家督を譲られた嫡子芦名盛興が夭折しやむなく隠居から復帰して5年後に芦名盛氏が死去して、さらにわずか4年で
元は二階堂氏からの人質の身の上からいきなり養子になり芦名家臣団から反発的された芦名盛隆も暗殺されすっかり弱体化した芦名を相手に
翌年には早速に政宗は生後わずか一か月で当主になった幼君の亀王丸を討ちに芦名へ進軍して見事に大敗北しましたw
この内応者まで作りながら見事にぶさまな大敗をした戦いを関柴合戦と言います。
この亀王丸が3歳で死ぬ12歳の佐竹の子で格下の白河結城の養子から芦名の養子になりましたが
芦名派や二階堂派や伊達正室派に佐竹家臣派が闘争し混乱に拍車がかかり芦名は空中分解してしまいました。