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【佐竹・小田】常陸下野の戦国大名【宇都宮・小山】

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/21(月) 02:02:05ID:DVvJduHN
大国に囲まれながら中小勢力がしぶとく割拠し続けた
常陸・下野の戦国時代を語りましょう
0596人間七七四年2010/11/16(火) 22:56:06ID:VNKgQwRj
下野のことはさっぱりだけど、上の人の言うとおりローカルなものから
攻めて行った方がいいと思う。もっとローカルなのが検索したら
出てきた。ただ、情報が古いかもね。

http://rnavi.ndl.go.jp/mokuji_html/000009656213.html
喜連川町史. 第6巻(通史編 1)

喜連川五月女坂の合戦  309  


それと本の検索にはこういうものをどんどん活用すべき。

県内図書館一括検索
http://www.lib.pref.tochigi.jp/soumoku/soumoku_top.htm

ぐぐっては参考文献を見つけこっちで図書館を検索の繰り返しで、
図書館行く前にかなり絞れるはず。
0597人間七七四年2010/11/17(水) 19:09:07ID:ItM1n99M
>>595
なるほど!!
そういう県史や市史から調べる手があるんですね!!

>>596
詳しく丁寧に有難う御座います!!
こういう調べ方を知らなかったので胸が高鳴っています。
次の休日は図書館にこもってしっかり調べてみます!!
0598人間七七四年2010/11/17(水) 20:16:59ID:fjTPq6/G
こういうことは調べ方がわかってくると面白すぎて中々抜けられなくなるよw
といいつつ…

http://www.iwata-shoin.co.jp/local/database/32.htm
中央図書館を使うなら、県史・市史に加えてこういう県史研究なんかも置いてあるはずだから
利用してもいいかと。中には自分の知りたい合戦や人物なんかをピンポイントで特集している
記事もあるかもしれない。

あと、見過ごしがちだけど「大日本地名辞書」や日本歴史地名体系の「栃木県の地名」とかは単なる地名研究に留まらず
歴史研究のガイドラインにもなるはず。ただ、「大日本地名辞書」は吉田東伍の独自研究の面も強いので少し注意が
必要かもしれない。

ネットだとこういうのも後々何かの手がかりになるかな?

栃木県立図書館レファレンス事例
http://www.lib.pref.tochigi.jp/reference_ex/r_top.htm
0599人間七七四年2010/11/19(金) 15:35:50ID:KRHDF7UP
小山家の現在の当主(ご老人)は、小山在住らしい。
0600人間七七四年2010/11/19(金) 15:51:29ID:XbrbRRNO
格闘家の岡見勇信はあの岡見氏の流れなのかな?
0601人間七七四年2010/11/20(土) 13:48:57ID:4+55O8UO
>>562
『小田家風記』によると「土浦城主 菅谷摂津守 七万八千石」をはじめ
一万石越えの小田家一門や配下武将がゴロゴロしてることになっている。

ただ、あまり信用に足る内容とは思えんw
0602人間七七四年2010/11/20(土) 13:51:16ID:4+55O8UO
検索したら出てきたw

ttp://www.asahi-net.or.jp/~ku4t-tkhm/odaichimonkafuutype2.html
0603人間七七四年2010/11/20(土) 20:24:53ID:di3YODt5
小田は15万石ぐらいではないだろうか?どうだろう。
0604人間七七四年2010/11/20(土) 23:41:58ID:riFjYvBc
ttp://yamaguti.ddo.jp/show?page=72

かなり時代は遡るが
0605人間七七四年2010/11/20(土) 23:58:47ID:P5Igpy9O
小田氏(洞含む)の最盛期は大まかに見て
つくば市、土浦市、八郷町、牛久市、かすみがうら町、千代田町、石下町、
水海道市、明野町、茎崎町、伊奈町、谷和原村、藤代町、新治村、岩井町
辺りだから15〜20万石ぐらいだと思う
0606人間七七四年2010/11/21(日) 11:14:00ID:rqYdfxk1
氏治時代はどの程度だったんだろう。
軍記物でしか知らなくて申し訳ないが、既に氏治の前の政治時代から
合戦で負け込んできてるから、既に最盛期ではないような。
0607人間七七四年2010/11/21(日) 11:18:23ID:djmKJfZM
小田氏は石高以上に、霞ヶ浦交易の利潤が大きかった感じがする。
0608人間七七四年2010/11/21(日) 13:59:53ID:fY7QMgUw
それはどうだろうな。基本的に大名は年貢を取っているだけなので、
霞ヶ浦の利潤が大きくても、大名の収入に直結するわけではないんだ。
役銭なども、守護大名程度の権力しか持たなかった小田が、
はたしてどこまで強制力を以って徴収できたか非常に疑問。
似たような話で武田の金山経営なんていわれるけど、実際には、金山を経営していたのは
金山衆という「企業」で、武田は税金を賦課して軍役に従事させるだけだったりする。
佐竹の場合には、義宣が金山への業務に関する命令を出している文書があるので、
少なくとも豊臣期には佐竹の所有物だった可能性が高いが、実際に掘っている人夫達と
どういう契約を以って採掘採集を行わせていたのかまではよく分からない。
0609人間七七四年2010/11/22(月) 08:11:59ID:d13zg9ab
そういや小田氏や大掾氏も守護と同程度の課税権を幕府に認められていたんだっけ
常陸国は佐竹氏、大掾氏、小田氏の三頭体制だったとか
0610人間七七四年2010/11/23(火) 13:21:28ID:1C21UKU1
>>609
それだけじゃなく守護に従う必要のない鎌倉公方・幕府の奉公衆がわらわらいるからなあ。
常陸はそんな複雑怪奇な支配非支配関係が戦国末期くらいまで続く。
0611人間七七四年2010/11/23(火) 14:53:59ID:bXOEg4rX
結城の乱で幕府や関東管領に反旗を翻して滅亡した者達の子の功を賞賛して
やたら関東管領と対立した足利成氏公。
だがこの対立軸が関東管領と古河公方の利根川対立ラインを形成し
関東管領の謙信の関宿城攻防でも歴史的対立が影響を与えたと言える。
そもそも関東管領主催下での彼らの序列化は微妙過ぎる問題。
0612人間七七四年2010/12/04(土) 00:04:20ID:A3jpgWCs
二重三重支配で戦乱起こらないほうが不思議だわな
0613人間七七四年2010/12/04(土) 01:05:54ID:KGfwYQp6
>>612
しかし平和なときはそれも安定剤の役割を果たしていたんだぜ
0614人間七七四年2010/12/04(土) 02:36:03ID:2Gq+RO6X
中世はそんなところがあるなあ。

棲み分けというか共存共栄の妥協というか。

共倒れを防ぐ生活の知恵かも。
0615人間七七四年2010/12/04(土) 09:46:21ID:rYPytEYc
関東副将軍里見参上!
0616人間七七四年2010/12/14(火) 01:05:37ID:xdqN2PnT
不屈の返り忠、佐野昌綱参上!
0617人間七七四年2010/12/16(木) 15:08:51ID:bL4GlnUs
宇都宮家が関ヶ原まで存在したら
どちら側についたんだろう
0618人間七七四年2010/12/16(木) 15:32:53ID:GRQpe+9f
>>617

地理的に徳川とはケンカしたくないから東軍についたと思う。
0619人間七七四年2010/12/16(木) 16:38:07ID:NxzU8Gfu
うまく行けば佐竹を潰すチャンスだしな
0620人間七七四年2010/12/16(木) 19:30:42ID:xl0fXxK5
宇都宮家にとって佐竹って何だったんだろうな。
佐竹側の創作によくあるような盟友なのか?
北条という強力な外敵の前でかろうじて同盟してただけか。
0621人間七七四年2010/12/16(木) 19:39:28ID:jxJEyb+c
仲は良くも悪くもない(どちらかというと良い)という感じだろうか。
0622人間七七四年2010/12/16(木) 19:40:47ID:jxJEyb+c
>>619

関が原の頃になると、たいていの大名は所領安堵で生き残るだけで満足していたようにも思う。
0623人間七七四年2010/12/16(木) 19:55:28ID:pJOLyho4
>>620
宇都宮氏庶流からしたら盟友
0624人間七七四年2010/12/16(木) 21:54:32ID:hymCl0X/
義重の姉妹が宇都宮に嫁いで
その子が結城の養子に入ってたよな〜。
秀康に結城当主を奪われた関係もあり
関ヶ原ではその子が白河で上杉と佐竹の連絡係
0625人間七七四年2010/12/18(土) 19:07:27ID:oVA44UOc
>>532
県知事よ。
0626人間七七四年2010/12/18(土) 19:22:41ID:m/7tdzrI
佐竹分家は県知事になった。

ただ、あそこは分家といっても御一門衆と重臣を兼任しているような形態。
0627人間七七四年2010/12/19(日) 12:59:46ID:u9AfBOKS
宇都宮は佐竹の与力みたいな扱いだし、岩城らと同じ運命だろ。
実際弟どもが上杉に与しているし
0628月孔雀2010/12/19(日) 13:31:00ID:WsS39nC3
茨城と下野は、言葉も東北に似ていて、
文化的に関東と東北の中間のように感じます。
0629月孔雀2010/12/19(日) 13:32:05ID:WsS39nC3
常陸と下野か、茨城と栃木でした^^;
0630人間七七四年2010/12/19(日) 13:36:30ID:vTXG1r1b
改易された大友義統も義宣の水戸に預けられたように佐竹って流された人の行き着く終着駅感が激しい。
0631人間七七四年2010/12/19(日) 18:13:19ID:oVXwgV9Q
佐竹は日本一古い大名でしょ。平家時代からだから。
0632人間七七四年2010/12/19(日) 18:46:44ID:Y3eZR4A8
平家時代?
0633人間七七四年2010/12/25(土) 20:44:22ID:eq4xQsUO
九州と四国と栃木の宇都宮氏はぜんぶ秀吉に改易されたんだっけ?
0634人間七七四年2010/12/26(日) 22:36:26ID:xPv8PSJi
>>631
でも、途中で上杉から養子を入れたから、一番古いのは相良じゃないかな?
0635人間七七四年2010/12/26(日) 23:42:42ID:uqoGHCGd
時々佐竹関連スレにはこういう人が沸くが
なぜ養子を入れると佐竹が断絶してることになるのか、意味不明。
0636人間七七四年2010/12/27(月) 01:17:44ID:0ke0GfBz
大友家辺りも、元寇の乱で出兵してたよね
0637人間七七四年2010/12/28(火) 21:29:12ID:SOASEfOn
>>635
たしかに。ちゃんと血は繋がっているし
古い「大名」って言ってるんだから、あくまで
「血」ではなく「家」が対象なのに
0638人間七七四年2010/12/28(火) 22:18:20ID:ozPPXdd8
>>637
こういうやつが増えたのは
天皇の跡継ぎの議論で男系だの女系だの議論があってネットのごく一部が盛り上がったからだろうね。
佐竹にとってはとんだとばっちりだ。
0639人間七七四年2010/12/28(火) 23:37:10ID:xFQNDson
>>18
千本、伊王野、大金氏あたりは国人だろう
0640人間七七四年2011/01/06(木) 17:49:57ID:0lv6m2sQ
下野は地味だよなー
0641人間七七四年2011/01/06(木) 17:58:12ID:oWbV62jI
下野って、那須(+七騎)、宇都宮、佐野位しか分からん。
0642人間七七四年2011/01/06(木) 20:22:12ID:RZ5HcgOf
せめて小山氏は思い出して…
0643人間七七四年2011/01/06(木) 23:27:56ID:ypI8YHg2
佐野、皆川、壬生、長尾、茂木…いっぱいいるじゃない
0644人間七七四年2011/01/08(土) 00:18:56ID:fyvEvF8z
そいつらは戦国大名と呼べるのか
0645人間七七四年2011/01/08(土) 12:17:34ID:FmNMWnTb
それを言うと佐竹、宇都宮、那須、小山、結城、小田、大掾なども戦国大名とは言い難いけど
0646人間七七四年2011/01/08(土) 12:23:38ID:fyvEvF8z
まぁ北関東以北は全体的にそうだな
0647人間七七四年2011/01/09(日) 13:03:45ID:II+M/LWC
いや佐竹氏は立派な戦国大名でしょ
0648人間七七四年2011/01/09(日) 14:48:22ID:5nRkvwoP
最終的にはしっかり戦国大名への進化は果たしたな。
0649人間七七四年2011/01/09(日) 15:32:17ID:0Yfu7JVB
佐竹氏が国人豪族らの特権を廃して家臣に組み込み
集権化を成功させたのは1591年以降だからやはり戦国大名とは言い難い
洞中体制は戦国時代頃に発生した独自の体制だけど
構造的にはあくまで室町体制の域を出ていないと思う
佐竹氏も義昭時代から戦国大名化への試みが続けられていたが
成功のめどがついていなかったと言っていい
そこに豊臣氏の東国進出があり、これを契機に中央政権の権威を利用して一気に近世大名へと飛躍した
0650人間七七四年2011/01/09(日) 23:29:19ID:EgJBuMKA
実りがない議論だな。
「洞中」について論じた市村高男氏ですら、「戦国大名」と「国人」との間にいくつかの段階があって、
佐竹はその中間段階のかなり上の方に位置すると言ってるだろう。
集権化できてなかったら戦国大名と呼べないなんて言ったら、
上杉謙信も毛利元就も戦国大名とは言えなくなっちゃうよw

峰岸氏は天正以降の佐竹氏は、戦国大名と言っていいと結論してるし、
佐々木倫朗氏や黒田基樹氏はほぼ戦国大名扱いしてるだろう。
「戦国大名」なんて所詮学問的分類のひとつに過ぎない。
去年の茨城歴史館のテーマなんて、『戦国大名常陸真壁氏』だろ。
0651人間七七四年2011/01/10(月) 12:30:56ID:iPzwso/I
上杉は国人達に軍役かけられるぐらいの集権化に成功している
洞体制の諸氏とは全く違う
0652人間七七四年2011/01/10(月) 12:59:28ID:Y+z3XhUR
「戦国大名」という言葉をどれくらい広義に取るかの違いだから、
かみ合わないってさw
0653人間七七四年2011/01/10(月) 13:07:17ID:/CJlPUJw
つーか洞がどうこう言ってる>>651
まともに『戦国期東国の都市と権力』読んだことないだろw
0654人間七七四年2011/01/10(月) 15:28:51ID:iTTZS+Bs
>>653
謙信の天正年間の軍役と、成田小田佐竹の洞秩序による軍事力動員では質的に違うんでね?
兵科、人数、旗の指定まで行えた上杉氏と同列には扱えない。
0655人間七七四年2011/01/11(火) 21:23:35ID:X7SkqYSG
なるほど
0656人間七七四年2011/01/13(木) 12:45:13ID:7TAtuo7i
地元の佐竹領(常陸)はあまりにしょぼい城しかないから下野の豪族達の城ですら感動を覚えるわw
茂木城と黒羽城がお気に入り
常陸なら小幡城と笠間城かな

常陸太田城の北東に瑞竜という小山があるのだが、太田城と同じぐらいの高さあるし
あそこに付城造られたら危険過ぎると思ってたらやはり城があったんだね
小野崎氏の居城だったらしいけど(後に佐竹氏が接収)
僅か500mぐらいしかない所に他の勢力の居城があるというのも凄いな
0657人間七七四年2011/01/16(日) 10:36:34ID:gjPZqhJ9
wikiの矢板市関係の城にはキチが一人いるな
0658人間七七四年2011/01/17(月) 02:31:31ID:YDckX+6+
政宗厨は輝宗を不当に過小評価する一方で
葦名盛氏や佐竹義重を過大評価して
石高を大きく見せようとするアホだから。
0659人間七七四年2011/01/17(月) 09:56:24ID:hyXHDSTA
佐竹義重や蘆名盛氏を過大評価したって
政宗のマヌケぶりは変わらんだろ
0660人間七七四年2011/01/17(月) 10:53:27ID:/gFf1Ycl
subがんばってんな
0661人間七七四年2011/01/18(火) 13:25:16ID:jp7Nsj8r
>>656

> 僅か500mぐらいしかない所に他の勢力の居城があるというのも凄いな


きわめて珍しいというか類例はないと思う。
0662人間七七四年2011/01/26(水) 11:12:06ID:tVwZKars
すごいよねw
0663人間七七四年2011/02/03(木) 20:29:48ID:TTgP0lPd
ほしゅ
0664人間七七四年2011/02/03(木) 22:31:55ID:hu0Fl6U0
1558年の多功の戦い、1574年の金崎の戦い

って本当にあったのか?
どうも嘘くさい
0665仙台藩百姓2011/02/04(金) 15:06:12ID:q7Cty7cx
また始まったお( ^ω^)
「長尾に都合悪い事は全て無かった事にしたい病」が( ^ω^)
0666人間七七四年2011/02/04(金) 16:26:53ID:MJ+2yLh2
伊達上杉北条といった大物の厨は来ないでください
0667人間七七四年2011/02/04(金) 17:07:10ID:GAoRia6i
スレタイに入ってるけど佐竹もいらんと思う。専用スレあるんだし。
0668人間七七四年2011/02/05(土) 00:14:27ID:rZFtMDgI
>>664

あったことはあったが、戦果が誇張されている可能性もあると思う。
0669人間七七四年2011/02/05(土) 02:12:49ID:6H77klvl
影虎はともかく、勝頼は金崎原まで何をしに来たのかな?とは思う。
状況的にあんまり意味ないような。
0670人間七七四年2011/02/05(土) 13:17:53ID:CtIahwit
>>669

武威の誇示、ではないだろうか?
0671人間七七四年2011/02/15(火) 21:32:19ID:rHoy1K/J
だろうね
0672人間七七四年2011/02/17(木) 02:11:41ID:If62oVw9
宇都宮国綱→水戸宇都宮氏
結城朝勝→秋田宇都宮氏
芳賀高武→?
0673人間七七四年2011/02/23(水) 20:12:34.41ID:2OoMN3K7
宇都宮興廃記ってどこで読めるの?
0674人間七七四年2011/02/26(土) 15:44:51.20ID:8bpjuyua
栃木県立図書館で”宇都宮興廃記”で検索すると『下野史料36〜40』が
ヒットするのでそれで読めるかもしれない。ただ、内容がはっきりわからないので
最悪、『興廃記』の解説がちょろっとだけという可能性も。

ttp://www.geocities.jp/momiji0286/muramati.html
ttp://www.geocities.jp/momiji0286/sankousyoseki.html
こちら情報では『塩谷町史第二巻』に載っているとのこと。中近世資料編だから
期待はできそうだが、町に関わる部分だけを引いている恐れもある。

http://opac.library.tochigi.tochigi.jp/OPP1500?ID=4&SELDATA=TOSHO&SEARCHID=0&START=1&ORDER=ASC&ORDER_ITEM=SORT1-F&LISTCNT=20&MAXCNT=100&SEARCHMETHOD=DT_SEARCH&MENUNO=1
内容を見ると文献・戦記物語という項目がある。


ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~miyaya/bandou-nenpyou.htm
こちらは『宇都宮資料(正しくは史料)』から引いている。
『宇都宮史料』ならば県立図書館にあるよ。
0675人間七七四年2011/02/26(土) 20:18:44.86ID:o9kaitsN
>>674
ありがとう。知人が捜していたので
教えてあげたいと思います。
0676人間七七四年2011/02/26(土) 23:49:41.54ID:8bpjuyua
我ながらあまり役に立ったとは思えんw

ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~miyaya/bandou-nenpyou.htm
今日、結城関係調べてて↑のサイトにたどり着いたんだけど参考文献にある
『結城史料』なんて存在しないんだよ。おそらく『結城市史』の古代中世史料編
なんだと思うんだけど。だから『宇都宮資料』も別のタイトルの可能性があるというか
普通に『宇都宮市史』なのかもしれない。明日自分が行く図書館に『宇都宮市史』の
中世通史編・中世史料編があるようなので忘れなかったら調べてみる。
0677人間七七四年2011/02/26(土) 23:57:10.01ID:8bpjuyua
下野史料の39は確定っぽい。

39 宇都宮興廃記・日光山法度・宇都宮戦災世帯人口調
http://lib.ohtawara-city.jp/opac/wopc/pc/pages/SearchResultDetail.jsp?srv=&id=15043

初めから横断検索すればよかった。
その友達には宇都宮関係はまずこれで調べてみるよう言っといてw
http://kensaku.tochilib-unet.ocn.ne.jp/cgi-bin/ilisod/odplus.sh
0678人間七七四年2011/02/27(日) 18:36:33.85ID:4KqPBm1B
『宇都宮市史』があるのは同じ市内の別の図書館だと行ってから気づいたので
見られなかった。その知人の健闘を祈っておくw
0679人間七七四年2011/02/27(日) 18:46:55.98ID:+Uclff6t
知人が探してたんじゃなくて、てめえが探してたんだろって
0680人間七七四年2011/02/27(日) 22:30:21.52ID:4KqPBm1B
どっちでもいいや。
ちなみに今見てる結城市史に普通に『宇都宮興廃記』が引かれててワロタw
『下野国誌』所収と書いてある。
0681人間七七四年2011/02/28(月) 16:22:50.32ID:l2Qj7NLI
えーなんかキモいオヤジ
0682人間七七四年2011/03/16(水) 13:18:53.25ID:zzcVsu7W
岩城氏は
いまの常磐地域を治めたという認識でおk?
佐竹の一族?
0683人間七七四年2011/03/16(水) 17:01:43.57ID:yVWPBEpB
佐竹の一族ではないが縁戚関係
0684人間七七四年2011/03/24(木) 16:51:09.66ID:w2WxsdVu
結城・小山・小田・宇都宮 イマイチ連合
0685人間七七四年2011/03/26(土) 21:36:09.93ID:bCQJc62b
>>682
磐城の土地(国)じゃねえの?。

常磐は、常陸と磐城の頭文字をとった合成語。

0686人間七七四年2011/03/26(土) 23:05:32.39ID:mbsPW1aW
北茨城は、どっちの領地?
水戸?岩城?
0687人間七七四年2011/04/04(月) 11:55:23.46ID:TF/BxpT2
水戸
0688人間七七四年2011/04/04(月) 13:40:52.79ID:FRmHCab8
横田氏宍戸氏の行方を教えてください
0689人間七七四年2011/04/09(土) 01:28:41.08ID:F4P2iGas
教えてあげません
0690人間七七四年2011/04/16(土) 01:45:24.37ID:+RjiRgCC
>>609-610
守護・・・佐竹
半国守護・・・山入
旧守護・・・小田、宍戸(関東奉公衆)
守護格・・・大掾(吉田・行方・鹿島・真壁・南5郡、東条・方穂2荘、小栗保の棟別銭の徴収権)
京都扶持衆・・・真壁
関東奉公衆・・・

埋めて
0691人間七七四年2011/04/17(日) 01:36:34.27ID:Cvj2aWqe
守護格多すぎw
0692人間七七四年2011/04/17(日) 02:21:23.94ID:P9pCsfXu
>>690
真壁の家格って、結構良さそうだね。
下野の分布図も余力があれば何卒……。
0693人間七七四年2011/04/17(日) 03:23:10.53ID:tAbEBbmc
これだけ多けりゃ佐竹も頭が痛いな
0694人間七七四年2011/04/17(日) 17:16:33.15ID:pPRmDWrH
>>692
大掾氏族の中で飛びぬけているわけでもないし、京都扶持衆だったせいで辛酸を舐めている。

ただ、その真壁氏が天下が定まる頃には佐竹の外様家臣で第一の立場にまで
行くからわからない。
0695人間七七四年2011/04/18(月) 22:14:09.59ID:/KDbrktR
鬼真壁
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