毛利家が天下を取るには
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 02:19:07ID:y1ZtxQc4武田家なんかよりよっぽど可能性があると思うが、どうか。
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 02:22:49ID:eDRsVSYo石高は少ない。
銀山などで収入には恵まれていたようだが。
0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 02:26:05ID:8kO/aKtt0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 03:29:49ID:U/ZiC8Ds0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 07:37:23ID:Agsr1R2Pいかんせん輝元がガキすぎて、家のまとまりに不安があった。
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 16:32:21ID:D3UAfcda後は秀頼公の守役となりキャスティングボードを握る、天下の2として生き残る。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 18:44:08ID:GYL6Cwo7ムリムリ
まぁ頑張れって感じだね
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 19:07:14ID:tZwWs1ib中国でじっとしてれば、自然と転がり込んでくる
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 19:09:12ID:QfthvKK5それが一番ベターな毛利の天下だろうね。
一応豊臣摂関家を頂く執権として事実上の武家の棟梁となり
しかも元就の遺言に一応そむいていないw。
毛利が天下を望んだんじゃなく豊臣の天下を護持して
あと縁戚関係でそれを乗っ取った。
まさに元就好みの天下取り
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 19:11:26ID:EA2gFxtv平成の今まで長州藩の連中は甘い汁を吸えるぞ。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 19:23:39ID:HQSqmV1Cまあ、実質的に天下を取ったよなw
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 19:29:33ID:eDRsVSYo0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 00:28:55ID:md2beA4l0014奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/08/22(火) 22:28:00ID:tTrxbVBZ0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/23(水) 17:49:13ID:+tKOnZAbその時九州から撤兵しているが、その時点で戦略を東に向けていればと・・・
もともと毛利は地政学的に有利な点が多い。
一、北、西、南と海に囲まれていて攻められにくい。
一、大内、尼子と倒し、残る強敵大友は九州で手一杯。
一、瀬戸内の制海権を握っていて京への距離が実際よりも近い。
その他にも
一、下っ端国人からの成り上がりで、伝統、しがらみが少ない。
一、家中の大物、吉川、小早川が叔父さんで仲良し。
後を継いですぐって訳には行かないだろうけど、両川に支えられながら
信長討伐令って言う大義名分をもって東上すれば道中の大名も味方になり
3万の大軍で入京。武田の始動もちょっとだけ早まり織田は美濃まで撤退。
長門、周防、石見、安芸、備後、出雲、隠岐、伯耆、因幡、美作、備中
和泉、河内、山城14国を支配する毛利 (*゚д゚*)モエー
元就が余計な遺言残さなければと・・・
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 04:19:38ID:a8ag/IN6両川が「輝元は阿呆だからだめだ」
って言ってるから。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 16:29:31ID:Tx0cj5gO毛利の支配できる能力限界。
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 17:01:11ID:ngyQRH/7まあ九州の方向に固執したら畿内は遠のくと思うけど。
両川が兄に従うという形で、一枚岩の状態なら相当展望は明るかったと思うんだが。
隆元急死で、すべてご破算というかなんというか。
輝元が幼少で、両川が主導権握り始めると本家の力がおちて、内紛という状態に
なるかもわからんので、元就としては外を向かず外敵にそなえよとの方針だった
んではなかろうか。元就死後外に向かうとなれば、元春か隆景のどっちかが
主導的な立場にならざるをおえんだろし、あの二人の性格からして行く先は決裂・分裂
って方向は十二分にありえるからな。返す返すも隆元が生きてたらどうなっていたかは
気になるなー。1523年生まれで信玄より二つ上か。 信長あたりとも
老獪に戦えそうな感じはあるよな。
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 17:06:42ID:fNBpDd2V毛利両川が上手く機能したのは、
元就という重石あるいは保護欲をそそられる甥の輝元という存在故だと思う。
むしろ実に良い時期に死んだ。
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 20:55:05ID:BrD9fWgz当主と同等の発言力を家臣も持っていたらしいな
隆元に家臣が「俺たちがお前を持ち上げてるからお前は当主でいられるんだぞ」
と言ってる記述が残ってるとか
連判状も横ではなく輪にして書くのが毛利流だそうだ
横だと後先があるが、輪だとそれがない
毛利家では上下関係をなくすため輪の連判状なんだとよ
0021奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/08/30(水) 20:57:46ID:zEtBftvc0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 21:01:45ID:J/x9dh+G元就時代は土豪小大名の連合体以外の何者でもないからな>毛利家
それが急速な拡大も可能にしたし、逆に成長の限界も作ってしまった。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 10:44:08ID:sBSHaRmmその弱点を補うには関が原戦後の処分おまたないといけなかったんだな。
毛利に“東海筋の徳川の関東移封”に匹敵するものがあればよかったわけだ。
となると秀吉からの輝元への九州移封の打診をうけていれば
よかったんだな。
まんざら悪い話でもなかったわけだし。
石見と長門周防をそのままで九州の筑前筑後豊前豊後と四国の伊予を中国筋に代わりに宛がう
ってんだから瀬戸内の制海権と石見をそのまま交易の要衝筑前とかを手に出来て
しかも近世的大名への脱皮も、大規模移封にともなう再編で可能になったわけだし。
そもそも小早川隆景が秀秋を養子に受け入れざるを得なかった理由が
毛利一族の九州移封を阻止したためのやむをえない政治的譲歩だったともいうし・・
この話を受けていれば小早川家の当主も秀包となってたろうし・・
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 16:46:10ID:QFAdphVh0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 12:46:09ID:RfVS7tT0まったく同感。
追撃すれば羽柴部隊を壊滅できていた。
その後、毛利連合軍が明智軍を殲滅すれば
畿内を掌握できたのではないか。
柴田だの徳川だのは敵ではない。
元春・隆景・輝元が元就なみに勇猛果敢であれば
羽柴ごとき下賎な輩に臣従せずにすんだのに・・・
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 02:43:46ID:kv9OBpxhまずその連合体を解消して、織田家のように
毛利家を頂点にした形にしなければ、話は進まないんじゃ?
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 13:38:12ID:Z1QuI6/m元就が九州に見切りをつけ、大友は放っておく(もしくは停戦)。
元就死ぬも隆元奇跡の長生き。
宇喜多を先鋒にドンドン東へ進み、播磨ゲト。と、同時に黒田ウマー。
その後荒木も裏切り摂津ゲト。
秀吉が攻めてくるのに苦戦して停滞。
ここで、本能寺起きる。
秀吉が明智に勝つが、疲弊した秀吉を柴田と挟み撃ち。
山城ゲト。
この間四国を毛利水軍で閉じ込めておく。
ここで飽きた。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 01:37:36ID:fYFxRVqd戦線が伸びすぎないか?ソレ
畿内まで進出したとして、ソコに常駐軍を当面は置かねばなるまい
すると本国の守りは?生産は?補給線は?と言うことになる
仮に畿内まで進出しても、撤退するしか道が無い気がする
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 05:52:38ID:wSiUniog本願寺にも別所氏にも鳥取城にも物資運んでるから。
運ぶ物資が用意できるのならばだけどね。
でも播磨の赤松氏は早い段階で織田に付いてるからなぁ。
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 08:08:50ID:86fQa+vW元就がこう遺言していれば・・・
「我が魂を毛利庄へ導くべし」
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 12:19:10ID:tlVWS1lk畿内制圧・室町幕府殲滅に向ければよかったのだ。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 13:29:22ID:zYhOVBKjなんて考え甘すぎじゃないか。
まあ成功したが。
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 13:56:47ID:2nCmKKNh幕末あたりの長州藩は毛利家自体はほとんど政務を取ってないからな。
まあ多くの藩がそうなんだけど。
長州藩が天下取ったと言えても毛利家が天下取ったとは言いがたい。
つーかマジレスするの野暮だったかな。
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 14:41:20ID:1wTP1yux逆にあれだけの領地がありながら天下を狙わせず
天下人の重鎮となるって元就の戦略と実行した息子達こそが凄いんだよ。
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 15:39:13ID:zYhOVBKjそう、輝元はすごい。
支えた叔父もすごいわ。
領地は削られたが、生き残った。
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 17:55:13ID:8q9IRUvm天下を取る方法?
そんなの天下は狙わず適当にその時の王者に屈しつつその王者が倒れそうな隙を狙う
歴史がそれを証明している
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 18:11:24ID:2nCmKKNhだから、それは違う。
幕末に天下を取ったのは長州藩であり毛利家ではない。
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 18:33:04ID:499suCTi0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 19:13:48ID:zYhOVBKj0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 19:35:38ID:qivmjpOL毛利連合軍は室町将軍家に総攻撃を仕掛けるべきだった。
室町将軍直属軍なんて高が知れてるんだから
室町将軍家もろともたやすく全滅できただろう。
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 19:55:43ID:se8qTOxh0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 20:27:44ID:2nCmKKNh秀秋は関係ないだろう。
毛利は秀秋のいる小早川家を掌握してない。
むしろ取られただけ。
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 22:41:31ID:oQZoWFZz0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 01:36:32ID:MNxQVmNu後々災いの種にもなりかねないと常々考えていたらしく、秀秋にこれ幸いと家督を譲った。
一連の養子問題も諸説あって、一族勢力を欲していた秀吉と
上手いこと自領を処理したがっていた隆景の思惑が一致したからというのも結構有力みたい。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 03:58:06ID:Qdm5vo4Jまず
・元就死後もイケイケで勢力拡大路線で突っ走って京に上洛する
当時、畿内に敵らしい敵はいないので(三好くらい)容易に上洛出来たはず
・本能寺の変後、光秀と手を結び、秀吉軍を追撃する。
そのまま、柴田、丹羽と織田残党勢力を倒して行けば、織田領も支配でき
しかも、他の大名から見れば織田を滅ぼしてくれた救世主として支持される
・関ヶ原で徳川本陣に突入する
全部、確率高く成功できると思うけど、全ては隆元の早死にと輝元の無能が原因だね
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 04:23:30ID:Qdm5vo4Jこの場合、史実と違い、信長は京に上洛出来ないのだから飛躍的な成長ができない
なので最大の敵と言えば武田になるが、毛利家は将軍を擁し、中国、畿内と制圧してる為
双方の戦力差は圧倒的。毛利は普通に天下取れるだろう
次のチャンスは諸大名の共通の敵である信長勢力を討伐するのだから各大名の支持を受けれるのは必定
織田各軍団長を討伐する際は、まず家康は北条と挟み撃ち。柴田は、明智・上杉と挟み撃ち
この場合、最大の敵が九州を制圧しイケイケの島津。そして東北の伊達
島津は長宗我部と協力し、制圧。残る伊達は史実通り降伏するだろう
これで、九州、中国、畿内、東海を支配下に置いた毛利
関東の北条、北陸の上杉、四国の長宗我部、東北の伊達と毛利連合政権ができる
最後のチャンスは、まさに西軍の総大将として家康を討ち取るのだから
戦後は豊臣政権で敵なしの一大勢力になれ、三成も逆らえない存在になるだろう
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 05:00:13ID:YX+p2Wnu0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 06:34:18ID:QaLb/aXVまず地理から勉強しような。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 06:42:47ID:kIXPl7E2あんたは数個前のレスも読んでないんだな。
あんたは斬新な意見と思って描いたのかもしれないが、
それは腐る程聞いた、散々、既出のネタ。
そして、それは毛利家ではなく長州藩が取ったというのも散々、既出の反論。
実際、幕末の毛利家は政務にはほとんどかかわってなかったし。
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 06:51:45ID:edxIkUpL同意。
てか、長州だけじゃなくて、
薩長土肥、その他諸々の諸藩が活躍したのであって、
毛利が天下をとったわけじゃない。
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 07:10:58ID:kIXPl7E2>ぶっちゃけ幕末まで待てば
>平成の今まで長州藩の連中は甘い汁を吸えるぞ。
今更だが、ちと指摘。
明治維新の時に起きた萩の乱、神風連の乱、西南戦争といった不平士族の乱が何で起きたか知ってる?
それは早い話しが長州藩や薩摩藩の士族の大部分が実は甘い汁をすえなかったからだ。
そもそも、薩摩長州などの倒幕運動に参加した大部分の志士たちの動機が
実は歴史小説などで書かれているような崇高なもの(例えば四民平等とか新しい日本とか)ではない。
ごく一部の思想や抗争を持っていた人間以外は戦国武士と同じような概念しかもってなかった。
つまり、大部分の幕末志士たちの意識はようするに「藩対抗天下取り合戦」でしかなかった。(続く)
005251
2006/10/03(火) 07:18:21ID:kIXPl7E2関が原後の勝ち組武士のようにたくさん所領を貰って豊かな暮らしが出来ると考えてたが
実際に来た明治維新の世の中は想像とは遥かにに違うものだった。
ごく一部の上級武士やの功労者は爵位を貰ったり政職についたりもしたし、
他に警官や軍隊などでうまくやった者もいたが、
大部分の武士は路頭に迷い、しかも廃刀令やら四民平等など武士の誇りを取り上げる政策がふりかかってきた。
それでも、いわゆる負け組の武士はそれでよかった。
なぜなら「自分たちはどうせ負けたんだから酷い目に合わされても仕方ない」と考えたからだ。
しかし、勝ち組の筈の薩摩・長州の武士はそうもいかない、
「自分たちは勝った筈なのになんで、こんな世の中になったんだ。何でこんな目に合うんだ」と屈辱を感じ反乱を起こしたというわけ。
皮肉なもんだね。負け組よりも勝ち組の方が結局は不幸になってしまうとは。
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 14:17:32ID:ty3XsOAy元就が死んだのっていつだか知ってる?
どうして、隆景が追撃を留めたか知ってる?そもそも何故毛利は領国の半分を
差し出すなんていう講和条約を結ぼうとしていたか知ってる?
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 16:09:35ID:5F++t/V1>領国の半分を差し出す
講和などではなく、事実上の全面降伏だな・・・
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 16:38:33ID:I4QFfwzK(世界と呼ぶには狭すぎるが
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 18:50:10ID:kIXPl7E2ちょっと違うな。毛利が割譲する毛利領東部の五カ国とは
毛利の武威に屈して配下になった諸豪族の割拠する土地で
実を言うと毛利にはあまり取られても痛くない土地だった。
ましてや毛利は天下を狙ってないし。
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 19:05:41ID:/MtUBWWx毛利が秀吉を追撃できなかったのは羽柴軍が高松城に貯まってた水を
工夫して毛利軍の東側に放水したかららしいな。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 19:16:14ID:wHhbTZDs0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 20:22:29ID:jox8OYa2のちの話だが
割譲された5ヶ国に代わり九州四国征伐の恩賞として
伊予、豊前、筑前、筑後、肥後を与える予定だったそうだ。
そのうち
伊予35万石を小早川隆景
筑前35万石は吉川元長
に与え独立大名の格式として扱う
いわば上杉家での直江のように石高と与える国を
毛利両川には秀吉自らが指定する方式が予定されてたそうだ。
この話は小早川隆景が阻止したといわれ、そのせいで
徳川を関東に、毛利を九州に遠ざける豊臣の戦略は半分しか実現しなかった
そうな。
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 20:49:18ID:YX+p2Wnu天下取らせたんだから満足しろ
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 20:51:00ID:KbCwUjHx0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 21:25:40ID:jox8OYa2輝元の責任よりも当時の毛利家のお家事情のがでかいとおもう。
輝元と秀元との微妙な関係
毛利両川の関係や
傘連判に代表される一揆寄合体制を脱却しきれない
といった弱点を克服しきれないままに突き進んでいたのだから。
個人の器量に問うのは酷だろう。
逆にいえば運であれ関が原に勝利すれば事態は変わったかもな
全国規模の再編や転封の命令権と豊臣の威光を背景に天下の政務に口出しだから
秀元と吉川はじめ小うるさい古株を体よく恩賞代わりに独立大名として
出してしまい、毛利家中は関が原に勝利した大将輝元の名のもと集権化とか
一気に体質改善できたかもしれない。
古い体質のまま室町幕府の管領細川家のような有様になるかも知れんけど
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 00:59:00ID:zNbS1zHhしてたら事態は変わってた可能性はあると思う。各織田包囲網と連携し、秀吉撃退>近畿蹂躙>
>織田本隊及び明智撃破(できればの話)>織田遠征軍を上杉等と挟撃、各個撃破
あるいは、秀吉中国大返しの際の和平を破り追撃>明智撃破。
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 20:29:57ID:acaxB8ru信玄が健在なときは謙信は信長の同盟者。謙信が織田と敵対したときには
本願寺とも組んで織田と戦ったが勝てなかった。
Ifを語るにしても、まず史実は押えておこうよ。
006563
2006/10/04(水) 21:03:44ID:zNbS1zHhスマソ・・・・。俺、消防逝ってきマス!
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 20:48:21ID:WrVsFLLx戦国時代から大名家はただの家ではなく、一個の法人みたいなもの
織田家等の特殊な家以外、当主の個人所有とはいいがたかった
長州藩を毛利家と称すのは、間違いじゃないと思う
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 22:56:02ID:+wDSu6x4やはり毛利幕府
征夷大将軍 毛利輝元
管領 小早川隆景
あたりか?
幕府所在地は安芸じゃ不便だよな
やはり大阪か?
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 23:50:03ID:CXLL4Mr7隆景を管領にするはずはないのでは?
管領とはあくまで「家臣」の役職。
隆景は養子に出されたとはいえ元就の息子。
隆景だってそれは願い下げでしょう。
管領は桂・熊谷・宍戸などから出すのが妥当かと。
0069奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/10/06(金) 00:29:47ID:qMV6S+z40070農民
2006/10/06(金) 01:16:03ID:l91F8sjG京都所司代・兼任で軍艦奉行で海戦担当 →小早川隆景
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 01:21:37ID:GyREBwoX0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 01:25:48ID:H00sBzh7ヒッヒッヒッ・・
チンギスもーんと世界から賞賛される
大国家を樹立してくれたはずです
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 01:27:05ID:8EAPlsLB鎖国というよりも明に朝貢して中国貿易を幕府独占
東南アジアの日本人町も黙認して交易網に組み入れていくくらいか?
江戸幕府のような貿易独占はやる可能性があるが
徳川よりもよほど積極的な貿易振興はやったと思う。
秀吉ほど無計画でも無かろうから大明征伐はなさそうだが
対中国貿易と南蛮貿易の旨みを独占する為
そのうちイスパニアやポルトガルと衝突して東南アジアに外征くらいか?
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 02:12:47ID:sry5A/j+ありえない。なぜ徳川幕府が鎖国(貿易規制の意)をしたのかぜんぜんわかってないな。
当時の日本の輸出品は銀と奴隷だけだ。つまり単なる資本の流出。マクロ経済の観点でみれば
貿易収支は大赤字だ。つまり、買い手一方の貿易になってしまう。
つまり当時の日本は国際的な競争力がなかったわけだ。陶磁器や織物や茶や生糸などの商品は
中国や朝鮮が高品質のものを生産していたからな。それらを仲介した海賊(松浦等)や一部の大
名がうまい汁はすうことはできても、マクロ的観点で長期的にみれば、当時の日本の貿易はま
ったくうまみがない。
007574
2006/10/06(金) 02:29:30ID:sry5A/j+後に明も鎖国を試みる。これは地方の郷神たちが勝手に銀や明発行の銅銭や
銀銭を退蔵させ、私鋳銭をつくりだし、海外貿易や地方での商売につかいだ
したからだ。この結果、明の国家としての貨幣経済は崩壊し、租税徴収に困
難をきたすようになった。当然中央政府としての権力は弱まり、鎖国も名ば
かりのものとなってしまう。この体質は清にかわってもかわらず、結果中央
政府の権力を弱く、列強諸外国の食い物にされたのは歴史のとおりだ。
貿易、貿易といっても今のようなドル建ての為替レートがないような時代だ
からマクロ経済てきにはとても難しいものだったのだよ。徳川幕府の米建政
権にはこういった背景がある。
007674
2006/10/06(金) 02:47:38ID:sry5A/j+毛利が九州にとらわれなければ天下が狙えたという意見がいくつかあるが、ありえない。
大友を無視または和睦できるはずがない。毛利と大友は結局商人だったのだよ。
74でいってる貿易でうまい汁をすっていた大名の大内家の遺産を狙って、骨肉の争い
をしていたのだから。結局毛利は政治家ではなく「せいじや」だったのだよ。日本の
形などまったく目をむけず利権争いを大友てやっていたただの商人だ。
0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 12:24:41ID:2nh867+D毛利が関ケ原でうまく立ち回れば。
ただ、その毛利が執権や将軍の場合は徳川幕府のような天下泰平や元禄文化
といった繁栄、平和な統治ができず、日本が植民地になってた可能性が高く
家康、秀忠、家光などに比して毛利じゃ劣るというだけで。
日本の形まで考慮できたのは三英傑ぐらいで、後は所詮地方大名なんだから。
ま、だからこそ毛利などでは天下は無理とは言えるが、それは結果論で。
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 13:56:02ID:39xDiGgz0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 15:02:12ID:m2kgss2j0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 15:58:31ID:39xDiGgz実際無理だもんなぁ
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 18:17:06ID:kr9v/ZZdIFで申し訳ないが
もしも本能寺ないし桶狭間なかりせば、もしくは関が原次第では
>>ただ、徳川が執権や将軍の場合は平和な統治ができず、
>>日本が植民地になってた可能性が高く
とか
>>○○などに比して徳川じゃ劣る
>>所詮地方の田舎大名なんだから徳川などでは天下は無理だったんだよ。
>>つーか徳川が天下?100%ありえねー妄想書くなよプゲラ
というカキコになって徳川では天下は平定できなかった説が跋扈してたことは
想像にかたくない。
毛利幕府でも徳川幕府なみの天下の安定が実現できないという保証も無い。
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 19:24:21ID:wvjs/LRY0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 19:26:23ID:49vgDesy0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 19:28:26ID:wvjs/LRY0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 20:37:56ID:Yn07ykqd毛
利家が天下を取るには
に見えた
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 21:52:42ID:6seYCrkp0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 23:49:04ID:MwGsUI66関が原に毛利が参戦してれば
輝元が広家、秀秋をきちんと管理してれば
普通に西軍が買った。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 00:37:14ID:iAzw1M1H0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 02:36:43ID:IcbkGbd10090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 15:47:42ID:FeeGo1cE0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 23:37:34ID:Ym0EPJyX輝元は名ばかりと言っても西軍の総大将なんだぞ?
しかも両川は西軍の中でも毛利家に近い同盟国だろうが
裏切られてもいいって訳ないだろ
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 00:28:30ID:9q49+ayj小早川は一族じゃないどころか、縁もゆかりももはや無いんだよ。
毛利ゆかりの家臣はほとんど引き上げてるしな。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 18:03:10ID:ZldNNkjP毛利一門から離れたことにもさほど抵抗感が無かった?
隆景には小早川の血はまったく入ってないし、
興元の娘と小早川興景の間には子がいなかったし。
0094奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/10/12(木) 21:52:06ID:eEamEPos小早川の流れは秀包であって、秀秋は豊臣一門だわな。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 22:28:38ID:lXtmbhje天下取れたんじゃないですか?程度で結論。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 22:43:00ID:ALhHjLIAそれまでの毛利ー小早川の関係が隆景を養子に出す前の関係、
白紙に戻ったって事?
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 22:49:27ID:ALhHjLIA三成と家康とを争わせといて漁夫の利を狙えば
三成、家康よりもたやすく天下を取れた
輝元にそこまでの政治力がなかったから不可能だが
隆景が生きてたらどうしたかね?
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 00:30:03ID:iJrewvL2タイミング次第かと。
開戦当初は、東軍も14000近く南宮山方面に配置していたから、
言うほど簡単には抜けない気がする。
主戦場での立場がほぼ逆になって展開するから、数に勝っていても抜くには苦労するだろうし。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:00:50ID:Nib0iNJX抜くのはもちろん簡単じゃないだろうね。
ただ南宮山の軍が動けば、松尾山の銃撃や脇坂らの寝返りも難しくなるわけだし、
西軍有利に動くのは間違いないかなぁくらいの予想。
まぁifだし簡単に考えるのが良いと思うがもっと真剣に考えた方が良いのかな?
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:58:21ID:iJrewvL2・南宮山が動いても、東軍を簡単に抜けない。
・一挙に大勢は決まらないが、西軍がやや優位を保つ。
・小早川は引き続き傍観。
位で良いと多う。
まあ、最終的な鍵はやっぱり小早川か。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 04:38:15ID:72KC/IWpどこから1万5千となったのだろう
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 19:37:34ID:Bs6zoaSr西軍が負けた原因は輝元がアホだから以外のなにものでもない
輝元が毛利家を継いだ時点で毛利が天下を取るのは不可能
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 20:33:16ID:Nib0iNJX三成は頑張りすぎなくらい頑張ったというかよくやったし、宇喜多や大谷も凄い。
特に大谷は天下の名将。
というわけで輝元がやる気マンマンでアホじゃなかったら西軍大将で天下取り確定(if)。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 00:31:14ID:vl5Q0eD7出張ってれば普通に勝てたんじゃない?
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 00:56:45ID:rveQZHbt伏見落とした後
毛利秀元伊勢攻めに時間かけすぎ
岐阜が陥落するまで2週間近く無為に過ごして
ここをさっさと終わらせて美濃に入っていれば
岐阜城が落ちることも無かったかもしれないのに。
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 21:55:52ID:N3rXK5Ua関が原の時は隆景没後
信長、秀吉、家康のように運がなかった
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 13:41:07ID:8fp+b6hH毛利が優れていたのは謀略、外交だけ。そこそこの戦上手でもあったが。
例え織田軍との全面衝突の際に元就が生きていたとしても
これだけの能力で天下を取るのは不可能。
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 20:32:41ID:rdiJrytE人間自分の子供が不出来だとはなかなか認められないものだ。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 21:33:53ID:J5neJzgv0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 23:45:12ID:8fp+b6hH関が原で傍観を決めたのか?
第三者をきどるなら他にやり方があったろうに
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 13:08:19ID:5TYQL8qYそうか?毛利は大名になるまでは確かに元就の謀略は
凄まじかったと思うし、大国二国間を泳いだ外交も見事と言える。
しかし、大名になってからは大友の謀略に敗れ北九州を奪われたし
外交も北九州の土豪に離反され、元就死後、織田の圧力増大もあるが
宇喜多に離反されたり、微妙感が漂う感じがする。
毛利(元就も含めて)はどちらかと言うと、大名になってからは
国力を生かした正攻法が多い感じがする。
正攻法だけに失敗が少ないから間違いじゃないけれど、
それだけでは天下は取れない。
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 15:50:46ID:AjV5X0EA0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 00:46:50ID:AVlaOwV9元就の戦術はデマを流しての主従離反策。
このお家芸の評価じゃないか?
外交は秀吉の代になっての隆景の手腕が見事だったね
元就の平野戦の能力はほんとそこそこってとこ
北条といい勝負
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:20:47ID:19ZKTOYrこの観点だけでみれば毛利は織田に次いで成功した大名
ってどこかで読んだな
でも、遼太郎の言うように毛利は地味すぎる
初期の合戦を除けば、政治においても合戦でも手堅すぎる策しか実行しない
俺は毛利は嫌いだね
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 22:23:06ID:VzG/xV7x0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 23:04:45ID:jTPJLQCX0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 12:51:03ID:BfXiGup4大 毛 利
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 23:02:58ID:PdBj413/一つ目は、本能寺の変の直後
二つ目は、関が原の戦いの時だ
武田は信長包囲網に参加してればチャンスあったかもしれんが
確かに天下取りには遠い
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 00:10:29ID:jeVf7qbzせめて武田北条位の制度はないと。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 00:47:46ID:c5BpuGfX→信長の後継者争いに時間がかかる。
その間に九州は島津が制覇
中国地方は孤立した宇喜田を毛利が破り、毛利が平定
四国は長宗我部が統一。
東海は家康が制圧。
関東は北条が統一。
東北は伊達・南部・最上の三つ巴。
信長の後継者が近畿・北陸を制圧するも、他勢力を圧倒する余力はなし。
最終的には連邦国家みたくなるんでね?
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 02:19:14ID:qr8WkkHU特に関東は里見無視で統一?
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 02:50:26ID:QjuYGmw7本能寺の変=信長の死後
関が原の戦い=秀吉の死後
だから毛利でなくても複数に天下取りになれる可能性があった訳だけど・・
何故か、その複数の中でも毛利が一番可能性大だと思われる
あくまで能力をどがえしした話だけど
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 02:51:00ID:/hCbFI0/里見と北条は講和済、もはや対等ではなく上下関係込みの同盟と見て差し支えないだろう。
彼我の勢力差が圧倒的な上、江戸湾での海上主導権も喪失した状況で本格的な戦争はもはや自殺行為。
北関東の反北条諸侯が頑張っているときも、里見は参戦どころか後方での蠢動すらしていない。
本能寺前後の状況で言えば、北条にとって里見は脅威でも何でもない。
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 03:45:40ID:JQOCvtbX0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 03:57:07ID:8qaNaDzO実際本能寺の後8年近くかけても潰せなかったし
島津は間違いなく攻め上がるだろうな
毛利は余程早く上方に乗り出さないと後方から突かれて身動き取れなくなりそう
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 11:02:29ID:DaSPNzjDなるほど。
では佐竹とか宇都宮、結城、他にも強豪が沢山いるけど、彼らも瞬殺?
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 12:45:51ID:jeVf7qbz宇都宮、結城は基本日和見だから条件次第で北条方に。
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 12:51:45ID:3W7QOcRRこれは酷い
中二病の勘違い誇大妄想ってとこだな
0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 19:05:34ID:hfyM0eP30130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 23:38:45ID:q53SvT3T0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 00:10:24ID:eBAknQbQ地理的条件や運に恵まれていたが
北条、武田、織田に比べ能力が足りない
おそらく直接対決になったら島津より劣るだろう
しかし、厳島の戦いは見事だったよなあ
まぐれだったのかね?
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 00:25:00ID:T1z5xzie0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 00:25:25ID:+M8KQeglあと周りも。広家や安国寺と元就時の両川とも。
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 02:24:10ID:5S9LbcQE毛利は島津より劣る。長宗我部よりは上。
伊達といい勝負。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 02:45:23ID:zeQifNMd元就は間違いなく畿内、そして関東を目指しただろう。
宝治合戦で失った中央政界での地位を取り戻したいという野心、
そして本貫地を取り戻したい願望はきっとあったはずだ。
毛利に限らず、多くの家臣諸家にとっても東国は本貫地だ。
「未だ見ぬ本貫地を目指せ」を合言葉に東進していれば
毛利の全国政権は完成していただろう・・・
0136名無しさん@お腹いっぱい
2006/10/29(日) 02:53:15ID:/yjJ+xxC元就がもっと早く死んでいたらどうなるかね?
0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 10:11:53ID:Cltvzdx0長州に閉じ込められるまで中央集権化を図っていないし。
0138伯耆国人
2006/10/29(日) 17:10:33ID:enF1h4Hv結局、元就公は息子&孫の器量と、自分に残された時間を考えられて、家臣制度改革や正攻法の対外調略など、自分亡き後、なるべく禍根を残さぬよう安定路線・正攻法を選ばれたのではないでしょうか?
やはり、御世継が輝元公では‥
元就公の無念、いかばかりか…
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 23:50:19ID:T7W33Qvv逆だろ、その大物同士が食い合ってくれたおかげで、元就の戦略が成り立ったわけで。
どっちかが勢力の均衡を失ったら、一気に押しつぶされて終わり。
そのあと元就がどういう行動に出るかはわからんけど、史実ほど上手く行く状況が来るとは思えない。
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 11:06:14ID:/cMLuGHi元就以外は勝負に出る気ない。
関ヶ原勝っても江戸に攻め込むのかね?東で徳川支配のままで満足しそうな気が
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 10:57:14ID:KHu9Ad6S毛利家が絶対天下が取れないとは言えんが
以外に、あの立地条件は悪いような気がする。
つまり、中国地方の西部の大名は、あれ以上、勢力を拡大する場合
東西に兵站が間延びしてしまい、それでいて
石高は150万石未満だから、そうとう厳しいような気がする。
近畿を目指そうとしたら、
岡山平野や播磨平野の両方に50万石くらいの纏まりがある勢力が誕生しやすくて
それを撃破するのは至難の業だ。
それに比べて、濃尾平野や近畿周辺の大名は
領土が正方形に石高500万石クラスでまとまりやすいから
圧倒的に有利だな。
0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 15:42:33ID:YWZMKTA3確かにそうですな!
何せ「前門の虎、後門の狼」状態ですからねぇ
吉川元春クラスがあと三人でもいれば・・w
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 16:15:43ID:OH5l2/Poそれ以前に毛利が国人領主の連合体から集権性の強い
近世戦国大名への脱皮を早いうちに出来ていれば
秀吉の大返し
関が原とチャンスは
あった。
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 16:57:51ID:RtfczRpT石見銀山と山口があれば石高が120万石でも十分だと思うが。
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 20:13:21ID:VINKiHQk石高が高くても不利なのは確かだよ
呉から尾道まで電車乗った時に
広さの割には山ばっかで、不便な土地だなと思った
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 20:57:36ID:gQmWK1cCだとしたら街道の整備を行ったり、軍隊の機動力を高める努力をすれば良かったのに
海運あるからその必要性は感じなかったのかな?
0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 22:15:12ID:1z/XpbLn山口には何が?
石見銀山と
博多湊もしくは神戸湊も手中範囲だった
利益を独占できるかは別にして
東西に長いのは攻める場合不便かもしれないが
逆に防御にはいいんじゃないか?
だから地理的には信長と同じくらいの有利さはあったんじゃないか?
毛利に能力があれば信長、秀吉とも対抗できたかもね
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:05:36ID:gJ0Bm5Fx0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 23:38:20ID:4DKh9tpu結構裕福だったんじゃねーの
0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 01:48:53ID:oxO2J9So村上から取り上げていたっけ?
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 02:41:42ID:AfIUFYqb基本的に前近代の国力は、石高=人口=動員兵力でしょう?
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 04:50:08ID:ncjPdRdMなら大内、武田、上杉をどう説明する。
上杉は40万石ちょっとしか無いぞ。
0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 15:21:27ID:YBFwnwTq防衛兵力>>>攻勢兵力
とならざるおえず、また、動員可能兵力も多からず、同時多方面作戦は無理である
やはりネックは国人衆統治にあるのか?
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 20:31:29ID:WyvDQXpTだからこそ、戦国後期は
上杉は武田のように追い込まれていた。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 21:02:26ID:7UkoVcmY島津がいかほど強兵を率いようとももはや敵するに値しない。九州平定がなれば
後は背後をおびやかされる心配もなく、悠々と上洛、そして四国も簡単に平定。
問題は輝元の資質か…
0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 21:21:36ID:DIgzmJUT0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 21:34:34ID:+9DsSshV0158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 22:05:12ID:YBFwnwTq0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 23:08:57ID:ddBNkuoI武田信虎みたいに追放するのがベスト
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 09:29:27ID:IzCXiVen人口。
京、堺に次ぐ町だと思ったが。
0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 09:39:24ID:sYl575x9秀秋が大阪城、秀元が松尾山。関ヶ原に勝利。負けた場合は秀秋が迷ってる間に
篭城戦のようになって豊臣恩顧が大坂方に内応、家康秀忠軍と決戦して勝つ。
三成の密約で毛利秀秋が秀頼成人まで関白職に。秀秋はすぐ死ぬので秀元が毛利を
継いで関白秀元。幼い秀頼を抱いた秀元が豊臣恩顧を従えさせて、各地を平定。
秀頼が成人する前に色々あって将軍になって幕府開いて大坂の陣。
0162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 11:54:43ID:l/S2aN4s出来たんじゃない?
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 13:12:13ID:G2iWxlpp追放していい人材いんの?
0164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 13:57:07ID:ZFF+0pOHゲームの「信長の野望」や小説の影響を受けすぎ。
誰々が死んだらとか、誰々のほうが優秀とか
それだけで歴史は変わらん。
「信長の野望」の人物による能力値で勝負が決まるなんてアホすぎ。
たとえば、誰々がアメリカの大統領とか、誰々が日本の首相とかで
そんなに、国同士の力関係が変わらんように。
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 14:03:03ID:ZFF+0pOHどういう政策をしていたか考えるのは面白いが
そういうのは、周囲の環境に依存しやすい。
上のほうで、尼子経久が早く死んでいたら、毛利元就が早く近畿を目指していた
なんてアホな回答があるが、
そんなことぐらいで、元就が近畿を目指せるかw
その時点では、元就は安芸の一国人領主にすぎない。
尼子経久が早く死んでいても、中国地方の勢力地図が全く変わらない。
元就にチャンスが巡って来たのは、隣国の大内で内紛が生じたのを
少ないチャンスでギリギリでモノにできたからで。
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 14:08:58ID:C/mfTc7Sそれいうと秀吉が死んだら、あっという間に勢力地図が変わったが
0167名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 14:24:50ID:ZFF+0pOH本人の力量もあるだろうが、かなり運が良かったのも大きい。
元就の力量の部分は、
安芸を平定の過程で他家に養子を送り込むなりして、徐々に安芸を統一。
その一家のものを殺すなり酷いことをしているw
吉田郡山に立てこもって、尼子の2万の大軍をしのいだのも評価できる。
大内義隆が謀反で死んだ後の立ち回りの巧みさ。当初は陶に協力する姿勢をみせ、
その間に芸備攻略に奔走。この時の計略は鮮やか。尼子分断にも
謀略を使ったと言われている。そして、最後には厳島へ誘い込んだ。
村上水軍も味方につけれた。
元就の運の部分は、
若いときの武田との戦での勝利。これは西の桶狭間といわれている。
隣国の大国・大内で主君が暗殺されるという政情不安が
ある程度、安芸を平定して最後の仕上げのときに起こったこと。
もし、大内が磐石なら、大内は安芸が毛利により完全統一することを許さなかったはず。
大内の安芸政策は、隣国が統一するのを防ぐ分断統治だからだ。
また、その時、尼子内での内紛の兆しがあったのも大きい。
これには元就が計略で煽って、火をつけたとも言われているが...
これで、その間隙をついて備後の攻略が達成、陶との戦いに集中できた。
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 14:33:28ID:ZFF+0pOH秀吉が死ぬ直前に、既に
徳川家康の存在は無視できなくなっていた。
それでも、豊臣と徳川が勝負したら、豊臣のほうが優勢。
しかし、秀吉が死ぬことによって、彼の後継者が幼くて
家中が統一できてなかったのが痛い。
つまり、豊臣内部の対立(尾張閥と近江閥)が表面化して
豊臣内部が分裂したのを、徳川が漁夫の利を得た感じだったね。
それこそ、大内の内紛や尼子の内紛で、毛利に有利に展開したのに似ているw
豊臣にちゃんとした成人した後継者が育成されていたらね。
封建社会での独裁者にとって一番難しいのは、今も昔も後継者問題。
これにより国が二つに割れ、隣国に介入されやすくなる。
0169名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 19:07:28ID:CdhPIOLP0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:06:46ID:5dV0GZrq運の部分や地理的条件を除く事ができたら・・・
と想像するのも
0171名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 21:03:31ID:oifAJYM9普通に九州を制してしまえば、四国は余裕で落せるし
そこまでしたら近畿の堺とかを拠点的に抑えて海軍力さえ掌握しておけば
対明、対南蛮交易を独占して経済的パワーで日本に敵はいないわけで。
0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 06:33:20ID:krdMe6a9毛利は畿内を制圧できれば、あとは
豊臣政権と同じような統一過程を歩んだと考えるべきだな。
また、毛利としては、九州全土を制圧するよりも
畿内へ侵攻したほうが合理的なように思える。
中国の覇者になった毛利にとって、制圧が可能、または制圧が合理的なのは
北九州の博多湾周辺の地域までで、南九州は放置、または
南九州を分断するように持って行けばよい、大内時代みたいに。
南九州を目指すよりは、畿内を目指したほうが可能性がある。
毛利にとって重要なのは、博多〜瀬戸内海〜堺の湾岸利権だ。
ここの大半が制圧できれば、南九州は自然と屈服する。
しかし、その南九州を分断できないのない、つまり、
島津、大友、竜造寺のうちのいずれかに統一されてしまうのなら
それ以前に、九州全部を諦めて、畿内を目指したほうが良い。
毛利の史実での動きのように。
やはり、北九州〜畿内まででも兵站が間延びしてしまうから。
0173名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 01:16:08ID:VqpjtKil当時、大きな船があったかどうか知らないけど。
0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 11:54:15ID:SYjS1/sy0175名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 22:09:34ID:9wEjHKe/ただ領土拡大しただけで革新的な政治を行うレベルまで到達してないだろ?
そんな大名に天下取れんだろ?
まだ、北条、武田の方が天下に近かった。
早雲>元就
0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 17:19:58ID:qLt3Btut早雲と元就を不等号で語る奴に興味はない。
0177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 21:49:03ID:bE0VKEdm0178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 01:52:41ID:G+aIDTCo確かに晩年は関東経由に専念しているが、今川の属国といった感じ。
北条家が独自の道を歩みだしたのは、今川との決別以降ではないか。
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 04:51:46ID:s2341zdNそれはせいぜい伊豆までかと。
0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 11:24:09ID:NfgkvaXE関東遠征にしても今川と共同して行ったとされていたが、実際にはあくまで今川軍
であって、そこに早雲が司令官格として参加していたのでは。
0181名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 12:41:37ID:Ygbw2SHl0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 23:54:40ID:aKk0eT/C信長の野望でなんで元就の政治が高いのか理解できないんだが?
外交謀略を含んでの評価なのか?
0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 02:46:02ID:BdCCR+s90184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 03:10:04ID:9Bxf0Capそれは知ってるけど、今川と北条がぶつかったのは別の理由だし。
仲が良い間は一応形式上はいつまでだってそうなるだろう。
そういう大義はあって双方にとって困るものでは無いし。
ただ相模をとってからの早雲は属国と呼ぶにはもう大きすぎると思うし、
独立して動きすぎていると思う。
0185名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 04:19:38ID:F6k3OoCD必ず伊勢(北条)と衝突してたはずだけど、
はたしてどちらが勝利を収めただろうか?
0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 07:41:35ID:xmZ9c0Odというか、豪族の連合体にウエケン並の遠征が出来るとでも?
0187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 07:46:20ID:Xq/lRpic毛利が出した書状ってうのは何か無いの?
0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 16:24:47ID:1dMUDXfaウエケンって誰すか?
0189名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 18:49:05ID:pK7X119Y0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 20:25:30ID:NofVSp8C「天下統一U・相克」
0192名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 02:23:44ID:EPdbGL9E0193名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 02:29:38ID:EPdbGL9E0194名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 02:42:55ID:yxG+7O+F正面きって押していけないようでは万民を従えさせられん
0195名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 13:30:30ID:TReQU0H/0196名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 13:33:35ID:OrIyVDyx0197名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 14:36:14ID:wzniqwBR血縁的にはもちろん、旧小早川家中は毛利家に引き取られているからな。
0198名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 15:01:56ID:OrIyVDyx西軍総大将だから。
0199名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 22:18:17ID:JvTywsqe秀吉を追撃する
以上
0200名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 23:14:20ID:oELA2hM30201名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 04:23:18ID:gBVNx+bP0202名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 10:14:41ID:WT2n3GML0203名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 17:10:15ID:BwScTMx5一族だろ。嫁さんは輝元の娘で、婿入りの形だしな。
小早川断絶後家臣の一部は毛利に引き取られてるし。
減封で財政難の毛利が縁者でもない家臣を引き取ったりせんだろ。
0204名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/30(土) 08:10:27ID:TWfkp0Vo輝元たちも広島城を枕に華々しく散ったほうが
後世に語り継がれたかもしれないな・・・
0205名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/30(土) 11:54:41ID:ingFaE5E0206名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/01(木) 00:29:06ID:qns+CQ17大大名の中で順位つけると
織田、武田、北条、伊達の順に天下に近い
0207名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/01(木) 01:31:03ID:NV1tQK4U0208名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/01(木) 10:19:16ID:aGFIAGnX雑魚ばっかじゃねーかw
0209名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/01(木) 10:20:49ID:aGFIAGnX雑魚ばっかじゃねーかw
武田北条なんて東でちちくりあってた猿じゃねーか
0210名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/01(木) 22:28:12ID:qns+CQ17じゃあ、お前が議論になるの引っ張ってこいよ
0211名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 00:04:50ID:vhck0qwF秀吉も家康も信長がいなかったら単なる農民と今川家臣
0212名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 02:46:26ID:kmv2aG5k信長が非常に優れた人物であることは確かだが、
いかなる状況でも天下を手中にできる程、絶対的ではない。
0213名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 08:34:27ID:fhJU2sM7史実より天下統一が早まった可能性もある
0214名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 10:58:45ID:Qicijw3Zそのまま素直に天下が転がり込んでくるものなのだろうか?
東軍壊滅の場合家康はやっぱり生き残れない?
うまく逃げ出せれば秀忠軍3万あまりと合流すれば
十分渡り合えるんじゃない?
福島・黒田あたりの豊臣恩顧の大名も三成への恨みを持っていたのなら
簡単に西軍に組するということはないだろうし、
家康が江戸へ引きこもれれば勝負はまだまだ先になるんじゃないかな。
最終的に徳川が滅んだとしたら毛利はどのようなポジションをしめるのかな?
石高にして200万石は確実としても
小早川が関白となるのか、はたまた輝元が関白となるのか。
秀頼成人後はどうなるのか。
それよりも伊達や上杉・石田らは毛利の天下を
指をくわえて見ているだけなんだろうか?
0215名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 11:14:30ID:H5t9s+mk>福島・黒田あたりの豊臣恩顧の大名も三成への恨みを持っていたのなら
簡単に西軍に組するということはないだろうし、
毛利家が奮闘して関ヶ原に勝利すれば、毛利家が文字通り西軍の主導権を握り
相対的に三成の影響力は低くなるから、福島、黒田も西軍に参加しやすくなるだろう?
西軍が関ヶ原で勝って徳川を追い返したら、淀殿だって強気になって表立って西軍側に立って豊臣の旗を出陣させるだろうし
こうなれば一気に西軍側に態勢は傾いて、日和見大名たちも我先にと西軍に参加するだろう。
0216名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 16:12:01ID:J/R5+Cr7伊達なんて西軍勝ったら、すぐ寝返りそうだ(笑)
家康って、じいさん連中だけど3万ぐらい連れてきてたよな?
そうなると、関が原で抜くのも大変そう。まして秀忠・秀康と合流した
関東での戦いは厳しいな(みんなで囲めばいけるのか)秀康軍はどのくらい
残ってたんだっけ?
0217名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 19:26:31ID:61cA8d4e毛利家。輝元は駄目武将として、黒田長政等に認定された。
負けたとはいえ、意地を通した上杉家が、遙かにましだろう。
0218C171
2007/02/02(金) 19:55:11ID:WVF7FGIQ同意。
関ヶ原で西軍が勝つには島津が総大将にならなければ。
毛利は総大将でも飾り輝元は大坂城で親族は大分前に寝返って動かない。
0219名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 19:58:51ID:IzfoCds7先が思いやられるんじゃないか
0220名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 20:29:12ID:kj7hU/FN何に同意なんだ?
0221名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/02(金) 22:07:57ID:Qicijw3Z1600.*9.18 徳川秀忠軍、西軍に敗北。秀忠戦死。
1600.*9.19 伊達西軍へ寝返り。
1600.*9.25 西軍、江戸へ向け進軍開始。
1600.*9.28 家康江戸帰還。
1600.10.*9 西軍江戸包囲。
1600.10.12 江戸総攻撃開始。
1600.10.27 江戸落城。家康自害。
1600.11.28 西軍大坂帰還。秀頼に拝謁。
1600.11.29 新五大老(毛利・前田・上杉・宇喜田・小早川)任命。
1600.11.30 新五奉行(石田・浅野・増田・小西・大谷)任命。
1600.12.*1 豊臣秀頼、右大臣に任命される。
1600.12.*9 松平忠吉処刑される。
1601.*1.*2 年賀拝謁。
1601.*1.18 結城秀康 乱を起こす。
1601.*2.14 秀康自害。徳川家完全に滅亡する。
1601.*5.15 小早川秀秋 関白に任命される。
1601.*6.27 増田長盛 謀反の疑いで失脚。後任に吉川広家。
1601.11.*9 大谷吉継死去。後任は空位に。
1602.*2.24 小早川秀秋死去。関白は空位に。
1602.*3.25 福島正則・加藤清正ら反三成を旗印に反乱を起こす。
1602.*5.*4 反乱鎮圧。福島家・加藤家など改易。
1602.*6.*7 小早川秀元 関白就任。
1602.*8.15 小西行長死去。
1603.*5.16 石田三成 ご奉行職を解かれる。
1603.*5.19 毛利輝元 三成打倒の兵を起こす。
1603.*6.15 近江にて東軍(石田軍)と西軍(毛利軍)激突。西軍勝利。
1603.*6.17 石田三成 田中吉政に捕縛される。
1603.*6.29 石田三成処刑される。
1608.*2.25 豊臣秀頼 関白就任。
1609.*1.13 毛利輝元死去。
1609.*6.13 毛利征伐開始。
1610.*2.23 毛利滅亡。
1610.*9.*8 秀頼の嫡男 秀正誕生。
1611.*5.*5 秀頼 端午の節句を楽しむ。
1613.*2.*3 秀頼 節分を楽しむ。
1617.*8.*5 秀頼 女官を孕ませる。
1625.*7.*1 秀頼死去。
0222名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 01:09:34ID:FWP2vcSQ0223名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 01:33:44ID:hSlCbnV40224名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 12:37:02ID:0jdvz4Ef結城秀康は家康の血が流れた豊臣忠臣だが。
大阪の陣数年前から、有事には大坂に付くと断言してる
0225人間七七四年
2007/02/15(木) 00:02:16ID:eT+v1vTv0226人間七七四年
2007/02/15(木) 00:05:58ID:0FRE4G8U0227人間七七四年
2007/02/16(金) 00:38:01ID:czYOMvbm>3万ぐらい連れてきてたよな?
数だけね。実際のところは独立作戦能力の無い小勢を糾合して配置した
もんで厳しく言えば「烏合の衆」だから本格的な会戦、それも毛利本体
が動く二正面作戦という状況では相当に怪しい。むしろ数の多さが自分
の首を絞めた可能性さえある。
だから秀忠を叱責したくもなる訳だが。
0228人間七七四年
2007/02/22(木) 01:11:25ID:vruV4qz5http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1172070942/
0229人間七七四年
2007/03/22(木) 18:51:03ID:G/TmFquT0230人間七七四年
2007/03/22(木) 21:33:57ID:GJQXSF7iほんとに困った人達ですね、同じ毛利ファンとして情けないですね
0231人間七七四年
2007/03/22(木) 21:42:50ID:ocIn1M9z0232仙台藩百姓
2007/03/22(木) 22:12:06ID:InkVZqBbていうか後の時代に起きた桶狭間に例えられるなんて悲しいお(≧ω≦)
0233人間七七四年
2007/04/14(土) 19:33:14ID:NNyut97f関が原合戦に勝利し
徳川家と東軍諸侯の大削減と日本全土の大編成を実行する
につきるだろう。
史実における徳川の天下が関が原あって招聘されたものであるのと
その点は同じだろ。
ただ毛利の場合徳川と違い西国が重心であり
たぶんに戦後の朝廷豊臣政策が違ってくるだろうが。
0234人間七七四年
2007/04/14(土) 19:50:41ID:NNyut97f小早川秀秋の東軍内応や西軍の不統一振り
そして彼の東軍への内通
が西軍の敗因だが広家が敗けたら毛利がただで済むはずがない
という至極まともな判断を優先できていれば
秀秋への工作や西軍内での毛利の主導権確保ができてたろう。
ま・それはともかく勝った場合
西軍の総大将は毛利輝元であり、西軍の主力が毛利一族軍である事実を
背景に徳川東軍諸侯の大削減、日本全土の大編成の論功行賞政策
は毛利とそれに右顧左眄するであろう大老筆頭の毛利と現役奉行の長束 増田
で握ってしまう。
宇喜多は徳川のあとの関東を望んでいたから望みどおりに関東にやり
上杉には越後を与え
石田は奉行は復職させる手続きやらで足止め
0235人間七七四年
2007/04/14(土) 19:56:10ID:NNyut97fとりあえず毛利本家から広家はじめ有力家老と秀元はじめ主だった一族
を独立大名とし
全国の主要地 金銀山、港湾などは毛利の代官を奉行として派遣して握り
毛利本家の大加増と家中の統制集権化を進めつつ
一族や有力家臣の子女を輝元の養女として
有力諸侯やその重臣に嫁がせ親戚関係を結び
政権では小早川秀秋を関白にして
毛利本家は二年後に征夷大将軍に就任・・
0236人間七七四年
2007/04/15(日) 00:04:12ID:gsHlpUpr0237人間七七四年
2007/05/24(木) 17:01:13ID:WJCwCM6N0238人間七七四年
2007/05/24(木) 19:58:23ID:mJaSEgC70239人間七七四年
2007/05/24(木) 21:15:47ID:03jo+ng5大友とガチに戦って九州を目指すのもあり。
背後に大友を残して東進するより、三村や山名と友好して西進する方が、
危なくない気もする。それがダメで九州を放棄したのかもしれないが。
0240人間七七四年
2007/05/25(金) 00:58:22ID:6rmhqpK752歳で死んだ信玄が生きてれば天下は確実に取れただろうが、70歳
の長寿で死んだ元就が天下を取るなんて考えられないんだよ。
そもそも毛利の元就死後の優柔不断で戦略性ゼロな態度を見れば、どう考えても
毛利に天下なんか取れるわけないね。
0241人間七七四年
2007/05/25(金) 01:21:01ID:6rmhqpK7濃尾を平定すればその所領は莫大なものとなり畿内の連中を圧迫することが出来るのは
明らか、このように信長討伐後の武田の動向は予想出来るんだが、毛利が天下を目指し
た場合はねえ・・・・・何も想像出来ないんだよねえ
0242人間七七四年
2007/05/25(金) 08:31:20ID:kJvS5eS8先見性がありすぎる家臣の進言に輝元が従ったのが運のつき
ところで武田信玄が天下を取ってまともに国を運営できるかな?
毛利がとっても、武田がとっても後が続きそうにない。
0243人間七七四年
2007/05/25(金) 10:49:01ID:k6e4UrJ5万単位の軍勢を2日で畿内に上陸出来たのは、三好と毛利だけ。
だからこそ、信長に追放された義昭は、武田や上杉ではなく、毛利を頼ったんだろうな…。
これが、当時の客観情勢じゃね?
0244人間七七四年
2007/05/25(金) 10:54:51ID:X6gY8l0H0245人間七七四年
2007/05/25(金) 11:52:48ID:gNZBkxwQ後に島津と協力して
天下取ったじゃん
0246人間七七四年
2007/05/26(土) 17:40:14ID:F8Ih02ca0247人間七七四年
2007/05/26(土) 17:46:17ID:JETyOYfT0248人間七七四年
2007/05/26(土) 21:09:25ID:M1HtmxTm0249人間七七四年
2007/05/26(土) 23:31:41ID:z2i7Qb3i0250人間七七四年
2007/05/28(月) 08:02:22ID:6xsbCOTn0251人間七七四年
2007/05/29(火) 12:41:08ID:PElZ0/uR0252仙台藩百姓
2007/05/29(火) 12:48:19ID:GhKoEYaDと言うのが絶対条件だおね( ^ω^)
もっともその前に島津辺りに食われるだおうけど
0253人間七七四年
2007/06/13(水) 00:34:19ID:NomLOVld0254人間七七四年
2007/06/18(月) 18:56:12ID:pH3sBacv元就の跡目が輝元じゃなく、小早川隆景だったらかなり違った結果となっただろう。
小早川隆元(輝元父子)、吉川元春、毛利隆景だったら、勿論さらに毛利家隆景の跡目は秀秋にはしないと仮定して・・。
元就の死後、信長より早く上洛するのは不可能だが、隆景が主導権を握れば、京の勢力へ干渉し、宇喜多や細川とかの結束をより強固にできただろう。
信長は上洛後には朝倉や浅井・本願寺や三好集勢力との対決に忙殺され、西国最大勢力の毛利がそこに干渉すれば、信長もかなりの譲歩をしただろう。
毛利の対信長政策は本願寺が攻められた頃ようやく本腰に入ったが(村上水軍を差し向けたり)、本来は武田が動いた時点で動くべきだった。
流石に信長も武田・毛利の東西両方から上洛されれば、降伏はまぬがれず、織田家は滅亡していただろう。
もし仮にそれが無理であっても、本能寺の時秀吉を追撃できただろうし、時間を与えてしまったために、織田家中の混乱期を秀吉にみごとに収拾する時間を与えてしまった。
東に明智・柴田・徳川がいるのに、西の毛利が動かない結果、それぞれ各個撃破されたわけだ。
隆元は関が原でも大阪城に籠もり、結局何もしなかったし、(関が原へ直接行けば、兵の士気も違ってただろうし、小早川秀秋の裏切りもなかっただろう。)
西軍勝利はほぼ確実で、今度は毛利が俄然天下を狙える位置にくる。
確実に天下を狙える機会は何度もあったが、全て動かずに好機を失っている。
毛利の領土に畿内制圧を加えれば、もはや天下に並ぶ勢力なく、天下統一できたはずだ。
0255人間七七四年
2007/06/18(月) 19:05:45ID:p6MfbtZ10256人間七七四年
2007/06/18(月) 19:39:24ID:iF1rJlpY0257人間七七四年
2007/06/18(月) 21:27:10ID:dE0/TCJn0258人間七七四年
2007/08/06(月) 13:36:06ID:6tIwT/eZ0259人間七七四年
2007/08/06(月) 13:43:00ID:GjIuXAAQあのとき吉川の言うとおりにしていたらどうなっていただろう・・・
0260Y ◆nzdGjBH722
2007/08/06(月) 13:49:38ID:/tyLq/sk0261人間七七四年
2007/08/10(金) 17:09:23ID:0jspegQc0262人間七七四年
2007/08/15(水) 05:18:18ID:oqYxTLB7天も民衆も許しませんよ
毛利オタでしゃばった発言するな
0263人間七七四年
2007/08/19(日) 10:54:28ID:bwScW3li関ヶ原で殆ど戦わなくて戦力温存していた毛利が家康の改易を受け入れたのは何故?
西日本の如水、島津、長宗我部なんかと連携すれば戦って有利な条件で講和できたんじゃないかと思うんだがどうかな?
0264人間七七四年
2007/08/20(月) 10:58:36ID:GRj01G8W0266人間七七四年
2007/08/21(火) 00:11:25ID:DH6qQrSN0267人間七七四年
2007/08/21(火) 21:59:42ID:92rfW6eZ島津は義久義弘家久で分裂しているし
黒田は思いっきり東軍派竜造寺鍋島も東軍に
九州との連携は難しい
長宗我部は国力低いから焼け石に水程度じゃ
0268263
2007/08/22(水) 16:04:00ID:ZciL1TKsまず九州だけど、如水は足場を固めたいだろうから、毛利が東側の楯になるならまず攻めてこないだろう。島津もいるし。
東軍は家康が総大将とは言っても諸将とはあくまでも同盟関係だし、まさか「恩賞欲しかったら自分で毛利領を切り取れ」とも言えないから相手にするのは家康の直営軍のみでいいんじゃないかな?
四国に対しては水軍使って長宗我部を支援しゲリラ活動をさせ、後は播磨あたりで家康と長期戦に持ち込む。
戦が長引けば恩賞を与えられない家康から人心は離れてしまうので、本領安堵を条件に講和できると思う。
講和がなった後は家康の先兵として九州に討ち入り、諸将への恩賞配分の財源を作ってやればいいんじゃないかな?
0269人間七七四年
2007/08/22(水) 18:01:25ID:B/Zlh3Zp0270人間七七四年
2007/08/22(水) 18:31:50ID:W8qEzQBQ0271人間七七四年
2007/08/22(水) 21:23:13ID:lLI+rYT/0272人間七七四年
2007/08/22(水) 22:00:16ID:ZciL1TKs俺の案も天下取りの企画じゃないけどせめて代案出せよ。
0273人間七七四年
2007/08/22(水) 22:39:56ID:lLI+rYT/0274人間七七四年
2007/08/22(水) 22:52:54ID:I0tcik9d天下を取るためにはまず天下を狙うところから始めないとなw
中国地方以外にほとんど欲持たなかったんだから。
0275人間七七四年
2007/08/23(木) 13:36:36ID:t+1QTy3T0277人間七七四年
2007/08/24(金) 08:10:58ID:W5rfP7Exかつて織田を破った毛利水軍も秀吉に解体されたり別大名になったりして、
加藤なんかの四国の大名も水軍を抱えている長宗我部の支援なんて無理
九州で主だった西軍は島津小西立花毛利秀包ぐらいだけど、島津は分裂、
小西は主力壊滅、大名死亡、毛利を支援することは難しい
黒田は天下を狙ったなんて俗説の類で普通に東軍として動いている
中国筋だと宇喜多は主力壊滅大名行方不明で組織的な抵抗なんて出来るか怪しい
現宇喜多家臣の一部、旧宇喜多家臣が東軍に属しているから
割と問題無く宇喜多領を接収できそう
東軍は一気に毛利領まで迫れると思う
東軍は大坂を得たことで兵糧軍資金を確保できるだろうし
単純な兵力でも関ヶ原に参加した10万に加えて秀忠の軍に前田らも参加でき、
日和見や西軍からの寝返り降伏兵も増加
それに対し毛利は四国からも九州からも援軍が来る可能性は無く
反対にそれらの地方からも攻められる可能性が高い。
正面には10万以上の大軍
毛利の兵力が6万ぐらい動員できたとしてもjこれだけの兵力差では長期戦に
持ちこむことも難しい。
またいざ毛利が戦うとなったら家康的には上杉前田と並ぶ最大勢力である毛利家は
何としても勢力を削りたいだろうから、本領安堵されるのは長宗我部や
小西立花らとなり、彼らが家康の先兵として毛利に攻め入り
毛利領を諸将への恩賞配分の財源とする可能性の方が高くなる
大坂城から撤退する前なら秀頼を利用して何か出来るかもしれないけど
大坂退去後はもう無理でしょ
0278なるほど
2007/08/24(金) 14:29:01ID:13hq+M/n隠居した如水が生涯の夢をかけて起った姿をカッコよく思っていたんだけどアレフィクションだったのか。「お前の右手は〜」の件も創作か?
先にも書いたけど家康は恩賞与えないといけない立場なのに関ヶ原で三成を倒した後でも諸大名を糾合できるのか?
「憎き三成は倒したし、恩賞貰っていないのに毛利領討ち入りなんてデキマセン」ってならないのかな?だから相手にするのは徳川直営軍のみでいいと考えたんだが。
0279人間七七四年
2007/08/24(金) 19:39:06ID:vB1+KCV8>先にも書いたけど家康は恩賞与えないといけない立場なのに関ヶ原で三成を倒した後でも諸大名を糾合できるのか?
上の人もいっているが西軍からの寝返り組みが必死に働くから問題ないでしょ
それに東軍の諸将も恩賞が出るか分からないなら動かないかもしれないが
ほぼ確実に勝てる戦だから、恩賞は確実に出る
少しでも分け前欲しさに戦うだろうと思う
0280ありがとう
2007/08/24(金) 21:43:45ID:13hq+M/n毛利が敗残兵を収容するなどして兵力を増強して対抗すれば戦況が長引く恐れもあるわけで、
そうなると情勢が不穏になって領地を空にしてきた東軍諸大名はやっぱり戦線離脱してしまうんじゃないか?
楯突く気はないんだけどここは毛利に天下を取らせるスレだから悪く思わないでくれよ?
0281人間七七四年
2007/08/24(金) 22:07:49ID:vB1+KCV8篭城戦で家族人質に取られた敗残兵が寝返りとなったら大変なことに
それ以前に敗残兵はほとんどみんな国を目指すのでないかと思う、
それほどの増強は無理なんじゃないかと
毛利に天下をとらせるなら、大友と争わなかったとか、関ヶ原で勝ったらとかの方がありそう
0282人間七七四年
2007/08/25(土) 04:16:37ID:ZuIzh1/i関ヶ原で勝ったらそのまま家康を追って関東に入ると思うんだが、
徳川を滅ぼすなり降伏させるなりしたあと論功行賞を行う権限をめぐって三成や上杉と対立しそう。
0283人間七七四年
2007/08/25(土) 09:21:48ID:vz370spSただうすらデカイだけの毛利じゃ関が原で勝っても
その状況をうまく利用できるような感じがしないな
0284人間七七四年
2007/08/25(土) 09:50:42ID:ZuIzh1/i三成も大変だな。
0285人間七七四年
2007/08/25(土) 17:11:10ID:0Rq2k5dv0286人間七七四年
2007/08/25(土) 21:39:22ID:ZuIzh1/i0287人間七七四年
2007/08/28(火) 21:14:02ID:qAccZKHY天守で秀頼の頭打ち砕いて爆死する
0289人間七七四年
2007/08/29(水) 17:59:10ID:0mt865Tc秀頼の口に詰める
0290人間七七四年
2007/08/30(木) 23:12:23ID:nY0Eum/0九州を征服して交易で富を貯えつつ、南部の肥沃な土地を手に入れるのとどっちが天下に近いだろうか。
0291人間七七四年
2007/09/15(土) 20:02:49ID:TOJGMiVwそのうち肥大した自分自身に潰されるだろうよ
0292人間七七四年
2007/09/21(金) 21:42:16ID:g9Fdy3Gvまでの問題対処となると秀吉に強制されていた
毛利家の九州転封命令を受諾すべきであったな。
あれは銀山のある石見と本拠の安芸それと長門周防は許すから
ほかの領国は全部九州にしろというものだったが
(追記すると筑前35万石を吉川に、伊予35万石を小早川に
与え独立大名とせよという条件もあったようだが)
その与えられる石高を当時の表高だけで計算しても
毛利一門総合計でざっと300万石超えてたww
まあ朝鮮出兵の負担はでかいのは確かだが
それを差っぴいても
(1)九州転封を受諾すれば秀秋の養子縁組はなかった。
(これは毛利が九州に移らなかったから代わりの命令なのだから)
(2)関東に移った徳川や防長に削減あとの毛利のように
統制を強める体制を整えられた。
こうして毛利一族軍が西軍主力となって徳川を破ってしまえば
あとは・・
0293人間七七四年
2007/09/21(金) 23:26:43ID:KnAnMfbY0294人間七七四年
2007/09/22(土) 08:36:14ID:05h8E5cT0295人間七七四年
2007/10/01(月) 05:53:51ID:sGAnidW/激戦区は東日本
0296人間七七四年
2007/10/01(月) 21:37:01ID:pM7mv52Cまたは時代劇の見すぎ
0297人間七七四年
2007/10/03(水) 21:00:43ID:KkQtg+QZ0298人間七七四年
2007/10/06(土) 12:36:08ID:l6z/22wb0300人間七七四年
2007/11/26(月) 00:11:15ID:qok/eTJl0301人間七七四年
2007/11/26(月) 00:35:45ID:6mkgeh70隆元が死なないこと
輝元が才気走ってること
隆景に優秀な子がいること
これくらいあればいいか。
0302人間七七四年
2007/11/26(月) 00:44:07ID:b9VE1n5xとりあえず、山中ちゃんを心身から屈服させてみることから初めてみよっか。
0303人間七七四年
2007/11/26(月) 01:03:05ID:gMg3ZUEtそれは面白いIFかも
0304人間七七四年
2007/11/26(月) 01:39:53ID:hcT8S9Mh0305人間七七四年
2007/11/26(月) 01:47:50ID:t3ocVNLu0306人間七七四年
2007/11/27(火) 02:17:03ID:vm9ODaVb毛利元就、毛利三兄弟、島津四兄弟、大友宗麟、立花道雪・宗茂、高橋紹運
龍造寺隆信、鍋島直茂、長宗我部元親・信親、宇喜多直家、黒田如水・長政
ざっと思い浮かんだだけでもこのオールスター級
どこが雑魚なんだよw
0308人間七七四年
2007/11/28(水) 19:22:12ID:G7ncd8gh0310人間七七四年
2007/12/24(月) 07:14:17ID:75PWHM430311人間七七四年
2007/12/24(月) 12:19:07ID:oUZcnDht0312人間七七四年
2008/01/11(金) 01:32:34ID:m+diTxkBゆ か り ん 大 毛 利 v
0313人間七七四年
2008/01/11(金) 06:29:11ID:4Pdb0Ho0>本能寺の後で秀吉を追撃していれば
>関ヶ原で
>輝元が、隆元が
幾つのifを用意しようと戦国の世で毛利に天下は転がってこなかったと思うな
本能寺にしろ関ヶ原にしろ、あれだけ近くに居たにも関わらず天下取りのチャンスを逃してきた毛利には完全に天運が無かったとしか思えないよ
例え新たなるifがあったとしても、またチャンスを逃すと思う
0314人間七七四年
2008/01/12(土) 02:39:10ID:548ox+5Vある意味遺言守ってるな
0315人間七七四年
2008/01/15(火) 03:49:28ID:ezHGEic0今はどうか知らないが、当時の中部地方は東日本だ。
お市は東国一の美女と評されている。
0316たられば君
2008/01/15(火) 07:23:07ID:9H6iGUuG0318サイコメトリー
2008/01/18(金) 18:27:03ID:C2ltqHkA毛利家が天下に迫れた最大のポイントはやはり、本能寺の時だと思うな。
秀吉を追撃し、畿内掌握とまではいかないけど、秀吉軍を叩く事で滅ぼせ
なくても、明智軍に秀吉が勝つ事はなくなる。織田家臣軍は完全に分裂し、
内紛が必ず起きる。それと同時に光秀派or秀吉派どちらかと手を組めば、
国内最大勢力となり、小早川隆景主導の元、毛利派閥を徐々に拡大させれば、
毛利幕府も現実性が見えてきそうだけど、どうだろう?
0319人間七七四年
2008/01/18(金) 18:46:09ID:n4n/aW6Mの秀吉が登場するまで天下統一はありえないだろう。その「第二の秀吉」
になりうる人物を探せば結局黒田如水ぐらいしか思いつかない(もちろん
本物の秀吉に比べればはるかに器が劣るが)およそ節操というものがない
如水が秀吉が滅んだ直後毛利に寝返ればその後の歴史は大きく変わってい
ただろう。
0321人間七七四年
2008/01/20(日) 02:51:38ID:1Qg8SXtK0322人間七七四年
2008/01/20(日) 07:10:47ID:gbgIdWBi戦国の世に一族を託すには心もとなかったほどの善人だったらしい
0323サイコメトリー
2008/01/21(月) 12:53:37ID:u9l1QVsG天下統一スレで必ず出てくる話なんだけど、戦国大名及び武将は皆が野心家
ではないと思んだよね。元就も隆元も然り。
両川が揃って補佐し、輝元を担いで勢力拡大を推し進めても、自領を維持した
まま畿内統一を計るのは厳しいと思います。
>>318の手しか自分はないと思うが、秀吉も光秀も生き残れば、また群雄割拠
の戦国時代に帰す可能性が高く、>>319の仰る黒如の様な野心家が台頭するに
はしばらく、時を要すると考えられるがどうだろう?
0324人間七七四年
2008/01/22(火) 02:07:37ID:UbzAvzlq今日は輝元の誕生日だ
0325人間七七四年
2008/01/22(火) 19:46:23ID:ARD/AZLu0326人間七七四年
2008/01/23(水) 04:40:36ID:yd9BhANX0327人間七七四年
2008/01/24(木) 10:10:12ID:WG6BXbYj0328人間七七四年
2008/01/24(木) 10:54:28ID:SfTKE7Jrそれはねーよ
毛利の生命線は流通(瀬戸内海運利権、石見銀山、良質な鉄)>>>米だぞ
これで家康のような超保守&農本主義志向は自分で自分の首を絞めるようなものだ
0329人間七七四年
2008/01/24(木) 23:03:54ID:+NA+Mfc90330人間七七四年
2008/01/25(金) 00:23:48ID:B6xtDfhP0331サイコメトリー
2008/01/25(金) 09:12:00ID:3ZICTnfb毛利元就は大内・尼子・大友・陶軍と強敵を近隣におきながら、勝ち残った
智勇兼備な大名だと思います。でも毛利家が天下を望めるポイントは彼の死
後の本能寺だと思う。どうかな?確実に関ヶ原時より可能性は高いと思うのだが。
0332人間七七四年
2008/01/25(金) 16:17:30ID:nbhiVNdy多方面作戦を強いられることになるため吉川家の面子の寿命が伸びる事が条件かな。
吉川元春・吉川元長・吉川広家・小早川隆景・小早川秀包・穂井田元清
一族ではこの面子が主力かな。後は足利義昭を上手く利用できれば益々良いってところか
0333人間七七四年
2008/01/25(金) 17:42:02ID:xhGhILGF0334人間七七四年
2008/01/25(金) 19:10:05ID:nbhiVNdy0336人間七七四年
2008/01/26(土) 11:04:57ID:m0wLl0aJまあ後々面倒くさいから手を出さなかったんだろうけど
天下とるんなら尼子を先に倒したあと大内が内部分裂しながらもギリギリ勢力を保っていれば後ろのうれいはなく京まで一気に勢力伸ばしていけたかもしれんね
四国が問題だけど
天下をとるつもりなら一気にとるか外交使いながらほっとくかが一番良いと思うけど
0337人間七七四年
2008/01/28(月) 17:18:57ID:dV8/5XQtまぁ結局は、元就がそれは無理だと分かっていたから毛利は天下を望んではならぬと言い聞かせたわけだよね。
それではみなさん、またどこかでお会いしましょう。さようなら
0338人間七七四年
2008/01/28(月) 20:52:19ID:TkBtYFVUでもこの人は「社長になるより部長や課長でいて
甘い汁吸うほうが楽じゃんw」ってのがモットーだしな〜
元就にロボトミーでも受けさせるしか毛利家が天下をとれる道筋はなさそうだな〜
0339人間七七四年
2008/01/29(火) 01:50:33ID:MF0KeTpGモトナリは天下人に馬鹿にされない勢力をきずいたし
テルモトは天下人たるにふさわしい人の邪魔をしなかった
毛利家は賢い
0340人間七七四年
2008/01/29(火) 11:44:53ID:VVI481gq広家がいなければ領地召し上げられてプーになってた。
0341人間七七四年
2008/01/29(火) 13:45:41ID:ILxOY5q5だったら関ヶ原でも空弁当しなくていいから好都合じゃね?
っていう
0342人間七七四年
2008/01/29(火) 14:12:11ID:zQsWOsTL0343人間七七四年
2008/01/29(火) 14:16:18ID:l6ukqWAN0344人間七七四年
2008/01/29(火) 14:16:34ID:d0STCejkまぁ、交戦していてもどうなったかは分からんし、
毛利が参陣しなければ関ヶ原での決戦自体があったか分からんし、
徳川寄りか中立を保てば安泰だった保障もないし。
不戦敗で減封くらい幕末でやりかえしたということしか分からん。
0345人間七七四年
2008/01/29(火) 14:59:13ID:wpGjiLu60346サイコメトリー
2008/01/29(火) 16:24:03ID:Oly7QlXl悪い意味で?
>>345
それでも、戦国期から幕末期においてこれほど影響力を持った人々を輩出した
のは稀な家である事は確かだよ。現代でも生き残りは居るしね。
0347人間七七四年
2008/01/30(水) 04:46:27ID:e2le6Y6hまさに今のカープみたいにw
0348人間七七四年
2008/01/30(水) 07:24:03ID:Np5viXsg結局元就の方針は失策だった
大友とは同盟を結んで九州は放置し、近畿制覇の乗り出せば信長の先をいけた
0349人間七七四年
2008/01/30(水) 12:20:22ID:iFhJgvwo0350人間七七四年
2008/01/30(水) 12:34:18ID:la/xrbMX0351人間七七四年
2008/01/30(水) 17:15:18ID:fbOWsGK8いろんな説があるなか、朝廷説が説得力があるが、
その朝廷に様々な工作をしていたのが毛利。
元就時代からの繋がりは非常に深い。
朝廷への莫大な献金は、信長の侵攻という事態を想定していた・・・のかもしれん。
0352人間七七四年
2008/01/30(水) 20:19:07ID:a0U6I+u4結果、秀吉→家康で毛利は幕末まで登場を待つの?ない、ない。
0353人間七七四年
2008/01/31(木) 03:28:12ID:AaLTpRKU何で朝廷説が説得力あると思うんだ?
俺にはまったく説得的と思えないんだが。
0354人間七七四年
2008/01/31(木) 21:17:20ID:vA7tjmKqちょっとしつこいorz
0355サイコメトリー
2008/02/05(火) 12:30:56ID:nydEM7ROしつこくてゴメン。でもそうだと思わない?
0356仙台藩百姓
2008/02/05(火) 13:05:38ID:of/Gh39l0357人間七七四年
2008/02/05(火) 13:17:30ID:6odkbzaP一方織田は信秀が1540年ごろに尾張を統一してる。
ゆえにどっちかというと毛利の方が新興勢力。
0358_
2008/02/05(火) 13:21:00ID:CFxPJXT+信長の最大の敵はまさにこれだからだ。
石山本願寺が戦国最強の大名的存在なのは、よく知っているはず。
どんな忠義者であっても、自分の主君より本願寺を大切にする武将は数知れなかった。
つまり石山本願寺を敵に回すことは、死を意味する。考えてみろ。突然最も信頼
される家臣に寝首をかかれたら?
信長は、古い常識を振りかざすような人間が嫌いであったし、過去の常識に
とらわれず、将軍家、石山本願寺を制した。この度胸が毛利にあるか?
俺は無いと思う。つまり、中国どまりで限界だっただろうと思う。
0359人間七七四年
2008/02/05(火) 13:53:53ID:Zh5jsZFI名目上とはいえ総大将で、動かなかったとはいえ大軍を動員して参陣している関ヶ原と比べたら、有力候補の一つとしか思わん。
0360人間七七四年
2008/02/05(火) 14:06:43ID:6ruAzKHj0361人間七七四年
2008/02/05(火) 14:15:01ID:rSCIpV0x信長以前に細川晴元がすでに本願寺を焼き討ちしたの知らないのか?
どの大名も本願寺をなんとかしたいけど力が足りなかっただけ。
信長も本願寺と何度も和睦を繰り返してたし、そこまで「革新的」でもない。
それに、本願寺を完全に無力化したのは家康だし。
0362人間七七四年
2008/02/05(火) 14:23:44ID:Zh5jsZFI>>318で天下に迫るって書いている。
天下を取るスレだから、合戦にしても交渉にしても、すべて毛利に都合よく展開するとしても、
全国の大名が分かれ、勝ち馬に雪崩打って終結しそうな関ヶ原の方が早いんじゃね。
0364サイコメトリー
2008/02/05(火) 20:21:10ID:nydEM7RO消滅させる事は無理でしょ〜。って事は敗れたとしても、家康の勢力は以前
国内最大を維持するんじゃないかな?
そしたら、結局遅かれ早かれ、家康が国内制覇してしまうよ。それであれば、
家康や他勢力がまだ勢力弱の本能寺時の方が可能性が有ると思うんだけどなぁ。
0365人間七七四年
2008/02/05(火) 21:07:34ID:Zh5jsZFI0366人間七七四年
2008/02/05(火) 22:15:10ID:pZuvLtgr元春は秀吉を討つべしと言っていたらしいが、結局うやむやにされた
0367奇矯屋onぷらっと ◆JUU/.JUU/.
2008/02/05(火) 23:08:59ID:yYpWvfuX0368人間七七四年
2008/02/06(水) 01:45:50ID:4iVFT+uR毛利に都合よくって当たり前だろ〜。スレタイ見て参加せい。毛利に都合悪く考えて、毛利の天下を語れるか?!
0370サイコメトリー
2008/02/06(水) 08:46:44ID:m7/3VELCあなたの持論をお聞かせ下さい。
人の意見に意義の唱える時は、持論を展開させないと、意味がないと思いますよ。
0371人間七七四年
2008/02/06(水) 21:01:52ID:dSDbTCUIスレ的には、毛利に都合の良い展開になることが前提条件だから、
どんな妄想でも天下は取れることになる。
でどれが一番かと言われれば、準備万端で参陣している関ヶ原で妄想するのが手っ取り早いと考える。
都合よく家康が戦死か捕獲でき、都合よく全国の大名は勝ち組に乗り、都合よく東軍の大名は無抵抗。
主導権も毛利が握り、豊臣政権も支えるもよし簒奪を目指すもよし。
まぁ、実際の展開を逆にしただけだけど。
本能寺の変後の展開で妄想するにしても、
秀吉のたどった天下への道のりを毛利に置き換える程度の妄想しか俺には出来ないけど。
0372人間七七四年
2008/02/07(木) 07:35:43ID:z8+EGYiRあなたは、そんな展開想像して面白い? あなたのスレ見てると楽しさが感じ
られん。なんでこのスレ参加してんの?
0373人間七七四年
2008/02/07(木) 08:36:13ID:QhlSY9Ke本能寺の変後はどう?と、持論を聞かせろと言われたから書いただけだがな。
敗北が滅亡に直結するかもしれん戦国時代なら、最短で終われる方が天下に近いだろ。
0374人間七七四年
2008/02/07(木) 21:28:25ID:b7FON9SJ隆景は英断だったのかも
0375サイコメトリー
2008/02/08(金) 13:09:01ID:ezUNRBDk真っ向から否定するつもりはないけど、上杉=毛利 勝家=秀吉 ではないと
思いますよ。 その状況と地理的な問題が大きな要素だと思うがどうかな?
0376人間七七四年
2008/02/08(金) 17:34:30ID:+X52uTPX上杉は追撃どころじゃないだろ…
内乱 織田軍の複数ルート侵入 魚津陥落 まさしく滅亡寸前
一方の毛利は
九州→大友家耳川大敗で大没落中
四国→長曽我部飛躍も織田との関係は険悪化
と回りの情勢は悪くないし主力もほぼ無傷。
戦い続ければ負けるだろうが状況は上杉程悲観するほどでもない
0377人間七七四年
2008/02/08(金) 20:48:01ID:HbFcOqIm可能性だけで言ってます
上杉も恩着せてたら減封はないだろうし
>>376
でも勝家手間取ってるんだよな 対等和睦はできたはず
秀吉討てても結局柴田か家康が毛利討ちに来るだろうし
0378人間七七四年
2008/02/08(金) 23:42:13ID:eYsG46Ys大友は大内義長を見捨てたわけで、
ここで豊前、筑前に手を出さなければ、大内領を分け取りして丸く収まった可能性がある
すると元就のストレスが軽減されてしばらく長生きするだろう
すると尼子の残党なんかは瞬殺できるし、
三村や宇喜多が勢力を伸ばす以前に中国を制圧できた
すると本願寺とも完全連結できるのであって、
ここに足を捕られた信長は諸大名のABCD包囲網で高転びに転ぶ
こうして日本最大の大名家である毛利輝元公が天下をとったのでありました
めでたしめでたし
0379奇矯屋onぷらっと ◆JUU/.JUU/.
2008/02/09(土) 00:24:43ID:IVcbEEIxB・・・馬場
C・・・千葉
D・・・大道寺
誰を囲んでるんだろう・・・?
0380人間七七四年
2008/02/09(土) 20:04:34ID:Fcd83NS3対 信長?
0381人間七七四年
2008/02/09(土) 20:54:09ID:PFmQNPeDB・・・備前
C・・・筑前
D・・・出羽
0382人間七七四年
2008/02/09(土) 21:02:26ID:26C5XUn0それを受けなかった時点で政治的にも経済的にも
大国をまとめていくだけのセンスがなかったということじゃ
なかろうか?
博多を抑えたと書かれているけど、大友は博多に手を入れてるけど
毛利はそんなことしたのかいまいちわかんないし、
武田のように道路整備したとか言う話も聞かないし・・・
結局、元就含めて天下取りできるだけの政治、経済のセンスが
あったかどうか疑問なんだよね。両川含めても。
表高300万石もさることながら、山陰山陽の海運ルートの
全てを握れて交易でウハウハだろうから。
0383にゃんこ
2008/02/10(日) 01:37:41ID:cXSq1iJa元就が元気なうちに、大胆な家臣粛清と一族の整理が必要だったのだと思う。
まあ、でも無理だったんだろうな。
0384人間七七四年
2008/02/10(日) 02:51:10ID:/aC8705lだからチャンスはあったんだけど天下を取り損ねた。
というよりチャンスを過ぎ去るがままに眺めていたんじゃないのかな。
本能寺にしても九州への転封命令にしても関が原にしても
チャンスは来てるんだけどただ眺めているだけという印象しか
このスレ見てると受けないんだよね。
積極果敢でかつ政治経済にセンスを持った領主がいなかった。
それが全てだと思う。
0385人間七七四年
2008/02/10(日) 03:25:47ID:bAtWIUUJ0386人間七七四年
2008/02/10(日) 05:43:19ID:cXu6ELdN0387人間七七四年
2008/02/10(日) 08:55:04ID:kKbwhMDZ成り立ちは違うけど、経久の頃まで国人領主みたいなものだったのにな。
0388人間七七四年
2008/02/10(日) 09:11:16ID:9d5qgqYR0389サイコメトリー
2008/02/14(木) 13:51:44ID:5bdD9KBn毛利家が天下を狙える状況は本能寺時と関ヶ原時が最大のキーポイントとなっている
様ですが、2条件以外でもチャンスはあっただろうか?
自分は変わらず、本能寺時が絶好のチャンスと思ってます。
0390人間七七四年
2008/02/14(木) 14:02:18ID:J+Of9PKAだからこそ小早川は厚遇されたんだろうけど関ヶ原ですべてが無駄になったな。
0391人間七七四年
2008/02/14(木) 14:42:24ID:j+Gr8ylN0392人間七七四年
2008/02/14(木) 15:48:20ID:BnMgP78Cで倒した後のビジョンもよろしこ。
0393人間七七四年
2008/02/14(木) 21:35:50ID:a+u7tknB0394人間七七四年
2008/02/14(木) 21:46:26ID:vS8j/+HM徳川長宗我部の連合軍が島津をたたくが徳川領に北条来襲それに呼応して真田
信濃平定、伊達は佐竹攻め家康のいない徳川終わり国力に余裕がある毛利輝元が天下人
0395人間七七四年
2008/02/15(金) 06:48:46ID:lwSMsTSS秀吉に四国の覇者を望むか天下を望むかと聞かれて「天下を」なんて言う奴だから
やりかねなかった。
家康はああゆう奴だし。
0396人間七七四年
2008/02/15(金) 22:11:42ID:rhPrZryS0397人間七七四年
2008/03/03(月) 10:16:42ID:MFfKnqgP大内もそうだったが天下を狙うのではなく天下を統べる家を補佐するというのが
中国筋の気質
それと当時の感覚だと源氏でも平氏でもない(大江氏族の)出自であるという点も
大きいのではないだろうか
鎌倉室町以来細々と各地で国人領主をしてはいたが出自は大江氏族ではっきり
していたので元就晩年に大飛躍しても氏は今更変更など出来ない
これが織田豊臣徳川のように先祖がはっきりしなければ系図捏造も可能なんだけどw
武家の棟梁=征夷大将軍=源氏の長者みたいな伝統が頼朝以来ある国で源氏でも
なく清盛のように朝廷内での官位を極めたことのある平氏でもなく、大江氏族ですからね
0398人間七七四年
2008/03/04(火) 19:19:40ID:3LQD2Efl野心を持たずほどほどにしといた、元就さんや隆景さんはそこらへん賢かったね。
0399人間七七四年
2008/03/10(月) 17:35:34ID:jev3LKO1仰る通りでしょうが、それではスレが進まないよ。
よって終了かな。
0400奇矯屋onぷらっと ◆JUU/.JUU/.
2008/03/11(火) 00:25:16ID:l7H6aFz20401人間七七四年
2008/03/13(木) 17:06:03ID:BOftGMVW隆元が延命してれば有り得たかもしれない。
0402人間七七四年
2008/03/15(土) 22:57:49ID:wWBap35x0403人間七七四年
2008/03/21(金) 11:53:56ID:fj6wvdf60404名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/24(月) 01:12:46ID:wKrFWqSl0405たられば君
2008/03/24(月) 23:08:21ID:QTvqj6jd0406人間七七四年
2008/03/25(火) 01:06:52ID:d/ZBMXGTネラーに言われたくないだろうな家康公もW
0407人間七七四年
2008/03/25(火) 01:51:07ID:eNRs7uHO0408人間七七四年
2008/03/25(火) 13:45:55ID:WlQCmdDe0409人間七七四年
2008/03/25(火) 13:55:55ID:72K52s6L戦略的な観点で深く考察しようにも頑張れば何とかなる位置に居たってのがまた。
0410人間七七四年
2008/03/25(火) 16:52:33ID:WlQCmdDe0411人間七七四年
2008/03/28(金) 19:15:41ID:X3ljEY+T0412人間七七四年
2008/03/30(日) 23:51:31ID:x2Dp4ibD0413人間七七四年
2008/04/06(日) 04:48:57ID:lLlsCGHC0414人間七七四年
2008/05/04(日) 18:35:32ID:2DCHIA6q0415人間七七四年
2008/05/04(日) 18:51:59ID:ThFDlmgR0416人間七七四年
2008/05/04(日) 19:30:01ID:LfzxEo6U能力的に、って言われてもゲームみたいに数値やランクで
表記するのは難しいだろうが実績を考えると
戦に関しては特別に強かったという記録も無いが、
これといった失敗も見られない為、人並み程度だったはず。
内政に関しては元就ではなく隆元が実行して結果を上げたという
記録がある点や、人心掌握ができていた点等を見ると、
かなりの名君だったのではないかと推測できる。
政略、謀略に関してはどうしても父や弟の活躍に隠れがち。
謀殺されたという説もあるし、平均以下の可能性はあっても平均以上ではないと思う。
弟や家臣に優秀な人材が揃っているなら、主君として何より求められるのが
裏切られないように人心を掴む事だと思う。
小豪族の当主としてだったら単なる凡将だったかもしれないが、
太守毛利家の跡継ぎとしては申し分なかっただろう。
0418人間七七四年
2008/05/05(月) 17:06:41ID:H2enQeNk安芸一国から中国の太守への飛躍の判断をしたリーダーということになる
0419人間七七四年
2008/05/05(月) 17:25:46ID:uvxxJgBhずっと正室を持つのも嫌がり続けたくらいの筋金入りの男色家。
困って元就が義隆から妻を迎えるように勧めてくれるように頼んだとかw
0420人間七七四年
2008/05/08(木) 14:28:51ID:idaGgjGLひょっとすると元就以上に
何故そう考えるかというと
西国無双と呼ばれた大内家の当主を討ち取りつつ家中をまとめる軍事的センスと
九州の雄であった大友宗麟の実弟を養子として大内家新当主として迎えいれる
政治的センスを持つ陶が相手
そしてその影響力は直接間接含め防・長・石見・筑前・筑後・豊前・安芸・備後・
瀬戸内海賊衆に及ぶ
こんな巨大勢力と敵対するのに毛利元就安芸半国程度+安芸備後国人連合
背後には山陰の支配者尼子
いくら元就が優れていようが人間50年の時代にもう60歳越えそうな爺さん(当時の寿命
からすればあと数年で元就死亡、後継者である隆元の代になるのがみえてる。おまけに
毛利家は早死に多し)のおこした乾坤一擲ともいえる対大内合戦に加勢するわけだから、
累代の家来衆ならともかく元就の代によしみを通じるようになった安芸備後国人連合衆に
してみれば、元就より器量良しもしくは同程度の器量とみられていなければとてもじゃないが
ついていけないと思う
0421人間七七四年
2008/07/04(金) 22:13:41ID:miGrDYdT0422人間七七四年
2008/07/07(月) 06:37:27ID:HN0/j1lC0423人間七七四年
2008/07/08(火) 13:01:44ID:Xnz4DcuH0424人間七七四年
2008/07/08(火) 22:25:10ID:sqH+Rfye0426人間七七四年
2008/07/19(土) 16:38:25ID:SugJcsw60427人間七七四年
2008/07/19(土) 18:24:54ID:f9JCRK07高橋名人と覇を争った毛利名人に対しなんたる無礼!!
土下座するのだ!
0428人間七七四年
2008/07/19(土) 19:43:08ID:ky5XU1ll0430人間七七四年
2008/07/19(土) 22:30:20ID:SugJcsw6アホとしかいえないww
アホと言うかマヌケだけどwww
0431人間七七四年
2008/07/20(日) 00:14:47ID:igL5c1/P自分のレス見ろよ
アホとしかいえないww
アホと言うかマヌケだけどwww
0432人間七七四年
2008/07/20(日) 00:24:45ID:vqmCvXw1勝手に内応傍観の約束をしてた秀秋や広家は罰せられるだろうか、それともやはりなかった事になるのだろうか
0433人間七七四年
2008/07/20(日) 19:38:28ID:igL5c1/Pで史実通り後で仲直り
0434人間七七四年
2008/07/20(日) 20:50:59ID:bQQiIS46毛利信者は毛利に似てアホしかいないねww
0435人間七七四年
2008/07/20(日) 20:56:14ID:hHbNC+Ue0436人間七七四年
2008/07/20(日) 21:01:28ID:bQQiIS460438人間七七四年
2008/07/20(日) 21:55:16ID:igL5c1/Pやめて欲しいものです。
0440人間七七四年
2008/07/21(月) 21:03:19ID:znfaURPy毛利では到底天下なんか無理な気がする。
精々徳川みたく火事場泥棒程度じゃない?
やっぱり、よりチャンスは関ヶ原。
秀吉のお陰で家康に継ぐ石高もらってその家康と東西の大将として対立。
兵数敵には上回ってるしナンバーワンの絶好のチャンス!
まぁヘタレで大将のくせに不参加だったわけだが。こりゃ西軍負けて当たり前。
0441杉原研究倶楽部
2008/07/25(金) 00:56:50ID:1rzBN/Po0442蜂蜜の五郎太
2008/07/25(金) 07:18:05ID:1rzBN/Po0443杉原研究倶楽部
2008/07/26(土) 13:40:45ID:dPj0BTHi0444備後の国衆
2008/07/26(土) 17:55:24ID:dPj0BTHi0445杉原研究倶楽部
2008/07/27(日) 14:52:12ID:Lxo/Y7pL0446人間七七四年
2008/07/27(日) 15:01:46ID:zdkNC+Zz0447萩藩研究会
2008/07/27(日) 20:54:00ID:Lxo/Y7pL0449fartman
2008/07/30(水) 02:30:56ID:jk+HFUEz0450人間七七四年
2008/07/30(水) 05:11:44ID:jk+HFUEzつか、関ヶ原が一番のチャンスだったとしても、最低限輝元が出てきて、広家も傍観しないのが、最低限
の条件だった。しかも徳川叩きを先導したのは、三成。戦後の処理や恩賞は、三成主導で進むだろ。
となれば、大返しの時の追撃だが、これも上手くいったとは思えない。何しろ秀吉が戻るのが早すぎる。
ゆっくり行進してくれたなら、細川あたりも取り込んで、明智や細川辺りと挟撃できたのかもしれんが、
3日でその状態まで持っていくのは、多分無理。毛利が秀吉より速いのなら別だがw
0451人間七七四年
2008/07/30(水) 09:08:05ID:DMssfOSz絵に描いたような無能。
0452人間七七四年
2008/07/31(木) 11:39:47ID:rzwZMRrM関ヶ原後は案外がんばってる
けどそれをもって普通に名君とか言いだす奴がいるから困る
0453人間七七四年
2008/08/03(日) 17:48:58ID:gCYpY8Xp0454人間七七四年
2008/08/03(日) 20:25:30ID:0lFmDQEi0455人間七七四年
2008/08/04(月) 09:24:27ID:htFiqrfX0456人間七七四年
2008/08/04(月) 10:34:23ID:Tw2HUpog0457人間七七四年
2008/08/04(月) 12:44:18ID:20cxLjFtやっぱり毛利が好きなんだなぁー
俺は
0458人間七七四年
2008/08/04(月) 14:11:28ID:R5KeR+5n敗戦後早々と大坂城から追放されたじゃん。
吉川の暗躍がなかったら宇喜多の代わりに八丈島逝きだったかもしれんな。
0459人間七七四年
2008/08/04(月) 15:10:21ID:Tw2HUpog0460人間七七四年
2008/08/05(火) 21:55:05ID:pqmdTgtI0461人間七七四年
2008/08/05(火) 23:35:50ID:RjxwH7W50462人間七七四年
2008/08/06(水) 00:10:10ID:G8KLDpzI0463人間七七四年
2008/08/06(水) 09:24:00ID:SpPKS4YW避けて結局秀吉の浸透を許し、関ヶ原では三成に踊らされ、一族・家臣に翻弄されどっちつかずの
でたとこ勝負に終始。これで御家全うできるんか!という優柔不断さ。
まぁ大国二代目にありがちな事なかれ主義と配下の人材不足と指導力不足ってねぇ。
福田Jr.みたいだよなw 輝元って。
0464人間七七四年
2008/08/06(水) 09:29:37ID:maIw2/Ae0465人間七七四年
2008/08/07(木) 19:48:11ID:YRBkYxjf0466人間七七四年
2008/08/08(金) 09:51:42ID:sgm8M4cQ0467人間七七四年
2008/08/08(金) 18:56:14ID:mzADiQ8K0468人間七七四年
2008/08/08(金) 23:05:09ID:x2JBB4Uyナメック星まで行けば3つまで願いが叶うぞ
0469人間七七四年
2008/08/08(金) 23:15:16ID:aJpXs9Gw輝元に決断力を与えてください
元就の正室を蘇らせてください
この3つだな
0470人間七七四年
2008/08/09(土) 14:58:00ID:iIRE2t9S0471人間七七四年
2008/08/09(土) 20:46:17ID:DRHJj2KM0472奇矯屋onぷらっと ◆JUU/.JUU/.
2008/08/09(土) 21:40:39ID:wO0tWsmt0475人間七七四年
2008/08/09(土) 23:11:29ID:/HqBSXAfそれだけだと「へぇ・・・それが?」って思わんか?
元就70才の時の子供ってインパクトの方が売りとしてはデカイんでは?
0476奇矯屋onぷらっと ◆JUU/.JUU/.
2008/08/09(土) 23:17:36ID:wO0tWsmt捨てきれずに全員が名が遺るように石を打った元就と輝元は愚者ではない。
0478人間七七四年
2008/08/10(日) 13:24:27ID:US5eg6x+0479人間七七四年
2008/08/10(日) 14:32:42ID:+ge7vMx80480奇矯屋onぷらっと ◆JUU/.JUU/.
2008/08/10(日) 14:50:41ID:7upnIb9w0481人間七七四年
2008/08/10(日) 14:56:45ID:T0F9qLE3http://same.ula.cc/test/r.so/hobby11.2ch.net/sengoku/1184517821/l10?guid=ON
http://same.ula.cc/test/r.so/hobby11.2ch.net/sengoku/1216357191/l10?guid=ON
ただの荒らしだ。
0482人間七七四年
2008/08/10(日) 15:41:28ID:US5eg6x+0483人間七七四年
2008/08/10(日) 20:24:07ID:PSQjr6Uu幕末まで存在しただけでも奇跡に近い。
0484人間七七四年
2008/08/11(月) 21:06:04ID:B4GHiFaI将軍足利義昭をどう処遇して自分が天下人になるのだ?
0485人間七七四年
2008/08/11(月) 21:25:55ID:ZZLy8vAaと教えたら、広家は家康に襲いかかっただろうな。
0486人間七七四年
2008/08/12(火) 00:48:21ID:kAm90aDw0488人間七七四年
2008/08/12(火) 09:47:09ID:jhrkuq8O0489人間七七四年
2008/08/12(火) 12:10:25ID:77dZZP4K0490人間七七四年
2008/08/12(火) 22:24:33ID:jhrkuq8O0491人間七七四年
2008/08/13(水) 09:12:30ID:tj3LExMh0492人間七七四年
2008/08/13(水) 19:53:05ID:fAWCrNj80494人間七七四年
2008/08/14(木) 12:38:32ID:XSMEAgYs故に、一旦長府藩を取り潰した上で再興しなければならなかったのである。
再興後の長府藩は、将軍家から一字拝領されないことでもわかるように一段下の存在なのである。
丁度越後中将家が、津山で再興されてから将軍家から養子をもらって再度一字拝領となるまでのように。
0495人間七七四年
2008/08/14(木) 12:45:24ID:MPA/fwTy行った先で天下を取れたろう。
家中揃ってあほ揃い。
0496人間七七四年
2008/08/15(金) 14:53:41ID:wSnh4xx10497人間七七四年
2008/08/16(土) 01:09:22ID:upGxOthoむしろ毛利だけじゃなくて伊達とか島津とか大名たちはどうなったんだろうな
長州薩摩出身の政治家や軍人は多いけどこういった大名たちは表舞台から消えちゃってる
0498人間七七四年
2008/10/21(火) 19:39:03ID:nfNB193I■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています