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秀吉と家康はどちらが悪者か?

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/08(火) 14:27:34ID:1iWavDL9
どちらが悪者なのでしょうか?
0917人間七七四年2007/02/17(土) 04:52:23ID:NYh54DSK
>>916
子に恵まれることは近代以前の名君の条件だよ
0918人間七七四年2007/02/17(土) 05:12:11ID:/R/3omF1
秀吉は串刺しという残酷な処刑を好んだという。
浅井長政の5歳の嫡男も秀吉によって串刺しにされている。
串刺し刑の残酷さは筆舌に尽くしがたい。
まさに人面ならぬ猿面の悪鬼・秀吉!
また秀次事件では残忍な婦女子の殺戮を行う。
家康にあまり残酷な逸話はない。
もう何をかいわんやである。
0919人間七七四年2007/02/17(土) 09:28:50ID:HX9BJGgR
>>915
それって秀吉厨にもあてはまる。
0920人間七七四年2007/02/17(土) 10:10:09ID:Lm2SavCm
朝鮮の役によって梅毒が以前にも増して蔓延してしまったので秀吉は悪
0921人間七七四年2007/02/17(土) 11:09:38ID:CgRm+hYd
>>900
>統治結果は家康の圧勝

秀吉と家康は、秀吉厨と家康厨ほど仲が悪くなかったかも
それぞれお互いに課題を与えて試している


家康が秀吉に臣従
「試しにあんたが天下を治めてみろ、ただし治績よろしくなければ俺がいただく」

秀吉が家康を関東移封
「あんたは関東を治めてみろ、ただし治績よろしくなければ所領を没収する」


後者は大成功し、前者は行き詰った
家康が秀吉に代わって天下を治めようとするのも当然だろう
0922人間七七四年2007/02/17(土) 11:53:12ID:57XyUIFb
別に治績よろしくても、秀吉が先に死ねば家康は行動を起こしていたんじゃないの?
悪政を正すために立ち上がった、というわけでもないんだし。
0923人間七七四年2007/02/17(土) 12:14:58ID:OT1gwRse
>家康が秀吉に臣従
>「試しにあんたが天下を治めてみろ、ただし治績よろしくなければ俺がいただく」

>秀吉が家康を関東移封
>「あんたは関東を治めてみろ、ただし治績よろしくなければ所領を没収する」

何これ・・・
君が今度書こうとしてる小説の粗筋?
0924人間七七四年2007/02/17(土) 13:58:14ID:Lm2SavCm
>>922
治世良かったら動かないでしょうな、慎重居士の家康は
0925人間七七四年2007/02/17(土) 14:00:56ID:57XyUIFb
勝算がなければ動かないだろうが、勝算さえあれば治世のよしあし関係なく、それを乱してでも天下を獲っていただろう。
0926人間七七四年2007/02/17(土) 14:21:20ID:Lm2SavCm
>>925
天下を獲れる勝算がある時は大抵、それを周囲が望む時
つまり、治世が乱れているという事ですから

治世が乱れてない状態で、簒奪しようとしても大抵は直ぐに排除されますし
よしんば獲れたとしても、長続きはしないでしょう
0927人間七七四年2007/02/17(土) 14:37:56ID:OT1gwRse
秀吉最晩年には大名達や京の庶人の間に
「もう豊臣政権はいいんでないの・・・」みたいな空気が漂ってたのは事実
諸大名は朝鮮出兵で多大な軍役を課せられ、その皺寄せは庶民に逝っていた
家康がそういう空気を敏感に読んで政権奪取に動いたというのは有り得る話だ
けど実際家康が天下を獲っちゃったら豊臣政権以上に諸大名を締め付けて、
(度重なる天下普請に不満を言う福島正則を加藤清正が嗜めた話は有名)、
秀頼成人後に京人には「天下は豊臣家に返るべし」と大いに囃したてられる始末
要するにこいつら「現在進行形で自分達を締め上げる政府以外だったら何でもいい」だけちゃうかとw
0928人間七七四年2007/02/17(土) 14:52:05ID:Lm2SavCm
>>927
大名の負担に関しては秀吉も天下普請してるし、それに朝鮮の役における軍役を加えればトントンかな
0929人間七七四年2007/02/17(土) 14:59:54ID:57XyUIFb
>天下を獲れる勝算がある時は大抵、それを周囲が望む時つまり、治世が乱れているという事ですから

簒奪者の決まり文句だな。
家康があえて、豊臣家存続に尽力していても、やっぱり豊臣政権は崩壊していたと?
具体的にどうなるのか聞きたいな。
0930人間七七四年2007/02/17(土) 15:05:34ID:Lm2SavCm
>>929
乱れない治世を構築するのは為政者(秀吉)の義務であって家康の義務じゃないから
五大老になった時点で朝鮮の役は既に泥沼化、この時点で既に豊臣政権の運命は定まっている
0931人間七七四年2007/02/17(土) 15:06:19ID:OT1gwRse
朝鮮出兵を擁護するわけじゃないが、
木曽川の治水工事したり名古屋城建てても遠国の外様大名にとっては直接利益が有る訳じゃないからねえ
加藤福島みたいな血の気の多い戦場上がりの大名にとって、
勝てば封土が増える可能性が有る博打的な外征の方がまだマシだという感覚だったんだろうね
0932人間七七四年2007/02/17(土) 15:15:15ID:57XyUIFb
>この時点で既に豊臣政権の運命は定まっている

だから、家康が積極的に動かなくても豊臣政権は崩壊してたっていうんなら具体的にどうなってたのか、と聞いているんだが。
歴史の必然みたいにいうが、それは家康のやったことをあまりにも過小評価しているぞ。
0933人間七七四年2007/02/17(土) 15:37:54ID:Lm2SavCm
>>932
朝鮮の役で諸大名に多大な負担をかけた挙句、何の成果も無く撤退。
何らかの責任を誰かが負わなければならないが、当事者である秀吉は死去。
となると豊臣政権自体がその責を負わなければならないが、実務官である五奉行
にその意識は無い。

当然の如く、諸大名の不満は高まり一触即発。
で、そこで目の敵にされた五奉行の石田三成が襲撃される。

ここまでの過程と家康の多数派工作には余り関係は無い。
家康が動かなくても既にこの様に豊臣政権内部ではクーデター同然の事が発生している。
あの時、家康が仲介に動かなかったら、その時点で吏僚派と武功派の対立は大規模な戦闘に発展。
第二次応仁の乱へと突き進むでしょうな。
0934人間七七四年2007/02/17(土) 15:52:00ID:57XyUIFb
そこで目の敵にされたのが、三成であって秀頼ではないことに注目。
あくまで豊臣政権そのものを転覆させようとは、襲撃したメンバーも(少なくともその時点では)考えていない。
クーデターではなく、豊臣政権内での主流派争いにすぎない。
それを焚きつけ、二分するよう巧みにもっていったのが家康の力量。

そもそも応仁の乱と違って、後継者争いになる余地がないんだが。
0935人間七七四年2007/02/17(土) 16:48:29ID:Lm2SavCm
>>934
政権の主流派争いで政権自体が弱体化・崩壊するのは良くある事です。
仮に武功派がクーデターに成功した場合、朝鮮の役の責を五奉行に押し付けて所領を没収し、
それを恩賞として宛がうという流れになるでしょう。

どちらにしろ、両者の争いが深刻化すればそれだけ豊臣政権は弱体化し、求心力は低下。
各地の大名は好き勝手を始める様になる。

この辺、そう史実と変わらん気がする。違うのは家康が積極的に介入した結果、分裂・再統一
までが一気に行われたという事であろうか?
0936人間七七四年2007/02/17(土) 17:14:39ID:57XyUIFb
朝鮮の役の責ってなに?
三成が嫌われたのは、元々側用人的な嫌われる立場(及び性格)にあったのに加え、現地の情報を歪めて伝えていた
(誤解も多いが)とされていたからだろう。
別に敗戦の責任を問われて襲撃されたわけじゃない(敗戦の責任なら現地の武将たちにも当然ある)し、誰かが責任を
とらなければならない筋合いのものでもない。現代の政治家じゃないんだから。

そもそも、秀頼の代わりになる存在がない以上、豊臣家としてはまとまらざるをえない。多少の内輪もめはあるにしても。
実際に、秀吉死後に大名が好き勝手に行動した例は、ほとんどが家康が絡んでのもの。
0937人間七七四年2007/02/17(土) 17:46:09ID:Lm2SavCm
>>936
朝鮮の役での多大な損害と出費を諸大名は看過すると、それは無理でしょうな。
あれを豊臣政権が始め、失敗に終わった以上、誰かが責任取らなければならないのは
現在の政治家でなくても当然の事でしょう

そして秀吉亡き後、それに一番近いのは側近衆である五奉行。中でもタダでさえ恨みを
買ってる三成になると思うのだが
三成も三成でそんなのは御免被るし、>>936のように前線の武将にも責任があると考えていれば
更に話はこじれる。

後、家康があの当時に行っていたのは武功派よりの多数派工作であって、それ以上の積極的な
行動は採っていない。
彼が行動を起こしたのは武功派により三成が追放された後からであり、その時点で「多門院日記」
にもある様に機能を停止したと言ってもよい豊臣政権に代わって天下人になったのである。
これは武功派が家康を担ぎ出したともいえる。

この時まで家康は決して主体的な行動は採っていない。家康がそうした行動にでるのはそれ以降
であり、それは既に崩壊した豊臣政権の完全解体と徳川政権の構築の為のものと言えよう。
0938人間七七四年2007/02/17(土) 18:02:28ID:57XyUIFb
おいおい、秀吉が死んだ直後から家康は行動を開始しているぞ。自らの天下獲りのために。
多数派工作のみって、すでに秀吉の遺訓を無視してやりたい放題じゃないか。婚姻のことといい。
明らかに豊臣政権に楔を打ち込むような行動ばかりしてるし、それには明確な意思がみられる。
豊臣政権が崩壊した(実権を失った)といえるのは関ヶ原の後で、そうさせた張本人は家康じゃないか。
0939人間七七四年2007/02/17(土) 18:13:48ID:MRk/qwod
921 名前:人間七七四年[] 投稿日:2007/02/17(土) 11:09:38 ID:CgRm+hYd
>>900
>統治結果は家康の圧勝

秀吉と家康は、秀吉厨と家康厨ほど仲が悪くなかったかも
それぞれお互いに課題を与えて試している


家康が秀吉に臣従
「試しにあんたが天下を治めてみろ、ただし治績よろしくなければ俺がいただく」

秀吉が家康を関東移封
「あんたは関東を治めてみろ、ただし治績よろしくなければ所領を没収する」


後者は大成功し、前者は行き詰った
家康が秀吉に代わって天下を治めようとするのも当然だろう
0940人間七七四年2007/02/17(土) 18:21:57ID:29oJfvrX
豊臣の天下は家康に頼るところが大きかったからな
家康に認められてやっとまとまったって感じだし
家康個人の行動に左右されるようじゃ、家康の代じゃなくとも豊臣と徳川の衝突は必至だしな
秀吉は後に敵対勢力になりそうなのを潰すことと、跡目問題という初代に大事な2つのことがどっちもしょぼい
0941人間七七四年2007/02/17(土) 18:35:59ID:LZQkrwup
釣りはスルー
0942人間七七四年2007/02/17(土) 18:53:48ID:Lm2SavCm
>>938
婚姻が多数派工作なんすけどね
まぁ、御掟違反は確かにその通りなんだがそれと吏僚派・武功派との対立は基本、別に考えるべきで
真に豊臣政権を崩壊に追いやったのは後者ではないんかいと言った感じかな

豊臣政権の吏僚派・武功派がまとまっていたら、家康も元よりそんな事しなかったでしょうし
あくまで政権崩壊の主は政権内部の抗争にあって、家康の御掟違反はそれに対する反応
と言う程度のものかと

後、崩壊時期は政権の主が家康となった時と考えています。それ以降、豊臣政権は徳川家康の元に
運営され、それは三成の政権の主導権奪回を狙った挙兵により覆るものの、関ヶ原によって最終的には
引導が渡った感じですから。
0943人間七七四年2007/02/17(土) 19:09:45ID:57XyUIFb
>あくまで政権崩壊の主は政権内部の抗争にあって、家康の御掟違反はそれに対する反応と言う程度のものかと

よく意味がわからないな。
程度の差はあれ政権内部でもめているのはどこにでもある。もめているから家康が違反した?

家康に天下を奪う明確な意思があるから、その布石として遺訓を無視し、あえて挑発しながら諸侯の反応をみていったんだろう。

あの吏僚派・武功派の対立程度なら、どの政権も抱えている。
繰り返すが、秀頼の代わりがいない以上それが決定的な亀裂にはなりにくい。
もし秀吉の遺児が複数いれば、それこそ秀吉自身が織田家に対してしたように分裂させるのはよりやりやすかった。
それができなかったから、家康が苦心して関ヶ原という舞台をお膳立てしたんじゃないか。
だから三成をかくまった。自らの天下獲りのために三成には、それを邪魔する連中をひとつところにまとめてもらう必要があったから。
三成は三成で、相応の成算はあったから関ヶ原に踏み切った。それが決着するまでは、豊臣政権崩壊などとはとてもいえないだろう。
0944人間七七四年2007/02/17(土) 19:43:42ID:5GWFRunc
>>940  ほらほら、こういう馬鹿がいるから家康厨は基地外と言われる
んだよ、秀吉の天下統一は全て豊臣政権ならではのものですが何か?家康
に助けられたようなものがあるっての?長久手の役で秀吉にしてやられた
のはどう説明するつもりなの?あげくには北条となまじ同盟を結んだ為に
やむなく秀吉に臣従するはめに 笑)

秀吉は日本の歴史上唯一全国レベルで大略たてての天下統一なので、クソ
漏らしのそれとはわけが違うんだよ、3つの幕府なんて中央の政権を倒し
ただけのもの。

ちなみに家康が天下取りに動かなくても、三成や海外貿易を推し進めてき
た小西行長あたりがうまく統治出来たと思うね、淀の方も三成派だったし
野心の無い家康は武断派連中を抑えることが出来たんじゃないかい?
徳川幕府は結局鎖国政策によって日本を国際的に遅れさせてしまい今日に
至るわけだ。
0945人間七七四年2007/02/17(土) 19:53:18ID:5GWFRunc
>>933  家康が動く前に豊臣内部でクーデターってアホか?お前
基本的に、淀の方と秀頼のもと豊臣政権は歪んでは無かったよ、
武断派と奉行集が対立してたのは確かだが、小西行長の朝鮮での
殿撤退を見れば分かるように、海外との関係修復や三成による国内
統治を優先して行われたような感じがするね。
結局関ヶ原まで発展していったのは武断派の感情に家康が突きこん
でいったと認識するのが良い。
0946人間七七四年2007/02/17(土) 21:19:20ID:29oJfvrX
同じことを言ってるだけなんだが何を曲解してるんだか
要するに家康が覆せる程度の政権だったってことでしょ
0947人間七七四年2007/02/17(土) 21:35:37ID:OVPgiM4o
対外戦争に失敗したら政権交代が起きるのはどの国でも当たり前
まして秀頼は天下人としての公的な地位・役職など何も持っていない
こういう時は地球上のいかなる地域でも新政権ができて再出発となるに決まっている
もし世界のどこかに、対外戦争が泥沼化して何も得たものはないけど位も継承していない幼君のもと政権が安泰だった
なんて事例があったら教えてほしいくらいだ
0948人間七七四年2007/02/17(土) 21:46:33ID:29oJfvrX
秀吉が自分で始めたことだからな
負ける気で挑むことは無いだろうけど、失敗のリスクの大きさを把握できてなかったのかな
跡目も秀吉の問題だしね、関白のまま斬っちゃったり、種が弱いのも
0949人間七七四年2007/02/17(土) 21:51:53ID:OT1gwRse
秀頼は秀吉死亡時点では関白でこそ無いが参議の位を飛ばして僅か五歳で権中納言へ昇進、
これは摂関家藤原氏の官位昇進の例にならったもので、
この時点では秀頼の将来の関白就任は規定路線だったと思われ
(さすがに五歳の幼児に天皇の後見たる関白の位は挙げられない)
メジャーな例で言えば夷陵の戦いで惨敗した蜀漢の劉備亡き後、
宰相であった諸葛亮が自身を皇帝に推挙する声が有ったのにも関わらず遺児を補佐したという事例が有る
家康があくまで臣下の分を弁え、秀頼成人まで豊臣家の柱石となり
古今無双の忠臣として顕彰されるというifも有り得なかったわけじゃないと思うけどなあ
ま、戦国時代だししょうがないですけどね
0950人間七七四年2007/02/17(土) 22:54:04ID:5GWFRunc
>>947何それ?現代の民主社会の政権のこと言ってるの?アホに限って
こういう比較をするから始末におけないね、揺らいだ政権を立て直す
のに他の大名が掠め取るだけが正当な行為だとでも思ってるんだろ?
五大老の内大臣であれば、逆に奉行集と強力してでも政権を新たに築
けた可能性もあるんだよ。武断派連中を抑えられるような人間も五大
老ぐらいだったろ。

要するに、家康が野心に燃えて豊臣政権をバラバラにさせての天下か、
もしくは政権自体がかなり揺らいでいたから家康が国の危機感を感じ
て天下取ったってことだろ?
0951人間七七四年2007/02/17(土) 22:58:51ID:5GWFRunc
朝鮮の役で国力が低下したんであれば、国を立て直すのに何で関ヶ原や大
坂の陣みたいなのが必要あるんだ?特に夏の陣、最後まで内部工作で落と
せば良かったものを、東西合わせて何十万という動員で力攻めをし、また
国力を低下させる始末。
0952人間七七四年2007/02/17(土) 22:59:21ID:ijdnrWSP
漏れはどちらにも過剰な思い入れがないので、中立の観点でスレを読んできた
つもりだが、結局どちらも大悪人だとしか言い様がない。
だが大悪人じゃなければ天下人になれないし、天下を取るため以外にも、必要以上に
結構な悪徳を為してるのも、その性格の偏りが彼らを勝利者にしたって気がする。
清盛も頼朝も尊氏も、劉邦も曹操もそう。
0953人間七七四年2007/02/17(土) 23:32:40ID:NYh54DSK
>>951
関ヶ原は双方望んでの合戦(どちらかといえば石田がより欲したと思うが)
大阪の陣は家康に時間がなかったんだろう
0954人間七七四年2007/02/18(日) 00:51:47ID:T5dRFrEi
家康に天下を取る意思がなければ、というのはあり得ない無意味な仮定だろう。
家康があれだけ戦に励み領国経営に精を出したのは、
自分が天下を取ったらああしてこうしてという思いがあればこそ行い得たことで、
そういう強靭な意思がなければあの立場でとても戦国を生き抜くことはできなかっただろう。

家康に天下取りを断念させるには、やはり秀吉が非の打ち所のない政治を行うしかなかった。
0955人間七七四年2007/02/18(日) 01:25:40ID:brzbMVda
>>951
国力なんて低下していないよ
関ヶ原は一日、冬の陣は一月、夏の陣は三日で終了
何年も無意味に続いた朝鮮出兵なんかとは違う
何年も無意味に続けたのに恩賞が出ないからもう一度戦をして恩賞を分配する必要が生じた
0956人間七七四年2007/02/18(日) 01:27:00ID:Cg8OydVg
>>955
ばら戦争と同じ構図だな
0957人間七七四年2007/02/18(日) 02:00:29ID:HADoshBs
まともなこと言ってるようで、結局都合わるそうな問いには答えられない
家康厨でしたwww
家康が独自の天下構想を抱かず、奉行集を支え武断派を押さえ、五大老の
筆頭として豊臣政権を再興させるという考え。

何でこんなこと言いたいのかと言えば、結局幕府によって鎖国になって国
際的に出遅れる日本になってしまう運命だったわけだし、もし奉行集が健
在であれば海外との交易(朝鮮明ならば関係修復、南蛮ならばそのまま続
行)がより盛んになっていたかもしれない、ってね
0958人間七七四年2007/02/18(日) 04:53:35ID:gPgzF+6h
>>952
信長も含めて悪人つうか悪漢て印象だが、家康が若干善人よりな気がしないで
もない、そこが前任者である2人の英雄に比べて何か小さくまとまった印象に
つながってるのかもしれん。
0959人間七七四年2007/02/18(日) 15:18:09ID:HADoshBs
大体秀吉と家康を比較したって何の意味も無いよ、秀吉は日本で最初に
列島レベルで骨身削って戦略を打ち立てての天下統一なんだからね、そ
の後統治する術が見当たらなかったといわれている。
家康は基本的には過去の幕府みたいに中央権力のみを解体しての江戸幕
府だ。互いに天下取りの系譜が全く違う。
それに家康は過去の幕府や豊臣政権などにみられるような弱い体質を目
の当たりにし、磐石な政権を作るに至らしめたんだろう。
まあ家康が野望を抱かず豊臣政権を新たに支えてたとしてもそれはそれ
で旨く言ってたんじゃないか?そういう説も多い。
0960人間七七四年2007/02/18(日) 15:30:55ID:X7jyvqJe
戦国武将に天下取りの野望を捨てろというのは、
鳥に飛ぶのをやめろというようなもの
まあ、ペンギンとかダチョウのような鳥もいるが
0961人間七七四年2007/02/18(日) 15:39:21ID:OXZBGJIc
別に全部の戦国武将が天下獲りを目指して生きてきたわけじゃないぞ
江戸幕府はそういう一部の「活きのいい鳥」の羽を毟り取ることで長期間政権を安定させたが
0962人間七七四年2007/02/18(日) 20:02:40ID:9WtLlpU2
自分は何もできないが他人(家康)は善意によって自分を支え続けなければならないだと?
豊臣家はニートですか?
大坂で引き篭りニート生活を続ける母子を支えなければならない理由など何もない
日本にとってそんなものはゴミでしかないことが自覚できないから豊臣は滅んだのだよ
鎖国だって欧米の搾取貿易体制に組み込まれずに国力を温存できたから近代化に繋がった
鎖国をしなかった国はほぼ全て近代化の前に植民地化されたのが現実
0963人間七七四年2007/02/18(日) 20:04:16ID:b58M05rx
おいおい、家康は鎖国政策なんてとってないぞ。
0964人間七七四年2007/02/18(日) 20:13:16ID:oSeADr5A
ただ鎖国制度の意思というか基本姿勢みたいなものはすでにあっただろ。
切支丹禁止とかを手始めに。
0965人間七七四年2007/02/18(日) 20:35:25ID:OXZBGJIc
忠義ってのはそういうもんだろ
徳川将軍だって初期三代と吉宗を除いたらみんなニートみたいなもの、
こういう連中を敬って大事に扱うのが忠義という精神構造な訳で・・・
それが異常だというならまあそれでもいいけどね
0966人間七七四年2007/02/18(日) 20:52:34ID:oJc6DgjY
>>965
江戸時代政治経済史を学ぶべきですな。
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/zuihitu.htm
ここはお勧め
0967人間七七四年2007/02/18(日) 20:53:44ID:OXZBGJIc
むしろお前が学べw
0968人間七七四年2007/02/19(月) 00:22:31ID:sxlyh/y6
>>962 戦国時代の日本の国力知ってる?島国でもかなり強力な
国力兼ね備えてたんだねえこれが
0969人間七七四年2007/02/19(月) 00:23:43ID:VLs0bSnF
>>964
禁教は秀吉の政策の継承ですよ
0970人間七七四年2007/02/19(月) 01:05:48ID:akBqif3v
秀吉=戦上手
家康=権力を手に入れるのが上手
家光=統治上手
0971人間七七四年2007/02/19(月) 13:36:02ID:JnqxRDB5
>家光=統治上手
え?ギャグ?
0972人間七七四年2007/02/19(月) 13:43:44ID:FP95N5Dv
確かに信長死後の秀吉の所業は悪党そのものだ。
だが信長、信忠亡き織田家には、もはや天下統一能力は無かった。
個人的には悪党だが、大局的見地から見れば秀吉の行動は正当性がある。
天正10年6月以降天下を統一できた逸材は秀吉しかいなかった。
あの時点での家康は、まだ実力不足。

そして秀吉死後の家康の所業も、秀吉と同様の卑劣な悪党ぶりだ。
所詮豊臣家は秀吉一人の権威とカリスマのみで維持できた政権。
実弟秀長が生存していれば家康の出る幕は無く、
やや力量に疑問があるとはいえ秀次でも存在していれば、多少家康も手間取っただろう。
豊臣に致命的だったのは、実現不可能な明国征服の為の朝鮮出兵で、政権内が文治派と武断派に真っ二つに割れ、
家康に付け込まれる素地が出来上がっていた事だ。
しかも秀吉は愚かにも後北条征伐の後、その領地をそっくり家康に与えるという気前の良さ。
領地転封により家康の石高はそれまでの約二倍、豊臣家中では圧倒的な存在感だ。
豊臣政権は崩壊する構造上の欠陥を内包していたのだから、滅亡は必然。
豊臣政権が秀吉死後も弱体ながらも生き残る道は、家康を始末する以外有り得なかった。
もし家康が先に死んでいたなら、
秀吉は何だかんだ口実をでっち上げ、半ば豊臣に取り込んだ秀忠を使って、徳川家の解体に取り掛かっただろう。
秀吉が先に死んだ時点で家康の勝ち。
0973人間七七四年2007/02/19(月) 13:59:10ID:vPhtY6a/
結城家に継がせるとかな。
0974人間七七四年2007/02/19(月) 15:14:44ID:tkdlCupI
秀吉の兵糧攻めにはびっくりだ!
0975人間七七四年2007/02/20(火) 02:31:17ID:4i9KDpaL
普通の日本人の感覚なら、小早川の裏切りや大阪の陣での言いがかりとかを賞賛したりしないよな。
家康厨って相当に捻くれてる。なぜか大恩のある秀吉を目の仇にしてるし。
0976人間七七四年2007/02/20(火) 06:04:06ID:60hTYBHi
家康厨の秀吉に対するコンプレックスが酷いのは事実だが、
小早川秀秋の寝返りは家康じゃなくて秀秋本人を責める意見が多数派でないの
0977人間七七四年2007/02/20(火) 09:22:13ID:IblZmf+Y
>家康厨の秀吉に対するコンプレックスが酷いのは事実だが、

まさに秀吉厨の言いそうなことだな。
0978人間七七四年2007/02/20(火) 09:47:57ID:/C0w67Nc
家康は秀吉に恩も義理もないでしょうに
0979人間七七四年2007/02/20(火) 13:29:52ID:60hTYBHi
>家康公ファンの、徳川ファンの太閤人気に対する長い間の臥薪嘗胆の証ですね。
>よくぞ、いってくれたといいたい。
>ほんとさしたる理由がないだけに腹立ちますね、家康公に対する悪評は。

>まったく其の通りで、家康公なくして泰平な世の中は来なかった、作れなかった。
>家康公一人の手柄ではありません。其の時代の趨勢を把握し、其の望むところを知り、
>其の為に何をしなければならないかを知悉していた人物でしょう。
>其の死ぬ間際まで。其の点、秀吉の晩年は無茶苦茶ですね。
>徳富蘇峰によると、「秀吉の晩年は、只如何にして首尾よく秀頼に、
>其の天下を相続せしむ可きかに在った。彼の百念の帰着するところは、ただこの一点にあった。」
>『近世日本国民史』豊臣氏時代編10P43より 為政者としては落第ですね。天下より我が子のことを優先するとは。

「家康公の時代」という有名な家康ファンサイトの、
山田風太郎・徳富蘇峰の家康評に対する管理人の感想
家康ファンサイトなんだから家康のことだけマンセーしてればいいのに、
一々秀吉のことを引き合いに出すのがキモ過ぎw
0980人間七七四年2007/02/20(火) 13:48:22ID:PKMVy2gk
家康と比較するなら尊氏や頼朝の方がいいのかもね。
0981人間七七四年2007/02/20(火) 13:54:43ID:RLIrYM5L
>>978
んな訳あるか
どう都合よく考えたらそんな考えに到るんだよww
0982人間七七四年2007/02/20(火) 14:04:28ID:60hTYBHi
確かに家康と比較するなら彼が尊敬して政権構築のモデルにした頼朝が面白いと思う
まあ同時代に信長・秀吉みたいな超個性が居るから比較したくなるのもわからないでもないが
けど「徳川ファンの太閤人気に対する長い間の臥薪嘗胆」って・・・
秀吉の人気が高いと家康ファンとして許せないらしい
この精神構造が理解できない
0983人間七七四年2007/02/20(火) 14:14:35ID:/C0w67Nc
はぁ、では家康が秀吉にどんな恩と義理があるか教えてくれる?
0984人間七七四年2007/02/20(火) 14:20:31ID:2aFbhkeP
義理→主従関係
0985人間七七四年2007/02/20(火) 14:37:29ID:Xr6RyoFI
本能寺の変後のクソ漏らしの行動を見れば、外交が下手なのは
一目瞭然だね、北条なんかと組んだが為に秀吉と長い間対立す
るハメになってしまったからね、で、結局情勢の悪化を危惧し
て秀吉に臣従することになったわけだね(改易などはされず)
その後関東に移転させられたが増加させてもらったわけだし。
こんなことなら最初から秀吉に臣従しておけば良かったんだよ
元々同盟関係だったんだからね。
まあ小牧長久手が秀吉から仕掛けた戦か、クソ漏らしが信雄を
担ぎ出しての戦か、信雄がクソ漏らしに同盟を強く促して秀吉
と戦ったのかその辺りは曖昧だが。
0986人間七七四年2007/02/20(火) 15:52:50ID:PKMVy2gk
>>983
義兄弟
主従関係
0987人間七七四年2007/02/20(火) 16:40:30ID:/C0w67Nc
そういえば義理の兄弟だったけ
義理チョコ程度の
0988人間七七四年2007/02/20(火) 16:48:40ID:RLIrYM5L
>>987
お前ボコボコだなww
0989人間七七四年2007/02/20(火) 17:06:40ID:/C0w67Nc
浪花節愛好者が多いもので
0990人間七七四年2007/02/20(火) 17:10:39ID:91h8kEv6
>>979
家康に憎悪をたぎらせている秀吉厨はもっとキモすぎ
0991人間七七四年2007/02/20(火) 17:48:04ID:7efaCIxs
家康を擁護したらすぐに家康厨呼ばわり
秀吉を擁護したらすぐに秀吉厨呼ばわり

ようするにどっちも「厨」ってこと。

0992人間七七四年2007/02/20(火) 18:28:12ID:60hTYBHi
秀吉厨が家康を嫌い憎むのは当然でそ
権力簒奪されて一族滅ぼされてるんだから
けど家康厨が秀吉を憎む理由なんて一つもないのに
何故か憎悪の炎を燃やしてるからキモがられる
0993人間七七四年2007/02/20(火) 18:50:10ID:91h8kEv6
>>992
一見正しそうだがよく読むと正しくないだろうな
家康厨は豊臣を簒奪したのは十分な理由があったというのがメインの主張
売り言葉に買い言葉で泥沼の争いの様相を呈しているが
0994人間七七四年2007/02/20(火) 18:57:01ID:60hTYBHi
まあ売り言葉に買い言葉ってのは確かに有るかもしれないな
いくら温厚な家康ファンでも秀吉厨にずっと豊臣家を簒奪した行為を粘着されたら
そりゃ少しは反論したくもなるだろう
けどこのスレ見る限り家康厨が言い掛かりをつけるパターンも増えてきたなw
アホみたいな秀吉アンチスレ乱立させてるのも大方・・・だろうし
0995人間七七四年2007/02/20(火) 19:07:04ID:eRV26dWw
アンチ秀吉は家康厨だけじゃないぞ。
最上・織田・北条・毛利・島津・長宗我部辺りのファンでも当然の事ながら多い。

秀次事件を知ってから生理的に嫌ってる奴も増えてる。
0996人間七七四年2007/02/20(火) 19:10:36ID:60hTYBHi
毛利・島津・長宗我部あたりは普通に秀吉よりも家康嫌ってる人の方が多そうだがw
秀吉の織田家簒奪行為は非難されて当然だとも思うが、あんまりそういう意見は見ないな
信長をマンセーしてる作家でも秀吉をそのことで非難してるのは見たことない
0997人間七七四年2007/02/20(火) 19:29:42ID:eRV26dWw
作家で言うなら司馬が家康嫌いだからな。

結局それが家康の悪いイメージの90%を占めてる辺りがなんとも。
0998人間七七四年2007/02/20(火) 19:36:42ID:60hTYBHi
いくら司馬が文化勲章で本売れまくりの大作家様でもアンチ家康の90%の責任も無いだろうよ
上の方で晒した家康公論評のサイト、その中に徳富蘇峰みたいな明治時代の文人の家康評も有るが、
その内容は世間の家康を軽んじる風潮に物申すというような内容、
要するに明治になってから日本人はむしろ家康嫌いがデフォ
司馬はそういう空気の中で育ち家康嫌いになり、
そういう空気を読んで自分の作品内で家康を憎憎しげに描いたというだけ
まあ山岡大先生の徳川家康のおかげで若干(かなり?)名誉回復はしたようだが
0999人間七七四年2007/02/20(火) 19:38:15ID:eRV26dWw
というか大阪出身だからだろ。
1000人間七七四年2007/02/20(火) 19:39:52ID:60hTYBHi
まあそれも有るかもね

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