輝宗の急死によって、伊達家当主としての政宗は、まったく孤立無援といってよい
状況での自立を余儀なくされた。家督を譲られて一年を経ていたとはいえ、
政宗にはさしたる実績がない。輝宗の突然の死によって風向きは急変し、主として
輝宗の信用で維持されてきた周辺諸大名との外交関係は大幅な後退を余儀なくされた。
再び勢いがつき始めていた伊達家の南奥平定の覇業は頓挫し、晴宗と輝宗の二代
にわたる復旧の努力は水泡に帰そうとしていた。

これ河合秀郎とかいう著者の日本戦史とかいう本で、政宗の奥羽制覇扱ってる文章なんだが、
これでも政宗の版図は、伊達、信夫、置賜になってる。人取橋の前段階の頃なんて
勢力的に最悪だったんじゃない? むしろ人取橋で旧領を安定的に支配できるように
なったんじゃないかな。