【佐竹・小田】常陸下野の戦国大名【宇都宮・小山】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 02:02:05ID:DVvJduHN常陸・下野の戦国時代を語りましょう
0405人間七七四年
2009/07/15(水) 02:24:08ID:/2DcVK9c真里谷武田信隆は1540年に死去。
水谷正村と宇都宮家所属(?)の武田信隆が戦ったのは1547年。
全くの別人と思われ。
てか宇都宮家の武田信隆って登場史料は軍記か家記のような気がしてならない。
実在は確認できるのか?
実在とすれば下野を根城とした国人領主クラスの家柄だろうな。
いずれにせよ甲斐武田氏の分家とか庶流に当たる(自称含む)とは思うが。
0406人間七七四年
2009/07/25(土) 15:08:55ID:RN1Wy7Hw0407人間七七四年
2009/08/03(月) 03:35:42ID:e880Py7I0408人間七七四年
2009/08/03(月) 11:35:46ID:jabTt11T0409人間七七四年
2009/08/08(土) 12:10:05ID:S64ivuT40410人間七七四年
2009/08/08(土) 16:34:25ID:kj31QM/e鎌倉時代、伊予は宇都宮氏の領国だぜ?
室町時代に北朝の河野氏に押されて守護職を失ったが、
大洲城を中心に勢力を保持しつづけた。
0411人間七七四年
2009/08/08(土) 16:43:56ID:OUqj18U6伊予宇都宮
下野宇都宮
他に居るかな
0412人間七七四年
2009/08/08(土) 18:02:02ID:S64ivuT4宇都宮氏にとって秀吉は最悪だよね。
藤堂高虎配下にでもなって伊予宇都宮氏だけは生き残れたの?
0413人間七七四年
2009/08/10(月) 21:34:58ID:uUdxd/em>豊前宇都宮氏って本家の下野宇都宮氏を心配しまくってるよね。
芳賀や壬生の問題に加えて尚綱戦死広綱幼少とかあったからな〜。
豊前の領主なのに下野のことを心配してどうするのかという気もするが、
一族思いだよな、長房w
>藤堂高虎配下にでもなって伊予宇都宮氏だけは生き残れたの?
豊綱の息子が小早川家に拾われたらしいが、よくわからん。
あと大洲宇都宮氏は庶流も少なくなったみたいだし、
一部は伊予の各藩士となった連中もいるんじゃないかな?
0414人間七七四年
2009/08/16(日) 16:44:55ID:TPKFIuEd宇都宮宗家は別に滅ぼされたわけではないから
一族臣下とも水戸藩など関東諸藩や久保田藩などに拾われて子孫は現在に至っている
高校の時に宇都宮系や那須系の人が結構いたな
前に仕事で数ヶ月大田原にいたのだが
大田原さんが物凄い数いたけどみんな一族なのだろうか…
0415人間七七四年
2009/08/20(木) 12:11:34ID:l/gN00GB藩主家の方は東京とかに出ている場合がほとんど(ちょっと前に、大田原家の
当主とそのご子息が地元の墓所を訪れたというニュースを見た)だけど、
庶流の、家臣となっていたような一門だったら、多少は地元に住んでいるのではないかな?
0416人間七七四年
2009/08/20(木) 17:52:30ID:JcH8hdV3やはり東京にいるんだね
明治政府も旧藩主を東京に住まわせたから地元に住んでる人は少ないんだよな
大田原の出張に行った会社ではぱっと見た所30人ぐらいは大田原さんがいた
まさか大田原氏のお膝元で明治に名乗った偽者はまずいないだろうから一応一族なんだろう
那須七騎も古い家だから分家がたくさんできたんだな
0417人間七七四年
2009/08/21(金) 19:01:56ID:0Ncdfj5k民主が国政第一党になる
↓
公明「外国人参政権などの党としての本懐で民主党と一致した」
民主、公明の連立政権成立
↓
国政での外国人参政権が成立
国政選挙で民主、公明、社民更なる躍進
↓
人権擁護法が与党の賛成多数により成立
行政、在日朝鮮人、中国人、宗教法人を批判すると罰せられる様になる
↓
国籍法の更なる緩和
日本国籍と生活保護資格だけ持つ、日本人の血が一滴も入ってない中国人が急増
↓
在日朝鮮系、中国人系の国会議員も出現
親中国の自民議員が民主に寝返る
自民党完全無力化、または解散消滅
↓
日本乗っ取り完了
「民主党の正体」 「ミコスマ」 「韓国は“なぜ”反日か?」で検索
0418人間七七四年
2009/08/29(土) 12:52:04ID:Ynu8LcPG0419人間七七四年
2009/09/04(金) 16:04:50ID:LWXZlizS0420人間七七四年
2009/09/05(土) 14:28:41ID:qCv2D76V0421仙台藩百姓
2009/09/05(土) 17:19:03ID:bOlFBvM2小山に住んでるお( ^ω^)
0422人間七七四年
2009/09/08(火) 00:34:06ID:vTTu4wKJ有名な話。
0424人間七七四年
2009/09/13(日) 12:56:43ID:CFOg11zz0425人間七七四年
2009/09/18(金) 15:33:28ID:1zIhVEFF0426人間七七四年
2009/09/24(木) 15:32:01ID:feklRCbA0427人間七七四年
2009/09/30(水) 15:33:29ID:dYjTt+EG0428人間七七四年
2009/09/30(水) 18:54:23ID:iYOuMIh6幕末では秋田で宇都宮氏分家のたけつなちゃんが
かなりの権力を握っていた。
http://www.pref.akita.lg.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1137043033313&SiteID=0
あとはそのころ、同じ家老で宇都宮氏一門の
松野つなとくちゃんも家老してるはず。
他にも宇都宮氏一門で誰かいるかもしれん。
いずれも、家康と浅野の謀略で本家本城を
奪われる様を見ているんだよなぁ。
そりゃあ倒幕したくてたまらんだろう、
なんてこともちょっと考えてしまった。
0429人間七七四年
2009/09/30(水) 23:43:50ID:eROydM0V0430人間七七四年
2009/10/08(木) 15:42:01ID:luzpfPPX0431人間七七四年
2009/10/14(水) 14:38:02ID:XjAJec5D0432人間七七四年
2009/10/14(水) 23:46:47ID:SoMj4F140433人間七七四年
2009/10/16(金) 10:24:48ID:GR/V4+qN0434人間七七四年
2009/10/17(土) 00:31:19ID:gw1gt68r0435人間七七四年
2009/10/23(金) 16:03:28ID:N0cMFcIm0436人間七七四年
2009/10/29(木) 15:44:46ID:xpd7rNOK0437人間七七四年
2009/11/04(水) 15:55:59ID:UcwDFKo60438人間七七四年
2009/11/10(火) 15:09:05ID:OEbZT7FW0439人間七七四年
2009/11/18(水) 15:31:57ID:XourJ+yz0440人間七七四年
2009/11/25(水) 16:07:17ID:cHMk97PG0441人間七七四年
2009/11/26(木) 16:28:36ID:18Ff0ZzU逆だろ。
野木宮合戦でまぐれ勝ちして身分不相応な守護職をもらってしまったのが不幸の始まり。
守護という有利な立場でありながら、全く勢力伸長できなかった。
室町期に本家は討伐されて滅亡。その後は事実上、分家結城の支配下。
領域は下都賀郡の東半分しか押さえていない。戦国期には何回も本拠が落城。
西半分の分家皆川ですら1万数千石という事は、小山は5万未満だろうな。
宇都宮には薬師寺を奪われ、一貫して主権を守った那須にも及ばず、上杉北条に大健闘した佐野未満の小山。
0442人間七七四年
2009/12/07(月) 01:48:29ID:neftw+AW0443人間七七四年
2009/12/07(月) 10:17:33ID:gGHGiPWn資清や高増ら三代はかなりのやり手だな
那須七党の内、四党を支配して大名家を二つも残したのだからたいしたものだよ
まあ、主家にとっては凶悪極まりないだろうけどw
0444人間七七四年
2009/12/07(月) 22:18:25ID:RhaFYxT7那須家の存亡に関わる自体に必ず一枚噛んでる印象だが、悪い方で
0445人間七七四年
2009/12/08(火) 14:34:33ID:5rnkkOnC3兄弟以前にも千本親子に誘殺されてたり、なめられまくりだな。
ただ、小田原征伐に関しては明らかに主家の失態。
遅参してなければ七党を支配下に置くのを公認されただろうに。
0446人間七七四年
2009/12/09(水) 23:54:00ID:RtwNTLR/0447人間七七四年
2009/12/12(土) 16:27:24ID:aFfjDo380448人間七七四年
2009/12/12(土) 22:01:57ID:evuVZCMD0449人間七七四年
2009/12/14(月) 19:02:29ID:Qvsh8AuD主家の小田氏が越前松平氏の陪臣(千石)におさまった事を考えれば
菅谷氏は五千石という大身の旗本になれたのだから勝ち組だ
0450人間七七四年
2009/12/18(金) 14:57:12ID:+KnLqQFE0451人間七七四年
2009/12/26(土) 11:16:06ID:4aH81Ara小田氏や宇都宮氏は旗本になった元家臣に平伏しなくてはならなくなった
相馬氏とか那須氏みたいに意地でも江戸に上って御家再興を訴えるべきだったね
0452人間七七四年
2009/12/28(月) 07:50:19ID:PXmEJnij0453人間七七四年
2009/12/28(月) 08:32:45ID:/m5zSggu知行が万石未満・直参で、将軍御目見得ができるのが旗本、できないのが御家人。
石高の多少による旗本・御家人の区分は無いはずだが?
因みに五千石未満を御家人とする説は誰が言ってるんだ?
武鑑にでも書いてあるのか?
一千石以上の知行を持つ御家人なんていたっけ?
0454人間七七四年
2010/01/10(日) 23:57:18ID:eyRtCmjY鷲子山塊と鶏足山塊が邪魔で那珂川沿いの渓谷みたいな所みたいな細い道からしか兵を入れれない。
防衛戦なら勝ち目はあったかも分からん。
0455人間七七四年
2010/01/21(木) 09:42:38ID:V7aLGsBc今だと常陸大宮の鷲子から一直線に烏山城下に入れるけど
佐竹の侵攻経路を見ると遥か数十キロを迂回して黒羽や茂木から攻めている事が多い
何でわざわざそんな事するのか疑問に思っていたが、地形を見てみたら一目瞭然だった
烏山から見て常陸側は那珂川と山地が国境を分断していてしかも絶壁が続いている
今でこそ山を削り道を作って橋をかけてあるから通行できるが
近代以前(戦後まで渡し舟があったらしい)は烏山付近に軍勢が渡河できるようなポイントがない
鷲子→武茂→興野から渡河する経路もあるが、これだと烏山城の眼前を渡河する事になり
当然、那須勢が対岸で待ち受けるわけで一番危険な渡河中の攻撃に曝される
実際に佐竹義久などがこれで撃退されている
渡河しても烏山城は急坂に囲まれた台地の上にある山に築かれており非常に攻め難い
西の宇都宮方面や南の茂木方面も難路があり烏山は凄く良いところに築城したと思う
0456人間七七四年
2010/01/24(日) 13:36:48ID:91cIKkTe0457人間七七四年
2010/02/21(日) 08:52:25ID:k3WCd2W1八幡山とかを拠点にすればいいのに何であんな平地に築城したのか謎だ
0458人間七七四年
2010/03/04(木) 09:28:10ID:GJfd28Dl宇都宮城って 結構平和だったからねw
0459人間七七四年
2010/03/07(日) 12:32:32ID:OQRnEWtX0460人間七七四年
2010/03/28(日) 10:54:02ID:wHN/EDSJ0461仙台藩百姓
2010/04/30(金) 15:30:36ID:Sf7joQux八幡山あたりは寺社が多かったし、宇都宮氏は元々二荒山神社の神職でもあったから
二荒山の真っ正面に居館を構えたのだお( ^ω^)
戦国末期に多気山へ大規模な詰城を整備したとはいえ多気山は城下町まで移動するには不適だし
結局宇都宮城も落城する事はなかったから平城とはいえ大規模に改修されて堅固だったのだおうね( ^ω^)
0462人間七七四年
2010/05/01(土) 03:06:59ID:3R/k0SpO40代ぐらいでもう隠居してたみたいだが。
0463仙台藩百姓
2010/05/01(土) 07:27:38ID:PGWW2Q7w高定の場合は初めから実子ではなく高継に家督を継承させるつもりで
実子との間で家督争いが起きぬよう早めに隠居して高継を後見した
若しくは、芳賀家中からそういう声が挙がった
といったところではないかお( ^ω^)
0464人間七七四年
2010/05/01(土) 18:59:19ID:3R/k0SpOやっぱり芳賀家中ではそう強い地盤が無かったって事なんだろうか。
0465人間七七四年
2010/05/02(日) 01:44:54ID:F97+A0Zq0466人間七七四年
2010/05/03(月) 12:16:22ID:Q4mjokfo0467人間七七四年
2010/05/10(月) 20:58:29ID:PN5zPWaWなんも知らずによく遊んでたんだけど、そこは宇都宮氏と小山氏が
戦った、茂原(多分感じ違ってますw)の戦いの時戦死した無名の武士
をまつった所なんだそうな、宇都宮最南部の茂原町にあります、
0468人間七七四年
2010/05/18(火) 21:16:39ID:KXhgPQ4x岩田選書◎地域の中世G
松本 一夫 著
(栃木県立文書館館長補佐)
第1章* 中世における下野の位置
−地政学的アプローチ
(奥州との境界/分権性)
第2章 寒河尼−女性地頭の功績
(頼朝の乳母として/寒河尼の「大功」)
第3章 南北朝〜室町中期における足利庄支配
(観応擾乱期/南北朝後期/室町前期/室町中期)
第4章 南北朝・室町前期における茂木氏の動向
−上級権力との関係を中心に
(軍事指揮系統/周辺諸勢力との関係/室町幕府・鎌倉府との関係/
鎌倉公方足利持氏との関係)
第5章 「茂木文書」調査報告
(保存の状況/伝来の経緯/若干の古文書学的所見)
補論1* 茂木氏と東茂木保−鎌倉・南北朝期を中心に
補論2* 茂木賢安の置文
補論3 南北朝初期における茂木氏と佐竹氏の交流
第6章 鎌倉末〜室町期の宇都宮一族
−「宇都宮」を名乗った人々
(宇都宮(芳賀)高久/高貞(弾正少弼家)/左衛門佐(尉)/高有/伊与守家綱)
第7章 南北朝期の越後守護代芳賀氏をめぐって
(文和三・四年段階における文書の伝達ルート/
芳賀高貞・高家は同格か/賀氏発給文書の特質とその意味)芳
第8章 花押の謎
(桃井直常と貞直/山朝氏と桃井六郎/小女性が証判を加えた軍忠状)
第9章 下野中世史研究の回顧と展望
−『栃木県史』以降
(領主権力論/土豪論/室町期の全体的動向/
都市・交通論/荘園支配関係/宗教史)
0469人間七七四年
2010/05/18(火) 21:18:22ID:KXhgPQ4x2010年5月刊
A5判・222頁・並製本・カバー装
ISBN978-4-87294-616-1 C3321
2800円 (税別)
0470人間七七四年
2010/06/03(木) 17:07:37ID:RIP2LLf7戦国時代に大吟醸とかなかったんじゃ…
0471人間七七四年
2010/06/23(水) 22:42:32ID:rUNvThIF俺の持ってる群書類従じゃ六郎高晴になってるんだよな。
wikiのソースは塩谷町史っぽいけど、大元は何が出典なんだろう。
同一人物って認識でいいんだろうか。
0472人間七七四年
2010/07/02(金) 13:08:36ID:5Diz0XYH0473人間七七四年
2010/07/14(水) 10:26:40ID:M0e1mz3x太平記(尊氏)は栃木にカウントかな?
戦国常陸下野で大河は厳しいな…
せいぜい小田原北条の敵役で出て来るぐらいが限界か
平将門vs藤原秀郷なら両国出れるな
0474人間七七四年
2010/07/25(日) 22:44:42ID:a4jLh1U+http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1235224540/l50
0475人間七七四年
2010/07/28(水) 14:00:57ID:AaONKo+6平将門はもうやってる。「風と雲と虹と」というやつ。
慶喜と将門で茨城は二度大河の舞台になっているということだな。
0476人間七七四年
2010/07/30(金) 08:32:59ID:Bv9edpKQ・宇都宮三代(尚綱・広綱・国綱)
・佐竹三代(義昭・義重・義宣)
・那須三代(高資・資胤・資晴)
・那須七騎(大関高増を中心に描く)
・小田氏治(ある意味ネタが豊富)
・古河公方(晴氏、藤氏、義氏、藤政)
・結城晴朝(+結城四天)
0477人間七七四年
2010/08/15(日) 08:46:47ID:znaiDCJ20478人間七七四年
2010/08/15(日) 12:04:14ID:8cZc3aORしかも作った炎立つ、琉球の風、花の乱は視聴率悪く評判も悪かった。
個人的には炎立つは源氏の奥州への野望が面白く、花の乱も日野富子を中心に暗い話ばっかだったものの面白かったのだが。
特に応仁の乱は終わったものの混乱は拡大し最後のテロップで信長の登場までまだまだずいぶんあるみたいなことが表示され、まったく救われない終わり方が良かった。
茨城は幕末の水戸、栃木は足利尊氏があるから良いが群馬は新田義貞が微妙だから悲惨だな。もう剣聖を主人公にするしかw
もっとも実は尊氏が住んでたのは母の実家の京の上杉邸か人質として鎌倉にいたかのどちらかで足利庄に行った事はないらしいw
0479人間七七四年
2010/08/15(日) 23:13:09ID:2UIbZ9Yf水戸人だけど、足利行って、どうして足利の遺跡ってほとんど残ってないのか聞いてみたら
南朝が正統とされ、足利は最近まで逆賊扱いだったからと言われた。
水戸学が果たした負の役割が大きいとも。
そう考えると、21世紀の現在、足利と水戸が組んで世界遺産の招致を狙ってるのは歴史の皮肉だね。
0480人間七七四年
2010/08/17(火) 20:30:15ID:s1by1oHv水戸人と足利人にしてみりゃ今更知ったこっちゃないよ
元々何か恨みがあるわけじゃあるまいし
水戸家中の我が家としてはむしろ水戸家に恨みがあるw
0482人間七七四年
2010/08/24(火) 09:43:45ID:jtNKfxEX逆恨み?言葉の意味分かってるの?w
水戸家の当主が代々暗愚だったのは事実
水戸藩の悪政は藩士ですら批判している
外様なら間違いなく取り潰し対象だが、御三家だから幕府も見てみぬ振りをするという最悪な状態だった
どうあがいても言い逃れは出来ない
0483人間七七四年
2010/08/24(火) 19:22:55ID:W2nKfdo0それを補佐する水戸藩士も徒党を組んで私闘ばかりで
水戸ってほんとどうしようもないということだけはよく分かった。
水戸はどうあがいても言い逃れはできないな。
0484人間七七四年
2010/08/24(火) 20:49:41ID:jtNKfxEX水戸藩は終始統治が定まらず本当に救いようがない
結局藩政改革やったのだって他所から来た人物ばかりだし
まあ、一番の罪は身内贔屓で放置した幕府にあるけど
0485人間七七四年
2010/09/12(日) 13:53:27ID:Iles2dR30486人間七七四年
2010/09/12(日) 13:59:06ID:O63dT8eT0487人間七七四年
2010/09/13(月) 23:35:09ID:PhcmA+xF0490人間七七四年
2010/09/15(水) 18:57:12ID:DYsartF/0491人間七七四年
2010/09/16(木) 00:23:06ID:Pr8byTCS不思議だね。
0492人間七七四年
2010/09/16(木) 20:55:47ID:VAePkQH2家康や上杉や前田や三成を紹介してもらう人脈がないと王手だしな。
0493人間七七四年
2010/09/16(木) 21:49:42ID:3Sz1Kh7F南郡の零細領主は、どうあがいても亡くされる運命にあるんだよ。
特に地方は中央からの目が届きにくいので、中央に比べてより大きなブロックで
大名の所領が形成される傾向にある。実はもうほとんど郡県制と変らないレベルで、
中身が民主的な手続きを経て選ばれた首長ではなく封建領主だというだけのもの。
また南郡仕置も、豊臣政権によって所領が「与えられた」地方の大名の全てが佐竹と同じように
凄惨な暗殺をしているわけではないので、恐らく義宣の決定でこういうことになったと思われる。
これをしなければしないで肥後や奥州みたいな地侍蜂起に繋がった可能性があるので、
一概にダメだったとも言えない。死んだ人たちはかわいそうだったけれども。
0494人間七七四年
2010/09/16(木) 22:05:34ID:kzOxco7a0495人間七七四年
2010/09/16(木) 22:46:39ID:v1pJRJhH0496人間七七四年
2010/09/17(金) 20:04:37ID:nYuOp1160497人間七七四年
2010/09/18(土) 00:24:01ID:f5wL+TE+佐竹がこんなにあざやかに勝ったり殺したりしたこと、他にあるのかな?
0498人間七七四年
2010/09/18(土) 07:46:34ID:Zj5E05LTやむをえず血を流しただけ。
0499人間七七四年
2010/09/18(土) 09:15:54ID:FW58ulb5佐竹の場合は私的な権力の拡大と領土欲という私利私欲のための醜い流血。
0501人間七七四年
2010/09/18(土) 17:18:02ID:6cd+Zqmp誰にも命じられず率先して嬉々としてやった余所者水戸藩
0502人間七七四年
2010/09/20(月) 13:31:59ID:sfJn+RVV0503人間七七四年
2010/09/20(月) 14:18:57ID:iB7baYpM0504人間七七四年
2010/09/20(月) 19:16:30ID:sfJn+RVV■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています