCYV+Cd/0182人間七七四年
2008/05/29(木) 21:32:49ID:6TD2zuS60183人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 23:02:44ID:K8llUEoUってかこの説の出典は何なのだろう
0184人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 00:52:07ID:xCIjA2t50185人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 01:11:34ID:l/xefRk60186人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 03:58:40ID:xCIjA2t50187人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 04:18:10ID:hRMBXscJ事実誤認の多い代物らしいけど。
0188人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 13:46:30ID:loI+sUoZただ、慶長以降作られた物が殆んどと見られているそうだが
0189人間七七四年
2008/07/01(火) 06:57:46ID:3uh3ExiHhttp://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1214817866/
0190人間七七四年
2008/07/02(水) 01:14:48ID:trbuSitE0191人間七七四年
2008/07/07(月) 20:48:19ID:wAZHNVmT0192人間七七四年
2008/07/16(水) 07:58:38ID:pHrMEvGo錆や傷だらけなので銃身や真鍮部品をレストア感覚でピカピカに磨こうかと思うのだけど美術的価値がさがったりするのかな?
江戸時代のものらしいので元からそんなに価値はなさそうだけど火縄銃愛好家に怒られたりしないですかね?
0193人間七七四年
2008/07/16(水) 08:35:18ID:ziXhJJXNやりかたによる。
家の祖父が元軍人だったらしく、家の押入から刀、サーベル、着剣が出て来た。
刀が錆だらけだったから磨いたら、
錆がとれたのはいいが
(切れ味もよくなった)
逆に傷だらけになってしまったw
0194人間七七四年
2008/07/17(木) 00:50:36ID:1tF/ukO40195人間七七四年
2008/07/19(土) 18:23:51ID:RGIwAcDK0196人間七七四年
2008/07/19(土) 20:22:20ID:D0NYOEMi>>195
そうだったのか…
確かになんか“大日本帝国”とかなんとか
書いてあるでかい賞状があるけど。
0197人間七七四年
2008/08/05(火) 20:56:23ID:QvFaR0HR0198人間七七四年
2008/08/22(金) 06:13:58ID:qIFJXcWB0199人間七七四年
2008/08/22(金) 06:45:49ID:CPYfLl9b江戸時代の人らしい
0200人間七七四年
2008/08/22(金) 07:50:20ID:qIFJXcWB0201人間七七四年
2008/09/08(月) 23:05:43ID:y9fw7Idf日本の場合、火縄銃と長柄はどんな感じで住み分けてたかわかってるのかな?
0203人間七七四年
2008/11/03(月) 23:58:12ID:1f8Rx/+m0204人間七七四年
2008/11/07(金) 16:36:24ID:GC9uUxWf0205人間七七四年
2008/11/11(火) 01:51:00ID:aJbRYMEg基本組合わせて使っていたようです。
2〜3列の長槍が横長に展開して、その前面か側面に鉄砲と弓を置く。
射撃後弓は鉄砲の装填の合間を埋め、敵が接近すると長槍の後に下がる。
長槍は組頭の掛け声(大規模な場合陣太鼓)で列を崩さぬよう進退し、
「エイ、エイ」と声でリズムをとって穂先を揃え、「エーイ」「エーイ」と一斉に槍を振り下ろす、ってな感じかと。
0206人間七七四年
2008/12/28(日) 11:07:50ID:88qZLUSW0207人間七七四年
2008/12/28(日) 11:10:30ID:qCjVwgRK0208人間七七四年
2009/02/16(月) 02:00:49ID:9BJRZARa0209人間七七四年
2009/02/16(月) 09:39:42ID:S4xMyPnE個人が戦闘するために必要な銃剣とかは、あまり存在する意味がなかったと思う。
0210人間七七四年
2009/02/17(火) 00:16:41ID:B1xLg3E0戦国時代に日本で使われなかったのは、まだ銃剣が発明されていなかったから。
0211人間七七四年
2009/02/17(火) 01:19:15ID:mw4Tx7XF本能時にガトリングガン30丁と
アームストロング砲15門有れば明智軍を撃退出来たのに
0212人間七七四年
2009/02/21(土) 23:27:43ID:MqEII05Lナポレオン軍の銃剣、固定式と書いたが、これはあやまりで構造的には、ソケット式で取り外し可能。ただし、外しても持ち運びに不便なのでつけたままにしている。
騎兵に対抗できるように、銃の台座から先端までは2メートルを越す長さがある。
0213人間七七四年
2009/02/21(土) 23:54:51ID:7r1Q3Oi2日本には騎兵も少ないし種子島(火縄銃)と打刀はセットにして足軽に配備してたから銃剣の必要性なんて感じなかったんじゃね
>>212のいう通りバヨネットが出来るのはもっと後の時代だし
0214人間七七四年
2009/02/22(日) 11:14:55ID:YmYrZyzr短槍ともいえる銃剣の登場で、鉄砲を持ったままで白兵戦に対応できるようになり槍兵は消えていったんだよな。
運用法は違うといえ日本も同時期に、長槍と火縄銃が同様に主力だったのは興味深い。
長さ10mの超長槍隊もあったらしいが、どこの大名だよw
ちなみに17世紀は朝鮮軍も長槍&火縄銃メインの編成で戦ってた
0215人間七七四年
2009/02/25(水) 21:37:22ID:m/VdWcnLあんなものを担いで長距離を歩くのは大変。
0216人間七七四年
2009/02/26(木) 02:17:37ID:wSzNXHCi0217人間七七四年
2009/03/02(月) 02:55:10ID:TMf4bwM7http://www.takahasikanko.or.jp/19nenndogurannpuri.jpg
0218人間七七四年
2009/04/16(木) 04:08:08ID:Pp/mG3Zk0220仙台藩百姓
2009/04/16(木) 06:59:30ID:Ev7Lyuib0221人間七七四年
2009/04/16(木) 07:14:50ID:Pp/mG3Zk0222人間七七四年
2009/04/16(木) 09:56:43ID:FOt7tlOD消耗品だぞ。
0223人間七七四年
2009/04/17(金) 05:16:02ID:PfujDB2T0224人間七七四年
2009/04/18(土) 01:23:16ID:bFXC06gf0225人間七七四年
2009/04/18(土) 05:28:18ID:T5UZeb6m長槍はそうしないとへばっちゃうからそうしただけで
火縄銃まで地面引きずってたわけじゃないし
0226S字型金具
2009/04/19(日) 22:42:13ID:tGyiP0iOあまり2chのことが解らないのでスレッドが立てられませんでした。そのため、スレッド違いかも知れませんが記入させて下さい。
1992年に不思議な古銃があることを知りました。某寺の所蔵品で、もし間違っていたらそのお寺に迷惑がかかりそうなので匿名のお寺としてお願いします。
形式は、サーペンタインロック式の古銃で、全長228センチメートル、口径23ミリメートル、重さ約30キログラムでした。
2chの写真添付の仕方が解らないので、Yahoo!フォトアルバムに写真の一部を乗せましたので見てください。
http://album.yahoo.co.jp/albums/my/68112/
前から気になって、いろいろ調べていましたが、同様な鉄砲が見当たらず、肝心な所が不明です(慶長期以前の物か?、国産品か?)。
この様な古銃について情報を求めておりますので、ご存知の方がおられましたら、すみませんけれどもこのスレッドでお願いできないでしょうか。
0227S字型金具
2009/04/19(日) 22:58:30ID:tGyiP0iO火ばさみには、「火縄」をはさむことはできなく、したがって、「火縄銃かな?」と思います。
そのため、スレッド違いかも知れません。
火ばさみには、薄い割り木または薄い竹片を火種にしたように思えます。
0228人間七七四年
2009/04/20(月) 23:49:12ID:sL9D8C7tハザマ(狭間、間)銃ってやつ。
0229人間七七四年
2009/04/21(火) 00:10:06ID:sRilSvsl銃身が台座から大幅に突き出していたり
どことなく西洋風な感じの銃ですね
0230S字型金具
2009/04/21(火) 00:12:16ID:t1C9vbr0228:の方、情報ありがとうございます。
その銃は、サーペンタインロック式だったでしょうか。
マッチロック式の狭間筒の話は聞いたことがあります。
宇田川説の根拠となる箇所なので、確認したいものです。
0231S字型金具
2009/04/21(火) 20:49:52ID:t1C9vbr0「グリップの形状や銃身が台座から大幅に突き出していたり」の様に見えますが、全長228センチメートル、重さ約30キログラム
と長くて重く、置き筒ではないかと思われます。そのため、銃身の下部木質が腐って無くなったように思われ(見え)ます。
「銃身下部」の写真を追加いたしましたので見てください。カルカ(サク杖)の穴はありませんでした。
ご意見有り難うございました。
0232229
2009/04/21(火) 21:09:07ID:sRilSvsl確かに経年劣化で失われたように見えますね
それと関ヶ原で出土した狭間筒についてですが
http://www.interq.or.jp/pure/miyatate/wforum/wforum2001/2001.5.4.htm
>関ヶ原歴史民族資料館に地元民家から発見された鉄砲で、
>全長2.3m 重さ30s 安土・桃山時代の堺鉄砲鍛冶士 芝辻理右衛門の銘があり、
>弾丸は3q飛んだらしい。地面に置いて使ったとのことだか、
>関ヶ原の頃は大砲は無かったのだろうか。
という話がありました。画像の鉄砲とほぼ同じサイズですね
掲示板のログなので真偽のほどは分かりかねますが^^;
0233人間七七四年
2009/04/21(火) 21:58:18ID:hM6LtJy9そのリンク先
「大筒が使われたのは大坂の陣以降」とか変なこと言ってる人がいるね。
文献読んでないのかな?
少なくとも天正期には大筒使用の記録が多数あるんだけど。
0234S字型金具
2009/04/21(火) 23:12:41ID:t1C9vbr0早速調べて見ましたら、「平成12年、岐阜県関ヶ原町の民家で、全長167cmの火縄銃の銃身が発見された。・・・・・・
そこで、平成13年、高木昭郎・竹中博男・澤田平の三者により慶長大鉄砲の完全復元を行った。」の事だと思います。
また、「そもそも現存する慶長期の銃は、全国でも極めて希少なものである。まして、これほどの大鉄砲は大変珍しいものなのである。」と澤田さんは記載しておられます。
しかし、この復元銃と私の調べている銃とは、残念ながらまったく異なっています。
ついでに掲示板のログにあった設楽原歴史資料館にある宗堅寺(新城市)に伝わる信玄砲について調べてみました。
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/1,3110,118,662,html
銃身の部分のみですが、銃身の長さ105センチ、重さ11キロ、ロ径20ミリ (十三匁)。
所荘吉氏は、「日本に残る多くの火縄銃のうちでも、 最も古い火縄銃の一つであることに間違いありません。」と述べていますが、気になる記述と銃身です。
0235人間七七四年
2009/04/22(水) 05:27:44ID:G/9+m5rU狭間筒は城壁や船の鉄砲狭間に設置する固定銃ですが、発射機構は火縄銃と同じカラクリですね。
石山合戦の第二次木津川海戦に際して、信長が造らせた巨船をフロイスが見学したときも、
2mほどの銃身の大鉄砲が多数設置されていると記録にありますね。
朝鮮の役でも安宅船に狭間筒を積んで恐れられたようです。
>関ヶ原の頃は大砲は無かったのだろうか。
関ヶ原では石田隊が使った他に、東軍も難破したオランダ船リーフデ号の艦載砲を使った説がありますね。
船には19門の青銅砲(カルバリン砲かデミカルバリン砲でしょう)、
500丁のマスケット銃、5000発の砲弾、300発のチェーンショットが積まれており
ヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムスら船員が家康に従軍し砲撃を行なったとのことです。
0236S字型金具
2009/04/22(水) 23:31:32ID:34lTJEd/館蔵資料画像データベース・館蔵武器武具データベース・実物資料の検索・検索条件:フリー=H-54-20
【資料名称】 火縄銃(中国)
【資料名称カナ】 ヒナワジュウ(チュウゴク)
【コレクション名】 火縄銃
【資料番号】 H-54-20
【時代(和暦)】 咸豊5
【時代(西暦)】 1855
【製作地】 中国
【種別】 銃砲-鉄砲-火縄式
【流派】 _
【銘文】 「咸豊五年營□公會□造」
【法量】 口径3.0 全長222.0 銃身長174.4
【材質】 _
【備考】 _
探していた「サーペンタインロック式火縄銃」とよく似ています。
0237人間七七四年
2009/04/23(木) 01:39:40ID:Z+B7Mcneたしかにこの銃は中国の鳥銃(火縄銃)で主流だったサーペンタインロック式だと思います。
一体化した引き金とアームが、支点のピンとバネで留められている単純な構造だけに、世界中で用いられてますね。
マッチロック式には何種類かあって、
日本の火縄銃の瞬発式機構(Snap matchlock)はポルトガルや東南アジアで多く用いられ、
引金を引いた瞬間ロックが外れ、火挟(アーム)が解放され発射します。
この方式は世界では決してメジャーではなく、
ヨーロッパでは、サーペンタイン式同様引き金を引いた距離だけアームも連動して動く
シアロック式やトリガーロック式に発展していきました。
いわゆる緩発式火縄銃ですね。
引き金を引くのと発射にタイムラグがあるので狙撃には向きません。
シアロック式は引き金とアームがバネとタンブラーを通じて連動しています。
タッチホール式(手で直接火種を持ち点火する)の中国製銅手銃は
火縄銃伝来以前にも国内に輸入されていましたが、サーペンタインロック式は非常に珍しいですね。
伝来後サーペンタイン式機構がすでに日本で知られていたのか、
それとも中国のサーペンタイン式鳥銃を輸入または鹵獲して、発射機構を模倣したものなのか・・・
ポルトガルやスペイン商人が古銃を持ってきた、または中国の銃を仕入れてきた・・・わけないかw
0238人間七七四年
2009/04/23(木) 02:10:51ID:Z/KNEkgD0239人間七七四年
2009/04/23(木) 02:51:27ID:Z+B7Mcne紛らわしいですが、自分が>>237の後半で言っているのは>>226の銃の出処のことですね。
>>236の銃は清朝後期のものと時代がわかっていますが、
清ではアヘン戦争後洋式軍隊が創設されてもサーペンタインロック式が混在して使われていました。
0240S字型金具
2009/04/23(木) 20:37:15ID:Ke2RLDV/「伝来後サーペンタイン式機構がすでに日本で知られていたのか、
それとも中国のサーペンタイン式鳥銃を輸入または鹵獲して、発射機構を模倣したものなのか・・・
ポルトガルやスペイン商人が古銃を持ってきた、または中国の銃を仕入れてきた・・・わけないかw 」
その疑問そのものです。
平成9年頃、出所を伏せて写真を見ていただいたところ、赤羽通重先生は「中国のごく古い火縄銃の型です」、名和弓雄先生は「製作されたのは、中国かあるいはモンゴル辺りかもしれない」と回答を頂きました。
当時、鉄砲伝来は1543年の種子島より始まるとされていて、倭寇勢力による宇田川説は少数意見でありました。そのような学説の中で、このような鉄砲は理解不能の存在でした。
今回情報を求めたのは、「倭寇とは、海賊、私貿易、密貿易を行う貿易商人の事」であることを思い出し、その反対の人たち「海賊に襲われる側の商人や、正規の商人がいても不自然ではない事」を思い付いたからです。
今ではインターネットで情報が簡単に得られるようになり、仕事も少し暇になってきたので、「少しでもこのような鉄砲のことをご存知の方がおられたら教えて頂きたい」と思い投稿しました。
しかし、>>226でもお願いしたように、しばらくは「某寺の所蔵品で、もし間違っていたらそのお寺に迷惑がかかりそうなので匿名のお寺」としてお願いいたします。
0241S字型金具
2009/04/26(日) 08:24:04ID:RAioGStN古銃の保存状態は非常に悪く、朱色はあせ、錆が出ていました。そこで、お寺の方に「もしかしたら鉄砲伝来にかかわる貴重な古銃かもしれないので、大切になさったらどうでしょうか」と保管・管理をお願いしました。
重量の訂正があります。>>226 で重さ約30キログラムとしましたが、地方新聞に掲載されていた重量で、実際に持った感じでは30キログラム以下だと思います。
古銃を所蔵しているお寺(浄土真宗)の歴史は古いのですが、有ることが分かったのは昭和40年代(発見した方に、発見のいきさつを電話でお聞きしました)で、その由来については、前回伺った時と同様、寺のどなたも分かりませんでした。
現在のところ、明治以後の所蔵ではなく、それ以前の所蔵だと判りました。
寺には古文書や所蔵品が大変多く(蔵に入れさせていただきました)、昭和20年代に古文書の調査を始め、最近、ほぼ完璧な所蔵品の目録ができました。
赤羽通重先生と名和弓雄先生の鑑定画像(手紙の一部)を掲載しました。
http://album.yahoo.co.jp/albums/my/68112/
0242人間七七四年
2009/04/26(日) 09:04:10ID:4bpO2M2r建て替えるそうだがもったいない話だ
寺って歴史資料の宝庫だなあ
0243S字型金具
2009/04/26(日) 10:40:09ID:RAioGStN2ちゃんねるに僧兵の写真(無断で借用してすみません)があったので、ちょっと使わせてもらいます。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yamabushi2.jpg
発見したいきさつは、「寺の蔵の廊下の干し竿に洗濯物がかかっていて、その物干し竿に金具がついていた。よく見ると、その物
干し竿は、石突のある薙刀の柄と長柄傘の柄であった。その近くに色々な古い板や古い物が置いてあり、古銃は陰に立て掛けてあ
った」とのことでした。
蔵の中で、その、刀部の無い、黒漆塗螺鈿(少し剥がれあり)薙刀の柄(寺の目録では傘の柄・192cm)と同じ太さの黒漆塗
螺鈿(剥がれあり)長柄傘の柄(292cm)を見てきました。
同じく完全な黒漆塗螺鈿の長柄傘、家紋入りの蒔絵長柄傘、その他、江戸時代の鎧など、箱に入っている道具がたくさんありました。
0244人間七七四年
2009/04/28(火) 22:55:29ID:GIVk1SxPhttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/news/20090425-OYT8T00960.htm
画像http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20090425-OYT9I00959.htm
「米沢筒」など11丁が並べられた鉄砲の展示会(米沢市関で)
0245S字型金具
2009/05/01(金) 00:35:08ID:FGHgqPjWhttp://www.japaneseweapons.net/hinawajyu/shurui/english.htm
「Mino Tetsupo」・「Tsushiura's Seki School」・「Yonezawa Tetsupo」
上杉系統の鉄砲は、銃身が丸型で銃身をバンドで止めています。
0246S字型金具
2009/05/03(日) 21:45:42ID:tGCgILtA@須川薫雄先生からの応援メール
須川先生には、いろいろと教えて頂きました。
澤田平先生の電話での途中経過をご報告いたしましたら、メールを頂きました。
A国立歴史民俗博物館からの回答メール
広報サービス室の○○さんには、たいへんお世話になりました。
照会したようなサーペンタインロック式の銃は、所蔵していないと回答がありました。
B所荘吉先生に鑑定して頂いた時の手紙(1992年・平成4年)
この手紙の存在を今年の3月に知り、再調査するきっかけとなった手紙。
この手紙は、私宛ではなく、川越重昌先生を通じてお願いした銃砲史学会員の方から、所荘吉先生の写真鑑定結果の返書です。
残念ながら、封筒が不明で、お願いした銃砲史学会員の方お名前がわかりません。
@ABのメール・手紙の一部を、Yahoo!フォトアルバムに掲載しました。
現在、ご相談している澤田平先生から、「制作年代など色々検討中で、もう少し待って下さい」と電話がありました。
結果に期待しています。
0247人間七七四年
2009/05/04(月) 03:35:48ID:j+ZmCmvs0248人間七七四年
2009/05/04(月) 13:57:03ID:erbKPdbY最近は朝鮮→九州ルートが主流らしいが・・・。
0249S字型金具
2009/05/09(土) 00:15:26ID:+i1DXu/v「寺って歴史資料の宝庫だなあ」 私も同感です。
この寺の写真を整理していたら、軍配と箱が写っていました。
戦国時代の物だと思われる軍配について、寺の縁記では「教如上人より拝領」と書いてあり、箱の紋については触れていません。
箱の紋は会津松平家の家紋とよく似ており、次にうかがった時、寺紋について聞いてみようと思います。
お寺は信仰の場ですから、私達の興味や趣味の見地とかけ離れていて当然だと思います。この寺については、特に強く思いました。
0250人間七七四年
2009/05/09(土) 18:02:08ID:8KGfg2kI0252人間七七四年
2009/05/16(土) 12:27:38ID:5shZv7lQ規格の統一という発想自体、近代になってからのもの。
0253人間七七四年
2009/05/16(土) 15:28:33ID:w/J+E8H0あきらかにトンデモな形や素材(鉛ではない)が混ざってるけど
そういうの量産できないし用途が限られると思うんだけどな
0254人間七七四年
2009/05/16(土) 15:30:07ID:w/J+E8H00255人間七七四年
2009/05/16(土) 20:08:13ID:LrzJ8vOo0256S字型金具
2009/05/17(日) 00:32:41ID:zQC0f41q澤田先生には、途中、私の父と旧知の仲だと判ったので、寺の名前・簡単な由来をお伝えして鑑定して頂いておりました。
電話でも「東南アジアの作品に似ている」と言っておられ、「是非、現物が見たい。そして判断を下したい」と言っておられました。私も、近い将来、先生と連絡を取って鑑定結果をお聞きしたいと思います。
反省点:
私は、銃が専門ではありませんが、今まで「思い込み」がありました。
澤田先生は、電話でも言っておられましたが、著書「日本の古銃」でも
「鉄砲伝来の天文十年代から慶長初年頃までに製作されたと確定できる遺品は皆無である。」
「戦国期に製作され使用された火縄銃は相当な数量のはずで、その全てが消失してしまっていることは信じがたいことであるが、悲しむべき現実である」と書いておられます。
手紙にも、「現在、日本国内に石山本願寺の時代の火縄銃は一挺も発見されていません」と書いてありました。
Yahoo!フォトアルバムの写真を整理、詳細が判るように自動補正しました。
(色がどぎつくなりましたが・・・・)
http://album.yahoo.co.jp/albums/my/68112/
0257人間七七四年
2009/05/17(日) 03:09:01ID:KGhuUEiA拝見しました。レバー状の引き金は中国の火縄銃に似ていますね。
↓中国の火縄銃手(ページ中央の写真)
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%B8%9F%E9%93%B3
↓明の火縄銃操練
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Ming_musketeers.jpg
0258人間七七四年
2009/06/06(土) 16:23:39ID:dda0eEMf0260人間七七四年
2009/06/21(日) 20:17:20ID:7OuGZGjN盲管銃創か、貫通銃創か。
盲管銃創なら、当時の外科手術で摘出などの処置はできたのか?
kwsk!
0261人間七七四年
2009/06/22(月) 05:52:13ID:Iidof+Dr俺のじいちゃん、太平洋戦争時に撃たれて体内に残ってたままになってた弾丸7発を
15年ぐらい前になってやっと摘出してたな
近所で同じく戦争に行って負傷した人が体内に残った弾丸のせいで鉛中毒で亡くなったので手術した
戦地にはレントゲンなんかないので、その時代でも深いとこに残った弾はそのままなのが普通だったとか
だから火縄銃の時代なんか摘出は不可能じゃないの?
0262人間七七四年
2009/06/22(月) 07:50:25ID:kzgjZ0eUな膨張がおき(組織の永久空洞・破裂)そのダメージ・ショックで死亡する。
火縄銃は燃焼速度の遅い黒色火薬を使ってしかも空気抵抗の大きい鉛球弾を打ち出すわけだから
着弾時の速度はせいぜい200〜300m/秒くらいのものだろう。
反面口径は大きく20ミリくらいもあるから、散弾銃で撃ち出すスラッグ弾(一粒玉)をくらったような感じだろうか?
0263人間七七四年
2009/06/22(月) 14:53:48ID:6IPFP75Eハサミの先が半円形に丸くなったようなもの
0264人間七七四年
2009/07/03(金) 12:46:04ID:PEb5cboNまさか「釘抜き」のこと言ってるんじゃないよな?
矢が刺さった時には釘抜きで抜いてたが…
もしその形状の弾丸摘出道具が有るなら先の丸い部分が小さくないと摘出が難しいし
それで取れる位になら小刀で抉り取る気がする
0265人間七七四年
2009/07/12(日) 02:59:27ID:b8WHQE6o0267人間七七四年
2009/07/12(日) 04:02:20ID:o4NZsPqZhttp://www.lb.nagasaki-u.ac.jp/search/ecolle/igakushi/scul/scul.html
0268久々の書き込みなのでageます
2009/08/29(土) 12:28:53ID:FPBJHX7L銃撃戦以外の戦い方の技量って
何れ位劣っていたんですか?
>>250>>255
良かったら其れ等について
出来るだけ詳しく教えて頂けませんか?
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