【佐竹・小田】常陸下野の戦国大名【宇都宮・小山】
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2010/09/24(金) 01:48:17ID:5vUukf35水戸市史の理解は落第点と言ってもいいくらい、ちゃんと読めてない。
先ず重要なのは、この文書が、誰が誰に対して何の目的で出されたのかということだ。どうも水戸市史の
文章を見ると、旧佐竹領全体に対して「お触書」のような感じで出されたのだと考えているように見える。
しかしこれは『鹿島神宮文書』として伝わっているのであるから鹿島神宮に対して与えられたものである。
中世の「文書は受益者の元に到来する」のだ。従ってこの文書は鹿島神宮の関係する領域のみに効力を持つ。
さて本文。まず「在々」というのは村(東国では郷村ともいう)のこと。「(給人衆が)勝手に百姓を斬ったりした」と
水戸市史は書くが、もうこの時点でアウトである。「理不尽に人をき」っているのは在々(郷村)の百姓である。
何故そう言わなければならないのか?一条目で「理不尽に人をき」っているものは、水戸の奉行に断って
云々と書いているのに、二条目でもさらに「所々にて致狼藉者有之者」は急度めしからめて水戸奉行衆へ
申し上ぐべき、と書くのは明らかに重複であり、そもそも書く必要のないことである。
この一条目の解釈は、「郷村で理不尽に(村検断等の判断で)人をきっていると(鹿島神宮から)聞いたが、
もし上位権力がない為に罰則を与えられないものがいるならば、水戸奉行中に報告し、(主に水戸奉行中が)
道理を以って判断を下したにも関わらず、その公儀の判断を無視して我侭な振舞をするならば、それら従類共に
成敗を加えなさい」とするべきである。これは主に他郷村との争い等を起こさないようにとの文言であろう。
そうすると二条目もすんなり解ける。「犯罪を犯す狼藉者は捕縛して水戸奉行中へ報告を上げろ」そのまま。
三条目まで来ると分かるが、これは領主が相続されたり、替わった時に出される通例の禁制事項である。
この文書は、鹿島神宮の社領や佐竹が代官をしていた料所などでの意思統一を計ったもので、何かあった
場合には鹿島神宮が郷村へこの文書を見せて、こういう判断をすべきだと促すためのものなのだ。
郷村が人を斬っていたのは、上位権力である佐竹がいなくなったために村独自で裁判を行ったためなのだ。
また六月十四日の定書でも「給人衆は禁令にもかかわらず百姓に未進年貢などの催促」なんて書いているが、
そういう禁令を犯す行動をしている者が給人衆であるなんて事は、定書に一切書いてない。
「去年の年貢未進、借銭の取沙汰をしてはならない。人身の売買は停止する」この文言についても、
(そもそも去年というのが間違っているが……原文では「去(さる)」であって当年の夏年貢のことだろう)
領主が変わるために年貢の割り付け等も変わることを念頭に置いていると思われ、それで年貢を払えない者が、
借銭したり人を売ったりすると話がややこしくなるので、取り合えず停止ということだ。
ちなみにこの時期は太閤検地のあとであり、一般的に貸銭や人身売買によって富を集積していくのは
どちらかというと百姓であって、武士や給人であるところの侍ではないんじゃないだろうか。東国、しかも常陸だし。
こうしてみると、確かに水戸市史が給人とやらを悪者にして、地域の平和を乱していると恣意的に付け加えている。
水戸市史は昭和三十八年発刊らしいので、時代からいっても階級闘争史観真っ只中だから
まあこういう見方も仕方ないのかも知れないけど。
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