【史上】伊達政宗以上の天才はいない【最強】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 03:01:25ID:ekJqkzet更に人格、容貌に優れ
超一流の多彩な趣味、世界規模の外交手腕まである
当然人気も絶大
間違いなく史上最強
0583人間七七四年
2007/10/31(水) 20:41:10ID:IVvIqQO/0585人間七七四年
2007/11/01(木) 23:41:49ID:japfgELS北朝鮮兵士がローラースケート滑りながら機銃撃ってた発想と同じでしょ(白マント付き)。
装填が不便で馬の上って実践に不都合だし。真田兵に対して無駄だったし。
イスパニアから発想を得たにしても、何を学んだのかって感じ
0586人間七七四年
2007/11/02(金) 00:49:01ID:ZmR54Zb00587585
2007/11/02(金) 01:33:37ID:6h4Joahl弱いなw
0588人間七七四年
2007/11/02(金) 02:19:11ID:y5AYCG6q真田はそれ以上の突撃ができず、睨み合いが続き、貴重な時間を失っ
てしまったことは確か。真田はその後、「関東云々」という負け惜しみ
を言って、退却している。
0589585
2007/11/02(金) 02:46:11ID:6h4Joahlそう、その片倉隊が騎馬鉄砲を使ったものの、真田鉄砲に応射されて
崩れたので、引かざるを得なかった。
0590人間七七四年
2007/11/02(金) 05:49:41ID:4bijT7On0591人間七七四年
2007/11/02(金) 11:41:40ID:LALL8CiQむしろ家康が死んだりしないかと政宗は思っていたくらいで
伊達軍は必死になって攻める気などなかった
采配は片倉重長に任せっきりで政宗は終始後方で静観
実際に戦ったのは片倉率いる千人の先鋒ぐらいである
後藤隊と7時間に渡る激戦の末壊滅させ
後からやってきた真田隊にもそのまま片倉隊が当たった
早朝から戦い続けた片倉隊と真田隊は互角であったが
さすがに疲労しているだろうと政宗は奥山隊との入れ替えを命じた
片倉隊が引き上げ始まった所をみて真田隊は追撃を始めたが
政宗が本隊を繰り出した為に真田隊は慌てて逃げ去った
結局死傷者数人の小競り合いをしただけで終わった
真田は前衛と7時間も遅れる大ポカをやらかし前衛は壊滅
精一杯の虚勢を張って負け惜しみを言いおめおめ大坂へ逃げ帰ったのであったが
もはや負け犬の遠吠えでしかなかった
0592人間七七四年
2007/11/02(金) 14:16:59ID:4bijT7On0593人間七七四年
2007/11/02(金) 17:55:16ID:PTwGJIr9真田隊が出遅れたのは、政宗隊に後藤又兵衛潰すまでの時間的猶予を与えて華を
持たせ、迂回から攻め上る片倉隊を幸村が押し返すことで、華を持たせた
完全なるヤオ。 そしてその晩、幸村は子供を片倉隊に託し、翌日の天王寺決戦での
突撃ルートや情報を確保。 政宗隊は神保勢を殲滅し、家康との間の駆け引きも
あり、非常に険呑な駆け引きが裏には存在するのである。
0594人間七七四年
2007/11/02(金) 18:30:11ID:4bijT7On0595人間七七四年
2007/11/02(金) 18:55:34ID:DbDWn/4t0596人間七七四年
2007/11/02(金) 18:56:54ID:Ww/5Ak9F0597人間七七四年
2007/11/02(金) 19:47:50ID:neXVNUmtやっぱり天下人に一目置かれる奥州の大大名だった、と思う。
一揆を扇動とか忠輝を操ろうとするとか、やることがせこい。
どっちも天下人の手で叩き潰され、自分は危機に陥っているし。
その切り抜け方がいくらカッコ良くてもね…
>>593のヤオが実話だとしても、その複雑な関係には一体何の意
味あるのか?本当に家康が敗死すると信じていたのなら明らかに
間抜けではないか。死んでいく真田なんかと誼を通じてどうする。
後で家康からねじ込まれたらまたもカッコよく切り抜けるのか?
0598人間七七四年
2007/11/02(金) 20:03:46ID:PTwGJIr9話だったりしてな。
天王寺で家康が死んでたら、一時的な撤退は避けられないし、政宗的には
豊臣家温存されたまま、忠輝あたりを祭り上げれば面白い時代になるとかは
普通に考えてたかもな。
0599人間七七四年
2007/11/03(土) 00:49:21ID:f40W/woh上杉景勝に挑戦すらできなかった真のヘタレ。
0600人間七七四年
2007/11/03(土) 05:19:52ID:wWhzux6X0601人間七七四年
2007/11/03(土) 11:50:31ID:AmfHpZjS0603人間七七四年
2007/11/03(土) 15:08:52ID:7XN2z1QPいや、でもその不真面目のせいで百万石も反故だし。
確かに政宗にとって関ヶ原は「無益」に終わったな。
0604Y ◆VqSh5C7CR6
2007/11/03(土) 15:18:38ID:b4R2KVaTそんなヘタレ政宗公にしてみれば夏の夜の蚊の如しだなw
0605人間七七四年
2007/11/03(土) 15:19:49ID:wWhzux6X0606人間七七四年
2007/11/03(土) 16:18:16ID:f40W/wohだよな。
正宗の関ヶ原のヘタレっぷりは異常wwww
最上義光を援軍して直江兼続を撃退してたら間違いなく100万石だったのに、
上杉の大軍にブルっちゃってなにもできなかったんだよね。wwwww
0607人間七七四年
2007/11/03(土) 17:17:12ID:6RoDj5EH0608人間七七四年
2007/11/03(土) 17:21:03ID:jSyx2HRd0609人間七七四年
2007/11/03(土) 18:40:21ID:G/48Ie9I逆に言えば家康は自筆の証拠があたても開き直るぐらいだから
いくら必死に攻めたてても反故にされたと思う
南部領にちょっかい出したり最上への援軍渋ったり
あれだけ胡散臭い動きしてて2万石加増されたなら上手い事やったと言えるんじゃないかな
0610人間七七四年
2007/11/03(土) 18:43:31ID:HStW/pXG牽制だけで100万石と。
0611人間七七四年
2007/11/03(土) 19:19:55ID:EMnFOO5u天下とってくださいというもの
他の二世、三世大名とは貫禄が違いすぎる
0612人間七七四年
2007/11/03(土) 21:15:37ID:wAIwKvClてかいつからこんなに増えたんだろう
0613Y ◆VqSh5C7CR6
2007/11/04(日) 01:47:10ID:LL3QE8Giそれすなわち政宗に他の大名に対する危機感とは数段も違うものを家康が感じていたということでよろしいですな?
0614人間七七四年
2007/11/04(日) 06:47:39ID:ZSZpePL60615人間七七四年
2007/11/04(日) 12:20:12ID:gnRPU3QQ信長軍不利な戦況の姉川で戦いで奮戦
三方ガ原で信玄と決戦したり
本能寺から伊賀越えしてから甲斐信濃で氏政に一戦すると威圧して撤退させたり
秀吉と小牧長久手で森や池田を討っちまう。
さらに関ヶ原での大博打だ。
この徳川滅亡をかけた大博打を打てる家康や秀吉にとっちゃ政宗なんてタダの将棋の駒だからw
大内や二本松をイジメて当主いなくなって伊達派と佐竹派で分裂した芦名を討ったくらいで過大評価するなよw
実態は相馬にすら手を焼き大崎に大敗し上杉との戦いにビビり、大坂の陣では恐怖に混乱して味方を撃つヘタレ
0616人間七七四年
2007/11/04(日) 14:39:18ID:ZSZpePL60617人間七七四年
2007/11/04(日) 14:56:39ID:FwlATgUmどんなに家康が名将でも自分の死後は不安だろ
二代目は戦になるとあんなだし、三代目は戦国時代を経験してない。
それに対し政宗は最後の戦国大名。
そんな政宗が戦国時代を経験していない徳川幕府に反旗を翻したとしたら?
といってもそんなに簡単に徳川家が潰れるわけもなかったろうけど、
家康にしてもなるべく不安要素は取り除いておきたかっただろう。
0618人間七七四年
2007/11/04(日) 15:29:35ID:ZSZpePL60619伊達成実ってどお?
2007/11/04(日) 15:30:00ID:C1Quhhcp>615に加筆レス
政宗は実高200万石だったから充分に家康に対抗できたと思います。
さらにスペインとの貿易が成功していたら、もっと確率が高くなっていたと思う。
だから、家康は見張りをつけたり、難癖つけて妨害したのでしょう。
島津の琉球貿易や宗氏の朝鮮貿易は妨害されなかったけどね。
0620伊達成実ってどお?
2007/11/04(日) 15:31:16ID:C1Quhhcp×>615に加筆レス→○>617に加筆レス
0621人間七七四年
2007/11/04(日) 15:42:09ID:gam8v053もうね政治力の時代に入ってんのよ。
伊達が反旗を翻して味方につく大名なんて何人いると思ってんの?
0622617
2007/11/04(日) 16:37:03ID:FwlATgUm自分もそれで政宗が天下をとれたなんて思っちゃいないよ。
ただけ、>616が家康の個人武勇はすごいから政宗なんて恐れてなかったなんて書いてたからつっこんだだけ。
仮に100万石の政宗が反乱を起こしたところで徳川幕府は倒せなかったろうけど
それと同時に島原の乱みたいなのがおこってたら徳川幕府はもっと短命政権に終わってたかもしれない
家康としてはそういったリスクをなるべく減らしたかったろうと書いただけだよ
0623617
2007/11/04(日) 16:38:30ID:FwlATgUm0624人間七七四年
2007/11/04(日) 17:01:24ID:ZSZpePL60625人間七七四年
2007/11/04(日) 17:52:50ID:RdBoU9E6でも最終的には実質石高200万石にした政宗は偉い。
家康の人生と比べると、政宗の方が世渡りが上手いことがよくわかる。
0626人間七七四年
2007/11/04(日) 18:01:32ID:RdBoU9E6弱小なのに、戦乱を生き抜き、領地を確保し、人材を育成し、
杜の都仙臺と呼ばれる美しい城下町を造った政宗公は天才と言って良い。
元々文化が遅れていた奥州に医学、和算、絵画、伝統工芸、農業技術などが華やぎ、
すぐれた藩校や日本初の図書館などが造られるなどしたのは、政宗公
の影響が大きい。明治期の元仙臺藩士の活躍はすばらしかったし。
その美しい杜の都を焼け野原にしたアメ公は市ねよ。あと薩長も市ねよ。
0627仙台藩百姓
2007/11/04(日) 18:18:26ID:3o3dIRh80628人間七七四年
2007/11/04(日) 18:27:20ID:RdBoU9E6100万石のお墨付きを渋ったのは、若い政宗が調子に乗って暴走することを
警戒したから。だから、100万石のかわりに開墾の可能性のある地域を与えた。
他の外様と比べて伊達家は徳川家とのしがらみが無いため、大大名の中では家康が最も安心できた大名。
家康は政宗を警戒しているようにわざと見せて、他の大名を牽制するために政宗を利用したといってもよい。
本当に警戒しているのなら、江戸から京都御所に上洛するときに毎回政宗と共に行くことはなかったはず。
0629人間七七四年
2007/11/04(日) 18:37:22ID:ZSZpePL60630人間七七四年
2007/11/04(日) 18:43:34ID:gnRPU3QQえっ?弱小?お前頭大丈夫か?
0631人間七七四年
2007/11/04(日) 18:45:40ID:RdBoU9E6典型的なB型人間。
要領よくやり、最終的によければ全てよし。
弔い合戦、撫で切り、弟殺害、成実関係者皆殺しなど、気分屋なところもB型人間。
上洛後から、文化人としての教養を身につけ、江戸開府以降は毎日文化的な趣味の毎日を過ごした政宗公は実に素晴らしい。
江戸開府以降に生まれた子供には、武術、文学の両方を与え、溺愛したところから父親として、
仲違いしていた母親を仙臺に呼び面倒を見たところから、人間味溢れる人物だと思われる。
0632人間七七四年
2007/11/04(日) 19:00:26ID:ZSZpePL60633人間七七四年
2007/11/04(日) 19:06:08ID:5xQdVFG70634人間七七四年
2007/11/04(日) 20:59:05ID:ZSZpePL60635人間七七四年
2007/11/05(月) 00:12:34ID:4nXA4gugぶっちゃけ西国の雑魚さじゃ、佐竹義重に野戦で勝てるやつが見当たらない。
0636人間七七四年
2007/11/05(月) 00:33:42ID:Ag+ficHk政宗は大したことはない。信長・家康も運がとても良かったが政宗もそんな感じだな。
まぁ運が強いってのは必要なことだが。
0637人間七七四年
2007/11/05(月) 00:44:24ID:JgRzXr6Y0638人間七七四年
2007/11/05(月) 00:55:13ID:4nXA4gug後を継いだのは18のガキ。
地盤なんてないも同然。
0639Y ◆VqSh5C7CR6
2007/11/05(月) 01:25:35ID:EaBlQXg0>>615
>>信長軍不利な戦況の姉川で戦いで奮戦
姉川はほとんど最初から織田軍有利、織田がボコられたけど徳川のおかげで勝てたってのは後世の創作
>>本能寺から伊賀越えしてから甲斐信濃で氏政に一戦すると威圧して撤退させたり
氏政じゃなくて氏直な、氏政はこのとき小田原にいたから
まあ家康が凄いのはもはや論ずるまでもないが、アンチしたいんなら『上杉にビビリ』みたいな
陳腐な妄想を繰り返し言うなよなw
0640人間七七四年
2007/11/05(月) 06:24:06ID:/tg2CPJb0641人間七七四年
2007/11/05(月) 06:44:00ID:sZeBG9Cv姉川の戦いを今更そんな風に解釈するきみの知識もお笑い草
あんまりしゃべんないほうがいいよ
君のせいで伊達厨の品性がひくくみられる
0643人間七七四年
2007/11/05(月) 07:32:55ID:/tg2CPJb0644人間七七四年
2007/11/05(月) 07:53:52ID:Kn4wQyba出羽米沢の山猿が陸奥仙台の山猿になっただけ
0645仙台藩百姓
2007/11/05(月) 09:01:43ID:9OiV7oWy0646人間七七四年
2007/11/05(月) 10:33:45ID:/tg2CPJb0647人間七七四年
2007/11/05(月) 11:41:44ID:JgRzXr6Y伊達家は由緒正しき家柄です。
統治していた領地が山奥だっただけです。
徳川家康の方がどこの馬の骨かわからない家柄です。
戦乱の世で落ちぶれ貴族であった伊達家を建て直したのが
9世政宗公と1代政宗公。
0648人間七七四年
2007/11/05(月) 11:50:56ID:GhoPlOdH0649人間七七四年
2007/11/05(月) 11:51:23ID:/tg2CPJb0650人間七七四年
2007/11/05(月) 12:28:30ID:xmuDuooS0651人間七七四年
2007/11/05(月) 12:33:53ID:fuLvEYxK0652人間七七四年
2007/11/05(月) 13:19:25ID:/tg2CPJb0653人間七七四年
2007/11/05(月) 13:27:33ID:34tIKNf8普通に佐竹や那須、宇都宮へ南下した方がいいんじゃないか?
北条との国境争いが間違いなく起こるがな。たぶん北条にすら負けるよ。
0654人間七七四年
2007/11/05(月) 14:35:19ID:/tg2CPJb0655人間七七四年
2007/11/05(月) 15:25:07ID:mUZCxgEuまあ、過去に伊達成実の父親が上杉家の養子になるはずだったんだしな。
だから伊達家と上杉家は特に侵略し合う仲ではないんだよ。
お互い伝統と由緒がある家柄なんだし。
商標登録された伊達の紋については残念なこったな。上杉家の紋なのにな。
0656人間七七四年
2007/11/05(月) 15:30:56ID:mUZCxgEu北条とは戦わなかったよ。伊達家十八番の政略結婚が対等にできるようになる
時期まで東北周辺にちょっかいを出し続けたはず。
秀吉が登場しなければ、東北をまとめるだけで半生を費やしていただろうし。
政宗公が賢いのは、長いものに巻かれながらチャンスを待つところなんだよ。
0657人間七七四年
2007/11/05(月) 15:43:27ID:xO2QW8Kr相馬と最上と大崎に背後を狙われどこかで討死してたな。
北条もさすがにバカじゃないから伊達に危機感を持ち佐竹と和睦するだろ。もし佐竹を滅ぼしたらそれこそ領土紛争になるし伊達が侵攻しても小田原城は落ちないし背後は暴れられ放題www
0658人間七七四年
2007/11/05(月) 15:52:02ID:mUZCxgEu戦国時代最も無惨だったのは北条家。
政宗公の最大の武器は若さだったといってもよい。
もし20年早く生まれてオッサンになっていたら、秀吉に切腹させられていた。
0659仙台藩百姓
2007/11/05(月) 16:35:42ID:9OiV7oWy竹に雀は上杉家だけの家紋ではなく藤原北家勧修寺系の家紋だお
伊達家も越後守護家から譲られたものだから文句言われる筋合いはないお
伊達家のはだいぶデザインが異なるし(ちなみに伊達家の方が本来の形に近く価値が高い
だいたい上杉家を滅亡に追いやった越後の奸賊より同じ藤原北家の伊達の方が家紋に相応しいお┐ (´ω`) ┌
0660人間七七四年
2007/11/05(月) 16:49:20ID:dYaHHyfq関東管領の格には遙か及ばねえよ
家の格でいったら
上杉家>伊達家だわな
0661人間七七四年
2007/11/05(月) 17:18:43ID:/tg2CPJb0662仙台藩百姓
2007/11/05(月) 17:18:45ID:9OiV7oWyそれ以後はわざわざ常陸太田まで売りに行っても義昭にイラネって蹴られる程度のゴミだお
いくら買い手がいないからって反逆者に身売りするとは呆れたものだお(;^ω^)
腹でも切った方が家名を汚さずに済んだのに┐ (´ω`) ┌
0663人間七七四年
2007/11/05(月) 17:33:55ID:34tIKNf8浪岡御所>葛西>斯波>大崎>最上>源氏の南部>伊達
で伊達は最下層だろ。
0664人間七七四年
2007/11/05(月) 18:05:10ID:3cvYXI3S関東管領の職のみの相続だったら喜んで受けたはず
佐竹は本姓が変わるのが嫌なのであって関東管領を継ぐのが
嫌なわけじゃない。
0665仙台藩百姓
2007/11/05(月) 18:17:51ID:9OiV7oWy上杉なんてイラネから関東管領だけ置いて帰れって言われたわけだおね
「余計な物」扱いとは憐れだお( ´ω`)
0666人間七七四年
2007/11/05(月) 18:33:10ID:3cvYXI3Sこの大出世で国内統治がしやすくなった
鎌倉公方の管轄甲斐の信玄の信濃介入にも正式にできるよになった
泥沼関東に介入しなければならなくなったけどね
0667人間七七四年
2007/11/05(月) 19:00:18ID:/tg2CPJb0668Y ◆VqSh5C7CR6
2007/11/05(月) 22:54:40ID:UGJFV7rwそもそも織田が苦戦していたというソース自体なかったはずだが?
俺が知ってるのは、織田が浅井、徳川が朝倉に当たり、その徳川に織田方から池田と丹羽がつけられた、
美濃衆が最後浅井勢にぶつかってトドメを刺した程度しか知らん。
朝倉がヘタレとか磯野が織田軍をフルボッコにしたとか後世の創作にすぎん。
0670人間七七四年
2007/11/06(火) 02:33:00ID:DmwPM4G/0671人間七七四年
2007/11/06(火) 02:38:47ID:DmwPM4G/0672人間七七四年
2007/11/06(火) 06:21:47ID:+NWW4z1N0673人間七七四年
2007/11/06(火) 10:53:56ID:d58OHjIv0674人間七七四年
2007/11/06(火) 11:08:40ID:+NWW4z1N0675仙台藩百姓
2007/11/06(火) 11:32:17ID:UE3IDcgj佐竹と上杉は兄弟同然であるとしてね
家名譲るなら赤の他人より血族の方がいいに決まってるし
佐竹もどうせ源氏の嫡流でもないし継げばよかったのに┐ (´ω`) ┌
だが恐らくそれは表向きで、当時佐竹と北条は協調関係にあったし
勢いのある北条と真っ向から敵対するのを嫌って義昭は断ったのだと思うお
0676人間七七四年
2007/11/06(火) 11:57:30ID:d58OHjIv到底、佐竹に関東管領の重みをまっとうできんな。
因縁ある父の死とともに出家し一度は俗世を棄てた毘沙門天の化身長尾景虎こそが実力と胆力からしてその任に最も相応しい。
関東管領史の中でも名君中の名君である上杉憲実以来の傑物でその補佐をした上杉家家宰にして関東管領軍総司令官たる白井長尾景仲や景信親子の武勇にも比すべき謙信。
0677人間七七四年
2007/11/06(火) 12:18:59ID:bzaF3ogtどうしようもなく進退きわまってしょうがないから謙信のところにきただけ
0678人間七七四年
2007/11/06(火) 14:04:29ID:+NWW4z1N0679人間七七四年
2007/11/06(火) 15:25:06ID:qFbplk46伊達家も江戸中期に養子もらってるよ。
男系の血は繋がってるけれど。
だから伝統ある伊達家は江戸中期に終わりました。
家紋を商標登録したり、祖先の墓を曝いたり商売に使う今の某伊達家は
もはや伊達家ではない。
0680人間七七四年
2007/11/06(火) 15:59:12ID:+NWW4z1N■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています