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▼火縄銃について語ろう▲

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/23(水) 22:56:37ID:MMPKGKDM
実際にはどのくらいの威力があったのか?
どのように運用されていたのか?
各大名家の武将ごとの火縄銃の所持率は?
はたして鉄砲隊として一纏めにして運用できたのか?
などなど。
0168人間七七四年2008/04/30(水) 14:04:40ID:7LBreP/J
あげ
0169人間七七四年2008/05/15(木) 12:49:15ID:zxnoMTga
 
0170人間七七四年2008/05/15(木) 13:22:18ID:s3ZQvq4r
25年前、株で大損させてしまった客に火縄銃で打たれそうになった事がある。こわかった。
0171人間七七四年2008/05/16(金) 02:11:09ID:SORd/DcM
その特殊すぎる状況について詳しく
0172人間七七四年2008/05/17(土) 00:39:04ID:C1XqMhlE
堂島での米先物取引で大損させたんですね、分かります。
0173sage2008/05/17(土) 14:42:18ID:LP+HSCT6
すいませんちょっとお聞きします。
実家の屋根裏から火縄銃が出てきました。登録は済ませたんですが、その際係の方から
「このままだとサビがさらに進行するから、サビ落しと油引きしといて下さいね。」
とのこと。

当方古美術等に全く明るくないもんで、どなたかお詳しい方いらっしゃったらやり方を教えて
頂けないですか?どうも紙やすりやワイヤーブラシ厳禁、木部にも油が必要とかで難しそうです。

宜しくお願い致します。
0174人間七七四年2008/05/17(土) 14:43:52ID:LP+HSCT6
失礼…
0175人間七七四年2008/05/18(日) 01:44:53ID:5PGagpa4
軍板いって三八式歩兵銃の手入れの仕方聞いてこい
0176人間七七四年2008/05/18(日) 10:39:22ID:eEcaN8Vj
戦国の鉄砲は一発撃つと響くから敵方に自分の潜伏している場所がばれやすい
奇襲攻撃や挟み撃ちなどの相手にばれないようにする攻撃に使いにくい
まだまだ戦国時代は弓のお世話にならざるを得ない
0177人間七七四年2008/05/18(日) 11:25:29ID:5PGagpa4
サイレンサーの発明まで使うなと?
0178人間七七四年2008/05/18(日) 16:08:08ID:WbutC3Qk
鉄砲を暗殺に用いた宇喜多は凄いと。
0179人間七七四年2008/05/18(日) 16:55:34ID:5PGagpa4
後のゴルゴ13である
0180人間七七四年2008/05/20(火) 16:49:12ID:xCYV+Cd/
170ですが171さんへ。そこは九州の離れ小島でありました。干潮の時しか本土には戻れないという実に恐ろしいロケーション!あの時は満潮!しかも至近距離。追伸、出刃包丁持参でご来店された元日本兵もいますた。
0181人間七七四年2008/05/20(火) 16:53:31ID:xCYV+Cd/
連続で申し訳ありませんが、その包丁には正忠と印されしかも磨いでおり、濡れ手ぬぐいがグルグル巻き!刃は上をむいていますた。
0182人間七七四年2008/05/29(木) 21:32:49ID:6TD2zuS6
雑賀孫一が自分の愛銃をヤタガラスて呼んでたって聞いてかっこよすぎと思った
0183人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/04(水) 23:02:44ID:K8llUEoU
戦国時代の日本が火縄銃保有数世界一って説はどこまで真実なのだろう。
ってかこの説の出典は何なのだろう
0184人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 00:52:07ID:xCIjA2t5
実際大量に残ってるし
0185人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 01:11:34ID:l/xefRk6
50万丁とか言ってるけど、根拠がねぇ。
0186人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 03:58:40ID:xCIjA2t5
戦国大名の発注した注文書と納品書から
0187人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 04:18:10ID:hRMBXscJ
軍事板常見問題に一般向け書籍で実証的に指摘したのはノエル・ペリンとあるね。
事実誤認の多い代物らしいけど。
0188人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 13:46:30ID:loI+sUoZ
1990年時点で国内に65000丁の火縄銃が現存してたとどっかで聞いた
ただ、慶長以降作られた物が殆んどと見られているそうだが
0189人間七七四年2008/07/01(火) 06:57:46ID:3uh3ExiH
【中国】スズ鉱山 火縄銃を持った住民に襲撃される 金属高騰が背景に? 雲南省
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1214817866/
0190人間七七四年2008/07/02(水) 01:14:48ID:trbuSitE
ネットで売ったらスズより遥かに高価だろうに…
0191人間七七四年2008/07/07(月) 20:48:19ID:wAZHNVmT
PC買うくらいならAK買うよ
0192人間七七四年2008/07/16(水) 07:58:38ID:pHrMEvGo
祖父の遺品で火縄銃貰いました。
錆や傷だらけなので銃身や真鍮部品をレストア感覚でピカピカに磨こうかと思うのだけど美術的価値がさがったりするのかな?
江戸時代のものらしいので元からそんなに価値はなさそうだけど火縄銃愛好家に怒られたりしないですかね?
0193人間七七四年2008/07/16(水) 08:35:18ID:ziXhJJXN
>>192
やりかたによる。
家の祖父が元軍人だったらしく、家の押入から刀、サーベル、着剣が出て来た。
刀が錆だらけだったから磨いたら、
錆がとれたのはいいが
(切れ味もよくなった)
逆に傷だらけになってしまったw
0194人間七七四年2008/07/17(木) 00:50:36ID:1tF/ukO4
刃物板の日本刀スレあたりで聞いてみたほうがいいかもね。
0195人間七七四年2008/07/19(土) 18:23:51ID:RGIwAcDK
サーベル持ちなら将校だな
0196人間七七四年2008/07/19(土) 20:22:20ID:D0NYOEMi
>>193だが

>>195
そうだったのか…
確かになんか“大日本帝国”とかなんとか
書いてあるでかい賞状があるけど。
0197人間七七四年2008/08/05(火) 20:56:23ID:QvFaR0HR
上げ
0198人間七七四年2008/08/22(金) 06:13:58ID:qIFJXcWB
国友久義銘の火縄銃はいつ頃の時代のもので、作者はどういった人か分かる方いますか?
0199人間七七四年2008/08/22(金) 06:45:49ID:CPYfLl9b
ぐぐると国友丈エ門久義は二本松(仙台)の鉄砲鍛冶ですね
江戸時代の人らしい
0200人間七七四年2008/08/22(金) 07:50:20ID:qIFJXcWB
早速のお答えありがとうございました
0201人間七七四年2008/09/08(月) 23:05:43ID:y9fw7Idf
西洋ではパイクとマスケット銃の連携が色々と工夫されたみたいだけど
日本の場合、火縄銃と長柄はどんな感じで住み分けてたかわかってるのかな?
0202人間七七四年2008/09/13(土) 05:35:27ID:Cfiqhloo
>>201
一つの部隊内で槍と鉄砲を合わせて運用していたようですよ。
0203人間七七四年2008/11/03(月) 23:58:12ID:1f8Rx/+m
age
0204人間七七四年2008/11/07(金) 16:36:24ID:GC9uUxWf
後のガンブレードである
0205人間七七四年2008/11/11(火) 01:51:00ID:aJbRYMEg
>>201
基本組合わせて使っていたようです。
2〜3列の長槍が横長に展開して、その前面か側面に鉄砲と弓を置く。
射撃後弓は鉄砲の装填の合間を埋め、敵が接近すると長槍の後に下がる。
長槍は組頭の掛け声(大規模な場合陣太鼓)で列を崩さぬよう進退し、
「エイ、エイ」と声でリズムをとって穂先を揃え、「エーイ」「エーイ」と一斉に槍を振り下ろす、ってな感じかと。
0206人間七七四年2008/12/28(日) 11:07:50ID:88qZLUSW
銃剣は無かったのかな
0207人間七七四年2008/12/28(日) 11:10:30ID:qCjVwgRK
先込め式じゃあ使いづらいと思う
0208人間七七四年2009/02/16(月) 02:00:49ID:9BJRZARa
age
0209人間七七四年2009/02/16(月) 09:39:42ID:S4xMyPnE
鉄砲足軽も、鉄砲を撃つ人間だけじゃなく、それを中心として2,3人のユニットを組んでいるから、
個人が戦闘するために必要な銃剣とかは、あまり存在する意味がなかったと思う。
0210人間七七四年2009/02/17(火) 00:16:41ID:B1xLg3E0
>>207 先込めかどうかと銃剣は関係ない。ナポレオン軍の歩兵は先込め銃だったが銃剣を装備している。ただし火縄ではなく燧石銃。銃剣は固定式で取り外せない。
戦国時代に日本で使われなかったのは、まだ銃剣が発明されていなかったから。
0211人間七七四年2009/02/17(火) 01:19:15ID:mw4Tx7XF
信長もアホーよな
本能時にガトリングガン30丁と
アームストロング砲15門有れば明智軍を撃退出来たのに
0212人間七七四年2009/02/21(土) 23:27:43ID:MqEII05L
>>210 続き こんにち知られている最も古い銃剣は、1647年のフランス製。これは銃身に直接銃剣の柄を差し込んで使う。
ナポレオン軍の銃剣、固定式と書いたが、これはあやまりで構造的には、ソケット式で取り外し可能。ただし、外しても持ち運びに不便なのでつけたままにしている。
騎兵に対抗できるように、銃の台座から先端までは2メートルを越す長さがある。
0213人間七七四年2009/02/21(土) 23:54:51ID:7r1Q3Oi2
>>206
日本には騎兵も少ないし種子島(火縄銃)と打刀はセットにして足軽に配備してたから銃剣の必要性なんて感じなかったんじゃね
>>212のいう通りバヨネットが出来るのはもっと後の時代だし
0214人間七七四年2009/02/22(日) 11:14:55ID:YmYrZyzr
16〜17世紀のヨーロッパでは銃兵を守る為に、パイクという4〜6mくらいの長槍兵が主力になっていた。
短槍ともいえる銃剣の登場で、鉄砲を持ったままで白兵戦に対応できるようになり槍兵は消えていったんだよな。
運用法は違うといえ日本も同時期に、長槍と火縄銃が同様に主力だったのは興味深い。
長さ10mの超長槍隊もあったらしいが、どこの大名だよw

ちなみに17世紀は朝鮮軍も長槍&火縄銃メインの編成で戦ってた
0215人間七七四年2009/02/25(水) 21:37:22ID:m/VdWcnL
安土にある安土考古博物館には信長軍が用いた三間半の槍のレプリカがあり、立てかけてあるのを持ち上げることができるが、重い。
あんなものを担いで長距離を歩くのは大変。
0216人間七七四年2009/02/26(木) 02:17:37ID:wSzNXHCi
火縄銃の装備率が10%しかないんだし手空きに槍持たせればよかっただけの話じゃね
0217人間七七四年2009/03/02(月) 02:55:10ID:TMf4bwM7
これはかっこいい
http://www.takahasikanko.or.jp/19nenndogurannpuri.jpg
0218人間七七四年2009/04/16(木) 04:08:08ID:Pp/mG3Zk
age
0219人間七七四年2009/04/16(木) 06:28:16ID:Pp/mG3Zk
>>215
ああいう長槍は行軍中は穂先のほうを持って石突のほうをずるずる地面に引きずって移動してたそうだ
0220仙台藩百姓2009/04/16(木) 06:59:30ID:Ev7Lyuib
御槍は殿様からの借り物なんだから引きずってたら怒られそうだけど( ^ω^)
0221人間七七四年2009/04/16(木) 07:14:50ID:Pp/mG3Zk
戦場に着く前にへばっちゃったんじゃ意味ないからな
0222人間七七四年2009/04/16(木) 09:56:43ID:FOt7tlOD
つーか、槍なんて、よほど特別な物以外は、一人の兵が1回の合戦で2,3本消費するような
消耗品だぞ。
0223人間七七四年2009/04/17(金) 05:16:02ID:PfujDB2T
バシバシぶったたいて使うもんだし折損も多いだろうしな
0224人間七七四年2009/04/18(土) 01:23:16ID:bFXC06gf
そうやってみると、帝国陸軍よりも戦国時代の武将・足軽の方が合理的だったのか。
0225人間七七四年2009/04/18(土) 05:28:18ID:T5UZeb6m
そうでもないだろ
長槍はそうしないとへばっちゃうからそうしただけで
火縄銃まで地面引きずってたわけじゃないし
0226S字型金具2009/04/19(日) 22:42:13ID:tGyiP0iO
すみません。
あまり2chのことが解らないのでスレッドが立てられませんでした。そのため、スレッド違いかも知れませんが記入させて下さい。
1992年に不思議な古銃があることを知りました。某寺の所蔵品で、もし間違っていたらそのお寺に迷惑がかかりそうなので匿名のお寺としてお願いします。
形式は、サーペンタインロック式の古銃で、全長228センチメートル、口径23ミリメートル、重さ約30キログラムでした。
2chの写真添付の仕方が解らないので、Yahoo!フォトアルバムに写真の一部を乗せましたので見てください。

http://album.yahoo.co.jp/albums/my/68112/

前から気になって、いろいろ調べていましたが、同様な鉄砲が見当たらず、肝心な所が不明です(慶長期以前の物か?、国産品か?)。
この様な古銃について情報を求めておりますので、ご存知の方がおられましたら、すみませんけれどもこのスレッドでお願いできないでしょうか。
0227S字型金具2009/04/19(日) 22:58:30ID:tGyiP0iO
すみません。肝心な事を書くのを忘れておりました。

火ばさみには、「火縄」をはさむことはできなく、したがって、「火縄銃かな?」と思います。
そのため、スレッド違いかも知れません。
火ばさみには、薄い割り木または薄い竹片を火種にしたように思えます。
0228人間七七四年2009/04/20(月) 23:49:12ID:sL9D8C7t
最近新聞で、関ヶ原古戦場からそれくらいの大きさの火縄銃が出土したとかあった。
ハザマ(狭間、間)銃ってやつ。
0229人間七七四年2009/04/21(火) 00:10:06ID:sRilSvsl
詳しい事は分かりませんがグリップの形状や
銃身が台座から大幅に突き出していたり
どことなく西洋風な感じの銃ですね
0230S字型金具2009/04/21(火) 00:12:16ID:t1C9vbr0
すみません。返答の仕方が解らないので、番号で記入します。
228:の方、情報ありがとうございます。

その銃は、サーペンタインロック式だったでしょうか。
マッチロック式の狭間筒の話は聞いたことがあります。
宇田川説の根拠となる箇所なので、確認したいものです。
0231S字型金具2009/04/21(火) 20:49:52ID:t1C9vbr0
229:の方にお答えします。
「グリップの形状や銃身が台座から大幅に突き出していたり」の様に見えますが、全長228センチメートル、重さ約30キログラム
と長くて重く、置き筒ではないかと思われます。そのため、銃身の下部木質が腐って無くなったように思われ(見え)ます。
「銃身下部」の写真を追加いたしましたので見てください。カルカ(サク杖)の穴はありませんでした。
ご意見有り難うございました。

02322292009/04/21(火) 21:09:07ID:sRilSvsl
わざわざ画像の追加ありがとうございます
確かに経年劣化で失われたように見えますね

それと関ヶ原で出土した狭間筒についてですが

http://www.interq.or.jp/pure/miyatate/wforum/wforum2001/2001.5.4.htm
>関ヶ原歴史民族資料館に地元民家から発見された鉄砲で、
>全長2.3m 重さ30s 安土・桃山時代の堺鉄砲鍛冶士 芝辻理右衛門の銘があり、
>弾丸は3q飛んだらしい。地面に置いて使ったとのことだか、
>関ヶ原の頃は大砲は無かったのだろうか。

という話がありました。画像の鉄砲とほぼ同じサイズですね
掲示板のログなので真偽のほどは分かりかねますが^^;
0233人間七七四年2009/04/21(火) 21:58:18ID:hM6LtJy9
>>232
そのリンク先
「大筒が使われたのは大坂の陣以降」とか変なこと言ってる人がいるね。
文献読んでないのかな?
少なくとも天正期には大筒使用の記録が多数あるんだけど。
0234S字型金具2009/04/21(火) 23:12:41ID:t1C9vbr0
232:情報、有り難うございます。
早速調べて見ましたら、「平成12年、岐阜県関ヶ原町の民家で、全長167cmの火縄銃の銃身が発見された。・・・・・・ 
そこで、平成13年、高木昭郎・竹中博男・澤田平の三者により慶長大鉄砲の完全復元を行った。」の事だと思います。
また、「そもそも現存する慶長期の銃は、全国でも極めて希少なものである。まして、これほどの大鉄砲は大変珍しいものなのである。」と澤田さんは記載しておられます。
しかし、この復元銃と私の調べている銃とは、残念ながらまったく異なっています。

ついでに掲示板のログにあった設楽原歴史資料館にある宗堅寺(新城市)に伝わる信玄砲について調べてみました。
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/1,3110,118,662,html
銃身の部分のみですが、銃身の長さ105センチ、重さ11キロ、ロ径20ミリ (十三匁)。
所荘吉氏は、「日本に残る多くの火縄銃のうちでも、 最も古い火縄銃の一つであることに間違いありません。」と述べていますが、気になる記述と銃身です。
0235人間七七四年2009/04/22(水) 05:27:44ID:G/9+m5rU
>>232
狭間筒は城壁や船の鉄砲狭間に設置する固定銃ですが、発射機構は火縄銃と同じカラクリですね。
石山合戦の第二次木津川海戦に際して、信長が造らせた巨船をフロイスが見学したときも、
2mほどの銃身の大鉄砲が多数設置されていると記録にありますね。
朝鮮の役でも安宅船に狭間筒を積んで恐れられたようです。

>関ヶ原の頃は大砲は無かったのだろうか。
関ヶ原では石田隊が使った他に、東軍も難破したオランダ船リーフデ号の艦載砲を使った説がありますね。
船には19門の青銅砲(カルバリン砲かデミカルバリン砲でしょう)、
500丁のマスケット銃、5000発の砲弾、300発のチェーンショットが積まれており
ヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムスら船員が家康に従軍し砲撃を行なったとのことです。
0236S字型金具2009/04/22(水) 23:31:32ID:34lTJEd/
国立歴史民俗博物館のデータベースで、同系の火縄銃が見つかりました。

館蔵資料画像データベース・館蔵武器武具データベース・実物資料の検索・検索条件:フリー=H-54-20 
【資料名称】 火縄銃(中国)
【資料名称カナ】 ヒナワジュウ(チュウゴク)
【コレクション名】 火縄銃
【資料番号】 H-54-20
【時代(和暦)】 咸豊5
【時代(西暦)】 1855
【製作地】 中国
【種別】 銃砲-鉄砲-火縄式
【流派】 _
【銘文】 「咸豊五年營□公會□造」
【法量】 口径3.0 全長222.0 銃身長174.4
【材質】 _
【備考】 _

探していた「サーペンタインロック式火縄銃」とよく似ています。
0237人間七七四年2009/04/23(木) 01:39:40ID:Z+B7Mcne
>>236
たしかにこの銃は中国の鳥銃(火縄銃)で主流だったサーペンタインロック式だと思います。
一体化した引き金とアームが、支点のピンとバネで留められている単純な構造だけに、世界中で用いられてますね。

マッチロック式には何種類かあって、
日本の火縄銃の瞬発式機構(Snap matchlock)はポルトガルや東南アジアで多く用いられ、
引金を引いた瞬間ロックが外れ、火挟(アーム)が解放され発射します。

この方式は世界では決してメジャーではなく、
ヨーロッパでは、サーペンタイン式同様引き金を引いた距離だけアームも連動して動く
シアロック式やトリガーロック式に発展していきました。

いわゆる緩発式火縄銃ですね。
引き金を引くのと発射にタイムラグがあるので狙撃には向きません。
シアロック式は引き金とアームがバネとタンブラーを通じて連動しています。

タッチホール式(手で直接火種を持ち点火する)の中国製銅手銃は
火縄銃伝来以前にも国内に輸入されていましたが、サーペンタインロック式は非常に珍しいですね。
伝来後サーペンタイン式機構がすでに日本で知られていたのか、
それとも中国のサーペンタイン式鳥銃を輸入または鹵獲して、発射機構を模倣したものなのか・・・
ポルトガルやスペイン商人が古銃を持ってきた、または中国の銃を仕入れてきた・・・わけないかw
0238人間七七四年2009/04/23(木) 02:10:51ID:Z/KNEkgD
> 【時代(西暦)】 1855
0239人間七七四年2009/04/23(木) 02:51:27ID:Z+B7Mcne
>>238
紛らわしいですが、自分が>>237の後半で言っているのは>>226の銃の出処のことですね。
>>236の銃は清朝後期のものと時代がわかっていますが、
清ではアヘン戦争後洋式軍隊が創設されてもサーペンタインロック式が混在して使われていました。
0240S字型金具2009/04/23(木) 20:37:15ID:Ke2RLDV/
私が知りたいのは、>>237>>239
「伝来後サーペンタイン式機構がすでに日本で知られていたのか、
それとも中国のサーペンタイン式鳥銃を輸入または鹵獲して、発射機構を模倣したものなのか・・・
ポルトガルやスペイン商人が古銃を持ってきた、または中国の銃を仕入れてきた・・・わけないかw 」
その疑問そのものです。

平成9年頃、出所を伏せて写真を見ていただいたところ、赤羽通重先生は「中国のごく古い火縄銃の型です」、名和弓雄先生は「製作されたのは、中国かあるいはモンゴル辺りかもしれない」と回答を頂きました。
当時、鉄砲伝来は1543年の種子島より始まるとされていて、倭寇勢力による宇田川説は少数意見でありました。そのような学説の中で、このような鉄砲は理解不能の存在でした。

今回情報を求めたのは、「倭寇とは、海賊、私貿易、密貿易を行う貿易商人の事」であることを思い出し、その反対の人たち「海賊に襲われる側の商人や、正規の商人がいても不自然ではない事」を思い付いたからです。
今ではインターネットで情報が簡単に得られるようになり、仕事も少し暇になってきたので、「少しでもこのような鉄砲のことをご存知の方がおられたら教えて頂きたい」と思い投稿しました。

しかし、>>226でもお願いしたように、しばらくは「某寺の所蔵品で、もし間違っていたらそのお寺に迷惑がかかりそうなので匿名のお寺」としてお願いいたします。
0241S字型金具2009/04/26(日) 08:24:04ID:RAioGStN
昨日、10数年ぶりにそのお寺を訪問し、古銃を見てきました。

古銃の保存状態は非常に悪く、朱色はあせ、錆が出ていました。そこで、お寺の方に「もしかしたら鉄砲伝来にかかわる貴重な古銃かもしれないので、大切になさったらどうでしょうか」と保管・管理をお願いしました。
重量の訂正があります。>>226 で重さ約30キログラムとしましたが、地方新聞に掲載されていた重量で、実際に持った感じでは30キログラム以下だと思います。

古銃を所蔵しているお寺(浄土真宗)の歴史は古いのですが、有ることが分かったのは昭和40年代(発見した方に、発見のいきさつを電話でお聞きしました)で、その由来については、前回伺った時と同様、寺のどなたも分かりませんでした。
現在のところ、明治以後の所蔵ではなく、それ以前の所蔵だと判りました。

寺には古文書や所蔵品が大変多く(蔵に入れさせていただきました)、昭和20年代に古文書の調査を始め、最近、ほぼ完璧な所蔵品の目録ができました。

赤羽通重先生と名和弓雄先生の鑑定画像(手紙の一部)を掲載しました。
http://album.yahoo.co.jp/albums/my/68112/
0242人間七七四年2009/04/26(日) 09:04:10ID:4bpO2M2r
うちの菩提寺は戦国時代から残っている建物らしい・・・
建て替えるそうだがもったいない話だ
寺って歴史資料の宝庫だなあ
0243S字型金具2009/04/26(日) 10:40:09ID:RAioGStN
追加です。
2ちゃんねるに僧兵の写真(無断で借用してすみません)があったので、ちょっと使わせてもらいます。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yamabushi2.jpg

発見したいきさつは、「寺の蔵の廊下の干し竿に洗濯物がかかっていて、その物干し竿に金具がついていた。よく見ると、その物

干し竿は、石突のある薙刀の柄と長柄傘の柄であった。その近くに色々な古い板や古い物が置いてあり、古銃は陰に立て掛けてあ

った」とのことでした。

蔵の中で、その、刀部の無い、黒漆塗螺鈿(少し剥がれあり)薙刀の柄(寺の目録では傘の柄・192cm)と同じ太さの黒漆塗

螺鈿(剥がれあり)長柄傘の柄(292cm)を見てきました。
同じく完全な黒漆塗螺鈿の長柄傘、家紋入りの蒔絵長柄傘、その他、江戸時代の鎧など、箱に入っている道具がたくさんありました。

0244人間七七四年2009/04/28(火) 22:55:29ID:GIVk1SxP
兼続の時代米沢の鉄砲
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/news/20090425-OYT8T00960.htm

画像http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20090425-OYT9I00959.htm
「米沢筒」など11丁が並べられた鉄砲の展示会(米沢市関で)
0245S字型金具2009/05/01(金) 00:35:08ID:FGHgqPjW
須川薫雄さんのホームページより
http://www.japaneseweapons.net/hinawajyu/shurui/english.htm

「Mino Tetsupo」・「Tsushiura's Seki School」・「Yonezawa Tetsupo」
上杉系統の鉄砲は、銃身が丸型で銃身をバンドで止めています。
0246S字型金具2009/05/03(日) 21:45:42ID:tGCgILtA
途中経過を報告致します。

@須川薫雄先生からの応援メール
 須川先生には、いろいろと教えて頂きました。
 澤田平先生の電話での途中経過をご報告いたしましたら、メールを頂きました。

A国立歴史民俗博物館からの回答メール
 広報サービス室の○○さんには、たいへんお世話になりました。
 照会したようなサーペンタインロック式の銃は、所蔵していないと回答がありました。

B所荘吉先生に鑑定して頂いた時の手紙(1992年・平成4年)
 この手紙の存在を今年の3月に知り、再調査するきっかけとなった手紙。
 この手紙は、私宛ではなく、川越重昌先生を通じてお願いした銃砲史学会員の方から、所荘吉先生の写真鑑定結果の返書です。
 残念ながら、封筒が不明で、お願いした銃砲史学会員の方お名前がわかりません。
 
@ABのメール・手紙の一部を、Yahoo!フォトアルバムに掲載しました。

現在、ご相談している澤田平先生から、「制作年代など色々検討中で、もう少し待って下さい」と電話がありました。
結果に期待しています。
0247人間七七四年2009/05/04(月) 03:35:48ID:j+ZmCmvs
ほうほう
0248人間七七四年2009/05/04(月) 13:57:03ID:erbKPdbY
で、本当に種子島伝来説は嘘だったのか。
最近は朝鮮→九州ルートが主流らしいが・・・。
0249S字型金具2009/05/09(土) 00:15:26ID:+i1DXu/v
>>242
「寺って歴史資料の宝庫だなあ」  私も同感です。
この寺の写真を整理していたら、軍配と箱が写っていました。
戦国時代の物だと思われる軍配について、寺の縁記では「教如上人より拝領」と書いてあり、箱の紋については触れていません。
箱の紋は会津松平家の家紋とよく似ており、次にうかがった時、寺紋について聞いてみようと思います。
お寺は信仰の場ですから、私達の興味や趣味の見地とかけ離れていて当然だと思います。この寺については、特に強く思いました。
0250人間七七四年2009/05/09(土) 18:02:08ID:8KGfg2kI
戦国期の鉄砲は、用途別の弾丸の種類だけでも100種類くらいあったみたいね。
0251人間七七四年2009/05/13(水) 02:41:16ID:g3cIUPbq
>>250
でも玉が銃を選ぶような
実用向けじゃないものもかなり混じってるよね
0252人間七七四年2009/05/16(土) 12:27:38ID:5shZv7lQ
現代の銃は薬莢のサイズが異なれば使えないが、当時の銃の弾丸は鉛製で、自分で作る。銃の口径にあった道具を持っていればまったく問題ない。
規格の統一という発想自体、近代になってからのもの。
0253人間七七四年2009/05/16(土) 15:28:33ID:w/J+E8H0
>>252
あきらかにトンデモな形や素材(鉛ではない)が混ざってるけど
そういうの量産できないし用途が限られると思うんだけどな
0254人間七七四年2009/05/16(土) 15:30:07ID:w/J+E8H0
↑あきらかってのは製造法の記述に有るって意味ね
0255人間七七四年2009/05/16(土) 20:08:13ID:LrzJ8vOo
まあ特定の戦術目的の為の鉄砲も普通に作られていただろうしね。
0256S字型金具2009/05/17(日) 00:32:41ID:zQC0f41q
現在、ご相談している澤田平先生から手紙を頂きました。
澤田先生には、途中、私の父と旧知の仲だと判ったので、寺の名前・簡単な由来をお伝えして鑑定して頂いておりました。
電話でも「東南アジアの作品に似ている」と言っておられ、「是非、現物が見たい。そして判断を下したい」と言っておられました。私も、近い将来、先生と連絡を取って鑑定結果をお聞きしたいと思います。

反省点:
私は、銃が専門ではありませんが、今まで「思い込み」がありました。
澤田先生は、電話でも言っておられましたが、著書「日本の古銃」でも
「鉄砲伝来の天文十年代から慶長初年頃までに製作されたと確定できる遺品は皆無である。」
「戦国期に製作され使用された火縄銃は相当な数量のはずで、その全てが消失してしまっていることは信じがたいことであるが、悲しむべき現実である」と書いておられます。
手紙にも、「現在、日本国内に石山本願寺の時代の火縄銃は一挺も発見されていません」と書いてありました。

Yahoo!フォトアルバムの写真を整理、詳細が判るように自動補正しました。
(色がどぎつくなりましたが・・・・)
http://album.yahoo.co.jp/albums/my/68112/

0257人間七七四年2009/05/17(日) 03:09:01ID:KGhuUEiA
>>256
拝見しました。レバー状の引き金は中国の火縄銃に似ていますね。

↓中国の火縄銃手(ページ中央の写真)
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%B8%9F%E9%93%B3
↓明の火縄銃操練
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Ming_musketeers.jpg
0258人間七七四年2009/06/06(土) 16:23:39ID:dda0eEMf
戦国時代、火縄銃は一丁いくら?
0259人間七七四年2009/06/07(日) 01:07:23ID:KAMB198x
>>258
時期と型でかなり違う
0260人間七七四年2009/06/21(日) 20:17:20ID:7OuGZGjN
火縄銃で撃たれた時のGSW(GunShot Wound、銃創)ってどんな感じの傷だったんだろ

盲管銃創か、貫通銃創か。

盲管銃創なら、当時の外科手術で摘出などの処置はできたのか?

kwsk!
0261人間七七四年2009/06/22(月) 05:52:13ID:Iidof+Dr
>>260
俺のじいちゃん、太平洋戦争時に撃たれて体内に残ってたままになってた弾丸7発を
15年ぐらい前になってやっと摘出してたな
近所で同じく戦争に行って負傷した人が体内に残った弾丸のせいで鉛中毒で亡くなったので手術した
戦地にはレントゲンなんかないので、その時代でも深いとこに残った弾はそのままなのが普通だったとか
だから火縄銃の時代なんか摘出は不可能じゃないの?
0262人間七七四年2009/06/22(月) 07:50:25ID:kzgjZ0eU
速度700m/s以上の近代以降のライフル弾で撃たれた場合は着弾時に弾丸のエネルギーによって組織に爆発的
な膨張がおき(組織の永久空洞・破裂)そのダメージ・ショックで死亡する。

火縄銃は燃焼速度の遅い黒色火薬を使ってしかも空気抵抗の大きい鉛球弾を打ち出すわけだから
着弾時の速度はせいぜい200〜300m/秒くらいのものだろう。
反面口径は大きく20ミリくらいもあるから、散弾銃で撃ち出すスラッグ弾(一粒玉)をくらったような感じだろうか?
0263人間七七四年2009/06/22(月) 14:53:48ID:6IPFP75E
弾丸摘出用の手術器具があったように記憶している
ハサミの先が半円形に丸くなったようなもの
0264人間七七四年2009/07/03(金) 12:46:04ID:PEb5cboN
>>263
まさか「釘抜き」のこと言ってるんじゃないよな?
矢が刺さった時には釘抜きで抜いてたが…
もしその形状の弾丸摘出道具が有るなら先の丸い部分が小さくないと摘出が難しいし
それで取れる位になら小刀で抉り取る気がする
0265人間七七四年2009/07/12(日) 02:59:27ID:b8WHQE6o
今なら火縄式や管打式にピエゾ素子で着火という方法も使えそうですね。
0266人間七七四年2009/07/12(日) 03:59:45ID:o4NZsPqZ
>>264
釘抜きなら釘抜きと書くよ
0267人間七七四年2009/07/12(日) 04:02:20ID:o4NZsPqZ
ここの一番下にあるわ
http://www.lb.nagasaki-u.ac.jp/search/ecolle/igakushi/scul/scul.html
0268久々の書き込みなのでageます2009/08/29(土) 12:28:53ID:FPBJHX7L
火縄銃を撃ってた人の
銃撃戦以外の戦い方の技量って
何れ位劣っていたんですか?

>>250>>255
良かったら其れ等について
出来るだけ詳しく教えて頂けませんか?
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